Illusional Space   作:ジベた

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14 蒼き翼の勇者

 閃光と爆炎が海上で激しく明滅する。銃声が鳴り止むことはなく、空を無数の人型が駆けめぐっていた。俺が今いる場所もその一部でしかない。だが目の前にいる“敵”だけは、一部として片づけるには強大すぎる存在だった。

 銀の福音。正確には違う名前だろう。ラピスから伝わってきた情報によれば、コイツはISではない。だから世界ランキング9位であるセラフィムとは完全に別物なのは確定である。もっとも、今の俺にはコイツは福音としか呼べないが。

 

 福音が身丈よりも大きな光の翼を広げる。鳥のような生物的な翼は1対だけでなく4対だ。八方に翼を生やし、光の剣を携える人型は神話に出てくるような天使を思わせる。敵対している今、その存在は悪魔でしかない。

 敵の状況を分析。光弾の生成がないということは接近してくるはず。前に対峙したときには一切わからなかったことが今は手に取るようにわかる。前との違いなんてAICの概念を理解したくらいでしかないはずなのにだ。

 

(ヤイバさん、わたくしを忘れておりません?)

(あ、そうだった。ラピスが見てくれてるのも違う点――って、俺通信つなげてた?)

(そうではありませんわ。これはおそらく相互意識干渉(クロッシング・アクセス)による感覚共有です)

 

 初めて聞く単語だったが俺には理解できた。クロッシング・アクセスは操縦者同士の波長のようなものが一致したときに発生すると言われている現象で、ISコアが操縦者の意識をつなぐものだという知識があった。その知識すらも俺はラピスと共有しているらしい。福音が光弾を出さないと判断できたのもラピスの観測があってのことだった。

 

 迫り来る福音は両腕のENブレードを縦に同時に振り下ろしてくる。二刀流の厄介なところを押しつけてくるものだ。まともに受けるわけにはいかず、俺は向かって左のブレードを雪片弐型で受け流しつつ、そのまま左に抜ける。

 油断はするな。まだ福音の攻撃は終わってない。警戒していたとおりに福音が翼から光の弾を生成して一斉に放ってきた。俺にはまだまだ余裕がある。AICを使用して道を切り開き、イグニッションブーストを使用する。

 福音のばらまいた弾は全て外れた。至近距離のショットガンと同じくらいやばい代物だったが、イグニッションブーストならば避けられる。何にも当たらなかった福音の攻撃は遙か後方の海に着弾して、凄まじい水柱を上げていた。それを観測していたラピスの思考が俺にも伝わってくる。

 

(ナナさんの戦闘データから計算はできていましたが、シルバーベルと比べて単発の威力が段違いですわね。ヤイバさんの白式だと10発程度で落とされてしまうでしょう)

(具体的な数字にされると恐ろしいな。ちなみにそれは胴体直撃でだよね?)

(はい。もっとも、ヤイバさんなら1発も当たらないでしょうから心配はしておりませんわ)

 

 ラピスは本気で当たらないと思ってくれているのも俺にはわかってしまう。ならばそれには応えないと。

 

 再度福音と向き合う。至近距離からの射撃が避けられることも想定済みであったのか福音はENブレードを掲げて飛び込んできた。イグニッションブースト後の隙をついた追撃となり、俺は避けることができない。

 

 ――昨日までの俺だったなら。

 

 AIC。周囲からの衝撃など気にせず、自らの速度をゼロにすることに終始させる。イグニッションブーストからの急停止。ISコアが自動で耐G制御を行っている間に次の道をイメージしておく。

 急停止により、福音が俺に追いつくのは一瞬だった。タイミングをずらしたにもかからわず福音は的確に俺へと両手のENブレードを同時に叩きつけてくる。俺がそのまま足を止めていればこの攻撃を受けなければならない。

 

 ――今の俺はまだ踏み出せる。

 

 俺ができることは終わっていない。もう福音は攻撃のタイミングをずらせない。俺は実戦で初めてイグニッションブースターの2段目を使用する。これが多段瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)と呼ばれる高等技能の応用技。慣性制御によって瞬間的な180°ターンも可能である。

 俺は福音の想定には無い動きをした。人間離れした福音でも知識や経験というものはある。だが中途半端な知識と経験は、思いこみという油断を招くものだ。おそらくは相手が俺でなくランカーだったならしなかったであろう飛び込み。俺と戦ったことがある経験がそうさせた。だからこそ、俺の反撃が奴に届く。

 

 ENブレードを振り上げた福音の胴はガラ空き。俺は雪片弐型で斬り抜けた。

 

(ヤイバさん! 離れてください!)

(わかってる!)

 

 相手が普通のISならばここで一気に倒しきるところだが、倒しきれる保証もないまま攻撃するわけにはいかない。攻撃し終えた俺はそのままの速度を維持して福音から遠ざかる。案の定、俺を包み込もうと光の翼が動いていた。危機一髪である。

 問題はここからだった。今、俺が一撃を加えられたのは福音の油断によるもの。実際のところ、福音は俺に接近戦を仕掛ける必要など無く、リンの衝撃砲も効かなかった翼で守りながら射撃を繰り返されるだけで俺には手も足もでない。

 福音は翼のうち4枚で体を覆い、残りの4枚から光弾を生成して次々と俺に向けて発射してくる。回避に専念すれば避けられるが、攻め込めない。

 

(ラピス。福音の翼はENブレードと同じものと見ていいんだな?)

(はい。あの翼で守られては雪片弐型で斬りつけても効果がないと思われます)

(敵は安全策で来たか)

(妥当と言えば妥当ですわね。福音があの状態でも攻撃できる時点で、こちらは一方的に逃げ回るしかありません。くれぐれも不用意に接近はしないでくださいませ)

(ああ。あの翼に捕まえられたら終わりだからな)

 

 光の弾幕が張られる。常に射角を変えてくる福音の攻撃は、足を止めてしまえば周囲からの集中砲火となんら変わりない。視界が無数の光の群で埋められていき、まるで目の前が真っ白になったようにも感じられる。

 その中を福音は縦横無尽に動き回っている。奴は射撃のみではなく、守りを固めたまま、突っ込んできた。攻撃用の翼がまるで手のように俺に向かって伸びてくる。雪片弐型を当てると一瞬だけ動きを止めたため、その間にイグニッションブーストを使って逃げ出す。

 

(やっぱり斬れない。正攻法は無理そうだな。何か策はある?)

(無いことは無いのですが、すぐには用意できません。それにプレイヤーに攻め込まれている現状では難しいですわ)

(なるほど……ラピスにしちゃごり押しっぽい作戦だな。それでいこう)

(ですから現状では無理だと……そういうことですか。ヤイバさんは何者ですの?)

(俺はただの高校生だ。変わった知り合いがいるだけのな)

 

 ラピスとの脳内会議を終える。

 俺はここで拡張領域にある武装のリストを確認した。

 雪片弐型しか登録されていないはずの拡張領域だが、なぜか今は複数の武装が存在している。

 BTビットBTミサイル複合兵装“シグニ”。

 破損しているENライフル“スターライトmkⅢ”。

 そして、ENショートブレード“インターセプター”。

 わかる。これらは全てラピスのISの装備だ。それがなぜか白式の武装として登録されている。

 

(ラピス。インターセプターを借りるぞ)

(知識や経験だけでなく、拡張領域とストックエネルギーとサプライエネルギーも共有しているみたいですわね。わたくしは後方に下がりますので、インターセプターだけと言わず、シグニもお持ちくださいな)

 

 空いた左手に武器を呼び出す。雪片弐型と比べたら小刀といった大きさのENブレード。これで俺の手数が増えた。そして、ラピスによって具現化されたBTビットとBTミサイルが白式のウィングスラスタの周りに配置される。それらがひとつの大きな翼であるように……

 

 今の俺がすべきことは時間を稼ぐこと。

 やれるはずだ。勝てるはずだ。

 俺ひとりが戦ってるわけじゃないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 パラパラとばらまかれた金属が右肩の盾を叩く。ひとつひとつは大したことが無くても徐々に盾が変形し、そのうち破られてしまうことだろう。ベコベコになりつつある盾が壊れる前にと、無茶な突撃をしている男がいた。ツムギの実力者であるトモキだ。彼は接敵に成功すると物理ブレード“葵”でマシンガンを撃ってきていた敵を斬りつけた。ちょうど限界に来ていた敵はその一撃で消滅し、トモキはフーっと一息つく。

 

『トモキー、そっちが終わったんならこっちに来てくれー』

『トモキ。左翼が破られそうだ。至急援護を』

『トモキくん、正面側中央に接近してくる高速機体があります。至急迎撃を』

「だーっ! うっせーよ! 俺はひとりしかいないのっ! 忙しいのはわかったからつべこべ言わずにラピスの指示に従ってろ!」

 

 休憩する暇も無くトモキは次の相手と戦わなければならない。それはトモキだけの話ではなくツムギのメンバー全員に言えることである。まだハッキリと口には出さないが、精神的に追いつめられてきたメンバーもいることだろう。安全マージンを十分にとらなくてはならないのに退くところもない防衛戦をしていては無理もない。

 頼みの綱のラピスから指示は来ている。だが戦力差は決定的であり、劇的な勝利を掴めるような作戦があるわけでもない。ここまで誰もやられていないだけでも十分だとトモキは納得しているのだが、全員が耐えられるとは思っていなかった。

 

『トモキさん。次は正面に接近してきているユニオンの相手をお願いします』

「あいよ、了解」

『お気をつけください。相手はブライト兄弟という有名プレイヤーです。ひとりがヘルハウンドフレームを使った輸送機となっていて、もうひとりがその上にガトリングを装備したフォートレス型で乗ったまま攻撃をするという戦術を取ってきます』

「へー……移動するガトリングとかマジで相手にしたくねえな」

 

 愚痴を言いながらもトモキは必要な武装を分析して装備変更を行う。相手はユニオン2機が連結した移動要塞である。トモキの打鉄は機動性重視のディバイドであるが最高速度では負けていると判断でき、ブレードによる攻撃チャンスはほとんどない。よってブレードを収納して荷電粒子砲を装備する。

 指定されたポイントはツムギの本拠地正面口側の中央。ここを突破されればツムギが落とされるというポイントだ。まだここに敵影が無いのは前線で辛うじて抑えられているということを指す。しかし今から来る相手はそれらのことごとくを無視して特攻を仕掛けてくる。トモキが敗れればそれはそのままツムギの敗北を導くことになるであろう。

 

「ま、こんなところでナナがたったふたりを相手にしているわけにもいかないしな。この俺がやるしかないっしょ」

 

 敵影が見えてきた。情報通り、ユニオン2機分のごつい戦闘機のようなものが向かってくる。速度は単体の戦闘機型(ユニオン・ファイター)と比べれば圧倒的に遅いが、要塞型(ユニオン・フォートレス)としては速すぎるくらいである。トモキは先制攻撃として荷電粒子砲を構えて狙いを絞る。狙撃の腕は全くといって無かったが、ラピスによるサポートによってある程度はマシとなる。トモキは躊躇いなくトリガーを引いた。

 思考制御による発射トリガーによって、大筒に光の粒子が収束していく。すでにため込まれた粒子を加速するプロセスを経て、砲口から極太の光線が放たれた。海上の空を雷のような轟音が割いていく。

 

「マジかよ? 避けやがった」

 

 敵機はなんでもないと言わんばかりに回避していた。進行方向に対して垂直な高速横移動である。戦闘機型を使うプレイヤーの多くができない挙動をブライト兄弟は要塞型を積んだ状態でやってのけていた。

 そもそもユニオンのいいとこ取りと思われるブライト兄弟の構成であるが、実際のところはデメリットが消せていないEN武器の的なのである。要塞型を移動させるアイデア自体は出てきても、下の戦闘機型、上の要塞型、ともに移動を制限された状態となってまともに操作ができない。単機の方がまだ回避できる可能性があるのだ。

 そんな制限をものともせず、ひとつの機体であるかのようにブライト兄弟は扱える。そんな彼らだからこその機体構成といえ、彼らの名前をISVS内に知れ渡らせているのだ。

 トモキは彼らのことを知らなくても、簡単に勝てる相手ではないことは察せていた。

 

 接近を許す。荷電粒子砲のチャージが間に合わず、トモキは左手のライフルで牽制射撃を行う。対するブライト兄弟は旋回しながら回避していた。だがただ回避するだけでは終わらない。上部の要塞型部分からガトリング“デザートフォックス”がトモキを狙っていた。“ヘカトンケイル”や“クアッドファランクス”と比較すると火力は劣るが、ガトリングの単位時間当たりの火力は侮れるものではない。トモキは両肩の盾を前面に押し出しつつ後退する。時間と共に修復されつつあった盾は再びベコベコになっていく。

 

「ああ、もう! これだからガトリングは大っ嫌いだっ!」

 

 攻撃が止む頃には既に敵機は遠く離れている。盾は片方に限界が来て粒子となって消えた。再び使用可能になるまでは30分といったところである。

 舌打ちしつつトモキは考えを巡らせる。中距離での撃ち合いは分が悪い。しかし遠距離で当てられることもない。接近するだけの速度も持っていない。次にガトリングに晒されれば耐えきれない。ないない尽くしだ。

 自分一人で対処することはお手上げだった。このまま続けても勝てないことをトモキは素直に認めて、ラピスに指示を仰ぐ。

 

「で、俺はどうすればいいんだ?」

『時間稼ぎは十分ですわ。そのまま後方に下がり、装備の修復を待ってください』

「はぁ?」

 

 まさかの撤退の指示にトモキは開いた口が塞がらなくなる。ここで強敵を討つための人選ではなかったのか。それともナナの手が空いたのか。ラピスの意図は不明だったが、トモキは指示に従うことにした。

 ブライト兄弟が旋回を終えて再び接近してくる。トモキは立ち向かう真似はせず後方へと下がり始めた。ツムギまではもう目と鼻の先。これはそのまま追いつめられたことを意味する。

 背水の陣を敷いた。そうも思ったトモキだったが、周囲の戦闘音が激しくなっていることに気づく。銃声にしろ爆発にしろ、その数自体が増えていた。そして――

 

 ツムギの建物の影から複数のISが飛び出してきた。

 

 トモキの見上げる空は次々と現れるISによって埋められていく。その数100機超。ツムギではない。数が多すぎる。つまり、このISの大軍はプレイヤーに他ならない。

 

「俺たちは……負けたのか……?」

 

 あまりにも突然の変化にトモキは武器を取り落としそうになった。そんなときである。割と頻繁に聞いているムカつく声が聞こえてきた。

 

『正確にはトモキくんひとりの負けですね。今日の王子様度数もヤイバくんの圧倒的勝利です。残念でした』

「おい、シズネ! 今はふざけてる場合じゃ――」

『察しが悪いのでさらに減点ですね。これはレポートにしてナナちゃんに提出しておきます』

「ちょ、おま――」

『今来た人たちは私たちの味方ってことです。そのまま見ていてください。私とナナちゃんの希望が引き寄せてくれた勝利というものを』

 

 トモキが何を言おうとシズネは一方的に話すだけ。

 口数の多さが憎たらしいと思いつつ、平常運転なシズネの声でトモキも理解できた。同時に安らぎを覚えている。

 今まででは考えられなかったプレイヤーの援軍がやってきたのだ。

 

 後方から現れたISのうち1機がどでかいENブラスターを構えていた。トモキはその装備に見覚えがある。集束型ENブラスターの代表格ともいえる“イクリプス”だ。件のISは燃費の悪いそれが2つ束ねてあるという狂気の装備構成である。

 当然、それだけならばブライト兄弟に当たるはずがない。しかし、既に前方には3機ほどのISがマシンガンやライフルで足止めを行っていた。

 

「ハッハーッ! 全部吹っ飛びやがれ!」

 

 周囲が暗く感じるほどの光が空を走った。トモキの扱う荷電粒子砲“春雷”もちっぽけに感じるほどの光はブライト兄弟のうち要塞型の方を貫いていく。直撃した要塞型は跡形もなく消し飛び、戦闘機型の方は余波で装甲が吹き飛んでいた。

 ちなみに撃った本人はPICに異常をきたした上にアーマーブレイク状態で海に墜落。何もアシストのないISでは泳ぐこともできず、沈んでいった。

 

 戦闘機型はまだ残っている。前に出た3機を突破して、そのままツムギにまで向かおうとしていた。そのまえに立ちはだかるのはトモキ。

 

「休んでろって言われたけど、お生憎様。俺は重要なことを人任せにしてられない性格なんだ」

 

 武器を荷電粒子砲から物理ブレードに持ち変える。トモキを避けて先に進もうとするブライト兄に向けて左手に仕込んであるワイヤーブレードを射出した。命中と同時にトモキはブライト兄に引っ張られていく。ワイヤーによって速度は同期された。あとはワイヤーを回収していくことで加速し距離を詰めていく。高速飛行物体の背を捉え、トモキは逆手に持った物理ブレードを突き立てた。

 

 敵機の消滅と共に状態を静止に以降。ブレードを鞘に納めて機体の修復に専念する。

 

 そんなトモキに近寄ってくる者がいた。先ほどまで前方でマシンガンを撃っていた男だ。フルスキンの頭部を外し、顔を見せて親しげに話してきているようだが、トモキには赤いロン毛のその男が何を言っているのかがわからない。

 

『「俺の名前はバレット。お前、中々の腕前だな。今度ブレードの使い方を教えてくれよ」だそうですわ』

「そっか。そういえば翻訳機能とやらで俺たちとは話せないんだっけ? 煩わしいな。通訳がないと話せないってのは」

 

 口からは文句しか出ないトモキ。しかし行動は違う。トモキは言葉を交わせないバレットに右手を差し出していた。バレットもその右手を掴み取る。

 

「トモキだ。援軍に感謝する。共に戦ってくれ」

 

 きっとこの言葉はラピスが相手に伝えるまで届かない。しかしラピスが伝えなくても、気持ちは伝わった。

 最後にトモキはラピスにも拾われないような小声で付け足す。

 

「……ナナたちが帰るためにな」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一転攻勢。ツムギの本部からスナイパーライフルで狙撃をしていたシズネはラピスほどではないが全体の戦況を把握できている。すでに戦線は押し返しており、シズネの仕事が無くなってしまったほどに優勢となっていた。

 きっかけは新たなプレイヤーの参戦である。出現位置がツムギよりだったプレイヤーたちの出現に対してシズネもトモキと同じように絶望した。しかし、直後にヤイバからの通信がきたのだ。彼らは全てヤイバの仲間であり、ツムギを守るために駆けつけたのだと。やはりヤイバが道を切り開いてくれる。それが嬉しいと同時に誇らしかった。

 

 味方として現れたプレイヤーたちは強かった。目に見えてひとりひとりが強いなどというわけでなく、複数の機体がある意味を教えてくれるような集団戦をしていた。今日これまで敵として現れたプレイヤーは、彼らと比べれば連携などのないソロプレイしかしていないようにも感じられる。シズネは知らないことだが、その原因はミッションの景品ともなっていたナナの装備を取り合っていた結果であったりする。

 

『それではシズネさん。今から“花火師”という方がそちらに見えると思いますので、ツムギのゲートにまで案内をお願いいたします』

「了解です。しかし、ツムギのゲートで何をされるのですか? 現状では封鎖しているのですが……」

『詳しいことはご本人からお聞きください。わたくしが手短に話せることは、これでこの戦いを終わらせることができるということですわ』

 

 具体的な説明もないまま、シズネはラピスに指示に従うことにした。今更ヤイバたちを疑う理由などシズネには欠片も存在していない。ツムギのロビーホールに降りたシズネは入り口に待っている女性に話しかける。女性はISを展開せずに立っていた。スーツに白衣を羽織って、棒付きキャンディーを3本くわえている。後頭部で束ねられた長い髪はそこで爆発するように広がっており、白衣とはミスマッチに見えた。

 

「あなたが花火師さんですか?」

「そ。とりあえずゲートまで案内を頼もうかな。たぶん構造は他と変わらないだろうからロビーの中央にあると思うけど」

 

 花火師と名乗る女性はくわえていた飴を取り出して話を進める。彼女の言うとおり、ツムギのゲートはロビーの中央にある。シズネは疑問に思う。

 

「私の案内などいらなかったのでは?」

「勝手に作業するわけにはいかなかったからねぇ。少年が君の前で作業するよう念を押したんだ。信用無いのかとがっかりもしたが、そこで『彼女たちが安心できないとダメなんです』ときたものだ。お姉さんとしては少年の思いやりは尊重してやらないと」

「少年とは?」

「えーと……君らにはヤイバって言えばわかるかな」

「あなたがヤイバくんのお姉さんですか。私は鷹月静寐と申します」

「嬢ちゃん? 私は実姉ではなく、ただの年上の女性というだけだぞ」

「え? そうなんですか?」

「君は天然だと誰かに言われたりしないか?」

「言われたことはないですけど、自然体ということならその通りですね」

「……よくわかった」

 

 道中の会話で花火師は呆れかえっていたが、シズネはそんな花火師を見て疲れが溜まってるのだと納得した。

 

「私が言うことでもない気がしますが、あまり悩み事を抱えないでくださいね」

「胸に刻んでおく……」

 

 などと話している間に目的地である転送ゲートにたどり着いた。今はクーによって封じられているゲートである。花火師は呆れ顔から仕事の顔に変わり、ISを展開させた。金剛フレームのフルスキンであるが、今は装備が一切見られない。

 

「今から何をするんですか?」

「ちょっと設備の増設を行うのさ。ちょちょいと終わらせるから黙って見ててくれ」

 

 花火師は右手を掲げると拡張領域に入れてあったものが具現化する。直径1メートル、長さ5メートルの赤紫色の円柱だった。それを花火師は軽々と持ち上げて、ゲートの脇に立てる。右手が円柱に触れたまま花火師は動かない。

 シズネは言われたとおりに黙って見守る。すると、円柱が発光を始めた。次第に発光が強くなり、一瞬だけ眩しく光ったかと思うと光が収まっていく。

 

「設置完了。起動にも問題ない。想定通り、ここは他の“レガシー”と変わらない機能を有しているようだ」

「“レガシー”とは何でしょう?」

「レガシーは正式名称ではなくて私が勝手に呼んでるだけだ。プレイヤーはロビーとしか呼んでない。要するにここと同じ構造の建造物であり、“ISVSを制作したものにしか作れないブラックボックス”のことだ。そして制作者が誰なのかもわからない。要するに制作者が我々に残した“遺産”というわけだな」

 

 聞いたところでシズネにはそれが意味することが何なのかを読み解くことはできなかった。代わりにシズネは別の質問をする。

 

「それで結局のところ何をしたのですか?」

「それはだね、“ゲートジャマー”の設置だよ。文字通り転送ゲートの機能を阻害する装置のことで、これの周囲100kmにはゲートの出口を作ることはできない。この私の発明品さ。といってもISVSでしか意味はない上に、基本骨子に転送ゲートのコピーを使ってるからレガシーの中でしか起動できなかったりするけどね」

 

 こちらに関してはシズネもすぐに理解する。ゲートジャマーが起動した今、周囲に新しい敵が出現することが無くなった。つまり――

 

「今いる敵を倒せばそれで終わり……ってことですか?」

「そうそう。今の段階で数の上では互角。残った相手プレイヤーは一筋縄ではいかないだろうから一方的にはならない。互いに援軍なしの真っ向勝負になるかな。でも大丈夫。あとは私たちに任せなさい。いいね?」

 

 まだ勝負はわからない。しかし、勝利の可能性が50%もあれば、十分すぎるほどだった。あとはシズネたちは彼らを信じて待てばいい。

 

「お願いします」

「ああ。それじゃ、私も久しぶりに参戦するとしようか。スカッと吹っ飛ばしたいし」

 

 花火師がその名に相応しいともいうべき筒を大量に具現化して装備する。ロビーの出口へと駆けていった彼女をシズネは手を振って見送った。

 

『シズネさん、ラピスですわ。ゲートジャマーの設置は完了したようですわね』

「はい。花火師さんは戦場へ向かわれました。これで終わりなんですね」

『いいえ、シズネさんにはまだやってもらうことがありますわ』

 

 首を傾げるシズネにラピスは“策”を伝えた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスに聞くまでもなく情報が頭に入ってくる。これがクロッシング・アクセスというものらしいのだが、改めてその情報量に驚いている。戦況がどのように動いているのかが手に取るようにわかる。まるで空から見下ろしているように把握できているのだ。

 手筈通りに作戦は進んでいる。

 まず、俺が彩華さんに電話で依頼したことは『ミューレイの出すミッションへのカウンターミッションを出してほしい』というもの。過去にも企業間の抗争があってプレイヤーを集めて競わせていたらしいが、今回は抗争で終わらず戦争となる可能性も秘めている。理由は俺が知らなかったレガシーと呼ばれるISVS内の施設だった。詳細は知らないがレガシーの存在がISVS内での開発に深く関わっているとのこと。つまり、俺が守りたいものとは別に、企業が争うだけの理由がツムギにはあったことになる。不本意ではあるが、ミューレイがレガシーを手にしようとしているのを倉持技研が横槍を入れた形となった。

 それでも彩華さんは俺の提案に乗ってくれた。参加者を無制限に集めるミューレイに対し、彩華さんが取った作戦はゲートジャマーの設置である。それによって強制的にプレイヤーが後から入れない状況を作り上げて敵を全滅させれば勝利するというもの。

 当然味方側プレイヤーにも注意を払っている。今回参加しているプレイヤーは弾がかき集めた知り合い連中のみで構成されている。よっぽどの偶然がない限り内通者が紛れることはない。少なくとも今回は、だが。

 

(ゲートジャマーの設置まで終了しましたわ)

(うん、知ってる。あとはバレットたちが相手プレイヤーに勝ってくれることを信じるのと――)

(わたくしたちがアレを倒すこと。ですわね?)

(そのとおり)

 

 バレットたちの登場、ゲートジャマーの設置。その間ずっと俺は福音の攻撃を凌ぐことに徹していた。試しに攻勢に出ようとする気も起きない。ラピスの予測が見えている状態ではリスクの大きさばかりが目に止まってしまう。

 BTビットからビームを見当違いな方向に発射する。この戦闘中、BTビットを休むことなく稼働させ続けていた。これらの攻撃は全て無駄弾などではなく“攻撃のストック”である。一定の距離を離したところでビームは軌道を曲げて俺と福音の周りを旋回していた。

 

 福音が回転しながら光弾をまき散らす。もう俺が避けることが前提で、狙いを絞る気も無さそうだった。だからこそ厄介であり、俺だけなら為す術がない。

 福音の攻撃が迫る。対する俺は回避行動ではなく、旋回させていたビームに指示を送る。

 

 福音を中心に広がる白の光弾と、周囲から押し寄せる蒼の光線が互いにぶつかり合った。それにより俺に向かってくる攻撃は全て相殺され、俺にはダメージが一切無い。

 

(迎撃成功。さすがはラピスだ)

(飛んでいる弾を撃ち落とすなどわたくしにはできませんわ。きっとヤイバさんのお力です)

 

 福音の広範囲攻撃を防いだがまだ安心するには早い。次の大規模攻撃までに弾数のストックを確保するためにBTビットにビームの発射を再開させる。

 

(これが偏向射撃(フレキシブル)か。これ全部を制御するとか頭が痛くならない?)

(ただ円運動をさせるだけなら初心者にもできますわ。普段は建物の内部を走らせたりなどの複雑な動きをさせていますので、この程度は苦になりません)

 

 感覚を共有しているからこそ俺にも伝わってくるのだが、正直なところ俺は頭が痛い。きっとラピスの言う初心者というのはかなりの上級者なのだろう。

 

 全方位攻撃の後、福音は静かになっている。おそらくはエネルギーの回復時間を待っているのだ。ISでないという推測は立っているが、その辺はISのサプライエネルギーと同じようなシステムになっていると思われる。普通ならばチャンスなのだが、福音を守る翼が健在では、俺たちの方から仕掛けるわけにはいかなかった。その間にビームのストックを用意しておくことが精一杯である。

 

 ……今はまだ待ちだ。俺たちに勝ちが見えるとすれば、福音の身を守っている翼が消えたとき。そのきっかけを生み出すのは俺たちじゃない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 その頃、花火師と別れた後のシズネはツムギが所有する戦艦“アカルギ”のブリッジに立っていた。中央に立ち、運用に関わる3人の女子に指示を出していく。

 

「レミさんは指定したルートを通り、指定したタイミングで高速浮上。カグラさんはラピスさんから常に位置情報を受け取りつつ弾道計算。リコさんは“主砲”の発射用意をお願いします」

 

 作戦開始前、アカルギに与えられた役割は非戦闘員を逃がすことだった。しかし、アカルギに乗り込んだはいいものの誰一人として戦闘海域から逃げだそうとするものはいなかったのだ。不利な状況が続く中でもアカルギはずっと海底で待機していたのである。当然、ラピスはアカルギの動きも把握していた。そして、アカルギに積まれているISにしては過剰すぎる攻撃力を持つものの存在も。

 

「指定ポイントに敵影なし。目標までの遮蔽物もなし。今ならいけます」

「アカルギ始動。えーと、浮上する角度は20°で良かった?」

「大体合ってます。あとはリコが微調整するから気にせず飛び出してくださいませ」

「え、待って! 主砲は先端にあるんだから、結構大事だよ!」

「りょーかい。最高速度で飛び出すよ」

「こんなアバウトでいいの!? シズネからもなんか言ってよ!」

「私は皆さんを信じています」

「便利な言葉だよね、信じるって!? でもこれって投げっぱなしジャーマンだよ!」

「リコは文句ばっかりでウザイなぁ」

「それはいくらなんでも理不尽過ぎるぅ!? でも悪い気はしなーい!」

 

 ブリッジの3人によりアカルギの機能が次々と呼び起こされる。アカルギは海中とは思えない軽快な動きを見せ、次第にその速度を上げていく。

 

「主砲のエネルギー状況はどうですか?」

「既に見たことのない数値だね。何人分のコアが使われてるのかよくわからないくらい。もういつでも撃てると思う」

 

 いいかげんな発言内容が目立つブリッジメンバーに対して先ほどまで喚き散らしていた活発メガネ女子のリコだったが、シズネに状況を聞かれると冷静に報告をする。

 今まで見たこともない数値で当たり前だ。今、アカルギに乗っている人数はこれまでの比ではない。ツムギ全体の8割も無理矢理乗り込んでいる状態になったからこそ、アカルギの主砲のポテンシャルが引き出されている。

 

「準備完了、いつでもいける」

「円錐障壁展開。変形開始します」

 

 アカルギの先端が海水を斬るように海中を高速移動する。実際に海水は斬れていたりするのかもしれない。何故ならば海水による圧力が今のアカルギには届いていなく、流線型にはほど遠いアカルギの先端が左右に分かれた。その中央からはひとつの砲身が現れる。それこそがアカルギの主砲。

 

「カウント開始。あと10カウント後に浮上が完了するよ」

「ラピスより通信。すべて予定通り。かまわず撃てとのことです」

「では皆さん。派手にいきましょう」

 

 カウントが進む中、砲撃手であるリコだけは黙り込んでいた。引き金を模したスイッチを引けばアカルギから膨大なエネルギーが発射されることになる。外れればこの戦闘が負けるかもしれないことは承知していた。だからこその集中。

 態勢は整っている。後は照準の中央に敵が見えた瞬間にトリガーを引けばいい。

 

 レミによるカウントダウンが進む。アカルギは次第に明るくなっていく海中を突き進む。そして――

 

 大きく口を開けた戦艦が海面から飛び出した。

 

 正面では2機のISが互いを撃ち合っている。リコの照準の中には光の翼に包まれた福音の姿があった。ちょうど良いタイミングで蒼いビームによる集中砲火を周囲から受けている福音は翼に引きこもって動けていない。リコは躊躇い無く引き金を引いた。

 

 戦闘音が響いていた戦場であったが、それまでの騒音がまるで沈黙であったといわんばかりの轟音が戦場を駆けめぐる。音はアカルギが放った光線が空気を割いていく音だった。海の青すら白に染めかねない光の奔流は照準どおりに光の化け物を飲み込んでいった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「いけっ!」

 

 シズネさんからの準備完了の報せを受けてから、それまで迎撃用に展開させていた偏向射撃の全てを攻撃に回した。当然のことながら全て福音の翼を突破できるようなものではない。ただ弾かれるだけであり、この行為自体は福音の攻撃から身を守るための術を捨てるだけの愚行ともいえる。でもそれは俺とラピスだけだったらの話だ。これはもう俺たちだけで福音の攻撃を耐える必要がないことを意味する。

 

 俺とラピスによる蒼い十字砲火は檻だ。獰猛な光の化け物を一時的にでも拘束するだけの縄だ。ただ“その瞬間”にじっとしてくれれば良い。俺たちの思惑通りに福音はご自慢の翼に閉じこもってくれた。そして、海からは巨大な砲口が姿を現す。

 

「撃てえええ!!」

 

 俺は思わず叫んでいた。指示を出してるわけじゃない。この言葉に込めた思いは、ただ勝つということだけ。福音を倒して、大切な人を取り返したい。その願いを叶えられるという確信だ。

 今まで見たことのない光の奔流が福音を呑み込んでいく。ライターの2倍イクリプスなんて比較にならない。ISならばどんな装備構成だろうと問答無用で戦闘不能に追い込むであろう一撃が福音を捉えていた。

 

 俺は雪片弐型とインターセプターを構える。

 もう油断しないと決めた。

 普通なら、などという推測はもう立てない。

 

 ここからは3通りを想定。

 1つ目は福音の撃破ができているということ。これならば俺の警戒は無駄に終わるがそれならそれでいい。俺たちの勝利だ。

 2つ目は福音がこの攻撃を受けても健在であるということ。もしあの翼がアカルギの主砲をも防ぎきったというのなら、今の俺たちに福音を倒す術はないと諦めるしかない。判明次第、逃げるべきだ。

 俺が退かない理由はただひとつ。それが3つ目の想定、福音が瀕死で生き残っている場合だ。倒しきれなくとも、翼さえもぎ取れば福音を倒す芽は出てくる。ただしISと似ているところがあるから時間を置けば回復される可能性が高い。もう一度はきっとない。アカルギの主砲をもう一度当てることは不可能だろう。とどめは速やかに刺さなければならない。

 

 光が薄れていく。後に残されたのは――

 

 翼のない、装甲もあちこちが剥がれ落ちている福音の姿だった。

 

 頭部を覆っていたバイザーも全て砕け散っており、敵の素顔が見える。やはり俺が前回に遭遇した奴と同じだ。長い銀髪が解放されて背中に垂れ下がる。奴はこちらを睨みつけてきた。あの、金の瞳と黒い眼球をした不気味な眼で。

 福音はまだ健在だ。ここで逃がせば、また鈴やチェルシーさんのような被害者が出てしまう。今、この場で()()倒すんだ!

 

 この一瞬に全てのリソースをつぎ込む。BTミサイルを左右に発射させて、AICでイグニッションブーストの道を拓く。敵からの攻撃を気にするよりも接近することが何よりも必要だ。初めての頃と変わらぬ、単純な直線軌道をイメージする。

 イグニッションブースト使用。音すらも置き去りにして福音へと突撃する。まだ奴の翼は生えない。代わりに両手の掌から光の刃が生えてきた。互いの二刀がそのまま激突する。出力の差に関わらず拮抗していて、俺と福音は互いの刃を押しつけ合っている。

 

「福音! てめえはここで倒す!」

 

 高ぶっていた俺は顔が近づいた福音に向かって宣言する。眼以外はまるで人形のような顔をしていた福音だが、俺の言葉に反応して怒りを見せた。

 

「調子に乗るな、人間! この子は“イルミナント”だし、フィーには“アドルフィーネ”っていう“博士”が付けてくれた名前があるの!」

 

 少しだけ戸惑った。まさか反応が返ってくるとは思ってなかったんだ。やけに幼い言動も俺の意志を鈍らせてくる。

 動きが止まっている俺と福音だったが、互いに攻撃できないわけではなかった。今の俺には蒼い翼があり、引き金を引く指は俺だけが持っているわけではない。4機のBTビットがその砲口を直接福音に向け、一斉に射撃を開始した。当然、福音が避けられるはずもなく全て直撃する。

 

(ヤイバさん、敵の正体を考えるのは後ですわ。今は倒すことに集中しないといけません)

(わかってる。俺は……やらなきゃいけないんだよな)

 

 ラピスの射撃を一方的に受けた福音は俺との鍔迫り合いをやめて後方に逃げた。当然俺も追いかける。現状では最高速度は俺の方が上。逃がすわけがない。ついでに言えば、福音の逃げ道は既に塞いでいるのだ。

 後方へのイグニッションブーストで移動する福音の背後には、接近する前に放っておいたBTミサイルがあるのだから。

 

 ミサイルが直撃する。イグニッションブースト中での衝撃がもたらすダメージのでかさは俺が身を以て知っている。ついでに足が止まってしまうことも経験から知っている。俺が追いつくのは一瞬だった。

 

 これでラストだ。それは俺だけでなく福音もわかっている。金と黒の眼は俺を障害と認識している。……随分と今更なことだ。窮鼠猫を噛むとは言うが、追いつめられたのは猫の方。猫を追いつめるだけの準備をしてきた鼠が今更油断をするわけがない。

 再び福音が二刀を振るってくる。刀1振りで受けることが困難な同時攻撃を多用する福音は、ここに来ても同じ攻撃をしてきた。

 俺は確信している。福音は駆け引きをしたことがない。攻撃手段に複数のパターンを用意しなくても、力で押し通せてきたのだろう。まるで力を持っただけの子供だった。

 受けるような真似はしない。

 俺は左手のインターセプターを福音めがけて投げつけた。

 

 福音の眼は驚きで見開かれた。しかし予想していなかった攻撃だというのに福音は持ち前の反射速度でインターセプターを斬り落とす。その腕が返ってくるまでにかかる時間など考慮したことがないのは見え見えだ。

 剣とは攻撃するものであると同時に、身を守るものともなる。今の行動が自らの守りを捨てることだと知れ。

 

「うおおおお!」

 

 雪片弐型を正面に突き出して向かってくる福音に飛び込む。もしかしたら返す刃が俺を襲うかもしれない。だが、その前に俺の刀は間違いなく奴の腹に届く。

 

 

 衝突。俺の右手は福音に届いていた。

 

 

「う、そだ……嘘だっ!!」

 

 福音の声が聞こえる。外見とは違って幼い言葉。

 福音の反撃は俺にも届いていた。俺の両肩にENブレードが当たっていたのは間違いない。しかし、途中で消滅した。それは福音が戦闘不可能な状態に陥ったことを意味する。

 福音の背中には雪片弐型の刀身が生えていた。操縦者を貫通したということは絶対防御が発動できなかったことを指す。

 終わりだ。ここに福音の敗北が決定した。福音自身はそれが認められないらしい。だから俺が言ってやる。

 

「お前の負けだ」

「あ、ああ……」

 

 すると、福音の様子がおかしいことに気づく。取り乱したと一言で言えてしまえるが、何よりも印象的だったのは眼の色が白になっていたことと、彼女の発言内容だった。

 

「フィー、死んじゃうの? 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 消え、たくない……」

 

 福音を倒せば何かがわかる。そう思ってここまで来た。

 箒や鈴が帰ってくる確証もなかった。普通のプレイヤーと同じで倒してもケロッとしている可能性もあった。

 確かに福音を倒してわかったことがある。福音は倒されればそれで終わりであるナナたちと似たような存在かもしれない。

 

 ……俺がしたことは正しかったのだろうか?

 

 福音……アドルフィーネと名乗っていた女性は光の粒子となって消えていく自分の姿を見ながら絶望している。このまま命が消えるのならば、俺が殺したも同然だろう。俺が正しいとは言えないのかもしれない。

 

 もう胸から上しか残っていないアドルフィーネと目が合った。泣き叫んでいたはずの彼女は急に静かになる。そして、

 

「後悔しろ、人間。絶対に博士がフィーの仇を討ってくれる。フィーよりも強いIll(イル)がお前を喰らう。ふっふっふ……あっはっはっは!」

 

 最後にアドルフィーネは狂気を感じさせる高笑いを残して完全に消滅した。

 

 

 まだ終わっていない。そう言い残したのだ。

 

 

「終わりましたわね、ヤイバさん」

「ああ。とりあえず、って付くけどな」

 

 戦闘が終了したためラピスが俺の元にやって来た。まだ終わっていないと思っているときに終わったと言ってくるなんてどういう了見だ、と思ったがここで異変に気づく。いつの間にかBTビットが消えてしまっている。そして広かった視界が狭くなったみたいに、全体の状況が掴めない。

 クロッシング・アクセスは解除されているようだ。元々何がきっかけでできたのかもわからないから、いつ解除されるのかもわからなくて当然か。福音戦の途中で切れていたのかもしれない。思い返すと結構綱渡りだったのではないだろうか。

 

「こちらは片づいたぞ……と援軍に来てみれば終わっていたか」

 

 続いてナナも姿を見せる。ナナにはプレイヤーたちの相手に回ってもらっていた。別にバレットたちが負けると考えていたわけではないが、わざわざ戦力が互角なままで戦わせる意味がない。ナナひとりが加入しただけで一方的な戦闘になっていたことは目に見えるようだ。

 

「お疲れさん。これでツムギは助かるな。今後のことは花火師って人と相談して決めていこうぜ」

「先ほど直接話してみたが、あの人は何者だ? シズネの話ではよくわからない装置をツムギに設置したようだが、信用していいのか?」

「身元を簡単に言っておくと、あの人は倉持技研の研究者だ。それも結構立場が上の方らしい」

「企業の人間だと!? ……大丈夫なのか?」

 

 ナナが疑いの目を向けるのも無理はない。でも花火師、倉持彩華さんは信用してもいいと思う。理由は俺の勘でしかないからうまく説明することは難しい。さて、どう説得したものか。

 

「いや、よそう。ヤイバが信用しているのだ。私が信用しなくては無駄な軋轢を生みかねない」

「いいのか?」

「元よりヤイバが動いてくれなければ、私たちはここにいない。……こんな話も二度目だったな。本当に感謝している」

「ナナが気にしないならいいや。あと、感謝は筋違いだ。俺は俺がすべきことをしているだけだし」

「いや、それこそ筋違いだ。たとえ私たちのためにしたことでなくとも、私たちがお前に感謝の意を表すことを否定することは許さぬ。素直に受け取っておけ」

「お、おう」

 

 なんか調子が狂う。説得するまでもなくナナは花火師さんを受け入れると言っている。前からナナの様子が違っているとは感じていたが、今回はあからさますぎた。

 

「今後は倉持技研とミューレイの争いが起きる可能性がありえます。もっとも、そのおかげでツムギが直接ミューレイと事を構える必要がなくなったとも言えます。ヤイバさんは倉持技研を使ってツムギを守ったわけですわね」

 

 ラピスの言うとおり、これで何もかもが終わったわけじゃない。ツムギはこれからも戦うことになる。そしてそれはもうツムギだけの問題じゃなくて、企業、果ては世界も巻き込んでいくかもしれない。

 しかし少しは訂正しておこう。

 

「人聞きの悪いことを言うなよ。あくまで助けを求めたってだけ。利用したみたいに聞き取れるぞ」

「あら? 目的のためならなんでも利用するとか言いそうでしたのでつい……」

「人のこと言えるかよ、ラピス。お前だってFMSに似たような要求をしてたじゃないか。……失敗したけど」

「な、なぜそれを!?」

「そりゃあ福音戦のときに流れてきたからな。しかし、あれを交渉と呼ぶとは、ラピス様はさぞかし世間というものを――」

「黙らないとヤイバさんの性癖を全世界に公表することになります」

「いやー、ラピスさんは立派なお方だ。FMSの連中は何を考えてんですかねぇ」

 

 主導権を握れると思ったが甘かったか。公表されて困るような性癖など心当たりはないが、真実を公表するとは言っていないところがポイントだ。つくづく敵に回したくない。

 

 などと戦闘の緊張を解きほぐしていると、ラピスになにやら連絡が入ったようだ。通話相手はラピスの言葉から推測するに例の執事さんだろう。

 話が終わると、ラピスは今にも跳ねて飛び回りそうな勢いで俺の手を握ってきた。

 

「やりましたわ! チェルシーが目を覚ましたそうです!」

「マジで!? よっしゃああ!」

 

 突然の吉報に俺とラピスは両手を繋いでグルグルと回り始めていた。ダンスと呼ぶには超スピードでひたすら回り続ける。それだけ舞い上がっていたんだ。物理的にも。

 チェルシーさんのことは俺にとって他人事じゃない。ラピスの記憶も垣間見たからこそだろうか。だからひたすらに嬉しかった。

 

「ラピス。はしゃぐのも無理はないと思うが、早く会いに行った方が良いのではないのか?」

 

 ナナの声を聞いて俺は急速に我に返る。それはラピスも同じようで――

 

「そ、そうでしたわ! すぐに帰国する準備をしなくては! えーとここから近い空港は――」

「落ち着け。とりあえずISVS(ここ)から出て行くことが先だろう?」

 

 ……同じようでいてまだまだテンパっていた。ナナに深呼吸を促されて指示通りに大きく息を吸っては吐いてをラピスは繰り返している。こういう姿を見ているとやはりISVS(ここ)は現実と変わらないように感じる。

 

「ご挨拶はまた後で。えーと、こういうときは……ヤイバさん、実家に帰らせていただきます!」

 

 結局ラピスは落ち着きを取り戻したのかよくわからないまま、この場を去っていった。まあ、こういう少し情けないところがあるのもラピスらしいと俺は温かく見守っていたりする。

 ラピスがいなくなったところで戦場であった空には俺とナナだけが残された。ここで俺はようやくあることに気づく。チェルシーさんが目を覚ましたのにナナが俺の隣にいる。それが意味することを。

 

「やっぱりナナは帰れなかったんだな」

「わかっていたことだ。しかしな、ヤイバ。私たちにも希望が生まれた。私たちを襲ったあの黒い霧のISを倒すことさえできれば、私たちも帰れるのかもしれない」

 

 俺は目標の敵を倒した。ナナにとっては直接的には関係のない敵が倒されただけ。ナナは帰ることが出来ないのに俺とラピスが飛び跳ねて喜んでいたのは、いくらなんでも自分本位すぎた。

 しかしナナは気を悪くしていない。なんて器の大きさだ。きっと特定部位の大きさに比例……などと冗談はさておき、彼女にもチェルシーさんが目を覚ました事実は喜ばしい理由があった。

 問題となっている敵を倒せば帰れる。その確証だけでも大きな一歩なのだ。何もわからなかった今までと比べれば、大きな収穫だったということだ。

 

「そうだな。約束するよ、ナナ。今日倒した福音のように、俺が必ず黒い霧のISを倒す。それでナナたちを現実に帰すんだ」

「なるほど、お前はシズネにもそう言ったのか。納得したよ」

「何の話だ?」

 

 ナナは何やら勝手に納得しているが俺には何のことだかわからない。唐突にシズネさんの名前を出されたから余計だ。問い返したがナナは「気にするな」とだけ言って答えてはくれなかった。

 

「そんなことより、ヤイバ。お前は帰らなくていいのか? ラピスの大切な人が戻ってきたのなら、リンとお前の大切な“彼女”とやらの2人も目覚めてるかもしれんぞ?」

「ああ、そうだった……って俺、ナナに言ったっけ?」

「シズネから聞かされただけだ。別に聞きたかったわけじゃないが、頼んでもいないのに話してくるので自然に頭に入った。それだけのこと」

 

 シズネさん経由か。なら納得。俺から改めて話すこともないかな。

 

「じゃ、お言葉に甘えて俺も迎えにいくとするか」

「そういえばお前の口から直接聞きたかったことがある」

 

 俺もラピスと同じように現実に帰ろうとしたところで、ナナがふと何かを思い出したように口を挟んできた。

 

「お前が救おうとしている“彼女”は、誰よりも大切な存在か?」

 

 どこかナナらしくない質問な気がした。俺が誰をどう思っているかにナナが興味を示したからだろう。これはナナと仲良くなれていると思っていいのかもしれない。だから俺は正直に答える。ナナの質問は以前に俺が自身に問いかけたことと同じ。

 

「俺はそれを知るためにも、“彼女”と目を合わせて話したいんだよ」

 

 そのために俺は戦っているのだ。

 俺の回答を聞いたナナはフフっと鼻で笑った。

 

「ハッキリしない奴だ。そんなことでは目覚めた“彼女”に愛想を尽かされるのも時間の問題だぞ?」

「……やっぱそうかなぁ」

「い、いや! まだ大丈夫だ! 自信を持て! というか唐突に卑屈になるんじゃない! 困難に立ち向かっていくいつものお前でいればいいんだ!」

 

 ナナが的確に俺の不安を言い当てて来るものだから凹んだ。そしたらなぜか彼女は慌ててフォローしてくれる。すると不思議と大丈夫な気がした。

 

「よーし! じゃ、今度こそ行ってくるぜ!」

「ああ、行ってこい」

 

 俺はナナに手を振りながらISVSを去る。まだこれで終わりじゃないけれど、俺の一番の目的が果たせたかもしれないと思うと胸が躍った。

 

 

***

 

 現実に戻った俺はすぐに箒の眠る病院へと急いだ。いつもは苦にならない3駅分の電車の乗車時間も今だけは鬱陶しいくらいに長く感じる。入り口付近で落ち着き無く立っていた俺は不審者だったことだろう。

 目的の駅に着くや否や電車を飛び出して駅構内を猛ダッシュ。慣れた道を迷うはずもなく、駅から出て病院へと駆けていく。

 到着して手を膝に置き呼吸を整える。トイレに行って鏡でも見ようかと思ったが、逸る気持ちを抑えられない。受付で手続きを済ませて病室に向かった。

 

 箒の眠る病室の扉の前まで来た。俺は息を飲む。ここを開けると箒が俺を出迎えてくれるかもしれない。7年ぶりの再会だ。待ちこがれた再会だ。緊張もするさ。

 取っ手に手をかける。今日はやたらと扉が重く感じた。きっとこの段階で不安が上回り始めたんだ。

 

 扉は完全に開いた。その先で動いている姿はどこにも見られない。

 

「箒……?」

 

 俺は呼びかけながら近づく。反応は何も返ってこなく、ベッドに横たわる彼女の姿が見えているだけ。いつもと変わらぬ彼女しかいなかった。

 

 こんな“いつも”はもう見たくなかったのに。

 でも、取り乱すことはなかった。

 この可能性を俺はわかっていたんだ。

 

 福音(アドルフィーネ)以外にも原因となった存在がいる。それを他ならぬ福音(アドルフィーネ)自身が言っていた。自分より強いIll(イル)が俺を喰らいに来ると。Illというものが何なのかは正確にはわからない。俺の推測だが、ラピスの言うISでない存在のことであり、箒を始めとする世界中で発生した昏睡事件を引き起こしたものの総称なのだろう。

 

「やってやる。箒が帰ってくるまで、倒し続ければいいんだろ!」

 

 福音(アドルフィーネ)を倒したとき、俺は罪悪感を覚えていた。それは敵に人間味があったことと、倒したら敵も死ぬからである。でも、俺はそんなことで立ち止まるわけには行かない。あれらが箒を理不尽な目に遭わせているのだ。俺は箒を救い出すと決めた。ならば迷う必要など無いではないか。

 

「……へー。その子がアンタの大切な幼なじみなのね」

 

 唐突に後ろから声が聞こえた。一度は失われたと思っていた当たり前に近くにあった声。

 ……どうしてここに? セシリアが連れて行った病院というのがたまたま箒と同じところだったのか。

 振り向くとそこには、やたらと元気そうな鈴の姿があった。彼女はオッスと言わんばかりに片手を挙げる。

 ……なんでそんな平然としてるんだよ。うまく声を出せない俺の方がおかしいみたいなじゃないか。

 

「いやー、ビックリしたわよ。起きたらいきなり病院だもん。時計を見たら丸々1日以上経ってるしさ。正直に言うとアンタの言うことを信じてたわけじゃないけど、これは信じなきゃいけないわね」

 

 箒は帰ってきていない。

 でも俺が福音(アドルフィーネ)を倒したことは何も無駄なんかじゃなくて。

 俺が救えるものは確かにあったわけで。

 福音(アドルフィーネ)にとどめを刺したことが正しいことかはわからないけど、間違っていたとは思わない。

 こうして、俺の前に鈴が帰ってきてくれたのだから。

 

 俺は鈴の頭に右手を乗せて撫で、ここに鈴が居ることを確認する。感激して出せなかった声もやっと出てきた。

 

「おいおい……俺と一緒にツムギに行っといて、何も信じてなかったのか?」

「何もじゃないわよ。もし何かあっても一夏が居るなら大丈夫だって確信してたし」

「随分と勝手だな。俺がどれだけ大変だったか知りもしないで」

「頼まなくても勝手に大変な目に遭うバカがそんなことを言ってもねー」

「はいはい。どうせ俺はただのお人好しのバカだよ」

「そんなアンタだから好きなんだけどさ」

 

 相変わらず鈴の一言はまっすぐ過ぎた。俺は反射的に鈴の頭から手を離す。

 

「むむ。抵抗しなかったらいつまで続けるのかと思ってたけど、やっぱりアンタはヘタレなままね。ああ、早いところこの子を目覚めさせないといけないわね」

「あくまで自分のことばっかなんだな」

「当たり前! あたしはボランティアで生きてるわけじゃないっての。あたしはあたしのためにその子を助ける。それはアンタも同じでしょ?」

「それは、そうなんだけどさ」

 

 鈴の言うとおり、俺は俺のために箒を助けたい。そしてそれが間違ってるとは思わない。

 

「それにしてもショックだなー。あたしのとこじゃなくてこの子のところに真っ先に来るなんて」

「ごめん……」

「バカね。責めてるんじゃないの。ただ悔しいってだけだから」

 

 俺は鈴の入院先を知らなかった。だから鈴の元に真っ先に駆けつけるなんてことはできないのだが、俺の頭に真っ先に浮かんでいたのは箒のことだった。俺のことを好きと言ってくれる鈴。その彼女を俺の都合で危険な目に遭わせておいて、どうして鈴のところに行こうと思わなかったのか。

 俺は最低な奴なのだろうか。でも鈴は俺を責めない。

 

「一夏、この後一緒に行きたいところがあるんだけど、いい?」

「いいぜ。どこに行くんだ?」

「すぐじゃなくてもいいけど、いいの?」

「構わないぞ。箒の顔は見たからこの後は時間が空いてる」

「よっし! じゃあいつものゲーセンね!」

「あ、おい! いいのかよ! 待て、廊下を走るな!」

 

 鈴が俺の手を引いて早足で歩く。俺はバランスを崩しつつその後に続いた。

 正直なところ、俺は鈴の様子に戸惑っている。でもそれは俺が鈴を被害者として見ているからなのかもしれない。鈴にとっては後遺症も何もなく、1日以上ずっと眠っていただけ。そう思えるくらい鈴はいつも通りで、俺は日常のひとつを取り戻せたのだと実感した。鈴がいつも通りなのだったら俺も当たり前のように振る舞うべきだよな。

 

「凰さん! 勝手に抜け出しちゃダメでしょう!」

「え!? あたしどこも悪くないよ!」

「それはこっちで判断します! さ、病室に戻りますよ!」

「そんなぁ……」

 

 結局、鈴は看護士さんに見つかって連れて行かれた。鈴と一緒にゲーセンに行くことはできなかったが、仕方がないと諦める。大丈夫だ。今日行けなくても次がある。それが日常ってものだろ?

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 武家屋敷を思わせる建物がある。建物自体も十分に大きなものであるが、一番目を引くのは広大な土地であろうか。灰色が目立つ都市圏において、草木や池の色は上空から見れば特異点となる。明らかに一般人が近寄れない雰囲気を持つ屋敷であるが、そこに制服姿の男子高校生が姿を見せていた。都市の中ではまるで異世界である屋敷の門前ではおよそ似つかわしくない格好の高校生であったが、彼はあっさりと見張りのいる門をくぐっていった。

 道案内をされるまでもなく彼は敷地内を歩く。その目的地は決まっているといわんばかりに迷い無く進んだ彼は、建物内を奥へと進んでいくと廊下で立ち止まり、木の壁の一部を押す。すると押された箇所が引っ込んで、ガラガラと地下へと続く階段が姿を見せた。慣れた様子で彼は地下へと潜っていく。

 入り口からは薄暗かった階段は下に行っても薄暗いままだ。目が慣れても常人には暗闇と変わらない道であるが、男子高校生は苦もなく歩いていく。そして、目的地に着くと扉を開いた。小部屋だった。ここだけは照明がついていて、部屋には一人の少女がいた。

 

「“たけちゃん”の顔を見るのも懐かしく感じるわね」

 

 少女は机に向かって何か書いていたが、少女がたけちゃんと呼ぶ少年が入ってきたことで手を休めて顔を上げる。彼女は机に置いてあった扇子を持つと勢いよく広げて口元を隠した。

 

「何か進展があったのかしら?」

「はっ。“奴ら”の尖兵と思しき敵と遭遇しました。情報にあった福音を模したIllと思われます」

 

 少年は片膝をついて報告を始める。少女と少年に主従関係があることは間違いない。

 

「良く生きて帰ってきたわね」

「それが実は……件のIllは打ち倒されました」

 

 瞬間、少女は扇子を閉じて立ち上がる。

 

「本当? 一体、誰がやったの?」

「拙者の良く知る男です。ヤイバというプレイヤーネームでISVSをしている高校生。名は織斑一夏」

「織斑……か。また、この名前ね」

「何か心当たりでも?」

「ちょっとね。でもたけちゃんには言えないことなの。ごめんね」

 

 少女は悪びれず再び腰掛ける。部下の少年に下がるように伝えると、扇子を広げて口元を隠して考え込み始めた。

 

「ヤイバ……か。刀には刃があるものだし、ちょっかいをかけてみようかしら。そろそろお爺さまも私の謹慎を解いてくれるはずだしね」

 

 少女、更識楯無は何かを思いつくと同時に扇子を畳んで机に置いた。そして再び机に向かい始めたのだった。その顔はいたずらを思いついた子供のように見えた。


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