Illusional Space   作:ジベた

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13 交差する追憶 【後編】

 一人残されてからどれだけの時間が経過していたのか意識していなかった。何もする気が起きずに呆然と床を見つめていただけ。それでも一人前に空腹だけは感じるようで、壁に掛かっている時計を見れば12時前だった。

 ……そういえば今日は水曜日で平日だ。初めて学校をサボった。

 無気力ながらも体を動かし始める。何をすればいいのか見当も付かない。学校には……行きたくなかった。どう考えても鈴がいない現実を突きつけられるだけだ。それに、鈴のことが好きな連中に合わせる顔がなかった。合わせる顔と言えば、鈴の家に話は伝わっているのだろうか。

 ……セシリアが手を回してくれただろうな。俺が気にすることでもない。

 

「なんだこれ? 飯でも作ってくれてたのか?」

 

 セシリアも鈴と同じことをしてくれていたのだろうか。フライパンに卵焼きのようなものができたまま放置されている。腹が減っていた俺は箸だけ出してきて一口だけいただく。

 

「なんだよ、これ……すげぇ、不味い……」

 

 見た目こそ綺麗な卵焼きだが暴力的な味の嵐が舌を襲ってきた。甘いとか辛いとか苦いとか、一言で説明できる領域からはみ出た未知の味だ。長い間自炊をしてきた俺だったが、初期の頃でもこんな味で作ったことはない。やろうと思ってもできない。

 

「不味いよ、セシリア……でも胸に沁みる」

 

 涙が出てきた。食えたものじゃない料理なのに俺の箸は次々と進む。きっとセシリアは料理なんてする環境にいなかったんだろう。それなのに俺のために作ってくれたのだと思うと嬉しさと申し訳なさがこみ上げてくる。

 

 時刻は12時を回る。するとテーブルの上に置いた携帯が鳴り出した。取らなきゃと思いトボトボと歩いていると、手を伸ばす頃には鳴り止んでしまった。

 間に合わなかったが手にとって画面を見る。今の電話は弾からだった。それに、メールの受信件数が10件以上も溜まっている。誰とも電話をする気にはなれなかったが、メールだけでも見てみようと思った。

 

「鈴は風邪で休みって扱いなのか。いつまでもそれで通じるわけないだろうに」

 

 ほとんどがクラスの連中からだった。普段はあまり関わらない奴まで送ってきている。俺は学校をサボって鈴の看病をしているという設定になっているようだ。看病の辺りはいつもの勘違いだろうけど。

 

「本当にそうだったら、良かったのにな」

 

 メールの中の皆は普段と何も変わらない。でも鈴の真実を知れば途端に俺に牙をむくだろう。きっと弾の奴も2年前のように拳を握って俺の前に立つ。今の俺はそんな弾の拳を素直に受け入れることしかできない。

 読み進めていくと一つだけ知らないアドレスがあった。件名は【このメールの半分だけでも読んでください】とあった。これはシズネさんからだ。セシリアが気を利かせて別のアドレスを用意してくれたんだろう。

 

 

【本文】

 まずは本題を。前回の救出作戦ですが、やはり敵の罠でした。救出した仲間には発信器が取り付けられていて、発見が遅れたためにツムギの本拠地が敵にバレました。近いうちにプレイヤーがツムギを襲うミッションが発生すると思われます。ツムギ結成以来の一大事です。

 リンさんのことはラピスさんから聞きました。全て私たちがヤイバくんを巻き込んだことが原因です、などと言ったところでヤイバくんのことですから自分を責めていることでしょう。

 今こんなことを言うのは間違っているのかもしれませんが私たちにはヤイバくんの力が必要です。この危機は私たちだけでは乗り越えられません。私たちに希望を、そして私に勇気をください。

 

 

 メールはそこで終わっていた。一度はシズネさんの言葉で奮い立った俺だが、今回ばかりは無理だった。俺の力があったところで福音が再び現れれば関係ない。俺なんかに希望を持った時点で望みは叶わないんだ。シズネさんが得られるのは勇気でなく無謀なんだよ。

 メールも全て見終えた俺は外出用の私服に着替えた。学校へは行かない。向かう先はいつも通っていた病院のつもりだ。どの面下げて箒に顔を合わせるのかとも思ったが、どうせ箒は俺のことを見ていないなどという考えに行き着いた。柳韻先生の言うように箒を見舞う人間が少ないから、俺だけでも続けなくてはいけない。そんな義務感だけで動いていた。

 

 雲がそれなりに広がっている微妙な空だった。晴れとも曇りともどっちつかずな天気だが、雨の心配は無さそうだ。傘を持たずに財布と携帯だけ持って家を出た。平日昼間の街並みにはあまり縁がなかったことに気づかされながらフラフラと歩く。何かを考えようとすると頭が痛くなったから、俺は何も考えずに駅方面へと向かっていた。

 平日には帰り道にしか来ない駅前にまでやってくる。あとは駅から3駅移動すれば箒のいる病院にまで行ける。そういえば鈴はどこに入院してるのだろうか。セシリアが手配したらしいから普通の病院ではないのかもしれない。

 

「一夏!」

 

 駅まではあと徒歩で3分といったところだ。しかしいつもよりもペースが遅いから5分はかかるだろう。

 

「おいってば! 聞いてんのか、一夏!」

 

 俺の歩みが無理矢理何者かに止められた。気づけば右肩ががっちりと掴まれている。呼び止められていたのだと気づいて後ろを振り返れば、そこには制服姿の弾がいた。

 

「……なんでここに弾がいるんだ?」

「それはこっちの台詞だ! 学校には来ないわ、携帯に出やしねえわ、なんか事件とか事故にでも巻き込まれたのかと心配したぞ!」

 

 鬼気迫る弾の顔を見て、俺は笑いがこみ上げてきた。俺なんかより本当に心配しなきゃいけないのは鈴とかナナたちみたいな人だろうに。

 

「何を笑ってる? お前、どこかおかしいぞ?」

「弾が言うなら俺はおかしいんだろうな」

「鈴のことは聞いてるか?」

「風邪引いたって? 幸村たちからメールが来た。ちなみに看病には行ってないぞ」

「じゃ、聞き方を変える。一夏は鈴の状態を知っているな?」

 

 俺はここでハッとする。よく考えれば優等生の弾が平日の真っ昼間に駅前に現れるはずがない。あるとすれば昨日の彼女の件などのように重大な何かがあるときだけ。つまりは、今もそうすべきだと弾が判断したことになる。

 おそらくは鈴の風邪が嘘だと気づいてる。だったら今更隠す必要もない。巻き込むかもしれない危険に俺はもう飛び込めないのだから弾が危険な目に遭うこともないだろう。

 

「知ってる。鈴が昨日の夕方から目を覚まさないのも、そうなった場所が俺の家だってこともな」

「な、に……?」

「ついでだ。俺のバカさ加減がわかる話をしてやるよ」

 

 そうして、俺は弾にも全てを話す。きっと俺は弾に罰してほしかったんだと思う。俺の一番の親友に、俺を否定してほしかったんだ。

 事実を淡々と告げただけのつもりだったが、ところどころ俺が悪くなるように脚色したかもしれない。話し終えた今、当然のことながら弾の目は厳しいものだった。それを見て俺は罰を期待した。

 

「最初から……俺たちと遊んでたわけじゃなかったのか」

「そうだ。俺は銀の福音にまつわる噂にしか興味がなかった。弾の教えを受けたのも強くなる必要があったからだ。最初から弾たちは俺が福音に近づくための道具でしかなかったんだよ」

 

 弾が拳を作った。それでいい。あとは怒りを込めて俺にぶつけてくれればいい。それで俺は少しはスッキリする。

 ――だが弾の腕は動かない。

 

「鈴も利用したのか? お前のことが好きだったアイツも」

「そう。鈴のせいでセシリアと連絡が取りづらくなってたから事情を知ってもらって仲間にした。そしたら一緒に行くって聞かないんだ。アイツも俺と同じくらいバカだよ」

 

 俺は困惑していた。まだ弾が俺に殴りかかってこない。ここまで言われて何故?

 

「鈴は自分から選んだだけで、お前が強要したわけじゃないわけだ」

「いや、巻き込んだのは俺だ。少し考えれば、鈴がそう行動するのは想定できたことだ」

「何を言ってやがる。一夏がそんなことにまで頭が回るかよ。お前自身、鈴の行動に驚かされていたに決まってる」

「いや、俺が――」

「やめとけやめとけ。今更嫌われようと努力したところで無駄だからやめとけ。それによ……殴られたがってる奴を殴るような拳を俺は持ち合わせちゃいねえ」

 

 俺の意図は全部バレバレだった。敵わないな、弾には。

 俺は降参の意を表して肩をすくめる。

 すると、その途端に俺は弾に殴り飛ばされた。

 わけもわからず俺は左頬を押さえて弾を見る。

 

「今の1発は今日まで俺に何も話さなかったことに対するものだ。この点に関してはいくら擁護しても無理だった。俺は一夏を殴らざるを得ない」

「鈴のことじゃないのかよ」

「そうだったな。鈴のことでも1発いっとく必要がある」

 

 倒れていた俺の襟を掴みあげた弾が今度は右頬を左で殴りつけてくる。命中と同時に襟が離され、俺は再び地面に尻をつく。

 

「いいか? 俺は一夏を大切な友人……親友だと思ってる。昨日まで虚さんのことを黙ってた俺が言うのも変なんだが、一夏に7年前に別れた大切な幼なじみがいるなんて話は初めて聞いた。それもここ1年近く意識不明だと? そんな大切な話をなぜしなかった? 何故一人で抱え込んで、一人で解決しようとした? たった一人でできることじゃないだろ!」

「わかってる! でも、これは本来は俺と“彼女”の問題で――」

「じゃあ俺たちはテメェの何なんだよっ! さっき言ったような“彼女”とやらを助けるための道具だってのか! ……違うだろ、一夏。本当に道具だったんなら、危険に巻き込まないようになんて考えるはずがねえ! お前は一人で何もかも守ろうとしてただけだろうが! お前は“彼女”のためだけに戦ってなんかいない!」

「そんなのは所詮、俺の独り善がりだ。“彼女”が認めてくれた俺でいたかっただけ。いつだって俺は“彼女”のことしか考えてない」

「違えよ! じゃあ、何か? 中二の時に鈴を助けたのはアイツを“彼女”とやらの代わりにしてたってことかっ?」

 

 俺が“彼女”のことだけを考えて生きてきたのなら、“彼女”が昏睡状態となる前の出来事である鈴の誘拐事件も俺は“彼女”のために行動を起こしたことになる。実はそれを否定する材料を俺は持ち合わせていない。7年前から俺の行動の裏には“彼女”の影がチラツいていたはずだから。

 そうかもしれないと黙り込む俺を弾はまた襟を掴みあげて無理矢理立たせてくる。

 

「お前は今、鈴とつき合っていない。その理由がよくわかった。そして、それこそが鈴を“彼女”の代わりにしていない何よりの証拠だと、俺はそう思う」

 

 言われて思い出す。

 ……そうだった。鈴を“彼女”の代わりにしてしまいそうな自分に気が付いたから俺は鈴と別れると決めたんだ。凰鈴音という女の子と向き合うために必要だった。

 今の俺では鈴の気持ちに応えられないのはわかってる。でもそれは今が非常時だからだ。もし仮に今の状態で“彼女”が目覚めても、俺は日常には帰らない。鈴を助けるために行動する。それが俺の素直な気持ちだ。

 

「俺、やっぱり鈴を助けたい。箒と同じくらい、鈴にも帰ってきてほしいんだ」

 

 実はその思いはずっと変わっていないんだ。俺を足踏みさせていたのは強大な敵の存在に原因がある。その点は何も解決できていない。助けたい思いと同じくらいに、戦いたくないとも思っている。

 

「でも俺じゃ福音を倒せない。また、あの怪物に立ち向かえる自信がない」

「だから言ったろ? なぜ俺に話さなかったか、と。俺はISVS攻略wikiの管理人だ。腕の立つ知り合いには結構な数の心当たりがある。巻き込むかもしれねえだ? やるからには徹底的にやれ。数は力だ。IS戦闘においては1機のエースに返り討ちにされるような不条理なときもあるが、やられるときは派手な方がいい。現実に被害がでるなら規模をどでかくしてやれば多くの人間の目に留まる。一人でコソコソと動くことこそが相手の思うつぼだろうが」

「言ってることが滅茶苦茶だぞ、弾」

「元より滅茶苦茶な敵だからこういったことをする必要もあるだろ?」

「やられ損になるかもしれないぞ?」

「やらない損よりはマシだ。そう考える連中がいることも忘れるな。幸村だって鈴の危機を知れば逃げずに戦うさ」

 

 どうしよう。また俺は誰かの手を借りようとしてしまっている。ここでその決断を下すことで今度は弾がやられるかもしれないのに。それなのに、俺は弾の手を取ってしまいそうだった。

 

「何よりも一夏が命を賭けた戦いに出るんだ。それだけで俺には戦いに出る理由がある」

「どうしてそんなことが言えるんだ?」

「一夏が鈴と同じ状況になったら、間違いなく俺は今の一夏と同じように戦う道を選ぶ。俺を取り巻く世界をよくわからん奴に壊されてたまるかってんだ。それにもう鈴が被害に遭ってるんだろ? 俺が戦うのには十分な理由だ」

 

 ああ……俺だけじゃない。理不尽に自由を奪われた大切な人を助けたいと願うことはどこもおかしいことじゃないんだ。俺が皆を戦わせてるわけじゃなく、皆がそれぞれの思いで戦いに赴く。それに俺だけが責任を感じることはないんだ。

 鈴もそうだったのか。あえて責任を挙げるとすれば、倒れた仲間の分まで戦うこと。それを俺は放棄しようとしていた。

 弾が手を差し伸べてくる。俺はがっちりとその手を掴み取った。まだ福音に立ち向かえるだけの力はないけれど、とりあえずもう一度立つことだけはできた。

 

「弾。俺はもう一度立ち向かってみる。お前はどうする?」

「俺も乗るぜ。そうと決まれば早速ゲーセンで仲間集めだな」

 

 こうなれば事情はそのまま話す。

 銀の福音の噂は真実であり、ISVSを危険な物にしている。

 俺たちプレイヤーで福音を倒してやろうと。

 そうして、ISVSを遊び場として確かなものにしようと。

 まだ戦う術を見つけてはいないが、共に戦う仲間がいると思うととても心強かった。

 きっと今の俺なら、臆さずに戦える。勝てるかどうかは置いといて。

 

「でも数だけ集めてなんとかなるのか?」

「そればっかりは何とも言えねえ。でも他に何か策はあるか?」

 

 一応弾に聞いてみたがやはり根拠のない自信だった。俺たちには何かが足りていない。そんな気がしているのだが、それを俺たちだけで見つけられるとは思えなかった。気力だけ立ち直ってもまだ何も解決していない。弾も頭をかきむしって考えてくれているが、良い案は浮かばなかった。

 

 

 

「ほう……高校生が平日の昼間にゲーセンとは、中々な問題行動を起こしてくれてるじゃねえか。だが、どうせなら楽しそうにしてろ」

 

 

 

 2人で頭を抱えて歩いていたが、不意に声をかけられて立ち止まる。聞き慣れた声であったが、できれば聞きたくない声でもあった。

 俺と弾がゲーセンへと向かおうとしたところで、バッタリと出会ってしまった。この状況で最も会いたくないであろう人物に。学校では普段きっちりしているスーツ姿だが、今はネクタイを外してかなりラフな格好となっている。

 この人物は俺たちの担任である鬼教師、宍戸恭平だ。

 

「し、宍戸先生っ! こんなときにっ!」

「おいおい、織斑。まるでオレがタイミング悪くここに来たみたいに聞こえるぞ」

「事実そうですよ! 説教なら後でいくらでも受けます! なので今は俺たちを見逃してください! 時間がないんです!」

 

 弾にはまだ話せていないが、ナナたちに危機が迫っている。具体的にあとどれだけの時間が残されているのかはわからないけれど、宍戸に学校まで連れて行かれている時間はない。ここで宍戸を殴り倒してでも俺はISVSに行かなくてはならない。

 そんな俺の思惑は宍戸の発言によって覆されることになる。

 

「別にどうもこうもしねえよ。どうせゲーセンにいくならオレに付き合えってだけだ」

「は?」

 

 宍戸の予想外の発言に俺と弾は固まらざるを得なかった。

 

「意外そうな顔をしてるな。教師がゲームをしちゃいかんなどというルールなどないだろ?」

「たしかにそうですけど……」

「何だ、その腑抜けた面は? まさか勉学だけじゃなくゲームでも思い通りにならないとか思ってんじゃねえだろうな?」

 

 少しニュアンスが違う気もするが、俺には返す言葉がなかった。宍戸はそれを無言の肯定と受け取ってしまう。

 

「暇つぶしのついでだ。先達としてお前らを鍛えてやる」

「は、はぁ……」

「一夏だけじゃなくて俺もっすか!?」

 

 俺はともかく弾相手に熟練者を気取った宍戸は俺たちを半ば強引にゲーセンへと連れて行った。

 

 

 平日の昼間に担任教師に連れられてゲーセンの自動ドアをくぐった。唐突すぎる宍戸の登場と行動に俺と弾は何も言えずについてくるしかなかった。

 慣れた様子で宍戸はISVSの筐体のある奥へと入っていく。時間帯のためか客はかなり少ない。ISVS周りには順番待ちの人はいなく、立っているのも店長ひとりだけだった。店長は俺たちに気づくと「おう」と声をかけてきた。……そう思ったのだが、店長の目は俺たちではなく宍戸に向いている。

 

「おいおい、不良教師。平日の昼間に高校生を連れてゲーセンに来るんじゃねえよ。それにお前も仕事はどうした?」

「オレほどの教師の鑑はそこらの学校を探しても見つからねえよ。今日はだな……こういう日も必要ってだけだ」

 

 気安く言葉を交わす店長と宍戸。どうやらかなり親しい知り合いのようだ。宍戸は先に金を取り出して一言二言付け加えながら店長に渡した後、ISVSの筐体へと向かっていく。宍戸もISVSプレイヤーだったと知り、俺の中の宍戸像が変わった気がした。親近感を覚えながら呆然と見ていたら、筐体に座った宍戸がギロリと睨みつけてくる。

 

「何をしてる? 急いでるんだったら早く入れ」

「は、はいっ!」

 

 宍戸の思惑はさっぱりわからないが、逆らうことはできなかった。ただ俺たちと遊びたいだけ? それは流石に考えづらい。本当に俺を強くしてくれるというのなら喜んでつき合うところだが、今から始めて間に合うのか? といっても今は付け焼き刃でもいいから欲しいのも事実。

 俺と弾は慌てて筐体に座ってメットにイスカを挿入。ISVSへと意識を移す。

 

 

***

 

 ISVSに移動した後、ロビーで手続きを勝手に済ませていた宍戸に連れられて転送ゲートをくぐった。試合をするのか、それともミッションにでも行くのか。宍戸に直接聞いても答えてはくれなかった。果たして次のミッションまでに俺に何ができるのか。制限時間付きで落ち着かない。不幸中の幸いというべきか、ロビーでミッションを確認した限りではまだツムギを襲撃するミッションは発生していないのが救いだった。

 

「ようし、ここならいいだろう」

 

 宍戸が俺たちを連れてきたのはIS戦闘用アリーナだった。俺がサベージと戦ったときのような障害物なしではなく、ところどころに空まで伸びる柱が立っている。柱の太さは直径10mといったところか。現実では難しそうな建造物だ。

 

 宍戸のアバターを見てみる。表向きは生真面目な日本人男性といった外見の本人とは縁のない、赤くて長いボサボサの髪をしただらしなさそうな男の姿だった。両の瞳は黒でなく、あまり見てて気持ちの良いものではない怪しく光る金色。これは宍戸の趣味なのだろうか。戦闘には直接関係ないだろうけど。

 

「アリーナってことは試合するんですか?」

 

 ここで俺は宍戸の装備を確認する。

 紫色に統一されているフレームはラファール・リヴァイヴ。胴体と顔に装甲はないためディバイドスタイルである。メゾの中で一番拡張領域が大きいリヴァイヴでディバイドスタイルを選ぶ理由としては、ただでさえ大きい拡張領域を少しでも広げるためだと考えられる。以前に見た“夕暮れの風”がそうだった。

 装備は今のところ何も手にしていない。腕の装甲内部に隠し武器があるかもしれないが、流石にそれだけのわけがない。非固定浮遊部位もなく、まるで丸腰であった。

 宍戸は戦える状態には見えない。だから俺は試合をするのか疑問にならざるをえなかった。ナナたちのためにできることは他にあるはずという思いが強かった。

 

「言いにくいんですけど、俺はこんなことをしてる場合じゃないんです」

「ほほう。なら何をすべきなんだ? ()()織斑の力で何ができる?」

 

 不敵な笑みを見せる宍戸。からかい混じりの投げかけに俺は答える言葉を持ち合わせていなかった。俺のことなんて何も知らないはずなのに宍戸の指摘は的を射ている。仲間が必要なのは事実だったが、仲間を集めただけで本当に何とかなるとは信じきれていない。

 

「試合をするつもりじゃなかったが、どうやら今のオレには説得力が足りない……ならば、一度相手をしてやった方が良さそうだな」

「じゃあ、俺はその辺で観戦してますよ」

 

 一緒に来ていたバレットだったが、俺と宍戸が試合をするということで離れていく。さり気なく俺に押しつけやがった。

 しかしバレットの思惑どおりにはならない。この場の主導権は宍戸が握っている。

 

「いや、五反田。お前は織斑と組んでかかってこい。まとめて相手をしてやる」

 

 まさかのハンデキャップ戦の提案だった。俺とバレットは同時に互いの顔を見る。アイコンタクトで『宍戸は何を言ってるんだ!?』と通じ合った。

 というのもバレットは俺の前でこそ負けている姿が多いが、それらはナナとかアメリカ代表など、相手が悪いだけであって実力はかなりのものだ。そんなバレットに俺という前衛をつけた上で1機で挑むなど“夕暮れの風”でも連れてこいというレベルの話になる。

 そんな俺たちの内心を読みとったのか、宍戸は鼻で笑う。

 

「エネルギー0で退場するのは面倒だからルールを設けよう。お前らはストックエネルギーが半減したら負け。そして、お前らのどちらかが俺のストックエネルギーを少しでも減らせば勝ちだ」

 

 ルールを設定し、全員のストックエネルギー残量の情報が共有される。

 1対2だけにとどまらず、1発でも当てられたら勝ちにしてやるだなんて明らかに舐められている。宍戸は俺たちの実力を知らないのか。それとも、知っていてもなおコレなのか? 流石のバレットもISVSでコケにされては相手が担任教師だとしても優等生ではいられない。

 

「俺たちも半分削ったらでいいですよ」

「わかった。1発でも当てたら考えてやる」

 

 宍戸の挑発にバレットは本気になっていた。主武装がマシンガンであるバレットにとって、1発を当てれば勝ちなど簡単(ぬるゲー)過ぎる。しかし、今もバレットは宍戸の前で“ハンドレッドラム”を見せているのに宍戸の余裕は崩れない。宍戸がバレットの武器が何かを理解していないのか、それともマシンガンにすら当たらない自信があるのか。後者だとすれば尊敬に値する。

 

 試合の開始位置は互いが視認できる200m。宍戸はまだ装備を展開していない。どんな戦法かをギリギリまで隠す気のようだ。

 

『バレット、作戦は?』

『何もねえ。宍戸の出方がさっぱりだ。あの自信がどこから来るのかもな。とりあえずヤイバには様子見も兼ねて先制攻撃の奇襲を頼む』

 

 バレットとプライベートチャネルで作戦会議をしたが、結論は『やられる前にやれ』。俺としても開始と同時に斬りかかった方がやりやすいとは思っていたので了承する。

 戦闘開始までのカウントが進む。俺はPICの制御に意識を集中させ、白式のイグニッションブースターを点火する準備を整えた。カウント0と同時に俺は宍戸までかっ飛んでいくことができる。

 

 カウント0。

 

 俺は風よりも速くアリーナを駆けた。急速に迫る宍戸の姿が見える。接近速度は普段のイグニッションブーストよりも速い。いい感じのスタートダッシュを切れた。

 ――嘘だろ!? 無手で突っ込んで来やがった!

 宍戸も開始と同時に迫ってきていた。それもイグニッションブーストでだ。イグニッションブースターらしき装備が見あたらないのにもかかわらず、高速で移動する宍戸。俺の想定から外れたタイミングでの接触となり、雪片弐型を振るのが間に合わない。

 

 しかし、相手も攻撃の手段がないのでは?

 そんな俺の疑問は宍戸の左拳が答えてくれた。

 

「ぐっ!」

 

 イグニッションブーストで交差する際、俺は軌道を変えられなかったが宍戸は接触の直前に微妙に方向を変え、俺の顎を打ち抜いていった。白式がシールドバリアの貫通を伝えてくる。PICもイグニッションブースト中に攻撃されたことで不安定な状態に陥り、俺は錐揉み回転して落下。墜落の衝撃も消せなかったために追加でダメージが入っていた。一撃必殺のカウンターを受けてしまい、ストックエネルギーは半分どころか虫の息である。ここまで綺麗にカウンターを決められるといっそ清々しい。

 

 俺を撃墜した後、そのまま宍戸はバレットに向かう。バレットがマシンガンを乱射して迎撃するが、宍戸は上下左右にめまぐるしくイグニッションブーストでカクカクと飛び回るために照準が定まっていなかった。バレットがマシンガンを取り回す速さよりも宍戸が動く方が速いように見える。あっという間にミサイルやグレネードランチャーでは間に合わない距離にまで接近され、ライフルとマシンガンを撃ち続けるバレットだったが銃口の先に宍戸がいることはなかった。接近を許し、徒手による格闘でボコボコにされていく。俺は宍戸のストックエネルギーを注視していたが、手で殴りつけてもなぜか宍戸の方だけは減らなかった。

 

 

 あっさりと結果が出た。俺とバレットの完敗である。なんと言えばいいのか、これまで俺たちがプレイしてきたゲームとは違うものを見せつけられた気分だった。

 俺もバレットも何も言わずに地面に転がっている。俺は宍戸のレベルの違う戦闘に見とれていたからだが、バレットは拳を地面に叩きつけていた。あのイーリス・コーリングとの試合でも同じようにやられていたバレットだったが、今回の相手はプロではない。いずれはプロも倒してやると粋がっていたバレットだが、それは一般プレイヤーのトップクラスの自負があったからだ。武装していない一般プレイヤーに圧倒されてショックじゃないわけがない。

 試合が終了して宍戸が俺たちの傍に降りてくる。

 

「現実のIS戦闘で評価するなら、織斑はB判定。思い切りのいい飛び込みだったが、その後がまるでダメだ。イグニッションブースターの性能に頼っただけのストレートな機動では相手に『撃ち落としてください』と言っているようなものだぞ」

「それはわかってます!」

 

 でも俺はイグニッションブーストの問題点を知っていても、どうすれば解決できるのかを知らない。でも何かがあるということが今の戦闘でハッキリとわかった。俺には無くて、福音やイーリス・コーリング、宍戸にはある“技術”が。

 

「五反田はA判定だな。じゃじゃ馬で知られるハンドレッドラムは素人が使っても明後日の方向に飛んでいくのが相場なんだが、使いどころとなる間合いをしっかり弁えてるのは賞賛に値する。だが、本体機動が織斑よりも下手なために得意な間合いを維持できていない。IS戦闘において足を止めて撃っていいのは隠れてるスナイパーくらいだぞ?」

「俺は動いてた! アンタが速すぎるからそう見えただけだっての!」

「わかってるじゃないか。さっきの戦闘だが、オレにとっては五反田は止まってる的と変わりなかったということだ」

 

 宍戸相手に“アンタ”と言ってしまうくらいにバレットは冷静でない。バレットのこんな姿は初めて見る。熱くなりすぎて飛び出した反論が宍戸にそのまま拾われてしまい、バレットは言葉に詰まった。

 

 俺とバレットの評価を言い終えたところで宍戸が俺たちに映像データを寄越してきた。IS同士の1対1の試合だった。片方は物理ブレード1本だけの打鉄。もう片方は全身から炎のようなENブレードが溢れている装甲の無いIS。炎のISがステージを覆ってしまうような弾幕で攻撃し続ける展開が続いている。

 

「もう見てるかもしれないがこれはISVSで行われた第3回モンドグロッソの準決勝、日本代表VSドイツ代表の試合だ。日本代表は純粋な格闘機体でドイツ代表は単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)による豊富なEN武器を使ったオールマイティな機体だな。この試合では格闘戦を不利と悟ったドイツ側が開始直後から近寄らせない戦法をとっている」

 

 そういえば俺はトップレベル同士の試合をまともに見ていない。まず俺がこの試合を見始めて持った感想はひとつ。

 

「まるで超能力バトルですね」

「ISの単一仕様能力ってのは大体そんなもんだ。勝手にISコアが生み出して、そのプレイヤーのみが使えるという不平等の極みといえるバランスブレイカーな能力だ。モンドグロッソに出てくる国家代表なんてのは皆そんな化け物の集まりだ」

 

 バレットが『ISVSは不平等である』と口を酸っぱくして言っていた。見せられた映像と俺たちの差をそのまま表している言葉だと思う。才能なのか運なのかはわからないが、俺たちはトッププレイヤーと同じ位置に立てていないのだ。

 

「今、こんなものを見せてどうする気ですか? ISVSが平等じゃないってことくらいはちゃんと理解してますよ」

 

 バレットが不貞腐れながら宍戸に問う。普段の優等生な態度の欠片もなく、不機嫌さを直接ぶつけている姿はやはりいつもとは違っていた。対する宍戸はそんなバレットを見て愉悦の笑みを浮かべる。生徒を怒らせて喜ぶなんて、この人は本当に教師なのだろうか?

 

「いいや。十中八九、五反田は理解できていない。少し違うか。お前が理解したのは妥協だ」

「何だとっ!?」

「先生。それは聞き捨てならないです」

 

 バレットが宍戸に掴みかかろうとしたところに俺は割って入り、宍戸に雪片弐型を向けながら問いただす。

 

「不平等を受け入れてもなお、仲間と共に勝とうとしているバレットの努力を踏みにじるつもりなら、俺はあなたを軽蔑します」

 

 今まで学校で俺がどんな扱いを受けても、宍戸は筋が通っている良い先生だと思っていた。だけど、バレットの努力を侮辱する気なら俺は二度とコイツを先生とは呼ばない。

 宍戸は笑みを崩さない。その態度が癪に障る。だけど宍戸は決して俺たちをバカにしてるわけじゃなかったんだ。

 

「仲間と共に強敵に打ち勝つ。学校では中々教えられないことだし、生徒が自主的に育んでいるということならばそれは喜ばしいことだ。だがな、織斑。個人の実力の向上なくしてチームの実力は上がらない。ましてや五反田はこの辺りの高校生を引っ張っている立場だ。ただの勘違いで成長を止めたリーダーが率いる組織では何にも打ち勝てやしない」

 

 俺はバレットを見る。不機嫌を露わにしていたはずのバレットはいつの間にか宍戸の話に聞き入っていた。俺も静かに聞くことにする。

 

「オレが言ったISVSの不平等というものは単一仕様能力の有無と性能差くらいだ。BT適性もプレイヤーで差異はあるが、あれに関しては銃が得意とか剣が得意とかそういった個性レベルの話であって、劇的な差を生み出すものではない」

 

 たしか俺にBT適性は皆無だった。代わりに俺はイグニッションブーストを使える。これは不平等でなく個性の問題だと宍戸は言う。でもたしか――

 

「イグニッションブーストもできる人とできない人がいるんですよね?」

 

 俺の質問に宍戸は大きく反応する。ズバリ宍戸が言いたいことを言い当てられたらしい。

 

「織斑の言うことは概ね正しいし、間違っている。イグニッションブーストというものは誰にだって使える基本技能だとオレは定義してる。できなくなるプレイヤーがいる理由はISの本能とも言える操縦者保護機能のせいだ。だがそれを解明しているプレイヤーはほとんどいない。結果、イグニッションブーストも才能が要ることになってしまっている」

 

 ここで宍戸は右手の指をパチンと鳴らした。ISの装甲の指でなぜパチンと音が鳴るのかは知らない。宍戸の鳴らした音を合図にしたように、宍戸の背後に深い緑色の板が出現していた。ISVSでは初めて見るが俺たちが日常的に見ているものだった。黒板である。宍戸は後ろを向き、器用に持った白いチョークで板書を始めた。

 

「まず、イグニッションブーストというものはある基本技術の応用であることを言っておこう。織斑は自然とできているようだが、その基本技術とは何だと思う?」

「えーと、スラスターにエネルギーをため込む、ですか?」

「ハズレだ。それは仕上げにすぎん」

 

 ハズレと言われた瞬間に本能が宍戸のチョーク投げを警戒していた。しかし、学校では当たり前のように飛んでくるチョークも今は飛んでこない。

 宍戸が慈悲をくれている間にもう一度考えてみる。俺がイグニッションブーストをする際のプロセスには何があった? まず、エネルギーをスラスタに集中させてから――

 

「PICのマニュアル制御だ!」

「一応、正解にしておいてやる。PICというものは passive inertial canceller(パッシヴ・イナーシャル・キャンセラー) の略で直訳すると受動的慣性無効化装置となる。これだけだとわけがわからんだろうから説明を加えておくと、常に重力の影響を無視して、周囲からの衝撃に対しても自動で反応して衝撃自体を無効化する装置ということになる」

 

 宍戸がカリカリと板書する姿はいつもの学校と変わらないが、教師も生徒も互いにISを装着しているという妙な空間ができつつあった。しかしダメとは言えない。なぜか今だけは宍戸の話が頭に入ってくる。

 

「今言った中で重要なことは、PICはコアが自動で演算して浮遊と防御を行ってくれている点だ。プレイヤーが直接働きかけるまでもなく作用することからパッシヴと名付けられている。これは織斑の言ったマニュアル制御とはかけ離れていることはわかるな?」

「はい」

「マニュアル制御。つまりはプレイヤーの意志によって慣性制御を行おうとしていることになる。コアの演算に助けられてはいるが、プレイヤーの思考が大きく作用する時点で既にパッシヴとは呼べない。よって織斑の言うPICのマニュアル制御とは正確には active inertial control(アクティヴ・イナーシャル・コントロール) と言われる操縦技術のことでありAICと呼ぶ」

 

 AIC。初めて耳にする単語だった。俺の情報源は基本的にバレットである。つまり俺が知らないということはバレットが聞かせてくれなかったかもしくはバレットも知らないことになる。

 

「宍戸先生。今適当に名付けたんじゃ」

「バカを言うな、五反田。これはオレが名付けたのではなく……とそこから先はどうでもいい話だな」

 

 宍戸が咳払いをする。何かを誤魔化した気がするがそこを追求する気は無かった。

 

「それでAICという基本技術が俺たちに足りていないって話になるんですか?」

「そういうことだ。ここでさっきの試合の話をさせてもらうが、見ての通りオレは何も武装を使っていない。オレがやったことは全てこのAICだったというわけだ」

 

 宍戸がやったこと。開幕と同時にイグニッションブーストを使用して俺を一方的に撃破し、なおもバレットに接近してこれまた一方的に殴りつけていた。拳だけでISを倒していたのだ。

 

「ISの武装はISにしか使えないが、代わりにPICCという機能がある。これは名前が違うだけでやっていることはAICだ。対象ISの防御機構であるPICに干渉してその効力を弱める働きがある。オレはそれをIS本体の慣性制御によりマニュアルで実行しただけにすぎない」

 

 つまり宍戸の拳は物理ブレードと同じ状態になっていたわけだ。でもそれって攻撃面だからそう見えるだけで防御に回したらヤバイんじゃないか?

 

「五反田のマシンガンも全てが当たらなかったわけじゃない。ただ単にオレに当たる弾丸のみを的確に無力化しただけだ。AICは突き詰めればPICCも無力化できるからな。一応言っておくが、こればっかりは誰にでも出来ることじゃないから真似するなよ」

 

 ここに来て才能が必要だと言わないでもらいたい。でも俺とバレットのテンションは下がっていない。バレットの目には普段とは違う火が灯っていた。

 

「逆を言えば、俺にもできることがあるわけですね?」

「そうだ。五反田に必要なのはイグニッションブーストだな。射撃機体だから要らないなんてことはない。さきほどの日本代表VSドイツ代表の試合でもドイツ代表は接近させないためにイグニッションブーストを頻繁に行っていただろう? 上を目指すなら、そして勝ちたい相手が要るのなら初歩的なものだけでもやれるようにしろ」

「イグニッションブーストの必要性はわかってます。俺だって最初はやろうとしました。でも、できなかったんです!」

「だから言っただろう。それは操縦者保護機能のせいだと。コアが操縦者の失敗のイメージを受け取ってしまうと強制的にAICをカットしてしまい、ただスラスターを噴かせただけとなる。織斑ができる理由は簡単だ。コイツは後先考えてないバカだからな」

「ちょ!? その言い方はひどくないですか!」

 

 いきなり俺に矛先が向いたかと思えばバカ呼ばわり。いつも自分でバカでいいと言っているけど、先生に言われるとダメージがでかい気がする。

 ともかく、俺とバレットが思っていたイグニッションブーストを使用できる才能とは“失敗を恐れない”ことと見て良さそうだった。つまり、それさえわかれば誰にでもイグニッションブーストが使えることになる。もっとも、練習はいるだろうけれど。

 

「五反田はまずイメージトレーニングからだ。ISの操縦はイメージが必要となる。さっきのオレの動きを自分がしているように想像しておけ」

「わかりました」

「でもって織斑。お前には逆に止まり方を教えてやる」

「止まり方ですか?」

「ああ。イグニッションブーストからの任意の停止はまたAICを使う必要がある。コアによるパッシヴ制御を待っていては相手の傍を通り過ぎてしまったりするからな。機敏に相手を追うには純粋な速度よりも敏捷性の方が鍵となる」

 

 宍戸が座学は終わりだと黒板を量子化させて片づけ、俺の後ろに回ってきた。そして俺の後頭部が掴まれて、俺の体は意図しない急加速に見舞われた。宍戸が俺を掴んだままイグニッションブーストをしたようだ。

 

「うわあああ!」

 

 アリーナに設置された柱がグングンと迫る。もうぶつかるというところで、ピタリと俺は静止していた。目の前10cmのところにはアリーナの一部である柱がある。

 

「これがAICによる急ブレーキだ。イグニッションブースト中のブレーキでしか出番はないがお前の必須技能だと断言できる。止まることさえできれば、あとは加速と停止の組み合わせで相手に的を絞らせない機動が取れることだろう。どうした、その目は? 何か文句でもあるのか?」

「殺す気ですか!」

「お前は死なねえよ。だから安心して柱に向かってイグニッションブーストをする特訓を続けていろ」

「マジですか……」

 

 現実ならばもう体罰で訴えても千冬姉を説得できるレベルのことをしてると思う。しかし、これは仮想世界の話。福音が絡まなければ身の危険など存在しない。

 普段なら文句しか出てこないところだが今の俺は違っていた。宍戸が言うAICをものにすれば、わけがわからなかった福音の高速機動にもついていける可能性が出てくる。それはそのまま勝てる可能性につながるはずだ。

 

「これで俺は強くなれるんですよね?」

「マスターすればな。じゃ、あとはひとりでやってろ」

 

 言うことは言った、と宍戸はバレットの方へと向かっていった。

 道は示された。あとは俺の努力次第。時間もあるわけじゃないから、短時間で停止だけでも修得しなければならない。ナナたちが襲われるミッションまでには間に合わせなければ!

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 大通りの喧噪から離れた薄暗い路地裏。駅の周辺という賑わった場所でも、日の届かないような暗い場所はあったりするものだった。何の店かもわからないような看板が並んでいるが日中はどこも開いている気配はない。そんな道を歩いている姿はほとんどなく、今はひとりだけしかいなかった。

 

「くそっ……たったあれだけで意識が持ってかれそうになるとは、つくづくオレの体は呪われてやがる」

 

 人目を避けてフラフラと歩いている男の名は宍戸恭平。一夏たちの担任教師であり、つい先ほどまでゲーセンで学校とは関係のない指導を行ったばかりである。その指導は伝えることだけ伝えて残りは自習とした。そうせざるを得なかった。

 

「全く……アイツらの前で豹変したらどうする気かとこっちはビクビクしながら見てたぜ?」

虎鉄(こてつ)か。店番をしてなくていいのか?」

 

 宍戸ひとりだけの路地裏に彼を追いかけてきた男が現れる。宍戸に虎鉄と呼ばれた男は一夏たちも良く知る人物。パトリオット藍越店の店長だった。

 

「バイトに任せとけばいい。今はお前の方が心配だ」

「余計なお世話だ。自分の限界は自分が一番良く知っている」

 

 宍戸は手近な壁に身を預けてフーッと大きく息を吐く。彼の言う限界とは彼自身の出自に関係するものであり、彼が一夏と弾の2人を指導するしかなかった理由でもある。しかし、宍戸の出自を良く知っている店長でも、今日の宍戸の行動については納得できていなかった。

 

「なぜISVSに入った? 今年の1月3日以降、お前にとってあの世界は毒でしかない」

「それでも行くしかなかった。生徒どもが道を見失っていたら、オレが道を示すべきだろうが」

「“銀獅子”と恐れられた傭兵が随分と丸くなったもんだな。生徒のためとか、すっかりここの生活に馴染んでるじゃねえか」

 

 宍戸の身を案じて怒っていた店長だったが、予想もしなかった返答に呆れを隠せない。対して宍戸はクックックと静かに笑う。

 

「虎鉄よう。オレは藍越学園の名前をえらく気に入ってるんだが、藍越ってどういう意味だか知ってるか?」

「知らねえよ」

「こう言えばわかるだろ? “青は藍より出でて藍より青し”」

「あの2人がお前を越えるってか?」

「少なくともオレはそう望んでいる。オレたちにできなかったことを、オレたちの次の奴らに託す。そうしてオレたちの意志を紡いでいくことが、奴らへの反撃となる」

 

 宍戸は壁から背中を離し再び歩き始めた。足取りこそ覚束ないが、彼の目は一夏たちの成長を一寸たりとも疑ってはいなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 プレイヤーならばロビーと呼ぶであろう空間の中央に人が密集している。誰もが皆同じ方向を見上げており、視線の先にある壇上にはピンクのポニーテールが揺れている。この場にいる人間は彼女の一声によって集められていた。

 

「既に情報は行き渡っていると思うが、私たちツムギの拠点である“ここ”が敵に特定された。これは紛れもない事実であり、クーの情報によれば近くに転送設定を行っている転送ゲートが複数存在することもわかっている。プレイヤーがこちらに攻め込むための準備に他ならない。ゲートの設定が終われば無数のプレイヤーどもがここを襲撃する」

 

 壇上で淡々とナナは事実を告げていく。今までにプレイヤーにやられた仲間もいたため、集まっているメンバーのほぼ全員がプレイヤーの脅威を知っている。誰も声を上げない。重苦しい沈黙の中、ナナは話を続ける。

 

「以前にも罠にかけられたことはあった。だがそれはまだ私たちにも逃げる場所があったために勝利を得た。生きていれば勝ちなのだ」

 

 生きていれば勝ち。この場にいる誰もが思っていることだ。ISの戦闘の勝敗などどうでもいい。ただ、現実に帰りたいだけ。プレイヤーが当たり前のように帰って行く場所に戻りたいだけだった。

 

「今回は違う。ツムギの名前をそのまま付けたここは最後の砦だ。ここから逃げたとしても、休息を得られない状況に陥るだけとなる。ここを放棄しては、私たちは生き残れない」

 

 戦闘を回避するだけならアカルギに乗って逃げてしまえばいい。しかしアカルギに乗れる人数には限界がある。この場にいる人間を全員収容できないため、全員が生き残るためにはツムギ自体を防衛しなければならない。

 

「結論を言おう。私は足掻こうと思う。それしか道が無いのならば私が先陣を切り、プレイヤーどもを一掃する。たとえ終わりなど見えなくとも戦うしかないのならば戦おう」

 

 ナナが目指している現実の帰還はもうナナひとりだけの願いではない。少なくともナナにとっては。もしナナが自分本位に動いていれば、今の危機は訪れなかったかもしれない。また、ナナひとりならば危機とも呼べず、ひとりだけで逃げおおせるだろう。自分ひとり生きていれば勝ちならばナナが負ける要素はどこにもない。

 しかしナナはこの場にいる全員で現実に帰ることを望んでいる。中には心を許せていない人間もいるが、そんなことはナナには関係なかった。自分が生きるために誰かを見捨てれば、ナナは自分のことを軽蔑する。そんな自分が現実に帰ったところで、“彼”に胸を張って会いに行けないのだ。

 戦うとメンバーの前で話すナナの両手は拳が作られ、必要以上に力が入っていた。プルプルと震えている拳は逃げたいと思う弱さを強引にねじ伏せている。ナナは自分の心境を理解している。だからこそ、メンバーに強要することなどできず、逃げ道を用意しておく。

 

「皆には選んで欲しい。ツムギを守るために戦う道を選ぶのならばここに残ってくれ。戦いたくない者はアカルギに乗り込むんだ。私はどちらを選んでも皆の選択を尊重する」

 

 ナナが全て話し終えても、誰も口を開くことはなかった。

 

 重い足取りでナナは壇上から降りていった。メンバーの反応を窺うこともなくロビーホールから通路へと移動して自分の部屋に戻った。誰も見ていない場所にまで来ることで唐突に足から力が抜けて床に倒れ込む。

 

「父上……私は未熟者です。誰よりも戦える力を与えられながら、体の震えが止まりません」

 

 ナナは上半身だけ起こすと床にペタンと座り込む体勢となる。室温は高くもなければ低くもないはずであるが、ナナは寒さから身を守るように自分の体を抱きしめた。……震えは、止まらない。

 

「私は父上のように強くない。今だって『皆は私が守る』と言えなかった。死に方を選ばせるようなことしか言えなかった!」

 

 次第に声が大きくなっていく。戦うと言いながら、死ぬことしかイメージできていなかった。いくらナナが強くとも、ナナが死ぬまでプレイヤーが次々と現れることだろう。仮想世界といえど無限に戦えるわけではないことをナナは経験からよく知っている。

 どうしようもない。生き残るためにどうすればいいのか見当がつかない。この状況を招いたのはナナのミスだ。助けた仲間が敵の用意した罠であることを見破れなかったために起きた危機だ。もう十分に後悔した。自分を責めた。だがそれでは何も解決などしない。

 

「助けて……」

 

 ナナの頬を涙が伝う。この世界における居場所まで奪われようとしている絶体絶命の危機に、とうとう心が耐えられなくなった。

 

「助けて……一夏」

 

 ナナは“彼”の名前を呼ぶ。幼い頃、壊れそうだった自分に手を差し伸べてくれた少年の名前だ。周囲の何もかもを拒絶した狭い世界に土足で踏み込んできた彼の手の温かさを今でも覚えている。ナナはずっと彼の隣に相応しい自分になろうと努めてきた。助けられるだけじゃなく、自分も彼の力になりたかった。その彼に助けを求めるほど、今のナナは参っている。そして、呼んでも彼が来ない現実を思い知るだけとなる。

 

「助けて……ヤイバ」

 

 もうひとり。追いつめられたナナを助けてくれた男の名前を呼ぶ。今の自分を支えてくれている親友を、敵の凶刃から守った男だ。何を考えているのかわからないプレイヤーで狂気を感じさせる行動もする男だったが、ナナは彼の存在に助けられている。ヤイバは既にナナにとって大きな存在だった。

 

 ――“彼”の影を塗りつぶしてしまうくらいに。

 

 だからナナは表向きにはヤイバを突き放す。近づいてしまっては“彼”を裏切ってしまうと心が拒絶していた。ピンチの時だけ助けて欲しいというのは図々しいと思いながらもナナは今の状況を変えて欲しいと“誰か”を頼るしかなかった。

 

 ピロンと軽い電子音がなる。何の音かわからないが音源は部屋の中にあった。心当たりもないまま立ち上がったナナは部屋の中を探す。目に止まったのは机の上にある携帯電話だった。そもそも自分の物ではないから着信音も知らなかった。メールのやりとりは全てシズネに任せていたために、ナナにメールが届くのは初めてのことである。

 ナナは携帯を手にした。折りたたみ式の携帯を開く。シズネから聞かされていた情報では、ヤイバは前回の戦闘でリンを失って戦える状態ではないらしい。だから今届いたメールはラピスからであると思っていた。

 

 

【送信元】ヤイバ

【件名】まだ無事か!?

【本文】悪い! 連絡は確認したんだけど、そっちに行くまでにまだ時間がかかる。状況は最悪だってことも理解してる。だからこそ、俺がこっちでやっておくべきことがあるんだ。大丈夫だ。ナナもシズネさんも他の皆も助かる道はある。だから、ナナ。俺が行くまでなんとか耐えてくれ!

 

 

 ナナの涙腺は再び崩壊した。

 

「バカだよ……お前だって苦しいはずだろうに、私たちのことばかり気にして……」

 

 袖で涙を拭う。いつまでも泣いていられない。何をする気なのかはわからなかったがヤイバは大丈夫だと断言した。何も希望がないまま戦場に向かおうとしていたナナにとって、それがどれだけ大きな支えになることか。もう、体の震えは止まっていた。

 扉をノックする音が聞こえてくる。

 

「ナナちゃん、ラピスさんが来ました」

「すぐに行く」

 

 シズネが部屋を訪ねてきたがタイミングが良かった。部屋を出たところで顔を合わせた親友はいつもと変わらず隣に並ぶ。ナナの内心を的確に言い当てくるシズネに弱い自分をさらけ出さずにすみそうだった。

 

「ナナちゃんが思ったよりも元気そうで安心しました」

「そういうシズネもだな。わかっているのか? 私たちは敵に駆逐されるかもしれないんだぞ?」

「大丈夫ですよ。ヤイバくんが助けてくれます。それに……ナナちゃんがいい顔をしてるから負けるわけがありません」

 

 ヤイバのメールに続き、親友の信頼を受けてナナの頭からは負けるイメージが消え去った。必ず生き残ってやると誓い、ラピスとの打ち合わせに向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスがクーという少女に案内された場所はプレイヤーが使用するロビーと同じ構造の空間だった。ここに来たときから既にいた十数人の男女の注目を浴びつつラピスはナナが来るのを待つ。

 ラピスの内心は焦りで満たされていた。この状況を打開するための一手に失敗していたのである。ここに来たのも義理を果たすためでしかなかった。

 今のツムギの状況は悪い。前回、ラピスが参戦した戦いでは逃げれば良かったためにどうにかなった。しかし逃げ道無き今、圧倒的な物量に対して対抗するためには同じ物量をぶつけるしかなかったのだ。それも叶わぬため、ツムギは全滅するまで戦い続けるしかない。または逃げ続けるしかない。どちらにせよ長くは保たない。

 

 ラピスはもうツムギの最後を見届けるしかできることがないと考えていた。

 

「ラピス。お前だけなのか?」

 

 待ち人来る。ツムギの代表者であるナナとシズネの2人だ。第三者に改めて『お前だけ』と言われて脳裏にヤイバの姿が浮かぶ。しかし彼はここには来られない。来るだけの理由を自ら否定してしまっていた彼が現れるはずなど無かった。

 

「ええ、足手まといが来ても無駄ですので。刃の欠けた剣では未来を斬り拓けませんわ」

 

 足手まとい。目的のために走れなくなった駒では役に立たない。ラピスにとってチェルシーを取り戻すために役に立たない男のことなどどうでもいい存在だ。……そのはずだった。

 

「お前とヤイバには、私とシズネと同じかそれより強い絆があると思っていたのだがな」

 

 心が折れたヤイバにひどいことを言っているとラピスは自覚していた。それはさっさとヤイバの話を忘れて今の話をしようという誘導のつもりであった。本当はラピス自身がヤイバから目を逸らしたかった。しかしなぜかナナはヤイバの話題を続けようとするため、ラピスは頑なにヤイバの存在を小さいものにしようとする。

 

「ただ目的が一致しただけの関係ですわ。ヤイバさんの目的が潰えたのなら、最早わたくしたちを繋ぐものはありませんもの」

「利害の一致か……これは愚弄されたものだ」

 

 いよいよ以てラピスにはナナの考えがわからなくなった。そもそもラピスはナナたちが自分に縋ってくると思っていたのだ。しかし、今のナナからは悲観的な感情が一切感じ取れない。絶体絶命の危機が迫っているのに、ナナが気にしているのはヤイバのことだ。ラピスの知るナナはヤイバを毛嫌いしていたはずなのにである。

 

「何かお気に障りましたか? あなたはヤイバさんを嫌っていたと思うのですが」

「お前が愚弄したのはヤイバではなくこの私だ。利害が一致した程度の関係を“絆”などと言うような軽い人間、もしくは目の曇った人間と思われたことが癪に障る。同時に私とシズネの絆まで否定されては、私はお前にこの剣を向けねばならん」

「何を、おっしゃりたいの?」

 

 ラピスはナナの真意を図りかねていた。ナナたちを侮辱するようなことを言った覚えはない。ナナにヤイバのことを聞かれなければ力になれなかったことを謝ろうと思っていたのに、ラピスはナナを怒らせてしまったらしい。問い返すラピスの声はところどころ掠れていた。

 対するナナは愚弄されたと言う割には落ち着いていた。声も怒声とはほど遠い。

 

「くだらぬ嘘はよせ、ということだ。お前にとってヤイバは特別な存在だったのだろう?」

「そ……そんなことはありませんわ!」

 

 口では否定していてもラピスは動揺を隠せない。確かに嘘をついていたのだが、ラピスには過去に騙しきれなかった者は存在しない。初めての経験だった。

 

「どの口が物を言う? 今のお前は我々を全員救出して見せた名指揮官とはほど遠い。何だその腑抜けた面構えは? おまけに腰まで引けている。欠けてしまったのはヤイバのことでなく、お前の勇気ではないのか?」

「…………」

 

 見破られたのはなぜか。ナナの慧眼によるものだろうか? 否。今のラピスはオルコット家の現当主として立てないくらいに弱っている。

 ナナの言ったことは何一つ否定できない。ここで全員を救出してみせるというだけの自信はラピスにはない。そのための策は失敗に終わっていた。

 腑抜けた面構え。腰も引けている。それも当たり前だ。ラピスはナナたちに負けると宣告しに来たようなものだ。申し訳ない気持ちのまま堂々としていられるほど今のラピスは強くも図々しくもない。

 立ち向かえる根拠など何一つない。相手を倒せば終わりなどという簡単な問題じゃない。逃げれば良いということもない。必死に手に入れた力も今の状況をひっくり返せるものではなかった。

 

「では私は敵を迎撃しに向かう。ひとつ言っておくことがあるとするならば『足手まといが来ても戦いの邪魔だ』ということか」

 

 ナナは状況を理解して言っている。彼女の自信がどこから来ているのかラピスにはわからない。ただ、ナナはラピスのことを“足手まとい”扱いした。

 

「いいえ! わたくしも戦います!」

 

 反射的にラピスは食い下がる。もうチェルシーがやられるのを黙って見ていた自分とは違うのだと、自分に言い聞かせるために。

 しかしラピスの言葉はナナには届かなかった。ナナは小さい子供を相手にするようにラピスの頭を撫でながら優しく諭す。

 

「無理に怖い思いをする必要はない。お前の探している人も大人を呼んで解決してもらえばそれでいいだろう?」

 

 プレイヤーであるラピスは相手が福音でない限り危険はない。だというのにナナは戦うなと言ってきた。子供扱いしてきた。でも怖いのは事実だった。リンが巻き込まれたことがショックだったのは何もヤイバひとりだけの話ではない。目の前でチェルシーが喰われていった光景が蘇ってしまった。もしラピスがひとりで福音と遭遇したらと思うと、とても戦場には出られない。

 できることなら二度と関わりたくはない。家族のような存在であるチェルシーのことも誰かに助けてもらいたかった。オルコット家の当主にして代表候補生であるラピスは世間に対しての発言力は低くない。

 

 でも、助けを求める声は届かなかったのだ……

 ラピスは自分を抑えられなくなり、感情を爆発させる。

 

「誰がこんな荒唐無稽な話を信じるというのですかっ! 代表候補生アイドルの戯言としか思われませんでしたわ!」

 

 思い出せるのは自分を嘲る大人たちの汚い笑い声。誰もまともに取り合わず、世間は話題づくりとしてしか認識しない。どれだけ名前を知られていても、親身に協力してくれる人のひとりすら存在していなかった。

 

「ですからわたくしは、自分の手で解決しなければいけなかったのです! そのために、できることは何でもしました! 思えば本気だと思っていたことも“必死”ではなかったのです」

 

 長らく代表候補生としての力が不足しているとバカにされてきた。それでもBTを最も上手く扱えるプレイヤーは自分だという自負があった。井の中の蛙だ。BT適性という役に立つかもわからない領域の頂点で満足していた。その慢心の結果、チェルシーを失うことになった。以降、ISVS以外の何もかもを切り捨てて研究を重ねてきた。

 

「そうして手に入れた力もひとりでは役に立ちませんでした! 誰も頼れずに、ただ見ているだけの無力な日々でした!」

 

 練習を兼ねて一般プレイヤーの試合に混ざったりもした。弱小スフィアでランカーのいる強豪スフィアに勝ったこともあった。参加した試合は全勝。それらはラピスの手柄といっても間違いない。

 しかし、BTを誰よりも上手く扱えるようになってもなお、ラピスは戦闘に向いていなかった。誰かをサポートすることで真価を発揮するラピスの戦い方では協力者が必要不可欠だった。だが、ラピスが頼れる人間は限られている。ラピスのことを理解してくれるためには、同じ目的を持った人間が必要だった。

 

「そんなときに現れたのがあの人だったのです! 最初はもしかしてと思っただけでした! 近づいてみて、どのような人なのかを観察して、利用……しました」

 

 ヤイバ。初めて会ったときは意外と出来る男という印象しかなかった。うまく連れ出せたことで調子に乗り、調査できずにいた場所へ攻め込ませた。一方的に利用しただけだ。普通ならば愛想を尽かして去っていくくらいのことをラピスは意識して行っていた。なのに――

 

 

『君が見てくれていれば俺は無敵だから』

 

 

 などとヤイバは言った。彼をやる気にさせるためにラピスが言ったことをそのまま返された。彼はラピスがオルコット家当主とも代表候補生とも知らない。にもかかわらず、彼はラピスの目を信頼してくれたのだ。ラピスの胸の内に知らない感情が沸き起こった。

 

「そんなわたくしにあの人は頼れと言ってくださいました。わたくしがこの事件を追う上で唯一の頼れる人。あの人が――ヤイバさんが居てくだされば、わたくしは無敵になれます。ヤイバさんはわたくしにとって希望なのです! 今もその思いは変わっておりません!」

 

 ヤイバがラピスを頼もしく思っている以上に、ラピスもヤイバの存在を頼もしく思っていた。目的意識が合致しただけでない信頼関係があった。

 

「ですが……だからこそ今のあの人を見たくないのです。わたくしの一方的な期待であの人が傷つくのも、わたくしには耐えられません。わたくしは、今のあの人と同じ痛みを知っていますから……」

 

 今はその信頼関係のためにヤイバをまっすぐ見ることが出来ていない。ヤイバの家を逃げるように去ってから、ラピスは空回りしっぱなしだった。ひとりだけの力の無さを改めて実感した。

 

 ラピスの独白をナナたちは黙って聞いていた。そう、ナナ()()である。遠巻きにラピスの様子を窺っていた人たちもいつの間にか近くに集まってきていた。ラピスの困惑を余所にナナが手を叩いて聴衆の気を引く。

 

「さてと。シズネに強力なライバルが現れて楽しくなってきたところで恐縮だがそろそろ時間だ。ここに残った者は共に戦ってくれるということでいいな?」

 

 残った人数は104名中16名。これはナナが想定していた人数を上回っていた。全員がナナに対して「おおーっ!」と返事をする中、シズネだけは「ライバルってどういうことですか?」と首を傾げていた。

 ツムギの外はもうすぐ戦場となる。そこはツムギのメンバーにとって死地だ。だが、ラピスから見て彼らの顔には絶望が感じられない。

 

「また頼むぜ、指揮官さん?」

「君は君のために、オイラたちはオイラたちのために全力を尽くそう!」

「いやー、ラピスさんのファンになっちゃいました。頑張るのでよろしくっす!」

「俺はアンタを応援してるぜ! ……頼むから勝ってくれよ。じゃないとシズネさんが……」

「ここにいないヤイバとかいう奴なんてどうでもいい! この戦いが終わったら付き合ってください! え? それは死亡フラグだって? ですよねー」

 

 トモキを初めとするツムギのメンバーたちは次々とラピスに声をかけてから外へと飛び出していく。皆一様にラピスを認めてくれていた。オルコット家に生まれてこの方、純粋な利益とは無縁の信頼を初めて受け取ったラピスは戸惑いを隠せない。そんなラピスの肩にナナの手がポンと置かれる。

 

「もう私たちにとってお前は正体不明のプレイヤーではなく、誰かを助けるために必死なラピス個人だ。皆、お前という人間を知って、お前に命を預けることを良しとした。背負えとは言わん。だが、これだけは言わせてくれ」

 

 ナナは1回深呼吸を入れて落ち着いてから告げる。

 

「任せた」

 

 たった一言だった。その一言が嬉しかった。ナナとシズネも外へと飛び出していき、後にはラピスが残される。状況は何も好転していないが、ラピスはナナたちの期待に応えたかった。

 

単一仕様能力(ワンオフアビリティ)星霜真理(せいそうしんり)”を起動(ブート)。ブルー・ティアーズ、わたくしに情報を回しなさい」

 

 ラピスはISを展開するとすぐに単一仕様能力を起動する。コアネットワークを高速で検索して周囲にいる全てのISの情報を取得する能力だった。既に30機ほどのプレイヤーを確認でき、その数はまだ増えている。

 BTビットを展開。すぐさま連射する。それらはまだ狙いがあって放ったものではなく、敵とは関係のない方へと向かった。そして、戦場から離れる前に軌道を変える。次々と送り込まれるBTビットからのビームは消えることなくその数を増していき、戦場を駆けめぐる。

 

「どのようなプレイヤーが来るかは存じませんが、全てわたくしが叩き伏せて差し上げますわ!」

 

 ラピスにとって、いや、ISVSにおいて過去最大の長期戦が始まろうとしていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 宍戸に与えられた自習をこなした後、気づいたら宍戸はゲーセンからいなくなっていた。お礼を言うこともできず、協力を求めることもできなかった。宍戸ほどの実力者が味方してくれれば心強かったのだが、今は探している時間も惜しいということで俺はすぐに行動に移ったのだった。

 

 両膝に手を置いて肩で息をする。それもそのはずで俺は駅前のゲーセンから自宅まで全力で走って戻ってきていた。呼吸を整えて玄関にまで歩き、鍵を開ける。

 ……急がねえと。

 俺が家にまで戻ってきていた理由は、とある情報が欲しかったからだった。そうでなければゲーセンにいながら“策”を実行できたはずなのである。疲労困憊といった体に鞭打って自分の部屋へと急いだ。そして机の引き出しに入れてある1枚のカード状の紙を取り出す。そのカードは倉持技研と役職名、そして倉持彩華という名前が書かれた名刺である。俺が家にまで戻ってきた理由は、ここに書かれた連絡先を知ることにあった。早速番号を打ち込んで電話をかける。

 

『はいはい、こちらは彩華さんの携帯ですよっと。なるほど、コイツに連絡を入れてきたってことは君は“少年”か?』

 

 幸いなことにすぐに出てくれた。おまけに俺だと言うこともわかっていて出てくれたような気がする。

 

「えーと、その少年ってのが俺のことなのかわかりませんが、俺は織斑一夏です」

『君のことで合っているよ。なぜならば私が言葉を交わすような少年は君ひとりなのだからね。いやー、最近は年上の男としか話せないから新鮮なんだよ』

「あれ? けっこう上の役職だと思っていたんですが、部下の人も皆年上なんですか?」

『部署が部署だから、新入りもアラサーが普通だ。まだ私はにじゅ――と私の年齢などどうでもいいな。何か用があるのだろう? 言ってみてくれ』

 

 世間話もそこそこに電話越しの彩華さんは俺の話に耳を傾けてくれる。倉持技研の研究所の責任者だったはずなのだが、俺みたいな高校生の話を聞いてくれるのはなぜなんだろうか。いや、それこそ今はどうでもいいか。俺はこのコネを有効に利用しなければならないだけ。失敗は許されない。

 

「では――」

 

 俺はこれまでの経緯を全て話した。銀の福音が絡む集団昏睡事件のことも含めてだ。その解決のために力を貸して欲しいとお願いした。

 俺は考え得る限りの最善策を実行している。そんな俺が彩華さんに――倉持技研に要求しているのは企業、ひいては日本の国際的立場にまで影響を与えかねないことだった。世間には理解されにくいがISVSの本質はゲームなどではない。セシリアから聞いた情報どおりだとすると、ISVSは人類が手にするはずの無かった大規模なシミュレータだ。プレイヤーは知る由もないが、俺の推測では企業間で場所を取り合い、互いに監視していることだろう。現実ではできない危険な実験も行えてしまうのだから。

 

『ふむ……君が言っていることはただのゲームじゃない。一企業がISVSに介入することの意味を知っていて、我々に動けと言うのだな?』

「はい。俺には、いいえ、俺たちにはあなた方のバックアップが必要です」

『現実を舐めてはいけないよ、高校生。企業というものは営利組織だ。君のような子供の振りかざす正義では決して動きはしない』

 

 ダメ、だったか。でも俺にはどうすれば説得できるのか見当もつかない。彩華さんの言うとおり、俺は社会を知らない高校生だから、利益にならないから動けないと言われればそれで終わり。

 でもナナに大丈夫だとメールを送ったからには絶対に譲れない。

 

「子供だってのはわかってます! でも、俺は……誰かの危機を見過ごすような大人になんか絶対になってやらない!」

『少年、私を見くびってくれるな。誰もその“誰かの危機”に見て見ぬ振りをするなどとは言っていない』

「え?」

 

 てっきりダメだと思っていた。でももしかしたら最初から彩華さんは俺の言葉に乗ってくれる気だったのかもしれない。

 

『我々には我々の正義が存在する。君の言ったこととは少々違うが、君が悪と定義している存在は人間社会を脅かすものとして十分だ。大義名分も立つ。この倉持彩華がお爺様を脅しつけてでも協力すると約束しよう』

「彩華さん……」

『利益とは何も金銭だけの話ではない。最終的にはそうなるのだが、信頼こそが将来的に大きな利益となる。ここから先は大人の話だな。君は君なりの誠意を見せればいい。では準備があるので切らせてもらう』

「あ、ありがとうございます!」

 

 電話が切れた。直後に俺はガッツポーズを取る。全ての準備はこれで整ったことになる。

 あとは俺自身もナナたちの援護にかけつければいい。

 イスカを胸に俺は横になった。

 

 

***

 

 

 目の前が真っ白になった。

 しかしいつもの声が聞こえず、次第に見えてくる景色はまるでテレビのように他人事だった。ISを動かしている感覚は何もないのに空を飛んでいる。傍らには知らない女性が並んで飛んでいた。

 

『チェルシー、このようなことをしなくてもFMSはわたくしの有用性に理解を示していますわ』

『いいえ、お嬢様。それは慢心です。今でこそFMSはBTの開発に熱心ですが、いつまでも続く保証はありません』

 

 俺からラピスの声が出ている? いや、これは俺がラピスの意識を共有していると言った方がいいのかもしれない。これはラピスの記憶を覗いているのだと、漠然と理解した。

 ラピスの焦りのような感覚が伝わってくるが、必死にそれを隠そうともしている。チェルシーと呼んでいる女性の忠告を理解しながらも納得したくないようだ。

 

『今日は私も狙撃ではなく中距離用のライフルでお相手いたします。ですから一日でも早く戦闘の立ち回りを覚えましょう』

『戦闘など必要ないでしょう! BTは通信機器のさらなる発展のためのもので――』

『お嬢様。それはBTの価値であってお嬢様の価値ではございません。代表候補生という立場であるからにはモンドグロッソ出場を目指して精進しませんと』

『それはわかってますわ! いちいちうるさいですわね』

 

 ここに俺の知らないラピスがいた。嫌なことから目を背けている彼女は、俺の知る聡明な彼女とは違っている。一体、何があれば今の彼女が出来上がってしまうのだろうか。そう思っていると、視界の端にISがチラリと見えた。俺は気づいたのだがラピスは気づいていない。まっすぐにこちらに迫ってくる機体には――銀色の翼がついていた。今ならばわかる。銀の福音だ。

 

『お嬢様!』

 

 唐突に放たれたEN弾の群。ラピスが気づかないままに迫ってくる敵の攻撃に対してチェルシーという人は自分の体でラピスを守る。

 ラピスは何もできない。考えていない。混乱して、突然襲われた事実も飲み込めないまま、チェルシーさんが福音に立ち向かっていく。しかし明らかに慣れていない動きだったチェルシーさんは連続してシルバーベルを当てられて、ついには墜落していってしまう。そこでようやくラピスは理解が追いついていた。

 

『あなた、いきなり何をしますの!?』

 

 ラピスは福音に問いかけるが当然返答はない。福音はラピスを無視して、戦闘不能となったチェルシーさんを追い始めていた。慌ててラピスも追いかける。

 ……俺はこの先を見たくなかった。

 

『え……? チェルシー……?』

 

 福音に捕まえられたチェルシーさんはリンと同じ末路を辿っていた。

 

 

 そこで映像が途切れるように俺の視界は真っ白になる。そして、始まったのはいつもの問いかけ。

 

『今の世界は楽しい?』

「そんなわけがない! リンやチェルシーさんがこうなったまま放っておけるかよ!」

 

 即答する。福音の恐ろしさに目を背けたくなったが、もう立ち止まらない。俺にはやるべきことがある。きっとそれは俺だからこそできるんだ。ただの自信過剰じゃない。偶然にその位置にいるだけの話とはいえ、俺ほど福音に立ち向かうだけの理由がある男はいない。その理由こそが俺の武器だ。

 決意を改めて表明したところで、いつもの台詞に追加があった。

 

『欲しいんだよね? 君だけのオンリーワン』

 

 これは悪魔の囁きだろうか。ISVSにおいてオンリーワンと言われたら、俺が想像できるのは単一仕様能力しかない。

 

「欲しいさ。リンたちを助けられるなら何だって受け入れてやる!」

 

 返答なんてない。これはただ俺が独り言に勝手に反応してるだけ。そのはずだった。なのに、今回だけは違っていたんだ。

 

『ごめん、実は私が与えるまでもなく君はそれを手にしているんだ。“何だって受け入れてやる”。それこそが単一仕様能力(きみのちから)だよ』

 

 声の意味を考えている間に移り変わった視界には空と海が広がっていた。綺麗なものじゃない。大量のISが飛び交っている戦場だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『こちらトモキ。悪い、ちょっとドジって囲まれた。指示を求む』

「左後方の敵機はもう瀕死ですので強引に斬り抜けてください。その後、残った敵に追いかけられますが5カウントほど攻撃の回避をお願いします」

『了解』

 

 ラピスはトモキに指示を飛ばすと同時に他メンバーに通信をつなぐ。トモキに送った5カウント後、一斉に狙撃をさせるつもりだった。前線で暴れられるメンバーはトモキを含めて一握りしかいないが、他のメンバーも十分に活躍できる。活躍させることこそがラピスの役割とも言えた。

 

(戦闘開始から30分。やはり多勢に無勢ですわね。まだランカークラスの相手が来ていないためにナナさんやトモキさんといった強力なカードで抑えられていますが、これもいつまで保つかはわかりませんわ)

 

 ナナの戦闘の様子を確認する。やはり彼女は圧倒的な強さを見せつけていた。今度のプレイヤーたちの目的はツムギの制圧であるようで、ナナに群がっていることはない。しかし、プレイヤーの大多数は彼女の相手をせざるを得なかった。逃げても超スピードで追っかけてくるのだ。味方であれば頼もしい存在だが、もし敵に回せば鬼にしか見えないだろう。

 ラピスはナナに関してはノータッチだ。せいぜいが全体の戦況を伝える程度で戦術にまで口出しをしていない。というよりも必要がなかった。逆にラピスが戦術を与えると彼女の勢いが衰えてしまう可能性の方が高かった。

 

(誰も死なせてない。でも……)

 

 誰一人欠けることなく戦闘は進んでいく。しかし順調に事が運んでいてもラピスは時と共に不安が大きくなっていた。

 終わりが見えないのだ。いくら敵を倒しても、後から後からプレイヤーが入ってくる。この戦いには明確な勝利条件がない。戦闘終了条件は“ツムギが制圧されること”の1点であり、プレイヤーにとってミッションの敗北が存在していない。もはやゲームの体裁すら保てていなかった。

 

(ミューレイ、いえ、敵と言った方がいいでしょう。敵は手段を選んでいない。やはりツムギとナナさんは敵にとって無視できない何かがありますわね。ナナさん本人には自覚がないのでしょうが)

 

 ツムギは福音と無関係と一度は判断したが、現状を考えるとツムギは問題のど真ん中にあるとしか思えなかった。ミューレイから出された敗北条件のないミッションがラピスを問題の核心に近づけていく。

 

『ラピス! “奴”が現れた! どうして教えてくれない!』

 

 唐突にナナから通信が来て思考が遮られる。考えている間、ラピスは索敵を怠っていたわけではなかったため、ラピスにはナナが何を言っているのかすぐには理解できなかった。

 

「どうされました? 強敵でも現れましたか?」

 

 聞きながらナナの周囲にいるプレイヤーをチェックするが、ランカーに該当する装備のプレイヤーは見受けられない。“夕暮れの風”のような有名プレイヤーでもない。ナナが苦戦する理由はないはずだ。

 

『“奴”だと言っているだろう! “奴”がリンを襲った敵のはずだ!』

 

 リンを襲った敵。つまり、ラピスが追っている福音と同じもの。だがブルー・ティアーズが伝えてくる情報の中に、福音と同じ装備の存在はない。

 ここでラピスはナナの視界を借りる。ナナの目を通して見た機体は紛れもなく銀の福音だった。銀の翼を広げて光の球をばらまき、ナナを襲ってきている。

 

(なぜ? まさかこの福音は――ISではない!?)

 

 なぜブルー・ティアーズの眼に映らないのか。ISはコアネットワークに繋がっていなければ起動しない。そしてどんなプロテクトがあろうともブルー・ティアーズの単一仕様能力は情報を覗き見ることができる。もっとも、視覚や聴覚といった機能への進入は相手にもバレるため諜報には向いていないのだが今はそんなことは関係ない。ISがこの眼から逃れられることは絶対にあり得ないということが重要である。

 ナナの視界に映る福音の位置に存在するISはないとブルー・ティアーズは言っている。完全に位置を隠せる単一仕様能力である可能性もあったが、ラピスの考えは福音がISでない可能性でまとまりつつあった。

 

「ナナさん! それは間違いなく強敵です! 決して他の方と戦わせてはなりません!」

『わかっている。雨月の避け方が素人じゃない。私はこれとの戦闘に集中しなくてはならないようだな。皆のことは任せたぞ』

「はい。お気をつけて」

 

 福音の登場でバランスは一気に崩壊した。ナナと福音の一騎打ちが始まり、プレイヤーの多くがツムギに向けて移動を始めている。残された戦力で抑えられる時間は微々たるものだろうことはやる前からわかっていた。

 ラピスの指示を以てしても戦況は覆らない。戦闘の補助でツムギのメンバーに実力以上の戦果を挙げさせるラピスだったが、元々の実力に上乗せしてるだけであって、全員がヴァルキリーになるわけでもない。加えて誰も死なせないための慎重策を取るしかなく、戦線は後退して本拠地の目と鼻の先にまでプレイヤーが迫ってきていた。

 

 悪い状況には悪いことが重なるもので。

 

『ラピスさん! ナナちゃんが!』

 

 シズネから伝えられるのはナナが押されているという情報だった。慌ててナナの視界を借りると、光の異形と化していた福音の姿が目の前にある。ラピスの目で追っていけない速度で斬り合う両者だったが、ナナは斬り結ぶ度に一方的に翼からの射撃を受けてしまっていた。このままではナナも危うい。かといって今ナナの方へと割ける戦力など――

 

 自分しかいない。

 

「わたくしがナナさんの支援に向かいます」

 

 やれるかどうか確証がないまま、ラピスはスターライトmkⅢを片手に飛び出していた。BTビットからの射撃のみでは支援にすらならない。ISが近くにいることで福音の注意を少しでも分散させるしか方法が思いつかなかった。

 レベルが違うことくらいはわかっている。いくら練習しても一流にはなれなかった経験が行くだけ無駄だと、後方で指示を出すことが一番貢献できるのだと訴えてきていた。でもラピスはその足を止めなかった。

 

「福音! 今日こそ、チェルシーを返していただきますわ!」

 

 ナナと福音が戦っている場所へと駆けつける。スターライトmkⅢの銃口を福音に向けて、大声でラピスは叫んでいた。お前の敵はここだとわざわざ伝えるように。ラピスの向ける銃口はどこを狙っているのかわからないくらいに揺れていた。震えていた。PICで補正されるはずのものが機能していないくらいに恐怖が前面に出てきてしまっている。

 

「バカ! なぜやってきた!? くっ――!」

 

 失敗だったのは福音よりもナナの気を引いてしまったこと。気を取られたナナは福音の蹴りを受けて突き飛ばされてしまう。そして福音はナナに追撃を加えることはなく、ラピスの方へ顔を向けていた。

 

「ひっ!?」

 

 ひきつった声を出してトリガーを引いた。スターライトmkⅢから放たれたビームは福音に向かって飛ばなかったがラピスにとってそれは関係のないこと。ただちに軌道を修正して福音に直撃させる。だが、ビームは福音の光の翼によって阻まれてしまった。いくら避けられても当たるまで追わせることはできるが、かき消されてしまってはどうしようもない。

 反射的に後ろに飛ぶ。ラピスの最後の抵抗とも言える行動だったが福音にとっては誤差の範囲でしかない移動距離。イグニッションブーストの1回で福音はラピスの目の前にまで来ていた。すかさず両手のENブレードが振られてスターライトmkⅢが破壊され、本体にも一撃を加えられてしまう。

 

「あああ……」

 

 絶対防御の発動。ストックエネルギーの減少が発生。この数値がゼロになれば、ラピスもチェルシーやリンと同じ道を辿る。現実に帰れない時点で、ましてや意識が存在できるのかわからない時点で、死の宣告が近づいているも同然だった。

 福音が口を開いていた。不気味に並ぶ牙は全て金属でできているのだが、猛獣のものと何も変わらないように見えた。もうこの中に入ってしまうのも時間の問題だった。この至近距離ではラピスはどう足掻いても生き残れない。

 

 

 ――走馬燈とでも言うのだろうか。この極限状態でラピスは不思議な光景を目にしていた。普通ならば走馬燈は本人の過去を映すもの。だというのにラピスは自分が知らない光景を目にしていた。

 

 知らない学校。統一されている服装の生徒たち。

 多くの生徒たちがそれぞれ楽しそうに笑っているのを眺めている自分。

 そんな自分に声をかけてくるのはラピスも知っている人物だった。

 

 鈴だ。

 

 雨の降りしきる中、鈴を追いかけていた。

 知らない人に聞いて回り、必死に情報を集めていた。

 ただ、鈴と離れたくないという思いを糧にして。

 そうして“あの人”は今を勝ち取ったのだ。

 

 だからこそ、福音を放置できない。

 “あの人”の思いがラピスにもよく伝わった。ラピスも同じ思いだ。

 人の名前こそ違えど、この戦いに赴いた目的は同じなのだ。

 

『鈴を――』

「チェルシーを――」

 

 “あの人”の声と重なった。

 

 

『返せ!!』

 

 

 その瞬間、ラピスの中に暖かいものが入ってきた。正体はわからない。

 だが不思議と力が沸いてきていた。

 

 目を開く。目の前には相変わらず光の化け物がいる。手の平から生えているENブレードを振りかざして今にもラピスを攻撃しようとしている。

 怖くない。今のラピスには“福音が腕を振り上げる動作”が見えている。めまぐるしく変わるISの近接戦闘についていけていないはずのラピスの目は、今だけは違っていた。振り下ろされるENブレードに対して、ラピスは今まで一度も拡張領域から出したことのない装備を展開させて迎撃を試みる。ENショートブレード“インターセプター”。念のためにとチェルシーが載せていた構成をそのまま使っていたために拡張領域に存在した本来ラピスに必要でないものだ。

 ラピスは近接武器を呼べない。扱うのが下手以前になぜか呼び出せない。極度の苦手意識が拒絶していたのだ。でも今は自分の手であるかのように扱えている。福音の高速の剣戟を軽くいなしてみせ、ラピスは福音から距離を取った。

 

 自分の体が自分のものではないように動く。剣の扱い方など全くわからないのに何年も振るってきたように扱えている。自分の目ではないように福音の動きを追えていた。そして――福音からイグニッションブーストで逃げた。ただの一度もイグニッションブーストは使ったことがなかったのに、当たり前のように使えた。

 

 なぜかというのはおかしかったかもしれない。ラピスは理解している。

 今、ラピスを生かした“経験”と“技術”はラピスのものではない。

 

「遅くなってゴメン! って、福音がいるじゃないか! よく耐えたな、ラピス」

「本当に……遅刻も度が過ぎると嫌われますわよ、ヤイバさん」

 

 上空から降りてくるのはヤイバだった。彼の中で何か整理がついたのか、織斑家で別れたときとは目つきから違っている。

 ラピスが行ったものは全てヤイバの技術。なぜ自分がそんなことを行えるのか。ラピスは噂でしか聞いていないある事柄が起きたのだと解釈した。でもそんな分析は後回しだ。今は福音を倒すことが重要である。

 

「あれ? 俺ってもう嫌われてると思ったんだけど?」

「本気でそう仰っているのでしたら、頭をかち割ってハンドミキサーでシェイクして差し上げますわ」

「わー、こわいこわい。……不甲斐ない俺でごめんな」

 

 唐突にヤイバは声のトーンを落とす。ラピスに謝る姿は、今のラピスが見たい姿ではない。また叱りつけるべきかと思ったラピスだったが、今は逆方向からアプローチすることにした。

 

「では頼もしいヤイバさんを見せてくださいな?」

 

 これは心の底から思っていることだ。自分でヤイバの戦闘を体感してみてヤイバの力は理解している。技術もそうだが、福音の恐ろしさを知ってもなお立ち向かうという気力こそが頼もしい。ヤイバならば最後まで隣で戦ってくれると確信できた。

 ラピスの言葉で顔を引き締めたヤイバは雪片弐型を構えてラピスの前に立つ。

 

「わかった。俺の頼もしい背中を見せてやる。だから、ラピス。君の力で俺を“無敵の刃”にしてくれ」

「もちろんですわ。期待してましてよ」

 

 福音が動く。同時にヤイバは駆けだした。ナナをも圧倒した福音にヤイバひとりが立ち向かう。

 いや、ひとりではない。他ならぬラピスが見ているのだ。ヤイバひとりでは負ける相手でも、ふたりならば勝てる。

 

 無敵の刃の一刀は福音の胴体に届いた。


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