Illusional Space   作:ジベた

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11 途絶えた音

 ツムギの拠点はプレイヤーたちの集まるドームと同じくらいの大きさをしている。構造もとても似ていて、個室の並ぶ廊下を抜けた先にはロビーと同じくらいの空間が用意されていた。中央にはこれまた同じように転送ゲートが設置されている。ただし現在は稼働していない。いや、稼働させてはいけないものである。

 

「確かに作動していないのだな、クー?」

 

 起動していない転送ゲートを前にして、ナナは隣に連れてきていたクーに尋ねた。共に来ているシズネもクーの言葉を待っている。クーは相も変わらずその目を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「アクセスしてみましたが転送ゲートを起動した形跡はありません。アカルギのゲートを含め、この基地近辺にあるゲートは全て使用不能の状態です」

「そうか。ならば良い」

 

 ナナがクーにゲートの状況を確認させたのは、敵がやってくる道がどこかにある可能性を危惧してのことだ。今日、ツムギの本拠地にヤイバが現れた。ラピスがアカルギにやってきたときとは話が違う。たどり着いたのではなく出現したのだから。

 ナナは念を入れて可能性を潰すためにクーに確認する。

 

「ラピスからもらったこの携帯がゲートの出口となる可能性は?」

「ゲートとしての機能はありません。そもそもゲートは指定した座標に物体を送るものであり、特別な出口を必要としていません。また、人の転送はゲーム内限定機能であり現実のISであるラピスラズリの専用機の装備で同様の機能を持たせることは不可能と判断します。ゲーム内においてもプレイヤーまたは非生命体専用といえるものであり、このゲートをナナさまやシズさんが使用すれば、転送先で精神を再構成できる確率は1%未満という危険な代物です」

「ラピスの携帯を持っていることで考えられる問題は?」

「位置情報を知られている可能性が97%です。もっとも、ツムギ内部に直接ゲートの転送先を開くことは無理ですのでヤイバお兄ちゃんのケースは当てはまりません」

 

 クー曰く、確率の具体的な数字に根拠はない。気分次第で上下するとのことだ。言い換えるとまず間違いなくナナの現在位置を知られているということになる。しかしそれは折り込み済みであり、問題視するのはやめにしている。

 

「では訊き方を変えよう。ヤイバがツムギ内部に直接やって来た方法は何だ?」

 

 ナナは厳しい顔を崩さない。今の自分たちにこの世界の基本的な知識を与えたAIならば、システム面の問題は答えてくれるはずだった。しかし、クーは顔を伏せる。その期待には応えられないと仕草が物語っていた。

 

「不明です。考えられる可能性はログイン時におけるバグの発生によるスタート地点座標のズレです。しかしながら、これまでに同じ現象は一切確認されていません。また、ヤイバお兄ちゃんは過去数度にわたり、同じバグを経験しているものと思われます」

「バグ……か。それが他のプレイヤーに起きる可能性は?」

「原因が特定できない限りは断言できませんが、現状ではヤイバお兄ちゃんがイレギュラー的存在である可能性の方が高いです。ナナさまが心配されているような、敵の奇襲につながる可能性は今のところ考えなくても良いかと考えます」

 

 またもやわからないことが増え、ナナは頭を抱えた。思い返せばヤイバと遭遇してから周りの状況が次々と変わっている。停滞していた頃と比べれば良い傾向であるが、まだ先行きが不透明なことには変わらないため気が休まることはなかった。

 とりあえずナナがクーに確認することは終わった。そこへシズネが無言で挙手をする。ナナもクーもシズネの発言に静かに耳を傾けた。

 

「クーちゃんがヤイバくんのことを“ヤイバお兄ちゃん”と呼んでいるのはヤイバくんの趣味ですか?」

 

 ナナは盛大にすっ転んだ。

 

「ふざけてる場合かっ!」

「ナナちゃん、私は至って真面目です。場合によってはヤイバくんの前では妹キャラを演じる必要が出てきますので」

「ないから! そんな必要はないから!」

「嫉妬はいりません。心配しなくても私はナナちゃん第一です。……ナナお姉ちゃん第一です」

「どうして言い直した!? やめてくれ! 同級生にお姉ちゃんなんて呼ばれたくない!」

「すみませんでした、ナナお姉さま」

「それはもっと違う何かだーっ!」

 

 ナナが叫び倒したところで、クーがくいくいとシズネの裾を引っ張る。

 

「私が勝手に呼んでいるだけです。シズさんは今まで通りでいいと思われます」

「わかってますよ、クーちゃん。もともとナナちゃんの愉快な反応が見たいだけでしたからこれでいいんです」

「シズネェ……そろそろ私は怒っていいか?」

 

 肩で息をしていたナナがゆらりとシズネに詰め寄る。シズネは特に表情を変えることなくナナと向き合った。

 

「ナナちゃんはひとりで気を張りすぎです。今のナナちゃんの想定くらい私も確認していましたし、ツムギのメンバーも警戒してくれていますから。もっと皆を頼ってください。戦闘以外ではもっと気を抜けってことですね」

「む……そのとおりだ」

 

 唐突にシズネは真面目になる。不思議とこのタイミングでのシズネの言葉はナナの心に深く入ってくるのだった。こうしてナナはいつもシズネに振り回されている。それがナナにとっては心地よかった。

 しかし今日のナナはいつも通りで終わらない。今日得た手札の効果を今のうちに知っておくべきだと判断したナナは不意打ち目的でシズネにカードを切る。

 

「ところでシズネ。ヤイバのことで訊きたいことがある」

「ヤイバくんのことですか? 私よりも本人に直接聞いた方が――」

「お前はヤイバのことが好きなのか?」

「好きですよ。それがどうかしましたか?」

 

 シズネを赤面させてやろうというナナの試みは呆気なく空振ってしまう。だからこそナナはこう考えた。シズネは好きの意味を勘違いしてるのではないかと。単刀直入に聞くにはどのような言葉を使えばいいか考えた末にナナはこう切り出した。

 

「ではヤイバがシズネの王子様なのだな」

 

 決まり手だとナナは内心でガッツポーズを取る。シズネが顎に手を当てて考え込み始めた。普段の仕返しをするために畳みかけようと次の言葉を用意するナナ。しかしその準備は無駄に終わる。

 

「そうだったんですね! やっとしっくり来ました! ありがとうございます、ナナちゃん!」

「え? ええ?」

 

 シズネはナナとクーの手を握って上下にブンブンと振り始めた。あーうーとシズネの動きについていけないクーが呻く中、ナナはシズネの意外な反応に困惑するばかりである。

 

「この温かさがナナちゃんの希望なのですか。これで私もナナちゃんとお揃いですね?」

「……そうか。シズネは嬉しいのだな」

「はい、もちろんです」

 

 表情が変わらないながらも楽しげなシズネをナナは複雑な面もちで見つめていた。シズネが言う“ナナの希望”にどれだけの価値があるのか、ナナは見失っている。シズネの言うようにお揃いだとは思えなかったのだ。なぜならば“シズネの希望”はナナの幻想と違い、自分たちに光をもたらすであろうことが実感できる存在だからである。

 

 浮かない顔のナナ。ポーカーフェイスのまま拳でガッツポーズをとるシズネ。2人の顔を見回して首を傾げているクー。第三者が見たら状況が全く掴めないであろう場所へと近づく男がいた。茶髪のツンツン頭、トモキである。

 

「ナナーっ! ってどうした? 何かあったのか?」

 

 トモキの登場にナナは慌てて笑みを作る。駆け寄ってくるトモキに体を向けながらも横目でシズネに自分の不安を悟られていないかチラチラと気にしていた。そのシズネはトモキに注意を向けている。

 

「トモキくんがナナちゃんに『トモキお兄ちゃん』と呼ばれたらどんな反応をするのだろうかと3人で話していました」

「マジで!? なんでそんな話になったのか見当が付かねえよ!」

「呼んで欲しいのか、トモキ?」

「う、あ、いや……俺はお前の兄貴になりたいわけじゃない!」

 

 しどろもどろになりつつもトモキは何かを振り払うように首を振りながら拒絶した。

 

「作戦は失敗ですね。兄という存在でいいなどと言ってもらえれば、ナナちゃんの王子様の座を自分から諦めたことになったのですが……残念です」

「なんで罠張ってんだよ、仲間だろォ! 精神的に俺を追い込んで楽しいわけ?」

「はい。精神的に弱い人ならばナナちゃんの母性溢れるおっぱいを舐めるような視線で見たりはしないはずですから遠慮は要りませんよね」

「舐めるようにってどんなだよ!? ただ俺はデケェなぁと」

「トモキくんにとってナナちゃんのおっぱいはその程度の価値しかないのですかっ!」

「いや、そんなことはない! 俺の手に収まるかなぁとか顔を埋めたら気持ちよさそうだなぁとか会う度に妄想して――あだっ!?」

 

 とりあえずナナは2人の頭を殴りつけることで黙らせる。いつも通りにトモキがシズネに振り回されているがトモキに弁解の余地はなかった。

 頭を押さえている2人を横目にナナは黙り込んでいるクーに近寄っていた。今のクーは両手を額に当てるポーズをとっている。これは頭痛でも額からビームを出すわけでもなく、彼女が何かの情報を拾っている時の仕草だった。クーはプレイヤーでも、ましてやナナたちとも違う存在であった。

 

「クー、何かあったか?」

 

 ナナの質問にはクーでなくシズネと話していたはずのトモキが答える。

 

「そうだった。カグラからの伝言。アカルギが“仲間”の情報をキャッチしたそうだ」

「そんな大事なことは早く言ってください、トモキくん」

「言えなかったのは誰のせいだと思ってやがるんだ!?」

 

 “仲間”。顔も知らない同じ境遇の人間のことだ。すでにシズネの掲げた目標は達成できていても、ナナには見捨てる理由がない。

 

「クー。詳細を」

「もう少しお待ちください。現在、コア・ネットワークに接続して検索中です」

 

 ナナたち3人はクーのもたらす情報を待つ。場合によってはすぐにでもメールを送ることになるはずだった。自分たちの希望に……。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 火曜日。俺がISVSを始めてから1週間が経過したことになる。たった1週間であったが、もうISVSについて何も知らなかった俺ではない。弾たちの話についていけるだけの知識はついたし、技術も身についてきた。なにより俺の行動は箒を取り戻すための道に続いているという確信がある。

 もう何もできない俺じゃない。箒を助け出す。()()助け出すんだっ!

 

「うーっす、一夏。今日は1人か?」

 

 登校中、俺は弾に出くわした。相も変わらず赤っぽいロン毛のこの男はいつになったら宍戸に目を付けられるのだろうか。見た目だけなら弾の方が問題児だろうに。やはり中身が優等生だからか。

 

「1人だと変なのかよ。別に鈴と一緒に住んでるわけじゃないんだし、待ち合わせてもない」

「そりゃそうだが、なんとなく今日も鈴が一緒のような気がしてたんだよ。昨日がアレだったからな」

 

 昨日……そういえば俺は昨日の蒼天騎士団との試合の直後にゲーセンを飛び出していったんだっけ。あの後、シズネさんたちと話してどうでもよくなってたから忘れていた。

 

「あ、あのさ、弾……昨日は悪かった」

「別に気にしてる奴なんて1人もいやしないぜ? 負けて悔しいのは当然だし、悔しいと思えるからこそ本気になれてるわけだ。でもって本気になれるからこそ面白い。何も悪くなんかねえよ。お前が自分から潰れたりしなけりゃそれでいいんだ」

 

 やばい、涙が出そう。テキトーさが目立つ弾だけど、だからこそ失敗したときにも寛容であれるんだろうな。振り返ってみれば、中学時代からずっとこのテキトーさに救われてる気がする。

 

「そんなことより、一夏。大事な話がある」

「改まってどうした?」

 

 テキトーな男、五反田弾がここまで真面目な顔つきになるのは珍しいことだ。熱の入ったISVSの説明のときともまた違う。先ほどの弾の言葉に感動を覚えたため、自然と俺は次の言葉を待つ体勢ができていた。

 

「お前に金髪美女の知り合いがいるってのは本当か!?」

 

 なんと言うか、いろいろと台無しである。弾が無駄にテンションを上げているのが癪に障った。そういえば弾は鈴に反応を示さないだけで基本的に女好きだった。そして弾の言う金髪美女には心当たりしかない。

 

「まあ、いるけど」

 

 それがどうしたという体裁で答えてみた。しかしどうやら逆効果であったらしい。弾は俺の肩を掴んで揺さぶってくる。

 

「何を平然と答えてやがる! この日本の、地元に根を張るが売りの私立高校に通う俺たちのような平凡な高校生がどうしてそんな金髪美女とお知り合いになれるってんだ!」

「そういえばグローバル化とは真逆の思想だったっけ。英語が苦手な俺としてはその方が都合がいい」

「それだよそれ! 英語ができないのになぜお前のような奴が!」

「いや、俺ができなくても向こうが日本語上手だし」

「なんて都合のいい! 今日ばかりは俺も幸村たちの気持ちが理解できる! 羨ましすぎるだろ!」

 

 弾が壊れるのも珍しかった。それだけ金髪美女に憧れが大きかったんだろうか。気持ちは俺もわからんでもないかな。ただ、セシリアと関わるのはそれなりに覚悟がいると思うぞ。

 

 俺と弾は取っ組み合いつつ藍越学園までの道を歩いていた。前も見ずに歩いていると俺は前にいた誰かにぶつかってしまう。幸いなことにどちらも倒れはしなかった。俺は相手の顔を良く見る前に謝罪する。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました。ほら、弾も謝れって」

 

 いつもなら(妹で慣れているために)俺よりも早く謝ってそうな弾だがなぜか固まってしまっていた。そういえば相手の人も一言も声を発していない。俺は相手の人を確認する。メガネをかけた知的そうな女性が立っていた。服装から高校生だとわかるが藍越学園のものではない。女性はぶつかった本人である俺のことなど気にもせず、弾ばかりを注視している。否、蔑視している。

 

「金髪でも美女でもなくて申し訳ありませんね」

「い、いや、これはですね!? 男がロマンを語っただけであって、現実に金髪美女が一番良いと言っているわけでなく――」

「今日まで本当に楽しかった。でもロマンを感じられない私のような存在が弾さんの側にいるのはおかしかったみたいです。どうかお元気で」

「ま、待ってくれっ! (うつほ)さーんっ! あなた以上の美女はいませーんっ!」

 

 俺の知らない弾がそこにいた。弾が虚と呼んだ女性は走り去っていき、弾が慌てて追いかけていく。走ってる弾が引き離されていくくらい女性の足は速かった。これは弾は遅刻だろうな。1限は……ちっ、英語じゃない!

 後に残されたのは俺1人だけ。弾のことは自分でなんとかするだろうと置いといて俺は俺で学校への道に戻った。話し相手がいなく、考え事をせざるを得ない。今後のISVSについて考えたいところだったが、今日は雑念が混ざってしまっていた。

 

 弾の奴……彼女いたんだ。

 

 

***

 

「よっ、一夏! 今日は平和な登校でなにより」

「むしろ殺伐とした登校ってなんだよ……」

 

 教室につくと早速数馬に声をかけられた。俺は昨日の惨状を思い出しては深く考えないようにしようと逃避を繰り返す。席に着いてからも昨日の『もげろ』と言ってくるクラスメイトの顔が脳裏を過ぎり、その度に首を振ってかき消していると俺の席にまで数馬がやってきた。何か話したいことがあるらしく、それには心当たりがある。

 

「一夏っていつの間に金髪美女と知り合ったん?」

「さっき弾にも聞かれたよ……」

 

 そういえばさっきは誰から聞いたかは確認しなかったな。知り合いレベルの認識なら店長が漏らしたわけじゃない。じゃあ、鈴か? 理由がないか。

 

「ちなみにどこ情報だ?」

「ゲーセン連中が土曜日に一夏が金髪美女を連れ歩いてたって言ってた。蒼天騎士団のマシューが言うにはその金髪美女はあのセシリア・オルコットらしいけど、それって本当なん?」

 

 やはり目立ってたか。しかしそこまでバレてても暴露しない店長の口の堅さは尊敬に値する。既に弾にも認めちまってるし、はぐらかす必要はないかな。

 

「本当だ。土曜日に駅で会って、道案内をしてるうちに親しくなった」

「なるほど。やはり運とイケメンの2つを兼ね備えている一夏ならではってことか」

「ははは。そういうことにしとくよ」

「俺以外にそんなこと言うなよ。幸村辺りが聞いたら容赦ない拳が飛んでくるぜ」

 

 幸村が殴ってくるだと!? ISVSでは逃げることしかしない男がリアルファイトを仕掛けてくるなんて想像できない。

 

「でさ、一夏。セシリア・オルコットといえばモデルとしての評価は高かったけどIS操縦者としては残念な子扱いされてたことで有名なんだ。ついたあだ名が“ちょろいさん”。それってどこまでが本当?」

 

 数馬がメガネの位置を直しながら聞いてきたことは初耳だった。そういえばセシリアは専用機を持ってるとか言ってたっけ。当然、IS業界では有名人だってことになる。だが、俺の知ってるセシリアとは全く違うな。

 

「セシリアが残念? 冗談は止してくれ。昨日の試合の相手がマシューって奴じゃなくてセシリアだったら、俺たちは0対10のパーフェクトゲームで全滅コースだぞ。“ちょろいさん”だと? むしろ『ちょろいですわ!』とか言われてボッコボコにされそうだ」

「一夏もそう言うんだねぇ。マシューがセシリア・オルコットを神聖視してたからちょっと気になってたんだ」

 

 そういえば蒼天騎士団はツムギと戦う際にセシリアの相手をしているんだったな。一体、どんな心地がしていたのやら。あの6本の浮いた刀を振り回してくる奴も、俺に一太刀も浴びせられなくて困惑していたことだろう。軽く自信喪失しててもおかしくない。

 

「それにしても一夏はいつセシリア・オルコットとISVSやったん?」

「あ……」

 

 土曜日に知り合った設定にした。日曜日は一日みんなとゲーセン。月曜日は学校+蒼天騎士団との試合。俺はセシリアと知り合ってすぐにゲーセンで遊んだことになる。

 

「まあ、その、なんだ。セシリアがゲーセンに行きたがってたからそのときにな――」

「ふーん、やっぱ一夏は行動力あると思うよ。俺だったらきっと案内だけしてそれで終わっちゃうだろうし」

「変か?」

「いいや。美点だね」

 

 深く突っ込まれなかった。場合によっては俺が家からもISVSやってることがバレてただろうに。そう思うと助かった。高校生が用意するには高額な代物が我が家にはあるわけで、十中八九溜まり場にされる。俺の家に来てプレイするとなったら、福音捜索に支障がでるだろうからな。それだけは避けなければならない。

 

 

***

 

 弾の奴が2限目の途中で教室に入ってきたこと以外はいつもと同じ平日だった。まだ火曜日だというのに疲労困憊で今にも倒れそうだった弾を遅刻で咎めたり笑う者はなく、放課後となった今も俺の後ろの席で机に突っ伏している。

 

「おい、弾。結局保健室にも行かずにいたけど大丈夫なのか?」

「そうよ。病気ってわけじゃないにしても今日のアンタは変よ? 家まで送っていこっか? 数馬が」

「俺なん? 別に構わないけど、勝手に使わないでくれない?」

 

 俺が弾に声をかけると鈴と数馬も寄ってきた。すると弾はようやく重い動作で顔を上げる。眉間に皺が寄っていて顔色は青く苦しんでいるように見える。この場で聞いてしまうのは良くないのかもしれないが、最悪のケースを想像してしまった俺は真実を確認せざるを得ない。

 

「もしかして弾……フラれたのか?」

「そんなわけがないだろうっ!」

 

 唐突に弾が席から飛び上がった。青い顔は消え失せ、ISVSについて語るときのように熱くなっている。

 

「いいか! 朝のは虚さんが純粋な人だから冗談を冗談として受け取ってくれなかっただけだ! ちゃんと話せば俺たちは相思相愛なんだよ! 結局追いつけなかった俺はあの後、虚さんの通う高校にまで走って校庭から校舎に向かって愛を叫ぶ羽目になったけどな!」

 

 しまったな。俺も追いかけて見なければいけなかった。そんな面白い弾はこの先見られるかどうかわかったもんじゃない。しかし、俺は朝のやりとりを見てるからいいとして、鈴と数馬は話についていけているのか?

 

「あー、はいはい。徹夜でゲームしてたのねー。でもそろそろ現実に帰ってきなさーい」

「冗談はディスプレイの中だけにしてくれよ。脳内彼女乙」

 

 2人は揃って怪訝そうな顔をしている。まあ、実物を見てないとそうなるわな。俺だってそうだし。

 

「ちげえよ! 俺はゲームはISVS一筋だっての!」

「という建前にしておかないと法的にアウトだってことだよな、16歳」

「一夏、お前まで……」

 

 弾が膝をついてしまった。流石にからかい過ぎたのでフォローする側に回ろう。虚さんという人が弾の彼女である前提で話を進めることにする。

 

「冗談は置いといてだ。いつから付き合ってるんだ?」

「もうすぐ1ヶ月ってところだ。思えば出会ってからすぐのことだったな」

 

 弾は気を取り直すのが早く、すっくと立ち上がって話してくれる。もともと隠す気は無かったようだが、言い出しにくかったんだろう。

 

「へー、弾がねぇ。どこで出会ったの?」

 

 鈴の質問は当然出てくるもの。鈴が聞かなければ俺が聞いていただろう。だが、まさか――

 

「いつものゲーセンだ」

 

 そんな場所だとは思ってなかった。いや、考えてみればISVSバカと言える弾の出会いの場所なんてそこ以外は無いのかもな。そうなると弾の彼女はISVSプレイヤーなのか。

 

「ってことは弾のことだからISVSを手取り足取り教えたん?」

「いいや。人を捜してただけだったからISVSを一緒にやったわけじゃない。でもって俺も捜すのを手伝ってたんだけど、流れで連絡先を交換したりしてな」

「意外ね。弾のことだから誘ったりしたんじゃないかと思ってた」

「あのな……俺は一夏すら強引に誘ったことは無いっての」

「で、進展は聞いていいの?」

「言わねえよ。細かいことまでお前らに言う必要なんてない」

 

 確かにそうだ。

 

 弾の彼女についての追求はとりあえずお開きとなった。弾が土曜日だけゲーセンに姿を見せない謎はほぼ解けたと言っても過言ではないだろう。俺たちは鞄をかついで教室を出て、玄関へと向かう。

 

「今日はどうするん? 昨日の憂さ晴らしに何かやる?」

 

 階段を下りていると数馬が全員に聞いてくる。弾と鈴の反応を窺ってみるが、2人とも考えているため俺から答えることにする。

 

「悪いけど今日はパス。まっすぐ帰るつもりだ」

「あたしもパス」

「俺もやめとくか。虚さんのフォローしといた方が良さそうだし」

 

 俺が答えた直後に鈴も行かないと告げる。2人続けて行かないと来たら、やはり弾も行かない方向で決めたようだ。こうなると数馬も行かないのだと思っていたが、今日の数馬は一味違っていた。

 

「そっか。残念だけど仕方ないや。俺だけででも練習するよ。みんなの足を引っ張りたくないからさ」

 

 玄関について最初に靴を履き替えた数馬は俺たちが靴を替える時間を待つことなく扉をくぐっていく。俺はその後ろ姿に手を伸ばした。

 

「待て、数馬!」

「ん? どしたん、一夏?」

 

 呼び止めたのは反射的な行動だった。当然その後に言葉は続かない。左手に靴を持ったまま、俺は固まってしまう。

 言いたいことはある。でも何て言えばいい? 昨日負けたのは数馬だけのせいじゃない。言うのは簡単だけど、敗北のトリガーとなったのは数馬の撃墜だ。俺よりも責任を感じる立場にいる数馬に俺がどう声をかける? どうでもいいことでくよくよしていた俺がかけるべき言葉が見つからない。数馬は先を見据えて、これからも楽しむために上達しようとしているのだから、俺が言えることなんてないのではないだろうか。

 

「一夏は『昨日のことは気にするな』って言いたいのよ」

 

 何も言えないでいる俺の代わりに答えたのは鈴だった。ため息混じりの呆れ顔だったが、不思議と嫌な感じはしない。鈴が代弁した内容は大体合ってるので俺は頷いた。すると数馬は不服そうな顔を返してくる。

 

「それはこっちのセリフだっての。気にしてたのは一夏の方だと思ってたんだけど?」

「いや、まあ……俺の中で色々とあって決着はついたんだよ」

「ならいいけど。別に俺は昨日のことで凹んでるわけじゃないよ。ただ先週始めたばっかの初心者にでかい顔されてばかりなのも先輩プレイヤーとして面目立たないじゃん? そういうわけで、お前らがサボってる間に俺は急成長してみせるぜ!」

 

 そう言い残して数馬は走り去っていった。俺は手に持っていた靴を床に投げ、足を入れてトントンとつま先で床を叩く。弾も鈴も俺が準備ができるまで待ってくれている中――

 

「おい、一夏!」

 

 数馬が戻ってきた。早すぎる。まだ校門すらくぐっていないだろうに数馬は何をしに戻ってきたのだろうか。よほど驚愕の事態が発生したのか、慌てて走ってきて息を切らしている。

 

「どうしたんだ、数馬?」

「どうしたも、こうしたも、あるかよ! あそこにいるのって、セシリア・オルコットだろ!?」

「何っ!」

 

 俺よりも先に弾が反応して数馬が指さした校門が見える場所まで行く。俺も後に続いていくと、校門の柱に背を預ける金髪縦ロールの美少女が見えた。どう見てもセシリアで、どう見ても誰かを待っている。俺は携帯を確認するが着信はない。

 なるほど、俺以外の誰かに用事があるんだな。……んなわけないな。

 しかし緊急の用件にしてはやり方が妙だ。互いの連絡先を知っているのだから昨日の昼に話したように通話ですむし、そうでなくてもメールでいい。直接会うにしてもこんな目立つ必要がない。それくらい彼女もわかってるはず――

 

 そういうことかっ!

 

「ねぇ、一夏。あの人って確かISVSで一夏が知り合った人でしょ?」

「あ、ああ。そうだけど」

 

 鈴が俺の制服の袖を引っ張って訊いてくる。目を細めて俺を見据える鈴が握っている俺の袖はギリギリと音を立てそうなくらいにピンと張るまで掴まれていた。

 俺はこのまま校門に向かってしまっていいのか? 俺の推測通りなら、俺は鈴の前で土曜日の続きをしなければならないことになる。箒の次に知られたくない相手だ。

 できれば逃げたい。そこで、逃げ出す選択肢のその後をシミュレートしてみよう。逃げること自体は難しいことではないはず。正門以外の抜け道くらい俺でも知ってるさ。問題はセシリアの方。彼女も望んでいるわけではなく、全ては日本に滞在する理由のためだったはずだ。もし俺が愛想を尽かしたと伝わればセシリアがイギリスに帰ってしまう。それを引き金にしてセシリアとの協力関係がなくなってしまうことだけは避けなければならない。

 箒を取り戻すためにセシリアの力は必要だ。ならば俺がすべきことはひとつしかないじゃないか。

 

「やっべー。待たせちまったみたいだ」

 

 棒読みになってしまった。弾も鈴も数馬も動かないので俺が先頭になって校門へと近寄っていく。セシリアは俺が来たことに気づくと、顔の前で手を合わせてウィンクをしてきた。これはもしかして謝ってるのだろうか。

 

「ごめんなさい。つい来てしまいました」

「いや、別にダメなんてことはない」

 

 早速鈴たちの前でのセリフの辻褄が合ってない俺だが、今回は無事に終わるのだろうか。後ろに来ている3人が妙に静かなのがとても怖い。

 

「今からご帰宅ですか?」

「うん、そうだけど」

「ではわたくしもお供しますわ」

 

 俺の隣にまでやってきたセシリアはさも当然であるかのように俺の右腕に手を回してきた。そこでようやく俺たち2人以外が割って入る。

 

「ア、アンタねぇ! 何やってんの!」

 

 鈴がセシリアを指さして怒鳴る。その指先はわなわなと震えていた。

 

「見たとおりですが、わたくしは何と答えれば良いのでしょう?」

「あたしが言いたいのは、アンタはただの友達じゃなかったのかってことよ!」

「では訂正いたします。わたくしと一夏さんは特別な友達ですわ」

 

 セシリアとしてはただの友達であると認めてしまうとダメなんだよな。かといってこのままだと鈴に嘘を付いてることになるから胸が痛い。そして、弾と数馬の視線も痛い。と、思いきや弾の奴は楽しげだ。さっきまでとは立場が逆転したからか。

 

「一夏、俺はゲーセンにいくよ……」

「お、おう。また明日な」

 

 先ほどと比べて目に見えて活力を失った数馬が先に行ってしまった。俺はセシリアに腕をとられてて動けない。

 

「セシリア、そろそろ歩かないか?」

「はいな!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 俺とセシリアが歩き出すと今度は鈴が俺の左腕を絡めとってきた。

 

「ふふふ。両手に花ですわね、一夏さん」

「花の片方が言うことか、それ?」

 

 非常に歩きづらい。両腕をそれぞれ掴まれているし、とある部位と右腕の接触を意識していると下手に腕を動かせず身動きがとりづらい。さらには周りの視線も気になる。放課後になってから少し時間が経ってのことだから人が少な目かと思っていたのだが、校門に現れた金髪美少女が気になっていた輩はそれなりにいるようで、遠巻きにこちらを見ている連中が確かに存在する。鈴のファンクラブだと後々面倒なことになりそうだ。

 

「なあ、鈴。恥ずかしいからやめろって」

「はぁ? なんであたしだけなのよ? そこの女ならいいわけ?」

「え、と……それは――」

 

 小声で鈴を諭してみようとするが失敗に終わる。力ない俺はこの状況を継続する以外に道は残されていなかった。明日のクラスメイトの第一声が想像できて辛い。ダメ元で弾に助けを乞う視線を投げかけてみる。

 

「じゃ、俺は寄るところあるから! また明日な」

 

 やはりか。こうなると知っていたら、さっきは弾をからかわずに味方につけておいたものを。ぐぬぬと言いたいがここは目だけで弾を非難しておく。

 

「そんな目で見るな。俺は俺でけっこう一杯一杯なんだからよ」

 

 そうだったな。親友(?)の俺よりも彼女の方が大事だよな。ニヤけているのも俺を見て楽しんでるわけじゃなくて、これから彼女に会うからなんだよなぁ!?

 我が親友は非情にもそのまま立ち去ってしまった。俺の側に残されたのは両腕を縛る花たちだけ。

 

「へぇ、セシリアはイギリス人なんだ。同い年らしいけど学校は?」

「大学卒業扱いになっていますわ。今はちゃんと仕事をしていますのよ?」

「仕事で日本に?」

「そのようなものですわ。一夏さんに会いに来たというのが一番の理由ですけれど」

「やっぱり好きなんじゃない!」

「そこは鈴さんのご想像にお任せしますわ」

 

 あれ? 俺が弾と話してる間に何があったんだ? なんか打ち解け始めてる気がする。

 

「なあ、お前らって実は仲が良いんじゃね?」

「どこをどう見たらそう見えるのよ!」

「一夏さんの目は節穴ですから、大変難しいのでしょうね」

 

 そこまで言われるほど俺はおかしなことを言ったのか……。今だって2人揃ってるしさ。いつの間にか名前で呼び合ってるしさ。

 

「では参りましょうか、一夏さんの家へ」

「アンタは来んな!」

「あら? まるで鈴さんは一夏さんの家に上がりこむ気のように聞こえますけど」

「そのつもりよ。文句ある?」

「そうですわね……一夏さん次第といったところでしょうか」

「はっ? 俺?」

 

 俺次第とは言っても、結局のところはセシリアの都合次第なのだが……。俺としては別に鈴が家にくることくらいはいつものことなので問題ない。だが、セシリアを監視してる人にはどう映るのかがわからないから答えようがないじゃないか。

 なぜ俺はこんなことで冷や汗をかいているのだろう? 俺は箒を助ける手がかりを求めて福音を追わなきゃいけないってのに。その福音を追うために必要なことだから仕方ないのか。

 

 答えないまま数歩歩いたところでセシリアの携帯が鳴る。確か前の演技からの解放はセシリアに執事さんから連絡が来てからだった。ということはこれはもしかすると監視の目が無くなる連絡ではないだろうか。

 セシリアは携帯の画面を一瞥すると俺の腕から手を離した。反対側の鈴は腕を組んだままである。

 

「急用が入りました。もう少し一夏さんと居たかったのですけれど残念ですわ」

「帰るのか?」

「ええ。ではごきげんよう、一夏さん、鈴さん」

 

 本当に急用だったのかセシリアはあっさりと立ち去る。焦りを感じさせる後ろ姿は演技の類ではないだろう。ところで俺の方の演技は継続していた方がいいのだろうか? よくわからない。

 

「セシリア、結局途中でいなくなったわね。何しにきたのかしら、あの子」

「俺に会いに来たんだろ」

「だったら急用ってのは何? 仕事関係?」

「そう考えるのが自然だろ」

 

 セシリアの仕事。俺も内容は知らないが、専用機持ちの仕事だとIS関連に決まっている。だが、今慌てるような用事というと福音関連の可能性が高い気がする。何か進展があったのだろうか。

 セシリアについて考えていたら上着のポケットに入れていた携帯が振動していた。開いてみるとメールの着信が1件。送り主はセシリアだ。

 

【件名】お元気そうでなによりです

【本文】

 昨日は負けてしまったと聞き、気にされていないか心配しておりましたが杞憂で良かったですわ。確かに直接対峙できる機会は滅多に訪れないのですが、別に手段はひとつだけではありませんもの。まだわたくしたちは取り逃がしたわけではありませんわ。

 セラフィムに関しては後はわたくしに任せて、一夏さんはナナさんたちの動向を見守っていてください。今のわたくしたちが追える情報は2点ですから分担していきましょう。お願いいたしますわ。

 本日はこれから連絡を断つ必要がでてきます。すぐに応対できるとは思えませんが、わたくしへの連絡がある場合はメールでお願いします。

 

 メールを読み終えると俺は携帯を静かに畳んだ。

 ……そっか。セシリアには昨日の俺の状態がお見通しだったのか。それともシズネさんに聞いたのだろうか。今日現れたのも俺の様子を直接見に来てくれたのか。いかんな。これでは俺は甘えてばっかりだ。

 

「鈴、ちょっと腕を離してくれないか?」

「あ……そ、そうね! いつまでも腕を組んでる理由はないもんね!」

 

 突き飛ばすように鈴は俺を解放した。けれど鈴の口は尖っており、不服そうであった。いや、腕くらい後でいくらでも組んでやるから膨れないでくれ。

 鈴が離れると俺は両手で頬をパチンと挟んだ。

 

「一夏!? どうしたの?」

「気つけだよ。ちょっと最近不甲斐ないからな」

 

 気を取り直したところで俺は再び帰り道に足を戻す。だが2歩目で上着がひっかかり前に進めない。振り返れば、鈴が上着の裾を握っていた。

 

「やっぱりおかしいわよ、アンタ」

「またか。俺は俺。いつもどおりだぞ?」

 

 今日で何度目になるだろうか。今の俺は鈴からみると違和感があるらしい。俺自身はいつもどおりでいる気だから何に気をつければいいのか見当が付かない。

 

「一夏はさ、ISは好き?」

 

 ああ、そういうことか。確かに違和感があるはずだ。俺自身、鈴がISは嫌いと言いながらもISVSをやっていることがおかしいと感じていたわけだしな。しかも俺は鈴と違って明確に嫌う理由があったはずだから余計に変だ。

 

「今でも嫌いだよ。でもISVSは違う。それは鈴も同じだろ?」

 

 嘘は付いていない。ISのことは箒が帰ってくるまで憎んでいるだろうと思う。ISVSは箒を取り戻すための手段となっているから話が違う。それだけだ。

 鈴の質問はまだあった。1つ目は俺が何と答えようが関係なく、本命は次の問いかけだったのだ。

 

「じゃあさ、一夏はどうしてISVSで遊べるようになったの?」

「え……?」

 

 なぜ遊べるようになったのかだって? 質問の意図を俺は理解できなかった。

 

「自分を痛めつけるためにあたしをフったアンタが、素直に遊べるわけないでしょ?」

 

 俺が蒔いた種じゃないか。箒が眠り続けることになった1月3日からずっと俺は、遊んだことなんてなかった。気が乗らないと言い続けて、でも心配させないように弾たちのノリには合わせてきて……自分のことをしてこなかった。

 

「始めてから1週間しか経ってないアンタが、子供じゃ買えない高額の家庭用ISVSを持ってるのはどうしてなの?」

 

 しまった。鈴だけは家に上がってるからバレてしまっていたのか。千冬姉の部屋に鈴が入らないだろうと思っていたから油断してた。そこまで揃ってたら確かに異常だ。気の迷いにしては本気すぎる準備としか思えないだろう。たとえそれが偶然あっただけのものでも、俺がそれを利用してる時点で今までの俺ではない……か。

 

「わかったよ。やっぱりお前に隠し事するのは無理だったんだ。全部話す。ちょっと長くなるから、このまま俺の家に行こうか」

 

 もう認めた方がいい。鈴が見ていてはセシリアとのやりとりもうまくいかない可能性が少なからずある。だったら俺たちのことを知ってもらった方が互いに動きやすいはず。大丈夫。鈴には深く関わらせなければいい。それに、いざとなったら俺が守れば何も問題はない。俺でも助けられる人はいるんだから大丈夫だ。

 

 

***

 

 

「というわけなんだ」

 

 鈴を連れての帰宅後、茶を沸かしてからリビングで鈴と向かい合った俺は先週からの出来事を大雑把にだが説明した。

 7年前に生き別れた幼なじみである箒の居場所を既に知っているということ。

 箒が原因不明の昏睡状態でかれこれ10ヶ月は目を覚まさないということ。

 福音の噂と警察の動き。

 噂を流した張本人であるセシリアとの出会い。

 ISVSで出会ったナナたちの存在。

 話し終えて、密度の濃い1週間だったと自分でも感じる。今、話を聞かされただけの鈴がどれだけ理解してくれるだろうか。俺が話している間は静かに耳を傾けているだけだった。俺が説明を終えたことを告げ、ようやく鈴は重かった口を開く。

 

「とりあえず、アンタが相当面倒な事に巻き込まれてるのはわかったわ」

 

 これだけの話を作り話だと疑わないのは助かる。ただ訂正しよう。

 

「俺は巻き込まれたわけじゃなくて、自分から飛び込んだんだ」

「そんなことないわよ。元を辿れば箒って子が変な事件に巻き込まれたのが発端でしょ? その時点でアンタも巻き込まれただけなのよ」

「いや、俺はその理屈を認めるわけにはいかない。俺は自分から関わろうとしてる。流れに身を任せたわけじゃない」

 

 俺がこう言う理由はひとつ。だけど、目の前のツインテール娘は俺の言いたいことをわかった上で逆のことを言ってくる。

 

「じゃあ、あたしも自分から飛び込むわ。別にアンタに巻き込まれたわけじゃなくてね」

「なんでそうなるんだよ。理由がないだろ?」

「あるわよ。箒って子が目を覚まさないと一夏だけじゃなくてあたしも前に進めないんだから」

「どういうことだ?」

「白黒つけたいのよ。アンタの中の思い出の存在とじゃ勝負にならないけど、目の前にさえ居れば張り合えるじゃない?」

 

 どうして面倒事に巻き込まれるとわかってて、鈴は笑えるのだろうか。だがもしかすると1週間前の俺も似たようなものだったのかもしれない。霧がかかっていた道が唐突に晴れていったような感覚だ。進む方向が見えれば、歩いていける。そんな自分に安心するのだ。

 

「わかったよ、鈴。もう俺からはやめろとは言わない。ただ、危険性は理解してくれ。俺が危険と判断したら指示に従ってくれよ?」

「もちろんよ」

 

 鈴と握手を交わす。セシリアに続いて2人目の仲間ができた。実力が確かなのは身を以て知っているから頼もしいのは間違いない。

 

「じゃあ、早速だけどISVSに入ろうか。イスカは持ってきてる?」

「最初っからここでプレイする気だったわ」

 

 鈴がひらひらと自分のイスカを見せつけてくる。準備はこれだけでいい。鈴はソファで横になり、俺はカーペットの上で寝そべる。

 

「向こうに着いたらすぐにミッションをする感じでいいのね?」

「それは着いてみるまで何とも言えない。どうも出現位置がランダムっぽいから」

「ISVSに囚われた人、か。ミッションに乱入してきた赤武者がAIじゃなくて生きてる人だとは思いもしなかったわ」

「ナナに会えるかはわかんないけど、もし会ってもいきなり攻撃しないでくれよ」

「あたしを何だと思ってんの? アンタみたいに味方を攻撃したりしないわよ」

 

 ナナだけじゃなくて鈴も根に持ってるなぁ。仕方ないけどさ。

 

 俺たちはこれからISVSに入る。今回の目的は“ナナたちの仲間の救出”だ。さきほど鈴に説明している途中でシズネさんから要請が来たため、それに応える形となる。

 改めてメールを見てみる。

 

【件名】このメールの半分は私が書いています

【本文】

 先日はたくさんお話ができて大変嬉しかったです。ヤイバくんのヘタレなところもわかりましたから、今後が楽しみですね。

 前置きはここまでとして本題です。こちらで囚われている仲間の情報を入手しました。当然、救出するつもりです。ナナちゃんが出撃用意をしていますが、また罠かもしれません。できることならヤイバくんの手を借りたいと思っています。すぐに来ていただけないでしょうか? 詳細は現地で。

 

 現地ってどこだよ? それに俺はツムギの場所も知らない。このままISVSを始めて無事に合流できる保証はないけど、やれることなんてないからバカの一つ覚えみたいにログインするしかない。頼みの綱のセシリアは音信不通状態だしな。

 

「じゃ、鈴。イスカを胸に置いて目を瞑ってくれ」

「それだけなんだ。ゲーセンのより不思議ね」

 

 瞼が閉じて暗闇ができる。やがて女性の声と共に閉じた視界が明るくなってきた。

 

『今の世界は楽しい?』

 

 まだまだ足りないものばかりだよ。

 

 

***

 

 ISVSにやってきた俺は海の上にいた。人が住んでなさそうな小さい島がちらほらと見える程度の海域であり、現在位置すら定かではない。相変わらず自宅から入ったときは出てくる位置が安定しないようだ。

 

「ちょっと、ヤイバ! ここどこよ!?」

「俺に聞かれても困る。どこに出るかわからんって言っただろ?」

 

 すぐ近くに現れたリンが訊いてくるがそれは俺が聞きたいくらいだ。しかし、わかったこともある。リンもスタート地点がロビーじゃないってことは問題があるのはイスカではなく本体の方ってことになる。他にもリンが同じ場所に出たことから完全にランダムなわけではないと考えられ、単なる故障と片づけるのも変な気がする。

 さて、ここからどうしようか。普段は明確な目的がないままうろついていたからテキトーに動くしかなかったのだが、今回はナナたちの救援としてやってきたのだ。早いところ合流しないと何もできない。

 

『――聞こえますか? ヤイバお兄ちゃん』

 

 どこへ向かえばいいかわからずに浮いていると、都合良く通信が入ってくる。俺をヤイバお兄ちゃんと呼ぶのはひとりしかいない。だがISなしにどうやって通信をしてるんだろ? ってそういえばオペレート用AIとか言ってたから何か特殊なんだろうな。

 

「聞こえるよ、クー。ナナたちは?」

『ナナさまは今、アカルギの船内で待機中です。ヤイバお兄ちゃんの位置をこちらで確認しました。間もなく到着しますので、高度を下げてお待ちください』

「りょーかい」

 

 クーとの通信を終えたところで俺は下を指さしながらリンの方を向く。

 

「案内できる人が下まで来るってさ」

「下……って海しかないじゃない! いつまで待つつもりよ!」

 

 リンの視線が眼下を向く。波が穏やかな広い青が広がっていて、どこにも待ち人の影は見当たらない。だが海面に徐々に黒い楕円が浮かび上がってきた。波が高くウネり始め、次第に角張った輪郭が現れ始める。そして、海面の青を突き破って船が姿を見せた。

 

「潜水艦? そういえばISVSって海の中とか基本的にいかないわよね」

「ただの潜水艦じゃないと思うぜ。あんな角張ったフォルムじゃ抵抗が大きいはずだろ。それにあれって音速以上で飛べるんだってさ」

 

 アカルギという戦艦(?)の説明をリンにしながら甲板らしき平たい部分へと降りていく。無事着地したところで近くに扉が開いた。当然そこにいるのはピンクポニーテールのリーダー、ナナだった。後ろには当たり前のようにシズネさんがついてきている。

 

「良く来てくれた、ヤイバ」

「出たとこ勝負でしたが無事合流できて良かったです。そちらの方は?」

 

 出迎えてくれたのは2人だけのようだ。まあ、たくさんいるという仲間がぞろぞろと出てきても対応に困るから俺としては助かるけどな。

 互いに顔を合わせたところで、ナナたちの視線は俺の後ろに注がれていた。それも当然か。俺と一緒に来たのがラピスでないのだから。早速紹介をしなければいけない。

 

「俺のプレイヤー仲間のリンだ。今回は一緒に戦ってくれることになってる。一応、ナナたちの事情も軽く説明してあるよ」

「リンよ。よろしく、赤武者さん」

 

 俺の前に進み出たリンは俺が教えるまでもなくナナを赤武者と呼んで右手を差し出した。ナナはそれに応えて手を取る。

 

「赤武者などと呼ばれていたのか。私はナナ。我々ツムギのリーダーを務めている」

 

 続けてリンはシズネさんと握手を交わす。

 

「私はシズネ。ナナお姉さまの忠実なるしもべです」

「待てぃ! 前回の反省は無いのか!? 初対面の人にいらぬ誤解を招くような発言は止せ! というかお姉さまネタをまだ引きずってたのか!? あと、私とシズネに上下関係などないだろう!」

「ナナちゃんのツッコミスキルが上がっていて、素直に嬉しいですね」

「シズネ、ふざけるにしても時と場所と場合を選んでだな――」

「わかりました。これからはTPOを弁えて積極的にナナちゃんの新しい顔を発見していきます」

「いやいや、全然わかってないからな? 私の意図はお前の理解と逆だからな?」

 

 2人が自分たちの世界に入ってしまったためリンはポカーンと口を開けてしまっていた。点になっている目の前で手を振ってやると、我に返ったリンが俺の耳に顔を寄せてくる。

 

「ねえ、本当にこの人たちが“ゲームに閉じこめられた人たち”なの?」

「気持ちはわからんでもないけど本当だ。それに、見た目だけで中身がどうかなんてわからないだろ?」

 

 本当にナナとシズネさんがリンの印象通りに過ごせていたなら良かった。でも、俺は聞いてしまっている。

 ナナは悲痛な顔で言った。『……死に、たくない』と。無敵に思えるほどの力を持っていても、いつも死の恐怖と戦っている。ただISVSを遊んでいるプレイヤーではそうはならない。

 シズネさんは泣きながら問いかけてきた。『私はただのゲームのキャラクターですか?』と。聞かれるまでは想像もしていなかったことだった。現実に帰ることなくISVSに居続けることで、自分が人間なのかどうかも自信が持てなくなる。その感覚は俺ではとても理解できず、死よりも怖いのかもしれない。

 

「失礼をした。リンといったな。確か前に会ったときは……ヤイバに後ろから攻撃されていたのではないか?」

「そんなことまで覚えてるんだ。その通りよ。ナナだっけ? アンタが強すぎるからこのバカがバカなことを言い出すハメになったのよ」

 

 ナナとリンによる軽蔑の視線が同時に俺に突き刺さる。やめろ! そんな目で見ないで! あのときはそれが最善だって思ったんだからしょうがないだろ! ……口に出しては言えないけど。

 

「それでもヤイバと一緒にいるのだから、リンは我慢強い人なのだな」

「そこに関しては誰にも負けないつもりよ。コイツと付き合ってくには我慢強いか同レベルのバカでないとやっていけないから」

「ヤイバはひどい言われようだな。ただな、リン。この男がバカなのは同意するが、意外とものを考えているのだぞ? 戦うべきところで戦える点も好感が持てる」

 

 へぇ……ナナの奴はそんなこと思ってたんだ。これって俺が聞いてていい内容なのかな? そう思っているとシズネさんがコソコソと俺の耳に口を寄せてきた。

 

「ナナちゃんは普段こそヤイバくんを悪党にしようとしてますが、あれって照れ隠しなんですよ。自分以外がヤイバくんを否定すると、フォローしたくなっちゃうくらいにはヤイバくんのことを認めているんです」

「え? そうなの?」

「最初は全力で嫌ってましたけど、前回の戦いからナナちゃんは変わりました。だからこそ今はヤイバくんたちに協力を得ようとしているのです」

 

 俺の行動がナナを変えたのか。だとしたら、変わって良かったという結果に結びつけてやりたいものだ。

 こそこそ話すのをやめてナナとリンの方に顔を戻す。

 

「あたし以外にそう思ってる人が居るなんてねぇ。アンタとは気が合いそう」

「そうか。ヤイバは良き仲間に恵まれている。それで、リンも私たちに力を貸してくれるのだな?」

「ええ。じゃなきゃヤイバについてこないっての」

「協力に感謝する」

 

 ナナとリンの自己紹介が一段落ついたようだ。俺の側に来ていたシズネさんは再びナナの後ろにまで歩いていく。

 

「ナナちゃん語を通訳させていただくと、『協力してくれなんて言った覚えはない! でも、べ、別に感謝してやらんこともないんだからねっ!』となります」

「なるかっ! ナナちゃん語って何だ!? 初めから日本語だろう!? 訳した結果が感謝の意を伝えようとしているにしては相手の神経を逆撫でしていないか!?」

「ナナちゃん、世界は広くてですね。今の言い方を喜ぶ方々もいるらしいです。今度トモキくんを労うときがあったら、使ってみてはどうでしょう?」

「そ、そうなのか!? くぅ……どうせ私は古い時代の人間だ」

 

 なぜかナナは悔しそうだった。別にシズネさんの言ったことを理解できなくてもいいと思うのだが。

 どうしよう。今の2人は俺よりも緊張感が薄い。気がするだけ、だよな? 放っておくといつまでも話が進まないと思われるので、俺から話を切り出すことにする。

 

「紹介もその辺にしておいて、そろそろ本題に入ろうぜ? 新しく仲間が見つかったんだろ?」

「はい。それでは説明しますので船内へどうぞ。ナナちゃん、どうでもいいことで凹んでいないで早く中に戻りましょう」

「シズネ、お前がそれを言うのかっ!? ……だが一理ある」

 

 ナナ、シズネさんの順番で扉をくぐっていき、俺とリンも後に続く。

 

「色々と変な人たちね。うちのバカどもよりは遙かにマシだけど」

 

 リンがぼそっと呟く。バカども=サベージたちである。理解不能という点ではリンに全面的に同意しておこう。彼ら以上の逸材とはこの先出会いたくないものだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 自由な空とは無縁の屋内。使われなくなった雑居ビルという様相の建物の中でラピスは息を潜めていた。ISを纏っていても空を飛ぶわけにはいかない理由がある。ラピスの意識は今いる場所ではなく、遠く離れたBTビットに集中していた。

 

(まさかこのタイミングで見つけられるとは思ってもみませんでした)

 

 BTビットから送られてくる映像には1機のISが映っている。全身が銀色のフルスキン。手足には目立った特徴が無く、非固定浮遊部位もないシンプルな外見であるが、背中に設置されている翼だけは普通のISとは大きく違っていた。この翼は飾りでなく拡散型ENブラスターと分類される武器だ。

 

 この機体こそが銀の福音である。根拠としては、この装備構成は決して使いやすいものでも強いものでもなかったからだ。つまりは模倣されにくいということである。

 主力武装である拡散型ENブラスター“シルバーベル”は単発火力はラピスの装備であるスターライトmkⅢより少し弱い程度であるが、一度に16発を発射するという代物だ。一度の斉射でENを大幅に消費するのでメイン武装の位置に据えることになる。だが面を覆う弾幕を形成できる一方で、EN消費に対して相手のISに与えられるダメージ量が小さい。それを2つも積んでいるのだから他に装備できる射撃武器と言えば軽量のアサルトライフルとなり、瞬間火力が低めの機体となる。その上、フレーム“エンブレイス”もフォスフレームであるため、相手の攻撃を避けなければならない。長時間戦闘を強いられて、真っ当な撃ち合いをしていると火力負けする機体。よほどの上級者でないと使おうと思えず、上級者でも他の装備を使うことだろう。

 よってラピスはエンブレイスフレームにシルバーベルを2つ搭載した機体は銀の福音、ランキング9位のセラフィムとみなしている。

 

(セラフィムで間違いなさそうですが、ここで何をするつもりでしょうか? ここで行われるミッションも試合も無いということは、わたくしたちと同じように自分から外に出ているプレイヤーのはず)

 

 ラピスは福音の監視を続けている。福音はただビルの屋上でずっと立ち尽くしていた。何もすることがないのか。それとも“誰かと待ち合わせている”のか。

 

 やがて変化が訪れる。遠方から福音へと向かってくる機影が見えたのだ。ラピスはすぐに情報を取得する。装備構成は打鉄フレームにイグニッションブースターを搭載した格闘型フルスキン。しかしテンプレのものと違い、マシンガンなどの補助武器は一切ない。物理ブレード一本だけというIS戦闘を舐めたような格闘機体だが、装備の名前を確認したとき、ラピスはその意味を知る。

 

「雪……片?」

 

 つい声を漏らしてしまった。慌てて口を噤むラピスだったが、念を入れて距離を十分に取ってある。この程度はミスのうちに入らなかった。

 落ち着きを取り戻したラピスは状況を整理する。福音の元に現れた機体は雪片のみを装備したISだった。刀以外の装備は“必要ない”と割り切った装備構成である。モンドグロッソなど特別な試合にしか姿を見せないという世界最強のIS“暮桜”。その担い手であるランキング1位“ブリュンヒルデ”以外がこの装備を使うわけがない。

 

(福音とブリュンヒルデが繋がっている? ではバックにはミューレイだけでなく倉持技研もいる可能性があるということになりますの?)

 

 福音とブリュンヒルデは戦いを始める素振りを見せないどころか、親しげに会話をしているように見える。これがプライベートチャネルを含めたISコア同士の通信ならば、ラピスの力を持ってすれば盗み聞けるのだが生憎とそうではない。BTビットを接近させるのも気づかれる危険性が増すだけである。

 

(今はここまでを収穫としましょう。たとえこの程度の情報でも進展があれば、一夏さんも少しは気が楽になるでしょうし)

 

 ラピスは危険を冒す選択はせずに引き返すことにした。今後、追いかける対象にブリュンヒルデが加わる。相手の存在が大きなものになったと感じながらも、ひとりだけで無理はしないと決めていたラピスは潔くその場を後にした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『今回の目標は海岸沿いに造られているミューレイの研究所です』

 

 俺たちは今、海面スレスレを低空飛行して目標に向かっている。西に日が落ちかけており徐々に空が赤み始めていた。空の色を移す海面も朱色を映し出して俺の顔を照らす。

 人員の構成は俺とリン、ナナの3人だけ。戦力的にナナが欠けるのは厳しいことと、何か問題があってもすぐに撤退できることを考慮しての少数精鋭だった。

 

『アカルギが傍受した通信の内容とクーちゃんの情報検索の結果。以上2点より施設内に仲間が1人いると考えられます。救助した仲間を運ぶ人員は1人で十分と考えられ、ヤイバくんとリンさんには仲間をアカルギに収容するまでの時間を稼いでもらうことになります』

 

 アカルギで聞かされた内容を改めてシズネさんが説明してくれる。作戦の流れは至ってシンプルで、俺とリンが派手に突入して敵の目を引きつけている間にナナが仲間を救出して撤退するというものだ。俺とリンならばやられてもリスクはないためにできる作戦である。ナナは強いが、万が一やられた場合、現実でどうなるかわかったものじゃない。

 

「やっぱり敵の構成は不明なのよね?」

 

 リンがアカルギでも聞いていたことを問い直す。いつものミッションでは敵の数がわかっていることが多いために気になってしまっているようだ。

 

『追加の情報はありません。申し訳ありませんが現場で判断していただくほか無いようです』

「了解よ。とりあえず目に付いた奴に片っ端から喧嘩売ればいいのよね?」

『そうなります』

 

 リンの言うとおり、俺たちは暴れることが仕事だ。あとのことはナナに任せることにしよう。

 

「ナナ。そろそろ別行動にしよう」

「わかっている。ただ、普段は私が囮になるばかりだったためか、目立たずに動くのは苦手でな」

「なるほど。ナナの行動だけ見ると言葉遣いとは裏腹にがさつだよな」

「なぜだ? 自覚していることなのに、お前に言われると腹が立つ」

 

 気を使わない言葉のやりとり。内容は割とどうでもいい。併走して飛んでいた俺とナナが拳を打ち合わせた後、ナナはひとりだけ軌道を逸らしていった。残された俺とリンはこのまま真っ直ぐに目標へと向かう。

 

「ちなみにリンは何もかもががさつだけどな」

「もしかしなくても喧嘩売ってる? ちょっと高すぎてあたしは何発アンタを殴ればいいのか見当もつかないわ」

「えー? そこまで怒ることかよ」

「女の子はね、どんな皮を被ってても繊細な生き物なのよ」

()()()ならそうだろうな」

「アンタにとってあたしは何なの!?」

「俺にとってリンはリンだ。性別も含めて」

「何それっ!? あたしはそんな中性的じゃない!」

「弱酸性だっけ?」

「お肌の話!? もうどうでもいいわ……」

 

 リンと軽く無駄話をしている間に目的地に到着した。海岸と言っても砂浜は近くになく、崖となっている場所が多い立地だった。港にも観光地にもなりえない、人が近寄りにくい場所だからこそIS関連施設ができたのだろうか。

 

「目に見える範囲には敵の姿がないな。リンはどうだ?」

 

 俺が簡単に見た限りではISどころかリミテッドの姿も見えない。防衛システムらしき砲台は見受けられるが、砲塔も動きを見せていなかった。

 以前にラピスと山脈にあった施設を攻めたときは俺が姿を見せた途端に攻撃してきた。たしか今回と同じミューレイとかいう企業の施設だったはず。ラピスは『IS関連施設ならば警備が厳重で当然』と言っていたが、この差はどうして生まれた?

 

「今のところは静かなものね……とか言ってたらお出迎えみたいよ!」

 

 リンの返事が来るのとほぼ同時にアサルトライフルを持った人型兵器がぞろぞろと現れた。蜂の巣をつついた時に似てる。しかしスズメバチの巣ではないようだ。

 出てきたのは全身が金属で覆われた人型である。その全てがフルスキンのISではなくリミテッドだ。ISVSでは的扱いされるくらいのザコである。いくら数を揃えても慣れたプレイヤー相手では優越感に浸らせるくらいにしか役に立たない。

 

 俺から指示を出すまでもなくリンがリミテッドの群れの中に飛び込んでいった。ライフルを撃つまでの速さもISに劣っているため、接近したリンに対応しきれず、振り回された双天牙月によって次々とスクラップにされていく。リンの攻撃はブレードによるものだけでなく、衝撃砲も織り交ぜることで中距離の敵の攻撃も許していない。今もリンを狙っている離れたリミテッドが唐突に弾け飛んだところだ。

 

「ちょっと、ヤイバ! アンタは高みの見物?」

「悪ぃ。すぐに加勢する」

 

 正直なところリンひとりでいいやと思っていたのだが、ツッコまれては参戦せざるを得ない。だが俺は敵を雪片弐型で斬り裂きつつも周囲の観察を怠らない。戦闘に余裕があるため、シズネさんに通信をつなぐ。

 

「シズネさん。俺たちは今、リミテッドの防衛部隊と戦闘中。敵にISは確認できない」

『了解しました。ナナちゃんは30秒後に上空から施設内部へと突入します。救出完了まで引き続き時間を稼いでください』

「りょーかい! と言いたいところだけど、俺も中に突っ込む」

『ではそのようにナナちゃんにも伝えます。ヤイバくん、ナナちゃんを頼みました』

 

 通信を切ってからすぐにリンに声をかける。

 

「リン、予定を変更! 俺も中に行くからリミテッドの相手を任せる!」

「わかったわ。全部片づいたらあたしも行く」

 

 リミテッドの部隊はまだ増援が出てきていたが、俺は構わず駆け抜ける。道中にいたリミテッドはついでに斬り捨てておき、壁に到達したところで雪片弐型を振り下ろす。入り口を探して入る必要はなく、壊した壁から内部へと進入する。

 

「待ち伏せもない。本当にここはISの研究施設なのか? 警備がザルすぎるぞ?」

 

 建物内は暗く、ハイパーセンサーで補正することでようやく見えるくらいの明度だった。今もなお稼働している施設にしては妙だ。暗室のようなところに入ったのかと思って見回してみたが、細長く広がる空間は通路としか思えない。電力が切られているようだった。

 放棄された施設なのだろうか。しかしリミテッドによる防衛機構は動いている。ここにISコアがあるということは何かしらの意味があるはず。もしかすると……これは罠なのか?

 手近な扉を適当に開ける。通路と同じく真っ暗で何も動いていない。おまけに空っぽの部屋だった。ここで何を研究していたのかという痕跡すら見つけられそうにない。

 罠の可能性が高まってきたそのとき――轟音と共に建物全体が大きく揺れ始めた。

 

「何だ!? まさか施設ごと爆破する気か!?」

 

 だがそれでも腑に落ちない。いくらリミテッド稼働用にISコアがあるといっても爆発にPICCを付加するのは困難であったはずだ。施設規模で崩壊したところで引き込んだISに致命傷を与えられるとは思えない。

 

『ヤイバくん。今、ナナちゃんが施設内に突入しました』

「あの女……もうちょっと静かにできないのか」

 

 真面目に考えてた俺がバカみたいだ。施設全体を襲った衝撃はナナの突入によるものらしい。大雑把な性格を作戦前に自覚してたのに、直す気は全くなかったのだ。

 つまり、敵は絶対にナナに気づいている。そうなると敵は新しい動きを見せるはずだった。だが、ナナ突入の衝撃以降、戦闘音すらしてこない。

 

『仲間を見つけた。軽く事情を説明してから脱出に移る』

 

 しばらくしてナナからの通信が来る。実に呆気なく作戦の目標を発見して確保に至った。未だ敵ISは姿を見せず、施設内にはリミテッドすら襲ってこない。俺は暗い施設内を彷徨いていたが、何にも遭遇していないのだ。

 

『ザコの掃除は終わったわ。ナナは脱出ルートを送って。援護する』

『わかった。直ちに脱出する。ヤイバも頼むぞ?』

「OK」

 

 順調だった。作戦開始前の想定とは違って簡単すぎる。山脈にあった施設への攻撃や、エアハルトと戦った時と比べるとどうしても不気味に思えてくる。だが、ナナもリンも違和感を感じているようには見えない。俺の感覚がおかしいだけだろうか。

 何もない施設に居座る理由がないため、俺もすぐに脱出した。まだ日は落ちていなく、西の空は完全に赤く染まっていた。夜の暗闇が迫る短時間の間に目標を達成したのだということを空までが伝えてくれていた。

 

『もうここには用はない。急いでアカルギに戻る。護衛を頼むぞ、2人とも』

『なんか拍子抜けするくらい簡単だったわね』

 

 並んで飛ぶ2人に合流する。ナナが女の子をひとり抱えているのを確認した。女の子はナナに必死にしがみついている。本当に仲間だったのだろうかと疑っていたが、彼女にも罠が仕掛けられていそうにない。もしツムギに行ってから本性を表すにしても、シズネさんが疑うだろうから俺が必要以上に気にしなくてもなんとかなるだろう。

 

「すまなかったな。結果的にお前たちの手を借りるまでもなかった」

「そんなことで謝るなよ。どうなるかわからないところに飛び込むのに無駄にリスクを増やすことない。俺たちならリスクなんて無いからな」

 

 ナナもリンもやはり『簡単だった』という感想で済ませている。2人とも俺に関しては疑ってばかりなのに、他のことにはやけに素直な反応が多いんだよな。だからこそ、俺やシズネさんがしっかりしなきゃと思い詰めすぎてるのかもしれん。

 

 夕焼けを背景に3機で飛んでいく。アカルギまでの距離はあと半分というところにさしかかり、このまま無事に終わりそうだった。このまま何もないと俺ですらそう思っていたんだ。シズネさんからの唐突な通信が入るまでは――。

 

『敵IS出現! まっすぐにそちらに向かっています!』

「どこからだ!?」

 

 これ以上は通信を待つまでもなかった。後方を見れば、俺たちが襲撃した施設から飛び出した白い光の軌跡がこちらへと向かってきている。

 

「ナナは今のままアカルギに急げ! 俺とリンで迎撃する!」

 

 俺とリンはその場で停止し、ナナだけがアカルギへと向かう。今のナナはISの無い人を連れているため、どう考えても逃げきれない。ここで足止めをする必要があった。

 

「リン、敵は1機だけか?」

「あたしに索敵を求めないでよ! でも、これだけ見晴らしがいいと他にいないって言っても良さそうね」

 

 陸地から離れた現在地点は小さな島こそ点在しているが障害物になりそうなものは近くにはない。島に潜んでいるISがいない限りは俺たちの相手は向かってきているIS1機のみと考えて良さそうだった。

 

「隊形は俺が前でリンが後ろ。他に何かあるか?」

「それでいいわよ。あとは相手を見てから考えましょ?」

 

 俺が前に出てリンが後に続く。相手の速度は思ったよりも速い。フォスフレームかユニオン・ファイタータイプかのどちらかだろう。後者ならば、俺がイグニッションブーストで斬りかかればそれで終わる。前者の場合でもリンが居ればマシンガンフォスだろうと怖くはない。

 間もなく俺が敵の姿を認識できる距離に到達する。即座に陣形を入れ替える可能性も考慮して敵の姿を注視した。

 

 ――瞬間、俺の思考は停止した。

 

「ヤイバ! どうしたの!?」

 

 リンの声で我に返る。既に射撃攻撃の範囲になっており、敵が“翼”を大きく広げると光の玉が無数に展開された。一度は静止した光の玉の群れは一斉に動き始め、俺たちへと殺到する。俺とリンはそれぞれ別方向へと大きく動いて弾幕を避けた。

 

「拡散型ENブラスターかぁ。ここまでの出力のはあんまり相手にしたことないけど、集束型ほど痛くないらしいから大丈夫よね」

 

 攻撃を避けることができた。俺は間違いなくホッとしている。少なくとも1手だけで終わらせられるような圧倒的な実力差ではないからだ。

 俺たちの前に現れた敵ISはフォスフレーム“エンブレイス”に拡散型ENブラスター“シルバーベル”を2つ翼のように取り付けた機体だ。ラピスが言うには、理に適っていない装備の仕方らしく真似するものはほとんどいないらしい。

 

 コイツが“銀の福音”なんだ。

 

 一撃目を回避できた俺は自分を落ち着ける。倒す必要はないと言い聞かせ、時間を稼ぐことに集中する。幸いなことにリンも冷静でいてくれている。もっとも、リンには福音のことを話してあるが、福音の装備などに関しては話していない。単純に相手が福音だと気づいていないのだろう。

 

「リン! 無理に近づく必要はない! 距離を保ちつつ、相手がENブラスターをバラマく時を狙って衝撃砲で牽制してくれ!」

「ヤイバはどうするの?」

「俺は様子見だ。至近距離であれを食らうのは流石にマズイからリンの攻撃の後に飛び込む」

 

 第一次攻撃の後、福音は俺たちから距離を置いていた。発射からEN弾が飛んでくるまでに時間差があるシルバーベルで弾幕を張られると俺が近づく隙はほとんどない。フォスらしい機敏な動きで飛び回る福音はリンが衝撃砲で狙ったところで捉えられる気はしなかった。

 

「ああ、もう! すばしっこい! これだからフォスの相手は面倒なのよ!」

 

 リンの攻撃は俺には見えていない。しかしリンの苛立ちを見るに既にけっこうな数の衝撃砲が撃たれていそうだった。福音はと言えば、悠々と空を駆けながら、光の玉をバラマくだけ。厄介なことにバラマかれた光の玉は正面以外にも飛ばせるようで、福音は俺たちの周囲を旋回しながら足を止めることなく攻撃することができている。最初に見せた攻撃時の隙はやってきていない。頭に血が上り始めたリンはシルバーベルの範囲から逃げきれずに何発か被弾してしまう。

 

「リン! ダメージは!?」

「1発あたり3%弱ってとこ。あたしの甲龍はEN武器への耐性が高めだからそう簡単にはやられないわ」

 

 シルバーベルの威力の確認。リンの機体はディバイドスタイルのヴァリスである上に、サプライエネルギーを大きく消費するような武器は積んでいないためシールドバリア性能が高めだ。それでいて1発で3%削られるってのは弾数から見れば高威力だといえる。ただし、一度に命中する数など高が知れている。この辺りは前もって調べた情報通りだ。

 

「ところでさ……あたしが思うに、いつものアンタならそろそろ突っ込んでそうだと思うんだけど、何かマズイことでも起きてる?」

「ちょっと慎重になってるだけだ。リンは気づいてないかもしれないけど、コイツは“銀の福音”だよ」

「え!? コレが? 嘘でしょ?」

 

 やっぱり気づいてなかった。だけどそれにはちゃんと理由があった。俺が気づいてなかったところでもある。

 

「だってセラフィムって『目の前が真っ白になった』とか言われるくらいの弾幕を張るらしいわよ? どう見てもコイツのはスッカスカじゃない」

 

 そう。今対峙している福音はハイレベルではあるが、決して手の届かない存在ではない。俺の中で膨れ上がったイメージのせいで強敵と認識していたが、ここまでの戦闘で俺は全てのシルバーベルを回避できている。至近距離だと当てられそうだが、幸いなことにシルバーベルはEN武器だ。白式はフォスでもディバイドスタイルだからEN武器のダメージは軽減される。攻撃を当てられてもシールドバリアが削られない分、雪片弐型にサプライエネルギーが回らなくなる事態にはなりにくい。そして福音はフォスのフルスキンスタイルであるから雪片弐型の一撃で倒せる可能性がある。

 

 俺は“この福音になら”勝てるのかもしれない。

 

『ヤイバ、リン。こちらはアカルギに帰還した。直ちにこの海域より離脱する。お前たちも撤退をしてくれ。礼を含めて、話は後で落ち着いてからしよう』

 

 ナナから作戦完了の連絡が来た。一方的な通告のみであるから、既にアカルギは遠く離れていることだろう。これで残るは俺たちと福音だけとなる。

 今もなおリンが福音と撃ち合っている状況だ。俺に飛び道具が無いことは相手側にもバレているようで、俺から近づかない限りはあまり手出しをしてこない。福音が翼を広げる度に現れる光の玉のほとんどがリンに向けて発射されている。リンはその攻撃を避け切れておらず、双天牙月を盾代わりにして防いでいた。もう双天牙月はブレードの原形を留めていない。

 

「ヤイバ、どうするの? もうナナたちは大丈夫みたいだけど」

 

 今、俺にある選択肢はISVSからの離脱か福音との戦闘の続行である。リンが受けているダメージは大きいが致命傷には遠い。戦闘の継続に関しては問題が無さそうだった。

 そしてこの場でこの福音を見逃すことのデメリットが大きい気がした。実力がランカーとは思えなくても、この場に単機で現れたことが気にかかっている。他にプレイヤーが現れないということはミッションでも対戦でもない。ならばなぜこのような場所に現れた? それもナナたちが現れることが予想される場所にだ。ランカー“セラフィム”と同じ機体構成で普通のプレイヤーが近づかない場所に現れているコイツの正体とは?

 

「リン。まだ戦えるか?」

「残りストックは73%。双天牙月は盾にしかならなくなっちゃったけど、衝撃砲は4つとも健在よ」

 

 リンもまだまだ戦える。俺の方はリンのおかげで無傷。福音も無傷であるが、戦闘タイプの相性的に俺たちの方が有利だ。いけるはずだ。俺が雪片弐型を当てるだけの道筋さえあればいいのだから。

 

「このまま奴を倒すぞ、リン。俺が前に出るからリンは援護を頼む」

「わかったわ。後方支援は専門外だけどやってみる」

 

 俺はまずリンから大きく離れる。無理に福音に近寄ろうとはせず、リンと挟む位置につけるように福音の周りを回る。だが完全な挟み撃ちは無理だ。リンよりも圧倒的に速く動くためだ。駄目押しとばかりに翼を開いては光弾を俺とリン、それぞれに放ってくる。大きく回避せざるを得ないので俺はうまい位置を確保できない。

 

「全然ダメ! 撃っても撃っても行動を抑えられない! ねえ、ヤイバ! あたしが突っ込むから、アンタは時間差で仕掛けなさい!」

「は? 突っ込めたら苦労しないってのに」

 

 中距離で射撃を繰り返すことに嫌気がさしたのか、リンは福音への接近を試みた。当然、シルバーベルによる弾幕がその行く手を阻む。だがリンはそれを意に介さず、突撃を止めなかった。

 

「特攻!? でもそれじゃ撃ち落とされるだけ――」

 

 迫り来る光弾を前にしてリンは両手の双天牙月を投げつけた。双天牙月を破壊した光弾は貫通していくことなく霧散し、リンの通り道ができる。すでにリンは両手の“崩拳”の発射態勢に入っていた。当然、龍咆の方も同時に発射できる。だがリンは前に出れただけで福音の隙を突けたわけではない。リンの両手突きから繰り出された衝撃砲は高速で飛行する福音には当たらなかった。だが、今までのように当てられないのではなく、避けさせることくらいはできていた。

 

「とらえたっ!」

 

 俺はイグニッションブーストを使用する。リンから逃げるようにして離れた福音は若干俺の方に寄ってくれていた。その僅かな差が欲しかった。おまけにシルバーベルを発射してから時間も経っていなく、連続使用はされないであろうタイミング。俺が近づけることは確定していた。福音の巨大な翼が目の前にくる。振りかぶっている雪片弐型を叩きつければ勝てる!

 

 一閃。白式の必殺の一撃は確かに福音に命中した。だが、倒せなかった。

 

「くそっ! 紙一重でクリーンヒットしなかった!」

「でもやったわよ! 翼が片方斬り落とせてるから、手数が半分以下になるわ!」

 

 リンの言うとおり、俺の攻撃は福音の左の翼をもぎ取っていた。発射される弾の数が少なければ、先ほどまでよりも楽に接近することができる。もうこの勝負は見えた。リンの特攻のおかげだ。

 

 あとはもう一撃を当てさえすれば、終わる。

 そして、コイツがラピスの言う福音であるならば、箒が帰ってくるんだ!

 ゴールが近い。可能性だけとは言っても俺には十分すぎるくらい魅力的なものだった。

 リンの手は借りたけれど、ちゃんと俺の手で終わらせられることに喜びしか感じない。

 俺は無我夢中で手負いの福音へと迫っていった。

 大した障害もなく接近に成功した。

 雪片弐型の届く範囲で俺が負ける理由などあるわけがない!

 

 

 ――そのはずだったんだ。

 

 

「あ、れ……?」

 

 雪片弐型が止まった。正確には止められた。ENブレード同士の干渉によるものだ。この期に及んで福音はENブレードを隠し持っていた……ということならばどれほど楽だっただろうか。

 

「な、何よこれ……? ISが変身してる……?」

 

 

 福音の背中から半壊したシルバーベルが剥がれ、眼下の海面へと墜落していく。福音が壊れたわけでなく、自ら望んで捨てていた。まるで今まで使っていた武装が拘束具だったみたいだ。左手の掌からはENブレードが“生えて”きており俺の雪片弐型を受け止めていた。右手も同様に掌からENブレードが生えてきており刀身は俺の腹部に当たっている。

 

「くっ! やられた!」

 

 今のでストックエネルギーが33%減少。腹部は絶対防御の発動コストが大きい部位である。ENブレードの威力としては雪片弐型より小さいが、十分に高威力な代物だ。完全に不意を突かれた俺は慌てて距離を置く。不意打ちで動転していたのを落ち着かせて、再び福音と向き直るとそこには――

 

 紛れもない天使の姿があった。

 

 4対の光の翼が花弁のように広がっている。翼のひとつひとつはISという機械の装備にしては鳥の翼に近い形状をしていた。機械より生物、生物よりは神秘の産物といった方がしっくりとくる。故に天使だと思ったのだ。

 

 だが、天使が人に優しい存在であるとは限らない。

 ましてや、俺が持っている天使のイメージ通りで終わらなかった。

 

 辺りに耳鳴りを思わせる咆哮が響きわたる。

 機械音ではなく咆哮だ。

 なぜならば――福音がその口を開いていたのだ。

 ギザギザな牙を思わせる邪悪な口は怪物のものでしかない。

 

 リンは変身したと言った。確かにそうだ。目の前の存在は既にISでなく、ただの化け物でしかない。

 

「リン! 今すぐにISVSからログアウトしろ!」

 

 変身を遂げた福音の目は俺に向いていた。フルスキンらしいバイザーは弾け飛んでおり、奥に見える瞳が俺を真っ直ぐ見つめている。ぞくりと寒気が走る。福音の両の眼はおよそ人のそれではない。金色の瞳はまだ許容できる。だが人ならば白であるはずの眼球が真っ黒に染まっていたのだ。

 嫌な予感で冷や汗が止まらないが、とりあえずリンが逃げるだけの時間はありそうだと判断する。今の俺が優先すべきことはリンの離脱だ。

 福音が動く。俺よりも始動が速い瞬間移動のようなイグニッションブーストにより、いつの間にか正面にまで来ていた。リンの返答もリンの行動もわからないまま、俺は戦闘を再開することになる。福音のENブレードを雪片弐型で受け止める。しかし、同時に振られていたもう片方を防ぐものは何もなく、右の翼を持っていかれた。

 

 ――距離を置くか? いや、イグニッションブースターの片方を失った俺ではどう頑張っても逃げきれない。むしろ至近距離を維持してカウンターを浴びせた方が勝てる可能性がある!

 

 次の福音の攻撃は受け入れる。同時に雪片弐型を突き立てれば、火力差で俺が勝てる。でもそれは甘えであり、福音も同じ行動を取ってくるとは限らなかった。福音の方からイグニッションブーストで距離を取ってくると思ったら、直角に近い角度で方向を転換。カクカクと雷鳴の通り道のように白い軌跡を残す福音の姿を俺は完全に見失っていた。信じられない。福音の機動は全てイグニッションブーストによるものだった。

 気づいたときには福音は俺の背後にいた。福音の8つの翼が巨大化して俺の周囲を覆ってくる。夕焼け空が白い光で埋め尽くされて、俺が見えるのは福音だけとなった。そして翼の表面にはシルバーベルの光弾が生成される。その数はスペック上の32発を超えていた。

 マズイと思ったときには遅かった。脱出するためにも俺は背面に振り返って福音に雪片弐型で斬りかかる。だがその刃は虚しく受け止められ、俺を覆う翼が縮小して俺を包み込んだ。

 

 眩すぎる発光の後、俺は重力に引かれて落下を始めていた。PICが完全に機能していない。要するにISの機能停止である。ストックエネルギーの残量は見事にゼロであった。

 

 俺はストックエネルギーがゼロを指しているのを初めて見た。それは初めての敗北を意味しているのではなかった。そのことに俺が気づいたのは、落下している俺をリンがキャッチしてくれた時である。

 

「リン? なんで逃げてないんだ!」

 

 勝手ながら『アンタを置いていくわけないでしょ』と言われると思っていた。だけど俺の予想とは違う方向で返答がくる。

 

「帰れないの……」

 

 ようやく気づいた。今の俺がISVSにおいて異常な状態であることにだ。今までも普通ではない状況があったが、やられたときだけは無事に帰ることができていた。それはラウラ・ボーデヴィッヒのときに証明されている。敗北時は任意でなく自動で送還される。今の俺の状況が意味するものはつまり、俺も帰ることができない状況にある。

 リンは俺を近くの島に降ろした。装備している白式が拘束具みたいになっていて動けず、俺はリンにされるがまま砂浜に寝かせられる。

 

「ねぇ、ヤイバ……これってナナたちと同じなの?」

 

 俺には答えられない。頭の中では限りなく近いのだとわかっていても、それを言葉に出すことは憚られた。言ってしまえば、それが事実になりそうだったんだ。

 頭上を見上げれば福音はまだ俺たちを追ってきている。急ぐこともないという余裕の表れなのか、天から遣わされた使いそのままのイメージで悠然と降りてくる。

 

「アイツ、まだヤイバを狙ってるわね」

 

 リンが俺から離れて空へと戻る。向かう先は福音だった。

 

「待て、リン! そいつには向かうな! 逃げてナナたちに助けを乞え!」

 

 声だけは出るが手はまるで動かない。倉持技研にあった出来損ないの白式と同じだった。ただのガラクタに包まれた俺は、身動きがとれずに見ていることしかできない。

 

「あのね、ヤイバ。あたしが逃げたらアンタはどうなるのよ? その状態でやられたら、現実でも死んじゃうかもしれないんでしょ?」

「そうと決まったわけじゃない!」

「でもそうかもしれないのよね? だからアンタはあたしだけでも逃がそうと必死になってる。そうでしょ?」

 

 否定などできなかった。正しく俺が思っているとおりのことをリンは言い当てている。

 

「こうなったらあたしが戦うしかないわよね」

「バカなことを言うな! 俺が危険と判断したら指示に従えって言っただろうが!」

「あたしがアンタの言うことを聞いてるだけの女だと思うな」

「こういうときばっかりひねくれやがって……お前がそこまでする理由なんてないだろ!」

 

 その瞬間に俺の傍の砂浜が弾け飛ぶ。リンの崩拳によるものだ。

 

「あのねぇ……って口で言ってもアンタにはわかんないか。そんなアンタには一言だけ伝えておく方がかえって良いかもね」

 

 リンが俺に背を向ける。もう福音はすぐそこにまで迫ってきていた。

 夕焼け空を背景に、リンはツインテールを靡かせながら上昇していく。

 俺の位置からはリンの顔は一切見えない。

 どんな心境で福音に向かっているのか、わかりたくなかった。

 

「ありがとう、一夏。あたしはアンタに会えて本当に良かった」

 

 こんな場面で聞く感謝の言葉なんて要らなかった。

 判断を誤ったことを罵倒してくれた方がマシだった。

 生きるために、逃げて欲しかった。

 

 リンと福音の戦いが始まった。リンの衝撃砲は避けられなかった。光の翼でいとも簡単に弾かれてしまったのだ。この時点でリンには一切の勝ち目がない。逃げろと念じるが無駄だった。リンは位置を変えながら翼に当たらないポイントを探してる。だが、そんな隙がある相手ではなかった。変貌を遂げた福音は俺たちでは全く手が届かない存在だ。不用意に近づいたリンに対して福音も接近戦を挑み、ENブレードがリンの両腕と龍咆に叩きつけられた。もう無事な装備は残ってない。戦闘不能に陥ったリンを福音の翼が包んでいく。

 

「動けよ、白式! ここで戦えなきゃ、俺は何のためにISVSを始めたのかわかんねえだろうがっ!」

 

 白式は応えない。そもそも仮想世界で機械に八つ当たりしている時点でおかしいんだ。でもそうせざるを得ないくらいに俺はこの状況を看過できない。俺自身が招いた危機で鈴が失われたら、俺は……。

 

 福音の翼は無情にも眩い発光をし、リンが墜落していく。俺と違って意識も完全になくなってしまっているようだった。力なく落ちてくるリンをなぜか福音が追いかけて捕まえていた。

 

「おい、何をする気だ……?」

 

 福音はリンの頭を掴んで顔の近くにまで運ぶ。するとリンの姿は光に包まれ、発光する小さな球体になってしまった。リンだった光は福音の右手に掴まれたまま、福音は右手を口元に近づけて牙だらけの不気味な口を開いた。

 

「やめろ……やめろやめろやめろ!」

 

 

 光は福音の口の中へと吸い込まれていった。この場のどこにもリンの姿はない。

 

 

「あ、ァ……」

 

 俺の慟哭は声にならなかった。

 

 リンがいなくなった後、福音は俺の姿を一瞥すると日の沈む空の向こうへと消えていった。

 

 ……どうしてだよ。どうして俺を見逃した! 福音を追ってるのは俺だけだったのに、どうしてリンだけ……。罰を受けるなら俺じゃないのかよ……。

 

 福音がいなくなったことにより、ISVSが正常化する。敗北による自動転送が始まり、俺は現実へと帰される。

 

 ……俺、だけ。

 

 現実に帰った俺を待っていたのは、ソファに横たわって目覚めない鈴だった。


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