Illusional Space   作:ジベた

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【福音事件 - Illuminated Sacrifice - 】
01 果たせない約束


 透き通る氷のように澄んだ空の下、俺は独り立っていた。

 

 周囲にそびえる杉の群れや石だらけの参道には雪化粧が施されており、無数の凍てつく切っ先がジャンパーの上からチクチクと俺をいじめる。雪が降っていないだけマシであるが、雲一つ無い青空で迎える朝は一際冷え込むものだ。曙光が差し始めた程度の熱量では気温は上昇していない。俺は悴む両手を擦り合わせ、白く可視化された吐息を当てて暖をとることで耐える。

 今すぐにでも帰ってコタツにもぐり、ミカンでも食べながら一時の幸せを感じていたいものだが、生憎と俺は目的があってここにいる。

 

「来てくれたのだな……一夏」

 

 俺の名前を呼ぶ声がする。早朝の凍える空気の中、神社にまで来た理由は彼女に呼ばれたからだ。急に呼び出された上に5分以上も放置され、少々頭に血が昇っていた俺はイライラする頭を掻きながら声のした方に向かって反射的に「来てやったんだ」と言い放った。

 ところが直後に俺は目を丸くすることになった。続く言葉である『感謝しろよ』がボソボソと尻すぼみ、自分の耳でも何と言ったのか聞き取れなかったくらいに動転していた。

 

「……何か一言があってもいいのではないか?」

 

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 そこに俺の知る彼女はいなかった。彼女の和服姿くらい見慣れているつもりだったのだが、俺が何もわかっていないことが証明された。

 神社の傍にある建物から現れた彼女。

 赤色を基調とした鮮やかな着物には、彼女が普段身につけている胴着と袴には無い“女性らしさ”があったのだ。普段と同じように束ねられた黒髪には金色の簪が刺してあり、素直に『きれいだな』と思った。

 突然に“親しい友人”から“親しい異性”になった気がして、なぜか気を張ってしまう。

 

「ま、馬子にも衣装」

「…………」

 

 空気が急に2、3℃下がった。所詮は体感温度。これくらい簡単に上がり下がりする。

 こういうとき何と言えばいいのか、と思案した挙げ句に出てきた言葉はどこかのマンガで出てきたようなやりとりの一部。意味もわからずに口走ったのであるが、彼女の冷たい目線のおかげで俺が間違えたことだけは本能で理解した。

 しばし何も言えず互いに固まる。この膠着は俺から崩せるはずもなく、止まっていた時間は彼女が吹き出すように笑ってから動き出した。

 

「お前に気の利いたことを言えという方が間違っていたな」

「ちくしょうっ! 俺を『頭が残念でかわいそうです』みたいな目で見るのをやめろ!」

 

 叫びながらも俺は落ち着きを取り戻していた。やはり軽く言葉を吐ける間柄の方が気楽だ。俺は頭が悪いから、俺の口から出る一言の意味をいちいち考えてはいられない。

 ドラマなどで耳にするかっこいいセリフを、誰かに用意されずに言えるなんてことは少なくとも俺にはありえない。

 これが俺らしさだ。それでいい。

 

「で? 何の用だよ。俺は今日は一日中コタツにもぐって、TVをダラダラと見続ける予定だったんだぞ」

「典型的なダメ人間だな」

「正月くらい別にいいだろうが! 世の中の人でも少数派じゃないだろ!?」

「ほほう。一夏が“少数派”などという言葉を知っているとは……私は驚きを隠せないぞ」

「たまたま知ってただけだよ! 悪かったな!」

「そうだな、一夏は多数派だったな。……新年だというのに一緒に過ごす人もいない寂しい男なのだ」

「ん? どういうことだ?」

 

 俺は彼女の言いたいことが掴めずに聞き返す。しかし彼女は「お前には早い話だった」と首を横に振るだけで教えてはくれなかった。

 

「せっかく来たのだ。お参りしていけ」

「しょうがねえな」

 

 あくびを隠さずに俺は浅い雪道を歩き始める。後ろを振り返りはしなかったが、彼女が後を追ってきているかどうか耳を澄ませていた。

 だがどうにもテンポが悪い。無駄に良い姿勢できびきびと歩くはずの彼女がどうやらいつもどおりではないとすぐに悟る。

 どうしたのだろう、と振り返ればほぼ真下をのぞき込むように見ながら、バランスを取るために両手を広げてフラフラと危なっかしく歩いていた。慣れない履き物でいきなり雪道だから仕方がない。当然、俺は彼女の元に駆け寄る。

 

「ったく、慣れない格好をするからだよ」

「……言い返してやりたいが、私もそう思う」

 

 俺は左手を彼女の前に出す。彼女の両手は触れるか触れないかのところでしばらく宙をさまよっていたが、首を横に振って二度ほど頷いた後に飛びつくように俺の腕を抱え込んだ。

 

「不覚……こうしてお前に頼らなければ歩けぬとは」

「ハッハッハ! らしくないことをしたからだと諦めな」

 

 うまく軽口を叩けているだろうか。少なくとも笑い声は裏返ってしまっていた。

 腕にしがみつく彼女の胸から伝わる鼓動に共鳴して俺の鼓動も高鳴っていく。それが彼女に伝わって欲しいようで伝わって欲しくなかった。きっと言葉にはできない。

 2人並んで誰もいない新雪の参道を歩いていく。元日ではない上に早朝、さらには小さな神社であるから人が居なくても不思議ではない。

 彼女のペースに合わせて俺はゆっくりと歩を進める。少し速めると普段の彼女からは聞けない「きゃっ」という短い悲鳴が聞こえたのだが、調子に乗って繰り返したら殴られたので自重する。

 

「さてと、賽銭でも投げるとするか」

「ああ、そうしよう」

 

 雪道が終わり、賽銭箱の前にまで来ると彼女は俺の手から離れて横に並ぶ。彼女の温もりが離れて若干寂しい気がしていたが、悟られたら負けだと思い、なんでもないフリをする。

 適当に5円玉を選んで投げ、手を合わせて黙祷。

 今年もいい年でありますように、と誰もが最初にパッと思いつくであろう願いを頭に浮かべていた。

 

「一夏は何を感謝したのだ?」

 

 彼女の言葉で俺は閉じていた目を開ける。

 すぐに答えようとしたが、彼女との食い違いにすぐに気づく。

 

「感謝? 願いじゃなくてか?」

 

 俺の疑問は尤もなことだったようで、彼女はしきりに何度も頷いて納得していた。ちなみにこれは俺をバカにしてるわけじゃなくて、彼女が自分を納得させるときの癖だったりする。

 

「一般的にはそうだと父上も言っていたな。私は神主の娘だから違う話も聞いてしまう。お賽銭は昨年にあったことへの感謝なのだと父上に教わったのだ」

「へぇ。じゃあ、お前が何を感謝したのかを聞かせてくれよ。そしたら俺の願いも言ってやる」

 

 いじわるを言ったつもりだった。

 でも予想に反して俺の聞いたことが嬉しかったようで顔を明るくさせる。

 

「よし、教えてやろう! 私はな、一夏に出会わせてくれてありがとう、と伝えたのだ!」

 

 不意打ちだった。満面の笑みがとても眩しい。

 嘘偽りのない彼女の心が表に出ていると見ただけで伝わってくる。

 初めて会った頃の彼女には無かった輝きが今ここにある。

 当然、素直になれない俺は言葉に詰まった。

 

「え、と……」

「べ、別に変な意味じゃないぞ!? か、勘違いするな!」

 

 訂正。彼女も素直じゃない。

 わからないことが多い俺でも彼女から溢れ出る好意に気づかないわけがなかった。

 

「ところで、一夏は何を願ったのだ?」

「言うけど笑うなよ」

 

 墓穴を掘るとはこのことだ。

 『彼女が言えば自分も言う』と俺は確かに約束した。

 だから言わなくてはいけない。

 

「今年も良い年でありますように……だ」

「なるほど、良いことだ。それは私も願おう。今年も一夏にとって素晴らしい年でありますように」

 

 彼女は再び本殿の方を向いて黙祷を捧げる。このまま一方的に俺のことばかり祈られてもむず痒かったため、俺もお返しとばかりに祈った。

 ……彼女にとって素晴らしい1年でありますように、と。

 

「どうしたのだ、一夏?」

「俺もお前の1年が良くなるよう、神様にお願いしたんだ」

「そうか。贅沢だな、一夏は」

 

 てっきり今日の彼女からはお礼の言葉でも聞けるのかと思っていたのだが、世の中そんなに思い通りにはいかない。内心の期待があったからか、俺は肩を落とし参道へと戻り始める。

 

「……私には無理なのだ」

「ん? どうしたんだ?」

 

 すぐに付いてくると思っていたのだが彼女は賽銭箱の前からなかなか動こうとはしていなかった。

 呟いた言葉の真意など俺にはわかるはずもない。彼女に「なんでもない」と言われればそれで引き下がるしかなかった。

 

「今日はありがとう。こんな朝早くに来てくれるとは、正直思っていなかった」

「暇だったからな。それに家は俺が早起きしないと家事が成り立たないんだよ。で、これからどうする?」

「実は用事はもう済んだのだ。本当に感謝している。帰って千冬さんの朝ご飯を作る必要があるだろう? これで解散としよう」

 

 ただ自宅でもある神社に初詣をするために俺を呼び出したらしい。顔を伏せる彼女の本心がどこにあるのか計れない俺は彼女の言葉に従って家に帰ることにするしかなかった。

 それでもこのまま帰るのがしっくりこなかった俺は帰る前に一言だけ残しておきたかった。

 

「次の初詣も2人でやろうぜ! 約束だ!」

「い、一夏!? それは――」

「え? 嫌、なのか?」

「い、嫌なものか!」

「よし、決まりだ。じゃあ、またな!」

 

 俺は彼女の顔もまともに見られなくなり、片手を上げて別れを告げた後でその場を走り去る。

 次に会うときにどんな顔をすればいいのかと悩む。同時にワクワクもしていた。

 

 ――“次に会うとき”がやってこないことなど考えもしなかったんだ。

 

 

 2人だけで交わした次の“約束”。それはまだ幼かった俺には気恥ずかしいものであった。恋というものを知らなかった俺だから、今では当時の感情が何であったのかは推測することしかできない。

 今考えると彼女は全て知っていたのかもしれない。

 自らが転校していくことはもちろん、俺が抱いていた感情も……

 きっとあの時だけ俺が名前を呼べていないことにも気づかれている。

 あの日、あの時間に俺を呼び出したのは最後のチャンスだったからなのかもしれないのに。

 俺と共に居られる、最後の……

 

 あれから7年弱。俺たちはまだ約束を果たせていない――

 

 

***

 

「いってーっ!」

 

 頭にガツンと衝撃がやってくる。いったい何事かと辺りを見回すと、まずここが教室であることに気づいた。

 クラスメイトたちの視線を一身に受けていることがわかる。すぐ傍に唯一起立している凶悪な気配があることもだ。

 

「織斑、オレの授業中に寝るとはいい度胸だな」

「す、すみません! しかしながら宍戸先生。箱に入ったままの辞書の角で叩くのは流石に体罰に当たる気がすると愚考する次第であります!」

「それはオレのせいじゃない。他ならぬお前の辞書だからな。どうして箱に入ったままなのかは自分の胸に聞くがいい」

 

 もう一発、俺の脳天に辞書が振り下ろされた。

 反論できない。俺が授業を受ける意思が希薄だったのだから因果応報だ。少なくとも千冬姉に泣きついたところで『お前が悪い』で済ませられることは間違いない。

 

「織斑! 聞いているのか!」

「は、はい!? な、なんでしょう?」

「……聞いているのならさっさと答えろ」

 

 鬼教師と評判の宍戸先生に目を付けられた今日の授業は平和に終わりそうになかった。まだ30代だろうに、まるでどこかの傭兵部隊にいたかのような鋭い目で生徒を震え上がらせている。いや、実際の傭兵がどんなものかは知らないがそれだけ怖いってことだ。

 

「一夏、俺に任せろ」

「弾か!? 助かるぜ」

 

 すぐ後ろの席である弾が小声で助け船を出してくれる。

 中学時代からの付き合いであるこの男の名は五反田弾という。赤っぽい髪は地毛であるが長く伸ばした髪がチャラさを演出しているため、コイツも教師にはよく思われていないことは確実だ。

 とは言っても普通に成績はいい奴なので、素直に助けられることにする。

 

「で、俺は何を聞かれているんだ?」

「お前でも答えられる簡単な問題だ。“I'm stupid. を和訳しなさい”だ。いけるか?」

「流石にそれはできる。サンキュ」

 

 弾の助力を得た俺は宍戸をまっすぐに見返した。

 俺がいつもお前の眼力に負けるわけじゃないってことを見せてやる。言ってやろう、俺の答えは――

 

「俺はバカです!」

「誰が自己紹介をしろなどと言った! もういい。御手洗、代わりに答えろ」

 

 何でもなかったかのように教室では授業が再開される。

 宍戸の質問は全く別のものだった。

 

「弾、テメェ!」

「何ですか、織斑くん。授業はちゃんと前を向いて受けましょうね」

「何なの、その言葉遣い!? お前が優等生ぶってもきもいだけだからな!」

「織斑ァ! やる気が無いなら出てけェ!」

「す、すみません! 大人しくしますんで欠席扱いだけはご勘弁を!」

 

 着席する前に必死で頭を下げた。後ろでは笑いを必死にこらえている悪友が居る。後で覚えてろよ。

 

 

***

 

 

 無事に授業が終わる。果たして無事だったと言えるのだろうか。

 考えていても埒が明かないので早速報復の時間に移ることにする。

 

「ついにやってきたぜ、弾……お前に復讐するこの時が!」

 

 勢いをつけて仰々しく振り返る。

 すると、目が合ったのは弾ではなくツインテールの女子だった。クラスの女子の中でも小柄な方で猫を思わせるパッチリとした目がチャームポイントだ、と弾は言う。

 彼女は凰鈴音。俺にとっては弾よりも古くからの付き合いである友人だ。

 

「何が復讐よ。アンタにはこっちの復習がお似合いだわ」

 

 ほらこれ、と彼女はノートを俺に差し出してくる。見たところ英語のノートのようだ。

 

「貸してくれるのか、鈴?」

「どうせ全く耳に入ってないんでしょ? このままじゃアンタ、本気で進級が危ないわよ」

「サンキュ。弾と違って鈴は優しいなぁ」

「べ、別にアンタのためってわけじゃないんだからね!」

 

 褒められて素直に喜べない鈴のことだ。つまりは俺のためなんだろう。俺はいい友を持ったよ。

 

「そうだな。鈴は一夏のためじゃなくて、自分のためにノートを貸すわけだ。いいじゃないか自分本位。そうして点数かせ――ぎぃっ!」

「いい加減黙れ、アホ弾!」

 

 鈴の回し蹴りが弾の後頭部を直撃する。これも見慣れた光景になったものだ。

 クラスが変わる度に周りの新鮮な反応が見れていたのだが、半年も過ぎれば日常風景に溶け込めてしまえる。

 人によっては拍手してたり、羨ましがってるのもいる。

 うむ……後者については触れないでおこう。

 

「口は災いの元だと何度も言ってるじゃんか、弾」

「わかってるさ、数馬」

 

 ズレたメガネを直しながら俺の隣の席の男が後頭部を押さえている弾を心配そうに眺めている。

 この大人しそうな男、御手洗数馬は見た目に反して俺や弾よりも肉体派である。体育の時間に見た筋肉美は今でも忘れられない。それでいて俺よりも勉強ができるなんて世の中は不公平だ。決して底辺争いだなどと気づいてはいけない。

 

「それで、今日は弾と鈴はどうするん?」

「あーと……あたしは今日は一夏と帰ろっかなーと思ってたところなんだけど」

「よし、一夏! 一緒にゲーセンいくぞ!」

 

 数馬が弾と鈴に今日これからの予定を確認する。俺に確認しない理由は決して俺を仲間外れにしようとした意図があったわけではない。

 ……俺の方から仲間に入っていないだけだ。

 鈴が俺と帰ろうと発言したところで弾がすぐさま行動を開始する。帰り支度を済ませた俺の首根っこは掴まれ、逃げることは難しそうだった。

 こうなったらテキトーに付き合うのが手っ取り早い。

 

「じゃあ、行くか」

「いいの、一夏?」

「別にいいよ。鈴も遊びたいだろ? 俺は見てるだけでいいから」

「流石は一夏! 話が分かる奴だぜ! 今日の相手は鈴が欠けると厳しいんだって」

「弾、また妙な対戦相手じゃないでしょうねぇ。アンタが前もって取り付けた対戦には、ろくなのがないのよ」

「大丈夫、大丈夫。任せとけって」

 

 前に何があったのかは知らないが、弾の『任せとけ』に不安を覚えることだけは共感できた。

 とりあえずは教室に残っていても仕方がないので俺たち4人は駅前のゲーセンへと向かうことにする。教室を出てからも弾が今日の相手とやらを鈴と数馬に話していたが、俺には良くわからなかった。

 校門から出て数馬に声をかけられるまで俺は話を聞こうとも思っていなかった。

 

「なあ、一夏も俺たちと“ISVS(アイエス・ヴァーサス)”やろうぜ? それで解決じゃん?」

「い、いや俺は――」

「ちょっと数馬。一夏に無理強いする気ならあたしは帰るわよ」

「俺も鈴に賛成だ。遊びってのは義務になったらダメだ。一夏に遊びたいという欲求があるのならトコトンまで付き合うが、俺らの都合でやらせるのは違うだろ?」

 

 弾、たぶん今日のこれまでの流れが無かったら『良いこと言った』と思えるんだけど、今日のテメェじゃダメだ。

 弾に対して思うことはさておき、やはり今日もはっきりと俺から言っておこう。数馬も好意から誘ってくれてるわけだし。

 

「悪いけど、どうも俺はそのゲームを楽しめそうにないんだ」

「うーん、やらず嫌いはもったいないと思うぜ? 試しに1回やってみるってのは?」

「考えとくよ。少なくとも今日じゃないけどな」

 

 いつもと同じ断りを入れておく。数馬の言うとおりやらず嫌いなのは理解しているが無理なものは無理だ。

 題材が“IS”であるかぎり、俺が心から楽しめるはずなどない。

 鈴は俺のIS嫌いを知っているから彼女が俺を誘ってくることは無い。

 ……そういえば鈴もISにはいい感情を持ってなかった気がするのだがどうしてやってるんだろう? 今まで疑問にも思ってなかった。

 

「なあ、鈴。鈴はどうしてISVSをやってるんだ?」

「え? どうしてそんなこと聞くの?」

「なんとなくだよ。で、どうなんだ?」

「……初めは変わったゲームが入ったなぁ程度だったんだけどね。やっぱり完成された体感型ゲームってのが大きいのかも。他のゲームがグラフィックがどうのこうの言ってる中、これだけは“別の世界に入り込む”みたいだったから」

 

 俺にも少しだけ知識にあることだった。鈴たちがハマっているこのゲームはディスプレイを必要としていない。ゲーセンに置いてあるディスプレイは観客用だ。プレイヤーにとってカメラはアバターの目でありコントローラーはアバターの手足である。つまりは自分自身が仮想空間の中でISを動かせる一種のシミュレータのようなものだ。

 

 ISとはインフィニット・ストラトスの略称で、ゲームに登場するマルチフォームスーツ、言い換えれば人が“着る”兵器である。これは実在する兵器であり、その力は世界の軍事バランスを崩壊させたとメディアが騒いでいた。

 さらに言えば、バランスが崩れたのは国家間の軍事力だけでなくて、世界中の男女の力関係にまで影響を及ぼした。ISを扱うことができるのは女性だけであったためだ。

 

 そんな色々な世界情勢が変わりつつある中で、誰が開発したのかは知らないが男でもISを操縦できるゲームが発表された。

 それが“IS/VS(インフィニット・ストラトス/ヴァースト・スカイ)”。

 当初は男が遊ぶためのものだと思われていたが、『絶対数が少ない』というISの抱える問題のために各国のIS操縦者が練習用として使用を始めた。現役の操縦者が「本物と同じだ」とコメントしたことで男女問わずプレイされるようになり、今では正式な操縦者すら現物を滅多に使わないとのことだ。どうしてそうなったのかは知らないが各国の代表者が争うIS世界大会“モンドグロッソ”もこのISVS上で行われているらしい。

 ゲームバランスをどう調整しているんだろう? そんなことは俺にはどうでもいいことか。

 

「鈴はIS操縦者を目指してるってわけじゃないのか?」

「何言ってんのよ。そんなのはこっちから願い下げだわ。ゲームはゲーム。それであたしは満足よ」

「ま、一夏が気にするのもわかるけどな。ISVSの女性プレイヤーは現役国家代表から候補生、果ては候補生になりたがっている女子で溢れかえってる。鈴みたいに将来のためじゃなくやってる女子の方が珍しいぜ」

 

 俺は明らかにホッとしている。別に鈴がどんな思惑でこのゲームをやっていようが関係ないはずなのだが、気になってしまったのだ。

 などと雑談をしている内に目的地に到着。音と光が激しく飛び交う店内へと俺たちは足を踏み入れる。

 

「お? 我らが“バレット”ご一行の到着か。まだ予定の時間まで少しあるぜ」

「今回ばかりは遅刻はマズいっすからね、“ディーン”さん」

 

 店内に入ると弾は勝手知ったる我が家といった様子で奥へと入っていき、店員らしき人と話を始めていた。

 

「じゃあ、俺は調整に入るとするよ。鈴は?」

「あたしはすぐに始められるから1人でやってて」

 

 数馬は財布からカードを取り出してマッサージチェアのような筐体へと向かっていく。あれに座って備え付けのヘルメットみたいなものを被るとプレイできるようだ。さっそくディスプレイには数馬と思われるキャラが現れている。

 

「ねえ、一夏。もう無理しなくていいよ。あたしはコイツらに付き合うけど、つまんなかったら帰ればいいからさ」

「最初からそのつもりだから安心しろ――っと弾が戻ってきたぞ」

 

 少し慌て気味の弾がこちらに走ってくる。何かトラブったか?

 

「先方がもう入ってるらしい。鈴、俺たちも早く入るぞ」

「へ? まだ時間があるはずじゃないの?」

「そのはずだけど待たせてるのはマズい。急いでくれ」

「もう、何なのよぅ……たぶん先に帰っちゃうだろうから言っておくね。また明日、一夏」

「ああ、また明日」

 

 鈴に挨拶を返すと彼女は弾たちと同じようにイス型の筐体に腰掛けてメットを被る。もう鈴もあちら側に入った。俺が帰っても彼女たちが気づくことはない。

 

「少しだけ見ていくか……全然わかんねえけどな」

 

 いつもならここで帰ってしまうのだが、今日はなんとなく少しだけ見ていくことにした。

 画面には10VS10のチーム戦と書かれている。どれが誰なのかさっぱりわからない。

 ただ、素人から見ても1人だけ明らかに動きが違う人が居た。ジグザグと高速で動き回っては相手を殴りつけて沈黙させていく。

 

「うっへぇ……あの“バレット”たちが押されてるぜ」

「マジかよ。ってちょっと待て! 相手に“ファング・クエイク”が居るじゃねえか! そりゃ無理だろ……」

「アメリカ代表だもんなぁ。アメリカと言えば不穏な噂があるよな。アメリカの機体と戦った奴が意識不明になるっての」

「今そんな都市伝説を持ってくるなよ。素直に国家代表の試合を見ようぜ」

 

 近くから聞こえてきたやりとり。ファング・クエイクとはどうやら俺が注目していた人のことのようだ。ここにいない人のことのようで、その人に弾たちが負けている。既に一人相手に5人がやられているし素人目でも勝ち目は薄そうである。

 

「もういいか。この様子じゃ弾たちは負けっぽいし」

 

 興味のないゲームのこと。知り合いの負け試合をいつまでも眺めているような理由は何もなかった。

 俺は踵を返し、ゲーセンを出る。騒々しい店の音が自動ドアによってシャットアウトされたところで腕時計を確認する。

「まだ時間はある……か」

 

 せっかく駅前まで来たのだから、と俺は帰る前の寄り道を一つ追加する。本当は帰ってから改めて行く予定だったがこの際は仕方がない。

 駅の中にまで入っていくとすぐさま改札をくぐり、たまたまタイミングのあった電車に滑り込む。そのまま3駅ほど移動したところで下車し、駅を出て徒歩10分の場所にある病院へと俺は入った。

 もう慣れた場所だ。受付に向かい、俺は用件を伝える。

 

「見舞いにきたのですが――」

 

 病室の番号を言い、自分の名前を記入する。そうして病棟へ行く許可をもらい、歩みを進める。

 初めてここに訪れたときはなぜ病院なのかということを考えもせず、俺はただ純粋に嬉しかったことを覚えている。そして、帰り道は深い悲しみを抱えていた。

 今だってそうだ。こうして病室へと向かう間は少なくても希望を持っている。それも到着と共に消えさり、絶望を持ち帰ることになる。ただこの繰り返しでも、俺の日課として続いていた。他にできることなんて無かったから。

 

 目的の病室を開ける。個室というだけでなく、面会に手続きを要する辺り“彼女”は特別なのだろう。

 なにせ原因不明の昏睡状態だ。医者も治療はお手上げだと言っている。“彼女”の体はどこも傷ついていなく、横たわる姿は眠っているだけにしか見えない。事実、“彼女”は眠っているだけなのかもしれない。

 

 頭側に備えてあった丸イスに腰掛けた俺は眠っている“彼女”の頬をそっと撫でた。もし起きていたら“彼女”のことだ。『何をする!』と顔を赤くしてビンタの一つでも浴びせてくるに違いない。

 ……そうに違いない。

 

「俺はバカだからさ、ダメだって言わないとエスカレートしちまうぞ?」

 

 返事はない。

 声より先に出ていた“彼女”の手も動かない。

 だから俺の知る“彼女”はここにいない。

 

「どうすればまたお前に会えるんだ、“箒”」

 

 あの日。約束を交わした日に呼べなかった“彼女”の名前を呼ぶ。この俺の声も彼女には届いていない。そう思うとただひたすらに悔しかった。

 1年前に彼女の居場所を知れたときは諸手を挙げて喜んだ。しかし再会した彼女はその目を開けてくれない。抜け殻のような彼女に対して俺は何もできない。

 時間が解決してくれるのならいくらでも待つ。だが保証などどこにもない。

 

 俺は神を呪いたくなっている。感謝することなど一つもなく、願いを叶えてくれないことなどとっくに理解した。彼女も願ってくれた“俺にとっての良い年”は7年前のあの日より一度としてやってきていない。

 

「なあ、箒。俺はどうすればいいんだよ……」

 

 何が俺たちを分け隔てているのだろうか。

 これが人為的なものなら俺は鬼にでもなって原因を排除しに行きかねない。

 これが運命だというのならば悪魔に魂を売ってでも運命を定めた神を討とう。

 そう考えることすらもただの現実逃避だ。いずれを実行しても箒が目を覚ますのでなければ意味がない。

 

「ごめんな、弱気なことばかり言って。……また、来るよ」

 

 病室に居れば居るほど自分のことを嫌いになりそうだった。何もできない自分に対しての憤りだけでなく、病室にいることに意味を見出してしまいそうだったからだ。

 そうなると俺が彼女のためではなく自己満足のために訪れたと認めたようなもので、俺にとって彼女が何者かを見失ってしまう。

 だから、いつも決まって俺は逃げるように立ち去るのだ。

 

 扉だけは静かに閉め、廊下をできる限りの速さで歩き出した。目から零れ落ちそうな何かを必死に留めて帰り道を急ぐ。堰が切れて流れ出せばもう抑えるものはなく、彼女が目覚めない現状を認めてしまう気がしたんだ。

 下を向いて歩いていた。当然、前方が見えているはずもなく――

 

「いたっ!」

「んぐぅ――っ!」

 

 柔らかい何かにぶつかり、反動で俺は尻餅をついた。普通に考えれば人にぶつかったのだろう。妙な声を上げたのは声音から女性だと推測できた。

 

「すみません、良く前を見ていなかったもので」

「ふぃをふへはまえひょ」

「あのう……何を言っているのかわかんないので、くわえてるものを取ってはどうでしょう?」

 

 ぶつかった人の口からは3本の白い棒が伸びていた。最初はタバコかと思ったのだが、やけに細い。見覚えのあるそれは十中八九チュッ○チャプスだった。

 女性の年齢は千冬姉と同じくらいといったところか。肩にかかるくらいの黒髪を後ろで束ねているが、束ねた箇所で爆発したように広がっている。それにしてもこの人の服装は何なんだろう。黒いTシャツにジーパンまでならいいのだが、その上に白衣とは……。女医さんにしてはラフな気がするし、そうでないのならなぜ病院で白衣なのかわからない。

 

「気をつけたまえと言ったのだ、少年」

 

 女性は3本の飴を口から引き抜いて改めて『気をつけろ』と言ってくる。しかし俺は申し訳なく思うより先に困惑を表情に出していた。俺の視線は全部色が違う飴に注がれている。

 

「なんだ? 欲しいのか?」

「い、要りませんよ」

 

 違う種類を3つ同時に舐めて美味しいのか疑問に思っただけだ。人が舐めた後の飴なんて欲しがるような趣味は持ち合わせていない。

 俺が引きながら『いらない』と言うと女性は少し残念そうな顔をしていた。もらって欲しかったのだろうか……良くわからない。

 

「おっと、急がなくては。ではな、少年。せっかくの青春時代、前を向いて歩かないと損だぞ?」

「は、はあ」

 

 再び飴を口に戻した女性はスタスタと早足で歩き去った。

 女性が角を曲がって姿が消えるまで俺は呆然と見つめていた。

 

「何だったんだろう……束さんほどじゃないけど、良くわからん人だったなぁ。まぁ、いいや。さっさと帰ろう。千冬姉も心配するだろうし」

 

 今日は無駄に疲れた気がすると思いながら出口へと向かう。

 すると、足下に白い名刺サイズのものが落ちているのが目に入る。先ほど女性がいた辺りだ。

 

「何かのカード? 倉持技研って書いてあるけど会社の名前かな。カードキーか何かだったら無くしたらマズいだろ」

 

 とりあえず拾い上げて落とし主と思われる女性を追った。しかし、角を曲がったところで女性の姿は既になく、見つけるのは難しそうだ。面倒だから受付に落とし物として届けよう――と思ったのだが、

 

「あれ? 誰もいない」

 

 時間を見れば既に受付が閉まる時間だった。一応、探せば看護士さんは見つかるだろうがそれも面倒な気がする。

 

「どうせ明日も来るし、明日届ければいいよな」

 

 カードを制服のポケットにしまいこみ、帰ることにした。

 

 

***

 

「ただいまー」

 

 家に帰ると千冬姉は先に帰ってきていた。普段は帰ってこれない日があるくらい忙しい千冬姉だが、帰ってこれてるということはこの街が平和な証拠なのだろう。

 玄関を上がり、制服の上着を脱いだところで千冬姉からの『おかえり』が無いことに気づく。このパターンは前にもあったことだ。千冬姉は台所に立たないし、リビングにもいない。ならば残るは――

 

「千冬姉? 入るよ」

 

 ノックをして千冬姉の部屋の戸を開ける。3日前に俺が掃除をしたばかりなのだが、もう床に色々なものが散らばっていた。その多くが書類なのだが、これで管理できているのだろうか。

 千冬姉本人は案の定、机に伏せて眠りこけていた。このまま朝まで起きないだろうから、風邪をひかないように俺が千冬姉をベッドまで運んでやる。世話の焼ける姉だが、俺の学費も千冬姉が出してくれているのだからこれくらいはお安いご用だ。

 

「あーあ、机の上まで散らかってる。これで刑事が務まるのが不思議で仕方がないぜ」

 

 とりあえず書類を整頓しておくことにした。内容はおそらく仕事関係だろう、部分的に読んでも何のことだかさっぱりわからない。

 

 だからこそ、書かれていたある単語に目が止まってしまった。

 

 ――“篠ノ之箒”と。

 

 『見てはいけない』とかそんなことが頭を過ぎることなく、そこに書かれている文章を食い入るように読み始めた。千冬姉の仕事に関わるような事柄に箒の名前が出てくる。その理由を確かめなくてはいけないとしか俺の頭にはない。

 内容は、世界各地で発生している原因不明の昏睡事件についてだった。被害者に共通する項目は、外傷もなく体機能的にはむしろ健康である10代から20代の男女が突如昏睡状態に陥り意識が回復しないということ。俺から見ても今の箒の状態が書かれてるとしか思えず、千冬姉も箒はこの件に関わりがあると見ているようだ。

 『手がかりはほとんど見つかっておらず、事件とする確証は何もないが、最近になってとある噂が流れるようになった』という記述の後に噂の内容が書かれていた。

 

 ISVSで“銀の福音”と会ったものは現実に帰ってこない。

 

 メモは本人に会って確認するとしたところで終わっている。これ以上千冬姉のメモからわかることは無さそうだった。

 

「ISVS……? なんでここでゲームの名前が出てくるんだ?」

 

 そもそも今日も弾たちが楽しく遊んでいたばかりじゃないか。そんな危険なゲームだったらあいつらがやるはずない。

 

『不穏な噂があるよな。アメリカの機体と戦った奴が意識不明になるっての』

『今そんな都市伝説を持ってくるなよ』

 

 そういえば今日、ゲーセンに居る人がそんなことを言っているのを聞いた。確かに噂としては広まっているのか。だけど、都市伝説という認識が強いのはどうしてなんだ? ゲーセンみたいな人目のつく場所で意識不明になる人が現れたら、一昔前のゲーム脳の時みたいにゲームを扱き下ろす自称知識人が出てくるくらいには騒ぐはずだろ。

 

 考える材料が足りない。まずはすぐに手に入る情報だけでも仕入れないとわからないことだらけだ。

 急ぎ自分の部屋に戻るとPCを立ち上げ、ISVSについて調べることにした。そして一つ、俺が勘違いしていたことに気づく。

 

「ISVSはゲーセンの筐体だけでなく、専用端末を購入することで自宅でもプレイ可能……?」

 

 ゲーセンと比べてかなり値が張るが個人でも手に入り、従来のネット回線に繋ぐことなく快適な通信を実現している。にわかには信じられないがおそらくは事実。

 そして、同じシステムを用いたゲームが登場しないのにもきっと理由がある。この『技術は不明だが現物が確かにそこにある』というものを世界は一度経験していた。

 

「これは束さんが作ったゲームだってのか……」

 

 ISの開発者、篠ノ之束。箒の実の姉であり、千冬姉の数少ない友人でもある。箒と共に7年前に俺たちの前から姿を消しており、今もなおその居場所は不明。

 目を覚まさない箒の元に一度として現れない束さんがこのゲームに関わっている?

 

「また俺たちはあの人に振り回されているのかっ!」

 

 7年前はIS開発者の身内だからという理由で俺と箒は引き離された。束さんのせいじゃないことは頭ではわかっている。

 しかしまた“IS”が俺から箒を遠ざけようとしていると思うと恨み言の一つでも言いたくなったのだ。

 

「……冷静になれ。今は束さんのことは後だ。事件について考えないといけない」

 

 額を右手で押さえて考える。久しく集中して物事を考えることをしてこなかった俺だが、このときばかりは何故か頭が異様にスッキリしていた。

 

 まず、昏睡状態から回復しない人がいることは確実だ。それは千冬姉のメモからもわかる。

 次に、ISVSが関わっているかという点だが、黒に近いグレーだ。火のないところに煙は立たない。被害者の中にISVSのプレイヤーがそれなりにいるはず。被害者が10代から20代の男女という辺りからも否定はされない。正しくプレイヤーの年齢層と一致している。

 なぜ騒ぎにならないのか、ということだが個人でゲームに入れることで疑問は氷解した。おそらく標的になったのはゲーセンではなく自宅から入った人に限られている。母数の多いゲームだ。全体から見れば霞むくらい極小数の人間が昏睡状態になっても、ゲーム内の付き合いで察するには難しい。ゲーム外で騒がれない理由は、騒ぎにしたくない権力者が情報を止めていると見ていいだろう。ISVSが無くなって困る人間などいくらでも考えられる。

 最後に、この事件を束さんが裏で糸を引いている可能性。結論だけ言えば、あり得ない。身内から見た希望的観測かもしれないが、俺の中では確信していることだ。束さんはわからないことが多い変人だったけど、箒への好意だけは本物だった。その束さんが箒を苦しめているとは考えられない。

 

 今言えることはこれだけだ。あとは、やはり情報が足りない。これ以上、情報を集めようと思ったら道は1つだ。

 

「俺もISVSをやればいい」

 

 素直に千冬姉に聞いたところで『お前には関係のないことだ』の一言で済ませられるのは目に見えている。だから俺がこの件にアプローチする手段は、ISVSで“銀の福音”を探すことしか思いつかない。幸いなことに身近に詳しい友人がいる。俺がやりたいと言えば手取り足取り教えてくれるはずだ。

 とは言っても少しは予習をしておこう。ISVSをするためには何が必要か検索してみる。すると画像付きのページに飛んだ。

 

「基本的にはISVSの専用ネットワークに繋ぐ本体と、プレイヤーを識別するIDカード“イスカ”のみでプレイが可能である、と……ってどっちも見たことあるぞ!?」

 

 本体にはゲーセンで見たマッサージチェア型の筐体ともう一つ、自宅用の球体のオブジェのようなものがあるらしい。そして、俺が見覚えがあると言ったのはマッサージチェアの方でなく、球体の方。場所は――

 

「千冬姉もプレイヤー……?」

 

 千冬姉の部屋だった。割と最近になって見つけたもので、千冬姉がインテリアとは珍しいなと思ったものだ。もしかしたら捜査のために用意したものかもしれない。

 そして話はこれで終わらない。もう一つの必需品であるイスカも俺は見たことがあるどころか、制服のポケットの中に入っているものと大体同じだ。慌てて取り出してカードに書かれている文字を読んでみる。

 

「……堂々と“ISVS”って書いてあるじゃないか。英語に苦手意識があってもこれくらい見ておこうぜ、俺」

 

 自分の情けなさにツッコミを入れざるを得なかった。

 さておき、ISVSをプレイするために必要なものは揃っている。自宅用のスペックをみる限りでは俺の部屋からでも隣の千冬姉の部屋にあるものに接続できそうだ。今だけは神様とやらに感謝してもいいかもしれない。いや、感謝するのは箒が目を覚ましてからだな。

 

「えーと、ネット上のマニュアルによると『仰向けに寝た状態で、イスカを胸の上に置き、5秒ほど目を閉じてください』とある。……それだけでゲームになるあたり、束さんっぽさがあるよな、やっぱ」

 

 今、俺が手にしているイスカの元の持ち主のことも気になったがこの際、運が悪かったと思って諦めてもらおう。明日には返すから大丈夫。問題があるなら後でいくらでも謝ろう。俺には明日まで待つことなどできない。

 マニュアル通りにベッドに横になり、イスカを胸の上に置いて目を閉じる。一応部屋の明かりは消したので、寝る直前の暗闇となっていた。そして5秒後――

 

『今の世界は、楽しい?』

 

 優しい女性の声がした後、暗闇の中に鮮明な景色が映った。いつの間にか俺の目は開かれている。辺りは薄暗く、どこかの工場を思わせる屋内だった。

 

「これが……ゲームだってのか……!?」

 

 現実っぽい(リアリティ)なんてものじゃない。現実(リアル)だ。目で映している景色だけでなく、肌寒さや機械油の臭いまで感じ取れる。一瞬のうちに俺は自分の部屋から見たこともないどこかの工場へとワープしていた。

 

「それに俺の体……これがIS?」

 

 自分の体と同じように動かせる俺の腕は機械の装甲で覆われているにもかかわらず重さを感じない。グー、チョキ、パー。指の一本一本まで正確に思った通りに動く。

 これで何ができるんだろう、と考えたところで、視界にアルファベットの文字列が出現した。英語は読めん、と思うだけで全て日本語に置き換えられる。

 

「プレイヤー:倉持技研 テスト用。機体名:白式」

 

 自分で読み上げる。芸のないプレイヤー名だ。つまりは個人のものでないということなのだろう。少しは気楽になった。

 しかしながら一つ問題が発生。初心者用にチュートリアルがあるとマニュアルには書いてあったのだが、他人のイスカで入ったからそんな親切はない。

 

「なんとかするしかない、か」

 

 ISは飛べる。背中にどでかい翼がついているからできるはずだ。正確には俺の体にくっついておらず宙に浮いているが関係ないと思う。束さんが開発したものだし。俺は飛び上がるという意思とともに地を蹴った。

 

 ――天井に頭から突っ込んだ。

 

 今のは俺が向かいたい方向に合う推進機が一斉に全力稼働したためらしい。とりあえず飛び方はなんとなく理解した。頭の中で指示すれば機械部分は勝手に動いてくれる。それを知れた代償は、と……ダメージはほぼゼロ。流石は最強と言われた兵器だ。操縦者が多少は下手でも余裕で耐えてくれる。

 そのようにダメージをチェックしていた時だ。付近に敵影ありと警告が出ていた。すぐに該当する方向を見る。

 俺にライフルっぽい銃を向ける人型が3機ほどいた。とりあえずお友達じゃなさそうだ。なんとなく両手を上に挙げる。しかし、

 

 銃弾が3つほど俺の体を掠めていった。

 

 話し合いが通じない。そう思うまでは一瞬だった。選択肢は逃げるか戦うかだけ。『よし、とりあえず逃げよう』と即決する。飛び方だけはさっき理解した上に、天井には穴が開いている。俺は全速力で空へと飛び出した。

 

「へぇ、これがISVSの世界か」

 

 人工物を突き破った先は、飲み込まれていきそうなほど先まで暗い夜の空だった。星明かりが照らす山の風景は都会に住んでいてはなかなか見られない代物である。ISによる効果なのかはわからないが、そよ風で揺れる木々のか細い唄まで聞こえ、現実よりも自然を体感できている気がした。

 遠くを見やれば地上にも星空のように明かりが点々としている。この世界には都市まであるらしい。

 そこまで行けば何か情報が得られるかもしれない。追っ手が来る前に、と慌てて俺は移動を始めた。

 すると、どうやら手遅れのようで後方から銃声が聞こえてきた。

 

「うおっ、危ね! ――って俺、銃弾を避けれてる?」

 

 不思議な感覚だ。撃たれたと思ってから体を動かして避けている。もしかしたらこれがISの強さなのか。

 だったら俺でも戦えるはずだ。早速、武器を確認する。

 

 装備:雪片弐型。大出力のエネルギーブレード。使用の際はシールドバリアの減衰に注意。

 

 一つだけだった。他には何もない。説明を見る限りは剣なんだろう。見た目は刀のようだ。

 刀で銃を相手にしろっていうの?

 文句を言っている暇は無かった。相手の攻撃は俺の動きを読み始めて、いつまでも避けられるとは限らない。刀一振りで乗り切るしかない。

 

「行くぜーっ! どこぞの誰かさんっ!」

 

 相手は徐々に近づいてきていた。近い方が俺に当てられるからに決まっているだろう。

 ならば好都合。俺の方からも接近して叩き斬るだけだ。7年以上も前のことだが、俺には真剣を扱った経験もある。

 工場を飛び出した時のように瞬間的な加速で相手に接近。刀を抜き放ち、すれ違いざまに斬りつけた。

 横に一閃。相手は真っ二つに割れ、爆発とともに消える。

 ちなみに宙に浮いている状態での刀の振り方を知らないからあまり経験は関係なかった。なぜ振り切れているのかは疑問である。

 

「よし。って死んでねえよな?」

 

 ゲームとはいえ、中に人が居ると思うとあまりいい気分ではない。そう思いながら静止していると周りにいた2体から撃たれてしまった。

 

「うあっ! 見た目と違って結構強いんじゃないか、相手の射撃。というよりも天井に頭突っ込んだときよりひどいじゃないか」

 

 自分の装甲も重く感じないのに、相手の銃弾が当たると衝撃を感じる。理屈なんてないのかもしれない。相手の攻撃は確かにISにとって脅威なのだ。

 ダメージをチェックするとシールドエネルギーが半分を切っていた。相手の銃弾を受ける度に衝撃で体が流れ、うまく動かせない。

 相手の攻撃は途絶えない。避けられず、近づけずのままダメージだけが溜まっていった。このままでは負ける。

 

 ……そういえばこれってゲームじゃないか。負けたからって死ぬわけじゃない。だったら負けてやり直せばいい。

 状況的に分が悪いことだけは明白だ。とりあえずビギナーズラックで1体は倒したが、そうそう上手くいくはずなどないのだ。初心者らしく敗北を認めてしまおう。

 

 次でいいや。

 

 ……次がある? 本当に?

 当たり前と思っているのはただの思いこみではないのか?

 “あの日”にも同じように思っていて、現実はどうだった?

 取り返しがつかなくなっただろうが。

 俺は何をしにISVS(ここ)に来た?

 箒のためだ。彼女が目を覚ます手がかりを探しに来たんだ。

 危険性は理解している。

 敗北が何を意味するか、ゲームという先入観で考えていいわけがない!

 

「……負けられるかよ」

 

 ゲームと思うな。ここは俺が箒を取り戻すために存在する戦場だ。

 戦闘の敗北で命を落とさなかったとしても、道半ばで諦めることは俺の存在の死に等しい。

 たとえ関係のない戦いだろうとも、終わってみなければ関係ないという確証はない。

 全力で立ち向かってやる。

 

「うわあああああ!」

 

 もう撃たれることは構わない。狙いをただ一つに絞る。それは右の機体が撃つ瞬間。

 撃たれると衝撃で接近するまでの軌道が変わって斬ることができなくなる。だから銃弾をどうにかしないといけない。

 敵の引き金を注視する。

 幸いなことに現実と同じでトリガーを引かねば銃から弾は出ないため、発射までの前動作が存在する。今の俺ならそれが手に取るようにわかる。

 ゆっくりと引き金が絞られる。

 同時に俺は刀を大上段に振りかぶる。

 

 そして――発射と同時に刀を振り下ろした。

 

 狙いは銃弾そのもの。タイミングは何度も撃たれたからわかっていた。思い描いたとおり、銃弾は光の刃の元に消え去って道が開かれる。

 4度目となる推進機の全力稼働。自分の後ろで爆発が発生したかのような推力を得て銃口を向けてくる相手の懐に辿りついた。

 突き。

 勢いだけを利用して、腕を振るうこともなく、相手を串刺しにする。バチバチと火が走ったかと思うと、1体目と同じように爆発して消えた。

 

「あと1つ!」

 

 最後の1体に向かう。

 そんなタイミングで機体からシールドエネルギーの大幅低下が伝えられた。直前に倒した敵の爆発に巻き込まれて限界が来ていたのか。

 刃を形作っていた光は消えていき、飛行する速度も明らかに落ちている。もう攻撃をかいくぐって斬りつけるだけの力が残されていない。

 

「くそっ!」

 

 既に出来ることは残されていない。

 もし相手が件の“銀の福音”だとしたら、俺も犠牲者の仲間入りじゃないか!

 前準備もなく飛び出してきたツケだ。それを今知れただけ良しとするべきなのかもしれない。

 

 残った1機の銃が俺を向く。あと1発撃たれれば敗北だ。

 このゲームって負けるとどうなるんだっけ? 初期位置からリスタート?

 細かいところだから弾からも聞いたことがない。あまりにもリアルすぎてこのまま死んでしまいそうな幻想すら持ってしまう。

 叫ぶ言葉はやはり罵詈雑言。神様とやらを呪う恨み言だ。

 

「くそおおおっ!」

 

 叫びと共に引き金が引かれる。そのはずだった。

 しかし敵のライフルが火を噴くことはなく――

 

 上空から幾筋もの光が降りてきて、敵を貫いていった。

 

 光が飛んできた方を見上げる。そこには星明かりの下でもわかるくらいに赤い武者のようなISが佇んでいた。右手に持つ刀の切っ先は無数の光が飛んでいった方を向いている。

 助けてくれたのだろうか。礼を言おうとしたが、赤い武者は俺を見ることもなくどこかへと飛び去ってしまう。良くは見えなかったけど女の子だった。ピンク色の髪だなんて現実には居そうもないよな、などとどうでもいいことを考えながら俺は見送った。

 

 周りに誰もいなくなって初めて次にどうするか考え始める。

 

「今日はやめるか。出直さないと進まない」

 

 いまいちこのゲームの目的がわからないし、何よりまともにプレイできているのかもわからない。この状態ではここにいてもやれることはなく、危険に身をさらすだけになりかねない。やはり弾たちを頼ることにしよう。

 

 このゲームの中で箒を救えるものが見つかるかはわからない。

 ただ、箒のために何もできない日々に終わりを告げたことは確かだった。


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