――どうもおはようございます、愛染朝陽です。今日は臨海学校にバスで向かっているところです。ワイワイとクラスメイトが楽しげに談笑をしているのを聴きながら僕は視線を外に向けています。
目まぐるしく変わる風景はやっぱり飽きないですね。
「――体調はどうだ愛染」
と、そこで横から織斑先生から声がかけられた。僕は一番前の席に座っていておのずと担任の山田先生と織斑先生も座っていた。
『はい、大丈夫です。もう少しで着くんですよね?』
「あぁ、そうだ。まぁまだ十分ほどあるからな、それまでゆっくりとしておけよ」
『はい、分かりました』
その後、山田先生から飴をもらったりしながら楽しく過ごしました。
しばらくして都市部のはずれにある臨海に佇む旅館に着いた。
年月を思わせながらも絢爛さを匂わせる佇まいな旅館は生徒たちを感嘆の声で染め上げていく。
「それでは、ここが今日から三日間お世話になる如月亭だ。全員、従業員、ならびに旅館の方に迷惑かけることの無いように」
「よろしくお願いします!」
織斑先生に案内され、この下宿先の旅館のことを紹介されて軽く注意され、それから目の前にいた女将に生徒たちが軽く挨拶をしていく。
「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね。当、旅館の女将をしております桜庭凛と申します」
三十代か二十代後半くらいに見える着物姿の女性はぺこりと頭を下げた。
「それではみなさん、お部屋へどうぞ。海へ行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますからそちらをご利用なさってくださいな。何かわからないことがあれば、お気軽に従業員に訊いてくださいまし」
全員がそれに返事をすると多数の従業員の先導の元、旅館へ入っていく。
「お前たちはこっちだ」
僕と一夏くんは織斑先生と山田先生に捕まり、桜庭さんの方へと連れて行かれる。他の皆は書かれていた部屋割りを見てそれぞれ部屋に向かっていった。
「織斑先生、こちらがたが噂の?」
「はい、そうです。ほら、挨拶をしろ」
「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」
『愛染朝陽といいます。ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします』
織斑先生に促されて一夏くんは挨拶と共に頭を下げた。僕も車椅子から軽く会釈をして返した。
「ご丁寧にどうも、先ほども紹介させていただきました桜庭凛ともうします。織斑先生、二人とも元気そうないい子ですね」
「元気なことは良いことですからね。こちらからも迷惑をかけないようにしていきますのでよろしくお願いします」
笑みを浮かべながら言う桜庭さんに律儀に返す織斑先生。それから僕と一夏くんの部屋がどこなのか発表された。
「お前たち二人は他のものと別部屋だ。一夏、お前は私と、愛染は山田先生とだ。まぁ、両方とも部屋は別だが基本的に私たちが付くことになっている」
それを聞いて他のみんなとは離れちゃうのは残念と思ったが一人にならなかったから良かったと思った。特に山田先生と織斑先生ならば安心だ。
「何かあったは私か従業員に声をかけてくだされば対応いたします。それと申し訳ありませんが当旅館はバリアフリーを行なっておりません。こちらでも車椅子を使って問題ないかチェックを行いましたがご不満等がありましたら何なりとお申し付けください。また、二階に上がる際もご友人の方か私たちにお申し付けてくださると幸いです。
それと外出から中へお戻りになる場合は申し訳ありませんがご用意いたします布巾等で車輪を拭いてからお願いいたします」
『はい、わかりました』
それから僕たちは一階の奥の部屋に案内された。スタッフオンリーというやつらしい。
本来は襖だがここはドアで鍵付き。中からもかけれるし外からもかけれる。色々と便利だなぁと思った。
「さて、この後はどうするか朝陽」
荷物を置いてから一夏くんに聞かれたがどうしようかな、僕はふと二人の先生たちを見た。
「海に行くのも良し、ここで休むのも良しですよ」
「流石に今日は自由だ。明日からは訓練だがな。どうせ生徒たちは今頃海に飛び出しているだろうさ」
海……かぁ。
『海に、行きたいです。海を見たいです』
あの時に見た光景を思い出す。僕はそれを肌で感じたい。
僕の言葉を聞いて三人は頷いて準備を始めた。
…
……
…………
………………
あの……なんで一夏くんを追い出したんですか? そしてなんで織斑先生も山田先生もここで着替えてるんですか?
二人とも水着を取り出して上着に手をかけたあたりから僕は目をぎゅっと瞑った。そしてのろのろと腕を上げて目に被せた。衣擦れの音まではどうしようもなかった。僕は耳まで真っ赤にしてただひたすらに終わるのを待った。
『ーーわぁっ』
それから先生に車椅子を押されて浜辺に向かった。そこは、なんというか凄かった。
夏の暑さを一身に受けた砂浜は熱を持ち、照り返すように下から暑さを反射させ、生ぬるい風は余すところなく海の匂いを運んできて鼻腔を刺激する。キラキラと反射する海は視覚を痛いくらいに刺激する。
圧巻である。僕はそれ以上ないくらいに目の前の光景に飲まれていた。
クラスメイトたちが喧騒とともにどこまでも楽しそうにしていた。一夏くんもそれに混ざり楽しそうだ。あ、ウォルトさんたちも楽しそうに遊んでいる。
山田先生が日陰になるようにとパラソルを立ててくれた、ありがとうございます。でもまだこうしていたいんです。陽を、暑さを感じていたいんです。
「ーー体調は大丈夫なのか愛染朝陽」
織斑先生と山田先生もしばらくいたがクラスメイトの競技に混ざったり、宿の方に戻って行ったりして一人になった時、ラウラさんが声をかけてきた。
『ラウラさん。はい、大丈夫ですよ。どうしたんですか?』
色の濃い水着を着けたラウラさんがそこにいた。僕は水着には詳しくはないため種類は知らないがラウラの比較的肌の白さと相まってとても似合っているように感じた。
「なに、大した用事はない。だが一人で炎天下の中にいては心配になったのでな」
ほら、と封を開けてくれたスポーツ飲料をくれた。それは今の僕に染み渡るようにおいしかった。
『ありがとうございますおいしいです。
ーーあ、水着、とても良く似合ってます』
そう言って、取ってつけたようでは? と思い慌てて言葉を紡ごうとするが焦った頭ではなにも出てこない。
「ふ、なに。その言葉に悪意が無いことは分かっているさ。ありがとう朝陽」
微笑を浮かべてそういうラウラさん。それは今の景色と相まってとても記憶に残った。
「ーーだが、浴びすぎもいかん。いい加減に日陰に移っておけ」
そう言って僕の車椅子を押して日陰に避難させる。そしてそのままラウラさんは僕の隣に腰を下ろした。
「どうだ、朝陽。ここの景色は綺麗だと思わんか? 私は思った。今までドイツでの訓練に明け暮れていたからかさらに新鮮に感じたよ、こんなに心に残って感じられるものがあるのかと」
その視線は真っ直ぐに前に向けられていた。僕は一度、ラウラさんの方を見てから前に視線を移す。
『ーーはい。とても心に残ります』
不思議と言葉が紡がれていく。
『
「そうか、それは私も嬉しいな」
『……僕は記憶を失ってるみたいなんですよね』
ラウラは思わず愛染の方を見た。
『思い出そうとしても思い出せないんです、それがどういったものだったのか。でも決して楽しくはなかったと思うんです。かろうじて覚えているのは病院にいて、身体が動かせなくて、目が見えなくて、とても辛くて、なんで僕がこんなことになっているんだろうって……その頃でした、ISに出会ったのは』
『ようしょうき? っていうんですかね、小さい頃の、小学生とか中学生とかその頃の記憶っていうのが分からないんです。僕のお母さんもお父さんの名前もどんな人だったかも。
ーーあ、別に悲しくはない……と思うんです。でもなんで忘れたのかが分からなくて、思い出せなくて最初はびっくりしたんですよね』
『ーーーーでも、今はそれでもいいのかなって』
「……それは、なぜ?」
『まだ、僕はここにいるから。ですかね』
迷いなく愛染は答えた。
『不安は、あります。怖いです。でも、うん、楽しいんです今が。こうして外に出れてお友達を作って遊んで話せて。それでも僕はここにいて、僕とお友達と呼んでくれる人がいて学校で授業が受けれるーーなんだかそれが嬉しくて、楽しいんです』
愛染は幼少期の記憶を覚えていない。それこそISを触れるまでの。だけど、それでも眩しいと感じるくらい
「……っ、そうだな。私も朝陽と友達となれて嬉しいぞ」
ラウラにも親と呼べる者はいない。かつての自分の境遇を呪い、それを原動力にして生きてきたようなものだったのだ教官に出会うまでは。
だが愛染は違う。たとえ覚えていなくても、愛染は死んでいないのだ。心も体も、生きて未来に向かって歩いているのだ。
どうしようもないくらいそれが眩しくて嬉しくて悲しくて、ラウラは一度視線を海へと向けて再度愛染へ向き直る。
「ーーとても、それはとても尊いことだ、朝陽。お前は多分世界で一番の存在だよ」
『……そんなことないですって』
愛染は頬をほのかに染めながら顔を手で覆った。
「ーー朝陽、この訓練が終わったらその朝陽がいた病院に行ってみないか? 覚えていたらだが」
しばらく二人で海を眺めていだがラウラがつぶやくように愛染に告げる。
『名前は多分、覚えていますけど急に?』
「なに、もしかしたら朝陽が覚えていないことについて手がかりがあるのではないかと思ってな。だが、もしかしたらそれで不快な思いもするかもしれん。だから強制なんてしない、できれば名前だけでも教えてほしい」
これ以上愛染を傷付けたくない、それは愛染の友達ならそう思うだろう。だからぽっと浮かんで来たその病院ーー今の愛染が覚えているその病院に何か答えがあるのではないかと思い、ラウラは慎重に愛染に告げた。
『名前は……たしか秋乃木総合病院だったと思います。多分、山田先生が僕をIS学園に連れて行ってくれたので分かると思います』
「なるほどな、分かった。ありがとう朝陽」
「ーーあ、ボーデヴィヒさーん! 愛染くーん!」
そこで山田先生が宿から帰ってきた。僕の隣にラウラさんがいるのが珍しちょっと驚いていた。
「朝陽は大事な友達ですからね、こうして話していました。ここの景色も良いものですから」
砂浜に海原、青い空。さらに先ほどとは違いクラスのみんなは散らばってそれぞれ遊んでいた。
「あ、でもここは夕日も見応えがありますよ!」
ふんすっ、と意気揚々に言う山田先生。僕はそれに胸を高鳴らせた。
『ーーそれはぜひ見たいですね』
「……体調も考慮するんだぞ。ずっといるつもりか」
分かっていますよ。流石にそれは。
僕は笑いながら答えた。
その後、箒さんや一夏くん、織斑先生やウォルトさんたち、鈴さんなど色んな人と話したりして遊んだ。
『……きれいですねぇ』
夕暮れ時、山田先生に連れて行ってもらい、夕日を見た。
「綺麗ですねーやっぱり」
「そうだな」
「うむ」
「…………」
僕たちの他に一夏くんと箒さん、ラウラさんと織斑先生がついてきて一緒に眺めていた。
昼間とは打って変わって紅に染まった砂浜と海原、直視しづらい橙色に変わった太陽と紅色を呑み込み黒に染まりつつある空。こちらも圧巻であった。
『やっぱり、きれいですねぇ』
溢れた言葉はやはり変わらなかった。
次の日
ーーうーむ、ダメだったか。
僕は長く日に当たった影響か、体調を崩した。
ラウラさんは『だから言ったではないか』と心配そうに言っていた。