桜散る。世間では入学式や入社式など新しい一年の始まりを意味する季節になっている。
幻想郷もそれに漏れず新たなる門出を迎えたらしい。
俺は元々現地の人間ではないのでそれが何を意味しているのかは分らないが知り合い達は皆一応に何かしらの表情をみせていた。
それは残念そうに惜しむ表情だったり、好奇心をいっぱいにした顔だったり。
本質を理解出来ずにとりあえずその情報を聞かされた時に適当な相槌を打った。
だって、神社の巫女が代替わりすると言われてもそこまで大事なのか、と思う訳ですよ。
そんな俺の考えなど無視して、とりあえず新たなる博麗神社の巫女誕生である。今日はその目出度い門出らしい。
その都合でこれから酒持って神社の裏へ行き宴会に参加しなければならないのだが、今は自宅で待機中である。所為、風見さん待ちだ。
実家の両親が交通事故で亡くなってしまったので幻想郷へ移り住んでからそれなりに経つが、俺はただの人間で弱く、神社までの道程は危険らしいので行ったことがないので道を知らない。
男としてはなんとも情けない話だが自他共に認める大妖怪らしい風見さんと一緒に行くしかないのだ。
他の知り合いと言えば貸し本屋をしているパチュリー・ノーレッジことパッチェさんがいるが、彼女はどうせあの大図書館から出やしないだろうしな。何というか引き篭もりに美学を感じるクラスだ。
実際、彼女は"効率の良い魔法研究書"と言ういかに自宅へ引き篭もって研究に打ち込めるかを纏めた本を執筆しているからね。
そんなくだらないことを考えている内に前方から人影が現れる。
「お待たせしましたわ」
「いえ、それでは行きましょうか」
縁側から立ち上がり雨戸を閉めてから日傘を持って佇む彼女の背を追い掛ける。横一列に並ぶと足の勢いを弱めて歩調を合わせてから何気なく彼女の横顔を覗く。
風見さんはただ前を見据えて無表情であるが何所か何時もと違う雰囲気を纏っていた。
どうやら彼女も先代巫女となる人物に思う所があるらしい。世捨て人のような彼女も立派な幻想郷の一員だということなのだろう。
俺は開きかけた口を閉じてそのまま神社への道を歩くことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
宴会は修羅場であった。
暫しの散歩を終えて博麗神社に着いた頃には既に修羅場が完成しており、明るい昼間の空に色とりどりの花火が咲き乱れて色鮮やかに境内を埋め尽す。
目の前に広がる現状に呆けながらも周囲を見回すと魔法使いは箒に跨り自由に飛びながら快活に笑い声を響かせ、お騒がせな三姉妹は楽器を奏で、羽やら角やら生やした妖怪らしい奴等が酒器を片手に野次を送っている。
その中心にはまだ幼い面影を残している紅白少女が次々に生まれ出てくる光を避けながら、宙に向かって必死に泣き叫んでいた。
恐らく動きが早過ぎてとても視認出来ないが天狗とでも弾幕勝負をしているのだろうか。可哀想に。
流れ弾に当たらないよう避難しようと提案する為に風見さんの方へ顔を向けると彼女は魂が抜けたかのように黙って目の前の光景を見詰めていた。
「風見さん。此処では俺が死んでしまうので移動しましょう」
「…………そう。それは大変。私の後ろに隠れてついて来て」
明らかに様子がおかしい。
それほどまでに引退した人物に対して因縁でも抱えているのだろうか。
超然としている彼女が関心を寄せる人物。俺は少なからずその先代巫女に興味を覚えた。この感情は一種の嫉妬めいたものかもしれないけれど。
もあもやとする気持ちを抱えたまま神社の横道に生えている樹の木陰に隠れるように移動し腰を落ち着ける。無駄に歳ばっかりくっているから道中疲れた、疲れた。
「懐かしい顔と珍しい顔が二つね」
声に惹かれて頭を上げると幻想郷にしては珍しい普通の格好をした女性が立っていた。
白いTシャツにジーパンを穿いた純日本人らしい黒髪黒目の美人。一寸、現実世界へと何時の間にかに帰ってきたのかと勘違いしてしまった。
というか誰だよこの人は、などと記憶を漁っていると上品に座っている隣人が先に声を掛ける。
「久し振りね。元気だったかしら」
風見さんがフレンドリーに再会の挨拶をした途端、美人の表情が引き攣った。
「……誰よこれ。ねぇ、あんた。こいつ大丈夫なの? 何か無理してない?」
「俺に話を振られても困るんですけど。風見さんは大体こんな感じですよ」
「そうなの……思わず引退取り消そうかなって思ったわ」
引退?
もしかして彼女が先代巫女となった人物か。
ならば自己紹介せねば。
「初めまして随分と前に幻想郷へ移住してきた東方太陽と申します。もしかして博麗霊夢さんでしょうか?」
「それは御丁寧に。霊夢よ。今はただの霊夢。博麗はあの子に譲って引退したからね」
そう言うと彼女の後方で弾幕勝負に泣きながら励む変わった巫女の少女を指差す。
覗いてみると先程よりも密度が濃くなってきた弾幕に被弾することなく立ち回っている。見掛けに依らず凄腕のようだ。
「あの子。追い詰められないと実力出せないのよ。泣き始めると一気にスイッチが入るみたい」
生粋のドM体質だと言うことか。
これは風見さんの得意分野だね。苛める方の。
隣を見ると彼女も忙しなく動き回る巫女を見詰めていた。
「これ以上、話す言葉もないようだから次の挨拶回りに移るわ。酒が尽きるまで呑んでいくといい」
「お言葉に甘えて遠慮なく頂きます」
手をひらひらと振ってこの場から颯爽と去って行く霊夢。
それを無視するように風見さんは目の前の弾幕勝負を眺めている。現代人よりもよっぽど礼儀を弁えている彼女にしては失礼な態度だった。
膝元に何時の間にか置かれていた瓢箪の栓を抜いて俺は持参してきた盃に注ぎ一気に呑み干した。
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茜色の空が広がり、風が居間に吹き抜ける。
春は過ぎて梅雨を終えて季節は巡り、すっかり夏になっていた。
新たな巫女を幻想郷が受け入れてから大分時間が経過している。もう既に幻想郷風物詩である異変を一度経験して見事解決に辿り着いたと聞く。凄いね。
隣に座る人物をちらりと見る。
翡翠の髪が風に靡き、彼女はそれを気にせず向日葵を眺めていた。
やっている行動は一緒だが以前の彼女と何所か違うその態度に俺は腫れ物を触れるような扱いをせざる負えなくて困っている。
正直に言うと参ってしまう一歩手前の状態だ。
超然として掴み所のない彼女の悩み事を推察するなど無理の一言だし、相談にのるにしても迂闊な言葉が相手を傷付けてしまうのはありがち。
そもそも妖怪の悩みって何なんだ。こんな所で種族の壁を感じる。
だから、俺に出来る精一杯の行動は何も聞かずに隣で麦茶飲んでいるくらいしかなかった。
その意思を他人が見ればへたれに感じるだろうけど、悩みなんて自分で乗り越えるのが最善だし、他人がくれた言葉なんてものを受け入れるのは下策だ。何時かその答えで絶対に後悔する。
しかし、そうと知っていながら自分ではない誰かに言葉を投げ掛けて満足してしまうのが人間だ。
俺は彼女の重荷になると知っていながらも悩みを抱えたまま押し黙る彼女に話し掛けようとしている。ただ彼女の答えを待っているだけなのは我慢の限界だった。
それほど今の彼女は見ていられない。
容器に残っていた麦茶を飲み干すと俺は気合を入れた。
「俺が一緒に居ますよ、風見さん」
隣でずっと口を閉ざしながら座っていた彼女が漸くと反応する。
突然の意味不明な言葉に戸惑うかと思ったが、意外にも彼女は驚いた表情を晒していた。
「ずっと一緒に居ます。貴女の隣に」
例えば秋、枯れていく向日葵を惜しみながら語り合う。
例えば冬、寒々とした空気から避難するように温かな居間で降り積もる雪を楽しむ。
例えば春、柔らかな日差しを受けて昼寝と洒落込むのもいいかもしれない。
例えば夏、麦茶を片手に貴方と笑いながら向日葵を眺めて過す。
そんな一年を毎年送ってゆっくりと流れる時を満喫する。彼女に対して俺が出来ることはそれだけしかないと思う。
だから、俺は精一杯の真心を込めて彼女に告げる。
「それだけでは貴女の悩みを解決するには足りませんか?」
彼女の瞳が緋色に輝き俺を貫く。
なにやら地雷を踏み抜いたのかもしれない。
「憎い。憎たらしい。憎悪している」
それは弾劾する言葉だった。
俺はあまりの凄みに生唾を飲み込む。
「中途半端な優しさを残して何時か消えてしまう貴方が憎い」
瞳が何時もの赤色に戻り、彼女は懇願するように言葉を捻り出す。
「こんな面倒臭い花妖怪ですけど共に居ていいのですか? 共に歩んでいいのですか?」
答えなど決まっていた。
妖怪とか人間とか種族の壁とか関係無い。俺は貴女が好きだから、貴女の隣に居るのが心地いいのだから。もう既に貴女が隣に居ない生活が考えられないくらいなのだから。
「此方からお願いします。俺の隣に居てください」
顔を赤く染めながら風見さんは頷いてくれた。
同様に俺も赤くなりながら彼女を見詰めている。
二人で分かち合うように幸せな気持ちに包まれていた。
だから俺は何も知らず、考えようともしなかったのだ。投げ掛けた言葉の意味を。
その言葉は人間にとってプロポーズみたいだけれど、妖怪にとっては残酷な言葉だったことに。