誰かに見られている気がする。
そんな被害妄想である確率が高い悩みを俺は現在抱えていた。
朝一に向日葵への水撒きの時、縁側で休憩している際、昼飯を食べている最中。
常に視線を感じるのだが振り返ったりそちらの方へ向いても誰も居ない。俺は静かに恐怖した。
幻想郷と言う土地柄で考えれば妖怪、幽霊はそこ等中に居て幾らでもこの不気味な気配に説明がつくのだが、生憎と俺は霊感などないし、大妖怪である風見さんのテリトリーとする向日葵郷には彼女よりも弱い存在は彼女が怖くて中々近寄れないらしい。
となると答えは気のせいとなるのだが生々しい視線は張り付いたままであった。
俺は怪談は好きだが、実際に体験するとなると話は別である。容赦なく恐怖が次々と襲ってきては段々と情緒不安定になっていくばかり。
そんな現状に俺は完全にまいっていた。
自分は男だという中途半端で変なプライドと相談相手に自意識過剰だと口にされるのが怖くてその悩みを誰にも言えずにいる。一番身近である風見さんにもだ。
誰にも悟られないように自分を偽り誤魔化していたのだが、遂には落ち詰められるところまで追い詰められて俺は一人決心した。
意地でも正体を暴いてやる。
例え本当に自意識過剰の勘違いだったと分ってもいい。
それでも視線を感じる原因を知りたかった。
俺は平常時の態度を変えないまま密かに燻り出す策を練る。
ある日、俺はふと閃く。それは井戸で水汲みをしている時だった。
井戸の底を眺めながら俺はにやりと笑う。
汲み上げた釣瓶に溜まった水を桶に移し変え、向日葵畑に向かう最中。また背後に視線を感じた。それも直ぐ後ろに。
俺は勢いをつけて突然に振り向くと桶に入った水を思いっきりばら撒く。
「きゃあ!」
可愛らしい悲鳴。
何もない筈の空間が一瞬歪んだと思ったら少女が行き成り現れて尻餅をつく。
水色の雨具のような服装をして頭に緑色の帽子と背に同じ色のリュックを背負い、透き通った水色の髪を左右に纏めている。ツインテールか。
俺は目の前に少女が突然に現れたことに驚くよりも先に自分が自意識過剰でなかったという事実が嬉しくなり、思わず泣きそうになった。
そんな場にそぐわない頓珍漢な態度をする俺を見上げて少女は微妙な表情をしている。
深呼吸をした後に軽く咳払いして気持ちを入れ替えると腰に手をあてていかにも怒っているという態度を示す。
「俺を四六時中覗いていたのはお前だな?」
少し怒気を紛らした口調で話したのだが、少女は軽く笑みを形作る。
「そうだよ、人間」
「そういうお前は何だ? 妖怪」
軽い口調で答えた少女に対して苛立ち言葉が荒くなってしまった。
少女は気にせず立ち上がり自分の格好をしげしげと眺め弄る。
「ありゃりゃ。またもや光学迷彩スーツが壊れちった。ま、直せばいいか」
「光学迷彩? 天狗の隠れ蓑か」
大学の図書館で暇潰しに呼んだ論文に光学迷彩の元となった発想の一例に天狗の隠れ蓑という纏えば姿を隠してしまえる不思議な蓑があると記述されてあったのを思い出した。
「惜しい。惜しい。そっちも民話なんかでメジャーだけれど私のは歴とした科学さ。河童の英知が作り出した自慢の一品でね。ま、それは置いておいて自己紹介をしよう。私の名は河城にとり。通称、谷河童のにとり」
誇らしげに胸を張り、名乗りをあげてニカッと豪快に笑う。
俺はその姿を見て毒気を抜かれてしまい怒る気力を奪われて冷静になってしまった。
しかし、聞くべきことは聞かなければならないので口を開く。
「なぜに俺を盗み見ていたんだ?」
「いい質問だね、人間。物事の確信を突く質問だ。実は最近私は少しばかり困っていてね。この時機の河童は雌はみんな発情期に入るんだよ」
予想外の答えに俺は思考を暫しの間麻痺させる。
今は河童の発情期真っ最中なのは理解したがそれが自分とどう関るのかを理解したくなかった。
河城にとりが足を一歩踏み出して近寄る。反対に俺は一歩後ずさった。
「それでね河童の求愛は人間と異なり、雌が雄を追いかけてするもんで」
また俺は頭の中にとある文豪の小説を思い浮かべる。
それは河童を題材にした創作作品で、その中に河童の求愛行動について触れた部分を思い出した。
赤く染まっている頬。潤む瞳。湿り気を帯びた唇。その全てを見て理解する。
「……俺は河童ではないんだけど」
「知ってる。人間はいつも良き盟友さね」
そのだからどうした、という物言いに恐怖を覚える。
俺へと手が伸びていく。
「幻想郷には雄の河童が少なくてさ。代わりに盟友ならと思って観察していたのだけど私に気付く優れた雄が中々居なくて、居なくて」
「俺が最初に見破ってしまった、と?」
「御名答」
俺は全力でその場から逃げ出した。
後ろから恐ろしい速度で駆けて来る河童から。
その追いかけっこは数分後に訪れた風見さんが仲裁してくれるまで続けられた。初めて幻想郷が恐ろしいと思ってしまった事件であった。
それからその後も時折、熱い視線を感じるが間違いであると思いたい。
河城にとりが登場するらしい芥川大先生の「河童」を読んで今回こんな形になりました。偶には恋愛要素も入れないとと思ったらこれだよ……。