太陽がじりじりと照りつける中。
俺は敷地内にある井戸水を汲み上げようと滑車に付いている縄を引っ張る。
家にある井戸は"手押しポンプ式"でなく、時代劇とかでよく見る"釣瓶式"なのだ。
井戸に桶を落とすのは楽なのだが、並々と水が入った桶を引き上げるのは一苦労している。しかも向日葵畑に撒くため一日に何度も往復をして汲み上げているのだ。現代人にはきつい作業である。高齢の体でこれを毎年こなしていた祖父には頭が下がる思いだ。
息を切らして桶を引き上げる作業に没頭していると声が掛かる。
「体力ないのね」
「最初から辛辣な言葉ですね。風見さん」
ちらりと背後を確認すると白い日傘を頭上に広げた少女が立っていた。
「ごめんなさいね。でも本当のことだわ。箱入りのお嬢様のように非力で、とてもか弱い」
「今日は絶好調ですね」
昨日は疲れていたようだが、今日は何時もよりも毒舌に磨きが掛かっている。
女性にか弱いと言われるのがこんなにグサリと胸に突き刺さるとは思わなかった。
言葉を否定するように急いで桶を引き上げると風見さんに向かい合う。
「それでどうしました?」
「催促しにきたのよ。向日葵の花達が水が欲しいと喚いていたから」
アンタは花のエスパーか。
「ああ。申し訳在りませんね。代わりに謝ってきて下さいよ、水持って」
「そうしたいのは山々だけれど、私、箸より重い物は持てないの」
「今右手に持っている物は何でしたっけ? 箸でしたっけ?」
「馬鹿ね。日傘に決まっているじゃない。あまりの暑さにやられたのかしら……」
心配そうな表情でこちらを窺う振りをする風見さん。
今日はいつものとキレが違うね。
「んじゃ、水撒きにいきますか」
「本当に大丈夫なの? 休憩入れたらどう?」
「そんな過剰に心配されると怖いんですけど……」
普段のSさの所為で。
「流石の私も病人には優しく接すわ。治ったらまた病院送りにするけど」
「あんた最悪だなっ!」
「真正直に褒められると照れるわね」
「褒めてないんだけど」
軽口を叩きながら柄杓で水をばら撒く。
掬っては散らし、掬っては散らし。
こう面倒だと文明の利器である水道蛇口とホースが欲しくなるな。
現代人には辛いね。
「ねぇ」
「ぬぅわんですか」
「今年はいつまで此処に居られるの?」
「そうですねぇ、もう此処は俺の家ですから夏が終わっても暫らく居るかもしれませんね」
気が付いたら風見さんはいつになく真剣な眼差しをして此方を見ていた。
赤い瞳が揺れるように光る。
「そう、なら夏が終わっても此処に来ていいかしら?」
「構わないですよ。なんなら、ほら」
俺はズボンのポケットを漁り、ある物を取り出して風見さんに投げた。
軽く左手で受け取ると風見さんはしげしげとそれを見る。
「これ、鍵?」
「ええ。家の合鍵です。好きにしていいですよ」
風見さんは「そう」と呟き、大切そうに鍵を握り締めた。
何か思う所でもあるのだろうか。
「……これから悪戯し放題ね」
「案の定ろくでもないこと考えていたな」
「気が付いたら枕が裏返しになっているかもしれないわ。気をつけることね」
「枕返しか、あんたは」
「部屋中に花を撒き散らしてコーディネイトするかもしれないわ。気をつけることね」
「あんたはインテリアコーディネーターか」
「朝一で鏡を見たら額に肉という聖痕が浮かぶかもしれないわ。気をつけることね」
「悪戯が小学生レベルだ」
嬉しそうに風見さんは微笑む。
「ありがとう」
元々、鍵は彼女には渡す気でいた。
向日葵郷は花を愛する物を決して拒まない、祖父が昔に言っていた言葉だ。
その言葉を今年此処へ来る前に思い出した。俺は思うのだ。
俺よりも此処の花達を愛する彼女は俺よりも此処が相応しいじゃないかって。向日葵の花を覗き見る風見さんの姿を見て改めてそう思った。