・妹紅、ロズワールと話し合って、屋形の住人になる事を決意。
少し肌寒くなってきた夕方の庭園。その芝生の上で、妹紅は一人脚を抱えて座っていた。
ロズワールと上空で話してからというもの、ずっとこの場所に居る。
ロズワール邸を眺めつつ、時折ふと茜色に焼けた空を見る。そんな風に過ごしてかれこれ九時間は経っただろうか。
本格的に暗くなり始めたからだろう、屋形全体に灯りが灯り始めた。
妹紅は昨日まで居た山の方を向く。
山の表面は夕焼けによってかろうじて照らされているが、木々の隙間からは確かに暗闇が垣間見えた。
もう暫くもすれば、あの暗闇の中では様々な動物が活動を始めるだろう。無数の蟲や、集団で行動する山犬など、厄介な動物は幾らでも見て来た。
森の中は決して静かな場所では無い。断じて違うが、人の世で生きた事のある人間には、些か孤独が過ぎる場所だった。
そうしてまた少し時間が経った頃、屋形の中から誰かが出てきた。妹紅はこの屋形に一体何人の人間が住んでいるのか知らない。なので妹紅が知っている人物かは気になった。
妹紅が少し眼を凝らすと、辛うじてそれが、男性である事は分かった。
男性は暫く立派な石造りの玄関の上を見回す様な動作をして、館の中へと戻っていった。
また暫くして、先程の男性と同じ様な人物が再び館から出て来た。
男は先ほどよりも入念な動きで、何かを探すように玄関の上を動き回っている。
何を探しているのだろうか? 妹紅がそう疑問に思っていると、階段の上では何も見つからなかったのだろう。今度は階段を下り始めた。
もう陽は殆ど落ちてしまっている。こんな暗闇で何かを探すのは、些か無理がある。加えて、庭園はこんなにも広いのだ。一人で探すのは流石に骨だろう。
そう判断した妹紅が、男を手伝おう決めて、ゆっくり立ち上がる。すると不意に名前を呼ばれた。
「妹紅ぉーーっ!」
余りに突然だったので、慌てて声の主を探すと、そちら側に見える人物は一人しかいない。それもそのはず。この庭には、妹紅が今まさに手伝いに行こうとした男性以外に、人の気配は無いのだ。
妹紅は瞳を目一杯に凝らして人影を見る。すると見たことのある顔が浮き出て来た。
ーー菜月スバル?
例の男性、菜月スバルは、手を筒状にして再び暗くなった庭へ叫んだ。
「妹紅ぉーーーーー!」
妹紅は分かっていつつ、再びびくっと体を揺らしてしまう。
しかし二度目にしてようやく、『自分が名前を呼ばれている』という事実を認識する事ができた。
スバルはさっきから自分探していたのか? でもそうだとして、何故なのか。
居ても立っても居られなくなった妹紅は、全力で走ってスバルの元へと向かう。
「妹紅ぉーー……おぉおオ!?」
妹紅がスバルの目の前まで来てしっかりと止まる。しかしスバルは何故か芝生の上に倒れ込んで居た。
妹紅は肩で息をしつつも、スバルに問い掛ける。
「はぁ、はぁ……どうした菜月スバル」
「おまえ妹紅か!?」
幽霊でも見たかの様な様子のスバルを、妹紅は疑問に思う。
「そうだけど……なんで倒れてるの?」
「お前こえーんだよ!! どこのホラー映画かと思ったわ!」
スバルの大声での訴えに、妹紅は自分の行動を省みる。
ーー人の気配のしない暗闇から、突如高速で接近して来た何か。それが妹紅だ。
それは普通の人からすれば、確かに恐いかも知れない。というか妹紅だって普通に警戒する。
「驚かせてしまったのか、それはすまないね」
スバルは腰を抜かすまでには至らなかった様で、ゆっくりと自力で立ち上がった。
「ホントにお前、イタズラ上手過ぎだろう」
「いたずら?」
「違かったのか? まあ何にしろ、心臓に悪いぜ。……そろそろ飯の時間だぞ」
スバルはやはり、妹紅を呼びに来ていたようだ。
「やっぱり私を呼んでいたのか……」
妹紅はその事実に感慨深いものを覚える。
「あたりめーだろ。ってかどこの家庭に行けば、庭で夜になるまで一人で遊んでいられる女の子がいるんだよ。心細くなったりしないのか?」
「私はもうそんな歳じゃ無いよ。……見てくれも違うだろ?」
妹紅はつい口が滑ってしまうが、落ち着いて言い直す。
「まあ確かに、子供というには少し大きいか。……案外中学生位だったり?」
「ちゅうがくせいとは何を指してるんだ?」
知らない単語について、妹紅が尋ねると、スバルは言葉を選ぶようにして、悩みながら答え始めた。
「中学生っていうのはなんていうか、単なる年齢の基準みたいなもんなんだけど、ある特殊な見地からすると、大人と子供を分ける重要な境界線だったりするからな」
半ば一人ごとの様で、妹紅はスバルの言ってることが余り理解出来なかった。
「つまりどういう事だい?」
「いやまあつまり、お前が何歳なのかなって思っただけだ。内には変わり種が多いしな」
「そういう事か。多分十と四つほどは歳を重ねていると思う」
「案外大きいんだな……っと、早く戻るぞ。いい加減戻らないとラムが怒っちまう」
「若しかして、ここの住人みんなでご飯を食べるのかい?」
「そうなるな。この屋敷には、大きさの割に全然人が居ねーし」
「そうなのか……」
スバルが館に向かって歩き出すので、妹紅は少し後ろからついて行く。
「本当に、あんな真っ暗な中で何してたんだよ」
「いや、別になにも?」
妹紅が特に何も思う事なく事実を返すと、スバルは驚いたようだ。
「マジかよ。ずっと? 一人で? 俺だったら絶対無理だな。だって少なくとも昼くらいからずっとだろ? 俺今日一回もお前を見てねーし」
「正確に言うと、もう少し前からだった気がする」
スバルは絶句した様子だった。
「……ホント変わってるんだな」
「……自覚はあるよ」
『変わっている』という言葉に、何処か少し寂しい気持ちを抱いた。
「もしかして、いっつもそんな事してるのか?」
スバルは歩きながらも、少しこちらを見るようにして言った。
「まあ、そうだね」
「マジか。なら明日辺りは俺と一緒に、この辺りを散歩しないか?」
妹紅にとっては少し衝撃的な提案だ。
「散歩?」
「ああ、俺も明日ヒマだし、お前のことよく知らないからな」
スバルの提案は、とても魅力的だった。
「散歩か……いいね」
「だろ? 庭で一人で過ごすよりかは、よっぽど楽しい筈だぜ」
スバルは妹紅の方を振り返りつつ、笑顔でそう言った。
そうされると妹紅も、自然と笑顔が浮かんでしまうもので、
「私としては、この瞬間すら十分楽しいけれどね」
「妹紅は話すのが好きなのか」
スバルの問いに、妹紅は少し考える。
「……そうなのかもしれない」
少なくとも、先程いた暗闇では感じていなかった時の流れを、妹紅は今、確かに感じられている。
「まあ、散歩でも沢山話せるしな」
立派な石段を登り、ロズワール邸の玄関口へとようやく辿り着く。
さっきまでずっと眺めていたこの場所に再び足を踏み入れるのは、なんだか不思議な気持ちがした。
「--遅いわよ、バルス。レムの料理が冷めてしまうじゃ無い」
扉を潜るとすぐ、朝少し話した赤い髪の少女が居た。どうやらスバルを待って居た様だ。
「わりーわりー。ちょっと探すのに手間どっちまって」
少女の責める様な目線にも、スバルは悪びれる様子は余りなかった。
妹紅からすれば悪いのは自分だと自覚しているので、スバルに申し訳無い気持ちになる。
「あら、お客人に罪をなすりつけるなんて、使用人の風上にも置けないわね」
少女の毒ははたから見ても強そうだった。
「くっ、何も言い返せねぇ……」
「ハッ」
言葉であっという間にスバルを制した少女は、スバルを見下す様にしてそう嘲笑すると。今度は妹紅の方を向いた。
思わず妹紅も身構えるが、ラムはスバルの時とは明らかに違う語調で話し始める。
「今朝ぶりね、妹紅。バルスの手前お客人とは言ったけど、ロズワール様の言いつけでは、貴方は今日からロズワール邸の『住人』という事だから。ラムは余りそう構ってあげられないわ」
「う……うん」
「詳しい事はまた後で説明するけど。今とりあえず言いたいことは、ご飯の時間までに帰って来ないのは、余り感心しない、と言うことよ」
「ごめんなさい」
「分かれば良いのよ。早くご飯食べましょう」
「自分までご飯食べれないからって大人げ無い奴だなー」
スバルは先程の攻撃では全くダメージを負ってないらしく、わざわざラムに向かって軽口を叩いた。
「…………」
ラムはスバルを無言で数秒間睨んだ後、妹紅に向き直った。
「最後に」
そこでラムは一旦言葉を切ってから続けた。
「お帰りなさい妹紅。今日からここが貴方のお家よ」
「…………!」
ラムの言葉はとても暖かく、妹紅は自分より何百歳も年下の少女から、母性を感じてしまった。
すると不意に、妹紅の瞳から涙が零れ落ちる。
「うん……!」
辛うじて返事は出来たが、一度出始めると瞳からは、次から次へと涙が流れ落ち始めた。
突然のことに、ラムは少し驚いた様子だが、妹紅の頭を優しく数回撫でた。
「バルス、ちょっと頭出しなさい」
「ん? こうか?」
スバルも妹紅の様子には戸惑っている様で、ラムの指示に大人しく従う。そしてその頭がラムの目線近くまで来たところで、ラムはスバルの頭をひっぱたいた。
「いてッ!?」
その攻撃には、叩いたにしてはやけに鈍い音が混じっていた。
「ッッ!…………」
当然スバルも、突然の仕打ちに動揺したが、妹紅の様子を気遣ってか取り乱して文句は言わなかった。
「貴方に何があったのかは知らないわ、妹紅。……でも、取り敢えず今は、一緒にご飯を食べましょう」
ラムはそう諭す様に妹紅に告げると。妹紅の涙を拭う手を優しく包みこみ、ゆっくりと歩き出した。
これで一章は終わりです。ホント話しが進まなくてすいません。
幕間を数話挟んだら、二章に行きます。
キャラの話し方が、余り統一出来ていない自覚はあるので。余りにおかしな所があれば、教えて下さい。