へっぽこ冒険者がダンジョンに挑むのは間違っているだろうか   作:不思議のダンジョン

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第九話

「わっわっわっ……! ま、待ってください、皆さん。私はここですよー!」

 

「イリーナさん!? 今そちらに行きますから!」

 

 帰還した冒険者でごった返す夕暮れ時のオラリオ。その中でも特に人口が密集しているメインストリートの西側にてイリーナは比喩ではなく、人海に溺れていた。

 シンシア達のファミリア、ミアハ・ファミリアへと向かうため、ギルドを出発した一行の前に現れたのは左右前後どこを見ても広がる人の海であった。その様はまるでギルドが群集という海に浮かぶ小島のような有様であった。

 目的地に着くにはとてもではないがかき分けて行ける様なものではなく、人海という言葉通り漁師が海で泳ぐ際に海流を見極め流されていく様にして目的地へと向かう人の流れに乗る他なかった。

 そして、一行の中でもイリーナには漁師の才は恵まれていなかったらしい。ここまで来るのに計六回も溺死していた。

 そして、七回目となる今回もシンシアに近くの喫茶店という名の浜辺へと救助された。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「いえ、この程度大したことありませんから。それにしても、今日は随分混んでいますね」

 

 喫茶店の前で崩れ落ちるイリーナとは対照的に街の様子を伺うシンシアに疲労の様子はない。これは、オラリオという人口密集地での生活の長さからくる慣れの問題なのだろう。実際、へたり込むイリーナに苦笑するドルムル、ルヴィスを始めとしたオラリオの住人たちは皆、程度の差はあれど初めてこの街にやって来たころの自分を重ねるぐらいには余裕があった。

 しかし、その中でも一人だけイリーナと同じく今日初めてオラリオの混雑に巻き込まれたのに平気な顔をした人間がいた。

 

「そりゃ、そんなプレートアーマーを着込んでいたらそうなりもするさ。だから意地なんて張らずにギルドに預けてくればよかったのに」

 

 突然の暴言にイリーナはがばりと鎌首をもたげるとそれを言った人物にかみついた。

 

「何を言いますか、エキュー! 私にとってこれは正装。謂わば貴族のドレス! これから神様に会うのにそれを脱ぐなど破廉恥な事が何故できましょうか!?」

 

「ドレスにしては随分とゴツイし、多分ミアハっていう神様もそれを見て湧き上がるのは恐怖心だけだと思うよ」

 

 そう言ってエキューはしゃがみ込むとコンコンとイリーナを包むプレートアーマーを叩いて見せる。同じ戦士とはいえ、イリーナが重戦士であるのに対し、身の軽さが売りの軽戦士であるエキューにとってあの程度の混雑を抜けることなど訳なかった。

 シンシア達とは縁もゆかりもないエキューが何故、ミアハ・ファミリアに向かう一行に混じっているのか。

 それはエキュー自身が強く希望したため、止む無く連れていくしかなかった為である。

 彼をそこまで駆り立てた理由、それは……

 

「イリーナさん。お店の人にお水をもらってきましたよ」

 

「ああっ……! ロゼッタさん、イリーナなんかの為にわざわざご足労を頂けるとは、なんとお優しい方でしょうか……!」

 

「なんかとはどういうことですか、エキュー!」

 

「ゴフゥッ!」

 

 水を運んできたロゼッタの手を零さぬよう器用に掴んだエキューにイリーナの鉄拳が振り下ろされる。

 

「全く……エキューがどうしてもロゼッタさんのファミリアに行きたいというから連れて行ってあげたのに、こんなことをする様では今からでもヘスティアの所に行ってもらいますよ?」

 

 悶絶するエキューからロゼッタを庇いながらイリーナは呆れた様に呟いた。

 エキューが一行についてきた理由。それはひとえに彼の性癖によるものだ。ロゼッタというエキューの好みに合致した……彼の場合エルフならば全員がそうなのであるが、女性を見つけるや、エキューは彼女のファミリアに連れていくことを要求したのである。

 これには全員が難色を示した。このエルフ狂いにエルフであるロゼッタの住所を教えることは猛獣に肉を投げ込むが如き所業だ。連日、ロゼッタにはた迷惑なアプローチをかけてくることは間違いない。

 しかし、エキューという男はそこで素直に引き下がる様な男ではない。幾度となく繰り広げられる押し問答の末、自分をエルフが多数いるであろうこの街に監視もつけずに一人放り出す方が危険だぞ、というもはや脅迫なのか助言なのか分からない言葉が決め手となり、見事同行を許されたのである。

 もっとも、その最低な言動から肝心のロゼッタからの好感度は最底辺に落ち、今もイリーナの背中に隠れながらこっそりとエキューに握られた手を布巾でぬぐっていた。

 

「しかし、こうも人が多いと移動するのも面倒ですね」

 

「んだな。どうだ、ここは一つ人通りが落ち着くまでここで一休みしねえか?」

 

 ドルムルの提案に反対する者はいなかった。全員が座れるテーブルを見つけると皆思い思いの席へとつく。シンシア達はイリーナの両隣りに座ろうとし、ドルムルとルヴィスは迷うことなくお互い一番離れた席をつかみ、エキューはロゼッタの隣に座ろうとしたところでイリーナに力づくで引き離された。

 

「さて、今日はどれを頼みましょうか?」

 

「うーん、あたしはコーヒーでも頼もうかしら?」

 

「オラは緑茶だ」

 

「では私はアールグレイを」

 

「それでは、私はココアを。イリーナさんは……あら? どうかされましたか、イリーナさん?」

 

 次々と注文を決めていくシンシア達とは対照的にイリーナとエキューはメニューを持ったまま、難しそうな表情で唸っていた。理由は簡単、メニューに載っている品名が異世界からやって来た二人には未知の物ばかりであったからだ。

 

「どうしましょう、エキュー。メニューを見ても内容がさっぱり分かりません」

 

「僕もだよ。だけど、ここで変なものを注文して怪しまれたら大変だし、ここは他の人が頼んだものを頼めばいいんじゃないかな?」

 

「なるほど。それじゃあ、私もココアというものを頼みます」

 

「じゃあ、僕もアールグレイというものを頼もうか」

 

 注文が決まり、待つこと数分。一行の下に飲み物が運ばれてきた。

 黒、赤、緑。様々な色と香りがテーブルに広がる。

 見たこともない色と香りを放つ未知の飲み物にイリーナとエキューは緊張した面持ちでグラスを取る。そして、恐る恐る一口する。

 

「!? これは……!」

 

「どうかしましたか、イリーナさん?」

 

「い、いえいえ何でもありませんよ!?」

 

 突然驚愕の声を上げたイリーナに皆から怪訝な視線が集中するのを笑ってごまかす。皆の不思議そうに首をかしげるが、すぐに目の前の飲み物を味わい始めた。

 うまくごまかせたことに安堵のため息をつくと、イリーナは傍らのエキューに小声で驚きの事実を伝える。

 

「エキュー、すごいです! このココアという飲み物、すごく甘いです! 多分、これ砂糖が入っています!」

 

「えっ、砂糖だって!? この店、ひょっとして貴族御用達なのかい!?」

 

 驚愕し、慌ててメニューに書かれている値段やあたりにいる他の客層を確認しだす二人であるが無論、そんな訳がない。

 客層は仕事帰りの人間や主婦ばかりであり、メニューに書かれている値段も平民たちの懐具合でも問題ないようなものばかりであった。

 

「うーん、どうも客層を見る限りそういう雰囲気はありませんね……オラリオは世界の中心と言われているらしいですし、案外これが普通なのでは?」

 

「そうなのかな……? やっぱり、異世界というのは驚かされることが多いね」

 

「全くです。ところで、エキューの頼んだアールグレイという飲み物はどんなものでしたか?」

 

 そう言ってエキューの手元のカップに視線を落とす。安っぽい、しかしながらフォーセリアの一般的なそれと比べ色つやの良いカップには紅色の液体が芳しい匂いを放っている。

 

「ああ、それなんだけどね? 驚かないでよ、これどうも紅茶みたいだ」

 

「何と! 紅茶ですか!? 貴族様の飲み物じゃないですか。それをこんな一般人が使う様なお店で飲めるとは……」

 

「ああ、それだけじゃない。どうも紅茶にしては柑橘系の匂いがしてね。多分、これは茶葉にわざわざ香草を使って匂い付けしているんだと思う」

 

 紅茶という高級品にわざわざ匂いをつけるためにもう一工夫を凝らすということにイリーナは驚くことすら忘れる。

 

「エキュー、やっぱりこの喫茶店は貴族様御用達なのでは……? 実は、貴族様たちの間では平民の恰好をするのが今の流行だとか、メニューの値段に小さく0が書き足されているなんてことはありませんか?」

 

「……いや、そんなことは無い様だよ。というか、ロゼッタさん達の様子から考えればこれが一般的な平民の生活水準なんだと……思う」

 

 イリーナの問いに自分ですら自らの言葉が信じられないという様子でエキューは答える。

 甘味が欲しければ蜂蜜か果物、紅茶など裕福な商家や貴族ぐらいしか飲めず、その茶葉も混ぜ物がしてあることが往々にしてあるというのがフォーセリアの一般的な食事事情だ。砂糖をふんだんに使った飲み物や高価な茶葉にさらに香草を使った香りづけなど完全に発想の埒外にある。

なぜ、両者の世界にここまでの差が生まれているのか。それは、貿易の活発さにある。

 この世界は神という超越存在が降り立って以来、文明は飛躍的に発展し続けていった。それこそ人類の版図は拡大の一途を進み続け、もはや未知はダンジョン奥深くしかないと言われるほどに。

 一方、フォーセリアの方はと言うと古代魔法文明が崩壊してからその治安は悪化の一途にある。少し街から離れれば、化け物や盗賊が容赦なく襲い掛かり、辺境では怪しげな宗教を信仰する蛮族が猛威を振るい、海は海竜や巨大イカに商船が沈められたという話が日常茶飯事となっている有様である。

 こうなれば物流に差が生まれるのは当然である。そして、物流の滞りは人や情報、アイディアの動きも鈍くなるということでもあり、新たな知見が広がる速度も滞ることとなる。

 結果、貿易品には驚く様な値段がつけられ一般人にはとても手が届かなくなり、新しい発想が生まれないために人々の生活は一向に改善されずに不便なままとなってしまうのだ。

 魔法を始めとしたいくつかの点を除けば、文明の成熟さはこちらの世界に軍配が上がるであろう。

 

「私、この世界に長くいたら元の生活に戻れなくなるかもしれません……それにしても、これ美味しいですね」

 

「同感だね。早く元の世界に帰らないと……うん、お替りしたいよね」

 

 二人はそれぞれのカップはしっかり握りしめながらも帰還への決意を新たにしていると

 

「おや、シンシア達ではないか!」

 

 若い男の声が店の入り口から聞こえてきた。

 一行が振り返るとそこには優男風の美丈夫が立っていた。年は二十代半ばぐらいであろうか。サラサラとした髪はそれ自体が輝いている様で、シンシア達を見つめる瞳は愛おし気に細められていた。

 

「ミアハ様! どうして、こんな所に!?」

 

 シンシアの驚きの声にミアハと呼ばれた男は笑って手元の箱を軽く持ち上げる。

 箱に入っていた数本の瓶がカラン、と音を立てる。

 

「なに、今日は薬師としての仕事が早く終わってな。折角なので店の宣伝がてらに試供品を配っておったのだ」

 

「まーた、タダでポーションを下級冒険者にあげて回っていたんですか? ナァーザさんが聞いたら怒っちゃいますよ?」

 

「ははは……それは、勘弁願いたいな。ところで……だ」

 

 シンシア達と親し気に話していたミアハの視線がイリーナ達へと移る。

 

「そちらの方々はどちら様なのだ?」

 

「わ、私たちですか? え、えーと、私はイリーナと言いまして、昨日からヘスティアの所でお世話になっている者ですが……あの、失礼ですが貴方は一体……?」

 

 突如素性を聞かれたイリーナのしどろもどろな自己紹介にミアハは驚いたように目を見開く。

 

「おっと、自分より先に人に名乗らせるとは、私としたことがとんだ失礼をしてしまった。私の名はミアハ。そこのシンシア達の主神をさせてもらっておる」

 

 ミアハの名乗りにイリーナとエキューは驚愕する。

 

「えっ! この人が神様なの!?」

 

「わわ……! と、とんだ失礼を……!?」

 

「ははは……そんなかしこまらなくてもよい。今は神である前にただの薬屋の店主なのだ。むしろ冒険者であるお主らはお客様だ」

 

 突然の神との遭遇に驚くイリーナとエキューにミアハは柔らかく笑いかけると、了解をとってからロゼッタの隣に座る。

 神でありながら人でしかないイリーナ達に対して礼儀正しく、そして鷹揚なその態度はまさしく神様のそれであった。しかしながら、その神様らしい態度が、良く言えば親しみのあるヘスティアとの違いを浮き彫りにさせ、イリーナとエキューは緊張に体を固ませた。

 自分の言葉でかえって委縮させてしまったことにミアハは苦笑するが、すぐに先ほどのイリーナの自己紹介を思い出した。

 

「そういえば……イリーナといったか。お主、今しがたヘスティアの所で世話になっていると言ったが、ひょっとしてヘスティアの眷属なのか?」

 

「えっ、そうですけど……ひょっとして、ミアハ様はヘスティアのことをご存じなのですか?」

 

 初対面に近い人間の口から飛び出した身内の名前にイリーナは首肯しながらも不思議そうに尋ねた。

まさか、ついこの間までバイトで食いつないできたヘスティアとオラリオ随一のファミリアの主神であるミアハに接点があるとは思えなかったからだ。

 

「うむ、ヘスティアとは長い付き合いでな。良き友人をやらせてもらっておる。そうか、下界に降りてからヘファイストスの所でニート生活をしていたあやつもようやく眷属を捕まえられたか……」

 

 ミアハの口から身内の名前が飛び出したことに驚くイリーナにミアハは大きく首肯すると何やら感慨深げにうなずいていた。その様は友人の活躍を喜ぶというよりも出来の悪い娘の自立を喜ぶ父親の様であった。

 友人たちにここまで心配をされてしまう己の主神の甲斐性のなさを嘆くべきなのか、それともそこまで心配をかけさせて尚も友人と言ってもらえる人徳を誇るべきなのか分からなくなってくる。

 

「あの……?」

 

「おっと! すまん、すまん。長らく燻っていた友人の成長につい感動してしまった。しかし、ヘスティアの所の子供が何故うちの子供たちと? 接点などなかったはずだが……?」

 

 基本的に冒険者にとって他のファミリアとの接触の機会はそうはない。不用意な接触はトラブルの元となりやすく、ダンジョンにおいても人の気配があれば双方ともに避けようとするのが一般的だ。

 ましてや、イリーナは昨日から冒険者になったばかりだという。シンシア達はレベル2であり、中層域を中心に活動している為に新人冒険者と出会うことはまずない。

 考えれば考えるほどに自分の眷属とイリーナに接点があるとは思えず、ミアハは首をかしげた。

 

「ああ、それはですね……」

 

 そう言って、本日二度目となるシンシア達との邂逅した時の話をする。

 始め、シンシア達がミノタウロスの群れに追われていたと聞いた時は思わず顔を真っ青にして腰を浮かしたものの、イリーナ達の活躍により無事に逃れることができたと聞き、安堵の息をついて腰を下ろした。

 

「なんと……そうであったか。いや、お主らには頭が上がらぬな。改めて礼を言わせてもらおう」

 

 そう言ってミアハは深々と頭を下げた。突然、敬うべき神が頭を下げたことにイリーナは動揺する。

 

「いえいえ! 本当に大したことしてませんから! ですから、頭を上げてください! 神様が人間に頭を下げるなんて恐れ多いです!」

 

「む……眷属を救ってもらったのだ。頭の一つや二つ下げるぐらいどうでも良いと思うのだが、お主がそう言うのであれば仕方がないな」

 

 不承不承ながらもミアハは下げた頭を上げつつもイリーナの自分への態度に戸惑いを隠せなかった。

 神が下界に降りて人と触れ合うようになった現代において、人にとって神とは敬うべき相手であると同時に隣人でもあり、取引相手でもあり、時には部下となることもある。

 結果、神は人間にとって非常に身近なものとなっており、イリーナの様に神と人間の立場を明確に意識する者は少なく、それこそ神に直接使える敬虔な神官ぐらいなものである。

 神としてはこちらに敬意を払う態度は好感が持てるのだが、ミアハ個人としては少々寂しいと思ってしまうのはミアハの我儘なのだろうか。

 

「しかし、ミノタウロスの群れをほぼ一人で倒すとはヘスティアの奴も随分な者を捕まえたものだな」

 

 ミアハの惜しみない賛辞に何故かアマンダが胸を張る。

 

「すごいでしょう。イリーナさん、何でもレベル7らしいのよ、ミアハ様!」

 

「何と!? それは、すごい! うちのノインよりも上ではないか!?」

 

「ノイン?」

 

 突如現れた名前をイリーナは怪訝そうにつぶやく。

 すかさず、ルヴィスとドルムルが説明する。

 

「ノインというのはミアハ・ファミリアの副団長を務めている男のことです。レベルは6。貴女ほどではないにせよ、オラリオの頂点に近い人間です」

 

「んだ。剣の腕もすごいが、得意なのは魔法、それも回復魔法だ。ミアハ・ファミリアでは四肢の欠損も治療できると言ったが、それを可能としているのはそいつの回復魔法のおかげだ」

 

「はー、すごい人なんですね」

 

 今度はイリーナが感嘆の声を上げる番であった。

レベルこそイリーナの方が上ではあるが、四肢の欠損を治療するなど不可能であるし、ましてやオラリオ有数の巨大ファミリアの副団長など一体どんな仕事をしているのか想像すら難しい。恐らくはイリーナでは何一つ理解できない書類や目が飛び出る様な巨額の取引を毎日こなしているのであろう。

 そして、腕っぷしの方もイリーナに迫るレベル6ときている。

 戦士としてはイリーナの方がかろうじて上でも、戦闘力以外も合わせた総合力ではその副団長の方が勝るであろう。

 

「うむ、そうなのだ。あやつがいなければ我がミアハ・ファミリアはあの時に潰れていたかもしれんな」

 

「潰れていた? あれ、ミアハ・ファミリアって大手のファミリアなんでし……だったのではありませんか?」

 

 意外な言葉にエキューはつい、いつもの口調で聞き返そうとするが、ミアハはその不調法を気にしなくてよいと笑って許してから、説明する。

 

「今でこそ我らのファミリアは有力ファミリアの一つとして数えられているが、実の所そうなったのはつい数年前からなのだ。それまでは多額の借金を抱え込み、団員も団長のナァーザ以外誰もいない有様だったのだ」

 

 そう呟くミアハの顔は当時のことを思い出しているのか微笑んでいるものの、苦々しいものが滲んでいた。

 

「その話ならば聞いたことがありますね。元々ミアハ・ファミリアは中堅所のファミリアでしたが、現団長のナァーザ殿がダンジョン探索中に右腕を失い、それによりミアハ様は高価な義手を手に入れるためにファミリアが傾く程の借金をしてしまった、と」

 

「えっ!? ファミリアが傾く程って……義手の代金程度で、ですか!?」

 

「何それ? ぼったくりじゃないの?」

 

 義手の代金でファミリアが傾いた、という話にイリーナもエキューも理解できないと首を振った。

 

「そうでもない。何せ、その義手というのがあの銀の腕だったからな」

 

「なるほどなあ……確かに、あれを買うとなったら中堅所のファミリアにはちぃっとばかし厳しいだ」

 

「そんなにお高いのですか? 高価と言っても所詮は義手なのでは?」

 

「確かに義手と言えば義手なのですけど……多分、イリーナさんが想像しているようなものではないと思いますよ。何せ、質感はほぼ本物。動作にいたっては小指の先まで思い通りに動かせるという代物ですから」

 

「なるほど。確かにそんなマジック・アイテムなら高値がついてもおかしくはないね」

 

 ルヴィスの説明にエキューは納得する。フォーセリアにおいてもマジック・アイテムには総じて高値がつけられるものであった。

 外見から機能まで本物と同等な義手なんてものならば、そのくらいの値段がつけられてもおかしくはないだろう。 

 

「うむ、実際凄まじい値段であった。おかげで貯蓄は一気に消失し、仕入れをする為には借金しなければならず、もはや借金を減らすために働いているのか増やすために働いているのか分からなくなっていたものだ」

 

「……あの、失礼ですが、どうやってそこから今の状態に持って行ったのですか?」

 

 想像以上の困窮さにイリーナは引きつりながら尋ねる。これならば借金をしていない分だけヘスティアの方がマシだったのではないか。

 神に対して少々不躾な物言いではあったが、当然の質問にミアハは気を悪くした様子など微塵も見せることなく口を開く。

 

「ある日の夕方のことであった。その日も店には閑古鳥が鳴いておってな、いよいよ新たな金策を考えねばと頭をひねっていた時に一人の男がふらっと店にやって来たのだ」

 

 視線は手元の瓶に注がれてはいるが、今ミアハが見ているのは過去の映像なのだろう。どこか遠い目をしながら、まるでその情景が目の前にあるかのようにその日のことを鮮明に伝える。

 

「若いが、かなりの修羅場をくぐって来たのだと一目で分かった。隙のない身のこなしに自信に満ちた眼差し、腰に佩いた剣は使い込まれてはいたがよく手入れされていた。その男は私の前に立つと開口一番に自分をファミリアに入れてほしいと言ったのだ」

 

「もしかして、それが……」

 

「うむ、その男こそが現副団長ノインだったのだ」

 

「そのノインという人、よくその状況のファミリアに入ろうとしたね」

 

 エキューの遠慮のない一言にミアハは気分を害する様子もなく、頷く。

 

「うむ、私とナァーザもその時は喜びもしたが、同時に訝しんだものだ。見たところノインはどこのファミリアでもやっていけそうだったからな。差し出がましかったが、もっと良いファミリアを選んだらどうだ、と始めは勧めたのだ」

 

「いや、借金がある時に折角腕利きが来たのですからそこはそのまま入団させましょうよ……」

 

「う、うむ……ま、まあ、そうなのだが……」

 

 イリーナの突っ込みにミアハは自分の迂闊さに自覚があるのか一瞬目を泳がせるが、咳ばらいをして話を続ける。

 

「幸いなことにノインは大手のファミリアに興味を示していなくてな。できれば少人数の所で自由にやりたいし、回復魔法に自信があるのでそれを最大限に生かせるファミリアの方が都合が良いと言ってな。それならば、と私もナァーザも入団に同意したのだ」

 

 そして、その日から我がファミリアの環境は一変したのだ、とミアハは口火を切る。

 

「最初の変化はノインに恩恵を与えたときだった。腕利きとはいえ外部からやって来た人間である以上、レベルは精々2か3ぐらいだと思っていたのだが、いざ与えてみれば何とレベルは6。あやつは既にオラリオでも一握りの者しか到達していない領域に達していたのだ」

 

「ああ、あの時のことはよく覚えていますよ。あれはすごい反響でしたね。中堅所のファミリアは勿論、ロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリアの二大巨頭まで動き出しましたからね」

 

「ふーん……あたしたちは、まだその時はオラリオに来てなかったから人伝にしか聞いていないのだけれど、そんなにすごかったの?」

 

 当時の様子を思い出し、感慨深げに首肯するルヴィスにアマンダは疑問を口にする。

 

「それは、勿論。レベルが一つ違うだけで冒険者の戦闘力の差は絶対的になりますから。それこそ、レベル6なんて私やそこのドワーフが束になっても傷一つ付けることもかなわないでしょうね」

 

「んだな。だからこそ、オラリオ中のファミリアは戦々恐々としていただ。ファミリア間のパワーバランスをひっくり返しかねない戦力がいきなり空白地帯に生まれたわけだからな。あん時は全員がミアハ・ファミリアの意向に注目していただ」

 

「うむ。実際、あの当時は他のファミリアからの圧力がすごかったな。それこそ、ノインの留守中を狙って刺客が差し向けられるぐらいにはな」

 

「刺客!?」

 

「ま、待ってくださいミアハ様。私たちそんな話一度も聞いたことありませんよ!?」

 

 いきなり聞こえた剣呑な単語にイリーナは驚きの声を上げ、自身の主神から初めて聞く物騒な話にシンシア達は思わず詰め寄る。

 が、色めき立つイリーナ達とは対照的にドルムルとルヴィスはさもありなんとばかりに頷く。

 

「まあ、第一級冒険者を抱え込んどるファミリアがいて、そこに所属している冒険者がそいつを除けば2レベル冒険者一人だけ、という状況ならそういうことをする奴は出てくるだ」

 

「でしょうね。いくら第一級冒険者とはいえ、恩恵を与えている主神が天界に帰ってしまえばその力は大幅に減じます。後はその冒険者が新たなファミリアに所属する前に仕留めてしまえば、復讐される心配もありませんし」

 

 あっさりとした口調とは真逆の内容にシンシア達は絶句する。彼女たちとて長年のオラリオで暮らしていれば冒険者が襲撃されたという話ぐらいは耳にしたことがあった。しかし、それは所詮他人事であり、心のどこかでは自分たちには関係のないことだと聞き流していた。

 そんな彼女たちにとってミアハの話とそれを当然のこととして驚きもしないベテラン二人の態度は冷や水を浴びせかけられたかのような衝撃を与えていた。

 

「…………」

 

 改めて自分たち冒険者という世界は力だけが物を言う世界なのだと否が応にも再確認させられ、重い沈黙に包まれる。

 そんな沈黙を破ったのはイリーナの焦り声であった。

 

「ちょっと待ってください! それでは、ヘスティアは危ないってことじゃないですか!? こうしてはいられません! 皆さん、申し訳ありませんが私はここで失礼します!」

 

 第一級冒険者を抱え込んだ弱小ファミリア、それはまさに今のヘスティア・ファミリアの現状そのままである。

 今、こうしている間にもヘスティアの身に危険が迫っているのではないかと思うと気が気ではない。

 口早にまくし立てると、イリーナは換金した大量のヴァリス通貨も愛用の大剣までも忘れて店の出口を飛び出す。

 

「『バインディング』」

 

 突如、道の脇に生えていた草花が急速に伸び、荒縄の様により始めると走り出すイリーナの足に絡みつき、その動きを止める。自然現象では決してあり得ない不可解な状況にその場にいた者たちは何が起こったのかも理解できない中、イリーナだけは下手人に抗議の声を上げる。

 

「何をするのですか、エキュー!?」

 

 ぶんぶんと両手を振り上げながら気炎を吐くイリーナ。その両足は拘束された今でもツタを引きちぎらんばかりに力が籠められるが、弾力性と強靭性に優れた植物の縄は軋みを上げながらも決して拘束を解こうとはしなかった。レベル7のイリーナの力を前にして、である。

 

「落ち着きなよ、イリーナ。昨日の今日で刺客なんか差し向けられるわけないだろう。イリーナのレベルのことはまだ公表されていないし、ここにいる人間の他にはギルドのエイナさんぐらいしか知らない筈だよ」

 

「むっ! でも、万が一ということもあるではないですか!」

 

「朝にガルガドとノリスをそのヘスティアっていう神様の所に案内したんだろう? あの二人が……ガルガドがいるのなら大丈夫さ」

 

「むう……確かにガルガドさんがいるのならそうかもしれませんね。ノリスはともかく」

 

「そうだろう? ガルガドがいれば大丈夫さ。ノリスはともかく」

 

 そう言ってエキューはイリーナの拘束を解くとミアハたちを振り向く。が、エキューを見る一同の目は驚愕に染まっていた。

 

「イリーナさんを拘束するほどの魔法……すごい……!」

 

「戦士としての技量もさることながら、魔術師としてもこれほどとは……!」

 

「あれ? エキューさんってまだ恩恵を得ていない筈ですよね? なんでヒューマンが魔法を使えるのですか?」

 

「稀にだが、そういう者もいるらしい。実際、ノインもそうであったなあ」

 

「ええっと……なんでみんな、そんな驚いた顔をしているんだい? ひょっとして、僕何かやらかした?」

 

 驚愕と畏敬の視線にさらされ、いつものエキューらしくない困惑した様子であったが、すぐに頭を切り替えるとイリーナに振り向く。

 

「と、とにかく。神様直々に招待された以上それを断るのは失礼だし、ヘスティアっていう神様の所に行くのは後回しにして今はミアハ・ファミリアの所に行く方がいいと思うよ」

 

「むう……もっともらしいことを言ってますけどエキューは単にロゼッタさんの所属しているファミリアに行きたいだけじゃないですか?」

 

「当たり前じゃないか! 他に行く理由があるのかい!?」

 

「はあ……まあ、礼儀的にもヒース兄さんたちの情報を得るためにも行かないわけにはいきませんからいいのですが」

 

「いや、礼儀云々を抜きにしてもイリーナとエキューは我がファミリアに寄っていった方が良いと思うぞ」

 

 振り向く二人の前にはミアハが真剣な表情で立っていた。

 

「どういうことですか、ミアハ様?」

 

「いや、何。先ほどのエキューの様子を見る限り、どうやらお主達二人はオラリオの常識に随分疎いようであったからな。今は良くても近い将来、お主達の実力が広まった時に余計なトラブルに巻き込まれない様、似たような経験をした我がファミリア、特にその中心にいたナァーザとノインに話を聞くことは重要であると思うぞ」

 

 ミアハのもっともな正論にイリーナとエキューは思わず顔を見合わせると確かに、と首肯した。

 今まで大きな問題が起こっていないから意識していなかったがここは自分たちにとって完全に未知の土地なのだ。その土地に関する調査を怠って命を落としたという同業者の話は枚挙にいとまがなかった。ここで常識のすり合わせを行うことは重要かもしれない。

 

「そうですね、是非お話を聞かせてください、ミアハ様」

 

「そういうことなら、僕も真面目に聞いておこうかな。イリーナだけじゃ不安だし」

 

「うむ、そういうことなら善は急げと言うし早速出発するか、皆のもの。どうやら人込みもはけてきたようだしな」

 

 店の外を見れば、依然として人通りは多かったが先ほどの様にごった返すというほどではなかった。この様子ならば、さして余計な時間もかからずに移動できそうであった。

 これ以上、遅くなれば外食に出る者たちが出てきて先ほど以上の混雑に巻き込まれるかもしれないし、何より遅い時間に訪問すればミアハ・ファミリアも迷惑するであろう。

 その場にいる誰も拒否する理由もなく、代金を支払うと一行はミアハ・ファミリアへと出発した。

 

 

 

 







 

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