へっぽこ冒険者がダンジョンに挑むのは間違っているだろうか 作:不思議のダンジョン
今日も迷宮都市オラリオに夜の帳が訪れる。
都市の中心から八方向へと伸びるメインストリートではそれぞれの店先で今日一日の最後のもうひと踏ん張りと呼び子たちが大声を通行者へと投げかけている。あたりに漂う匂いは多種多様な料理のそれが混ざり込んだ得も言われぬ、しかし暴力的なまでに食欲を湧きあがらせる。
オラリオではいつも通りの、昨日と変わらぬ日常の風景だった。
だが、何故だろうか。ヘスティアには昨日までと何も変わらない筈のその光景が、今日は全く別の物に見えて仕方がなかった。
「どうかされましたか、神さま? 早くしないと、皆さんに置いていかれますよ?」
「ああ、ごめんごめん。ベル君。ちょっと、考え事をしていてね」
それは、きっと今の自分がもう一人ぼっちではないからだろう。
足を急に止めて笑い出す自分を不思議そうに見つめるベルにヘスティアは軽く謝ると、その手を取って歩き出す。
童女の様とは言え、美しい似姿のヘスティアに手を握られ、ベルの顔が面白いぐらいに赤く染まっていく。
そのあからさまに女馴れしていない様に、ヘスティアの顔から笑みがますます深くなっていく。
久しく感じていなかった、誰かとつながっている幸福を感じる。今はそれがたまらなくうれしかった。
しかし、そんなささやかな喜びを噛みしめる時間はヘスティアには残されていなかった。
「えーと……先生たちはどこに行ったんだろう……?」
人、人、人人、人人人……
ベルとヘスティアの前後左右、どこを見ても人で溢れかえっていた。
これがこの場所だけの限定的な出来事ならばまだ良かったのだが、メインストリート全体が、それも街の中心から伸びる八本の道全てに起こっており、もはや視界はゼロに等しかった。
「う、うーん……どうやら、完全にはぐれてしまったみたいですね。これじゃあ、先生たちと合流するのは難しいですよ」
「やれやれ……ボクとしたことがこんなことになってしまうだなんて。ごめんね、ベル君。ボクが急に止まったりしたせいで君まで迷惑をかけてしまって」
しゅんと、落ち込むヘスティアにベルはとんでもない、と否定する。
「そんな事、気にしないでください! 神様をお守りするのが一番近かった僕の役目ですから。それに、目的地は分かっているんです。僕たちは僕たちで目的のお店に行けば大丈夫です」
「ああ、そういえばそうだったね。イリーナ達もその店に向かっているんだし、お店につけば自然と合流できるはずだったね」
しょぼくれるヘスティアに慌てるベルは必死に頭を振り絞り、励ます。苦し紛れの案ではあったが思いのほか理にかなった考えであり、ベルの名案にヘスティアも納得の面持ちを浮かべた。
「よーし! そうと決まれば早く行かないとね! さもないと、心配したイリーナ達が何をするか分からないし!」
「確かに。先生なんて魔法で大騒ぎを起こしてしまうかもしれませんね」
そんな軽口を叩きながら二人は目的地に向けて歩き出す。その足取りは口調同様に軽く、久方ぶりに隣人の温かさを知った一人ぼっち同士である二人の心情を現している様であった。
とは言っても二人の周りの人込みは相変わらずである。足取りは軽くとも、すぐに足取りは遅くなり、やがては止まると今度は人込みにもみくちゃにされてしまう。
「うわわっ! か、神様ー! 手を……手を放さないでください!!」
「わ、分かってるよ、ベル君!! だけど……こうも人が多いと……うう……あ、握力が……げ、限界だ……!」
「こうなったら、一旦横道にそれましょう!」
人込みによってさらにバラバラになってはたまらない、と二人は必死に人込みから逃れ、メインストリート沿いの店の軒先で人心地をついた。
「ふー、すごい人込みでしたね。僕、あんなに大勢の人なんて初めて見ましたよ。今日は何かのお祭り何ですか?」
「確かに人が多いけど、この街ではこのぐらいの混雑は日常茶飯事さ」
ヘスティアの言葉にベルは目を丸くする。
「ええっ! 本当ですか!? 僕が村で今まで出会った人たちの数よりもオラリオに来てからの二日間の方が多いくらいなんですよ。そんな数の人たちが毎日歩いてるんですか!?」
「ちょ……! ベル君、声が大きい! 周りの人たちを見るんだ。みんな、君のことを見ているよ!」
ヘスティアの言う通り、周りにいる者たちは皆、お上りさん丸出しのベルの叫びに笑いをかみ殺していた。世界の中心であるオラリオに憧れ、辺境から出てきた田舎者がオラリオの繁栄に度肝を抜かれることは最早この街の名物であり、そして街人たちにとって何よりの酒の肴であった。
小馬鹿にするような、面白げな視線がいくつも突き刺さるのを感じ、ベルの顔が真っ赤に染まっていく。
そんなベルにヘスティアはしょうがないなあ、と苦笑する。
「あはは、まあ初めてじゃあしょうがないさ……うん、ちょっと人通りも少なくなってきたし、改めてお店に向かおうじゃないか」
そう言ってヘスティアが立ち上がった瞬間だった。
ポロン、と美しい音色が二人に降りかかった。
「うわあ……綺麗な音色ですね……!」
「あ、ああ……そう、だね……? でも、なんでこんなに煩い街中ではっきり聞こえるんだ……?」
美しい調べに素直に感嘆するベルとは対照的に、夜の喧騒の中であっても繊細な音色が損なわれていないことに訝しむヘスティアであったが、次第にそれも消えていく。
それは、勿論歌そのものが素晴らしすぎて二人の心を魅了したこともあるが、それ以上に二人の心の中にある一つの感情が音色を一つ聞くたびに大きくなっていったからだ。
見たい。この演奏をしている人間の顔を。
完全に迷子になった二人の現状を考えれば、思ったとしても決して取らないであろう行動。正常な二人ならば簡単に振り払える欲求であるはずだが、何故かこの時ばかりは抗うことができない。
ふらふらと二人の足が音色が聞こえてくる方向へ、まるで見えない何かに押されていくように運ばれていった。
「ヒース兄さん、ヒース兄さん! 大変です、ベルとヘスティアがいません!」
「ああ!? 全く……何やってんだ、あの二人は……!」
ベルとヘスティアが何処かへ向かっている頃、遅まきながらもイリーナは二人がいないことに気づいた。慌てて周囲を見渡すが小柄なベルとそれ以上に小さいヘスティアをこの人込みの中で探すのは土台不可能である様であった。
予期せぬトラブルに中々進まない混雑と相まってヒースが忌々し気に舌打ちをする。
「チッ! こんなことなら『ロケーション』をかけられる物でも渡しとくんだったな……! あるいは使い魔を使って空から探すか……」
「どちらにしても、この人込みの中じゃあ、場所が分かっても近寄るだけで一苦労だと思うよ? 何か、人込みを避ける手段がなきゃ」
「『フライト』なら行けるんじゃない? あれなら、人込みも無視できる……いたっ!」
「馬鹿もん! こんな人込みで溢れかえっている所で、空なぞ飛べばパニックが起こるじゃろうが。余計時間がかかるし、危険極まりないわ」
頭を押さえるノリスを横目でにらみながら、ガルガドはため息をつく。
魔法という物が周知されていても身近なものでないのは、フォーセリアもオラリオもそうは変わらない。街中でそんなものを、それもオラリオでは存在自体が認識されていない飛行魔法を使えば、混乱とそれに付随して将棋倒しに転倒する者が現れるのは確実であろう。集団パニックの恐ろしさは今日、イリーナが引き起こしたミノタウロスの顛末で明白だ。
「そもそも魔法なんぞ使わなくとも、目的地はベルもヘスティアも知っておるのじゃし、無視して目的地に向かえばいい話じゃろう」
「ああ、成程。確かに、その通りですね!」
奇しくもベルのたどり着いた結論と全く同じガルガドの提案にイリーナは納得の表情を浮かべる。
が、すぐに残念そうに顔を歪ませた。
「けれど、残念です。折角のファミリア結成の記念パーティーがいきなりこんなことになるなんて」
今から二時間ほど前、意気揚々とミアハ・ファミリアから帰って来たイリーナとエキューを出迎えたのはヘスティアだけではなく、はぐれてしまった筈の三人の仲間、そして新たな仲間であるベルの五人であった。
思わぬ再開に喜ぶ五人の腕利き冒険者にヘスティアが一つの提案をしたのだ。
「良かったじゃないか、みんな! ……うん、まさか一日で半分も見つかるなんてめでたいことこの上ないし、それに今夜がヘスティア・ファミリア結成最初の夜だ。ここは一つ皆でパーティーと洒落込もうじゃないか!」
その場にいた者で否と答える者はいなかった。
ヒース、ガルガド、ノリスの三人はこの街に来てからまともな食事にありつけていなかったし、イリーナとエキューは昼間にこの世界の豊かさを散々見てきており食事の質に大いに期待していた。ベルに至っては昼間に三人の少女をミノタウロスの群れから助けたというイリーナに羨望の眼差しを注いでおり、その話を何としても聞きだそうと躍起になっていた。
そうと決まれば、彼らの行動は早かった。
未だ恩恵を貰っていないエキューに恩恵を与えている間に、残った人間で住民に聞き込みをかけて目ぼしい店を探したのである。
こうして異世界に来て初めてのまともな食事にありつけそうであったイリーナ達であったのだが、ヘスティアとベルがいなくなったことでいきなりその計画もつまずいてしまった。
「はあ……」
「そんなにため息をつかなくてもごちそうは逃げないよ、イリーナ?」
「む、違いますよ。私はそんなに意地汚くありません。私が心配しているのはヘスティアたちの安全です」
エキューの言葉にややムッとしながらイリーナは言った。
基本的にオラリオの治安は良好ではあるものの、それも時と場所による。
今、イリーナ達が歩いているメインストリートは昼間こそ治安がいいものの、日が暮れて人通りが多くなれば諍いや余計なトラブルが目立ち始める。今もこうして歩いているだけでも酔客による喧嘩があちらこちらで見受けられる。
表通りでこれであるのだ。何の間違いか、もしくはよからぬ輩の手によって裏通りにでも二人が連れ込まれてしまったら、どうなるか。
下界に降りてくる際に全ての権能を捨てたヘスティアと冒険者なりたてのベルでは切り抜けることは不可能であろう。
そう思うと、イリーナは気が気ではなかった。そんなイリーナにノリスは呆れた視線を送る。
「考えすぎだよ。ベルはともかくヘスティアはこの街で長い間一人で暮らしていたんだよ? 昨日今日でどうにかなるはずが……って、あれ……?」
話の途中でノリスは言葉を切ると、訝し気に目を眇める。
どうしたのかと振り向く仲間を無視し、すっと指を前方の人込みに向けた。
「あれ、ベルとヘスティアじゃない?」
「え……?」
驚き、ノリスの差した方向に目を向ければ、確かにそこには件の二人が歩いていた。
ホッと、胸を撫でおろす一行。
「良かった……早く見つかって、本当に良かったです」
「ほら、言った通りでしょ。イリーナは心配し過ぎなんだよ」
「たくっ……師匠に心配させるなんてとんでもない弟子だな。あとでたっぷり説教してやらないと……って、おいおい!? あいつら、目的の店とは逆方向に進んでやがるぞ!?」
「何じゃと!?」
「まずいよ、それは! ここで離れ離れになったらもう合流できなくなっちゃうよ!」
探し人達が見つかり、安堵から口元が緩んでいた一行だったが、ベルとヘスティアが目的地とは逆の方向に進んでいることに気が付くと慌てて二人の元へと急行する。
とは言っても、場所は人がすし詰め状態となっているメインストリート。皆が思い思いの方向に好き勝手に歩くそこでは、速やかにとはいかず、何度も人にぶつかり、押し合いへし合いを繰り返し、ようやく手の届く距離までたどり着いた時には皆一様に疲労してしまっていた。
けれども、何とかヘスティアたちの肩を掴むことに成功する。
「ヘスティア!」
「……ん? なんだ、イリーナじゃないか。どうしたんだい、そんな怖い顔をして?」
「何だじゃありませんよ、まったく! 二人が迷子になったから心配していたのに何処へ行こうとしているんですか? 目的のお店はあっちですよ!」
「ん……? ああ、そうだったね……でも、悪いけどイリーナ達は先に行っててくれないかな? ボクとベル君は行くところがあるからさ……」
「は? 何を言ってるんですか? ヘスティアも久しぶりの外食だと喜んでいたじゃありませんか?」
思いもよらないヘスティアの言葉にイリーナは面食らう。
何せ、結成記念のパーティーを最も喜んでいたのは主神であるヘスティアだったのだ。勿論イリーナ達と同様にまともな食事にようやくありつけた、という理由もあったであろうが、何よりも遂に自分の眷属を手に入れられたということに特別の喜びを持っていたのだ。
それなのに、その大事なパーティーをすっぽかしていくなど到底理解できなかった。
困惑する一同にヘスティアとベルは一瞥もすることなく、再び歩き出し始める。
その歩みは遅い上にふらふらと危なっかしく、熱に浮かされたようなものであった。
「あっ! ちょっと、ヘスティア! 一体、何があったというのですか!?」
「さあ……? 一体、何があるんだろうねえ……? ボクにも分からないや。だからこそ行くのさ」
「えーと……?」
全く要領を得ないヘスティアの言葉に最早、イリーナ達は言葉を失うほかなかった。
そんなイリーナ達に聞かせるつもりなのか分からない、何処かぼんやりとした口調でベルが言葉をつなげる。
「先生たちにも聞こえませんか? あの曲が。すごく綺麗な曲なんですよ。一体どんな人が弾いてるのか僕たち、どうしても気になっちゃって仕方がないんです。それじゃあ……失礼します」
そう言って今度こそベルはヘスティアと共に去っていき、あっという間に人込みに紛れ込む。あとに残されたのは呆然とするイリーナ達だけであった。
「……えーと……本当にどうしたんでしょうか、あの二人?」
「全くだな……会って二日も経っていないんだが、ベルの奴あんな不思議ちゃんだったとは俺様も気づかなかったぜ」
「でも……なんか変な事言ってなかった? 歌がどうのとか……?」
「そうじゃのう……まるで何かに操られているかのような様子だったのう……」
「歌、ねえ……こんな喧騒の中で歌なんて聞こえるわけないと思うけ、ど……」
そこまで言った所でピタリ、とノリスが動きを止める。
突如言葉を切ったことで訝しむ全員の視線を浴びていたノリスであったがやがてふらふらと歩き出す。奇しくもその歩が進む方向はベルとヘスティアが歩いて行ったのと同じであった。
「おい! 何処へ行く気だ!?」
「いやあ、なんか歌が聞こえてきてさ……その歌を聞いてるとさ、なんかその歌の演奏者が誰なのか気になって気になって……」
ノリスの言葉に思わず、皆で顔を見合わせる。熱に浮かされたかのように演奏者を探すノリスの姿はまさに先ほどのベルとヘスティアのそれであった。
と、同時に聞いたものに演奏者を探し出させようとする歌、という言葉に皆非常に身に覚えがあったからだ。
「おいおい……まさか、『キュアリオスティ』の呪歌かよ……!?」
「それじゃあ、ひょっとしてこの歌を歌っている人って……で、でも……呪歌は聞こえなきゃ効果を発揮しない筈ですよ? どうやってこの喧騒の中で……?」
「ちょっと待って……うん、間違いない。ここら一帯に不自然なぐらいシルフの力が働いている。これは……『コントロール・サウンド』の魔法だ。これによって呪歌を喧騒の中でも遠くに届かせているんだ」
「やれやれ、どういうつもりか知らんが、どうやら全員合流するのは思ったよりも早く済みそうじゃな」
キュアリオスティの呪歌、精霊魔法コントロール・サウンド。
どちらもこの世界には存在しない筈の存在である。
そして、これらの技を習得している者たちを彼らはよく知っていた。
一行は頷き合うと、見失わない様に急いでノリスの後を追っていくのであった。
オラリオの西メインストリートの一画。
大小さまざまな飲食店が立ち並ぶこの通りは夜のオラリオの中でも特に人通りの激しい場所である。
今日もまた、街の住人、冒険者そして、人ですらない神々。様々な種類の人間たちが今日一日の疲れを取る為に思い思いの食事に舌鼓を打つ。
彼らが貪る様にして平らげている料理も客層と同様に千差万別。ドワーフ流の鍋料理を出す店もあれば、エルフの繊細な味付けで彩られたフルコースを出す店も、パルゥム名物の香草をふんだんに使ったスープ専門店もあった。
本来であればこれらの美味を全て味わうためにはそれこそ世界を一周せねばならないだろう。
それがこうして一つの区画で纏まっている光景は世界の中心であるオラリオならではと言えるだろう。
そんな世界中の名店が鎬を削り合う激戦区の中、一際多くの客を呼び込んでいる酒場があった。
平均よりもやや大きめの敷地のその酒場には大きく豊穣の女主人亭と書かれており、今や店に入りきらない程の客が次から次へと集まっていく。
「ニャー!! 今日は一体何がどうなってんのニャ!? どうして、こんなに客が次から次へとやって来るニャ!」
「ほら、そこ! ぼやかない! ただでさえ、手が足りてないんだから!」
しかし、それらの客をさばく店員の顔には歓喜よりも困惑の色合いが強い。
人と人の合間を流れる様にすいすいと動き回る彼女たちだが、その腕前を以てしても目の前にいる大量の客に対応するには明らかに多勢に無勢といった有様だ。
「お待たせしました。キノコと豚肉のソテーを……え、違う? 頼んだのは魚のフライ? 大変、申し訳ありませんでした!」
「シル! 店内はもういいから、外の方へ行きなさい。今、様子を伺ったがあちらの方が拙い様子だ」
「分かったわ! じゃあリュー、ここはお願いね!」
そう言うと、シルと呼ばれた少女は注文を間違えてしまった客に謝罪もそこそこに小走りで外へと駆ける。
忙しさに目が回りそう、とひとりごちながら、シルは首を傾げた。
今日の忙しさは明らかに異常であった。
確かに夜のオラリオは多くの人が行きかい、飲食店の多くを賑わわせる。それでもせいぜいが店内で十数分待たせるくらいである。
何か催し物でもあれば話は別だが、一番最近の祭りである怪物祭もまだ数週間先のことだ。何度思い返してみても、今日は特別な事などなかった筈だ。
強いて言えば、今日から新人のウェイトレスと専属の吟遊詩人を雇ったことぐらいであろう。
そんな風に目の前の忙しさからの現実逃避気味にこの事態への考察をしていたシルであったが、それも外へ出た瞬間に頭から吹き飛んだ。
店内の人込みをかき分けたシルの目の前に広がった光景、それはまさに地獄と表現するほかない様子であった。
店の前にいる客たちは少女たちの奮闘むなしく今なお増え続け、長蛇の列はどこが最後尾なのか分からない。
仕方なく、空箱とテーブルクロスで作った即席のテーブルを外に並べ客席を水増ししているがそれも焼け石に水と言った所だ。
思わず、回れ右をして店内に引っ込みたくなる。が、すぐに店長であるミアの怒りに満ちた顔が思い浮かぶ。ドワーフらしい豪快な性格であるミアは脛に傷を持つ者であっても快く迎え入れる度量を持つが、同時に怒った時もドワーフらしく苛烈の一言だ。
進んでも地獄、退いても地獄。どちらを選んでも結果は同じならばせめて前のめりに倒れよう。
そんな前向きなのか後ろ向きなのか分からない決意を胸にシルが一歩を踏み出した瞬間、その声がシルの耳に入って来た。
「ちょ、ちょっとバス……なんか、とんでもない数のお客さんが来てるんだけど!? なんで、こんなに来てるのよ!? もう、『キュアリオスティ』の呪歌は止めているんでしょ!?」
「いやあ……どうやら、大部分は呪歌によるものではなく、呪歌によってできあがった人だかりに引き寄せられた方々の様ですぞ。いやはや、どうにも加減という物は難しいものですなあ」
そこにいたのは二人の男女。今日の午前中にふらりと店にやって来て、給仕と吟遊詩人として新たに店員として加わった二人組である。
男のドワーフと女のハーフエルフという組み合わせであり、オラリオに来る前からの知り合いだったらしい。
オラリオに来たのは冒険者になる為であったのだが、運悪く他にいた仲間たちとはぐれてしまったのだという。
しかも、悪いことは重なるもので路銀などは全てはぐれた仲間が持っていたらしく、途方に暮れていた所、店員募集をかけていた豊穣の女主人亭が目に入り、こうして転がり込んできたというわけだ。
件の二人はシルの視線に気づくことなく口論を、正確には女が一方的に男にまくし立て続ける。
「そんな、悠長なことを言ってる場合!? こんなにお客さんが来たって捌けなければ意味ないじゃない!」
「いや、そもそも貴女が呪歌を使って客寄せしようだなんて考えた結果ではありませんか。ワタクシは最初に呪歌や魔法をその様な私的に使うのは止めといた方がいいと御忠告申し上げましたぞ」
「だって、仕方ないじゃない! ミア母さんが沢山お客さん連れてきたらボーナスくれるって言うんだもん! ボーナス欲しかったんだもん!」
「やれやれ、ですなあ……ん?」
ここで、ようやく男のドワーフがシルに気づいた。
「おお、これはシルさん。いやはや、申し訳ない。こんなに忙しいのにおしゃべりに興じるなどもっての外でありましたな。こんなに人が多いのであれば、仕方がありません。お詫びと言ってはなんですが、ワタクシも給仕のお手伝いをさせていただきますぞ」
「いえいえ、バスさんは吟遊詩人として雇ったのですからそこまでしていただかなくても大丈夫ですよ。それよりも……」
こてんとシルは首を傾げ、男のドワーフであるバスと傍らにいるハーフエルフに尋ねる。
「先ほどのマウナさんとのお話で呪歌がどうとか仰ってましたけど……ひょっとしてお二人はこの忙しさについて、何かご存じなのですか?」
「うっ……!」
核心を突いたシルの質問に女のハーフエルフ、マウナは目に見えて狼狽した。
「い、いやねえ……シルったら何を言ってるのかしら? 私たちが何かやったなんてそんなことあるわけないじゃない。私たちは未だ恩恵も得ていない、冒険者未満の人間よ? こんな大それたことできるわけないでしょう?」
「それは、まあ、そうですけど……」
一応は賛成するシルの声には疑問の色が強い。
当然である。目の前のマウナの様子は勘の鋭いシルでなくても分かってしまう程に平常ではない。
目は泳ぎ、口元は引きつっている。明らかにこの異常な繁盛について目の前の女性は何か心当たりがある。
そう思い、さらに詰問しようとシルが口を開いた瞬間。
「すいませーん。ちょっと注文したいんだが!」
「あっ! はい、分かりました!」
後ろから呼び止める声にシルはさっと振り返る。マウナの怪しげな態度は気になるが今は仕事中だ。
気になることは仕事が終わった後にでも聞けばよいことだ。
給仕として完璧な笑顔で注文を取ろうとシルは自分を呼び止めた客の元へと歩み寄る。
「お待たせいたしました。ご注文は何になさいますか?」
「んー、そうだな。このお店のおすすめはなんなのかね? 俺様達に是非教えてくれたまえ」
見ない顔であった。
記憶力の良いシルが知らない以上、絶対に馴染みの客でない筈なのにこうまで尊大な態度をとれるとは中々にイイ性格をしているのだろう。
が、シルとてこの仕事に就いてから長い。この程度の不躾な態度に目くじらなど立てようはずがない。
シルは嫌な顔一つせず、笑顔で客を観察する。
数は七名。ヒューマンが五名にドワーフが一名、そして際立って美しい少女が一人、おそらくは神であろう。
客の構成から何処かのファミリアの一団だろうとシルは当たりをつける。
冒険者ということはおそらくは塩気の強いものや濃い味付けのものを好むだろう。
そう思い、いくつかの料理を候補に上げていく。
豚の照り焼き、牛のステーキ、鳥の香草焼き。
思いつく限りの店おすすめの料理を紹介する。無論、ただ説明するだけでない。説明の合間合間に料理の味を想起させるような言葉をちりばめ、食欲を煽ることを忘れない。
如何にステーキの肉が分厚いか、ナイフを入れた瞬間どれほどの肉汁があふれ出すか、熱々の鉄板によって焦がされる肉汁とソースが如何に香ばしいかをまるで目の前にその料理があるかのように微に入り細に穿って説明する。この説明を聞きながら目を閉じれば、瞼の裏に料理が浮かんでくるのは自明のことであろう。
だが、そこでふとシルは気づくのであった。
シルに最初に尋ねた偉そうな男。彼はシルの言葉に全く耳を傾けていない。
いや、男だけでない。そのテーブルに座っていた者たち全員がシルの説明には耳を傾けておらず、ただただ聞き逃していることに。
そして、その視線が真っすぐ自分の後ろに向けられ、何処か笑いを含んでいることに。
「……? あの、お客様……?」
「んー、成程成程。確かにどれも美味そうだな。しかし、今日は俺様、鳥の気分なんだよなー!」
訝しむシルを無視し、男はやおら立ち上がるとシル越しに後ろにいるマウナに向かって大声で叫ぶ。
「おい、そこの赤貧エルフ。注文だ。レアな焼き鳥一つ持ってこいや!」
「ヒイイィィスウウゥゥゥッ!!!」
そう言って、後ろにいたマウナがシルを押しのけて目の前にいる青年に鬼の形相で飛びかかった。
第十一話完成しました。
これで、ようやくへっぽこーずは全員合流が出来ました。
全員合流させるまで約十万字。筆者の遅筆も相まって皆さん随分お待たせしてしまいました。
次回こそはもう少し早くお届けできるよう頑張りたいと思います。
それでは皆さんのちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。