へっぽこ冒険者がダンジョンに挑むのは間違っているだろうか 作:不思議のダンジョン
「おおっ! すごい人だかりですね……!」
目の前の人込みにイリーナは驚嘆の声を上げる。
既に時刻は夕暮れ。帰還した冒険者とそれを目当てにした町の商人たちであふれかえるオラリオの中でも目の前の店は特に賑わっていた。
青の薬舗。西のメインストリートを外れた少し深い路地裏にあるその店は、立地条件の悪さすら物ともせず、今も物々しい装備をした冒険者たちで溢れかえっていた。
オラリオ随一の治療の腕を持つファミリアという話は本当の様であった。
「どうです、すごいでしょう?」
「はい! こんなに繁盛しているとは思いもしませんでした!」
「イリーナ……少しは礼儀というものを学ぼうよ……」
「ははは……正直なのは良いことだと思うぞ。さて、と……」
あまりに正直すぎるイリーナの言葉を全く気にすることもなくミアハはキョロキョロと見回すと、目当ての人間を見つけ、手を振って大声で呼ぶ。
「おーい、ナァーザ! 今、帰ったぞ!」
「……ミアハ様……?」
ミアハの声に店頭で客に商品の説明をしていた犬の亜人と思しき女性が半分瞼が下がった眠そうな瞳を向ける。
途端、周りにいた人込みが割れ、驚愕の瞳をミアハに向ける。
「おい……あれって、神ミアハじゃないか……?」
「マジかよ……あれが成金のミアハ、僅か数年で最大手ファミリアの一つにのし上がった神か……」
「すると後ろにいる奴らは護衛の連中か。流石、大手のファミリアとなると護衛もたくさん連れてい……おい、あの一際でかい鉄の塊はなんだ? 人間か?」
「何だ、あれ……? 少女を入れた鎧? それともまさか鎧を着た少女なのか?」
徐々に周囲の視線がミアハから後ろにいるイリーナに向けられ始めたところでナァーザと呼ばれた女性は他の店員に後を任せるとごった返す店内から器用に駆け寄って来る。
「お帰りなさい、ミアハ様……」
「うむ、ただいま。どうやら、今日も我がファミリアは盛況のようだな」
「はい、その通りですね……ところで」
ちらり、とナァーザはミアハの手にある箱に視線を落とす。
「ポーションの在庫数が計算と合わないんです……ミアハ様、何かご存じではありませんか……?」
「む!? い、いやあ……私には何のことだか……」
「ご存じ……ですね……!」
「う、うむ……つい、出来心で……すまない」
眠そうな、しかしその奥に強い感情を秘めたナァーザの瞳にミアハは早々に頭を下げた。
神が人間に頭を下げる。オラリオではままある光景ではあったが、元の世界では決してあり得ない光景にイリーナとエキューはどう反応すれば分からない様子である。
「驚かれましたか、イリーナさん」
「ええ……ミアハ・ファミリアでは神様にあんな態度を取って許されるんですか? それとも、これがオラリオの常識なんですか?」
「そうだな……流石にここまであからさまなのは珍しいかもしれねえだ。だけんど、神様が頭を下げる光景なんてこの街では珍しくもねえだ」
「はあ……そういうものですか……」
納得半分、驚き半分といった感じでイリーナは相槌を打つ。考えてみればヘスティアも人間の上司の下で屋台のバイトに勤しんでいるのだ。神と人間の立場は元の世界ほど絶対的ではないのだろうが、それでもいざそれを目の当たりにすれば驚きを禁じ得ない。
呆然と見つめるイリーナ達の前で、いよいよナァーザのお説教が始まろうとする所でミアハは自分が誰を連れてきたかを思い出す。
「そ、そうだ! ナァーザよ、お主の怒りはもっともであるが、ここは一旦抑えてはもらえぬか? 実は今我らの恩人を連れてきているのだ」
「恩人……?」
そう言われて初めてイリーナ達に気づいたらしく、ナァーザは少し目を見開きイリーナ達に視線を移す。自然、イリーナ達からもナァーザの姿を視界に捉えることになる。
年はイリーナよりもやや上ぐらいであろうか。半分閉じられた瞳が一見気怠そうな雰囲気を与えるが、その奥にある力強い光に気づくことが出来れば彼女こそがオラリオでも有数のファミリアの長であるということを理解するであろう。
突然のVIPとの邂逅に緊張するイリーナをナァーザは栗色の髪から生えている犬人の証の大きな耳を不審そうに震わせる。
が、すぐに後ろにいたシンシア達のボロボロになった装備を視界に捉えると、おおよその事情を悟ったのであろう、短く頷く。
「こちらに来て欲しい……多分、外で長々と話すようなことじゃないと思うから……」
そう言って、すたすたと背を向けて歩き始める。
あまりに素っ気ない態度にイリーナは面食らったが、慌ててついていく。
店内は依然として大繁盛といった様子であったが、店員たちの努力により規則だって列が作られているためにメインストリートの様に身動き一つ取れないなんてことはなかった。
店内に入ったことで薬特有のツンとした匂いが立ち込め、店の至る所にある棚には赤や青、黄色など多種多様な色の液体が所狭しに置かれている。冒険者たちは手にとっては光にかざしたり、店員の許可をもらって一口舐めたりと、様々な方法で品質を確かめている。そして皆例外なく感心とも納得とも言える表情を浮かべるとレジに持っていく。どうやら、商品の品質において疑問の余地はないらしい。
「おお……! なんだか、すごいですね……これ、全部魔法の薬なのですか……こんなに魔法薬がある所なんて私、魔術師ギルドしか知りません」
「確かに……すごい数だね。でも、すごいのはそれだけじゃ無いみたいだよ」
そう言ってエキューは親子連れの客を見る。親は中年に差し掛かった位の女性。しきりに腰をさすりながら店員に腰痛に効く薬を尋ねている様子であった。その姿に戦う者特有の油断の無さはない。一目で一般人であると見て取れる。
「冒険者の様に大金が転がり込んでくるわけでもない一般人がこうして気軽に薬を買えるなんて、オーファンじゃ考えられないよ。喫茶店のこともそうだけど本当、この街はすごいよ……」
アレクラスト大陸において、精製された薬は基本的に貴重品である。そも材料となる薬草の採取ですら魔物が辺りをうろついている為に命懸けである上に、製薬技術も秘伝であることが多く、多額の技術料がかけられることが多い。結果、貴族や裕福な商人でもない限り、病にかかっても庶民は民間療法に頼るほかないというのが現状である。
「勿論、オラリオが裕福ということもあるけど、うちのファミリアはミアハ様の意向で可能な限り低予算になる様にしているから……」
犬人特有の聴力でイリーナとエキューの小声を聞き取ったのか、前を歩くナァーザは前を見つめたまま淡白に説明する。が、その尻尾は左右に勢いよく振られており、内心は己の主神への高潔さを誇らしげに思っていることは明白であった。
自身の気持ちがイリーナ達に見抜かれているとはつゆ知らず、ナァーザは店内の奥にある関係者以外立ち入り禁止の扉を開ける。
「入って欲しい……ここなら赤の他人は誰も聞かないから……」
そう言われ、案内されたのは応接室であった。その広さは治療系最大手というファミリアにしてはやや手狭のような広さであったが、かといって品位を落とす程ではない。
見栄や見てくれなどには頓着しない、ミアハの性根が反映されたかのような作りであった。
ナァーザはイリーナ達に向き直ると深々と一礼する。
「遅れてしまったけど、私の名前はナァーザ・エリスイス……形だけとはいえ、ミアハ・ファミリアの団長させてもらっている……」
「イリーナ・フォウリーです! 昨日ヘスティア・ファミリアに入団した新人冒険者です!」
「おではドルムル。マグニ・ファミリア所属だ。一応第三級冒険者だ」
「私の名はルヴィス。モージ・ファミリアの末席を汚しています。レベルはそこのドワーフと同じレベル3です」
「エキュー。今回の事とは無関係だけどイリーナの知り合いってことでこの場にいさせてもらっている。ファミリアは多分ヘスティアの所に入ると思うけどまだ正式には入団していない」
「え?」
イリーナ達の自己紹介にナァーザは珍しく半分閉じていた目をまん丸に開けて驚く。オラリオでも珍しいレベル3冒険者が二人もいるということに、ではない。三つのファミリアが混合でダンジョン探索に赴くことなど聞いたこともなかったからだ。
自然、嘘を見抜ける神ミアハに視線を向ける。
「うむ、イリーナ達の言っていたことは真実であったぞ。ちなみにイリーナのレベルは7だそうだ」
「…………は?」
さらりと投下された更なる爆弾発言にナァーザは今度こそ口を半開きにする。
イリーナというのは今しがた紹介したこの無骨な甲冑を着込んだ少女の事であろう。しかしながら、先ほどしっかりと昨日恩恵を得たばかりの新人冒険者と言っていたではないか。
己が主神の正気を疑うかのような目を向けるが、一向に訂正しない主神の姿に今度は助けを求める様に視線をあちらこちらに彷徨わせる。
「うむ、やはり信じられぬか。まあ、いきなりそんなことを言われてもそう簡単に呑み込めぬだろうしな。よし! シンシアよ。ここはお主から説明してやれ」
「は、はい! 分かりました」
そう言って、シンシアは先ほどの喫茶店でミアハにしたのと同じ話をナァーザに聞かせる。
一度同じ内容を話したことがあった為か、先ほど喫茶店で話した時よりも若干たどたどしさがなくなったシンシアの話にナァーザは耳を傾ける。
ミノタウロスの群れに追いかけまわされた所で眉根に皺が寄り、イリーナの八面六臂の活躍をし始めたところでその皺が深くなる。
神であるミアハと違い、ナァーザは嘘を見抜く能力がないために、新人冒険者がミノタウロスに大立ち回りをしたなどという話をすんなりと受け入れることが出来なかったのだ。
自然、話し終えたシンシア達に疑うかのような目を向けることとなる。
が、一向に訂正する様子を見せぬミアハとシンシアに姿に今度は困ったかのような視線をイリーナに向けた。
イリーナとしてもその様な目で見られても困るだけであり、結果としてイリーナは最も手っ取り早いであろう手段を提示する。
「ええっと……もし、信じられないのでしたら背中にステータスが書かれているので見ますか?」
「えっ! ちょっと、イリーナさん……!?」
「お待ちなさい、イリーナさん!?」
「な、ななな、何を言ってるだ、イリーナ!?」
「え? わ、私、何か変なことを言いましたか?」
しかしながら、それは悪手であった。目の前のナァーザは勿論、周りにいたシンシア達が一斉に驚きに包まれる。
どうやら、今の発言は相当に常識はずれな発言であったらしいがオラリオに来たばかりのイリーナには何がまずかったのか皆目見当がつかない。
「イリーナよ。自身のステータスというのは自分の力がどれくらいなのかということだけでなく、どのような手札を持っているかまで詳細に写されたものなのだ。故に本来であれば他人は勿論のこと、同じファミリアの者にも決して知らせてはならないものなのだ」
「そ、そうなんですか……ここではそういう考えなんですね。教えていただいてありがとうございます」
やんわりと、しかしはっきりと迂闊さをたしなめるミアハにイリーナは顔を赤くしながら礼を言う。
他人を疑わないという点は確かに人としては美点ではあるのだろうが、冒険者としては必ずしも良い方向に働くとは限らない。
やはりこの娘には一度冒険者の常識を教える必要があるな、とミアハはイリーナ達を自分のファミリアに呼んだことは正解であったと再確認する。
「……と、見ての通りイリーナはレベル7の実力者ではあるが冒険者になって日が浅い様でな。主神も今まで一人の眷属も持っていなかったのでな。ここは同じような経験をした我々が教えるのに適任であろうし、そちらの方が金品を渡すよりもずっと役に立つ謝礼となるであろう?」
「なるほど……よく分かりました」
ミアハの言葉にナァーザは深く頷く。
確かに先の様子を見れば、レベル7というのが本当かどうかはともかくとして、こうも冒険者の常識に疎い様子では厄介ごとに巻き込まれるのは確実であろう。そうなる前にこちらの常識を教えるということは下手な金銭よりもよほど価値のある謝礼となることは間違いない。
尤も、お人よしである目の前の主神ミアハならば、謝礼のことがなくても教えようとしたのだろうが。
自らの主神の美点であり、同時に大きな欠点にナァーザはうっすらと苦笑を漏らすと続いてドルムルとルヴィスへの謝礼について話す。
「では、イリーナさんにはオラリオの常識と弱小ファミリアに高レベル冒険者が入った時に起こり得る事柄とはぐれたというお仲間の捜索を、そちらの御二人にはエリクサーを始めとした幾つかのポーションをお譲りいたします」
何でもないかの様に言われたナァーザの言葉。しかし、その言葉は二人のベテラン冒険者を驚愕に椅子から飛び上がらせた。
「エリクサー!? 一つ50万ヴァリスは下らねえだ!?」
「万能の霊薬ではありませんか! いくら何でもいただけませんよ!」
固辞しようとする二人にナァーザは首を振るう。そして静かな、しかしはっきりとした決意を滲ませながら言う。
「私たちの家族を救ってくれたのだから……これぐらいは当然。むしろ、身内を助けてもらったのだから、これでも少ないぐらい」
「しかしですね……」
なおもルヴィスが食い下がろうとしたその時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「む、誰だ? 今、大事な話の最中なのだが?」
「申し訳ありません、ミアハ様。実は先ほど自分では処理しきれぬ商談がありまして、一度ミアハ様の判断を仰ぎたく……」
ドアの奥から聞こえてきた声は若い男の声であった。丁寧な口調ではあったが不思議と堅苦しさを感じさせないのは、男の声にしてはやや高めの声質を持つからか、それとも声の主の性格がにじみ出ているのか、もしくはその両方であろう。
話に水を差された形であったが、その声を聞いた瞬間にミアハの顔がぱっと明るくなる。
「ん? その声は……! おお、ノインか!? ちょうどお前を呼びに行こうと思っていた所だったのだ! 入ってきなさい!」
「……は? それでは、失礼いたします」
「ん? ノインって確か……」
ノインという名前に聞き覚えのあったイリーナとドアの奥にいる人物の疑問の声が重なる。同時にゆっくりとドアを軋ませながら一人の人物が入って来る。
年はイリーナよりも明らかに上、おそらくは仲間の一人であるマウナと同年代くらいであろうか。
黒い髪に、黒い瞳。服装も黒を基調としたローブでほぼ全身を覆っており、まるで夕暮れに生まれる影法師であった。そして、それだけが目の前の人物の外見的な特徴と言えた。
顔には大きな傷などの特徴もなければ、目を奪われるほどの美しさも、記憶に残る様な醜悪さもない。黒一色の姿を先ほど影法師と形容したが、しばらく目を反らせばまさに日が落ちると同時に夜闇に紛れる影法師の如く記憶から消えるであろう特徴のなさであった。
およそオラリオでも有数のファミリアの副団長という肩書きとは無縁そうな顔つきであった。
男は部屋に入るや否やその平凡な顔を困惑に曇らせながら見知らぬイリーナ達とミアハの間で視線を迷わせた。
「ミアハ様、自分に用があるとおっしゃいましたが……そちらの方々は? この部屋に通されているということは商談に来られた方ですか……?」
男の疑問に愉快な冗談を聞かされたかのようにミアハはからからと笑った。
「ハハハ……商談に来るのにこのような鎧を着てくる者などいるまい。見ての通り、冒険者を生業としている者たちだ。尤も、頭にシンシア達の命を救ってくれた、という言葉が付くがな」
「シンシアさん達の……?」
ミアハの言葉に要領を得なかった男は不思議そうにシンシア達に視線を向け、そこでシンシア達が頷くに至ってようやく一定の理解を得たようだった。
瞬時に疑問の色を引っ込めると、神妙な面持ちでイリーナ達に向き直る。
「なるほど……詳しい事情は分かりませんが、自分たちの家族を助けて下さったことは間違いないのですね。申し遅れました、自分がミアハ・ファミリアの副団長を務めさせていただいているノイン・ケスマンです」
「あなたが……」
深々と頭を下げるノインにイリーナは思わず感嘆の声が零れる。
身内の恩人とはいえ見ず知らずの人間にためらいもなく頭を下げる姿勢に、ではない。
「……イリーナ」
「はい、エキュー、分かっていますよ」
小声で語り掛けるエキューにイリーナは目で答えた。
目の前にいるノインという人間、間違いなく相当な手練れである。
ローブ越しからでも分かる引き締まった肉体、隙のない挙動。一流の戦士のそれでありながら話によれば回復魔法を始めとしたいくつかの魔法を使うという。
イリーナとエキューをして男の姿から目を離せなかった。横を見ればドルムルとルヴィスもまた同じように緊張した面持ちで男の姿を捉えていた。
そんな一行に明るい笑い声が浴びせかけられた。
「あはは! イリーナさん、もうちょっと肩の力を抜いても大丈夫ですよ。副団長、すごく強いけど、威厳とかそういうのは皆無だから」
「アマンダさん……」
振り返り、ノインは頭痛を抑える様にして苦悶の表情を声の主に向けた。
果たしてそこには悪気など一切無く、笑うアマゾネスの少女がいた。
「いつも言っているでしょう。身内しかいない時と他のファミリアの方がいらっしゃる時で振る舞いを変えなさい、と」
「えー、でも私は無意味に緊張していたイリーナさん達を気遣って、そんなことをする必要はないよ、って教えてあげただけだよ?」
「そういう問題ではないのですが……」
「ノインさん、ノインさん。お客様、お客様が目の前にいらっしゃいますよ!」
ロゼッタの呼びかけに、ノインは改めて今の自分の状況に気が付く。
礼儀の話をしていたのに、自分が客人を無視していたことにばつの悪そうに咳ばらいをする。その横にいるミアハやナァーザが必死に笑いをかみ殺しているのを無視しながら。
「……コホン。お見苦しい所を見せてしまいましたね」
「い、いえいえ。お気になさらず」
「うん。何というか、今みたいな掛け合いには慣れているから」
具体的には仲間の魔術師とその師匠のやり取りで。まあ、こちらは弟子の方に悪意がある分、質が悪いが。
「そうなのですか。お互い気苦労が絶えないのですね……さて、それでは……」
弛緩しきった空気を入れ替える様にノインは顔を引き締める。
「一体、何があったというのです? 先ほどシンシアさん達の命を救ったと聞きましたが、見ればシンシアさん達はひどい恰好ですし?」
「ああ、それなんだけどね」
当然の疑問にイリーナ一行ではなくアマンダが答えた。
「いやー、それがミノタウロスの大軍に出くわしちゃって。運よく通りすがったイリーナさん達に助けられたから良かったものの、そうはならなかったら多分死んでいたね、私たち」
「何ですって……?」
あっけらかんと言い放ったアマンダの発言に、今度こそノインの顔が崩れる。眉間には皺が寄り、シンシア達を上から下へと気忙しげに視線を這わす。
「よく、無事でしたね……怪我はない様ですが……?」
「ああ、うん。結構血とか流しちゃったけど、イリーナさん達に治してもらったから大丈夫」
「そうでしたか……」
大きくため息を零すと再びノインは頭を下げた。
「この度は我がファミリアの同胞を助けていただき、誠にありがとうございました」
続けて、ナァーザとミアハも頭を下げる。
オラリオ有数のファミリア、その首脳陣全員の最敬礼にイリーナ一行は動揺する。
「わわっ! そんな大げさな事しなくていいですよ!」
「イリーナの言う通りだ! そこまでされちまったらケツがかゆくなっちまうだ!?」
「お願いですから頭を上げてください! イリーナさんはともかく、私とそこのドワーフは始め彼女たちを見捨てようとしたのですから!」
「三人とも、皆さん困っていらっしゃるようですよ」
「そうでしたか。困らせるつもりはなかったのですが……」
シンシアに言われ、ノインはようやく頭を上げる。
「しかし、それだけのことをしていただいたのに、ありがとうございましたの一言で済ませるわけにもいかないでしょう。何か謝礼を渡さなければ……」
「そのことなんだけど、実は少し揉めている……」
「揉めている? ナァーザさん、シンシアさん達を助けていただいたんですよ? こんな時ぐらい節約は忘れるべきだと思いますよ?」
謝礼の件で揉めている、という言葉で勘違いしたのか、ノインは少し責める様な口調になる。
一般的な常識の元で聞けば当然の勘違いにナァーザは気を悪くした様子もなく柔らかな髪を揺らして首を振る。
「違う……逆。イリーナさんには探している情報を、そこのお二人にはお礼にエリクサーを渡そうとしたけど、お二人が受け取るわけにはいかないと断られてしまったの……」
「はい? そりゃまた、どうして?」
ノインの視線が二人に向けられる。純粋な疑問の視線であったが、一級冒険者の視線はそれだけで第三級冒険者の二人に緊張を強いる。
やや、ぎこちなさを含みながらもドルムルとルヴィスは頷く。
「んだ。オラたちはタカリ屋じゃねえだ。ミノタウロスと戦ってエリクサーなんてもらえるわけねえだ」
「そこのドワーフの言う通り。褒賞と労働は釣り合うべきです。度を越した好意はお互いにとって害悪にしかなりません」
迷いのない二人の口調。
そこらにいる冒険者とは名ばかりのゴロツキであればこうはならないであろう。
何せ死んでいなければ、どんな傷も病も癒す奇跡の霊薬だ。自分が使ってもいいし、転売して多額の財貨を稼ぐことも出来る。
そうはならないのは二人が本当の意味で『冒険』をする『者』としての矜持を持つが故だ。
それを曲げさせて無理にエリクサーを譲るのはかえって彼らに対し失礼というものとなろう。
「なるほど、確かにエリクサーというのは少々謝礼の品としては不適当なのかもしれませんね」
だからこそノインは一旦、彼らの言葉を認める。
その上で、今度は彼らにお願いをする。
「ならば、我々を助けると思って受け取っていただくことはできませんか?」
「何だと?」
思いもよらない言葉にドルムルとルヴィスは驚く。
「確かに、今回あなた方がなされたことはミノタウロスの群れを屠っただけかもしれませんが、同時に我々の身内を助けたことでもあるのです」
淡々と紡がれる言葉には不思議な説得力があり、反論を許さなかった。
「故に、ここであなた方への感謝の気持ちを値切ることは身内の命を値切ることと同義となります。どうか、我がミアハ・ファミリアを恩知らずのファミリアにしないでいただけませんか?」
「む、それは……」
「そう言われると……」
受け取ってもらわなければこちらが困る、というノインの言葉に二人は押し黙る。こちらが矜持を理由に受け取りを拒否している手前、相手側も矜持を理由にされるとどうにも拒みにくい。
「そんなにタダで貰うのが気が引けるというのなら、これからは私たちのファミリアを贔屓にしてほしい……」
「うむ、名案だな。こちらとしても第三級冒険者が御贔屓筋になってくれるのであればありがたい。謂わばこれは先行投資という物だな」
言葉に詰まる二人にすかさずナァーザとミアハの援護射撃が火を噴く。
最初に断りにくい理由を突き付けた後に、もっともらしい逃げ道を用意することで反論の芽を完全に潰す。かつての零細ファミリアの団長と主神の姿はそこにはいなかった。
誰が見ても、勝負はあった。
ドルムルとルヴィスは観念したかのように顔を見合わせる。
「やれやれ、そう言われてしまっては断る理由がありませんね」
「んだな。ありがたく頂かせてもらうだ」
「ありがとうございます。それではシンシアさん、倉庫に行って来てエリクサーを持ってきてくれますか?」
「はい、分かりました」
そう言って出ていくシンシアを見送るノインの姿はやはり、どこにでもいる優男にしか見えない。
しかし、その中身は先の見事な言いくるめで明らかだ。
腕っぷしだけでない、頭の回転にイリーナは感嘆の声を上げる。
「はああぁぁ……! 見ましたか、エキュー。ノインさん、ドルムルさんとルヴィスさんをあんな簡単に説得してしまいましたよ!」
「うんうん、そうだね。でも、あまりそんな大声で言わない方がいいと思うよ。見なよ、ノインさん、照れくさそうだよ」
「ははは……」
イリーナの声を聞いていたのだろう。ノインは恥ずかしそうに髪をかく。その顔がやや赤く染まっているのは夕焼けだけが原因ではないことは間違いない。
「いやいや、自分など少し口が上手いだけですよ。イリーナさんやそこのご友人もどうやら自分以上の腕前をお持ちの様ですし、アマンダさんが言うにはイリーナさんは回復魔法も使えるそうじゃないですか? 自分などイリーナさんの劣化品ですよ」
「それこそ謙遜が過ぎます! 私なんて剣を振り回すしか能がありませんし。ノインさんみたいにファミリアの経営にまで手を出すなんてできません!」
「うん、確かに。それは謙遜ではないね」
イリーナ、無言でエキューを蹴っ飛ばす。
ノインも努めてそれを無視して自分を卑下する様にしてイリーナを持ち上げる。
「はは……そう言って頂けるとありがたいのですが、それもミアハ・ファミリアの副団長という看板があってこそですよ。イリーナさんの様に内実が伴ってのものではありません」
「いやいや、そんなことはないぞ、ノイン。私もナァーザも、シンシア達もそれから他の団員達もお前の存在がなくてはならないと思っている」
「そうですよ! 副団長がいなけりゃうちのファミリアなんておしまいですよ」
「そうです! そうです!」
「うん……ノインがいなかったら、どうなっていたことか……」
それは流石に謙遜が過ぎるとミアハ・ファミリアの面々が口々に言う。
しかし、それでも尚ノインは自分の言葉を変えることはなかった。
「いやあ……自分なんて、本当に見掛け倒しですよ」
「それでは、皆さん。機会があればまた冒険をいたしましょう!」
「はい! それではルヴィスさんもお元気でー!」
「へっ! 精々、長生きするこっただー!」
「今度、同じファミリアの女性エルフを紹介してねー!」
イリーナの歓声とドルムルの憎まれ口、それから約一名の欲望丸出しの声に見送られながらルヴィスは三叉路を曲がり、帰宅の途についた。
あの後、エリクサーを受け取った一行はもう日も沈みかけ始めてから久しいこともあり、歓談もそこそこにミアハ・ファミリアを出発していた。
ミアハ・ファミリアの面々は随分と名残惜しそうにしており、アマンダなんかは自分たちが食事に招待すると言い張っていた。
幸い、ミアハにイリーナは今日が初めてのダンジョン探索の日であり、この記念日ぐらいはヘスティアと一緒にいるべき、ましてや探していた仲間が三人も見つかり、その内二人はヘスティアの所にいるのだから引き留めるのはかえって迷惑であると説得されると不承不承ながら引き下がってくれたのだが。
実に気持ちのいいファミリアと主神だ、とルヴィスは思った。あんなファミリアばかりであればどんなにいいことか。
そうであったならばオラリオももう少し平和であるだろうし、何よりも……
「おっ、ルヴィスじゃん! ちょうどいい所に! なあ、金貸してくんない? 実はさっきカードで負けちゃってさ~」
「……はあ……」
何よりも、こんな風に不愉快な思いをする必要がなくなるのだから。
後ろから聞こえてきた軽薄な声と話の内容にルヴィスは深く、ため息をつく。
振り返れば、そこにはエルフである自分よりも美しい偉丈夫がいた。
「なあなあ、頼むよ。俺とお前の仲だろう? 親を助けると思って、な?」
しかしながら、そのだらしのない表情と口から吐き出される言葉が完全に神秘的な空気をぶち壊していた。
眉に刻まれる皺がドンドン深くなっていくのが分かる。これが見知らぬ不逞の輩にただ絡まれているのであればこうはならない。
そうなるのは目の前にいる存在とは非常に良く知り合っているためだ。
「モージ様、お伝えしたはずです。御自身の遊興費は毎月お渡しするお小遣いでやりくりする様に、と」
「えー、固いこと言うなって。オラリオでも珍しい第三級冒険者様だろう? ここは一つ器の大きい所を見せてくれよ?」
かなり強めに言ったつもりなのだが、まるで反省しない自らの主神にルヴィスは肩を落とす。
そう、目の前にいる軽薄極まりない男。彼こそルヴィスの主神、モージであった。
このモージという神、暇を持て余した神の多くの例にもれず、極めて享楽的な性格の持ち主で、こうして金を眷属の者たちからせびるだけでなく、度々厄介ごとを持ち込んでくるトラブルメーカーである。
つまりは先のミアハという人格者とは対極的な人物である。
そのことを思った途端、みるみるルヴィスの機嫌が悪化する。
「あれ? どうしたのかな、ルヴィスちゃん。今日は随分機嫌悪そうだね。なんかあったの?」
「いえ。何故自分は契約を交わす際、もっと主神の性格について考慮しなかったのか後悔している所です」
皮肉交じりのルヴィスの声は絶対零度の冷たさを伴っていたが、当のモージはふーん、とどこ吹く風とばかりに顔色一つ変えずに横を歩いて付いてくる。
と、ルヴィスの小脇に抱える小包に気づいた。
「あれ? 何その小包? ひょっとして俺へのプレゼント?」
「何を馬鹿な。故あってミアハ・ファミリアの人間を助けることになったのでその謝礼として頂いたのですよ」
「えっ、マジ!? あそこって大手じゃん! あそこの人間助けたって、何があったのさ!?」
「……言いたくありません」
にべもないルヴィスの拒絶にモージはえー、と抗議の声を上げるがルヴィスは当然の処置だと思った。
外部からやって来たレベル7の冒険者と共にミノタウロスの群れから女性冒険者たちを助け、エリクサーをもらった。
こんなことを言えば、絶対この神は余計なことをする。長年の付き合いからくる予測を超えた確信を持ってルヴィスはそう断じた。
されど、モージとて暇を持て余した神の一柱。あからさまに面白そうな話を前にして聞き流すことなどできようがない。
「なあなあ、ルヴィス~、教えてくれよ~もうお小遣いくれって言わないからさ~」
黙々と歩くルヴィスの背中につかまりながらモージはオオナマケモノの如く引きずられていく。
重い上に鬱陶しく、何よりも周囲の者たちから奇異の視線が突き刺さる。数億年生きてきたモージにとってはそよ風の様なものであろうがルヴィスにとっては耐えられるような物ではない。
結局、数十m歩いたところでルヴィスは観念して一部始終を、勿論イリーナのレベルなどの問題のある所を端折った話をすることとなった。
「へ~、ダンジョンで女の子を助けたね~ニヤニヤ」
「オノマトペをわざわざ言うのはやめていただけませんかね。非常に不愉快です」
案の定、ろくでもないことを考えている様である。この分ではしばらくの間からかわれることになりそうだ、と暗い未来にルヴィスが思いを馳せていると。
「しっかし、まあよくぞダンジョン中層域から怪我人三人も抱えて帰還できたものだね。連れていくの大変だっただろう」
「ああ、いえ三人の冒険者はその場で治療して、自力で歩いてもらったのでそんなに苦労はしなかったのですよ」
「あれ、そうだったの? 治療したって、ポーションで? 結構お金かかったでしょう?」
「いえいえ、魔法ですよ、魔法。回復魔法を使ったんです。仲間に回復魔法を使えるものがいたのでね」
「ああ、さっき言っていたヒューマンとドワーフの冒険者の事? へー、珍しいね。回復魔法の使い手ってレアでしょう。どっちが回復魔法を使えたの?」
「ああ、それはヒューマンの……?」
そこで、ピタリとルヴィスは動きを止めた。
「? どうしたの、ルヴィスちゃん?」
「すいません、モージ様。少し考え事をさせてもらってもよいですか?」
不思議そうなモージを黙らせ、ルヴィスは先のミアハ・ファミリアでの会話を思い出す。
ノインとの最後の方の会話。あそこでノインはイリーナのことを回復魔法の使い手と言っていた。
アマンダがそう言っていたからだ、と言っていたがそれは少しおかしい。
なぜならばアマンダはイリーナ『達』に怪我を治療してもらったとしか言っていないのだ。
薬ではなく魔法によってとは言っていないし、イリーナ個人が回復魔法を使ったなどとも一言も言っていないのに、だ。
ましてや、あそこには魔法を得意とするエルフである自分がいたのだ。あの状況では自分が使ったと誤認するはずではないのか。
「……考えすぎ、なのでしょうか? まあ、私もあのドワーフも第三級冒険者。それなりに有名ですから回復魔法が使えないことは知っていてもおかしくありませんし……いや、それでも魔法で治療したと分かったのは何故? 偶然? それにしては……?」
「おーい、ルヴィスちゃん。どうしたの~?」
ぶつぶつと独り言をつぶやくエルフと不思議そうに佇む神。双方ともに美形であるがゆえに奇妙なやり取りはルヴィスが偶然が重なっただけの勘違いと結論付けるまで周囲の注目を先ほどまで以上に引き付けたという。
「ふむ……イリーナさん達に不審な動きはなし。どうやら本当に他意はなかったようですね」
夕日が沈み、明かりは月明かりのみの時間帯。
物が極端に少ない私室にノインはいた。
分厚いローブを脱ぎ捨て、鍛えられた肉体がより顕著になった彼は窓を開け放ち、視線を月に向けながらしかし、何処か別の場所を見ている様であった。
いや、実際に彼の視界は月夜にはなかった。
「あっ……ミアハ様、またポーションを無料で配りに行っていますね。ここは……北西のメインストリートの方ですか。あとで迎えに行かなければ……」
青の薬舗は西のメインストリートを外れた少し深い路地裏にある。当然ながら北西のメインストリートのことなど分かるはずがない。
しかし、ノインはそれを知覚することができた。理由は簡単。
現在、ノインの視界は北西のメインストリートに、より正確に言えば北西のメインストリート上空から下界を見下ろしているからだ。
普通に考えれば不可能な事柄である。それを成し遂げられたのは魔法によるものだ。
一般的に遠くを見通すという効果を持つ魔法と言えば千里眼といった魔法を思い浮かべるが、現在それを成した魔法は千里眼の魔法とはいささか趣を異にする。
「いきなり、ファリスの猛女と出会った時は肝が冷えたものでしたが、こちらの素性に気づかれなかったようですし、何はともあれ安心してもよい、ですね」
ファリスの猛女。それはフォーセリアでのイリーナの二つ名であり、オーファンでは知らぬ者はいないという程に有名な二つ名だ。
そう、フォーセリアで有名な二つ名なのだ。異世界のオラリオの住人ならば決して知りえない、そういう名前を、ノインは口にしたのだった。
もし、これを聞く者がいればまず疑問を抱く言葉をノインが呟いたのは、彼がそれだけ不用心になってしまう程に焦れているということであり、同時にこの世界の住人ではないということの証左であった。
「あと少し……そうです……いいですよ……よし! こちらからでも見えてきました! 早く、降りてきなさい! 今ならだれにも見つかりません!」
時間にすれば数分。しかし、ノイン自身からしてみればその十倍はあったのではないかという程の時間の後、ノインの待ち人は来た。
「ギイイイイイッ! ギイイイイイッ!」
それは、ある一部を除けば人間の子供の様であった。小柄な体には不釣り合いに大きい頭部、短い手足。人間を構成するパーツは全て揃っていながら、ただ一つ余計なパーツが背中にあった。
身の丈よりも大きい蝙蝠の翼を器用に折りたたみながら子供の様なその生き物はノインの私室に降り立った。
インプ。オラリオの冒険者ならばほとんどの者が知っている。ダンジョンの浅い層で出会える下級の魔物だ。
下級の魔物とはいえ、魔物であることは間違いなく人間に馴れることはあり得ない。しかし、そのインプはノインに恭しく一礼をすると親し気にその肩へと飛び乗る。
この様な芸当、魔物を使役するテイマーと呼ばれる者たちでも不可能なことであった。
当然だ、何せノインがこのインプを手なずけられたのはこの世界の外の理。インプを使い魔として使役する魔法、フォーセリアにおいて『コントロール・インプ』と呼ばれる魔法によるものなのだから。
ノインは自身の従順な下僕に満足するように微笑み、遠く離れたイリーナに語り掛けた。
「だから言ったでしょう、イリーナさん。人は見かけによらない、と」
そう呟くノインの胸元で暗黒神ファラリスの聖印が怪しく輝いていた。
第十話、完成いたしました。
というわけで、新たなるオリキャラ、ノイン君の正体はファラリス神官でした。前回は下手をするとネタバレしてしまいそうだったのであとがきをなくさせていただきました。楽しみにしている方、申し訳ありませんでした。
さて、読者様の中にはノインのレベルが6であり、神聖魔法レベル7のリジェネレーションが使えない筈と思われている方がいるでしょうが、別にレベル詐称をしているわけではありません。ただ、彼がファラリス神官だということを考えれば彼がどうやって治療をしているか分かるのではないでしょうか。ちなみにミアハを含めミアハ・ファミリアの面々はどうやって治療しているか知りませんし、治療を受ける側も治療前に麻酔をかけられているので治療内容を知りません。
それでは皆さんのちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。