ACE COMBAT Skies Rewritten   作:遠い空

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用語が増え次第更新します。


用語集(1995年兵器編)

《アークバード(ユリシーズ衝突前)》

 

 

 1980年にオーシア連邦がSDI(戦略防衛構想)計画のもと、1980年に打ち上げられた大気機動宇宙機である。1970年代、オーシアとユークトバニアは冷戦状態で、互いを仮想敵国としていた。ユークトバニアが巨大潜水空母の弾道ミサイルによる防衛構想を企てていることを耳に入れたオーシアは、従来の兵器では対処できないと判断し、大気圏外から攻撃可能な衛星兵器構想が生まれた。それで生まれたのが、大気機動宇宙機アークバードと戦略衛星兵器SOLGである。

 アークバードは1980年にバセット宇宙センターで打ち上げに成功した。打ち上げはロケットを打ち上げるのと同じやり方で、垂直状態でロケットブースターを大量に取り付け打ち上げられた。しかし、打ち上げに成功したとはいえ課題が山積みだった。

 まず、アークバードの建造はオーシアオリジナルの巨大航空機技術が使われたため、ベルカの巨大航空機技術と比べ不安要素が多かった。具体的に大気機動宇宙機という割に機体の方向転換に時間がかかる、武装スペースよりエンジンやアクチュエータなどにスペースをとったため武装が限られる、大気圏内では行動できないなど。

 そのため、大気機動宇宙機というよりは馬鹿でかい宇宙ステーションと皮肉られていた。課題を解決するため、スペースシャトルによる宇宙空間でのアークバード改良作業を行っていたが技術的に無理難題が多く、作業は捗らなかった。結果、アークバードは宇宙ステーションという役割となり、SDI構想を受け継いだのは戦略衛星兵器SOLGとなった。

 その後アークバードはSOLG建造の要所となり、パーツが送り込まれればアークバードにいる技術者が宇宙空間で組み立てるという流れになっていた。

 ベルカ戦争が開戦してからも、SOLG建造に従事し、終戦後はSOLG建造中止になった事から役目は終わり、地球に帰還した。しかし、技術的な面で不安定な機体であったため、大気圏突入時にアークバードの一部が損傷してしまった。幸いにも大事に至らなかったが、世界中でアークバードの帰還が報道されていたため、巨大国家オーシアの技術の限界を世界中に晒されてしまったのである。

 オーシアは巨大国家としての誇りを傷つけられ、しかも戦争に勝利したとはいえ7つの核起爆を目の当たりにしたため、以降は軍縮の道を進む事になる。

 オーシアの誇りを傷つけたアークバードは封印され、本来なら再び表舞台に姿を表すことはなかったが…。

 

 

《アークバード(ユリシーズ衝突後)》

 

 

 1999年、小惑星ユリシーズの衝突により世界は混乱していた。ユリシーズはサンサルバシオン領のユージア大陸中央に位置する隕石迎撃レールガン兵器ストーンヘンジの活躍により分散し、地球滅亡は避けられたが世界中に大きな傷跡を残した。

 特に被害の酷かったユージア大陸西部の軍事国家エルジア、アネア大陸東部のエストバキアであり、後に大陸戦争やエメリア・エストバキア戦争を引き起こすきっかけになってしまった。

 軍縮により和平の道を歩んでいたオーシアは、同じ道を歩んでいたユークトバニアと友好関係を順調に築いていた。ユリシーズ衝突前に巨大国家2ヶ国が共同でユリシーズ破片撤去作業に従事することになっていた。このことはユリシーズ衝突前の世界7ヶ国によるG7会議ですでに決められていたことである。

 ユリシーズ破片撤去作業には、宇宙空間で自由な行動ができ、破片破壊用の兵器を搭載できる機体が必要だった。

 そこで選ばれたのがアークバードである。運用当時は課題が山積みだったアークバードも、ベルカの技術が公になった後では課題は全て解決してしまった。この計画は1997年から始まり、オーシア・ユークトバニア共同でベルカの巨大航空機技術を元に、ベルカ人技術者の手を借りながらアークバード改良を進め、2001年にアークバードは完全な大気機動宇宙機として完成した。また、破片破壊用の兵器にはベルカのレーザー技術を応用したビーム砲を採用し、アークバード上部に取り付けられた。レーザーではなくビーム砲を採用したのは、まだ出力制御やレーザーバッテリーの課題が大きかったレーザーの採用は安全性に欠けると判断し、安定性と安全性を確保できるビーム砲が採用されたのだ。

 SDI構想のもと開発された軍事兵器は、ユリシーズ破片撤去の他に、オーシアとユークトバニアの友好と平和の象徴として蘇ったのだ。

 しかし、2010年に起きた環太平洋戦争により、ユークトバニアの開発した潜水空母シンファクシに対抗するため、アークバードの実戦投入を決定し、出力制御やレーザーバッテリーが改良されたレーザー兵器を搭載し、サンド島分遣隊ウォードックと共同でシンファクシを撃沈した。皮肉にもこんな形で本来の軍事兵器アークバードに戻ってしまうことは、ほとんどの人々は望んではいなかった。だが、これは『灰色の男たち』と呼ばれるベルカ残党団による工作活動であり、この戦争もかれによって引き起こされたものである。灰色の男たちのメンバーはSSTOによるアークバードの物資運搬に偽装してユークトバニア製の爆弾を乗せ起爆し、レーザーを使用不可にした。これによりオーシアとユークトバニアの関係はさらに悪化し、戦争は泥沼化していった。さらに、物資の中に紛れ込んでいたベルカ人によりアークバードは占拠され、レーザーの修理やUAVフォーゲルの搭載、核ミサイル搭載、SOLG修復作業などに使われた。

 しかし、アークバードによるオクチャスブルク核攻撃を実行しようとしたところ、ラーズグリーズ戦闘機隊に発見され、ジョン・ハーバードの機体制御工作によって制御不能になり、セレス海に墜落し海の藻屑となった。

 その後はハーリング大統領により、アークバードのデータを元にアークバードⅡを建造し、再び友好と平和の象徴となったのだった。

 

 

《コフィンシステム》

 

 

 キャノピー式コクピットに代わる新しいコクピットシステム。特徴はコクピットのキャノピー部分を装甲で完全に覆い隠し、その周りに小型カメラを多数配置し、小型カメラから出力された映像をコクピット内のモニターに投影するものである。

 この見た目が棺桶(オーシア語訳:the coffin)に似ているからコフィンシステムと呼ばれている。

 元は1994年に南ベルカ国営兵器産業厰が企画した次世代コクピットシステムがベースである。当時この企画はSARG(ベルカ語で棺桶の意味)企画と呼ばれていた。

 このシステムを採用してパイロットの安全性の確保とコンピュータによるパイロットの支援、さらにZ.O.E.と戦闘機の同調を円滑にすることが目的だった。

 しかし、ベルカの政権交代による財政難とベルカ戦争の開戦によって思ったように開発が進まず、結局は設計図だけが完成した段階であった。

 ベルカ戦争後、南ベルカ国営兵器産業厰はオーシアの航空企業サウスロップ・グランダー社が買収し、ノースオーシア・グランダーIGとなった。当時のグランダーIGの社長は豊富な知識が必要なため元南ベルカ国営兵器産業厰社長のベルカ人で、まずはSARG企画の完成を目的とした。そしてこのシステムをコフィンシステムと命名した。

 そして1996年11月にコフィンシステムは完成。ADFX-01をコフィンシステム搭載のZ.O.E.専用機に改造し、1997年10月にADF-01Zとして完成した。

 性能実験をするため、グランダーIGは当時勃発していたユージアクーデターのクーデター軍上層部と秘密裏に癒着し、Z.O.E.とともに実戦投入した。というのもクーデター軍はベルカ人が絡んでいて接触しやすいため、最新兵器の提供を見返りに癒着したのである。

 結果としてはコフィンシステムを搭載したADF-01Zはスカーフェイス1に撃墜されてしまうが、ADF-01ZとZ.O.E.の同調性はコフィンシステムを介して高くすることができたため、実験は成功した。

 その後はコフィンシステムの改良も進み、有人・無人の両方で操縦可能なコフィンシステム搭載戦闘機ADF-01 FALKENの開発に成功した。

 しかし、この機体はオーシア・ユークトバニアの各工場で灰色の男たち絡みで秘密裏に造られたものであり、公になったのは環太平洋戦争以後である。しかも、グランダーIGの灰色の男たち及びユージアクーデター軍との癒着が発覚し、社内で様々な処理が行われた。

 処理後、新生グランダーIGになってからしばらくはコフィンシステムの開発は停滞していた。

 

 

《Z.O.E.(ベルカ戦争以前)》

 

 

 元は南ベルカ国営兵器産業厰が開発した戦闘機・攻撃機専用の人工知能である。

 Z.O.E.とはZone der endlosen(無限の空域)の略称で場所を問わず何処でも完璧に任務をこなす事を目的として開発された。

 これはベルカ防衛構想『ペンドラゴン計画』のレーザー兵器・巨大航空機・大量破壊兵器・人工知能・次世代戦闘攻撃機の項目に含まれる重要な開発である。

 開発は1981年から行われ、1987年にZ.O.E.本体が完成した。しかし、本体のサイズは食卓のテーブルを全て占める大きさで部屋を圧迫した。しかも命令は専用のプログラムを入力しないと実行せず、課題が多かった。

 戦闘機・攻撃機の運用方法はアビオニクスに専用のICチップ『ZOEIC』を入れ、本体から衛星を介して遠隔操作する。

 学習能力機能も搭載し、プログラム入力等に難があったが結果的に人工知能の開発に成功した。

 しかし、性能実験で学習能力が災いし人間の感情までも理解し暴走してしまう。幸いにも本体を強制停止したため事なきを得たが、実験に協力し被害を受けた空軍からは開発停止するよう非難を浴びる。だが、ペンドラゴン計画の一部のため開発を止めるわけにはいかなく、学習能力にリミッターをつけ、さらに簡単なプログラムで命令できるように改良版を開発し、空軍を納得させ開発を続行した。

 Z.O.E.は区別のため、真っ赤に塗装された機体が性能実験に使われた。性能実験ではベルカのエース部隊も協力し、はじめは弱かったものの実験を繰り返すごとに強くなっていった。

 1991年には本体の小型化に成功し、3分の2の大きさまで小型化できた。さらにZ.O.E.と同時開発していた次世代戦闘攻撃機ADFX-01が試験飛行を始めたことから、Z.O.E.を搭載して実験を開始した。

 1993年にはADFX-01でのレーザー攻撃実験に立ち会い、出力・照射時間不足や機体重量増加のデメリットを見事にカバーし、最高の成績を収めた。

 しかし、Z.O.E.と戦闘機の相性の限界が出始めた。Z.O.E.はシステムの都合上、目や耳になる部分は海洋哺乳類が音波を使うようにレーダー照射で高度や方位、距離、目標の位置、爆発などの衝撃を確認していた。

 このシステムの最大の問題は直接的にモノを見聞きしないため、活動範囲が制限されるのである。

 例えばジャミング下の状況だと何もできず、ステルス機相手だと感度をかなり高めているためレーダーで捉えるステルス機以外の小さなターゲット(鳥や機体の破片)などを敵と判断し攻撃してしまう、大軍戦となればレーダーで捉えるあまりの情報量に対応できずに最悪本体がフリーズしてしまうなどがある。

 そのため、従来のキャノピー式コクピットでは厳しいと判断し、1994年に後のコフィンシステムに繋がるSARG企画を立案した。

 しかし、財政難により思ったように企画が進まず、1995年に問題が解決しないままZ.O.E.を実戦投入した。

 ちなみにこの時は存在を連合軍から隠すため、特徴的な真っ赤な塗装ではなく、いたって普通のカラーで参戦した。サイファーとは交戦していないものの、戦場で高い戦績を誇った。

 特に攻撃機で戦闘機を撃墜できるかという実験目的である任務に空戦向けに改造したA-10Aで出撃し、敵の目を常識的な意味で欺き、3機撃墜した。

 また、人間が操縦するにはピーキーなS-32による純粋な空戦では、劣悪な安定性を逆手に取り、多くの戦闘機を撃墜した。

 さらにTND-GR.4による地上攻撃で対地攻撃能力の高さも証明された。

 しかし、戦況が悪化してくると連合軍が頻繁に電子支援機やステルス機や人海戦術を使用してくるようになり、Z.O.E.が不利な状況になった。

 そして6月6日、核起爆による連合軍の混乱をうまく利用しZ.O.E.本体をトラックに運び逃亡するものの、運悪く連合軍に捕らえられZ.O.E.を回収されてしまう。

 それから数日後に南ベルカ国営兵器産業厰は占拠され、完全に連合軍の所有物となってしまったのである。


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