ポケットモンスターCLEAR   作:マンボー

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この一話でおさめるのは無理だった。次話できっとホウエン編は最後になるはず。


五十四話『vsマツブサ&アオギリ 炎の追憶』

 

 

 深淵の闇の中、覚醒していく意識と五感の感覚を感じて、カガリはゆっくりと瞼を開けた。

 空には銀色に輝く翼、翠の竜、それらの伝説と対峙する伝説のグラードン、カイオーガの二体。霞んだ視界に広がるその光景に、先程までの出来事全てが現実であるという事を再認識して、傷む身体に鞭打ち、カガリは上半身を起こす。

 

「……確かアタシは……ルビーに藍色の宝珠を託して、そしてそのまま……!」

 

 傷の痛み等一瞬忘れ、咄嗟にカガリは下方へと視点を移動させる。

 そこにいたのは猫の様に丸まった一匹のアーマルド、どうやらそのアーマルドが落下の衝撃を和らげ、かつ今しがたまで気絶した彼女の護衛役も担っていたらしい。周囲の所々に、伝説のポケモン達の戦闘による余波、彼女目掛けて飛んで来ていただろう岩や瓦礫が散乱している。

 少しの間、呆けた様にアーマルドを見つめていたカガリだったが、その視線に気づいたのかアーマルドは一度顔をカガリの方へ向けて、そして再び興味無さ気に顔を背けた。

 

「……お前、ホカゲのアーマルドだね、アイツは一体どうしたんだ」

 

 古くからの知人、腐れ縁の男の名を口にして、カガリはジッとアーマルドを見つめる。

 一方のアーマルドは、そんなカガリの視線を無視して、ただひたすらに伝説達の戦いへと視線を注いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「"エアロブラスト"!」

 

 カイオーガの放った"れいとうビーム"を完全に見切った後、右方向へと飛び、そこから脇腹目掛けてルギアの"エアロブラスト"が炸裂する。

 カイオーガの巨大な身体を吹き飛ばす程の、圧縮された空気弾。その威力を身に染みて知るクリアは、全く衰えを見せていないその力の強大さに、勝利を確信すると共に僅かに身を震わせた。

 強大過ぎる力はその力故、扱いを間違えれば我が身をも滅ぼすという。唐突に今クリアが考え付いた言葉だ。

 ルギアの力は強力だ。強い、強く、強過ぎる。今の様な伝説同士の戦いとなれば心強いが、これが普通のポケモンとのバトルとなれば、今のクリアにルギアの強過ぎる力を扱えるかと問われると、疑問符を浮かべてしまう。

 別に弱気な訳では無い、唯確証を持っている訳でも無いだけ。もしも先にイエローとシズクを安全な場所へと避難させなければ、クリアは彼女と彼をこの壮絶な戦いに巻き込んでしまっていたかもしれない。

 

「本当、ホウオウや伝説の三匹と言いお前と言い、俺ってばジョウトの伝説と縁が深いよな」

 

 戦闘の最中そう呟いたクリアの呟きは、果たして暴風に掻き消える事無くルギアへと届いたのか、それはルギア自身にしか分からない。

 

 

 

 

 

 それはかれこれ数十分前、空の柱。

 センリがレックウザに乗って飛び立った直後、クリアは荒れる大海原を見つめ唯呆然としていた。

 センリとシズク、ゲム爺さんから与えられたヒントを頼りに、海が見える拓けた場所へと来てみたはいいものの、そこからどう行動すれば良いか分からず、途方に暮れていた。

 キーワードは"海"、その単語が頭の中で何度も反復する中数分後、閃く様にクリアはそれを見つける。

 海面にいくつも浮かぶ"渦"、気づけばそのいくつもの渦が互いに近づき合い、折り重なって、一つの巨大な"大渦"へと変貌する。

 

 そしてその大渦の中に銀色の光を見つけて、ようやくクリアは全てを悟ったのだ。

 

「あぁ……なんだ、そういう事かよ」

 

 言葉と共に、ニヤリとした笑みが零れた。

 思えば、海底洞窟へと足を踏み入れたクリアが――大破した潜水艇から放り出されたクリアが奇跡的に助かった謎。その解答(こたえ)は常にクリアの近くで息を潜めていたのだ。

 "解答(それ)"は"せんすいポケモン"と呼ばれる海を司る神、故に深い深い海の底で、気ままな海流に流され眠っていた。

 そんなある時、そのポケモンの眠りを妨げる出来事が起こったのだ――海の王カイオーガの出現、それに伴う異常気象、突如として凶暴な怪物へと姿を変えた海、当然海の神たるそのポケモンの気分は宜しくないものである。

 だから、海の神"ルギア"は海底洞窟付近の深海の中で再び目を開けた。ジョウトで起こった仮面の男事件、その時の疲労や負った傷を癒す為に眠っていたルギアは、自身の眠りを妨げ海を荒らす者へ制裁を加える為、活動を開始し、ルネシティへと向かおうとした。

 その時だったのだ、海中を漂うクリアを見つけたのは。

 初めて激突した渦巻き列島、仮面の男に操られる形で二度目の衝突となった第十回セキエイポケモンリーグ、流し目で見る程度だったウバメの森付近の上空、そしてそれよりも以前、スオウ島での初対面という四度にも渡る邂逅は、その少年の顔をルギアの脳裏に焼き付けていた。

 激流に流され風前の灯となった少年の命の灯、その少年の灯を守ったのは、かつて彼を救ったホウオウ同様、本当にルギアの気まぐれだった。

 

 そうして少年を安全な空の柱まで運び、そのままルネシティへと飛ぶ事も出来たが、しかしルギアはそれをせず、彼を待つ事にした。

 ルギアにしてみればどちらでも良かったのだ。快眠を妨げた者へと制裁を加えるも、気にせずに他地方の海へ姿を消すのも。ただ怒りの感情が表に濃く出ていただけで――。

 そんな高ぶっていた感情は、不思議とクリアを救出する事で大分落ち着いていた。むしろその時には好奇心の方が強くなっていたのだ。

 エンテイ、ライコウ、スイクンの伝説の三匹と同じ"ホウオウの聖なる炎"を感じさせるクリアという少年に対して、ジョウトの他の伝説達と同じく、ルギアもまたクリアという少年をこの時既に認めていたのかもしれない。自身を打ち破ったその強さと、"導く者"という彼の素質に惹かれて。

 

 そして空の柱で再びクリアが現れた時、その時が来たとルギアは感じ取ったのだ。

 焦燥に駆られたクリアの表情、焦る様子のクリアを見て、かつて仮面の男(ヤナギ)に操られたルギアは、そしてその弟子(クリア)と共に戦う決意を固めた。

 クリアの手持ちに加わる訳では無い、クリアの下につく訳でも無く、クリアの上に立つ事も無い。

 これはクリアとルギアによる共同戦線、共通する目的を持った者同士が結んだ同盟、"導く者"を導く為にルギアが貸し出すは銀翼の力、そしてクリアが貸し出すはトレーナーとしての経験。

 微笑を崩して、海から現れ出たルギアを前にしたクリアは、白く並んだ歯を見せてから顔一杯に広がる笑顔でルギアへと告げたのだった。

 

「ありがとうルギア、お陰で俺はまだ"あの子"の傍にいれる」

 

 ポケモン相手だったから油断したのだろう。常に心の奥に隠していた感情の一旦を除かせて、それからすぐにクリアはルギアと飛び立って、そして今に至ったのである。

 全てはホウエン地方を救う手助けをする為、ミツルやフウとランの故郷を守る為、トクサネで交わされたダイゴとの共闘の誓いを果たす為、そして何より、未曾有の災害の中にあるこのホウエン地方のどこかにいる、いつからかだろうか、ずっと心の奥底で想っていた少女(イエロー)の為に、彼は想いを込めた銀翼を広げるのだ。

 

 

 

 

 

「見えました……父さん」

 

 カガリから託された記憶のライター、そこから浮かび上がったトウカジムの公式ジムバッジ"バランスバッジ"の模様を見てから、グラードンと死闘を繰り広げるレックウザとその上に立つセンリの姿を視線の先に映してルビーは呟いた。

 カガリが散り際に残した最後のメッセージ、まぁ尤もカガリは別に散って等いないが、そんな事実等知る由もないルビーは嘆くのを後にして、センリのいる方向を見上げた。

 真実をひた隠しにして、家族からも離れ約五年間という歳月を棒に振った男、トウカジムのリーダーであるセンリ。ルビーの父親。

 レックウザが現れグラードンがレックウザと対峙してから少しずつ、少しずつルビーがいる付近へと近づきつつあったセンリとレックウザは、そこまで来てようやく、

 

「父さん」

 

 レックウザがルビーへと急接近したその瞬間、その一瞬を狙ってルビーはレックウザの胴へと飛び乗り、センリの眼前で前屈みの姿勢で呟いた。

 だがその呟きにセンリが答える事は無く、ただ黙って目の前の相手、グラードン、そして銀翼を駆るゴーグルの少年が対峙するカイオーガを見つめている。

 その不動な姿勢に、ルビーは思わずフッと笑って、

 

「フフッ、分かりました、いいですよ。やる事はハッキリしているんだ!」

 

 紅色の宝珠と藍色の宝珠、そして第三の超古代ポケモンであるレックウザ、この三つの要素が、グラードンとカイオーガを鎮める為に絶対的に必要な要素。

 その事をセンリは出発前にクリアにも伝えていたのだろう、二つの宝珠を持ったルビーがセンリと合流した事を確認したクリアは、ルギアへと最後の指示を出した。

 この大災害に終止符を打つ為の最後の指令、ルギアの頭脳となったクリアが、手足となるルギアへ下す最後の命令。

 

「これで最後だルギア……全身全霊掛けて押し切るぞ!」

 

 クリアの叫ぶような指示がルギアへと届く。届いた瞬間、一気にルギアは最大速力(トップスピード)でカイオーガの後方へと周る。

 当然、ルギアの軌道を追ってカイオーガも向きを変える。丁度カイオーガとグラードンが背中合わせの配置となり、そしてこれで、その二匹をルギアとレックウザが挟み撃ちとする構図となる。

 その配置を確認して、一度だけセンリとその前にいる二つの宝珠を持った"選ばれたのだろう"少年へと目配せしてから、

 

「"エアロブラスト"……連弾!」

 

 瞬間、大口を開いたルギアの射口から一発の空気の弾丸が飛び出て、続く様に散弾の如く無数の"エアロブラスト"がカイオーガへと放たれる。

 一発一発が砲弾の様に強力な空気の弾、その集中砲火を浴びたカイオーガは為す術も無く、グラードンの傍まで強引に移動させられる。

 それもこれも、今までの"エアロブラスト"をどの距離から何処に、どれ程の強さで撃てばいいのかをずっと実験し、試していたクリアとルギアだからこそ為せる技、カイオーガに一切の反撃の隙を与える事無く、もうこの攻撃の後は"エアロブラスト"を撃てなくてもいいと言える程の、今のこの瞬間に全てを賭けた決死の猛攻。

 そして、そんなクリアとルギアの苦労が功を労したのだろう。遂にカイオーガとグラードンは背中合わせにピッタリとくっ付いて、

 

「今だ少年っ! 終わらせろぉぉぉ!」

 

 二つの宝珠を持つ少年へとクリアの叫び、それと同時に少年(ルビー)は跳んだ。

 グラードンとカイオーガの身動きを封じる様に二匹の身体にその長い胴を巻きつけたレックウザから跳んだルビーは、そのままグラードンとカイオーガの頭上へと落ちて行って――そしてルビーの紅色の宝珠と藍色の宝珠が一際大きな輝きを増し、レックウザの咆哮がルネの街を奮わせた。

 二つの宝珠による静止の命令と、レックウザによる"粛清"の咆哮、瞬間一度だけ、彼等を中心に吹き抜ける様なエネルギーの波が広がる。

 弾かれる様に双方に吹き飛ぶグラードンとカイオーガ、それを見守るルビーとセンリ、レックウザ、それにクリアとルギア、恐らく少し離れた何処かではイエローとシズクもその光景を見ているはずだ。

 そして皆が静かに見守る中、弾き飛ばされたグラードンとカイオーガは再び体勢を整える。

 次にどう動くか、成功か、失敗か、再び衝突してしまうのか、各々がそれぞれの予想を立てる中、グラードンとカイオーガはそれから一度としてお互いの視線をかわす事無く、先程までの争いが嘘だったかの様に互いが互いに背中を向けた。

 溢れんばかりの闘争心はいつの間にか消えていた。そして超古代ポケモンの二匹は、ゆっくりと、確実に、互いに背を向けて歩き始める。

 

「これで、ようやく……終わったんだな……!」

 

 その様子に、別方向へと進路をとり、去っていくグラードンとカイオーガを見送りながらそう呟いて、クリアはルギアを見上げる。

 そこにあったどこか誇らしげな堂々とした伝説のポケモンの姿に、クリアは思わず笑みを零すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラードンとカイオーガは再び悠久の眠りについた。

 グラードンとカイオーガの二匹の超古代ポケモンは、第三の超古代ポケモンであるレックウザ、それにジョウトの伝説であるルギアを含めた大乱闘を経て、極限まで戦い抜き、結果その非常に高い闘争本能が満たされたのだ。

 そしてルネの地を離れた二匹はそれぞれ別々の方向へと進んだ。

 カイオーガは再び海底洞窟へ、そしてグラードンはフエンタウンにある火山、えんとつ山の火口を新たな安住の地に定めた様である。

 

 そしてそのニュースに沸き立つのは矢張り、ホウエン地方の住民達だ。

 飛行船の形となっている現ホウエン地方ポケモン協会本部では一足早く、事の終了を喜ぶ声が所々から上がっていた。

 長期間に渡るグラードンとカイオーガの死闘、その戦いがようやく終わったのだ、彼等が喜ぶのも仕方が無い。

 全てはトウカジムのセンリがレックウザを呼び覚まし、彼の息子が二つの宝珠を用いて、その助力に最大限に貢献したのがジョウト地方のジムリーダーの一人とジョウトの伝説の鳥ポケモン。

 その事実に、多少なりとも不甲斐なさを感じつつも、しかし協会理事が暗い顔をしていては皆がまたもや不安がってしまうかもしれない。

 

「みんな、よく良くやってくれた……グラードンとカイオーガという二つの危機は去った。この良い知らせ(グッドニュース)を共にホウエン全土に伝えようではないか!」

 

 そう考え、祝勝の言葉を掛け、そのニュースをホウエン全土へと届け出ようとした矢先だった。彼の元に、ミクリからの連絡が、旧ホウエンチャンピオンのダイゴの凶報が届いたのは――。

 

 

 

 

 

 今際の時、ミクリからホウエンの危機が去った事を確認したダイゴは静かに息を引き取った。

 レジロック、レジスチル、レジアイスのホウエン伝説の三匹を呼び起こし、グラードンとカイオーガの衝突、その際に起こる拡散する大量のエネルギーを抑えていたダイゴとミクリ、ホウエン四天王の面々だったがその中でも特に負担が大きかったのがこのダイゴだった。

 伝説のポケモンを力ずくで操るには、それ相応の危険(リスク)が付きまとう。それはグラードンやカイオーガという伝説の超古代ポケモンも例外無く、またこのレジロック、レジスチル、レジアイスもそうだ。

 ミクリとダイゴ、ホウエン四天王達と分担して三匹の伝説達で"ばかぢから"を発揮していた彼等だったが、その中でもダイゴは自身の六匹のダンバル達による伝説の三匹の統制も行っていた。

 レジロック、レジスチル、レジアイスの三匹による"ばかぢから"は常に均等に力を発揮していなければならなかった、そうでないと、三匹の内一つの力が弱まればそこに衝突のエネルギーは集中し、また一匹の力が強すぎても、形成していた"ばかぢから"の力場(フィールド)は崩れてしまっていただろう。

 だからこその必要な役だったのだが、結果、ダイゴの命の灯は消えてしまったのだ。

 

「ふっ、そうか……彼も共に、ホウエンの為に、戦ってくれたんだな……」

 

 最後に、ミクリからルギアを駆って現れたゴーグルの少年の話を聞いて、彼が行った努力に意味があったという証明があった事が、彼にとってせめてもの救いなのかもしれない。

 

 

 

「……父さん!」

 

 そして、伝説の力を使った反動は此方でも確認できていた。

 グラードンとカイオーガという二つの脅威が去ったルネシティ、未だ上空に浮上し続けるこの街の片隅で、倒れた父親(センリ)を必死に呼び起こす息子(ルビー)の姿があった。

 それは至極当然の事、レックウザもまた超古代ポケモンの一匹であり、そのレックウザを操るとなれば、紅や藍の様な二つの宝珠が存在しないレックウザを操るとなれば瀕死は覚悟の行動だったのだ。

 だが彼は運が良かった。レックウザを操るセンリには同じく伝説のポケモンを操るクリアという強力な助っ人が存在していた。

 先程の決戦時にもクリアとルギアがカイオーガという一方の脅威を一手に引き受けていた事で、かなりの消耗を抑えられていたらしく、センリ自身指一本動く事は無いがすぐにどうこうなるという事は無い様子だ。

 

 それでもそれが彼の責任だと感じたのか、センリはルビーに話し始める。彼が何故レックウザを追う事になったのか、その経緯を。

 意図的では無いとは言え、幼い頃の出来事とは言え、サファイアという少女を守る為だったとは言え犯したルビーの罪、五年前のジョウト地方で、レックウザを逃がしたルビーの話を、センリは静かに語り始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、クリアはルギアと別れの挨拶を手短にだが済ませていた。

 クリアの場合、確かにかなりの疲労は感じるもののセンリの様に指一本すら動かす事が出来ない状態、にはならなかった。

 それというのも矢張り、クリアがルギアと協力関係となっていた為である。

 無理矢理従わせたのでは無く、対等な立場で接したからこそ、クリアが受ける危険の可能性はダイゴやセンリと違い格段に下がっていたのだ。

 

「なーんか、別れって感じがしないんだよなぁ、ねぎまやヤドンさんといつでも会えるからなのかな」

 

 頭に手を回して、ルギアを見上げてクリアは言う。

 

「まっ、多分こうなるんじゃないかなーとは思うけど、一応言っておくよ……"またな"、サンキュールギア!」

 

 クリアが話し終えた直後、そしてルギアは一度その場で羽ばたいた。

 目も開けてられない程の強風がクリアを襲うが、それでもクリアはルギアから視線を外さず、一時とは言え共に戦った友の旅立ちを見送った。

 銀翼は羽ばたく、恐らくはもうホウエンの海底洞窟付近の深海には戻らないだろう。

 ならば何処へ行くのか、それは誰にも分からず、当然今のクリアには分からない。

 だが何故なのか、また会える気がしてならないクリアは、微塵も寂しさという感情を感じずに、そうしてルギアが小さくなっていく様を眺めていたのだった。

 

 

 

 

 

 危機は去った。皆がそう確信していた。

 激突していたグラードンとカイオーガは去り、ルギアとレックウザも互いの時間へと戻っていく。後は空に浮かび上がったルネの街が降下すればそれで終わり、そのはずだ。

 しかし場には未だ不穏な空気が流れ、その空気を感じてか、ルビーによってエアカーの中に閉じ込められたサファイアとプラスル、マイナン達は不安気な視線をルネシティへと向ける。

 そして幻島では、アダンにフウとランが緊張の面持ちを崩さずいた。決戦直後、確かにアダンは言ったのだ、"まだ終わっていない"と。

 

「私には確かに予感があった、ルビーとサファイア、そしてイエローの三人が二つの強大な力に立ち向かう姿が思い浮かんだからだ」

 

 しかし現実にはクリアとセンリが二匹の伝説のポケモンを連れて来た事で事態は収束した。ランはそうアダンに言って、そしてアダンはこう答えた。

 

「私はそこに思い違いをしていた。三人が立ち向かう強大な力とは、グラードンとカイオーガの事では無かったのだ」

 

 その答えに双子のジムリーダーは驚愕の声を発して、

 

「三人が立ち向かう強大な力、その正体は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、タマザラシ」

 

 ルギアとの別れを済ませて、クリアは徐にタマザラシを外へと出した。

 目的は唯一つ、今彼に向かって走り寄って来る二人の人物、イエローとシズク、彼等と合流した後、今度こそシズクにタマザラシを引き渡そうと考えたのだ。

 アクア団アジト、空の柱で再会した時のシズクはクリアにとっては正真正銘の敵で、信じるに値しない人物だった。

 だが今では、イエローと共にカイオーガと戦っていた人物、最早それだけでこのタマザラシを託すには十分な理由だと、そうクリアは判断したのだ。

 

「あはは、そうはしゃぐなっての、今にシズクさんに……」

 

 言いかけた、その時、急激に重力の方向が真横へと変化したかの様な、そんな感覚に陥る。

 景色が飛んで、最後に見えた光景は、イエローとシズクの両名が目を丸くしてクリアを見つめていた姿。

 一瞬何が起こったのか理解出来なかったクリアだが、すぐに気づく、自身の首元、服の襟部分を掴む手と、一匹のオオスバメの存在、そして紅を基調としたフードのついた団員服であるマグマ団制服と、その団服に身を包む同じくマグマ団の幹部の顔、知ってる顔。

 

「よぉ大将、ようやく会えたなこのヤロウ」

「マグマ団……三頭火の、ホカゲか……!?」

 

 今度こそ、クリアの顔に驚愕の色が広がった。

 手早くクリアを連れ去り、そして目覚めの祠目掛けて飛んでいるのはマグマ団三頭火の一人、そして過去にクリアとは二度程ぶつかった相手、ホカゲだったのである。

 

「くっ、お、お前! 一体こんな事して何になるってんだっ! もうグラードンはいないぞ!」

「あぁそうだな、知ってる、知ってるがそんな事は関係ねぇ」

「何……じゃあ、お前の目的は……」

「さぁな、別に目的なんてねーよ、ただ俺はお前をどうしようも無く倒したいんだ……ったく、今頃になってようやくカガリの考えも少しは分かるってもんだぜ」

 

 彼の言葉通り、ホカゲはクリアと決着を着けるべく、ずっとこの時を待っていたのである。

 送り火山では墓穴を掘り、クリアに潜入の手助けをするという結果となり、海底洞窟での対決も有耶無耶に終わっていた。

 故にホカゲは決着を望む。その心の内に確かに灯る、カガリの盛る様な炎とは違う、揺らぐ様な炎に従ってホカゲはクリアを目覚めの祠(決着の地)へと運んでいるのだ。

 だがクリアも唯黙って運ばれる訳にはいかない。

 足掻いて、腰のボールへと手を伸ばそうとしたクリアだったが、不意にその手の動きは止まった。

 

「あー、そう言えば言って無かったっけな」

 

 クリアの視線の先に、二人の人影が見えたからである。

 それはルビーとセンリ、その二人から少し離れた所にいたイエローとシズク、そして彼等を見ていた二人の巨悪の姿が――マグマ団とアクア団のリーダー、マツブサとアオギリの姿が見えたからだ。

 

「まぁ、ならそれでいいか、俺は"リーダーマツブサの目的の為に邪魔となるお前を排除する"……そら、立派な目的の出来上がりだ」

「……ふ」

 

 次の瞬間、クリアの視線は、マツブサのヘルガーがルビーとセンリへと襲い掛かる姿を捉えて、

 

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 叫び声だけを残して、ホカゲと共に目覚めの祠内部へと消えていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホカゲによって攫われたクリアを追跡しようとしたシズクとイエローだったが、突如として現れたマツブサとアオギリ、そして彼等が倒れ動けないセンリへと襲い掛かる様子を見て、急遽クリアの事は後回しにしてルビーの加勢に入る事にした。

 クリアは仮にもジムリーダー、そして相手はマグマ団幹部とは言えホカゲ一人、どちらを優先すべきかは考えなくても分かる事だ。

 

「ぺリッパー、"みずでっぽう"!」

 

 センリ目掛けて襲い掛かったヘルガーからセンリを守る様に、シズクの召還したぺリッパーがヘルガーへと"みずでっぽう"を放つ。

 "ハイドロポンプ"の方が技としては強力だが、強力な分撃つ為の溜めに時間が掛かる為、最短の時間で最大の効果が期待出来る"みずでっぽう"、更にヘルガーは炎タイプが混じった悪タイプだ、効果も十分に期待出来る。

 結果、シズクの思惑通りセンリへと届く前に、ヘルガーに"みずでっぽう"は命中し、どうにか緊急の危機は回避出来た。

 だがまだまだ彼等に不利な状況である事には変わらず、動けないセンリを守る様にシズクを中心にして、右にルビー、左にイエローの配置でマツブサ、アオギリと対峙する。

 ルネシティにてルビーとサファイアがグラン・メテオを放った時、その時以来姿を見せていなかった二人のリーダーだったが、彼等はずっと、目覚めの祠の内部で息を潜めていたのだ。

 彼等にとって好機となる一瞬を見逃さない為、その一瞬で今までの失敗を帳消しにする為に。

 そしてその好機とは、今である。今、レックウザとルギアが場を離れ、ホカゲによってクリアが連れ去られ、センリが行動不能となった今を逃せば他にあるまい。

 

「……アオギリ、リーダー……!」

「ふん、どこまでも使えない奴が、我らの邪魔をするというのなら、例え"元"部下とは言え容赦はせぬぞ!」

 

 搾り出す様なシズクの言葉を、切り捨てる様にアオギリは返答する。

 だがどちらにしても同じ事だった。だがこれで、アオギリの言葉でシズクは完全に踏ん切りがついた。

 シズクが裏切っても裏切らなくても、彼は既に、否マグマもアクアも彼等二人のリーダーの部下達はリーダー本人達によって裏切られていたのだ。

 宝珠に精神を侵食された彼等に、最早仲間という概念は無い。あるのは唯一つ、"陸"と"海"という心の底から沸き上がり渇望する目的のみ。

 

「そうですか……いいえどちらにしても、私は既にアクア団では無い! ぺリッパー、タマザラシ!」

 

 今戦える面子の中で唯一の大人であるシズクは、それ故か先陣を切ってマツブサとアオギリへと飛び込んでいく。

 そして彼に続く様に、シズクのぺリッパーと、そして先程クリアが置いていったタマザラシがシズクへと続いた。

 相手は悪の組織のリーダーである二人だが、此方はイエローとルビーを含め三人、彼等に援護攻撃をして貰えば勝機は十分にある、そうシズクは確信していた。

 ――だが、

 

「雑魚が!」

「がっ……!」

「シズクさん!」

 

 真横から伸びる触手、その先がシズクの頭部を弾く。

 グラードンとカイオーガの激闘、その戦いによって崩れた瓦礫の中から、無数の触手を引っさげて一匹のドククラゲが現れる。先程シズクを弾いた触手もこのドククラゲによるものだ。

 一瞬そのドククラゲにレヴィの姿を重ねて見るイエローだったが、傷一つ無いそのボディからすぐにそんな考えは払拭される。

 どうやらアオギリの手持ちらしく、シズクを弾いた後、更に続けてタマザラシとぺリッパーの二匹にも"まきつく"で即座に追撃が開始される。

 

「ぺリッパー! タマザラシ! くっ、今すぐその子達を離してください!」

 

 その光景を見て叫び声を上げるイエローだったが、アオギリは彼女の方へと濁った眼光を向けて、

 

「離す? いいだろう、ならば受け取るがいい!」

 

 そう言って、縛り上げていたぺリッパーとタマザラシの二匹は、すぐさまルビーとイエローの二人へと投げ込まれた。

 避ける事も、綺麗に受け取る事も敵わず、砲弾の様に飛んできた二匹を全身で受け止めて、ルビーとイエローは同時に急な重さの物体を受けて体内の酸素を外へと出す。

 そして、悪夢の様な攻撃は尚も続く。

 

「よしドククラゲ、まずはその邪魔なガキ二人を締め上げろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルネシティ周辺の空域、ルビーによってミクリのエアカーに落とされたサファイアは今、そのエアカーの本来の持ち主であるミクリと共にいた。

 それというのも、決戦への参加はルビーによって阻まれ敵わず、悔しくもリエアカーの中で行く末を見守っていた彼女だったが、決戦終了後、グラードンとカイオーガの二匹が姿を消しても尚、彼女と共にいるプラスルとマイナンの戦意が消えていなかったのだ。

 見えない敵と戦う様に放電するプラスルとマイナン、その様子に、サファイアの様子を確認に来たミクリも何かを感じ取って、今彼女達はルネシティに入るべくその付近まで来ていたのである。

 

「頼むったいプラスル、マイナン! あたしは、あん人の所へ、ルビーの所へ行かねばならんと!」

 

 だがルネシティへ向かう彼女達を阻んだものがあったのだ。グラードンとカイオーガの二匹の衝突によって生まれた莫大なエネルギー、それに加えてレックウザの放出したオゾンまでもが加わって、堅固な障壁となっていたのだ。

 不幸中の幸いと言うべきは、超古代ポケモンでは無いルギアの出すエネルギーまではその障壁の源となっていなかった事か、恐らく結びつきが弱かったのだろう、まるで水と油の様に、三匹の超古代ポケモンの力とルギアの力とでは混ざり合う事が無かったのだ。

 しかしだからと言って障壁を軽々しく破る事は出来ない、当然と言えば当然、その障壁は三匹の超古代ポケモンの力が合さって出来たものだからだ。

 プラスルとマイナンの放電で小さな穴を障壁に空ける事は可能だった。だがそれだけ。

 人一人すら通れないそんな穴では、空いた所で意味が無い。その事を理解してるからこそ、願う様にサファイアは叫ぶのだ。

 まだ戦っているだろうルビーの下へと向かう為に、彼の力となる為に――そんな時だった。

 

「強い電気のエネルギーが、必要なんだね」

 

 サファイアと面識のある、カラクリ好きな男の声が、彼女の耳に届いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!」

「くっ……ル、ルビーさん……!」

 

 超古代ポケモン達の衝突後、完全に油断していた彼等の前に再び現れ出たマツブサとアオギリ、そして彼等のドククラゲの触手によって縛り上げられたルビーとイエローだったが、彼等はまずルビーを地面へと叩きつけた。

 苦痛の声を上げるルビーと、彼の身を案じるイエロー、だがイエロー自身も身動きが取れず、相手に自身の命を握られた様な状態である。

 

「ぐ! ぅ、あぁっ!」

 

 締め付けられる力が少しだけ強まる。同時にイエローのうめき声が除々に鮮明なものとなる。

 

「ククク、清清しい気分だ。我等の邪魔をした愚か者をいたぶるこの快感、実に晴れやかな気持ちになる」

 

 邪悪な笑みを浮かべ、地面へと打ちつけたルビーの手から零れた二つの宝珠、その一方である紅色の宝珠を取ってマツブサは言う。

 更にマツブサに同調する様にアオギリも藍色の宝珠を拾い、しかとその手に持ってルビーを見下げる。

 彼等の目的は唯一つ、最初の頃から変わらない、陸と海、似て非なるもの。

 だからこそ、彼等は一時的に今、共闘の形をとっていた。彼等がこのホウエンの地で活動した中で、最も上手く事が運んだ状況を作る為に、再び協力関係を結んで、ルビーやイエロー含めた"邪魔"となる者全てを排除した後、再びグラードンとカイオーガを操り彼等の決着をつける為に。

 そしてその序章として、まずはルビーと、そしてイエローを抹殺すべくマツブサとアオギリは動く。

 センリは動く事もままならず、恐らくもう意識すらはっきりとしていない。シズクも先程沈めたばかり、頭を狙った事もあって当分は動けないはずだ。

 

「くくくくく!」

「うはははは!」

 

 ルビーもイエローも触手に絡め、身動きを封じ、モンスターボールの開閉すらままならない状態としている。そしてこのルネの地にいて、戦える者は彼等のみ。

 唯一の例外は、何を思ったのかマツブサの元部下であるホカゲが攫い、今この場にはいない。

 何もかもが順調、その喜びから、彼等が不気味な笑い声を漏らした時、

 

「ルビー! イエロー先輩!」

 

 悲痛な叫びが、無垢な少女の澄んだ声がルネの街に響く。

 それは先程、ようやくルネシティへと突入出来た少女の声、カラクリ大王と名乗る男と一体の電気をエネルギーを"吸収"し"放出"する力を持ったカラクリの力を借りて、ようやくルネシティへと突入出来た少女、サファイアの声だった。

 

「誰だ?」

 

 そして声の方向へと二人のリーダーは振り向く。

 予想外の事態だったのだろう、その反応の素早さの中に、多少の焦りが見え隠れしている。

 そして、そこにいたのは一人の少女と一人の男だった。

 少女サファイアは、戦いの結果、傷ついた者達を見て表情を青くする。

 倒れたセンリ、シズク、縛られボロボロとなったルビー、イエロー。心配の色を表情全体へと変貌させるそんな少女の傍らで、一人の男はおもむろにマントを羽織った。

 

「このマントを見て悟る者なら、名乗る必要は無い……」

 

 男が羽織るマントとは"チャンピオンマント"、それはチャンピオンとなった者の証。強さの証明。

 そしてそのマントを男に譲り没した、彼の友人の為、ホウエン地方を救う為、ミクリもまた彼等との戦いへと参戦する。

 

「このマントを見て悟らぬ者なら、名乗るに値しない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 決着は近い。

 ホウエンで起きた数々の事件、そして大災害、全ての元凶とも言える二人の巨悪と、それに立ち向かう正義の人々。

 真の最終決戦とも言うべき戦いが激化する中、此方の戦いも更に熱を増していた。

 

「……おいおい、どういう事だよお前」

 

 掻いた汗は暑さの所為、のものでは無い。呟いたホカゲ本人、そんなケースと遭遇した事無く、彼だけが気づいたその事実に彼もまた、驚きを隠せないでいるのだ。

 

 目覚めの祠内部。全体に亀裂が走り、いつ崩れてもおかしくないその祠でのクリアとホカゲの戦いは、大技による勝負では無く、小手先の技を最大限に駆使したものとなっていた。

 祠に少しでもダメージを与えれば、天井が崩れて二人まとめて生き埋めとなる。二人の戦いが小技同士のぶつかり合いとなる事は必然で、そしてそれは、目覚めの祠を戦いの場所に選んだホカゲの狙い通りでもある。

 戦いでは常に自身に有利な状況を作らなければならない。

 だからホカゲは、ルネシティの中で自身に最も有利となる場所を、目覚めの祠を選んだ。熱が篭りやすく、相手の攻撃を牽制出来て、自身の幻覚攻撃を最大限に発揮出来る場所として。

 

 そして彼の眼前では、彼が強敵と定めたクリアが、彼の手持ちの(ピカチュウ)と共に頭を垂れていた。

 今彼はホカゲの幻覚攻撃を受けている最中だ。そしてホカゲが行った幻覚攻撃とは、以前ルビーが受けたものと同じ、"過去のトラウマ"を再度思い起こさせるもの。

 だから今、クリアとPはその幻覚に苦しめられていた。そのはずだった。

 

「……何をしたいのかよく分からないけどさ」

 

 額に汗を大量に浮かばせながら、クリアは微笑を浮かべて、そしてクリア本人は気づかずに、右の瞳から一筋の涙を流しながら言う。

 

「"訳の分からない幻覚"じゃ、俺を惑わせる事すら出来ないぜ……!」

 

 過去のトラウマを見せられ、苦痛の表情を浮かべるPのすぐ後ろで、そう言ってクリアは微笑を浮かべていた。

 ホカゲの幻覚の炎によって、過去のトラウマを穿り返された状態で、だがそれが解せない異常な光景だという事にクリア本人は気づいていない。

 ルビーの様にトラウマが闘志に繋がるという例外や、以前戦ったムロジムのリーダートウキの様に力技で幻覚を生み出す炎全てを吹き飛ばすという事情とは訳が違う。

 "過去のトラウマ"を見て尚、クリアは"訳の分からない幻覚"と言い放った。そして、ホカゲの幻覚は忘れ去った、うろ覚えの出来事すら鮮明に思い出させる事が出来る。

 例え欠片も覚えていない遠い過去の記憶でも、ホカゲの炎は対象者にそれを思い起こさせ、相手に地獄を見せる炎、だがクリアはそんな炎の幻覚に対して"訳が分からない"と言ったのだ。

 ――それはつまり、その出来事に心当たりが無いという事。心当たりが無い、だが炎によってクリアの内に蘇ったという事は、それは確実に過去クリアの身に起こったという事。

 

 例え忘れ去った記憶でも思い起こす炎、その炎ですら蘇らない記憶となれば、考えられる解答はおのずと絞られる。

 

(こいつはまさか記憶を無くしているのか、それも自然と忘れた訳じゃなく、恐らく外部からの干渉を受けて!)

 

 それは過去を見せるホカゲだからこそ気づいた真実。そしてそれは、同時にクリア自身ですら気づいていなかった真実。

 クリアが見た記憶というのは、言うなれば記憶の燃えカス。何者かの手によって抹消された、燃え尽き消えた"ある一定期間の"クリアの記憶のほんの一片だったのだ。

 記憶を無くせば、当然その前後の記憶や周囲の環境と差異が生まれ、結果本人は記憶が無い事に気づく。

 だがクリアの場合は少し事情が特別だった。何故ならば、彼は一度肉体年齢が低下しており、また周囲に彼を見知った人間等一人もいなかった。

 だからこそ、今の今まで誰も、クリア自身もその事実に気づかなかった、気づけなかったのである。

 

 思えば確かにおかしな事だらけだった。

 クリア自身、別世界に来たという事で流し気にも留めなかったが、そもそも高校生程度の見た目だった彼が、齢十歳程度の肉体まで退化している事自体、異常な事だったのだ。

 同じ様に、オーキド邸に居候し出した頃の、豹変する様なクリアの様子も、"ただ気性が荒い、変化が著しいだけの人"と済ませるには、"変化が大きすぎた"。

 元々本人にその気はあったと公言してはいたが、一度絶命した後とその前では、彼の様子には急激な変化があり、それもまた確かなヒントだったのだ。

 

 

 

 クリア自身すら知らない過去、その存在の伏線。

 "肉体年齢の低下"、一度の絶命によってもたらされた"感情の起伏の差"という変化、そしてホカゲが気づいた"記憶の消失"。

 それらの要素が結びつける答えは一つ、それはクリアすら知らない彼の"無かった事となった物語"が、クリアが今の状況となるに至った出来事が、彼の過去に確かに起きていた事実。

 だがその事実に、クリアはまだ、いやその周囲の者達も――気づく事は無い。

 

 




ようやく出すことが出来たこの設定。伏線や設定に違和感が無い事だけを祈ります。
記憶喪失とは違って、記憶消失はもう絶対に記憶が戻らない状態って感じです。

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