遂に、二体の二体の超古代ポケモンが目覚めた。
まずはカイオーガ、その少し後にグラードンが、目覚めた二匹は各々のルートから"決戦の地"ルネシティを目指して進撃を開始する。
カイオーガを中心とした地域には暴風雨が、対してグラードンを中心とした地域には強烈な日照りが、二つの異常気象がホウエン地方を真っ二つに両断する様にして発生し、ホウエン地方に住む住人達の心に暗い影が差す。
だが彼等も黙って見ているばかりでは無い。
ホウエンのジムリーダー達、ポケモン協会、そして四天王と彼等を率いるチャンピオン、数々の実力者達がこの並々ならぬ事態に対処すべく動き出していた。
「うむ、ここからの指揮は私がとる! 君達は既に交戦中の他のジムリーダー達と合流し、超古代ポケモンの進撃を阻止するのだ!」
そう告げられたホウエンポケモン協会理事の言葉に、ヒワマキシティジムリーダーのナギは額に当てていたゴーグルを装着し、勇み足でチルタリスへと飛び乗る。
これまでジムリーダー達の纏め役として指揮をとり、最前線に出られない歯痒さを感じていた所にこの理事の言葉だ。今まさに、誰よりも戦闘意欲を上げる彼女を止められる者等誰もいない。
そんな彼女に、ルネシティ現ジムリーダーのミクリは無言で手を差し伸べ、そしてナギもまた少しの間の後、その手をとる。
そこにどんな意味があるのか、それは本人達にしか分からない事だが、何にしても彼等のやるべき事は一つだ。
つい先程海へと"ダイビング"した二人の少年と少女、ミクリの事を"師匠"と呼ぶ少年と、ナギの事を"先生"と呼ぶ、彼等二人を慕う少年少女に負けない為にも、そうして彼等二人は離れた。
目的は唯一つ、超古代ポケモンの制止、ミクリはグラードンへ、そしてナギはカイオーガへと、それぞれ向かうのだ。
一方、ホウエンポケモン協会理事は協会内司令室にて二人の老人を迎えていた。
今現在、通常ミナモシティにあるはずのホウエン地方のポケモン協会は海上を飛行船の形をとって移動している。
それは有事の際に用意された緊急移動システムであり、その存在は理事含め、僅かな人物しか知らないもの、だがそのシステムがあったからこそ、こうして理事も戦線へと赴き指示を出して、ナギを最前線へと送る事が出来たのだ。
そして今しがた協会内に迎え入れた二人の老人は、送り火山で二つの宝珠、紅色の宝珠と藍色の宝珠を守っていた二人の老人だった。
ホカゲに手も足も出ず、見す見す目の前で宝珠を奪われた二人だったが、二人の老人は手持ちのチリーンの力でどうにかミクリ達の下まで辿りつき、ミクリとナギ、そしてルビーとサファイアに必要な情報を渡した所で、協会によって回収されたのである。
尤もこの老人達の目的は音信不通となったフウとランの二人を探す事――だったのだが、それはミクリ達にも理事にも分かる事では無く、仕方なしにこの空飛ぶ協会内で待機する事にしたのだ。
「……グラードンとカイオーガ、果たして今の戦力でこの二匹の超古代ポケモンを鎮める事が出来るのか……」
呟くはホウエンポケモン協会理事、独特の巨大なアフロヘアーが雰囲気を壊しかねない中、彼は神妙な面持ちでデスクに肘を着き、両の手の指を絡ませて口元を手の方へ持ってくる。
敵の力の強大さ、彼もまたその事を痛感しているのだろう。
元々フウとランの二人に宝珠の守護を命じたのは何を隠そう理事自身だ、そしてそんなトクサネジムリーダーズの力の高さも故に重々承知している。
その二人が行方不明、更に今の所、敵の思った通りに事は進み、グラードンとカイオーガの二匹は復活、緊急レベルは既に八を超えている。
確かにジムリーダー達は強い、中でもミクリに至ってはその強さはチャンピオン級、裏では現チャンピオンのダイゴと、四天王達も動いており、今しがた海底洞窟へ向かった二人の少年少女も、図鑑所有者――かつて別地方での大きな事件の際、その収束に大きく貢献した図鑑を持つ者達の後輩、そういう意味では彼等にも十分に期待が持てる。
だがそれでも、心の不安は拭えない。目の前の災害を前にするとどうしても、更に用心深く、並々ならぬ強さを持った駒が欲してしまうのだろう。
「仮面の男事件を解決に導いた"ジョウト地方最強のジムリーダー"か、一体彼はこのホウエンのどこで何をしているのか……」
先程入った情報、ジョウト地方のポケモン協会理事から伝えられた情報を思い出しつつ、ホウエン地方のポケモン協会理事は一先ず、手持ちの駒をより有効に使う為、再度盤面へと目を向けるのだった。
そして、件のホウエン理事曰く"ジョウト地方最強のジムリーダー"は現在、窮地に立たされていた。
マグマ団へと潜入した彼、クリアだったが海底洞窟にて、とうとうその正体を現し二つの宝珠を彼等マグマ団の眼前で奪取する事に成功する。
――そこまでは良かったのだ。
だが矢張り数の上でクリアは圧倒的に不利であり、見下げるマグマ団の団員達、その頭領マツブサも鋭い敵意の篭った視線をクリアへと投げかけている。
それに加えて、今彼の手持ちは四体、彼の右腕とも言うべき二匹の氷ポケモン、グレイシアのVとデリバードは今現在イエローの所へ残して来てしまっている。
彼の手持ちにはもう一匹、氷タイプのポケモンはいるにはいるのだが、彼のタマザラシは捕獲したばかりで、戦闘経験もほとんど無い低レベルのポケモンだ、とてもじゃないがこの数相手の戦闘は酷というものである。
ならば矢張り、ピカチュウのPとリザードンのエース、ドククラゲのレヴィでこの状況を乗り切るしか無い、逃げようにも潜水艇の動かし方等クリアには到底分かるものでは無く、ましてや潜水艇無しでの海底洞窟、深海からの脱出等命をドブに捨てる様なものだ。
戦うも駄目、逃げるも駄目、まさに八方塞、絶体絶命。
だがそれでも、クリアに残された選択肢は"動く"事である。例えその先でどんな行動を取ろうにも、今はまずその場から離脱する事だけを考えなくてはならない。
万が一の場合には、アクア団の方をどうにか騙してでもマグマ団と争わせ、双方の戦力低下を狙うしかないのだろう。
「んじゃ、逃げるぜエース……GO!!」
言って、回る様に旋回してクリアはマグマ団に背を向けた。
背後からいくつかの炎攻撃が飛ばされてくるが、回避はエースに任せてクリアは手の中の二つの宝珠に集中する。
ひんやりとする宝珠にどこか背筋が寒くなる様な印象を持ちながら、クリアは恐らく今ホウエンを大混乱に陥れているだろう二匹の超古代ポケモンに向けて命令を下す。
(グ……グググ……! グ、グラードン、カイオーガ! 共に制止せよ!)
やり方を教わったこと等当然ある訳が無く、今クリアがやってる事は単なる当てずっぽう、直感のみで宝珠の使い方を感じて行っているに過ぎない。
だがこの宝珠に思念を送る作業、小手先の技術よりも精神的な面の方が強く影響するらしく、まるでガリガリと彫刻刀で心を削られる様な、そんな錯覚に陥る程の強い思念が、クリアの心中へと流れ込んでくる。
一瞬で感じ取る事が出来る、それはグラードンとカイオーガ、二匹の超古代ポケモンの力の影響、流れ込んでくる力の本流、一瞬でも気を抜けばその力に自身の全てを飲み込まれてしまう様な強い力の波。
それでもその力に全力で抗いながら、宝珠を通して見える二匹の超古代ポケモンにクリアは念を送る、まずは暴れる二匹を抑える事が先決、その後すぐに脱出の事は考えればいい、そう判断しクリアは念を送り続けた次の瞬間――、
「ッ! ッガアァァァ!?……! しまっ……!」
思わず紅色と藍色の二つの宝珠を放り捨ててしまった。
二匹の超古代ポケモンから流れ来る強大過ぎる程の力、その力に抗い命令を送っていたクリアだったが、不意に一瞬だけ、彼の意識が飛んだ。
飛んで、すぐに訪れたのは自身がちっぽけに思える程の黒く暗い思念の塊、押しつぶされてしまいそうな程のその強大な力から逃れる為、恐らくクリアの生存本能が"宝珠を手放す"という選択を取ったのだろう。
クリアの手から離れた宝珠は宙を舞って、地面へ到達――する前に二人の人物の手へと収まる。
まるでそれが運命であったかの様に、数名の部下を引き連れたマグマ団幹部のホカゲと、カイオーガの様子がおかしいとアオギリに言われ、様子見に来たアクア団のシズクの手に二つの宝珠が渡ってしまったのだ。
「ふ、何だか知らねぇが、取り返す手間が省けた様だな……おいお前等!」
紅色の宝珠を手に入れたホカゲは部下の団員へと指示を出し、紅色の宝珠を頭領マツブサへ届けるべく呼び出した団員へ宝珠を預ける。
その様子を観察したシズクもその宝珠がいかに重要なものか理解したのだろう、自身のバルビートを外へと出してアオギリへと届ける様指示を出していた。
「ガ……お、おいお前達! その宝珠に触れるな、いやそれで"奴等"に命令すんじゃねぇ! グラードンもカイオーガも、人の手でどうにか出来る程のものじゃ……グ!」
バルビートと数名のマグマ団下っ端、眼前で再度、それも二つの組織のリーダーへと届けられていく二つの宝珠、それを悔しそうに見るクリアだったが、それを止める程の余力は今彼には残されていなかった。
宝珠を手放した事で流れ込んで来ていた超古代ポケモンの力は止まったものの、手放したからといってすぐに楽になるというものでは無いらしい。
今もクリアの頭の中では得体の知れない力が渦巻き、今にも彼の精神を乗っ取ろうと侵略を続けている。
だがそんなクリアの心境等、直に命令を下した事の無い彼等には分かるはずも無く、
「はっ! 出鱈目並べて奪い返そうたってそうはいかねぇぜ、それに、どちらにしてもテメェと違って頭領なら宝珠を支配下に置く事位、造作も無い事だろうよ!」
「全くですね、総帥なら貴方の様な無様な姿は晒さないでしょう、それと……」
恐らくはクリアの事等覚えていないのだろう、実際浅瀬の洞穴で偶然会って少し会話しただけの関係だ、覚えていないのも無理は無い。
黒いリザードンの上で嫌な汗を掻き顔を青くしているクリアから視線を外したシズクは、そう言い掛けて残りの自身のポケモン達を総出にし、
「"
「そりゃあこっちも同じだっての!」
シズクが言って、ホカゲが言い返し、次の瞬間ぶつかり合うと思われた両者は、しかしクリアの予想外の行動に出る。
「……だがまずはテメェを排除して俺の面目取り戻す事からだ! マグマッグ!」
「……まずは最も大きな不確定要素の排除、それも目に見えて弱っている今がチャンスです! ぺリッパー! キバニア!」
それぞれのポケモンを出して、一斉にクリアを狙ったのだ。
クリアとしては、今彼等に潰し合って貰っていれば、後の戦いが楽になり、かつ今の最悪な状態から少しでも回復する事が出切る。
なのでそれを願っていたのだが、どうやら願いは天には通じなかったらしい。二体のマグマッグとぺリッパーとキバニア、それらの攻撃をかわし、クリアの指示を待つエースだが、指示を出したくても満足な指示をクリアは出来ない。
マグマッグの"かえんほうしゃ"を身を翻してかわし、ぺリッパーの"ハイドロポンプ"を低空へと落ちてどうにかかわして、目の前へと迫り来るキバニアに、
「エ、エース! グ、"だいもんじ"……!」
周囲の状況なんてとてもじゃないが確認出来ない、だからまずは目の前の脅威に対処すべくエースへと指示を出す、が――、
「ふっ、後ろがガラ空きですよ……!」
キバニアに"だいもんじ"がヒットした、その瞬間、クリア達の後ろからぺリッパーの"ハイドロポンプ"が迫り、咄嗟の事ながら素早くそれをかわすエースだったが、
「甘いぜ、"いわなだれ"!」
ホカゲのマグマッグの"いわなだれ"が即座にクリア達へと襲い掛かった。
精一杯に身体を捻り、その攻撃をもかわそうとするエースだったが、先程までの動きの疲れ、そして今の攻撃の連携の前には流石にそれは不可能だったらしい。
"いわなだれ"による土砂がエースへと襲い掛かり、その中でも一際大きめの岩がクリアを乗せたエースへと直撃する。
それを見て微笑を浮かべる二つの組織の二人の幹部達だったが、それでもエースの地力は底を尽きない。
弱々しくも、その黒翼を大きく広げ、更に力の篭った眼差しを前へと向ける。
「……グ、ガ……よ、し、エース……一先ず潜水艇の中へ……!」
クリアの指示を受け、素直に潜水艇へと向かうエース。
エース自身、何故潜水艇なのか少しばかり疑問が残ったが、これまでの戦いでクリアが致命的なミスをした事等数える程しか無く、それも今の様な"命を賭した"戦いの中では常にクリアは真価を発揮して来た。故にエースは疑問を感じても、クリアを疑う事だけはしなかったのである。
実際、クリアの判断は概ね正しい、潜水艇ならば深海の水圧に耐えうる程の強度を持ち、またそれは彼等マグマとアクアの人間達が事が終わった後に帰還する為必要となるもの、下手に手出し等出切るはずも無い。
トレーナーもポケモンも、ボロボロの状態のまま潜水艇へと向かうその姿に、ホカゲとシズクの両名もクリアの狙いに気づいたらしく、ぺリッパーとオオスバメで急いでその後を追う。
先に潜水艇へと到達したクリアは震える腕でエースをボールへ戻し、潜水艇の中へと潜ってハッチへと手を掛ける。
「オラ、何引きこもろうとしてんだよテメェ!」
「グ……ガッ!」
だがその瞬間、ハッチへと手を掛けた瞬間に、ホカゲの足がクリアの眼前へと迫って、クリアはそのまま潜水艇内へと蹴り落とされた。
落ちて、激突の衝撃が全身に伝わりそれは痛みとなってクリアを襲うが、今の彼は宝珠の影響から逃れる事に全神経を集中しており、そんな痛み等に気を配ってる余裕等無い。
立ち上がって、前を向くクリアだが、彼の目の前には絶望的な状況が広がっていた。
「チェックメイト、だな」
「その様ですね」
ホカゲとシズク、二人のマグマとアクアの幹部達。
敵は万全、此方は見も心もボロボロ、どう足掻いても勝てない、そんな状況。
「う……グ、ガ……!」
うめき声は獣の唸り声の様なものへと変わりゆき、最早いつ精神の主導権を宝珠の力に握られるのかも分からない。
四方を防ぐ強固な壁は、我を失ったクリアを隔離するものでも、外敵からクリアを守る為のものでも無く、今は決して逃れる事が出来ない鉄格子の様にも見える。
ホカゲのマグマッグとシズクのぺリッパーが見える、もう既に攻撃のモーションには入っている、だがそれが何に結びつくのかが理解出来ない。
「マグマッグ!」
「ぺリッパー!」
二人の男性の声が聞こえた、クリアの精神の主導権が完全に持っていかれる、その一瞬の時、ガコンという音が頭上で響いた。
三者三様、それぞれの行動を止め、頭上の異音へと目をやる。
ホカゲとシズクは倒れかけのクリアよりも謎の異音を優先して、クリアもまた今の音でどうにか意識を繋ぎとめて、その場所を見上げた。
気づくと、潜水艇へと乗り込むための出入り口、先程まで空いて海底洞窟の岩肌が見えていたその場所には、人工物の重々しい灰色が見えた。
どうやら閉じ込められたらしい、その事にようやく気づいた三人だったが、その時にはもう遅い、窓へと駆け寄るホカゲとシズクは見た。
沈み行く潜水艇の中から、藍色の宝珠を持ったアクア団総帥の姿を、潜水艇の特別起動部品を持ったアオギリの姿を。
「素晴しい! 藍色の宝珠、カイオーガを思いのままに出来る輝き、シズクさん、貴方は非常に良い仕事をしました、勲章ものの働きです」
何かを呟くアオギリが見えた、が、シズク達には彼が何を言っているのかは当然聞こえるはずも無い。読唇術を使える者等この場には一人としていない。
だがそう思ったのも束の間の事、すぐにアオギリの声は潜水艇内へと響き渡った。どうやら通信機能を使って外からシズクへと語りかけているらしい。
そして、アオギリの嬉しそうで冷たい声は、尚も続ける。
『本当にご苦労様でしたシズクさん、ゆっくり深海の散歩でも楽しんでください、ただし……特別起動部品は外しております、この深度では船体が水圧に耐えられないかもしれませんがね、マグマの幹部と侵入者、二人をよろしくお願いしますよ』
絶望。
先程まで絶対的な優位に立っていた二人の幹部は、直後にクリアと全く同じ状況へと陥る。
否、それよりも更に最悪、更に命の危険度が増した状況、そしてそれはクリアもまた同じ事、特別起動部品を外した潜水艇は深海の中を漂う様に流れそして――ミシリと、三人が今日まで聞いた人生の中最も嫌な音を立て始める。
ホウエン地方の図鑑所有者の二人、ルビーとサファイア。
コンテスト制覇を目標に掲げた"美しさ"を追求するルビーと、ホウエンジム制覇を目指す"強さ"を追い求めるサファイアの二人は、今まさに海底洞窟へと向かっていた。
目的は唯一つ、サファイアが偶然助けたジーランスのじららの力を借りて、ホウエンに巣食う二つの巨悪を止めるためだ。
互いの目標を一時中断してまでの行動、そこに至るまでに、彼等は幾度と無く壁にぶつかり、それを乗り越えてきたのだが、それは彼等視点の物語。
そして同じ様に図鑑を持ったジョウト地方のジムリーダー、クリアにもまた彼の物語がある。
少しずつ壊れながらも浮かび上がる潜水艇に乗ったクリアと、ジーランスの力で海底洞窟目指し潜水する彼等は一瞬すれ違い、そしてまた離れていく。
彼等の物語は交差して、だが彼等はまだ、出会う事は無い――。
「おい! そっち水漏れってぞ! さっさと抑えやがれ!」
「やっている!」
最早膝下まで海水は侵入して来ている。
命の危機に、敵対している暇等あるはずも無く、ホカゲとシズクは結託して今の非常に危険な状況への対応に追われていた。
彼等のぺリッパーとオオスバメが潜水艇を押し上げ、今にもバラバラに分解してしまいそうな船体、その隙間から流れ込んでくる海水をどうにか塞き止める。
彼等にとって、それは予定外過ぎる事態だった。
ホカゲはまさか今の様な危機的状況に陥る等とはクリアを追っている時当然思っておらず、シズクもまた、先程のアオギリの言葉に動揺を隠せないでいる。
だが時間は待ってはくれない、そうこうしてる間にも再び別の箇所に亀裂が走り、水鉄砲の様に海水が飛び込んできて、ドククラゲに寄りかかる少年の顔にかかった。
「チッ、ったく使えないヤローだぜ全く、テメェさえいなけりゃあこんな事にはならなかったのによぉ……!」
憎々しげに言うホカゲだが、手は出さない。出せない。
釣られる様に少年の方へ目を向けるシズク、彼の目に映るのは空ろな目をした少年の姿だった。
二つの宝珠の奪取に失敗したジョウト地方最強と言われたジムリーダーの姿、だが今となっては傍から見れば重篤患者の様に見える。
クリア自身、今尚自身の中の"強大な力"人知れず戦っているのだが、当然ホカゲとシズクの両名にそんなクリアの気苦労が分かる訳が無く、その瞳には怒りの感情しか見えなかった。
「……ガ……ィ……」
ブツブツと小声で呟く言葉を聞いて、彼を支えるドククラゲ、レヴィは一瞬躊躇する。
だが、空ろながらも意思の強い眼差しを見せるクリアに、観念した様にレヴィは一度頷いた。
その頷きに安心感が生まれたのだろう、フッと力無くクリアは笑って、彼は"頼れる存在"に身を委ねる事を止め、どうにか自身の足で立ち上がる。
「……貴方は……!」
不意に立ち上がったクリアの姿に、何かを呟こうとした、シズクが口を開きかけたその時だった。
一瞬で、レヴィの触手がシズクに迫り、次いでホカゲにも触手は伸びる。
「なんだっ、一体!?」
「……のままじゃ、皆お陀仏だ……だから」
驚きの声を上げるホカゲに答える様に、クリアは答える。俯いていた顔を上げる。
その表情、血走った目を見開いて、薄ら笑いを浮かべた先程までとは全く様子の違うクリアの姿に、ホカゲは、そしてシズクもまた息を飲む。
どうやら先程までのクリアの言葉の意味が、今更ながら彼等にも僅かながら理解出来てきたらしい。
「グガが!……だ、ら……レヴィの全方位"バリアー"で……アンタ等二人だけでも逃がして……」
「バッ……! テメェ、今の状況分かっていってんのか! それともとうとう頭おかしくなっちまったってのか!?」
「……信じられませんね、そんなものがあるなら、貴方一人で逃げればいいものでは?」
ホカゲもシズクもレヴィの力を信じていないらしい。
無理も無い、少しは海底から上昇したと言っても、そこはまだまだ深度が高い、日の光が僅かにも届いていない海の中だ。更に言えばどれ程の間レヴィの"バリアー"が続くかも分からず、また他人のポケモンに命を委ねる事も出来ないらしい。
だがそんな二人の訴えを無視して、または聞こえていないのか、クリアは自身の言葉を続ける。
「ガ……ガ……レヴィは、アンタ等送り届けたら俺の下へ戻ってくる様、言って、あうから……だい」
「あぁ? じゃあなんでテメェはこっちへ来ない? 安全なら問題尚の事だ」
「そうですね、それに貴方には私達を助ける理由が無い……!」
「ふ……定員は、二人ま……ガグ」
頑なに信じようとしないホカゲと、少しだけ声を震わせたシズク、そんな彼等に一度そう呟いてクリアは目を閉じ、そしてすぐにその目を開いた。
先程までの見開いた空ろな眼では無く、意思の強い、ここ一番の勝負時の眼で、レヴィが彼と会った時から変わらないレヴィが"信じる"彼の眼で。
それを見た瞬間、レヴィは伸ばした触手を引っ込める。同時にホカゲとシズクの二人もレヴィの下へと引き寄せられる。
そして起こるは、崩壊。
彼等二人が押えていた最も大きな割れ目から、大量の海水が船内へと入り込んでくる、それを見て出していたオオスバメとぺリッパーをホカゲとシズクはボールへと戻す。
船体全体へと亀裂が入るのと、レヴィが"バリアー"を球体状に張るのと、クリアが呟くのは同時だった。
「はぁ、はぁ……理由なんて、人を助けるのに、理由なんていらないよ」
それが"クリア"の最後の言葉だった。
その言葉を言い終わった直後、クリアは一度項垂れる様に頭を垂らし、そしてまたすぐに顔を上げた彼は
「グガ! グギギギガガアァァァア!!」
焦点が合って無い血走った瞳で、涎の垂れた口元には薄ら笑いを浮かべている。
一目で正気で無いと分かるその姿に、ホカゲとシズクはそれぞれ純粋に恐怖を感じたのだろう、固唾を呑む音が聞こえた。
「ガアー!」
まるで小さな怪獣の様な方向と共に、正気を失った彼は"バリアー"を張ったレヴィへと突撃した。
次の瞬間、一際大きな崩壊音と共に、潜水艇が藻屑の様に崩れ去った。
「ガ!?」
訳の分からないという彼の呟きを飲み込んで、潜水艇は瞬く間に分解される。
流れ来る水流が全てを飲み込んで、ホカゲとシズクを含むレヴィをあっという間に見えない位置まで流してしまう。
そして彼もまた、レヴィ達とは全く別方向へと流され、空気を求めて足掻くが、意識の無い彼が海面に到達する事等有り得ない。
カイオーガの出現で水位が増し、荒れる海の真っ只中に放り込まれた彼は暫く足掻いて、そしてすぐに動かなくなった。
「……何を考えてんだ」
「……別に何も」
一方、レヴィの"バリアー"によってどうにか急な水圧から身を守り、更にレヴィによって海面まで届けられたホカゲとシズクの二人は久しぶりに見た空を眺め、一時の間だけ身体を休めていた。
ホカゲの出したアーマルドの上で、ホカゲもシズクもどうやら先程の少年、クリアの事を考えているらしい。
最後に彼が発した言葉と、行動、そして彼の顛末。
すぐにクリアを探しに行ったレヴィはもう見えない、見えるのは荒れた海とどんよりと重たい空の色だけ。
「……納得いかねぇな」
不意にホカゲが呟いた。
普段から幻影攻撃を得意とし、飄々とした彼らしくない、言うならば同じくマグマ団幹部のカガリの様な荒々しい言葉、声で。
「俺はまだ、あいつに出し抜かれた借りを返してねぇ……!」
「貴方は……まだあの少年が生きてるとでも?」
考えれば当然、クリアが生きている保障等どこにも無い。
荒れ狂う海、急に襲う水圧、ましてや先のクリアは正気では無かった。
普通に考えれば死んでいて当然の状況、だがシズク自身、クリアの死を断言しなかった事に自分でも驚きを感じていた。
「そんな事はどっちでもいい、様はあいつに借りを返せりゃあな、アーマルド!」
「なっ、何処へ!?」
「決まっている、俺は大地を広げるマグマ団だ、そしてあいつは俺達の邪魔をして来た、つまり……」
「つまり貴方がマグマ団として活動していれば、またあの少年に会えると?」
「そしてさっきの借りを返す、絶対に逃がさねぇ!」
どうやらホカゲの心には、クリアを心配する気持ち等欠片も無いらしい。
敵同士なので当然と言えば当然だが、それは些か白状な気もするが、シズク自身もクリアを狙い攻撃した身だ、そんな事は当然口走れない。
そもそもシズクには、先の出来事の所為で、今のホカゲの様にクリアを明確に敵として判断する事に対し、迷いが生じていた。
(私は、アクア団のシズクです、そして私の総帥はいつだってアオギリ総帥……)
そう自身に暗示をかける様に心中で呟くシズクだったが、出てくるのは先の少年の間際の顔、言葉。
"人を助けるのに、理由なんていらない"。野望の為にシズクを窮地へと追いやったアオギリと、理由も無く自身の命よりシズクを優先させたクリア。
彼等の顔が交互に浮かび消え、決意が鈍りそうになるのを堪えて、
「私はSSSのシズクです。そして海を広げる事は、私達の悲願……!」
決意の言葉を発したかと思うと、ホカゲが何かを言う前にぺリッパーに乗って飛び立つ。
結局はシズクもまたアクア団、その幹部だったというだけの話だ。
例え目の前でアオギリに裏切られようと、自身に課せられた使命だけは果たす、その為に行動する。海を増やす。
それがアクア団のシズクという男、"アクア団という組織に身を置く以上"、彼がアオギリを裏切る事等有りえはし無い。
「ふん、行っちまったか、まぁいい……まずはカガリ達と合流する事だな、そして……」
飛び去ったシズクが向かった方向を興味なさ気に見て呟くホカゲは、すぐに本当に興味を失って前を向く。
まずは目先の戦いに集中する為、そして再度クリアと合間見えた時の事を考えて、
「今度はテメェだけに、"地獄"を見せてやるぜ、ジョウトのクリア……!」
幻影を操る男は決意を新たにそう呟いて、そしてホウエンジムリーダー達との戦いの地へと向かうのだった。
暗い暗い、海の中だった。
意識を手放す寸前のクリアが考えた事は、唯一つの事。
(……しまった、エース達、どうしよう、このままじゃ俺もろとも海の藻屑に……)
脳に酸素が行き渡らず、その命のともし火が消える寸前に考えた事は、残して来たイエローの事でも故郷の事でも無く。
自身の手持ちの安否の心配、ただそれだけだった。
だがどれだけ心配しても、彼にはもう指一本動かす力も残ってない。
ようやくになって彼を支配していた宝珠から流れ込んできた"力"の影響から解放された事は良かったのだが、だがその時にはもう既に、クリアは身体は満足に動かす事が出来なくなっていたのだ。
もしも少しでも力が残っていれば、水ポケモンのタマザラシにどうにか頑張って貰おうと、もしくは周囲の水ポケモンに助けを求めようとも、先の状況下の中ボンヤリと考えていたクリアだったが、身体が動かないとなると元も子も無くどうしようも無い。
漂う、視界が一層に暗く黒くなっていき、一切の音が消えて、そしてクリアは静かに瞳を閉じた。
溺れる事は決まっていたとして、ここまで発狂するのは予定外だった。
というか宝珠の影響ってこんな感じでいいのかな、ちょっと命令飛ばしただけだけど。