悪運の女将校   作:えいとろーる

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少女と悪運

 暗い。

 

 埃が舞い、一筋の光も差さない部屋に私はいた。

 

 眼に映るのは石造りの低い天井と、迫ってくるかのような圧迫感があるごつごつとした石の壁。

 

 聞こえるのは、小声で何かを囁く女性のような声。

 

 少数ではない。多くの女性が自分のすぐ近くで話している。

 

 少し高齢のような女性の声も聞こえれば、まだ私より年下のような女の子たちの声も聞こえる。

 

 どこだろう、ここは。

 

 さっきまで眠っていた自室とは全く違う風景に少し困惑し、改めて辺りを見渡すと、この場所よりももっと奇怪なことが起こっていることに気がついた。

 

 あれっ!?なんだこれ!

 

 眼前に持ってきた私の手は、まるで赤ん坊のような幼いものになっていた。

 

 さらにはどれだけ声を出そうとしても、喉奥からは何の音も出ない。

 

 ここで私はようやく、自分が今おかれているこの環境が、私が見ている『夢』であることに気がついた。

 

 ルフィ達と遊んでた頃の夢を見たいと思ったのに、こんな変な夢を見てしまうとは、日頃の行いが悪いせいかな…。

 

 そんな事を考えながら私は夢の続きを見守った。

 

 やがて私の視界を埋めていた石の壁は上の方にずれていき、今度はお世辞にもあまり綺麗とは言えない格好の女性たちが視界を埋めた。

 

 どうやら私は石の壁に空いた穴に、妙な箱に入れられた上で押し込まれていたらしい。

 

 わっ。

 

 突然私は一人の女性に抱き上げられた。この歳で抱っこされるのは意外に恥ずかしいものだ。

 

 痛っ!

 

 のんきな事を考えながら、自分を抱き上げた女性の顔を見ようとすると、頭に突然痛みが走った。

 

 周囲からは人が集まってくる。

 

 ひっ…!?

 

 集まってきた人々の顔を見た瞬間、私の呼吸は恐怖で一瞬止まった。

 

 女性たちには、顔が無かった。少し高齢気味の声を出す女性も、そばにいた少女らも、全員だ。

 

 い…嫌、来ないで…。

 

 声に出せない声を頭の中に響かせるも、その女性達は御構いなしに近づいて来る。

 

 止めて…来ないで…!

 

 迫る女性たちの姿に怯え、抱き上げられた女性の服を強く掴み、咄嗟にすがりつくと、頭上からその女性の声が降ってきた。

 

『どうしたの…エ◼︎◼︎◼︎…』

 

 

 

 

 

「ッーー!」

 

 声が頭に響くと同時、私は突如発生した激しい頭痛に跳ね起きた。

 

「はぁっ…はぁっ…」

 

 酷い夢だった。暗くて…狭くて…。

 

「あれ…それからどうなったんだっけ…」

 

 暗くて、狭くて…そこから先がどうしても、思い出せない。私は、何を見て、何に怯えたんだろう。

 

「変な夢…」

 

 考えるのを止め、ベッド下に落ちていたクマのぬいぐるみを再び抱き締め、ゆっくりと瞼を落とす。

 

 今度こそ…ルフィ達の楽しい夢が…見たいなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 東の海のとある海域で、ドクロマークを旗印に掲げた一隻の船が、船体に無数の穴を開け、そこかしこから煙を上げながら進んでいた。

 

 既に乗組員は殆どが甲板に倒れ、二度と動かない姿になっているか、紅蓮の炎を噴き上げる船室の中で炭になっている。

 

 地獄絵図とかしたその船の中でただ一人、動く者がいた。その男は左手の指を三本失い、右脚も普通なら曲がるはずのない方向に折り曲げた満身創痍の身体で、誰もいない船尾楼の上に立って背後に迫る船に向かって大砲を構えていた。

 

 男の名は『リージョン・ゲラン』

 沈没寸前に追い込まれたこの船、『ヴィクトリカ・リージョン号』の船長だ。

 

「クソ…化け物が…俺たちは…まだ旗揚げして三日だぞ…俺たちに何の恨みがあるってんだ…」

 

 ゲランの見つめる先には、犬の頭を模した船首楼が特徴的な海軍の軍艦の船首に立つ一人の老兵の姿があった。

 

「ぶあっはっはっは!どうした小童共!もうお終いか!?」

 

 そう、彼等、『リージョン海賊団』は、軍船の船首で高らかに笑うこの老兵たった一人の手によって、船ごと破壊され尽くしたのだ。

 

「クソがァ!てめぇだけでも道連れだァ!」

 

 ゲランが老兵に標準を合わせた大砲に火を入れ、砲身から鉄の塊を火薬の爆風で持って撃ち出した。

 

 当たる、真っ直ぐに老兵へと飛んだその砲弾を見てゲランは確信した。

 

 ーーその身体を怒りを込めたその砲弾でバラバラにしやがれ!

 

 死んだ仲間と、それを撃ち出したゲランの願いを込めた砲弾が飛んで行った先で訪れた結果は、彼の予想を大きく裏切るものだった。

 

「甘い甘い!こんなおもちゃではワシの首は殺れんぞ!」

 

 砲弾は見事に老兵に直撃した。しかし、その効果は、彼が予想したものとは明らかに違った。

 

「…う…嘘だろ…?」

 

 ゲランは、目の前で起こったあまりにもあり得ない現実にいよいよ心が折れ、欄干に手を置いて膝をついた。

 

 目の前の老兵が取った行動は、あまりにも彼の中で構築された常識から逸脱していた。

 

 向かってくる砲弾に対して開いた右手を突き出し、それをまんまと受け止めて見せたのだ。

 

「そらァ返すぞォ!」

 

 そして老兵は受け止めた砲弾を大きく振りかぶり、ゲランに向けて放り投げた。その一投は、彼が今まで見てきたどんな大砲から撃ち出される砲弾よりも圧倒的に速く、そして絶望的な破壊力を持っていた。彼らの船は、老兵のこの投弾によって壊滅したのだ。

 

 そして、ゲランにとってはまさに凶弾と言うべき一投が眼前に迫る。

 

 しかしその時、彼の目にはもう迫る砲弾など映ってはいなかった。かれの目に映っているのは、甲板や船室で倒れる仲間達と過ごしてきた三日間の航海。

 

 ーーたった三日の航海ではあったが、夢を見れた良い航海だった。

 

 ーーみんな、俺も今すぐに…。

 

 次の瞬間、一人の海賊の頭を破壊して船に風穴を開けた砲弾が、船の中で最も厚い装甲で守られていた火薬庫の壁を貫き、中にあった火薬樽を撃ち抜いた。

 

 撃ち抜かれた火薬樽は火薬を撒き散らし、近くで甲板の床を舐めていた炎に引火。激しい爆発が巻き起こり、海賊船は真っ二つに割れながら海に沈んで行った。

 

「ぶあっはっはっは!これでこの海では八隻目か!海賊の質も落ちたもんじゃわい!」

 

 沈み行く船を見て船首の上に立つ老兵は再び高らかに笑う。そんな彼に、後ろから話しかける海兵の姿があった。

 

「あ…あのガープ中将、なんか今日は妙に嬉しそうじゃないですか?いつもは嫌がるのに今回だけはわざわざご自身でモーガンの引き渡しにもご参加されてますし…」

 

「んん?そうじゃな…今回は…」

 

 海兵の声に振り返り、顎に手を当ててにっと笑みを零す。

 

「孫をな、迎えに来たんじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「よし、これでいいかな?」

 

 帰港してから四日目の朝。私は自室で今日から始まる『斧手のモーガン』『百計のクロ』両名の身柄の引き渡しのための航海への準備を整えていた。

 

「それにしても、何だってこんな大げさな準備をするんだろうねぇ?」

 

『?』

 

 ベッドの前に置かれた、何時もの航海よりもかなり多めの荷物を眺め、服の襟から見える底の浅い胸の谷間から顔をのぞかせる電伝虫のカルゴ君に尋ねてみた。当然カルゴ君は何も考えていないようないつもの顔で首を傾げている。

 

 それにしても遠征はいままで何度も経験しているけど、部屋の荷物をまとめての遠征なんて初めての経験だ。

 

 昨日、本部から身柄引き渡しの為に東の海にやってきている船から通信があり、引き渡しの護衛を担当するリード隊全員に、『荷物をまとめて乗船せよ』という妙な命令が下った。

 

 とはいえ、荷物の量自体は私は服も制服以外持っていないし、嵩張るのは自主鍛錬用の鍛錬具くらいだから木箱二つに十分収まる量で、大して多くは無いから特に問題は無いが、正直何か陰謀的なものを感じてしまう。

 

「えーと、忘れ物は…あっ!」

 

 最後に部屋の中を見回し、忘れ物が無いかを確認すると、ベッドの隙間から少しだけ飛び出す茶色い物体が目に入った。

 

「ごめんね、もう入れたと思ってた」

 

 ベッドの隙間から飛び出したそれを掴み、引っこ抜くと、眼前に私の唯一の女子力と言えるクマのぬいぐるみが現れた。それを抱きしめ、謝罪の言葉を腕の中で形を変えるぬいぐるみに零した。

 これは私が四歳の誕生日にお義父さんから貰ったものだ。それ以来ずっと私の部屋で癒しとなってくれている。

 

「少佐、準備はよろしいですか?」

 

 うひゃう!?

 

 出し抜けに扉をノックする音が響き、少し遅れて部下の声が部屋の中に入ってきた。部屋でこうしてまったりしている時にいきなりノックと声をかけられるのには、いつまでたっても慣れる気がしない。

 

「あぁ、今行く」

 

 扉越しに届いた部下の声に返答し、かがんで二つの木箱を重ねて右肩に担ぐ。わりと大きめとは言え、必要最小限の荷物しか入っていないただの木箱だ。それほど重くはない。

 

「それじゃ行くよ。エスカルさん、カルゴ君」

 

 胸の谷間と重ねた荷物の上に鎮座する二匹の電伝虫に向かって告げると、それぞれが返事をしているのか、もぞもぞと動いた。

 

 さて、任務の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「少佐!離れてください!」

 

「リカちゃん落ち着いて!分かったから!」

 

 いやー…。

 

「お願い少佐さん、私を海軍に入れて!ほら見て!私も戦えるんだよ!銃だって使えるんだよ!」

 

「何度も言っているだろう!十五に満たないものは入隊することは出来ないんだ!」

 

 …どーしてこーなった…。

 

 この基地に来てから何度この言葉を思ったことか。

 

 しかし、これまでこの言葉を思い浮かべてきたどんな時より、今、私が置かれている状況は混沌としたものだろう。

 

「ねぇ!少佐さんはこの基地で一番強いんでしょ!?海で一番強い海兵さんなんでしょ!?」

 

「リカ!銃を少佐に向けるな!」

 

 港に停泊したリード隊の軍船。その船首楼にその女の子はその身に余る大きさの拳銃を携えて立っていた。船員達は女の子が携える銃を見て、とあることに気づき、船首楼の下で動けずにいる。

 

 オーケー落ち着けエヴァ・リード。こういう時は素数を数えて落ち着くんだ。2…4…6…8…ってこれ偶数だよ!それに前に一回もうこの流れやってるし!

 

 もう本当に…どうしてこうなった!?

 

 内心では頭を抱えながら蹲っている私だが、その実、こうなってしまったおおよその理由はもう分かっている。

 

 事の経緯はこうだ。

 

 モーガン元大佐とクロを船に収容し、いよいよ出発という時にこの女の子、リカは現れた。

 最初は三日前と同じ、海軍に入れて欲しいという訴えにきただけなのかと思ったが、果たして今回はそうではなかった。

 

 何処かで私が幼い頃から海軍の訓練を受けていた、と言う噂を聞きつけた彼女は、ならば規定の年齢に達していない自分でも、と勇み、自分が海軍に入って戦えるということをアピールしにきたようなのだ。

 

 それ故に、彼女の手には自分で火薬を込めたという一丁の拳銃が握られていた。彼女の口ぶりから察するに、自分は銃が扱えるという所をアピールポイントに選んでの行動なのだろう。

 

 これだけならば、子供の度が過ぎたやんちゃとしてさっさと銃を奪い、デコピン一発で済ませて仕舞えば良い話なのだが、問題はその銃自体にあった。

 

 問題はその纏わり付いた錆だ。

 その銃は最後にいつ整備されたものなのか、銃口や撃鉄のあちこちに錆が目立ち、いつ暴発してもおかしくない状態だったのだ。

 

 しかし、錆で発砲することはできないとはいえ、暴発間際の拳銃を握っている以上、万が一リカが何らかの拍子に銃を地面に落としたり、引き金に強い衝撃を与えてしまったら、それは間違いなく暴発し、リカの小さな手は、最悪の場合吹き飛んでしまう可能性すらある。

 

 となると、今取るべき行動はまず、リカから銃を取り上げ、なんとか説得することなのだが、彼女の意思はあまりにも固く、全く聞き入れようとしない。部下たちの声はもちろん、コビメッポの声すら聞き入れようとしないのだ。

 

 船医が言うには、おそらく、一時的なパニック状態に成っており、冷静な判断ができずにいるのだという。

 

 んー、本当にどうすれば良いんだろ?

 

 私ならリカの目にも止まらない早さで船首楼まで行き、銃を取り上げることもできないことはないとは思うが、高速で移動している中で銃が暴発しないように取り上げ、海に捨てるなり、持ち帰るなりする自信は無い。

 

 となると、なんとか説得するしかない。

 

「リカ…そう言ったね?」

 

「は…はい!」

 

 船首楼の下で群を作る部下たちを下がらせ、階段に足をかけて声を掛けると、リカは銃を下ろし、敬礼の体勢になって鋭い返事を返してきた。

 

「そっちに行ってもいいかな?」

 

「…どうぞ」

 

 リカちゃんの承諾を受け、階段を上がる。

 リカちゃんは初めて持つ銃をおぼつかない手つきで持ち、今にも落とすか、引き金を引いてしまいそうな危うさを感じさせた。

 

 それを見て私はリカちゃんに気づかれないように船首楼の欄干に背を預けるような体制をしながら、重心を落とし、足裏を欄干と甲板の接合部に付け、いつでも飛び出せる体制を整えた。

 

「聞かせて欲しい、どうして海軍に入りたいんだ?」

 

「そ…それは…」

 

 体制を整え、答えが半ばわかりきった質問を投げかけると、リカは視線をあちこちに揺らし、最後にコビー君に視線を少し向けてから吃る口を動かして言った。

 

「大事な人を…お母さんや島の人…それに…友達を守りたいから…!」

 

「そうか…」

 

 視線を揺らしながら話すリカの目は、本気だった。コビー君からは前から聞いていたが、この子はとてつもなく固い意志の持ち主のようだ。

 

 聞くところによれば誰も逆らえなかったモーガン元大佐に村で最初に刃向かったり、この基地で捕まり、空腹で動けなかったロロノア・ゾロに差し入れのおにぎりを渡しに磔場へ忍び込んだりと中々デンジャラスな事を実践して来たという経歴まで備えているという。

 

 それに、彼女が言った動機には、私も思うところがある。

 

「…君の気持ちは私が一番良く分かっているつもりだ」

 

「えっ…少佐さんが?」

 

「あぁ、私も幼い頃、君と同じことを考えていた」

 

 私の言葉が意外だったのか、リカは目を丸くして返した。そして私が続けていった言葉にさらに驚いたのか、驚愕に満ちていたその目をさらに丸くする。

 

「私も、幼い頃には義父や兄代わりの海兵が船に乗って任務に行ってしまうのが辛くて、よく自分も一緒に連れて行ってくれと頼んだことがあるんだ」

 

 今となっては恥ずかしい黒歴史になっている事を自分で掘り返さなくてはならないこの苦痛…しかし、リカちゃんの身の安全には変えられず、さらに私は言葉を続ける。

 

「でもな、私は初めて連れて行ってもらった航海で、海の過酷さと、己の非力さを知ったんだ」

 

 そう、あの五歳の誕生日で海賊達に食べさせてしまった毒キノコは本当にとんでもない代物だった。それで倒れてしまった人たちを救えなかったことに、当時に私はひどく打ちひしがれたものだ。

 

「幼い私は、海賊達の宴の真ん中で苦しむ人々に何もしてやれなかった。私はあれほど自分の力の無さを悔いたのは初めてだったよ」

 

「少佐さんが…」

 

 うんうん、変な噂ばかり流れてるけど、実際の少佐さんはそんな感じなんだよー。ってあれ…部下達までなんかざわざわしてる…巻き込まれた商船?なんのこっちゃ。

 

「だから、君にはまだ海は早い。あと三年待って海軍で訓練を積んでから、君にとっての大切な人達を追いかけるんだ」

 

「でも…そんなに時間が経っちゃったら…」

 

 少し安心した表情だったリカが、私の言葉でまた不安げな表情を浮かべる。

 まぁ、気持ちは分かるし、どうしてもリカちゃんが引かない時用に考えていた策が一つだけある。

 

「それならこうしよう、君が…」

 

 

 

『リカ!何をしているの!?』

 

 

 

 もう一つの提案をしようとした瞬間、私が最も恐れていた事態が起こった。

 

「お…お母さ…ッ!?」

 

 港に現れたリカの母が声を上げると、反射的にリカの肩が跳ねた。そして、リカの手に握られていた拳銃の撃鉄が、一瞬リカの手から加った反射の力でおそらくは数年ぶりに動いた。

 

「ぁ…」

 

 リカちゃんの手の中で銃身が膨張する。おそらくこの場で私の目だけがその一瞬を捉え、身体を動かした。

 

 掴んでいては間に合わない。

 

 ならば蹴り…?

 いやダメだ。蹴りは少し打点を間違えただけでリカちゃんの腕を傷つけてしまうかもしれない。

 

 使うのは、拳。

 

 初めてガープ中将から拳の握り方を教えられた五歳の頃から幾百万、幾千万、あるいは億を超えるほど振るって来た、私にとって最強にして最速の武器。

 

 そしてそれを支えてくれている私の脚はすでに動き出していた。下げていた重心から力を左の拇子球、そして爪先へと伝え、解放する。

 

 さながら雷の如く甲板の板を踏み抜きながら加速した私の身体は、一瞬の時を要さずリカの目の前に運ばれ、さらなる加速のために脱力していた右拳を、床板すれすれからすくい上げる様な軌道を描いてリカの持つ拳銃へと送った。

 

 瞬間、私の耳を拳銃が暴発した轟音が貫いた。

 

 温かい液体が私の顔に弾ける。

 

 咄嗟にリカちゃんの無事を確認するも、彼女の身体には、少し破片が飛んでできた切り傷があったが、それ以外は特に問題はなさそうだった。

 

 良かった…なんとかなった…。

 

 爆音に怯えているのか、縮こまって私を見るリカちゃんを見てつい安心感から少し笑みがこぼれた。

 

 背後に控える部下に向き直り、大丈夫だ、と言おうとするも、部下たちは全員顔を青くして何か喚いている。どうやら爆音で一時的に聴覚をやられてしまったらしく、私の耳には何も言葉らしい言葉が入ってこない。

 

 一体何を見てそんな顔をしてるんだ?

 

『………ぁ!』

 

 救急箱を持った何人かの兵が階段を駆け上がり、何事か叫びながら駆け寄ってくる。

 

『…うさ…ぇが!』

 

 一体どうしたというんだ、もしやリカちゃんの身体に私が見落としてしまった何かが…!?

 

 そう考え、向かってくる兵たちに背を向け、リカちゃんに右手を伸ばす。

 

 あれ…赤い?それに所々…白いモノが…?

 

 そこで私は右手の異変に気が付いた。

 

『少佐!右腕が!!』

 

「ぐっ…んっ…!?」

 

 

 痛い痛い痛い痛い痛い!?

 

 

 駆け寄ってきた医療班によって右腕がタオルに包まれると、今更になって耐えがたい激痛が私の右腕を襲った。

 

「少佐、動かないでください!」

 

「あぁ…少佐の右腕が…」

 

 タオルの隙間から見える私の右手は、もはや自分のものとは思えないモノになっていた。白い肌がちょっとした自信だった手首から先は、爆風と破片で皮膚が全て剥がされ、内側の筋肉と骨も破片に蹂躙されていた。手首から先を形作っていた肉は殆どが裂け、骨は内から外へと飛び出している。

 

「んんっ…ぐ…」

 

「少佐!?動いてはいけません!!」

 

 しかし、そんなことよりも私にはやらなければならないことがあった。

 

 制止する部下を振り払い、立ち上がって甲板の隅で震えながら私の右腕を見るリカちゃんの前に移動して、一気にタオルを引き剥がした。

 

「ひっ…!」

 

「ッ…目をそらすなッ!」

 

 私の傷を見て咄嗟に目をそらしたリカちゃんに向かって声を荒げ、激痛に耐えながら目の前に右腕を持っていく。

 

「くっ……見ろ、この傷を見るんだ…。君が今使ったのはこんな風に人の体の一部を…いや、一歩間違えば人一人の命を簡単に奪い去る道具なんだ!」

 

「ひっ…ひっ…」

 

 この子には、教えなければならない。自分が使おうとした武器の恐ろしさを。

 

「逃げるな!本気で海兵になりたいと言うのならのなら…逃げるな…!君が入りたいと言った世界は…こういう世界なんだ…海賊に出会えば、いつこうなるか分からない…そんな世界だ!」

 

「ッ…!!」

 

 海兵になりたいのなら、この言葉を聞いてか、リカちゃんは背けていた目をゆっくりと私に戻し、私の右腕を見た。

 

「ご…ごめんなさ…」

 

「謝るな!海兵になったのなら、君はこれと同じことを海賊にしなければならない時が必ず来るんだ。その覚悟が…君にあるのか…!?」

 

「少佐!もうやめてください!」

 

 謝ろうとしたリカちゃんを一喝し、さらに言葉を続ける。もはや部下たちがこれ以上見ていられないといった顔で止めに入り、私は強制的に欄干に背を預けて座らされたが、それでも私はリカちゃんから目を離さない。

 

「今は…今はまだ…分かんないです…でもっ、でも必ず!必ず出来るようになるから!覚悟出来るようになりますから!!」

 

 滂沱の涙を流しながらリカちゃんは甲板に手をついて言った。未だ涙が溢れるその目には、全体の見た目とは裏腹に、相変わらずの強い意志がこもっていた。

 

 

「それなら…これを…」

 

 左腕を無理矢理動かし、激痛に耐えながら右の太もものホルスターには入っていたそれをリカちゃんに差し出し、笑顔を作る。

 

「ッ…これって…」

 

「これを…君に預ける。これは私が入隊と同時にもらったものだが、手入れは怠っていないから暴発の恐れはない」

 

 手渡したのは、私が入隊時にお義父さんからもらった一丁の拳銃だ。まだリカちゃんと背格好が変わらない頃に渡されたもの故に、リカちゃんでもある程度は取り回しが効き、反動も大きくないものだ。

 

「本気で君が海兵になると言うのなら、君はこれからこの銃の正しい扱い方、恐ろしさ、そして何より銃を持つという事の覚悟を学ばなければならない」

 

「これの…正しい使い方…」

 

 銃を手に取り、軽く上げたり下げたりして様子を見ている。やはりリカちゃんからすると少し重いのかも知れない。

 

 正直、そろそろ右腕の痛みが強くなってきて視界もかなりぼやけているが、私にはまだ伝えなければならないことがある。

 

「…二年後、その時にもし私が他の基地に異動になっていたとしても、私はまたこの町の港に戻ってくる。私でも、コビー君達でも他の海兵に聞いても構わない。とにかく二年後までにその銃を完璧に扱えるようになっていなさい」

 

「二年後…」

 

「そしてもう一つ…毎日ひたすら走る事。どんな敵からも逃げられるような脚を手に入れるんだ」

 

 私が提示した二つの条件。それは私がこの世界で最も重要だと思っている二つの要素だ。少しの攻撃力と逃げ足、これさえあれば、自分の身は自分で守ることができるだろう。

 

「二年間…君が必死でそれに努め、見事に達成したのなら、私はその間にどの基地に転属になったとしても、必ず二年後にここに戻って君を私の船に乗せる事を、約束する」

 

 しかし、その道は決して軽く、た易い道では無い。

 

 銃の扱いにしろ、脚力にしろ、とても一朝一夕で成し遂げられるものではないのだ。加えてそれに挑むのはまだ十一歳の少女だ。達成できなくとも責めるつもりは無い。この場で無理と言ってくれても無論、一向に構わない。

 

「…どうだ、出来るか?」

 

「…はいっ!絶対…絶対やり遂げます…!」

 

 呼吸を置いて尋ねると、リカちゃんは俯いた顔を上げ、私の目の前までやってきて目に涙を溜めながらも精一杯大きな声で答えた。

 

「そうか…それなら良い」

 

 左の手で優しくリカちゃんの頭を撫で、どうにか笑顔を作って微笑みかける。

 

 これなら、大丈夫かな…多分。

 

「さて…そろそろ出航だ。全員準備にかかれ」

 

「無理ですよ!引き渡しを延期してもらうべきです!」

 

 出航の時間が近づき、側にいた副官に声をかけると、すごい勢いで怒られた。

 

 いや、確かに右手はめちゃめちゃ痛いし、血が抜けすぎて頭はクラクラするし、気持ち悪いしで立ち上がるのも億劫だけど、護衛班である私の負傷ごときで本部からの引き渡し船を海の真ん中で待たせるわけにはいかない。それに今回は子供から銃を取り上げるだけの話だったのに、それすらしくじった私の失態だし、なおさら出航をおくれさせるわけにはいかないのだ。

 

「既にもう本部の船は合流地点に近づいているんだ。あちらも食料の問題もある。この程度で遅れさせるわけにはいかないさ」

 

「しかし…!」

 

「処置の続きなら船の中で頼む。…その前にこの子を送って来る」

 

「少佐ぁ…」

 

 頭を抱える副官を置き去りに、一時的な処置が終わり、包帯でぐるぐる巻きになった右腕を揺らしながら左手ではリカちゃんの手を握って船のタラップを降る。

 

 船の下では、当然と言うべきか、リカちゃんのお母さんが顔を真っ青にしながら船に向かおうとするのを基地の海兵達に制止されていた。

 

「リカ!あなたリード少佐になんてことをしたの!?」

 

「お…お母さんごめんなさ…」

 

 リカちゃんのお母さん、リリカさんはリカちゃんの顔と、包帯でミイラ状態になった私の右腕を交互に見て、ただでさえ青かった顔を白味が入る程に青くしてリカちゃんに詰め寄って右手を振り上げた。

 

「お母さん、待って下さい。リカちゃんは何もしていませんよ。私が受け取った銃を落としてしまってこうなったのです」

 

「少佐さん…!?」

 

「そんな…!」

 

 リカちゃんの頬を打とうとしたリリカさんの腕を左手で止め、優しく諭すように告げる。

 当然リカちゃんは事実と違う私の言葉に驚き、私の顔を見上げるが、私は口で大丈夫、と形を作り、話を続ける。

 

「そんな…嘘はやめてください!責任は…責任は私が代わりに取りますから!」

 

「嘘なんかではありませんよ。ここにいる私の部下全員が証人です。そうだろう?」

 

『は…はっ!!』

 

 私の言葉一つで察してくれるあたり、本当にいい部下を持ったものだ。

 

 甲板にいる部下全員が私の言葉に敬礼で返すと、リリカさんは何も言えず、視線を地面に迷わせた。その様子を見ているリカちゃんに左手で頭を撫で、再び目を合わせて笑顔を作る。

 

「確かにこの子は、銃を持ち出して危険な行為に及びました。一歩間違えれば死人が出たかもしれません。しかし、リカちゃんの今回の行動に対する思いを、分かってあげてください」

 

「お母さん、ごめんなさい…わたしどうしても海軍に入りたくて…それで…」

 

 私と自分の娘の言葉にリリカさんは長く息を吐き、リカちゃんの目を真っ直ぐ見据えて言った。

 

「…本気で言っているの?」

 

「本気だよ。二年間、必死で訓練して、少佐さんの船に乗るの!」

 

「海兵の皆さんの前で言うのは凄く失礼なことですが、海兵になるというのはは危険なことなのよ。お父さんが五年前に亡くなったのは覚えているでしょう?」

 

「うん…分かってる。でも、少佐さんと約束したんだもん!」

 

 リカちゃんの訴えを聞いたリリカさんの視線が今度は私に向いた。その目には少し涙が浮かび、何か覚悟を決めたような目をしていた。

 

 そして、私の側にいたリカちゃんを足元に寄せ、頭を撫でながらぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「…いつか、この子がそう言い出す日が来る事を、覚悟して居たんです。この子は何より夫の仕事に憧れを持っていました。夫の銃を持ち出したのもそういう事なんでしょう。

 

 そこまで言って、リリカさんは再びリカちゃんに視線を戻して口を開いた。

 

「やれるだけ、やってみなさい。幸いまだ二年あるわ。その間に一度も弱音を吐かずにやり遂げることができたのなら、私も応援するから」

 

「…お母さん!」

 

 母の言葉を聞いたリカちゃんは顔いっぱいに笑顔を作り、母の胸に飛び込んで行った。

 

「それじゃ、私はもう行きます。リカちゃん、一週間くらいで二人と一緒に帰って来るから、私たちが見ていなくてもしっかり練習するんだぞ?」

 

「はいっ!頑張りますっ!!」

 

 快活な声と可愛らしい敬礼に見送られ、私は船に戻る。その際に入れ違いになった基地の兵に後の事を託した。

 

 一週間後、私が戻るまでとはいえ、この基地の方には迷惑をかけてしまうことになった。戻ってきたらリッパー中佐には平謝りすることにしよう。

 

「さて、出航だ」

 

「その前に治療です!!」

 

 なんか…副官がお母さんみたい…。

 

 錨をあげ、帆を張る他の部下たちをかき分けやって来た副官が、ぷんすかと怒りながらも甲斐甲斐しく私の腕の包帯を外して医務室に向かって一緒に歩いて行く副官の姿を横目で見ながらまだ見ぬ母にその姿を重ねる。

 

 って痛たたた…なんか必死だった分、痛みも和らいでたけど、今更なんか痛くなってきた。

 

 あぁ、この先こんなので大丈夫かなぁ…。

 

 副官に手を引かれ、医務室に向かう途中で空を見上げて人知れず溜息をついた。

 

 

 

 あ、ちょっと医務官さん…もうちょっと優しく……いったぁ!


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