悪運の女将校   作:えいとろーる

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雑用と悪運

 

 …どうしたらいいんだろう。

 

 島に帰港した翌朝。久しぶりに訓練をしようと、日が昇るのを待たずにやって来た町の外れの丘で、私は途方にくれる自分の姿に既視感を覚えていた。

 

「お願いします!僕たちに稽古をつけてください!」

 

「お…お願いします!」

 

 目の前にはいつぞやのファンキーピンク頭のコビー君と美容師の嫌がらせとしか思えない奇跡のブロンドキノコ頭のヘルメッポ君が、土下座で私に稽古をつけるように懇願していた。どうしてこうなった。

 

 事の経緯はこうだ。

 今日の朝練前の準備運動を兼ねて町はずれの道を全力疾走で駆け抜け、山の訓練場所に行こうとしていたのだが、今回は久しぶりの陸での訓練であることを思い返し、たまには怪我をしないようにゆっくり歩いて行こうと思って登山道に通じるこの丘にやって来た。

 

 今思えばその選択が誤りだったのだろう。

 歩いてここまで来た私はこの場所で自主訓練を行っていたコビー君とヘルメッポ君に呼び止められ、訓練の指導を迫られてしまったのだ。

 

 困ったなぁ…。

 

 表面上ではいつもの鉄面皮を崩さず、目の前で土下座をする彼らを内心でおろおろしながら見つめる。

 

 正直言って私は彼らに訓練をする事自体は嫌に思っているわけではない。これまでいた基地でも数人の部下には訓練をせがまれ、何度か訓練を共にした経験がある。何より海兵として強くなりたいと考えるその心情は私にはよくわかるからだ。

 

 しかし、問題なのは、私が実際に指導する訓練の内容だ。

 

 これが全く思いつかない。

 

 かつて訓練の指導をせがまれた部下には、軍の訓練で行うものをそのままやらせていたのだが、それでは別に私がいなくても出来ることだと、当時の上官に指摘されてしまったことがある。当時もその指摘を受けて必死にオリジナルの訓練を考えていたのだが、全く思い付くことは出来なかった。

 

 いや…本当どうしよう…。

 正直このまま何か変な訓練を思いついてやらせた結果、変なくせがついたらそれこそ目も当てられない。

 

 うー…考えろー…考えるんだエヴァ・リード…。

 

 何か新兵にぴったりな訓練…訓練………。

 

 

 

 

 

「すまない。私はどうも指導というものが苦手でな。悪いが他を当たってくれないか?」

 

 ダメでした。

 

 ごめんなさいコビー君にヘルメッポ君。エヴァにはどうしても誰かの訓練とかそういうのは思いつきそうにないっぽいです。

 

 頭の中で土下座しながら二人に向かって告げる。

 すると、コビー君はばっと辛そうな顔を顔を上げてから、再び頭を地面に擦り付けるようにしながら声を上げる。

 

「お願いします!どんな事でもいいんです。僕達はどうしても強い海兵になりたいんです!」

 

 そ…そんなこと言われても…。

 

 内心でいよいよ涙目になりかけながら困惑する。

 

 どんな事でもいいって言われても…どんな事ってどんな事よ?

 だめだ、いくら考えても軍の訓練でやってる事しか出てこない。私が毎日やっている訓練をやらせてみようかとも思ったけど、それは流石にまずいだろう。

 なにせ、そこらの岩に向かって岩が砕けるまで素手で殴り続けるだとか、そこらの木に向かって木に穴があくまで指を打ち付け続けるとか、いきなりやらせたら大怪我間違いなしの訓練ばかりなのだ。こんな訓練をやるなら、まず私が子供の頃にやらされたガープ中将との訓練を…。

 

 

 

 …ん?ガープ中将の訓練?

 

 

 

 瞬間、ぐるぐると堂々巡りの考えにとらわれ、雲がかかっていたようだった私の頭の中に、一筋の光が差したような気がした。

 

 そうだ!じいちゃ…ガープ中将の訓練をそのまま教えりゃいいんだ!

 

 頭の中に笑顔でサムズアップするガープ中将の顔が思い浮かぶ。そうだ、アレなら実戦での勘も嫌って言うほど身につくし、変に素振りなんかさせるより確実に腕が上がる。私自身、ガープ中将に比べたらまだまだな実力だけど、彼らを訓練するには私でも十分に事足りる!

 

 

「…分かった」

 

 

『…!?』

 

 光明が見え、首肯しながら二人に告げると、彼らはほぼ同時に顔を上げ、その顔をぱあっと明るくした。

 

「そ…それじゃあ…!」

 

「あぁ、君たちの訓練は私が請け負った」

 

 うん、良かった良かった。私でも二人に役に立てることがあった。

 よし!頑張ろう。これは私自身も訓練になるところがあると思うし、気合を入れて相手しなきゃね!

 

「よし、早速始めよう。さぁ、かかって来なさい」

 

『……へ?』

 

 腰を落とし、戦闘態勢に入った私を見てコビー…いや、コビメッポコンビでいいや。

 コビメッポコンビが揃って首を傾げながら言った。

 

 そういえば、私が初めてガープ中将にこれを言われた時もこんな感じだったなぁ。

 

「えっと…少佐、それって…」

 

「かつて私がガープ中将と行った修行だ。中将は強くなるには一に実戦、二に実戦。三、四飛ばして五に決闘と言っていた」

 

『え…ええええ〜〜っ!?』

 

 目をこれでもかというほど飛び出させ、やたら長くなった舌を波打たせて驚くコビメッポコンビ。

 昔よくルフィやダダンさんがそんな顔してるのを見た事あるけど、本当どうやってんのそれ?

 喧嘩してない時にエースとよく練習したけど、結局私たち二人ともできなかったよそれ。

 

「さぁ、始めよう。準備はいいな?海賊には待ってと言っても聞かんぞ?」

 

「う…うぅ…!」

 

「…どうしてこうなった…ッ!」

 

 コビメッポがそれぞれ竹刀を手に取り、のろのろと構える。

 

 なんだか私も妙にわくわくしてしまっているみたいだ。今のコビメッポコンビを見ていると、昔ルフィやエース、サボと一緒になってじいちゃんに向かって行った五ヶ月を思い出す。私は無意識のうちにコビメッポコンビに対してにその自分たちの姿を重ねてしまっているらしい。

 

 いやいや、いかんいかん。私は彼らから見たら上官なんだ。いつまでも子供みたいに考えちゃダメだ。

 

「う…うわあああああっ!」

 

「くそったれコビー!死んだらお前のせいだぞ!」

 

 そうこう考えているうちに二人が竹刀を振りかざして向かってくる。

 

 やけになったように攻撃を仕掛ける二人の姿に目を細め、私は彼らの攻撃をかわしざまに拳を打ち出した。

 

 技は加減しないが、力は極力抑えている。

 

 これなら何度でも向かって来れるだろう。私の拳をそれぞれ顔面と腹に食らった二人が吹き飛んでいくのを見て思う。

 

 案の定二人はふらふらとしてはいるが、すぐに立ち上がり、再び私に向かってきた。今日はこの後食事を摂ったあとにモーガン元大佐と初めて会う事になっている。そのためあまり長く稽古はできないが、時間と彼らの体が許す限り、最大限相手をしよう。

 

 そう考え、私は再び拳を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

「ふぉい、ふぉびー…ひょこのひょうひゅひょっひぇふれ」

 

「ひゃめひょいひゃひょうぎゃひいひょひぇるみぇっひょひゃん…きゅひにょにゃひゃぎゃひゃけひゃう…」

 

 朝、昨夜の当直で睡眠不足の目を擦りながら食堂に行くと、そこには大きな人だかりが出来ていた。その多くはまだリード隊に入ってから日が浅い者や、この基地の兵が殆どだ。

 

 興味本位で覗いてみると、其処には、昨日帰港した後に見たときから五倍ほどに腫れ上がった顔に包帯をぐるぐる巻きにし、ミイラ男のようになった雑用の二人組が向かい合って理解不明な言語を発しながらおにぎりと、目玉焼きを齧っていた。

 

「お…おいキンドロ…どうなってんだこりゃ?」

 

「ようブレーンバスター。こいつら今日の朝に少佐に訓練を頼んだらしいぜ」

 

 人の輪の外側で非番の上官たちと飯を食いながら、楽しそうにその様子を見ていた同じく非番のキンドロに声をかけると、相変わらずのとんでもない間違い方で飄々と返して来やがった。

 

「人の名前を豪快なプロレス技の名前みたいに言うんじゃねぇ!俺の名前はブレンダンだ!!」

 

 一通りいつもの流れと思ってツッコミで返しながら改めて二人の顔を見る。少佐の訓練の結果というその顔に思わず背筋がぞっとした。二人の顔はいかに少佐の拳とはいえ、何発食らえばこうなるのかわからない状態だった。

 

「…一応聞いておくが、大丈夫か?」

 

「ひゃいひょうふれひゅ」

 

「ひょれはひゃいひょうふひゃひぇぇっひゅ…」

 

 ダメだ。なんて言ってんのかさっぱりわからん。

 

「ピンク頭の方が『大丈夫です』モーガン元大佐の息子の方が『オレは大丈夫じゃねぇっす』って言ってるぜ」

 

「お前はなんで分かるんだよ!?」

 

「勘だぜ。ちなみにさっきのはキノコ頭が『おいコビー、そこの醤油取ってくれ』ピンク頭が『やめといた方がいいよヘルメッポさん。口の中が焼けちゃう』だ」

 

『ひょれでふ』

 

 …もうこいつには何も言うまい。謎の才能を発揮し、二人の言葉を完璧に訳したキンドロにその場にいた全員が感嘆の声を漏らす。

 

 つーかどう見ても大丈夫じゃない。醤油を付けただけで口の中が焼けるってどんだけ口に中が切れてんだ?訓練とはいえ流石に少佐もやり過ぎじゃ無いのか…?

 

「…お前がくだらねぇ誤解をしねぇように言っておくが、何も少佐はこいつらをわざとここまで痛めつけたわけじゃねぇぞ?」

 

「…どういう事だ?」

 

 心を読んだかのように言ってくるキンドロに聞き返すと、ピンク頭のコビーが口を開いた。

 

「ひょうひゃにはにゃんどみょみょうくんりぇんはひょわりだっひぇひわりぇひゃにょでひゅが、びょくたひぎゃひつひょくひょにぇぎゃいひひゃのひぇふ」

 

「たひをふけるにゃ…ひょれはひょまえのひょばっひりひゃー…」

 

「キンドロ、翻訳してくれ」

 

『少佐には何度ももう訓練は終わりだって言われたんですが、僕達がしつこくお願いしたのです』

 

『達を付けるな。俺はお前のとばっちりだ。あとブレーンバスター死ね』

 

「おい!?最後それ絶対言ってねぇだろ!」

 

 キンドロが勝手に付け加えた訳にツッコミを入れながら、どこか少佐を疑ってしまった自分を恥じた。あの心優しい少佐が好き好んでこんなことをするはずがない。

 

「やっと分かったかよこのバカーンバスター」

 

「悪かったよ!でもなんだよバカーンバスターって!?」

 

 

 

「皆おはよう。今日は随分と賑やかだな」

 

 

 

 今日で早くも今日で四度目を数えたツッコミをキンドロに入れたところで、出し抜けに食堂の扉が開き、いつも通りの制服を着た少佐が入ってきた。

 

 咄嗟に全員が立ち上がり、統率された敬礼で迎えたが、扉から現れた少佐の姿に全員が目を奪われた。今日の少佐は珍しく正義の文字が入ったコートを着ておらず、半袖の制服からは白い肌が見えていた。

 

 そして何より目を引いたのはシャワーを浴びてきたばかりなのか、少しまだ濡れた髪だった。それを見た俺を含む何人かの兵が醸し出される妙な色気に、思わず息を飲んだ。

 

 こんな姿の少佐など、まず見ることはできない。いつもは長袖のインナーの上に制服を着込み、肌が見えることはほとんどありえない上、少しとはいえ髪が濡れている少佐の姿など、まず見ることはできない。もうすぐ朝食の時間が終わってしまうから少し急いでいたのか、そんな疑問がふと頭に浮かんだが、あの厳格な少佐の事だ。そんなくだらない理由でこのような格好のままここに現れるはずがない。

 

「コビー、ヘルメッポ、ここにいたのか。怪我の具合はどうだ?」

 

「ふぁい、ふぉのへいどひゃんへことひゃいれふ」

 

「ほ…ほれも!」

 

「『はい、この程度なんてことないです』と申しております。ヘルメッポの方はそれに対する同意を」

 

「そうか、それならば良い」

 

 指定席となっている一番端のカウンター席に腰をかけながら二人に声をかける少佐を見て、漸く少佐がなぜこのような珍しい格好でこの場に現れたのかが理解できた。

 

 少佐は訓練で傷付いた二人をわざわざ見舞いに来たのだ。何時もではありえないこのような姿を部下の前に晒してまで急いで探して来たのだろう。

 

 つーか羨ましい…少佐に心配される雑用コンビも、なぜかいつの間にか少佐の隣に立って側近のような顔をして通訳をしているあのキンドロも!

 

「ひゃので…ひゃひたもひょねがひひたひまふ」

 

「ほ………ほれも…」

 

「『なので、明日もよろしくお願いします』と申しております。ヘルメッポの方も同じく同意を」

 

 キンドロが訳した言葉に、思わす俺は息を飲んだ。これには少佐も驚いたらしく、目を丸くしている。

 

 ただでさえボロ雑巾のような姿なのにもかかわらず、まだこれ以上の訓練を…?

 

 誰もがそう思った。そんな時、少佐がぽつりと呟くように尋ねた。

 

「…本気か?」

 

「ひょ…ひょんきれふ!ぼくりゃは…ふよくなりひゃいんれふ!!」

 

「………!!」

 

「『本気です、僕たちは強くなりたいんです』と申しております。ヘルメッポは見たとおり首肯を」

 

「…分かった」

 

 少佐の言葉に、数名の兵からどよめきが上がる。まさか許可が下りるとは誰も思ってはいなかったのだ。これには誰もが思わず少佐に目を向けるこれ以上体に負荷をかければ間違いなく二人とも命さえ危ういかもしれないからだ。

 

「その代わり、実戦訓練は二日に一回だ。明日は何か別の訓練を行う」

 

「ひぇつの?」

 

「あぁ、明日までに考えておこう」

 

「ひゃ…ひゃい!ひょめいわくひょひょきゃひぇひまふ!」

 

「『はい、ご迷惑をおかけします』と申しております」

 

 キンドロが訳した雑用の声を聞いて少佐は満足げに頷くと、椅子を回し、カウンター越しに給仕のおばさんに幾つかの品を注文し始めた。

 

 その様子を見て、俺もまだ何も注文していないことに気がつき、慌てて少佐の座る席から少し離れたカウンターで品を注文する。立ちっぱなしだった兵達も食事を再開したようで食堂には再びスプーンやフォークが食器を鳴らす音が響いている。

 

「あいつら頑張ってんなぁ、センパイ?」

 

「そのあいつらをダシに使って少佐と楽しそうにおしゃべりしてたのは誰だ?」

 

 カウンターに立ち、今日の朝食をおばちゃん特性おにぎりに決めて注文しているとすぐににやにやと笑うキンドロに声をかけられた。

 

「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇぜ。俺は困ってる少佐に奴らの言語を人間の言葉に翻訳して差し上げただけだぜ」

 

「どうだか…」

 

 隣から顔をのぞかせ、軽口を叩くキンドロを横目で睨みながら言った。

 

「かはは、怒るな怒るな。それより、早く食わねぇと、交代が近いんじゃねぇの?」

 

「は…あぁ!?あと十分しかないじゃねぇか!」

 

 キンドロの声に促され、時計を見ると、時計の針は海岸の警備交代の十分前を示していた。

 

「おばちゃん!ごめんおにぎりキャンセルで!もう行かないと!」

 

「ありゃ、急いでるのかい?それなら包んであげるから四十秒だけ待ちな!」

 

 あ…ありがてぇ…。

 

 おばちゃんの提案に心から感謝した。危うく朝飯を抜いて警備に当たらなければならないところだった。

 

「それじゃ、お仕事頑張れよセンパイ。俺は非番の自由をずんぶんに楽しむとするぜ」

 

 言い残してキンドロは足早に去って行った。

 

 何がしたかったんだ…あいつ?

 

 廊下へと出て行くキンドロを見送り、それからきっかり四十秒で出来上がったおにぎりを受け取って自分も外に出た。

 

 あぁ、朝からツッコミ詰めでどっと疲れてしまった。しかしこれからは警備だ。最近この近海に現れた麦わらとかいう新興海賊団があのクリーク海賊団と事を構えた、という眉唾ものの通信が昨日フルボディ伍長から入っていた。

 

 その通信の真偽はともかく、どうやらこれからこの海は少しばかり荒れそうだ。

 

 これから始まる警備の任務を前に、俺は昨日通信士から聞いた情報を反芻し、気を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎

 

 あぁ…やらかしたぁ…。

 

 夜、今日の仕事が全て終わった私は、食事とお風呂を済ませて部屋に戻っていた。今は一人反省会と称し、ベッドで横になりながら一人今日の朝の失態に喘いでいるところだ。

 

 まさかコビメッポコンビがあれほど粘ってくるとは思わなかった。最初の一発を入れた後、しばらく私は同じ力で彼らの攻撃にカウンターで相手をしていたが暫くすると、当然ながら彼らはやがて動きがどんどん鈍っていった。

 

 私はその時にも訓練の終了を告げたのだが、彼らはとにかく食い下がった。だから私は攻撃の質を変えた。前まではある程度固めた拳で軽く吹き飛ばしていた攻撃を、柔らかく脱力した拳で、衝突の瞬間も拳を固めず、パチンと弾く複数の攻撃を一度にまとめて当てる攻撃にしたのだ。

 

 しかし、彼らの身体を心配したその措置こそが悪手だった。確かに彼らの体に蓄積されるダメージはほとんどなくなったものの、言うなれば平手打ちに近い攻撃のその性質のせいで、彼らの顔面はいつの間にか訓練開始前の数倍に腫れ上がっていたのだ。

 結局訓練は、彼らの目が腫れでほとんど塞がり、前が見えにくくなったことで終わりを告げた。

 

 どう考えてもやりすぎた。

 幾ら彼らが何度も向かって来たとはいえ、もっと早く終わらせる手段もあったはずなのだ。

 

「あーもー!私の馬鹿ーッ!」

 

 ベッドに伏せたまま、枕に顔を強く押し付けて叫ぶ。声はほとんど枕が吸収してくれているおかげで部屋の外にまで聞こえるような声にはなっていない。

 

『…!』

 

 しかし、私の声に驚いたのか、ベッド脇の机の上で眠っていたエスカルさんはぷよぷよの体をびくんと揺らしながら閉じていたその目を開けた。

 

「あ、ごめんねエスカルさん。ちょっと色々あって…」

 

『…』

 

 目を開けたエスカルさんは、暫く周囲を見回した後、私をじっと見てから再び目を閉じ、眠りに入った。私はなんとなくその姿が私に向かって気にするなと言ってくれているように見えて、少しだけ吹き出してしまった。

 

 それにしても、コビメッポ君の顔、本当にひどいことしちゃったなぁ…。私たちが小さい頃はよくじいちゃ…ガープ中将にボコボコにされていたけど、あそこまでの顔になる前に意識が飛んだり、林の中や山の木々の中にぶっ飛ばされてそのまま訓練が終わってたからああいう顔になったことはない。

 

 しかし、実際のダメージはほとんど前半の固めた拳によるもので、顔の表面は固めていない拳で叩かれて腫れているだけだからしっかり冷やせば今日の夜にはもう相当腫れは引くだろう。

 それにルフィやエース、それにサボなんかは時々どんなに殴っても数分か数秒でケロっとしている事もあったし、多分コビメッポ君も大丈夫のはずだ。

 

 …そういえば考えてみるとあの異常な回復は一体何だったんだろ?

 

 ルフィならゴムゴムの実の力でなんとなく納得できるが、エースやサボは顔面がボッコボコになった状態からどうやって回復できていたのかさっぱり分からない。

 とはいえ、かくいう私もエースやサボとの喧嘩の後はよく一緒に遊ぶことも多かったし、勝手に回復していたのかもしれない。え、なにそれ怖い。

 

「はぁ…なんかどっと疲れちゃった…」

 

 無意識下で起こっていた謎回復を自覚してしまい、一人で戦慄しながらベッドに仰向けに転がり、口をついて出たため息とともにつぶやいた。

 

 考えてみれば今日は本当にいろいろなことがあった。コビメッポ君の訓練に、船に拘留したままだったC・クロの基地内移送とモーガン元大佐とのファーストコンタクト。加えて町の女の子が海軍に入れて欲しいと門前で騒いでいたのを止めたりと、妙な出来事まで起こった。

 

 あ、どうでもいい話だけど、モーガン元大佐の顎はなんと、当初の予想ではあり得ないと思っていた大穴のロボ顎だった。アレにはさすがにちょっとテンション上がった。だってアレ改造すれば絶対ビーム撃てそうだもん。かっこよすぎる。

 

 大佐に会った瞬間思わず昔よくルフィと遊んだロボごっこを思い出した。ロボに対して冷め気味だったエースは『ガキ臭ぇ』ってカッコつけて一緒に遊ばなかったけど、なんだかんだ言ってサボはよく一緒に遊んでくれた。いやー、楽しかったなぁロボごっこ。

 

 あ、でもカッコ良かったけど自分がああなるのは絶対嫌。あんなんじゃご飯おいしく食べられない。私はもっと色々な場所のいろんな美味しいものを食べたいのだ。

 

 ちなみに今日の朝食はおばちゃんの特製カレーだった。おばちゃんのカレーは肉多め野菜少なめで訓練の後にはすごく嬉しい。結局十皿程食べてしまったが、おばちゃんはすごく嬉しそうだったから問題無い。

 

 それにモーガン元大佐と会って驚いたことはもう一つ。

 

 モーガン元大佐の腕…本当に斧だったよ…。

 

 ロボ顎にはテンション上がったが、斧ハンド見た時は一気にそのテンションも下がってしまった。

 

 いや、全身を縄でぐるぐる巻きの上、目隠しと猿轡で椅子に拘束されていたからあんまり怖いとは思わなかったけど、本来なら手があるところに私の胴体くらいの大きさの斧があって、肘からは持ち手っぽい突起が突き出ている姿は怖さというよりはある種の痛々しさを感じた。

 

 なにより、あんな腕じゃご飯を上手く食べれない!

 

 私は昔から食事のマナーには割と厳しい方だ。宴や忘年会などのイベントなんかでは特に気にしてもいられないが、日常生活では、部下にも正しい食事の指導をする事もある。私は食事は静かに美味しく楽しみたいのだ。いかに部下達であってもこれだけは譲れない。

 

 それなのに、あんな腕ではマナーも何もあったもんじゃない!

 

 そんな事があり、私はモーガン元大佐と会って、絶対に顎や腕の怪我だけは絶対に避けようと誓った。私の唯一の楽しみである食事だけは、そのまま楽しみたいのだ。

 

 食事といえば、海軍に入れて欲しいと門前で騒いでいた女の子はコビメッポ君の為におにぎりを持って来ていた。かなり形は崩れていたが、愛情のこもった良い形をしていたのを覚えている。

 

 おにぎりは受け取ってそばにいた兵に届けてもらったが、さすがにその女の子…リカちゃんを海軍に入れるわけにはいかなかった。

 

 まだ歳が十一歳らしく、海軍が入隊資格に規定している十五歳にはまだ届かないからだ。かなり食い下がっていたが、療養中のリッパー中佐が不在のため、最も階級が高い私が直接話すと、意外なまでにあっさりと引き下がってくれた。

 

 しかし、その時呼ばれていった私を一目見て一瞬固まった彼女が小さく呟いた『ゴリラじゃない…巨人じゃない…』という言葉は心にグサッと刺さった。

 

 私って市民の皆さんからそんな風に見られてたの?

 

 そういえば、聞こえないふりをしていたがC・クロを二発のパンチでやっちゃった話は帰港する前からこの基地に蔓延していたし、女の身でそれを成したという噂を聞いたら私にあったことのない人の間ではそんな噂が流れても仕方がないかもしれない。

 

 …それにしても…ゴリラって…巨人って…。

 

 これでもまだ夢見る乙女な十八歳なのだ。知らないところで知らない人が『エヴァ・リード=ゴリラもしくは巨人族』という方程式を作ってしまっていると考えると流石に凹む。もうやだ引きこもりたい。

 

 こんな石仮面を被りっぱなしのような私でも、いつかは恋愛もしたいし、子供の頃以来縁がない女の子らしい服とかを着て街に出て見たい。それなのに今の時点でゴリライメージが付いてしまっては、それら全てにおいて敬遠される対象になってしまう。

 

「それだけは嫌ぁ…」

 

 ベッド脇に隠されたクマのぬいぐるみを手繰り寄せ、胸に抱いて再び溜息をついた。

 

 あぁ、こんなんでこの先やっていけるのかなぁ…。

 

 溢れる不安をクマに漏らし、ゆっくりと意識を手放していく。まどろんでいく意識が私を夢の世界へと連れて行ってくれる。

 

 久しぶりに今日は昔の夢でも見たいな…昔のルフィやエース達と過ごしたあの頃の…。

 

 そんな事を考えながら私は意識を繋いでいた糸を切って眠りに落ちた。モーガンやクロの移送はもう三日後だ。

 


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