もうだめだぁ…おしまいだぁ…
全滅した一番船を救出するために進むボートの中、私はひたすらに仏頂面をキープしながら、内心で渦巻く絶望と後悔をなんとか抑えていた。
なんでや!なんで悪い予感だけは当たってしまうんや!
正直もう逃げ出したい気持ちで胸の中はいっぱいだった。遠洋パトロールで基地を出てから一週間。ほとんど休む暇がなかった気がする。初日に基地を出てすぐに私の『何かがやべーセンサー』が早速反応し、それとなく部下達にそれを伝え、戦闘準備を整えてもらうとお約束のように海賊が向こうから現れてしまうのだ。
当然事前に戦闘準備を整えているこの船でなら負けるはずがなく、これまで毎日行われた戦闘は弾薬の消費だけで、怪我人はもちろん、死者も一人も出すことなく戦ってこれた。
しかし、今日はもう夜も更け、今夜はもう出てこないかとたかを括っていたらあっという間にこの状況だ。どうしてこうなった。
それに今回の敵は、かの有名な『クロネコ海賊団』だという。あの旗印や、真っ黒な船から見ても間違いは無いだろう。加えて一番船を丸ごと全滅させたあの男、チラッとしか見えなかったが、なんかどこかで見たことあるような…具体的には三年ほど前の手配書で。
どうでもいいけど、あの船の船首は一体どこ行ったん?
どう見ても岸にぶつけたり、砲撃で出来た損傷でも無く、まるで異常な力で下からもぎ取られた様な痕跡だ。クロネコ海賊団の船といえば黒猫の船首楼が有名だったはずだが、無くなってしまっているため、非常に可哀想な猫になってしまっている。
「リード少佐、もうすぐ上陸可能ポイントです」
舵をとる部下の声に現実逃避を泣く泣く取り止め、前を見据える。今回の私の作戦目標は、倒れた一番船の乗組員及びリッパー中佐を回収し、逃げる事だ。一瞬見えた敵の動きを見る限り、鍛えた部下達ではあるが、あのスピードについていくのは無理な話だろう。
故に、私はまず一人で乗り込む。当然正気の沙汰とは思えないが、これは賭けだ。私がまず話をする。そして互いの損害の大きさを確認し、休戦に持ち込む。最悪戦う、ということになってしまったのなら、私が時間を稼いでいる間に部下たちにはボートで迂回して上陸してもらい、一番船の乗組員の回収を任せるという手筈だ。
正直、めちゃめちゃ怖い。
膝なんて今両手で全力で抑えていなければ、暴れだす勢いで震えるだろうし、胃の奥が酷く痛み、吐瀉物が喉奥からせり上がってくるようだ。
しかし、私がそんな姿を部下たちに見せてしまったら、部下たちは不安がり、まだ見ぬ敵に怯え、要らぬ緊張から傷を負ってしまうかもしれない。
だから、私は引くわけにはいかない。私の後ろには、守るべき部下達が…。
「リード少佐!リッパー中佐が敵に…」
震える膝と込み上げる圧力を抑え、なんとか自分を鼓舞していると、進行方向で燃える炎を見ていると、双眼鏡で様子を伺っていたブレンダン君が悲痛な叫びを上げた。
彼が指差す方向に目を向けると、揺らぐ炎の奥であの百計の丸メガネが右手に付けた刀を振り上げている。私からは炎で見えないがあの下にリッパー中佐がいるのだろう。
…ってやべぇ!冷静に分析してる場合じゃない!
「ブ…ブレンダン君!櫂!櫂ちょうだい!」
「うぇ!?少佐!?」
…なんかブレンダン君の反応が妙だったが、まぁ今はそんなことに構っている暇はない!
「いいから早く!」
「りょ…了解!!」
激しく狼狽しながらようやく櫂を差し出したブレンダン君の手から、半ば奪い取るように差し出されたそれを引ったくり、炎の奥で右手を振り上げる丸メガネに向けて狙いを定める。
『拳骨…
限界まで引き絞った力を全て櫂に込め、放つ。
櫂は狙い通りに丸メガネへ直進したものの、櫂自体の軽さと形状の不安定さからわずかに軌道が本命の頭から逸れ、右手に仕込んだ五本の刀のうち二本を粉砕して、さらに先の浜へと突き刺さった。
ガープ中将に教わって以来、久し振りにやったがうまくいったようだ。中将と違い、砲弾みたいな馬鹿げた重さのものは投げられないが、槍や刀、今回のよう櫂など、棒状かつ軽量なものなら、この通り、拳骨の発射速度で投げることが出来る。
ともあれ、今の一投で確実に敵に気付かてしまったようだ。殺意のこもった視線がビンビン伝わって来る。
もう、後には引けない。
「皆、後は任せた。あいつは私が食い止める」
「やはり一人じゃ無茶です少佐!ヤツは…」
ボートを降りようとすると、部下の一人が顔を青くして叫ぶ。どうやら他の部下達も同じことを考えていたらしく、青い顔して口々に私を止めようと必死に声を上げている。
あ、やばい泣きそう。なんで私の部下はこんなにいい人達ばかりなの?
うん、出来ることなら、私もこのままみんなに泣きつきたいよ。そして一緒に逃げたい。
でも、そんなわけにはいかない。
岸には助けを待つ上司とその部下たちがいる。彼らに背を向けるわけには行かない。海賊と話し、なんとか休戦に持ち込む方法を探らねばならないのだ。
だから、私はボートを飛び降り、狼狽する部下達に向かって告げた。
「ありがとう、大丈夫だ」
「しかし…!」
それでも食い下がってくる部下の皆さん。本当にこんな私についてきてくれるなんて、みんなごめんね。それじゃ、少しだけ甘えさせて欲しい。
「なら、なるべく早く一番船の乗組員を回収して、助けに来てくれないか?」
私の言葉に、部下達はくしゃくしゃなっていた顔を引き締めた。
『はっ!!』
綺麗に揃った敬礼が、ボートを揺らした。部下達の目にはもう不安は無く、一刻も早く助けに来るという強い意思が籠っていた。
その姿に頼もしさと安堵を覚え、急いで進路を変える部下たちに背を向けて私は燃える浜へと腰まで海に浸かりながら足を進める。これから対峙するのはおそらく…いや、間違いなく過去で最も強い海賊だ。
もう怖いだとか、やりたく無いなどと言ってはいられない。そう自分に言い聞かせながら島に着き、炎の壁へと向かう。その奥からは、炎の熱など感じさせないほどに冷たい視線が私の体に突き刺さった。
ええい、頑張れ私!逃げるな私!
逃げちゃダメだ…逃げちゃダメだ…逃げーー
「…なんだ、貴様は?」
逃げたい。
ダメだぁ…顔が怖すぎるよこのおっちゃん。
だってあの目、もう私を人間として見てない気がするもん。まるで養豚場のブタを見るかのように冷たい目だよ…冷徹な目だ…。かわいそうだけどあしたの朝にはお肉屋さんに並ぶ運命なのね、みたいな感じで私を見てる…。
いやいや!ビビるなエヴァ!ここで下がったら私ではなく部下が危ないんだ。うろたえるんじゃあない、海軍少佐は狼狽えないッ!
「海軍153支部少佐、エヴァ・リード」
どうにか平静を装って炎を抜け、海賊の前に立つ。こうしてみると、いつも戦っていた海賊達よりも、身長は割と小さい。160センチくらいしかない私から見ても、あんまり大きく感じない。
なんだろう、遠くから見たら滅茶苦茶怖かったのに、ガープ中将とかボガードさん達とばっかり訓練してたから正直ここまで近づいてみれば迫力も威圧感もあの人達より全然大した事ないような…。
「…俺に、何か用か?」
ひぃっ!?
やっぱ顔怖い!なんかガープ中将とかみたいなどっしりくる圧力は無いけど、じわじわと剃刀を顔に近づけられるような感じだ。
「この島、この浜の状況を見れば、私が何をしに来たかなど、聞くまでもないはずだが?」
落ち着け…落ち着いて素数を数えるんだ…1…3…5…7…9…ってこれ奇数だ!
なんとか自信たっぷりな様子を装いながら周囲を見渡すと、周囲には一番船の乗組員達が倒れ伏している。私はとりあえず一番船の乗組員を回収しに来ただけなのだ。最悪の場合は戦闘も止むなしではあるが、出来る限りそれだけは選択したくない。部下の前では大見得切って出てきたものの、実際にこの重症者多数という現状では痛み分けという結果が互いにとって最も最善な一手だと思う。
「…なるほど、どいつもこいつも舐められたものだ」
いや、待て。お願い待って。なんで回収しに来たって言っただけでそんな静かに怒ってらっしゃる?
私が言い終えた直後、海賊は明らかに身にまとう雰囲気を鋭化し、言った。怖いよ。
やっぱり偉そうに質問に質問で返したのがまずかったかなぁ…一部の人は『質問に質問で返すなァー!』って怒るし、この人もそのパターンだったのだろうか。というか、海賊とはいえ初対面の男と話すとどうにも持ち前の人見知りが発動してしまって上手く話せない。おのれ石仮面。
とはいえ、こちらが海賊相手に下手に出るわけにもいかない。こちらが隙を見せれば海賊はそこをついてくる。あくまで対等に、そして頃合いを見て手打ちを提案するのだ。
その為にはまず、舐めてなんかないですって事をこの勘違い海賊に伝えなければならない。
えぇっと、こういう時はそれとなく自分を下にして相手を持ち上げる…だったっけ?
「舐めてなどいないさ。お前ほどの相手を前に油断など、それこそ命取りだ」
出来た…ッ!
程よく対等感を出しつつ、それとなく自分を一段下げた舐めてませんアピール…ッ!
どうだ、これなら満足だろう!私は舐めてなんかないんだ…ただの人見知りなだけなんだよこのバ海賊ッ!
極度の緊張から内心ではいよいよパニックに陥り始めた私ではあったが、外面だけは無表情のままを保って海賊に告げると、塾考の甲斐あってか、そいつは口角を上げ、口を開いた。
「まぁいい…」
やった…!
勝った!第三部完!
パニックが頂点に達し、なんかもう訳わかんないことを脳内で叫ぶ。
いやいや、落ち着け…落ち着け…後は落ち着いて手打ちを提案するだけ…。
「お前は、今まで見たことがあるか?」
…え?なんて?
出し抜けに投じられた質問に、首を傾げる。
「幾度となく死線を越えた、海賊の恐ろしさを」
なっ…!?
言い終えると同時に、海賊は大きく踏み込み、一気にこちらに向かって駆け出した。
…なんかめちゃめちゃ笑顔で怖いんですけど…。
海賊が歓喜というか、恍惚に満ちたっぽい笑顔を浮かべ、頭を異様に前に突き出し、腕を後ろにぶらつかせた妙な姿勢で走ってくる。
いや、いきなりどうしたん?
その異様な光景に、思わず一瞬目があって速攻でそらした。確かに普通の海賊たちよりは圧倒的に速いが、ボガードさんとかガープ中将の速度を見慣れている私からすると、どうしても遅く見えてしまう。
というか、これはチャンスなのだろうか、今海賊の目の前に拳を突き出せば、いい感じにカウンターが入るには入るだろうが…。
…なんかめっちゃ幸せそうに走ってるから手を出しにくい。
海賊の突然の奇行に引きながらただただ困惑していると、とうとう海賊は私の横を過ぎ去って行った。
…何がしたかったんだ?
私には目もくれず、隣を過ぎ去る海賊を目で追っていくと、海賊は私の背後で止まり、振り返りざまに先ほど櫂でへし折った刀付きの手を、私の首に向けて振り被った。
…ってあっぶねぇ!?
咄嗟にしゃがみこんだ私の頭上を三本の刃が高い風を斬る音を立てながら過ぎ去った。
海賊の一閃を躱すとほぼ同時に、私は態勢を少しだけ変えた。
甘かった。海賊相手に何て愚かな油断を…。
両脚で地面を掴み、低く戦闘態勢を取りながら頭の中で自分を叱責した。明らかな油断だった。今の一撃で死んでもおかしくない程のなんとも愚かな油断。
かつては碌に話も通じず、ただ暴力的な殺気を振りまきながら襲ってくる木っ端海賊達ばかりを相手していた所為で、話の通じるこの海賊にほんの少し気が緩んでしまっていたのだ。
ふつふつと湧き上がる自分への怒りを感じながら右拳を少し引き、身体をそれに引きつけるようにして捻り、力を溜める。目線は敵から外さず、狙うのは確実な急所のみ。
恍惚に満ち満ちた表情を浮かべていた海賊が漸く手応えの無さに感づいたらしく、視線を宙に泳がせる。
『拳・骨…』
何百発、何千発と過去に修練を積み、幾度となく実戦でも放って来た技の名が、口から溢れる。
『…昇竜!!』
技の名を完全に吐き出すと同時、私の身体は小さく折り畳まれた状態から一気に伸び上がる。
力を溜め込んでいた右脚で浜を踏み抜き、これ以上無い程に捻っていた身体を伸び上がりながら元に戻して行く。
そして右脚から発生したエネルギーはそのまま、腰、背骨、肩、肘と各関節の捻りが解放されるたびに加速され、右拳へと集約。
ガープ中将との訓練、海賊達との幾多の戦いで身に付いた一撃は、寸分違わずガラ空きとなった顎への精密な軌道を描き、炸裂した。
直撃の瞬間。拳には骨を粉々に砕き、筋肉を圧し潰す嫌な感触が伝わってくる。
まともに直撃した海賊の身体は技名の通り、真っ直ぐに真上へと鮮血と歯の欠片を撒き散らしながら吹き飛んでいく。
こんな攻撃で終わるはずがない。
確信めいた直感に従い、次の一撃のための体勢に入り、いつかの修行のように全身の力を拳に込めた
落下してくるそいつの目には、まだ力があった。まるで私の渾身の一撃を受けても対して効いていないかのような雰囲気すら感じさせる程に。
『拳・骨…』
再び身体を捻り、力を拳に集約する。既に奴は目と鼻の先まで迫っている。既に拳も限界まで力を溜め切っており、何時でも『破岩』を放つ態勢も完全に整っていた。あとは、奴が射程範囲に来るだけだ。
そんな時、奴の視線の質が変わったことに気がついた。合っていた筈の視線は少し下に向き、一瞬奴の表情が悲しげなものに変わった。
……ちょっと待て。今どこを見てがっかりしやがった?
『…破岩ッ!!』
誰の胸が洗濯板だこの野郎ォ!!
全身全霊渾身の力と怒りを込めた一撃が果実を潰したような、ひどく凄惨な音を立てて海賊の顔面に突き刺さった。
かけていたメガネは粉々に砕け、散った破片が揺らぐ炎を反射し、光の残滓を残しながら闇に消え、持ち主である海賊自身は激しくきりもみしながら炎の壁を突き抜けて浜の奥の森へと、地面を抉りながら、吹き飛んで行った。
全く、本当に失礼な奴だ!
戦いの最後に湧いた怒りが収まらず、内心でぷんすかしながら『海賊』改め『変態』が吹き飛んで行った方向を見る。
変態が通った方向の炎の壁は、吹き飛んだ際に生まれた風圧で一部が消え、森に近い浜には変態が着弾したと見えるクレーターのような爪痕がくっきりと刻まれ、さらに変態が突っ込んだ方向にある森の入り口では、多数の木々が一方向になぎ倒されていた。
…やっばい。流石にやりすぎたかな…?
自分がやらかしてしまった多大な環境破壊を目の当たりにし、冷や汗をかきながら呆然と立ち尽くす。ここが無人島だった為、人的被害は無に等しいが、万が一ここが街中だったらと考えると背筋に冷たいものが走る。
想像してしまった光景を、ぶるぶると頭を振って思考から飛ばす。
何はともあれ、森の先に倒れた変態が起き上がる気配は無い。戦いは終わったのだ。
最初は死ぬほどびびっていたくせにこうもあっさり終わると、どうにも自分に対する気恥ずかしさを感じてしまう。先ほどの変態は確かに威圧感やら殺気やらはこれまでにない程強烈で凶悪なものを持ってはいたが、実力の方は正直言って大したことはなかった。
確かに脚は速かったが、それでもボガードさんやガープ中将の『剃』と比べたらまだまだ遅い。攻撃自体もなんか余裕かまし過ぎてる感が否めなかった。まっすぐ走って来たのになんでわざわざ背後に回ってから攻撃して来るんだろう、まっすぐ来たならそのまま刺しちゃった方が絶対早いのに。いや、あの速度でなら間違いなく刺されないけど。
それに明らかに打たれ弱すぎた。放った技はどちらもガープ中将に訓練の際に放った事があるが、骨を折って吹き飛ばすどころか平然と笑いながら拳骨を返して来た。私の攻撃を二発喰らっただけで倒れるとは、あまりにも身体が脆すぎる。船もだいぶ破損していたし、もしかしたらつい最近、凶悪な海賊に襲われて痛烈なダメージが体に刻まれてしまっていたのかもしれない。
少し森に近づいて変態の気配が完全に消沈した事を確認し、踵を返してリッパー中佐を探す。
中佐は先ほど確認した時と変わらない場所で倒れていた。近づいて呼吸を確認すると、少し浅いが、まだしっかりと力が感じられる呼吸を確認し、ほっと胸を撫でおろした。
『少佐ー!ご無事ですかー!?』
背後から届いた慣れ親しんだ声に振り返ると、怪我人と海賊達を乗せたボートで浜に乗り上げ、浜に炎の壁を迂回してこちらへ駆け寄ってくる数人の部下たちの姿が見えた。
「あぁ、問題無い。それより、リッパー中佐を早くボートに乗せてくれ」
「はっ!」
「あの…少佐、ところであの海賊は一体どこに…?」
浜に足を取られながら駆けてきた部下たちに片手を上げながら声を掛け、背負ったリッパー中佐を先頭の一人に託した。
中佐を背負った一人がボートに向かって歩き出すと同時に、隣に立っていたブレンダン君が口を開いた。どうやらこの場にいる他の二人も同じ疑問を抱いていたらしく、銃を抱えて忙しなく周囲を見渡している。
「奴ならあそこだ。すまないが捕縛を頼めるか?」
『あそこ…ファッ!?』
揃って森の方を見たブレンダン君を含めた三人組が、素っ頓狂な声を上げる。
たはは…やっぱまずかったかな…?
「変態…いや、さっきの海賊を本気で殴ったら飛んで行ってしまってな」
『人間殴って出来る被害じゃねぇ!?』
三人組が揃って森の方を見てツッコミを入れた。
なんかさっきから三人とも息ぴったりだ。仲良しっぽくてちょっと羨ましい。
「まぁ、確実にもう意識はないだろうからいつも通りロープで簀巻きにしてくれるだけで良い。私は残されたものがいないか確認に行く」
『お…お疲れ様でした!』
最後まで息ぴったりな仲良し三人組の敬礼を背中で受け、燃える浜の見回りに向かう。
やれやれ、この後は治療班以外は総出で浜の整備作業だ。
空気が焼けそうなほど熱く熱された浜を歩きながら、私はこれからやらなければならない海賊達の拠点の後片付けに、小さくため息をついた。
♦︎
「おい、ビリルビン。タバコあるか?」
「…ほらよ。間違うならせめて人名で間違ってくれ。俺の名前はブレンダンだ」
一番船救出作戦の翌日の夜。俺はいつも通りメインマストの上で同僚のキンドロと共に見張りの任についていた。
無論、今回も名前は盛大に間違われた。
どうやら今日の俺の名前ははいつか船医が言っていた体内にあるセッケッキューだとかいう物質が壊れると出来る成分らしい。いや、どうでもいい話だが。
「おいどうした、今日はやけに暗いじゃねぇか」
「…未だに信じられないんだよ。昨日捕らえた海賊が、捕まったはずの本物の百計のクロだっつーのが」
「あぁ、それか。まぁ、まさかあの細い丸メガネがかの有名な海賊だったなんてな。とても信じられないぜ」
俺の呟きにキンドロは笑いながら答えた。
昨日、リード少佐が捕らえた『百計のクロ』は船の運び込んだ当初こそ顔面の損傷がひどく、とても判別出来る状態ではなかったが、船医の懸命な努力によってなんとか判別出来るレベルに復元された。
そして本部に要請して送ってもらった三年前の手配書と比較してみると、それがほぼ間違い無くかつて処刑したはずの『百計のクロ』であることが判明した。
これには本部も三年間にわたって凶悪な海賊を放置してしまったという失態を重く見たらしく、秘密裏に本部へ移送するようにと命令が下った。
幸いにも時を同じくしてモーガン元大佐の本部移送の日取りが来週に決まり、その船に『百計のクロ』の身柄を同乗させる手筈となった。
一番船の死傷者の件と、舞い込んだモーガン元大佐の本部移送の一件もあり、この船は第153海軍支部へと進路を翻し、早く戻って自ら移送の準備に取り掛かるというリード少佐の意向に従い、全速力で第153海軍支部へと向かっているところだ。
「…それにしても、やっぱ百計のクロってのはとんでもない奴だったんだな」
「あぁ、一番船の奴らが…あんなに…」
作戦を無視し、勝手に先行した一番船は乗組員の約半数を失った。生き残った者達も、多くの者が身体に深い傷を負い、一部の者に至っては『敵が一体何なのか分かる前にどんどん仲間が殺られた』や『見ました…見たんです!目だ…目だけが光っていた』などと隔離した一番船で取り乱したように叫んでおり、心に深い傷を負ってしまっているらしい。
「でも、その百計のクロを、リード少佐はたった二発で倒したんだよな…それも誰も見えなかった攻撃を、一撃も食らわずに…」
「あぁ、ジャンク砲長が双眼鏡で全部見ていたらしいぜ。一日中自分のことみてーに話してた」
リード少佐の戦いの痕跡は、俺もキンドロも少佐を迎えに行った時にまざまざと見せつけられた。
これまでの戦闘は殆ど海上でのものばかりで、少佐の攻撃も敵の意識を奪うだけのものか、サブミッションで骨を叩き折り、戦闘不能に持ち込むだけのものであり、少佐にあれだけの破壊を行う力があることなど、部下の誰も今日まで知ることは無かった。
「少佐って…本当はどんだけ強いんだろうな?」
「さてな。今度訓練の時にでも本気で相手してもらうように頼んだらどうだ?」
「…死ねと?」
「応援してるぜ」
無表情のまま全く感情のこもっていない応援を受けた。くそったれ、同じ無表情でも訓練で時折かけられる少佐の『頑張れ』とは大違いだ。
俺やキンドロを含めたこの船の乗組員はあの言葉一つで一週間は戦える。
「まぁ、いいさ。少佐に訓練をお願いするには俺たちはまだ弱すぎる。早くもっと強くならないとな」
「ん、そりゃ違いねぇぜ。次に陸に居るうちに死ぬほど鍛えておかねぇとな」
珍しく俺の意見に賛同したキンドロと笑みを交わし、それからは互いに背中を向けて逆の海を見張った。願わくば基地に帰投するまで海賊に出会いませんように。疲れて寝室で眠る少佐に少しでも休息の時間を与えて欲しい。