悪運の女将校   作:えいとろーる

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長らくお待たせしまして本当に申し訳ありませんでした!

私生活が非常に忙しかったのと、ヘルメッポの未来がかかる大事な場面だったのとで、ひっじょーに悩んだ結果、まるまる一ヶ月かかってしまいました!

自作はなるべく早く投稿します!


※クロが脱出するところなのですが、改めて見直すとどうしても違和感が拭えなかったので、少し表現を変えました。話の内容的には全く変わりませんので、ご報告のみ、しておきます。


強襲と奇襲

「おい、兄弟。クラッカーは用意できてるか?」

 

「大丈夫だ。いっつもキンドロが荷物に入れてる」

 

「船室の飾りつけ用の紙紐は?」

 

「それもキンドロが終わらせてる」

 

「花冠は……」

 

「さっきキンドロがせっせと編んでたぞ」

 

「あいつ何でも持ってるな……」

 

 

 

ジャンク砲長がリード少佐の本部招集というとんでもない知らせを持ってきてから、およそ10分が過ぎた。

 

俺たちは引き渡しの行われるガープ中将の船に乗り込み、甲板で整列の位置の確認や、各自の武器の整備など、これからすぐに行われる引き渡しの準備を進めている。

 

 

 

 

 

……はずなんだが、黒猫海賊団の残党の襲撃を想定し、砲兵達が待機しているはずの甲板下の砲列甲板からはどこか気の抜けた同僚達の陽気な声が響いていた。

 

その理由は彼らの話を聞かずとも十分に既にわかっている。

 

彼らはこの引き渡しが終わった後に開催される予定の『リード大佐の昇進記念パーティー』の会場設営の算段をつけているのだ。

 

ジャンク砲長がリード大佐の大幅な昇進という朗報を持ってきてからまだ10分ほどしか経ってはいないが、既に兵卒達は東の海一と謳われるリード隊の連携を盛大に無駄遣いし、パーティー開催という報せを大佐に知られない様に水面下で連絡をつなげており、既にその報せは大佐と一部の上官を除いて、

リード隊全員が知っている。

 

それもこれも、全てまさに今、目の前で愛砲の整備を念入りに行っている憎き同僚の所為だ。

 

「よぅ、バンババン。これからモーガンの引き渡しだってのにずいぶんテンションが低いじゃねぇか」

 

「はぁ…今ので三倍テンション下がったぜ」

 

今日も今日とて、とんでもない名前で俺を呼びながら、キンドロが背に愛砲を背負って近づいて来る。

 

こいつが呼ぶ今回の名前もわけがわからない。

バンババンって、少しアクセントを変えると人の名前にも聞こえなくない単語だ。例えば漢字に直すとしたら番場 蛮とか、そんな名前になるかもしれない。いや、本当にどうでもいいけど。

 

「これから重要任務だってのに、お気楽なもんだと思ったんだよ。これから引き渡すのは海軍の汚点と懸賞金一千万超えの大物だろ?」

 

「まぁまぁ、ああ見えてあいつらもリード隊の一員だぜ? 仕事ン時はしっかり切り替えるさ」

 

「そう言うもんかね…」

 

キンドロの言っていることは正しい。

確かに、このリード隊の面々は仕事と平常時の顔がはっきりと分かれている。水平線上に海賊の姿も見えない航海時は、まるで自分たちが海賊になったかの様に甲板で歌ったり、休んでいたり、遠巻きに大佐を愛でたりしているのにもかかわらず、リード大佐の『海賊の匂い』という鶴の一声を受けると、即座に戦闘態勢に移り、容赦無く海賊船を撃沈するのだ。

 

仕事とプライベートのメリハリがはっきりしているというのは隊にとっては非常に良い事だし、張力ギリギリに緊張の糸を張っておくよりは程よく気を抜いておく方が良いというのはわかってはいるが、なぜか今は、この雰囲気が不安で仕方がなかった。

 

「…不安か?」

 

そんな俺の心を見透かすかの様に、キンドロが声を潜めて囁いた。

 

「いや、別に……」

 

「隠すなよ。今回ばかりはこの俺も少し、不安を感じてんふぁ」

 

キンドロが続けた言葉に、思わず心臓がどきんと跳ねた。

 

キンドロの勘はよく当たる。

無論、大佐の未来予知に近いそれと比べると明らかに劣るが、それでも兵卒の中では明らかに図抜けて強いキンドロの戦闘時における勘の鋭敏さは、誰もが知る所だ。キンドロのそんなキンドロが自ら不安を口にした事が、俺のの心に渦巻く不安を、より一層不気味なものに思わせた。

 

良く見れば普段ならばダラダラと惰性に行っている愛砲の整備にも熱が入っているように思える。

 

「今は下で騒いじゃいるが、あいつらもリード隊の端くれだ。この妙な胸騒ぎには薄々感づいてると思うぜ」

 

「そうか……それなら良いんだが…」

 

『うぉらてめぇら!!何サボってやがる!』

 

『げぇっ!?砲長』

 

キンドロが零した言葉に半分胸をなでおろしかけた瞬間、突然床下からジャンク砲長の怒声と先ほどまで騒いでいた同僚たちの悲鳴が上がり、小気味良いゲンコツの音が幾つか連なって響いてくる。

 

「…大丈夫……なんだよな?」

 

「……さてな」

 

明らかに気まずい空気が流れる中、つい口から溢れた俺の問いに、キンドロは分かりやすく目を逸らして答えた。

 

 

 

引き渡しまで、もう時間が無い。

 

嫌な予感は、その時が近づくにつれて、少しずつ大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

「今回の引き渡しではガープ中将殿が直々に罪人の確認をなさるということですので、リード大佐、補佐官をお願いしてもよろしいですかな?」

 

「あぁ、構わない」

 

私の昇進が決まっておよそ半時。乗り込んだじいちゃんの船の甲板ではすでに完全に引き渡しの準備が整っていた。

 

私とじいちゃんとボガードさんは引き渡しの準備が終わるまでの間を使って、甲板の指揮をそれぞれの船の部隊長や副官に任せ、輸送船の指揮官であるロッカク大尉を交えて船首楼で引き渡しの流れを確認している。

 

今はじいちゃんがサプライズと称して秘密にしていたせいで予定が狂ってしまった甲板での立ち位置についての調整を行っていたところだ。

 

とはいえ、本来であれば私が行っていたはずの仕事をじいちゃんと交代し、私はその後ろで控えている補佐官を努めれば良いだけであるため、調整は実にすんなりとまとまった。

 

正直言って今回のじいちゃんの行動は本当に助かったと思う。

二人の大罪人の引き渡しにおける最高責任者という重圧からの解放や、モーガンとクロの目の前前に出なくても良いと言うのは、私にとって非常に嬉しいことだった。

 

モーガンにしてもクロにしても、一度対面しただけでもう二度と目の前に立ちたく無いくらい怖かったのだ。

クロの場合は実際に戦場で拳を交えて知った、歴戦の海賊が放つ重圧はさることながら、明らかに戦った時以上の実力を隠しているのは十分に分かっているし、モーガンに至っては右手が斧だし、デカイし、顎ロボだし、右手が斧だし、見た目ゴリラだし、右手が斧だし、とにかく出来れば目の前に立つことは避けたかった。

 

そんな私の思いを知ってか知らずか、じいちゃんは最高責任者のポジションを快く代わってくれた!

私が中将と大佐の責任の重さの違いをつらつらと語ったり、私が頼んでも『めんどくさい、ヤダ』とゴネるじいちゃんをボガードさんがお説教したりという場面もあったが、とにかく代わってくれたのだ。

 

「では、確認も済みましたので私は甲板の指揮に戻ります。引き渡しの件、くれぐれもよろしくお願いします」

 

そんな流れで話し合いは無事に終了し、ロッカク大尉は船室を出て甲板へと戻っていった。恐らく甲板では私の隊の皆も既に準備を終えそれぞれの持ち場について次の指示を待っている頃だろう。

 

「それじゃ、じいちゃん、私も甲板に戻るね」

 

「あァ、待てエヴァ。お前にはまだ話がある」

 

「話…?」

 

甲板に戻ろうとして船室の扉に手をかけると、先ほどまでの戯けた様子のじいちゃんの声から一転して真面目な雰囲気を含んだ低い声に呼び止められた。声に誘われて振り返ると、その表情にはいつもの戯けたじいちゃんは居らず、海軍中将としてのガープ中将が、そこには座っていた。

 

「…輸送船には、モーガンの息子が乗っているという話を聞いたが、真実か?」

 

「…うん。名前はヘルメッポ。輸送船の雑用で、私が稽古をつけてた兵の片割れだよ」

 

「そうか、あやつか……」

 

じいちゃんが放つ雰囲気に飲まれた私が自然と伸ばす背筋と、強張る声にも構う様子はなく、じいちゃんは噛みしめるように、そうか、と一言零し、腕を組んで何か考え事をするかのように俯きながら、ただ黙した。

 

「エヴァ」

 

「…なに?」

 

十秒か、はたまた一分か、もっと永くすら感じられた窓の無い船室の中に充満した重苦しい沈黙の果てに、じいちゃんが声を発する。

 

「あやつがお前の部下であり、弟子だと言うのなら、お前は奴に教えにゃならんことがあるぞ」

 

「教えなきゃいけないこと?」

 

「わしらの仕事を、じゃ」

 

「私達の…仕事…」

 

じいちゃんの零した言葉を、奥歯で何度も噛みしめるように、頭の中で反芻した。

『私達の仕事』、それが単純に海兵としての任務を指しているわけでは無いことは、容易に理解できた。

普段は破天荒さを絵に描いたようなじいちゃんだが、時折こういう真面目な顔をした時の思慮深さは、私なんか足元にも及ばない。

だからこそ、じいちゃんの真意は他にあると頭ではなく経験から理解出来た。しかしそのぼんやりとした真意の陰に気づくことはできたものの、それの正体が果たして何なのか、その答えに私はすぐに辿り着くことができなかった。

 

「ーーまぁ、これはお前自身にも必要なことじゃ。時が来れば、おのずと分かるじゃろう」

 

じいちゃんの言葉に返す言葉が見つからず、黙り、答えを探していた私の姿に煮えを過ごしたのか、じいちゃんはにっと笑って私の背をポンと叩いた。

 

「私も?それってどういう…」

 

「わしからはこれ以上教えん。自分で学ばねばならんことじゃからの」

 

そこまで言ってじいちゃんは、じゃあの、と短く言って船室を出て行った。

 

「私達の仕事…か」

 

じいちゃんが言った『私達の仕事』の本当の意味は何なのか。

 

私は誰もいない船室の中でそばにあった椅子に腰掛けながら、それだけを部下が声をかけにくるその時まで、ただ悶々と考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

『これより罪人、元海軍153支部大佐、斧手のモーガン及びィ!海賊、百計のクロの引き渡しを執り行うゥ!全員整列ゥ!!』

 

護送船の指揮を任されているロッカク大尉の声が連結した三隻の船に朗々と響く。砲列甲板での整備を終えた僕らは、今度は引き渡しの警護としてガープ中将の船に乗り込み、船の縁に沿うように整列した兵達の中で、護送船の甲板にいるモーガン元大佐が護送船から連れられてやってくるのを、ただじっと待っていた。

 

隣に立つヘルメッポさんの表情は当然暗い。

当然だ。彼にとってはこれが文字通り、今生の別れとなるからだ。立派な海兵らしく在ろうと必死で顔を上げ、ガープ中将の隣に立っているリード大佐の背中に書かれた『正義』の文字を見つめてはいるが、その目には隠しきれない悲しみが、大粒の涙となって瞼の上で震えていた

 

『罪人を、引き渡し船へ連行するゥ!』

 

大尉の声とともに、複数の鎖が繋がれた音が響く。その音にヘルメッポさんとほぼ同時に顔を弾かれ、護送船を見ると、船と船の間にかけられた簡易的な橋の上をモーガン元大佐が十数人の海兵に周囲を固められながら、歩いてくるのが見えた。

 

モーガン元大佐は、約一ヶ月前に見た時よりも、はるかにやつれていた。以前の自分主義で生きていた頃から考えると、それも当然なのかもしれない。しかし、元々凄まじい迫力だった眼光は、やつれた所為で飢えた獣のような迫力を備え、はるかにその威圧感を増していた。

 

「…ッ!」

 

僕らの目の前を通り過ぎる一瞬、全く同じタイミングでモーガン元大佐と百計のクロの目が僕らに…いや、涙を浮かべ、僅かに震えるヘルメッポさんに向いたような気がした。

 

一瞬過ぎてよく分からなかったが、その目は、まるで何かを見定めるような目だった。僕の胸に溶けた鉛のように重い不安感が流れ込む。

 

…何かがまずい。

 

不安感は何か予感めいたものになって僕の胸に広がった。

 

…この引き渡し…何か嫌な予感がする。

 

『止まれェ!改めて罪状を読み上げる!先ずは罪人、モーガン元海軍153支部大佐、斧手のモーガン!この者は絶対的正義を生業とする海軍大佐という立場にありながらァ、その立場にあるまじきィ…』

 

モーガン元大佐とクロのそばに立っていた大尉が手にした目録をガープ中将に向かって読み上げる。しかし、さすがは海軍の英雄と言うべきか、奇妙な犬の被り物で顔はよく見えないが、ガープ中将は二人の極悪人の前に堂々と立ち、二人の眼光にも全くひるむ様子は無い。

 

その背後に控えているリード大佐も同様だ。囚われた二人を前にしても油断など欠片すら見せず、鋭い眼光で二人の罪人を睨みつけている。

 

「Zzzz…」

 

しかし、さすがと言うべきはガープ中将だ。あの二人を前にしても鼻ちょうちんを大小させるパフォーマンスすらやってのけている。さすがは海軍の英雄。この状況でそこまでリラックスできるとは……ってこれ危ないんじゃ…ッ!?

 

どう見ても爆睡しているガープ中将を見て、不安感が一気に膨れ上がったまさにその瞬間、僕の胸中に渦巻いていた予感は的中した。

 

「ぬゥえい!!」

 

声が速いか、それともモーガン元大佐の斧が疾いか、その暴挙に僕の目が追いついたのは、モーガン元大佐が高く大斧の右腕を振り上げている姿だった。

 

『ガープ中じょ…ッ』

 

僕より早くその動きに気づいた誰かが叫んだ。見れば本部の海兵は既に何人かがモーガンと中将の間に割って入ろうと、向かって駆け出している。

 

しかし、いかに本部の海兵でも振り上げ、あとは振り下ろされるだけの斧よりも速く二人の間に割って入れる筈はない。

 

中将が咄嗟に起きて逆にモーガンの斧を叩き折ってくれる、という夢のような展開に一縷の望みをかけるも、中将の被り物の下からは完璧な曲線を描いた美しい鼻提灯が風に揺れている。

 

ダメだ、殺られる。

 

これから一瞬の後、中将が切られて鮮血を上げる姿が予感のように脳裏に浮かび、僕は咄嗟に目を閉じた。

 

その刹那だった。

 

僕が目を閉じるとほぼ同じタイミングで、まるで小さな爆弾が爆発したかの様な爆音と振動が、甲板の板から足を駆け上がってくる。

 

一体何が…。

 

そんな疑問さえ頭に浮かばない内に、再び僕の耳に異常な音が飛び込んできた。

何か太い材木を力任せに叩き折ったかの様な、スイカ割りで力を入れすぎて持っていた木の棒が折れた時に様な、そんな音が響いたのだ。

 

そしてさらに音は重なって反響を強める。

 

『う…うぐぁあああぁああぁ!?』

 

野太い男の悲痛な慟哭が響く。

 

その声は、僕の耳には覚えがある声だった。

 

ひと月前に聞いた声。見た光景。人生の転機となった日の、その全てを覚えている僕にとって、その声は絶対に間違うはずが無い声だ。

 

『拳・骨……』

 

閉じていた目を開き、僕が見たのはそこから先の光景だった。

 

右腕についていたはずの大斧を肘の辺りから失い、血を噴き出させるモーガンと、ガープ中将とモーガンの間に立つリード大佐。

痛みに喘ぎ、体をまるめようとしているモーガンに対し、大佐は右脚を天高く突き上げる上段足刀蹴りの体勢から、瞬時に立て直し、モーガンの顎のほぼ真下に低い体勢で入り込んで訓練の際に何度か見た技の構えに移っている。

 

僕とヘルメッポさんは、この技を稽古の際にも何度か見せてもらったことがある。あの時は単なる素振りだったが、それでも拳が描く軌跡の先を吹き飛ばすような速度と重みを持って放たれる拳が生み出す拳圧は、僕らの常識とは遠く離れた次元にあるものだった。

 

そんな凶悪な威力を秘めた左拳を引き絞った小柄な大佐の身体は既にモーガンのか懐まで潜り込んでいる。後はその左拳を圧縮した力の渦から解き放つだけだ。

 

「おや…ッ」

 

『昇竜!!』

 

そして充分に力を溜め切った大佐の拳が放たれる。

確実にモーガンの顎に着弾したその拳は、蚊の鳴くような声でつぶやいた誰かの声を掻き消し、ぐしゃり、あるいはがしゃんと、とても人間と人間がぶつかり合って発生したとは思えない音を船上に響かせた。

 

空に鮮血が舞い、砕かれた顎の鉄屑の欠片が、海へと消える。

 

訓練の時に見たものと同じ、完璧な軌跡を描いて放たれた大佐の拳は、噴火の時に放たれる火山弾のような勢いでモーガンの顎へと殺到し、鉄で覆われていた顎を容易く粉砕していた。

 

拳を叩きつけた相手の巨体と、大佐が使った拳が利き手ではない分威力が削がれたのか、モーガンの身体が噂で聞いたC・クロのように天高く吹き飛ばされることはなかったが 、それでも、一撃はモーガンに残された力を断ち切るには十分な威力だったらしく、その巨体は後方へと弾かれ、船の外板近くで硬い甲板へとその身を沈めた。

 

「なんて…」

 

「親父…」

 

何て威力だ、とてつも長く感じた一瞬の捕縛劇の衝撃にその言葉が続かず、大佐が放った拳の威力にただ戦慄していると、隣から蚊の鳴くような声が僕の耳に届いた。

 

「親父ィ…」

 

隣で声を漏らしていたのは、ヘルメッポさんだった。倒れ臥しながらも未だ立ち上がろうとしているのか、残された左腕で甲板を探るモーガンの元へと、ヘルメッポさんはふらふらとした頼りない足取りで向かおうとしていた。

 

「ダメだよヘルメッポさん!!」

 

咄嗟にヘルメッポさんの腰に抱きつき、その動きを制止する。

 

「放せよコビー!畜生!!」

 

「うわっ!ヘルメッポさん!?」

 

制止も虚しく、ヘルメッポさんは僕の腕を振り払ってリード大佐とモーガンのそばに向かって駆け出す。

 

「親父!なんで…何でこんなことを…!」

 

「ヘ…ヘル…」

 

ヘルメッポさん、そう呼びかけようとした僕の声は、その時不自然に耳に届いた金属音と、その音に導かれて向けた視界の奥で起こった出来事の衝撃で、瞬時にかき消された。

 

何か重いものが甲板に落ちる音と、それと同じタイミングで鳴り響いた金属製の鎖が地面に落ちる耳障りな金属音。その音に導かれた僕の目に入ったのは、大佐とモーガンの奥で連行を待っているはずのC・クロの姿だった。

 

しかし、そのC・クロの姿はつい数分前に見た時のそれとは明らかに異なっている。

ヘルメッポさんに戦場の海兵全ての意識が向くその時を待っていたかのように、モーガンの鎖と錠で繋がっていたはずの両手両足は解き放たれ、自由になったその右脚で錠を持っていた海兵をしたたかに蹴り飛ばしていた。

 

「なッ…!?」

 

その瞬間を目撃し、僕が声を上げるより早く、船室の壁にたった今蹴り飛ばされた海兵の身体が叩きつけられる。

 

そして、その音に紛れながらクロは動く。

 

海兵が叩きつけられ、船室の壁が盛大な音を出すと同時に、クロは一人の人物の元へ一瞬のうちに肉薄し、その人の腰から拳銃を抜き取って後頭部へと突きつけた。

 

「てめェら全員動くなァ!ガープの頭を吹っ飛ばされたくなけりゃ武器を捨てて床に伏せろォ!」

 

戦場に響いたクロの声は、その場にいた海兵の体を凍りつかせた。輸送船のロッカク大尉をはじめとした乗組員はもちろん、本部受け渡し船やリード隊の面々も一様に驚愕の表情を浮かべていた。

 

「形勢逆転…といったところだなァ、エヴァ・リード。一度は捉えていい気になっていた海賊に出し抜かれるのはどんな気持ちだ?」

 

「出し抜かれ……あぁ、まぁそうだな。この展開は流石に予想できなかったよ」

 

体の中に渦巻く愉悦と全能感を全て表に出したような表情で語るクロが大佐に向かって声を上げると、大佐もこの状況に困惑しているのか、いつもとは違い、戸惑うような表情で返した。

 

「ククッ……何をしている、さっさと武器を捨てろ!こいつの頭を吹っ飛ばされてェのか!?」

 

「あぁ、少し待て。全員武器を捨てろ」

 

武装解除を要求するクロの声に圧され、大佐は側にいたガープ大佐の副官と思しき人物と少し謎のアイコンタクトを取ってその場の全海兵に武装解除の命令を下した。

 

そのごくあっさりとした決断に船のあちこちから困惑のと悔恨の声が漏れる。僕自身、この状況に思考が全く追いつけずにいるのだ。明らかな機器のはずのこの状況で、なぜかリード大佐や本部の海兵の方々も異常に落ち着いているように見える。

 

「さて…それでは次だ。小娘、そこでみっともなく倒れている斧手…いや、もう斧手とは言えないな。モーガンを解放しろ」

 

要求の通り、武器を捨てた僕らに対してクロが告げたのは異常な命令だった。

 

『大佐を…!?なんで海賊が……】

 

誰かがつぶやいたそれに似た声が輸送船の海兵達からぽつぽつと上がる。クロが告げたのはそれほどに異常な命令だったのだ。海賊が元とは言え海軍将校の解放を要求する。そんな命令など、今まで聞いたことがない。

 

しかし、そんな疑問は次に上がった声によって最悪の形で解消されることになる。

 

「ゥ……ぐ…ふ…はは…」

 

船上に上がったのは低い声の男の水気を含んだ笑い声だった。場の空気に飲まれ、最初は全く耳に入らないような小さな声だったが、徐々にその声が大きくなるにつれ、それが男の笑い声であることが理解できた。

 

「お…親父?」

 

その声にいち早く反応したのは、すぐ側にいたヘルメッポさんだった。声は割れた顎や口内からの出血で酷く聞き取り難いが、その声は明らかに、モーガンのものだ。

 

「ぐぶっ…ナ゛にをじデる…おでをばヤぐだたぜろぎザマら…えるべっボォ!」

 

徐々に声に勢いを増すモーガンは、ガクガクと震える手をヘルメッポさんに向けながら、周囲に怒声を飛ばす。

 

なんと恐ろしい執念だ。

 

その場にいた海兵達の思いは、それに集約されていたと思う。全身血まみれになりながらも、生きる為か、それとも権力への執着か。もはやモーガンには海兵としての誇りなど一片も見ることはできなかった。

 

「親父…ふざけんなよ親父ィ!海賊と手を組んだのか!?本気で海賊の仲間になりやがったのか!?」

 

「ククク…悪党と悪党が手を組んで何が悪い。奴は罪人で俺は海賊。互いの目的のために利害が一致したなら手を組むのは当然だろう?」

 

膝をついて激昂するヘルメッポさんに対し、クロが見下しながらせせら嗤う様に吐き捨てた。まさに【胸糞悪い】という表現が光景だった。人質をとられて動くに動けない海兵を二人の悪党が嘲笑う。そんな状況に、僕はひたすら歯噛みしながら見守ることしかできない。

友人を嗤われても、尊敬する大佐を嗤われても何も出来ない。それがただ悔しかった。

 

「さぁ、渡してもらおうか。そいつは互いの利益のためにまだ必要なんだ。想定以上にお前に壊されちまったようだが、それでもまだ利用価値は死んではいない」

 

「クソったれ…!絶対許さねぇぞ!!」

 

「待て!ヘルメッポ!」

 

とうとう怒りが限界に達したヘルメッポさんが側にあった銃剣を手にしようとした瞬間、大佐の檄がヘルメッポ に飛んだ。

 

「落ち着け、ヘルメッポ。混乱するな、状況を読め」

 

「…ふん。懸命な判断だ。そいつがそれに手を触れていたなら、まずはそのふざけたキノコ頭に風穴を開けてているところだった」

 

「なぁ、モーガンを渡せば、本当にじい…ガープ中将を解放してくれるんだな?」

 

「あァ、約束は守るさ」

 

「そうか…」

 

大佐はそうクロに確認すると、膝をつくヘルメッポさんとモーガンの側まで歩み寄っていく。本気で海賊にモーガンを引き渡すつもりなのか。僕らを含む輸送船の海兵たちが全員そんな疑問を胸に、成り行きを見守っていると、大佐はヘルメッポさんとモーガンの間で、唐突に歩みを止めクロに向き直った。

 

「海賊、百景のクロ。お前は約束は守ると言ったな?モーガンを解放すればガープ中将を引き渡すと」

 

「…何度も言わせるな!だからさっさとモーガンを解放しろと…」

 

 

「だが、断る」

 

「なッ…貴様ッ…!!」

 

何を思ったか、クロにそう言い放つと、大佐はクロに対して完全に背を向け、モーガンに向かって立ちながら口を開く。

 

「中将が言った言葉の意味が、ようやく分かったよ」

 

「…大佐……?」

 

「よく見ておけヘルメッポ。これが、私達の仕事だ」

 

背後に跪くヘルメッポさんにそう告げると、大佐は下卑た笑いを浮かべるモーガンに向けて再び拳を振り上げた。

 


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