赤い髪の少年と、一人の少女が何かを話していた。
少年の右腕には令呪が刻まれている、という事はおそらく、この少女がサーヴァントということなのだろう。
少女が金色の髪をなびかせ、凛とした表情で赤い髪の少年の目を見た。
「シロウ、近くにサーヴァントの気配が二つあります。
それにここまで響き渡る轟音、誰かが戦っているのでしょう」
「まだ初日だっていうのにもう始まってるのか…」
シロウと呼ばれた、赤い髪の少年が頭を抱える。
彼は過去に一度、聖杯戦争に参加したことがあった。その時に、聖杯というのがどういうものなのかを知ってしまったのだ。
あれは万能の願望実現機などという代物ではない。あれはあらゆる願いを、人を殺すという形でしか実現できない呪われた害悪品である。そんなものを誰にも使わせたくないし、そんなものの為に、誰にも殺し合いなどしてほしくない。
もちろん、今回の聖杯がそうとは限らない。しかし士郎は正常な聖杯など見たことがないし、他の魔術師と比べて魔術的知識も乏しい。
故に士郎の中で聖杯というのは、冬木市にあった物と同様に、呪われた殺人兵器でしかないのだ。
そしてそんな殺人兵器が存在するから、こんな戦いが生まれてしまうのだ。
衛宮士郎の目的は、この戦いが始まった瞬間から決まっていた。
他の者達の殺し合いを防ぎ、聖杯を破壊する。
「行こう、セイバー。
犠牲者が出る前に、この戦いを終わらせる」
「はい」
その為に士郎は戦地へと赴いた。
その胸に、狂ったとまで言えるほどの『正義の味方』という理念を抱いて。
ーーーーーーーー
アーチャーと凛の戦いは未だ続いていた。
(私もまだまだだな、少々相手を見くびっていたようだ!)
アーチャーが苦虫を噛み潰した様な表情で、目の前の敵と相対している。
敵の名は“キング・ブラッドレイ”。サーヴァントではなく人間だ。
しかしその正体は、かつて一国の長を勤めていたという、サーヴァントとして召喚されてもおかしくない経緯の持ち主であった。
しかし、どんな経緯を持っていようと、所詮は人間。
聖杯戦争において人間がサーヴァントを…それも三騎士の一つに数えられるアーチャーを正面から何の策もなしで倒すなど、殆ど不可能と言ってもいい事だ。
…と、そのように、かつて戦った金ぴかの英雄王程の傲慢さは無けれど、アーチャーの中にも多少の慢心が存在していた。
しかしそれは誤りだ、壮大なミスであった。
まず前提として、今回の聖杯戦争は、今までの聖杯戦争とは全く違うという事が頭から抜けていた。
今回の聖杯戦争はあらゆる次元、あらゆる世界からマスターもサーヴァントも呼ばれている。
故に敵は未知数。
どんな能力を用するのかも、どんな思考で戦うのかも、どんな武器を使うのかも全くわからない。
現に相手は、最強の目という未知の能力を持っているのだ。
もう油断はできない…
アーチャーは完全に慢心を捨てた。
だが慢心を捨てても尚、アーチャーは攻めきれずにいた。
それ程にまで敵は強いのだ。アーチャーが攻撃しようと、最強の目という驚異的な動体視力でいともたやすく見切られる。
極め付きはアーチャーよりも優れた剣の腕だ。
アーチャー自体、剣の腕はそれ程優れてはいない、彼は良くも悪くも器用貧乏である。
しかしそれを抜いても、ブラッドレイの剣技は極めて高いと言える。
その腕前は、アーチャーの剣の師ともいえる、かの騎士王にも迫る程だ。
剣技において、アーチャーは一度たりとも師に勝利したことはない。
この戦い、剣での勝負は明らかに不利。一瞬でも気を緩めれば敗退もありえるだろう。
アーチャー…そのクラスの通り、彼の本職は剣による接近戦ではなく、弓による狙撃だ。
何とか距離を開き、遠距離戦に持ち込みさえすれば、宝具の使用も無く、敵に手の内を明かさずに相手を撃退する事もできるのだが…そうそう上手くはいかない。
総合的な身体能力では勝っているものの、相手の懐へと踏み込む速度、剣を振り相手を切り裂く速度、この二つは相手の方が上手であるからだ。
後退しても後退しても、それよりも数段上の速度で踏み込まれ、一瞬にして距離を詰められる。
ならばと、無理やりにでも相手に隙を作らせようとするも、剣技で勝る相手の猛攻を防ぐのに手一杯で、こちらから仕掛ける事など到底叶わない。
だからと言ってこのままイタチごっこを続けていても、状況が好転することはない。
両者は睨み合い、その場にはただ金属を打ち合う音だけが響き渡る。
しかし次の瞬間、戦況は一気に動いた。
剣の打ち合いを続けていたアーチャーとブラッドレイが、両者一斉にその場から飛び退いたのだ。
飛び退いた二人の間を、一筋の赤い閃光が駆け抜ける。
その正体は、アーチャーのマスターである遠坂凛のガンド。
凛の手の平から撃ち出された、弾丸のような魔法攻撃であった。
一瞬の気の緩みすら許さぬ攻防の最中であったが、両者とも見事に、掠ることもなく凛のガンドを躱してみせた。
逆に言えば、一歩間違えれば味方であるアーチャーにも当たっていた可能性があったとも言える。
それでもガンドを放ったのは、アーチャーならば避けられるという、厚い信頼があったからだ。
同時に、アーチャーとまともに打ち合えるブラッドレイも、自分の攻撃を簡単に避けられるだろうということは分かっていた。
そう、凛の攻撃は、最初から敵にダメージを与えるものではない。
アーチャーの不利な接近戦から打開する為、両者の距離を引き剥がす為に放った攻撃なのである。
「ナイスアシストだ!凛!」
その意図に気づいたアーチャーは、笑みを浮かべながら、瞬時に次の行動へと移る為に弓を引いた。
「やられたな…」
離された自分とアーチャーとの距離を目で測りながら、ブラッドレイが忌々しげにそう呟いた。
剣ならばサーヴァント相手にも優位に立ち回れる。しかし逆に言えば、剣以外でサーヴァント相手に戦う手段などないのだ。
つまりこの状況…十分な距離をあけられ、矢先を向けられているこの状況は、ブラッドレイにとっては危機的なものである。
形勢は、一気に逆転したと言えるだろう。
…だからと言って立ち止まる訳ではない。
ブラッドレイはアーチャーに矢先を向けられても尚、構わず正面から駆け出した。
当然アーチャーは矢を放つ。
当てるべき標的が、馬鹿正直に自分から飛び込んできたのだ、撃たぬ方がおかしな話である。
放たれた矢は、寸分違わずブラッドレイへと襲いかかる。
その速度は銃弾を軽く超える、普通の人間ならば反応もできずに串刺しだ。
しかしブラッドレイは普通の人間などではない。ブラッドレイは走りながら、ほんの少し体を傾けるだけ、それだけでアーチャーの矢を躱した。
元々、彼のいた世界では既に銃が発達し、戦場では当たり前の様に使われていた。彼はそんな中を…弾丸飛び交う戦場の中を生き、武功を立てて大総統へと成り上がったのだ。
この程度の攻撃は、簡単に対応できる。
しかしそんな事は、敵だってとうに見透かしている事だ。
「ぬっ!?」
ここで初めて、彼の顔が驚愕の2文字に覆われた。
2本目の矢を放とうとしているアーチャーの背後に、無数の剣が出現していたからだ。
その全てが、例外なく切っ先をブラッドレイへと向けている。
宙に浮かぶ大量の剣…その意味を直感したブラッドレイは、すぐにその場に立ち止まった。
一斉に襲いかかる剣の群れ、逃げ場はない、ブラッドレイは両手の剣を構えた。
キィン、キィンと、打ち鳴らされる金属音と共に、次々と打ち落とされる剣達。
前方には火花が飛び散り、足元には剣が突き刺さる。
圧倒的物量差、それでも防ぎきれるのは、ブラッドレイの誇る高速の剣さばきが故だろう。
しかしながら、人間が同じ事を続けるには限界がある。
それは思いもしない、本人の技術や体力とは関係のない場所から現れることも、十分にありえる事である。
「む…?」
甲高い金属音とは違う、低く鈍い音が響き渡る。
同時にその手に握る剣から、何か違和感を抱いたブラッドレイは、回避行動を行いながらも直ぐに自分の剣の刀身を覗き見た。
刃が粉々に砕かれ、ほぼ柄だけの状態に変わり果てている。
考えれば当然の話である。
ブラッドレイは当初、5本の剣を携帯用意していた。しかしそれはあくまでもごく普通の剣である。
魔力のある限り、無制限に宝具を投影できるアーチャーの攻撃を防ぐには、はっきり言って強度が足りない。
むしろここまで粘れるブラッドレイの技量が異常なのである。
アーチャーは弓を引きながらニヤリと笑みを浮かべた。
武器を失った今、敵に攻撃を防ぐ術は無い。
アーチャーはブラッドレイに止めを刺す為に、宝具を投影した。
それは、ドリルの様に捻れた奇妙な形の剣を、投射しやすいように細長く変形させたもの。
その名も、“
マスターである凛の鑑定を正しいとするならば、ランクA相当の対軍宝具。
炸裂した瞬間に、空間を削る程の大爆発を起こす事ができる。
…つまり、躱す事はほぼ不可能である。
「退がっていろ!凛!」
巻き添えを食らわない様に、自らのマスターである凛に警告を出すアーチャー。
そして先の攻撃により、更に敵と自分との距離を広めた今…両者の間には、約50メートルの空間が存在している。
距離は十分…その威力は不可避の領域…対抗する為の武器は無い。
ブラッドレイは正に、チェスや将棋で言う、詰みの状況に陥ってしまったのだ。
そして無慈悲にも、その一撃は放たれた。
対抗する術が無い以上、彼はこの攻撃を受けるしかない。
また、まともに受ければ確実に、死は逃れられない。
彼の聖杯戦争は、サーヴァントを使う前に1日目にして終わりを遂げた。
…かと思われた。
一瞬の出来事である。
ブラッドレイは一切の迷い無く、地面に突き刺さったアーチャーの剣を抜き取り、迫りくる
「ぬぅううううううううう!!」
叫び声をあげながら、剣一本で宝具相手に対抗するブラッドレイ。
正面から力づくで打ち落すのではない、ランクAクラスの対軍宝具相手に、そんな芸当はまず不可能だ。
ブラッドレイの剣はこの上なく繊細で、速かった。正面からではなく、まるで流れる水の様に穏やかに力を流動し、矢の真横から力を加えた。
弾くと言うよりは、受け流すと言った方が正しいだろう。
ほんの僅かに軌道をずらされた
息を荒らげるブラッドレイの背後を、巨大な閃光が包み込む。
「…いや、これは…全くもって驚かされるばかりだな」
アーチャーが僅かに流れた冷や汗を拭いながら、無理矢理笑みを作ってそう言った。
「…とことん化け物ねあいつ、ほんとに人間なのかしら?」
続いて凛も言葉を漏らす。
人間が剣一本で対軍宝具を防いだのも大変驚くべき事だが。
それ以前に、普通あの場面で敵の武器を使おうなどとは思わないだろう。
だいたいあれはアーチャーの作った剣だ、アーチャーの承認無しで…ましてやあそこまで上手く扱える訳がない。
「一体何をした?」
「聖杯に与えられた力だ。
君達もこの地へ向かう際に、聖杯によって色々と説明されなかったかね?」
ブラッドレイが粉々に砕け散った剣を投げ捨てながら、アーチャーの問いに対して応えた。
「…そう言えば」
ブラッドレイの言葉を聞き、凛が思い出したかのように呟いた。
サーヴァントを持続して現界させるには、マスターからの魔力供給が必要である。その上サーヴァントには神秘を持った攻撃しか通用しない。
しかしブラッドレイの様に、魔力回路やそれに変わるものが存在しない世界から来たという者も多くいる。
つまり、サーヴァントや聖杯戦争…魔術などと言ったものが存在する世界と、それらが無い世界とでは、前情報以前の圧倒的アドバンテージがあるのだ。
あらゆる世界からマスターが集結すると言うのに、“世界の違い”というハンデがあったのでは、あまりにも理不尽かつ不平等である。
その差を少しでも緩和する為に、聖杯からその人物に見合う魔術回路と、聖杯戦争で戦っていける最低限の魔術が、各々のマスター達に与えられているのだ。
逆に言えば、凛の様に最初から強大な魔力と魔術を持つ人間には、そう言った聖杯からの恩赦は殆ど与えられていない。
「私の場合は微々たる魔力と、あらゆる武器に最低限の神秘を付属して、自分の者にできるというものだ。
それが例え、敵サーヴァントの宝具だとしても例外ではない」
と、更にブラッドレイは「その場合、宝具のランクはEまで低下してしまうがね」と付け加えた。
「なるほどな…つまり貴様は、他人の武器を使って戦う盗人と言うところか…
贋作者と称された私とは、案外相性がいいんじゃないかね?」
「君もなかなかの皮肉屋だな。
まぁ、解釈はそれぞれだ。それに相性が良いというのも否定はしない。普通はサーヴァントの切り札たる宝具を奪う事などかなわない、君のように、使い捨ての形で投げ飛ばしてくる様な者を除いてはな」
ブラッドレイの言葉は的を得ていた。
ランクは急激に下がるが、アーチャーが投影した宝具の全てを自分の物にできるのだ。
それもアーチャーの戦法上、他のサーヴァントよりも宝具を奪いやすい。
…もっとも、アーチャーの様に宝具や武器を大量に持っているサーヴァントなど稀な方なのだが…
「さて、話も終わりだ。続けるとしようかね、アーチャーくん」
再び剣を握り、戦闘態勢をとるブラッドレイ。
アーチャーはブラッドレイの乱れていた呼吸が、いつのまにか整っている事に気がついた。
おそらく今の会話の内に息を整えたのだろう。
どうりで、素直に自分の魔術について色々と話したわけだ。
アーチャーは「…食えない奴だ」と呟き、応える様に武器を構えた。
再び睨み合う二人。しかし戦いが始まるより前に、双方の構えは解除された。
理由は、この場に第三者の乱入が起こったからだ。
「あなたはリン!?それにアーチャー!?」
「戦っていたのはお前達だったのか!?」
その正体は衛宮士郎とセイバー。
以前、冬木で行われた聖杯戦争で共に戦っていた者達だ。
「………知り合いかね?」
「まぁ…一応な」
ブラッドレイの問いに、アーチャーが苦々しげに答えた。
「衛宮君にセイバー!?まさかあなた達も…!?
…まぁそんな事は後でいいわ!せっかく参加してるんだから、ちょっと手伝ってちょうだい!」
「あぁ、問題ない、凛も一緒に戦ってくれるなら心強いしな」
「私も構いません。よろしくお願いします、凛」
凛の提案を了承した士郎とセイバー。ここに再び、同盟は結成された。
「というわけで、ここからは一対四よ!」
ブラッドレイに対して自慢気にそう叫ぶ凛。
最優のサーヴァントであるセイバーに加え、この二人は以前の聖杯戦争で最後まで残っていた強者だ。戦力は十分である。
「ふむ…随分と突然な話だが…まぁいい。
しかし四対一というのは間違いだな」
敵の数が増えたというのに、未だ危機感の無い、余裕に溢れた態度を取り続けるブラッドレイ。
もちろんただの強がりなどではない、ちゃんとした根拠を伴った上での余裕である。
「流石にサーヴァント二体を相手どるのは厳しい、なので私も自分のサーヴァントを呼ばしてもらうよ」
そう、サーヴァントだ。
さっきまでの戦いのせいで頭から抜けかけていたが、ブラッドレイのサーヴァントは未だクラスすら明かしていない。
どんな者が現れるのか、全く想像もつかないのだ。
「でてこい、アーカード」
「何ッ!?」
ブラッドレイの言葉を聞き、四人は一斉に驚いた。
同時に耳を疑った。
何故ならブラッドレイは、自らのサーヴァントをクラスではなく名前でよんだからだ。
サーヴァントの真名を知られるという事は、即ち敵にその能力と弱点のヒントを与える様なものである。
故に、聖杯戦争に参加する者達の共通の理念には、真名の秘匿というものが存在する。
それは今回の聖杯戦争に関しても例外ではない。
聖杯からは別の世界の英雄の情報も与えられている、どこの世界の出身の英霊であっても、真名の判明から宝具や弱点を導き出すことは可能だ。
それはブラッドレイも知っている事の筈だ、実際にさっき、自分で聖杯に魔力回路と魔術を与えて貰ったと言っていた。
サーヴァントの真名に関する情報だけが欠如しているなどありえない。
うっかり漏らしてしまったか?
いいや、そんな遠坂の家系の様なミスをする男だとは思えない、その事は、先ほど直接立合ったアーチャーならば痛いほど理解できているだろう。
敵は何を考えているのか分からない。
もしかしたらブラフの可能性だってある。
…が、とにかく今は警戒する他ないだろう。
四人は何が来てもいい様に、敵サーヴァントに備えて身構えた。
「………羽音?」
士郎が呟いた。
確かにこれは羽音だ、それも尋常ではない数の。
何故そんな音が聞こえるのか疑問に思ったが、すぐにそれは解消される。
コウモリだ。目の前を覆うほどの大量のコウモリが集まってきている。
先の羽音はこのコウモリ達だろう。
集まったコウモリ達が一点の場所に集中し、固まって別の形へと姿を変える。
いよいよ、敵サーヴァントが姿を現したのだ。
赤いコート…サングラス…赤い帽子…黒髪…
そこには、中性的な美しい顔には似合わない凶相を浮かべる大男が立っていた。
「やっとか…待ち兼ねたぞ主よ」
鋭く白い牙で覗かせ、サングラス越しに僅かに光る赤い眼球が四人を見つめる。
「さて…第二ラウンドとでもいこうかね」
聖杯戦争はまだ、始まったばかりだ。
少しブラッドレイが人間やめすぎてるかな