グリモア~私立グリモワール魔法学園~ つなげる想い 届けたい言葉 作:春夏 冬
カリカリカリ…カリカリカリ……。
静まりきった教室の中、響くのは受講生たちの手元で鳴るペンの動く音。
いつもは一教室に響き渡る講師の声も、今日はなんら聞こえる事はない。
カッカッカッ…カッカッカッ……。
その中には当たり前のように僕が鳴らす音も含まれる。しかし一方で右隣にいる彼女の手元からは聞こえることはない。正直そんな些事を意識できる時点で目の前の問題に集中出来ていない証拠だが、しかしどうにも一時になると頭から離れなくなってしまった。
「…………」
テストの最中にも関わらず、興味を惹かれてしまった僕がカンニングと認識されない程度に横目でちらりと覗いてみれば、そこにはすでに回答がすべて埋められたであろう答案用紙を確認する冬樹さんの姿があった。
表情には出さないまでも顔を引きつらせてしまいそうになりつつ腕時計に目を向けた僕は、まだ試験時間が残り半分以上もあることに愕然とする。
と、その時、僕からの視線に気が付いたのか冬樹さんがこちらに目だけを動かす。
内心で動揺していたことから、その向けられた瞳を逸らすことも出来ずに真正面から受け止めてしまった僕は、そんな彼女の視線に威圧感を感じた。
なんでしょうかカンニングですか。試験中にこちらを見ないで下さい。余計なことを考える余裕があるなんてさすが転校生さんですね。
そんな叱りの言葉を連想していた僕は、しかし数瞬の後、彼女の口元に笑みが浮かぶのを見た。
思わぬリアクションに驚きつつ、その唐突に見せたいつもとは少し異なるような微笑みに思わず目を奪われた僕は――。
「(・・・・・・ふっ)」
まさかの嘲笑に理性を取り戻す。
あぁ、これはあれだ。完全に馬鹿にされてる。
改めてよくよく見てみれば、こちらに向けられた瞳の中にも嘲りの色を覗かせているようにも感じる。
高鳴る胸の鼓動が徐々に静かなる怒りへと変わり、こうなったら意地でも負けられないと一人決意を固める頃には、彼女はすでに興味をなくしたように再び自分の回答へと意識を向けていた。
今に見てろよ……!
そう心の中で言葉にする僕は、次なる問題の解答へと集中し…そして――。
冬樹 イヴ 《前編》
僕たちは、魔法学園の教師となるべく一般大学の受験に臨もうとしている。
世界から”霧”が消え、世界各地から歓声が沸き上がっていた頃、時を同じくして「魔法」という存在が少しずつ消え始めることとなった。
とはいえ、目に見えた変化と言えば新たな魔法使いが生まれなくなったことのみであり、宍戸さん曰く「意図して魔法を行使しすぎなければ魔力がなくなることはない」との話だ。
そしてあれから数年の時が経った今、魔力が尽きた等の報告事例が挙がっていないところを考えるに、おそらく彼女の見立ては正しかったのだろう。
その一方で危ぶまれたのが「魔法学園」の存在だった。
不必要とまではいかずとも魔法の授業が意味を為さなくなったこと、なにより新たな魔法使いが誕生しなくなったことを理由に一時は学園存続の危機に陥ることとなる。
しかし、その窮地に立ちあがった寧々ちゃん――犬川現理事長の『魔法学の創設』という提案に状況は一変する。
これまであまり認知されることの無かった魔法使いの歴史や、霧の魔物たちとの戦い、さらに偉人たちの紹介などを「魔法学」を”授業”という形で伝えていくことにより、魔法使いと一般人の認識の差を埋めていき、さらにはその舞台として「魔法学園」以上にうってつけの場所は無いという主張を彼女は切り出した。
当然のように反対意見もあったが、特に多かった「魔法学の意義」に関しては、元生徒会長や魔法学園のOBたち、空さんを筆頭に魔法研究者たちによる強い説得や、なにより大勢の一般人による要望が大きく無事に【魔法学】の創設が叶った。
やがて”新たな魔法学園”としての一歩を踏み出した私立グリモワール魔法学園は豊富な魔法知識や設備の充実さから新入生たちを始めとする多くの人たちから高い評価を受けることが出来たのだが、そこで新たに浮上したのが教員不足という課題であった。
かつての教員たちの内、おおよその方が引き続き教壇に立つことを合意してくれたのだが、なにしろ入校希望者の数が多く、他の学校と比べると倍率が凄まじいことになっている。
さらに、元々魔法使いという希少数の生徒たちに授業をすることが前提の人数であったため、一般人を対象にするとどうしても人数不足に陥ってしまう。
一方で、元来の予定通りに話を進めれば解決することではあるが、せっかくそれだけの一般人が魔法学に興味を示していることもあり、そう無下にすることも出来ない。
そして、そんな問題に学園側が頭を悩ませていたところで、僕たち学園関係者は動き始めた。
例えば、霧塚さんや氷川さんら教育者向きな人たちが代わる代わる魔法学の講義をサポートする、いわゆる「お手伝い班」。
彼女たちには主だった仕事があるため頻繁に学園に通うことは出来ないのだが、それでも教師陣および生徒たちの評判は上々だと聞く。
また、野薔薇さんや冷泉さん、浅梨たちによる支援も忘れてはならない。
それぞれが名だたる名家ということもあり、世間から過剰だと認識されるような協力を得ることは出来ないが、彼女たちの悔しそうな表情から伝わってくるように、その気持ちだけで本当に嬉しく思う。
その他にも多くの助けを受けたことで、魔法学園への援助は充実し始めることとなったのだが、そんな中で自らが魔法学園の教員になりたいと志願する者が現れた。
対する周囲の反応は、背中を押してくれる人、人生をそんな簡単に決めていいのかと口を辛くする人など賛否両論ではあったが、やがて真剣に取り組む姿を見せると皆が少しずつ認めてくれるようになっていく。
そしてその人物こそが、僕や冬樹さんだった、というわけで――。
「で、テストの最中に他人を気にする余裕のあった転校生さんは、さぞ素晴らしい出来だったのでしょうね」
ぐうの音も出ない一言を告げられ、情けない姿で机に突っ伏す僕。…いや、本当にすいません。
朝から昼過ぎにかけて模擬試験を受講した後、近くの喫茶店で答え合わせを行っていた僕は、共に回答を照らし合わせていた冬樹さんの言葉に心を何度となく折られていた。
「(いや、正確には言葉だけじゃないんだけどね)」
例えば、僕の方が冬樹さんよりも年上である、なんてことも要因の一つであったりするわけだが、それ以上に、ここ二年ほどを共に過ごしてきた彼女にあまり近づくことが出来ていないところが大きい。
ただしその
元々、それほど成績が優秀というわけではなかった僕だったが、冬樹さんを始めとする周囲からの協力のおかげで大幅な学力の向上に成功し、今では風飛市で一番有名な大学受験予備校の最上位クラスで講義を受けることが出来ている。
正直なところ大変かと問われれば口を閉ざしてしまうような環境ではあるが、そういった場でしか得られない充実感のようなものは確かにある。
だからこそ、そんな現状なだけに普通であれば自信が付きそうなものだが、なにしろ目の前にいる少女はさらにその上を行き、当たり前のようにトップに君臨しているのだからなんとも言うことが出来ない。
もちろん在学中から学業に力を入れていた冬樹さんと比べる事自体がおこがましいことだとは思うのだが、それでも共に過ごした時間が長いだけに彼女の隣に並びたいという欲は生まれても仕方がないのではないだろうか。
あるいは、男として彼女をリードしたいなんて気持ちがあるのかもしれないが…以前に冗談交じりで話をしたときの彼女の「この人はなにをいっているんだろう」という表情が今でも忘れられない。正直に言えば軽いトラウマですらある。
ただ、だからと言ってこのまま落ち込んでいても仕方がない。
よし、また復習から頑張ろう! そんな風に自分を奮い立たせていた僕は、その時になってようやく目の前の冬樹さんがこちらをじっと見つめていたことに気が付く。
「…えっと……どうかしたの?」
最近、時折彼女はその表情を見せることがある。
思い詰めた…まではいかずとも何か考え事に没頭しているような、そんな表情。
しかし様子を気にして声を掛けるも――。
「いえ・・・なんでもありません・・・・・・」
と、大体同じ答えが返ってくるだけである。出会った当初と比べれば見違えるほどに友好的な関係を築いた僕だが、やはりどこか壁を感じてしまい一抹の寂しさを覚えてしまう。
しかしその一方で僕が原因かもしれないのだからなんとも言い難い。特に思い当たる節もないのだが、よく周りから”鈍感”だと言われていることを自覚している僕だからこそ、残念なことに自分に対しての信用は薄い。
「…それよりも、今日の夜のこと。まさか忘れてませんよね?」
ふと、そんな考え事をしていた僕は、冬樹さんから声を掛けられる。
その手で
「うん。大丈夫だよ。ノエルちゃん、何時に帰ってくるって?」
「少し遅くなると思うから先に始めていて欲しい、だそうです」
「分かった。冬樹さんもそれでいい?」
「えぇ。それで大丈夫だとノエルには返事をしておきました」
相変わらず仕事が速いなと苦笑いしつつ、今日の夜の予定を思い返す。
まだ6月なのだが、彼女たち姉妹には意味のある時期だとのことで、今年はその”お祝い”の席に僕も呼ばれていた。
そんな大切な席ならばと初めは遠慮しようとした僕だったが、冬樹さん曰く「これまでお祝いなんてしたことがない」とのことだったので、ノエルちゃんの思いつきなのだろうと二人で結論付けた。
とはいえ、しばらく彼女に会っていなかったこともあり、今夜を楽しみにしていること時点でノエルちゃんにしてやられた気がしないでもない。
「あっ、そういえば今夜のことなんだけどさ。……冬樹さん?」
まただ。またどこか心ここに在らずな様子を見せている。
目線はこちらに向いているのに僕を見ていないような、やっぱりなにか考え事をしている姿。
ただ、さっきとは少し違うような…。と、そんな違和感を感じていた時、彼女の近くのテーブルの女の子たちがこちらを伺いながら話をしている様子が目に映る。
あまり気持ちのいいものでもないし、今の冬樹さんの位置だと彼女たちの話が聞こえていたのかもしれない。…もしかしてなにか言われてるのかな?
「冬樹さん。どうせノエルちゃんが遅くなるなら先に部屋に行かない?試験の復習…はともかく、静かなところで落ち着きたいかな。さすがに疲れたよ」
そう思い立った僕は、それとなく話を促し店を出ることに決めた。
「えぇ。そうですね。私も落ち着いたところでゆっくりしたいと思っていました」
そして、その言葉は耳に届いたようで、冬樹さんもまた躊躇うことなく後片付けを済ませた。
…やっぱりそういうことだったのかな、とその一件が頭から離れる事はなかった。
「すみませんが、少し片付ける時間が欲しいので転校生さんの部屋で待っていて下さい」
魔法学園を卒業後、冬樹さんとノエルちゃんは実家に戻ることなく二人暮らしを始めた。
クエストで稼いだお金を貯めていたこともあり、セキュリティもしっかりとした立派なマンションだ。
そんな彼女たちの部屋に僕も時々お邪魔させてもらっており、初めこそ女の子の部屋に入ることに抵抗を感じていたのだが、良く考えてみれば学園生時代に幾度となく経験していたことを思い出したことで、なんら遠慮は無くなった。
同様に、ノエルちゃんなんかは僕も部屋の住人であるかのように振る舞っており、最初は嫌な顔をしていた冬樹さんも、気が付けば違和感なく接するようになり、ついには二人で過ごす時間が普通に感じるようになっていたほどだ。
その後、学園卒業と同時に寮を出ることになった僕も、彼女たちに誘われてこのマンションに住み始めることとなった。すると今度はノエルちゃんたちが遠慮なく僕の部屋に遊びに来るようになり、気が付けばどちらかの部屋で三人一緒に過ごす時間が増えていった。
冬樹さんもまた遠慮がちな姿勢を見せていたが、次第に慣れたのか自然と僕の部屋にいる姿を見るとなんだか似たような気持だったのかもしれないと少しだけ嬉しくなる。
ただ、ノエルちゃんの遠慮の無さはさすがであり、徐々に彼女の私物が僕の部屋を占領し始めたことがあった。
その時は結局、気が付いた冬樹さんが顔を引き攣らせながらノエルちゃんを呼び出し怒りながら片付けをさせていたものだが、再び彼女の物が増え続けているところを見ると反省はしていないのだろうと感じる。
そんな思い出を振り返っていると、ふと水無月さんのことが脳裏に浮かんだ。
きっと彼女が知れば「不純異性交遊」だと懲罰房に連行されそうな気がするけれど、誓ってそんなやましいことなどはしていない。
…まぁ、考えたことがないと言えば嘘になるのだが、うん。
部屋で荷物を降ろし、簡単な調理を行っていた僕は、ちょうどいいタイミングでチャイムの音を聞いた。
作り終えた手土産を準備し、鍵のかかっていないドアを開ける。
「こんばんは。準備が出来ましたので呼びに来ました。…あら、もしかしてお土産でしょうか?」
「簡単な食事だけどね。ただお皿が多くなっちゃったから持っていくのを手伝って欲しいかも」
長い付き合いから分かるようになった、冬樹さんの少し嬉しそうな顔を見た僕は、冗談めかして彼女に手伝いを持ちかける。
はぁ…と見かけだけのため息を吐きつつもちゃんと手を伸ばしてくるあたりがなんとも冬樹さんらしい。
その後、冬樹さんの部屋に集まった僕たちは、一足早い二人だけの食事会を始める。
そもそも一緒にいる事が多い僕たちにはそれと言って特別に話をするような事はないのだが、それでも日常の会話が尽きる事はない。
さっき買い物をしたスーパーで……そういえば昨日塾の講師が……この前偶然誰々に会って……。
そんなとりとめもない会話を繰り広げていた僕たちだったが、その中でふと先ほどの一件が脳裏をよぎった。楽しみの場に持ちだす話ではないのかもしれないがやはりどうしても気になってしまい、この際直接聞いてしまおうかとも思ってしまう。
と、気が付けば冬樹さんもまたいつものようになにか考え事をしている様子を見せていた。
もしかして同じことを考えているのかと思った僕が思い切って話を切り出そうとしたとき、それより先に彼女が先に口を開く。
「あの、転校生さん。その、すみません」
予想だにしていなかった謝罪を受け戸惑う僕だったが、相も変わらず迷った表情を浮かべる彼女の次なる言葉を待ち……そして固まることとなる。
「…すみません。今日は、ノエルは来ません」
ノエルちゃんが来ないということは…えっ、でも冬樹さんから誘われたわけで。…ということは、つまりどういうこと?
まったく予期していなかった事態に戸惑いを隠せない僕と、なにやら決意を固めたような表情を見せる冬樹さん。
いつもはなんら距離感を感じることなく二人で過ごす時間も、今はなんだか遠い日の出来事に感じた。
そして、二人だけの夜が始まる――。
《続く》