グリモア~私立グリモワール魔法学園~ つなげる想い 届けたい言葉 作:春夏 冬
その少女は戦場の中で立ち尽くしていた。
瞼を閉じ両の手をだらんと下げ、その身が戦場の中に在ることを知らぬとでも言うように少女はその場に在った。
空で生じる眩い閃光が瞳を焼こうとも、周囲で爆ぜる轟音が鼓膜を揺らそうとも少女は動かない。それは少女が待ち望むものではない。
待つ。待つ。待つ。
勝利のために役割を果たす為、仲間たちは己が敵と対峙しその身を戦へと投じる。
光が熱を伝えるたび、風に揺らめく木々の震えを聞くたび、焦る気持ちは次第に広がっていく。
だが、少女は一歩たりとも動かない。
知っているから動けない。分かっているからここを離れるわけにはいかない。
彼の少年の告げた名の、最も強き者を倒すことこそが少女の役割。
「……さぁ……来なさい……」
敵が森の木々の中にその身を溶かした以上、その姿を見つけることは難しいだろう。
仮に魔力で視力を強化しても対象の穏形を破れるとは思えないし、もし上手くいったとしても結局のところその異常なまでの速度を捉えきることが出来るとは考えにくい。
――こちらとしては魔法による勝負に持ち込みたいところだけど、それが自分にとって不利な状況であると相手は理解しているはずだ。
となれば、敵の狙いは体術による接近戦。
出来ればそれは避けたい。その類稀なる体術と人の域を超えた速度、そして予測不可能な忍術ははっきりとした脅威であり正直勝てるかどうかはやってみなければ分からない。
…まったく、とんでもない化け物を押し付けられたものね。
心の中でかの少年に愚痴を零しながら、しかし言葉に反して何故か気持ちは高揚する。
共に魔物と戦う仲間にこれほど強い味方がいるのだと改めて感じた心強さ。その強敵を相手に自分の力を思う存分に振るい試す事の出来る嬉しさ。もしくはもっと別の、なにか言葉に表す事など出来ない特別な感情。
あるいは、そのすべてを以てして、少女はいまこの戦いに臨んでいた。
「……っ!」
瞬間、張り巡らせていた魔力が少女の身に危険を察知させる。
弾ける様に地面を蹴りあげその場を離れる。立ち昇る土埃の影の中、小さな投擲物が重々しい音と共に地面に刺さるのを視界の隅に映しながら、その瞳は射線のその先を睨むように見つめる少女は、しかし敵の姿を見つけることが出来ない。
――それなら……!!
身体に少しずつ纏わせていた魔力を両の手に集中させ、前方あたり一面に雷の雨を降らせる。
激しい閃光とともに雷鳴が刹那に轟く。鋭い雷の槍は木々を切り倒し少女の視界に見渡すことが出来るだけの焼け野原を作り出す。
だが、そこに人の影などありはしない。
「残念。こっちッスよ」
背後に気配を感じる間もなく声が耳に届く。
その言葉に振り返ることも出来ず、少女はその身に衝撃を受ける。
背中に魔力の乗った掌底を受け、少女は苦痛に顔をゆがめる。口からは唾液と共に酸素が零れ、押しつぶされた肺が呼吸を求める数瞬の間、意識が思わず敵から逸れてしまいそうになる。
だが、少女は慌てることなく状況を分析する。こういった状況が初めてなんてことはない。長い時を生死の狭間で歩んできた少女にとって、対峙する敵のペースに嵌まってしまうことがどれだけ危険だという事なのか、それは身を以て学んできた。生き残ってきた。
ギリッと唇を噛み切りその鋭い痛みでなんとか意識を繋ぎとめる。
かろうじて首を動かすと敵を視界に捉えることに成功する。未だ宙を舞う少女に追い打ちをかけるべく手に武器を用意し、マフラーに包まれた口元は見えないが彼女の眼光は確実に仕留めるという敵意に満ち溢れているではないか。
少女は薄く笑う。なんて目をする少女なのだろうか。微塵も揺らぐことの無い意志で己が使命を全うするその在り方。間違いない。彼女こそ、見紛うことの無い正真正銘の私の敵なのだ。
吹き飛ばされた身体が地面に着くより先に、忍者は少女に追いつく。
戦場を誰よりも迅く駆けることを武器としている忍者にとってそれは造作もないことだった。
一思いに倒す。慈悲の心と共に手に持つ武器――小型のくないを握りしめる忍者は、しかし違和感に思わず眉をひそめる。
少女に意識があることは分かっていた。無防備な状態で重い一撃を受けてなお自身の好機とばかりにこちらから目を離さないその精神力には感嘆する。だからこそこの敵は危険なのだと、忍者は遊び心を捨て一撃を以て勝負を決めようとした。
しかし訪れた最大の好機だというのになぜか忍者の頭の中では警鐘が鳴り響く。
臆している? まさか自分が?
瞳と瞳がぶつかり合う。分かっている。敵が何かを狙っていることくらい。それを加味してなお今が最大のチャンス。…であれば、最早迷うことなどない。
「お命頂戴!」
反撃する隙など与えない。相手が反応すら出来ない速度で切り倒せばこちらの勝ちだ。そう自分に言い聞かせ忍者は少女の身体に刃を突き立てる。
――ガシャンッ。
しかし、くないはなにか金属のようなものによって少女の身体に傷をつけることは出来なかった。それどころかその接触部位から奇妙な衝撃がその手に伝わってくるではないか。
「……っ! しまった…!」
とっさにくないを離すが間に合わない。少女に帯びる雷が、くないと通じて忍者の身体に流れ込む。
ダメージを受けたという程ではないが身体中に痺れが生じる。
歯を噛みしめながら縮こまる身体のあらゆる部位を動かし自分の状態を確認する。
――…不覚。これはやられましたね。
数秒あれば動けるようにはなるが身体能力に制限が掛かってしまうことは避けられないだろう。完治するのに数分…どれだけ早くても数十秒。
それだけの時間を、今目の前に立ち上がる強敵の相手を務めろと言うのか。
「…いや、これは参ったッスね」
だけど敵だってダメージを負っているはず。万全の状態でないのはお互い様だ。
大丈夫。これは決して悪い状況ではない。落ち着いてこなせば達成できない任務ではない。
「頼みますよ部長。自分、ここまでやってるんッスから……」
おそらくこの勝負はどちらが勝っても仲間の助けとなることは難しいだろう。
チームのことを考えるのであればここは一度身を引き、体制を立て直して別の策を講じるべきであろう。だが、それでは目の前の少女を倒す機会を失ってしまう。それはつまり、危険分子を戦場へ解き放つことに等しい。
勝機を掴むには今しかないのだ。自分以外には彼女の相手をするには荷が重く、さらに言えばもう一人の危険分子と合流された日には最早手の付けようがなくなってしまう。
本来であれば敵を倒すこと以上に生き残ることを信条としている忍者だが、今日ばかりはそうも言っていられないらしい。
「……すぅ……ふぅ……」
息を整え瞳は眼前の少女を捉える。
攻略法は変わらない。体術と忍術を駆使して敵をねじ伏せる。万全の状態でないとはいえ、それでも自分に有利な展開を持ち込めるはずだ。
忍者はくないを痺れる手に握りしめじりじりと距離を詰める。
少女もまた、瞳を離さぬままに身体に雷を帯びながら自身の攻撃圏内へ誘い込むべく間合いを取る。
乾いた唇に流れる汗を舌で舐め取りつつタイミングを見計らう。
空には未だ続く爆撃音の嵐。音が…衝撃が身体を揺らし、そして閃光が空を切り裂いた瞬間二人は同時に戦場を駆けだした――。
リーズン・フォー・ビーイング
衝撃音と共に地面が爆ぜる。
途端に立ち込める土煙に交じり、銀髪の少女は森の中に姿を隠す。
肩で息をしながら少女は相手からの追撃がないことを確認し、咄嗟の策が上手くいったことに胸を撫で下ろす。
普段から余程訓練しているのだろう、隙という隙がほとんど見つからない。実力はこちらが上とはいえ相手は二人。個別撃破さえ出来れば勝利は目前だが、そう上手くいけば苦労などしないというものだ。
「早く見つけて頂戴…。…この勝負、思ったより難しいわよ」
その気になれば強力な魔法で吹き飛ばすことも出来るとは思うが現段階でそれをやってしまうとチーム全体の作戦を潰してしまうこともあり得る。
少しずつ呼吸を整え、少女は煙が晴れる前に自身の置かれた状況の整理を始めることにする。
相手の戦力を分析するに、一部を除く個の戦闘力に関してはこちらのチームに軍配が挙がる。だが一方で、人数という観点から見れば相手の方が一人多いというのがこちらを苦しめる要因となっている。そして、それが何よりも懸念すべき問題なのだと少女は考えていた。
こちらの世界の学園生たちは仲間同士で互いの力を高め合う術を武器としている。現に力及ばない二人が手を合わせる事で実力が上の私と互角以上に渡り合っているのだ。
…もしもこれであと一人合流するなどということになれば、本格的に戦況が厳しくなることなど目に見えている。
――だからこそ少しでも早く戦況を知りたいんだけど…。彼は無事なのかしら。
徐々に晴れ始める景色に焦りを感じながら、少女は未だぶつかり合う二つの影を空に見る。
それぞれのチームで唯一空を飛べる者たちの戦いは、戦闘開始後しばらくしてから今に至るまで続いていた。
黒い翼で空を駆る者がその手に闇の球体を生み出せば、白い翼で空を舞う者はその翼から零れ落ちる羽を光に変え応戦する。
闇の悪魔と光の天使。最も強き者たちの制空権を賭けた戦いは、間違いなくこの戦いの戦局を左右することになるだろう。
そうなると問題は残りのメンバーだ。
こちらのメンバーは全部で五名いるが、しかしその中で戦闘要員として考えられるのは三名のみ。しかもそのうち一人は現在空で激しい戦いを繰り広げている最中だ。
対して相手チームは六名全員が戦闘に参加することが出来る。誰がどう見てもこの差はでかいだろう。
それならば個の戦闘力でその差を補えるかとえば、実はそうでもない。
服部梓と立華卯衣。この二人は学園でも指折りの実力者らしく、私たちと渡り合うには十分すぎる強さを身に付けていると聞く。
それぞれの大将の撃破を勝利条件としている以上、彼女たちと真正面からやり合う必要はないわけだが、逆に言えば向こうからすればそれこそが最も勝利に近い手段と言える。
つまり、この勝負は既にして私たちに不利な状況で始まっているというわけだ。
「…さて、どうすればいいのかしら? 転校生くん」
ここにはいない少年の名を呟きながら、少女は手にする獲物の柄を強く握る。
時間稼ぎか、それとも彼が間に合うことに賭けて全力で敵を撃破するか。
すっかり開けた視界の中にこちらの姿を探している少女たちを映しながら、少女が今まさに飛び出そうとしたその瞬間、背後に予期せぬ気配を感じる。
「…っ! 誰!?」
まさか敵に背後を取られた? そう焦りながらも少女はここで敗れるわけにはいかないと咄嗟に武器である長槍に魔力を込める。
自身を中心に風を纏い武器の威力と身体能力を向上させる最も得意とする魔法。それを以て敵を迎え撃とうと構える少女は、しかしそこに現れたものを見てため息を吐きつつ小さな笑みを浮かべることとなった。
「ふぅ、待ってたわ…」
そこにいたのはメンバーの一人、白藤香ノ葉の使役するお化けの形を模した式神の一体。その小さな手に持つ紙を受け取りながら、少女はそこにかかれた番号を入力し彼女のデバイスに連絡を取る。
「もしもし香ノ葉? すぐに戦況を教えて頂戴。私の方はあまり余裕がないの」
『遅くなってごめんなさい。まさかここまで戦場が広がるとは思ってなかったの。ミナの状況は私も分かってる。今から掴んでいる情報をすべて伝えるよ』
電話越しに聞こえる白藤香ノ葉の声からは疲労の色が見えた。
彼女もまた勝利のために力を尽くしてくれていたのだと思うと、少女――風槍ミナは自身の心に温かな灯が灯るのを感じる。
『チトセは空で交戦中。当初の予想通り戦闘が激しすぎて近づけないから通信番号は渡してない。さらは服部梓と交戦中。…状況は芳しくないよ。服部梓が強すぎる。さらも善戦してるけど正直どっちが勝つかは分からない。…同じくデバイスの番号を渡せていない』
「…まずいわね。さらが服部さんの相手をする以上、私はここで彼女たちを自力で切り抜けなくてはいけない…。それで、転校生くんは?」
『…まぁ、そうよね。彼とは一番最初に見つけてからずっと連絡を取り続けている。大したものよ。多分私たちの中で一番冷静に戦局を見据えている。…その、彼からの作戦に関する提案なんだけど…伝えるね』
彼が脱落してしまうことは敗北に等しい。まずは第一の関門をクリアしたというわけだ。
所々歯切れの悪い香ノ葉の様子に違和感を覚えつつ、まずは転校生の安全を確認できたことに安堵するミナだったが、続く彼からの伝言を耳にすることで、その表情は一変する。
「……それ、本当に彼が言ったの? 言っちゃあ悪いけどどうかしてるとしか思えない」
『私だって聞き返したよ。そうしたらなんて言ったと思う? 「大丈夫。なんとかなります」ってさ。笑いながら楽しそうに言ってたわよあの子。思わずこっちまで笑っちゃったよ』
すごい。ここまで理不尽な要求をされた事なんて今までの私の記憶にはない。
こちらの世界のやり方か、はたまた彼の要求の仕方が滅茶苦茶なのか。それは後で追及することとしよう。
「香ノ葉。いけると思う?」
『成功したらすごいね。失敗したら…まぁ責任は彼に取ってもらいましょう』
「…あなたにそんな楽観的な考え方なんて出来たのね。聖域にいた頃からは考えられないわ」
『…そうだね。これが命を賭けた戦いでないというのも大きい気がするけど、一番はあの子かな?』
「転校生くん?」
『そう、彼のこと。こっちの世界の香ノ葉が好きになった男の子なんでしょ。なら、これくらいやって見せて欲しいって…そう思ったの』
この人もまた、変わり始めているのだ。
世界を諦め、絶望し、聖域と呼ばれる安全地帯に身を隠していたあの頃からは考えることも出来ないくらいに、香ノ葉は前を進み始めている。
今回の勝負、最初に彼から持ちかけられた時にはどうしようか悩んだものだが、きっとそれは正解だったに違いない。
「…それに、さらも何か考えている様子だったし」
『何か言ったかしら?』
「いえ、ただの独り言よ」
『そう。それよりもそろそろ通信を切るわね。あの子が動き始めたわ。何かあったら連絡を頂戴。……ミナ、勝ちたいね』
『えぇ…当たり前じゃない。勝つのよ私たちは』
そう告げた私はデバイスを切り、再び長槍を手に握る。
タイミングが良いか悪いか、向こうもこちらを見つけたようで魔力を高める姿が眼に映る。
「役割は果たすわよ転校生くん。…だから、あなたはあなたの仕事をしなさい」
課せられた使命は重い。まるで綱渡りをするかのようなか細い道のりを走ることになるのだろう。
だが、彼が…転校生の作戦だというのであれば、それはそれで一興だ。
学園生を魅了する彼の力の一端を見せてもらおうではないか。
「楽しませて頂戴。私を…私たちを……!」
再び身体に風を纏い、ミナは森から勢いよく飛び出す。
地を蹴り、扇を構える少女へと一気に近づく。長槍で薙ぎ払うべく腕を振りかざした瞬間、近くにいたもう一人の、スケッチブックを手に持つ少女の魔法によりその動きを止められる。
描き出された蛇を操り腕を抑えられるミナだったが、魔力を集中することでその呪縛から解き放たれる。
しかし、次の瞬間凄まじい風の魔法がミナを襲う。扇から生み出された暴風がミナを押し返そうと徐々に勢いを増していく。
二人の間に立つのはマズイ。そう判断したミナは、その風に逆らうことなく背後に飛ぶ。一度距離を置き、息を整え再度長槍を構える。
ふぅ…と息を吐き、次の瞬間再び二人との距離を詰める。
――この戦いでなら、私が求める答えを見つけることが出来るかもしれない。
少女は舞う。勝利のために。自分の為に。そして仲間のために。
知らずのうちに口元を緩ませ、少女は静かにほほ笑んだ――。
To be continue……。