グリモア~私立グリモワール魔法学園~ つなげる想い 届けたい言葉   作:春夏 冬

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これは私の物語

 ある日、少年と少女の物語は終わりを迎えた。

 

 少女は思いの丈を伝え、少年はその願いを断ち切った。

 

 ただそれだけの出来事。時間にしてわずか5秒。

 

 ただそれだけの出来事で幾年も続く物語は幕を閉じた。

 

 少女は笑みを浮かべていた。私には分かっていたことだと。

 

 少年は涙を浮かべていた。僕には分かっていなかったと。

 

 少女は関係が変わることを望んでいた。だから告げた。

 

 少年は何も変わることの無い今を願った。だから気が付かない振りをした。

 

 物語を終えた少年と少女は、もう元には戻ることはない。

 

 仮にそう見えたとしても、それは何か異なる別の物語。

 

 少女は笑い、少年は泣き、それが新たな物語の始まりへとつながる。

 

 少年は紡ごうとする。新しい物語の最初の一言を。 

 

 

 

 そして…彼女は、その言葉を前に目を閉じた。

 

 

 

 

 これは私の物語

 

 

 

 

 「ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」

 

 黒いベストに蝶ネクタイ、喫茶店の制服を着用している僕は、店内に残っていた最後の一組のカップルを店の外へと送り出す。

 しんしんと音もなく降り続ける粒雪の中を仲睦まじく歩いてゆくその男女の背に何か温かいものを感じながら、少しした後、営業終了の看板を出すために店頭へと足を運ぶ。

 時刻は21時過ぎ、普段であればもう少し営業を続けているところだがマスターから「せっかくのクリスマスなんだし最後のお客様を見送ったら今日はお店を閉じちゃっていいわ」との言伝をもらっているので、ここは素直に従っておくことにする。もとより夜の来客が珍しい喫茶店なのだ。誰の迷惑にもならないだろう。

 

 「おぉ…寒い…。どうりで誰も来ないわけだよね」

 

 ふらりふらりと空から零れる真っ白な雪が手のひらの上で音もなく溶けて消える。

 ふと辺りを見渡せば、そこには一面に白銀の世界が広がっている。道路も歩道も、交差点に見える信号も綺麗に生え揃う街路樹も、季節を意識した街に見えるイルミネーションの数々でさえ、すべてが真っ白な雪で覆われていた。これがいわゆるホワイトクリスマスというやつか。 

 と、それはさておきたしか天気予報では夜には雪が止むと言っていたのだが、さてこれはどうしたものだろうか。

 僕の家までは歩いて20分程度。別に帰れない距離ではないけれど、雪に濡れて帰るのはあまり好ましくない。

 試しに雪の積もる歩道の一角に足を踏み入れてみれば、およそ靴底がよく沈む程度には深さを感じることが出来る。

 

 「…これくらいならまだ大丈夫か」

 

 看板を店頭に掲げた僕は、店内へと戻り片付けにかかる時間をざっと計算してみることにする。

 

 「テーブルと食器の洗い物がだいたい30分くらいで…明日の仕込みは終わってるでしょ。売上金はいつもの場所にしまっておくとして……えぇっと…あとは…?」

 

 やり残しのないようにいつもの作業を声に出しながら、一つ一つ指を折って確認していく。

 今日一日暇だったこともあり、出来る限りの仕事はすべて片付けたはず…なのだがたまに抜けてしまうことがあるものだからたちが悪い。どうにも詰めの甘さが僕の悪い癖だと友人からよく言われていたことを思い出す。

 

 「そういうのって本人の自覚が薄いんだけどどうやって直すのかな……。っと、そういえば…」

 

 誰に聞かせるともなく独り言を呟いていた時、つい先刻デバイスへ連絡が来ていたことを思い出す。ちょうど調理をしていたところだったので後回しにしたままだった。仕事中なのでマナーモードにしていたため音は聞こえなかったが、デバイスの振動からするにメールが何通か届いているような気がする。

 仕事を綺麗に方付け終わったことを確認した僕は、厨房に置いてあったデバイスの元へと足を運ぶ。

 

 『いまから一緒に歌おうぜ!』

 『あんたも飲みに来なさいよ! どうせ暇でしょ!』

 

 「えぇっと…律たちは…いまからカラオケ? ははっ、楽しそうだね。…夏海は居酒屋? …うわぁ……こっちはなんともめんどくさそうな…」

 

 そこに届いていたのは友人たちからの、ある意味クリスマスらしい興奮したようにテンションの高いメールの数々だった。くだらない内容も中には含まれており、思わず声に出して笑ってしまう。

 …そういえば、風飛の街で生活をしている元学園生は意外と多いと、以前誰かに聞いたことがある。

 魔物との戦いが終わったことでこの街に留まる必要もなくなったわけだが、長き時間を過ごしたこの地に愛着を持った人たちは予想以上に多かったという事なのだろうか。あるいは別の理由かもしれないが、それを僕が知る由もない。

 一方で、まさにいま同じ大学に通っている学友や、こうして連絡をくれる友人たちの状況はしっかりと把握しているつもりだ。…こういうつながりは大人になったとしても大切にしたいと心から思う。

 …あとは……ん、このメール…どういう意味…?

 

 ――カラン、コロン。

 

 と、突然に何の前触れもなくドアの鐘が鳴る。デバイスを眺めていた僕は反射的に入口へと顔を向け、そして来客者の姿を見て驚いた。

 そこにいたのは、僕と同じくここで働くもう一人の従業員。

 クリスマスは大切な用事があるからと僕にシフトを押し付け、いまは彼女が大事にしている妹とのパーティを楽しんでいるはず…なのだが…。

 

 「まったく酷い雪よ。傘を差しても濡れるんだからたまったもんじゃないわね。悪いんだけど転校生、タオルを取ってくれないかしら?」

 「うん、それはいいけど…なんでここにいるの。瑠璃川さん」

 

 彼女の名前は瑠璃川春乃。文字通り目に入れても痛くないとばかりに妹である秋穂ちゃんを大切にする自他ともに認めるシスコン少女。一に秋穂ちゃんで二も秋穂ちゃん、世界が敵になろうともその想いが変わることはないと断言できるほどに妹愛に満ちた彼女だが、だからこそ今ここにいることが信じられない。

 

 「あら、さっきあんたにメールを送ったんだけどまだ見てなかったの?」

 「えぇっと…。僕も仕事が終わったのがついさっきまで閉店作業に入っていたからメールは見てないよ。他の人からも連絡とか来てたし」

 「けっ、いつでもモテモテで大層なことね。…あたしはね、追い出されたのよ。風紀委員長…冬樹の姉の方に。…もうそろそろ時間ですから出ていって下さいって!! こんな理不尽ってあるのかよ!?」

 「モテモテって…まぁいいや。それよりも話を聞くから、ほら濡れた服はこっちで乾かしなよ」

 

 会ってから時間も経たないうちにヒートアップする瑠璃川さんに若干引きつつ、ひとまず風邪を引かないようにと部屋を暖め直す。

 もうすぐ帰ろうと電源を落とした暖房機器のスイッチを入れ、彼女のコートとブーツをストーブの熱が当たる場所へと移動する。

 

 「少ししたら温かくなると思うけど…それにしたってなんでここに来たの? 学園からなら家に帰るのと同じくらいの距離でしょ」

 「そんなのあんたには関係ない…こともないか。秋穂と会えない以上あたしだって帰ろうと思ったのよ? だけどあたしの可愛い秋穂があんたにお土産ってケーキをって。……うぅ…秋穂ぉ……あたしの天使ぃ……マイエンジェル秋穂ぉぉぉ……」

 

 だめだこりゃ。

 相も変わらずのマイペースで落ち込み始める彼女を尻目に秋穂ちゃんからの差し入れであるらしいケーキの箱を手に取る。中には、ショコラ、ショートケーキ、モンブランにタルトと4つのデザートが綺麗に並んでいる。

 中に入っている保冷剤を見つけてから少し考えことをしつつ、外は寒いから大丈夫だとは思うけど、少し冷やしてから食べようと冷蔵庫の中へと一時的に保管しておくことにする。

 

 「あら、今食べないの?」

 

 ちょうど冷蔵庫の扉を閉める時、少し立ち直ったらしい瑠璃川さんから声を掛けられる。

 

 「瑠璃川さん、お腹すいてるでしょ? せっかくだし材料が余ってるから料理でも作ろうかと思うんだけど」

 「…そういえば可愛い秋穂ちゃんの写真を撮るのに夢中で何も食べてなかったわね。けど、あんたはいいの? どこかに行こうとしてたんじゃないの?」

 

 彼女の言葉を耳に入れながら、材料に目を配り何を作るかを考える。

 マスターには余りそうな材料を好きに使って良いと言われているので、遠慮く好きに使わせてもらおう。

 

 「連絡が来てたからどうしようかと思ってたんだけど。まぁ瑠璃川さん相手にクリスマスを過ごすのも悪くはないかなって」

 「てめぇ上等だ。表へ出ろこら」

 

 僕はともかく瑠璃川さんは割と食が細い。クリスマス用にととってあるチキンを用意することも出来るのだが、ケーキ2個分を考えればもう少し小さいお皿の方が良い気がする。

 

 「あんた随分考えてるけど、そんなに材料があるわけ? 今日の売り上げいくらよ」

 「3,050円。ハニートーストセット3つとコーヒー2杯」

 「…マスターってクリスマス用にチキンとか仕入れてなかったかしら」

 「…10本くらい在庫が見えるね。お客さんの数より多いんだから笑っちゃうよ」

 

 このチキンたちはきっとマスターが食べることになるのだろう。残念なことに。

 今頃家族サービスという名のクリスマスパーティを楽しんでいるだろう。クリスマスに家族と過ごせるなんて何年ぶりかしら、なんて喜んでいたのだから今日くらいはいい夢を見て欲しい。

 

 

 

 

 結局、チキンは切って小分けにし皿に並べることにした。

 他にもリースを模した海戦サラダ、クリームチーズをのせたクラッカーに、少量に抑えたフライドポテトと、見た目クリスマスらしいメニューをテーブルの上に並べていく。

 少し多く作りすぎた気もするけど、興が乗ってしまったので仕方がないと自分に言い聞かせる。瑠璃川さんには多くなってしまうかもしれないけど余りそうな分は僕が食べれば問題ないだろう。

 

 「相変わらずあんたって美味しそうな料理を作るわね。いっそ喫茶店に出してみたら?」

 「ははっ、さすがにこれでお金はもらえないよ。ただの趣味みたいなものだし、身内だけのメニューってことでよろしく」

 

 実は結構自信作だったから褒められることは素直に嬉しい。

 以前花梨さんに教わった「誰かのことを想って作る料理は美味しくなる」という教訓は、今も僕の心の中に活きている。瑠璃川さんが喜んでくれたのなら、それはきっと上手くいったのだろう。

 

 「飲み物はシャンパンでいいかしら? これもマスターが発注してたみたいだし遠慮せずにもらっちゃいましょ」

 「…マスター、どれだけクリスマスにお客さんが来ると思ってんだろう」

 

 いつも人の良いマスターを脳裏に浮かべながら、すぐに気持ちを切り替えて料理の並んだテーブルに着く。

 瑠璃川さんが用意してくれたシャンパングラスを持ち上げると、彼女も同じことを考えていたのか胸の高さまでグラスを持ち上げる。

 

 「「メリークリスマス」」

 

 そして、僕たちのささやかなパーティは幕を開けた。

 やっぱり美味しいわねと料理に舌鼓を打つ瑠璃川さんに対し、それはどうもと隠すこともせず素直に喜ぶ僕。

 今日のパーティはどうだったの? と尋ねてみれば秋穂ちゃん成分9割の、パーティの様子がほとんど伝わってこない、とても瑠璃川さんらしい話を聞かされる。

 サンタのコスプレをした秋穂ちゃんが可愛い。少し恥ずかしそうに照れて俯く秋穂ちゃんが可愛い。怒ったようにほっぺたを膨らませる秋穂ちゃんが可愛い。ケーキを美味しそうに食べる秋穂ちゃんが可愛い。

 いっそ洗脳しに来てるのではないかというくらいの秋穂ちゃん情報だったが聞き慣れている僕からすれば問題ない。むしろどれだけこの話は続くのだろうと感心するほどだ。

 食も進み、ケーキをテーブルに並べた後も色々なことを話した。

 毎年年末年始は瑠璃川さんと秋穂ちゃんともに実家に帰省するという話。

 秋穂ちゃんがそろそろ受験勉強を始めようとしている話。

 先日マスターの娘さんに会った後で「あれから君の話ばかりだよ」と凄まじい眼光と笑みを浮かべていた時の話。

 普段顔を合わせているのによくもこれだけの話が出来るものだと感心するほどに話題は尽きない。

 例え呆れることはあっても、彼女と過ごす時間をつまらないと感じたことなど一度もない。

 そして、だからこそ考える。僕はどうすべきなのか。それは正しいのか、と。

 

 「…あんた、今日はよく考えことをしてるわよね。どうしたのよ」

 

 気が付けば瑠璃川さんの瞳は僕を捉えていた。

 テーブルに着いた左手に顎をのせ、ほんの少しだけ不満そうな表情で彼女は言葉を告げる。

 

 「まったく。せっかくあたしの秋穂ちゃんが用意してくれたケーキなんだからもっと美味しそうに食べなさいよ。…なんかあんたさっきから心ここに在らずって感じよ」

 

 実に的確な表現だと、他人事のように僕は思う。

 確かに一つ、多分大事な決断を迫られているような気がして僕の意識は逸れている。

 だけどそれがもし間違えだとしたら。僕の考え過ぎなだけだとしたら。

 それが怖くて前に進むことが出来ないでいる。

 もういいじゃないか、今日は楽しかった一日で終わりにしよう。まるで僕自身の声のように、それは心の中で甘く囁きかける。

 そうなのかな…そうなのかもしれないと、そんな風に思ってしまうのは僕の弱さ故だろうか。

 

 「…だけど、それじゃあ駄目なんだよね」

 

 思い返すのは先のデバイスに届いていた一通のメール。

 最初は意味がよく分からなかったけど、今にしてみればとても重要なメッセージであることに気が付く。あれは彼女が僕に向けた言葉だったのだ。背中を押し、前へと進んで欲しいという僕への「告白」。

 それならば答えないわけにはいかないだろう。

 あの時出来なかった答えを、僕はいま持っているのだから。

 

 「…瑠璃川さんは、どうして今日ここに来たの?」

 

 沈黙を破り、伝えるのは最初の問いかけ。

 僕は覚えている。そこに明確な答えをもらっていないことに。

 

 「…なんでって、それは秋穂からの差し入れをあんたに届けるために」

 「違うよね。だってあれは瑠璃川さんが買ってきたものでしょ?」

 

 最初に気が付いたのは保冷剤を目にしたときだった。別に それ自体秋穂ちゃんが用意してくれていた可能性もあるが、僕にはどうも秋穂ちゃんが用意してくれたようには思えなかった。

 そもそも差し入れというのも不思議な話だった。

 瑠璃川さんの言う通りならば冬樹さんに追い出されなければ今もなお秋穂ちゃんの部屋でクリスマスパーティを楽しんでいるはずである。それなのにお土産? まるで僕に会うことを想定しているかのように準備が良すぎる。

 

 「自惚れかもしれない。考え過ぎなだけかもしれない。それでも、僕は瑠璃川さんに伝えたいことがある」

 「…ちょっと待ちなさい。あんたの言い分は分かったし言いたいことも分かるような気がするんだけど」

 

 届いたメールにはこう書いてあった、『頑張ってください』と。

 彼女に背中まで押されてしまっては、僕は一歩を踏み出すしかない。

 それが秋穂ちゃんへの、かつて僕に気持ちを伝えてくれた女の子への誠意だと思うから。

 

 「好きです。瑠璃川さん。僕と恋人になって下さい」

 「えっ…あぁ…うぅっ…」

 

 額に手を当て顔を逸らすように俯く瑠璃川さん。

 言ってしまったものは仕方ないと開き直る僕とは対照的に、珍しく顔を赤らめてその口から上手く言葉を話すことが出来ない様子だ。…いや、やっぱり僕も恥ずかしいかも。

 そんな僕たち二人が、時間と共に落ち着きを取り戻す頃に瑠璃川さんからの返事が届く。

 

 「転校生。あんた秋穂にまんまと乗せられたわね」

 「…えっ?」

 

 だけどそれは、予想してなかった一言だった。乗せられた? 秋穂ちゃんに?

 

 「えっと、どういうこと?」

 「…まず最初に言っとくけど、これは正真正銘秋穂からのあんたへの差し入れだから」

 

 …秋穂ちゃんからの差し入れ……本当に?

 

 「だから待ちなさいって言ったじゃない! 的外れな推理を聞かされるあたしの身にもなりなさいよ! いい? もう一度言うけど、あんたとあたしは秋穂に嵌められたのよ!」

 「嵌められた…? というか瑠璃川さんも?」

 

 はぁ、と深くため息を吐く瑠璃川さんは、ようやく合点がいったとの表情で僕に真実を告げる。

 

 「良く聞きなさい。あたしだって最初は変だとと思ったわよ。だって、まるであんたに会うことが前提みたいな差し入れを渡されたんだもの。そりゃあ疑うわよ」

 「…その時に何か聞かなかったの?」

 「聞こうとしたら秋穂ちゃんが『届けてくれなきゃお姉ちゃんとは口をきかないから』なんていうからぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。

 ということはなに? 結局僕の考え過ぎだったってこと?

 

 「うわぁ…すっごく恥ずかしいんだけど、もう帰って良いかな?」

 

 あまりの恥ずかしさに現実逃避を始める僕は窓から外を見る。吹雪いている。駄目だった。

 

 「…って、外がすごいことになってるんだけど! これ帰れないんじゃない?」

 「はっ? あんた何言って……ちょっと嘘でしょ…。…あんたどうするのよこれ」

 

 ドン引きである。

 外に出ることは出来ず、しかもこの微妙な空気。駄目だ、一刻も早くこの場を離れたい…!!

 

 「ちっ、仕方ない。おい転校生。あたしは決めたぞ」

 

 魂が抜けたように呆然としていた僕を余所に、瑠璃川さんは何か決意を固めたように真剣な表情で話を持ちかける。

 

 「食事も電気もあるんだからいっそ泊まっていけばいいのよ」

 「…はい?」

 「ほら、あんたはさっさと寝床を作りなさい! その間に今度はあたしが料理を作るわ。こうなったら今夜はとことんパーティよ!!」

 

 やばい、瑠璃川さんが変なテンションになってる。

 …けどまぁ、ここは素直に彼女の話に乗っかっておこう。

 彼女の耳が赤い理由も、今はまだ聞かない方がいいのかもしれない。

 

 「大丈夫。これでも前に進んだってことだよね?」

 

 どこまでが嘘で何が本当なのか。

 それは僕には分からないし、きっと知らないほうが良いのだろう。

 彼女の「答え」は分かりにくくて、だけどいつかは言葉にして返してくれるものだと思う。

 

 「…なにあんた人の顔を見てにやにやしてるのよ。気持ち悪い」

 「酷い言い草だね。それより毛布の準備は出来たから、仕切り直そうよ」

 「…………あんたがそれをいうのね」

 「…え? なにか言った?」

 「何も言ってないわよ! おら、暇なら手伝え!」

 「瑠璃川さん。大好きです」

 「うるさいっつってんのよ! さっさと皿を持ってきなさい!」

 

 僕と彼女の新しい物語は、きっともうすぐそこに……。

 

 

 

 

 彼女が目を閉じたその先で、しかし少年と少女は新たな物語を作らなかった。

 

 少女は言った。なかったことになどしないで欲しいと。

 

 少年は言った。きみはそれでいいのかと。

 

 少女は告げた。自分はもう大丈夫だと。だから彼女と向き合って欲しいと。

 

 少年は告げた。これからも君を傷つけてしまうことになると。それで本当にいいのかと。

 

 少女はもう一度笑った。もう手遅れなのだと。それならばせめて私の大切な人には笑っていてほしいと。

 

 少年は今度は笑った。終わりかどうかなど決めるのは自分たちなのだと。僕はきみと出逢えてよかったと。

 

 少年と少女は新しい物語を作らなかった。

 

 ボロボロに破れたページを挟んでなお、目を閉じた彼女に気付かれなくとも新たなページを書き記す。

 

 書き記し続けていく。

 

 

 

 

 真っ直ぐすぎる少年と、へそ曲がりで不器用な彼女のために何が出来るのか。

 

 それが分かった時、今度は私が物語の読み手になろう。

 

 それは少女のみが知る、誰にも読まれることの無いもう一つの物語。

 

 

 《これは私の物語 了》


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