ストライク・ザ・ブラッド 〜陽の皇女と陰の皇子〜 作:パニパニ
夜風が静かに吹く。緯度は東北地方と大して変わらないのに、風は意外に暖かい。穏やかな海面を満月の光が照らしていた。
ここは欧州はジブラルタル海峡。大西洋と地中海を繋ぐ玄関口だ。ここに軍事拠点を置くことは、周辺諸国にケンカを売るもうなもの。兵力の展開もまた然りだ。
しかし、海峡上空には飛行船が飛んでいた。遊覧用のものではない。正体は装甲飛行船。船名をベズヴィルドという。既に『旧式』の烙印がつく船だが、まだまだ現役だ。 海上には軍艦が何隻か。そのどれにも北欧アルディギア王国の紋章が刻まれている。
飛行船の艦橋では少女が船長席にどっかりと腰を下ろしている。その横で本来ここに座るべき船長が苦笑いしていた。
豪奢でフリフリの黒いワンピースを着た少女ーーもとい、女性の名は南宮那月。欧州の魔族には"空隙の魔女"として知られている。
ただ彼女を知る者がいれば『おや?』と首を傾げるに違いない。よく知らなくても同じように首を傾げただろう。なにせ、彼女のお腹が膨れ上がっているのだから。
そう。那月は妊婦だ。その父は第4真祖・暁古城。お腹にいるのはつまり、帝国の皇子/皇女。さらに言えば、出産予定日を明日に控えており、いつ陣痛が始まってもおかしくない。
ではなぜそんな身である那月が遠くジブラルタルまで来ているのかというと、本国でテロを企てていたテロリストを追ってきた結果だった。
暁の帝国に所属する国家攻魔官は慢性的に不足している。特に主力を成す雪菜、紗矢華が絶賛子育て中のため本国以外での活動は不可。稼働中なのは那月と唯里、志緒。雪菜はあとひと月で復帰予定だが、代わりに那月が明日から、唯里も半年後には子育てのためリタイアとなる。
「はぁ……」
何を憂いてか、那月は溜息を吐いた。
「もう、南宮先生。寝てないとダメですよ?」
「うるさい。私は病人じゃないぞ。大丈夫だ」
唯里が心配そうに声をかけたが、那月は知らん顔だ。
「こんなところにいた! 唯里だって妊娠してるんだから、他人の心配よりまずは自分の心配しなさいよ」
そう言って船室に引っ込むよう勧める志緒。
一瞬那月を見た唯里が「うんーー」と振り返ると、
「だっ!」
腹部を強い衝撃が襲う。唯里の腰に抱きついているのは鋼色の髪を持つ少女、グレンダ。かつて神縄湖で出会った龍族。今では唯里と志緒の大事なパートナーだ。
「ゆいりー、ゆいりー」
お腹に頬ずりするグレンダ。彼女は唯里が妊娠してから構ってくれる時間が減って、やや欲求不満だった。それをすべて発散するかのように甘えてくる。
唯里はそんなグレンダの髪を優しく撫でてやりながら軽くたしなめた。
「グレンダ、お腹に飛びついたらめ! だよ?」
「ゆいり、痛い?」
「わたしは大丈夫だけど、お腹の赤ちゃんが『痛い!』って泣いてるから」
「うー。あかちゃー? ごめーなさい!」
「うん。赤ちゃんも、『ありがとう』って言ってるよ?」
唯里の言葉を聞いて安心したのか、グレンダはぴょんぴょんと飛び跳ねる。その様子を、唯里はあたかも我が子を見守る母親のような目で見守っていた。
「小娘ども、じゃれるのもそこまでだ」
唐突に那月が立ち上がる。数瞬遅れて無線が入った。
『目標接近!』
水平線からぼんやりとだが貨物船が顔を出す。
「いくぞ」
那月が言うや、唯里と志緒、グレンダの三人は飛行船の外にいた。
「「い、いやあぁぁぁぁぁぁっ!!!」」
思わず絶叫する唯里と志緒。一方のグレンダは楽しそうにはしゃいでいる。
「グ、グレンダ! 早く早く!」
「だーっ!」
唯里の叫び声に応えて、グレンダはその姿をドラゴンに変じる。唯里たちを拾ったグレンダはそのまま貨物船へと近づいていく。
貨物船からはミサイルや機銃が歓迎の花火を打ち上げる。が、それらは那月がことごとく防いでいた。
グレンダは貨物船の甲板に那月と唯里を降ろす。敵を排除あるいは拘束し、海上にいるアルディギアの騎士団を引き入れるためだ。
チラッと後ろを振り返れば騎士団を乗せた高速艇が白波を蹴立てて接近してくる。
志緒はグレンダとともに上空警戒と援護に当たっていた。邪魔者があれば即座に排除する。
三人もの優秀な攻魔師が警戒するなかをかいくぐることのできるものなど存在しない。発見されたなら最後だ。
「ーー疾く在れ"龍蛇の水銀"!」
唯里が召喚した白銀の双頭龍が隠れて隙を伺っていた劣化版ナラクヴェーラを葬り去る。
最近テロリストの間で流通し始めたナラクヴェーラは劣化版とはいえ、オリジナルと大差ない性能を持つ。唯一失っているのは自動修復機能だが、数が揃えば問題にならない。いわばナラクヴェーラが普通に流通しているわけだ。
世界的に頭を悩ませている問題だが、"暁の帝国"の面々からすると簡単な話だ。力でねじ伏せればいい。
眷獣がナラクヴェーラの掃討を終えるのとほぼ同時に騎士団が乗船。制圧にかかった。
唯里も同行する。那月はお留守番だ。
散発的な抵抗はあったが、ものの10分で制圧した。
「ほう。やるな」
那月は教え子の成長に感嘆しつつ、無意識のうちに膨らんだ下腹部を撫でていた。
任務が終わるとすぐさまベズヴィルドに収容される。帝国の皇妃に子供までいるのだ。万が一があっても困るのはアルディギアだから、彼女たちの扱いも丁重になる。
このまま最寄りの空港に待機している帝国の飛行艦に乗る予定だが、ひとつ問題が生じた。
それがこの一件の後始末だ。
事件を起こしたテロリストは帝国に滞在していたのだから、事件が解決して『はいおしまい』では済まされない。詳細に調べ上げておかなければならないのだ。怠慢は古城が許しても雪菜が許さない。上司である那月でも雪菜の雷が落ちるだろう。
仕事に口うるさい第1皇妃(雪菜)の顔を思い出し、三人は同時に嘆息する。事情を知らないグレンダが「だっ?」と不思議そうに首をかしげた。