チャレンジャー海淵水深一〇〇〇〇メートル超。
嘗て地上数光年先まで到達した人類でさえ未到達の彼の地にて三人の深海棲艦──いや、深海棲艦からも逸脱した存在はその洞窟の中で楽しげに話し合っていた。
「アラァ?マサカソロモンマデヤラレチャウナンテ思ワナカッタワァ」
「レ級ヤチュークハ兎モ角、ソロモンガ負ケタノナラ放ッテオクノハ危険」
バミューダは三角形を頭の上で浮かせ『深海魚レシピ』と書かれた作者不明の書籍を捲りながら答えている。
「ソウヨネェ、デモソロモント一緒ニ沈ンダンデショウ?」
「ソウ、デモ油断出来ナイ。アノ男ハ一度耐エテイルノダカラ」
「フーン……ソレナラチョット探シニ行コウカシラァ?興味モアルシネェ」
「ナラワタシモ行クワ」
「待て、ミッドウェー、バミューダ」
話が纏まりバミューダも本を閉じて二人で洞窟を出ようとした時、不意に制止がかかった。
二人が振り向くと、黒く艶やかな髪を足首まで下ろした高身長のスレンダーな女がミッドウェー達の元に向かって来ていた。
「チッ……アラァ、ドウシタノカシラ?鉄底海峡
「……アイアンボトム・サウンド。何故止メル?」
「我々は干渉しすぎた……これ以上は均衡を崩しかねない。それは
ミッドウェーはあからさまに顔を顰めながらアイアンボトム・サウンドへ異を唱える。
「デ、デモ……アノ男ガ生キテイレバイズレ均衡ハ崩レルワヨ?」
「分かっている、その件についてはあの御方に報告しておく。少なくとも我々が動くよりも世界に影響を与えずに対処して頂けるであろう」
「ウグゥ……ワ、ワカッタワヨォ。大人シクシテイレバ良インデショ」
ミッドウェーは再び席に着くと退屈そうに背もたれへもたれ掛かりその体を大きく反らせ始める。
バミューダも興味を失ったのか既に本を開き直しイ級のムニエルに釘付けとなっていた。
「(仮にも世界を管理する者の一角だと言うのに……)」
アイアンボトム・サウンドはそんな二人の様子を見て頭を抱えたくなったが、報告が先だと思い直し洞窟を後にしたのであった。
……う…………息が苦しい……ここはどこだ……俺は…………何を……?
俺はぼんやりとした頭を働かせここまでの出来事から現状を確認しようとするがそこで自分の記憶が抜け落ちている事に気付く。
確か深海棲艦共と戦っ……たよな?
間違いなく戦ったと感じるのに記憶が無い……。
俺は謎の違和感覚えたがそれを一先ず置いといて先に目の前のクッションらしきものを排除し、呼吸を確保する事にしよう。
状況は分からないが取り敢えず人の顔面にクッションを押し付けている奴は赦さん。
犯人への怒りを露わに、戦闘の損傷のせいかかなり動かしにくくなった右手を使いクッションを押しのけようとする。
「んぅっ…………っ!」
ん?何か聞こえた気がしたが……気のせいか。
しかしあまり力が入らないせいでクッションが動かせねぇ、このままだと冗談じゃなく窒息死してしまうぞっ。
クッションに殺されたなんて笑い話にはなるかも知れないが当事者からしたらふざけんなって話だ!
俺は左手も総動員し、再度クッションからの脱出を試みる。
「んぁっ…………んんっ……っ!まだ我慢して欲しいのっ……もう少しで海面に出られるのね」
今度はこっちに話し掛ける声が聞こえたかと思ったら後頭部から押さえ付けられクッションに強く押し付けられ脱出が更に困難となった。
くっ……そうか、此処で俺を窒息死させて確実に葬り去ろうというあの深海棲艦共の策略に嵌ったのか……。
確かにもうこの状況を脱する手段は残されていない、完全に奴らの勝ちだ。
だが、ただじゃ死なねぇぞ!何としてでも一矢報いてやるっ!
そう意気込んだのも束の間、拘束は呆気なく外され俺は呼吸と多少ぼやけているが視界を確保する事が出来た。
「んふぅ。門長てーとくっ、無事で何よりなのね!」
「ああ?…………誰だてめぇは、奴らの仲間か?」
「えぇ……一ミリも記憶に無いのは流石にあんまりなのね」
あんまりも何も初めて会った奴を思い出すなんて未来が見えてなきゃ不可能だ。
その事は奴も理解出来たらしく何故かため息一つついていたが説明する気になった様だ。
「はぁ……わかったの、鎮守府に戻りながら説明するのね」
「おう、だが俺をその駄乳で押し殺そうとした事は忘れんからな」
「そ、それは誤解なのねっ!イクは提督が海水を飲まないようにしてただけなのっ!」
「んなこと知るか、さっさと行くぞ」
駄乳の弁明には耳を貸さずに鎮守府へと歩を進ませる。
道中聞いた駄乳(伊十九とかいってたか?)の話を簡単に纏めると、俺を心配してくれた心優しい電ちゃんから何かあった時に俺を助けるよう頼まれていたらしい。
途中駄乳が何度か目を逸らしていたが別段興味も無いので放っておいた。
「電……ありがとな、俺帰るよ君たちの待つ場所へ」
「ま、まあ……嬉しそうで何よりなの……っと見えてきたのね」
暫く進み夜がすっかり耽った頃、漸く我が家の目の前まで到着したのだ。
時間が時間だからか建物の電気が殆ど消えており、付いているのは工廠と入渠ドック位である。
響達が入渠しているのではと思い、先に補給を済ませる為工廠へと向かう事にした。
「明石、いるか?」
「う、うぇっ!?門長さん!生きていたんですね!?」
「ったりめぇだ、それより補給の用意と……今の入渠ドックの使用状況を教えてくれ」
「あ、はい!え……っと今入っているのは金剛さんと吹雪ちゃんですが吹雪ちゃんはもうすぐ出ますが金剛さんは後七時間程掛かります」
七時間か……なげぇな。
続いて俺は明石に他の入渠予定がいるか訊ねた。
「後は……七時間の暁ちゃんと五時間の不知火が入渠待ちですね」
「……わかった、じゃあ不知火、暁と修復が完了したら起こしてくれ」
「はい、では点検と応急修理だけはさせて頂きますね」
「おう、任せた」
明石はそう言うと準備の為に奥の部屋へと入っていった。
俺がその間に補給を行っていると後ろから恨めしそうな声が耳に入ってきた。
「明石さんと初めて会ったのにスルーされたのね」
「あ?潜水艦なら見つからない方が良いんだろ?やったじゃねぇか」
「それとこれとは話が別なのっ!仲間にまで忘れ去られるのは全然嬉しくないのね!!」
「あ〜うるせぇ、だったらてめぇから喋りかければ良いだろうが」
「あ…………えへへ……それもそうなのね。流石てーとくなのぉ」
うぜぇ……取り敢えず此処で急速潜航させとくか。
駄乳の後頭部を鷲掴みにして地面に押し込もうと試みるが駄乳の抵抗により残念ながら埋めることは叶わなかった。
「っはぁ……はぁ……いきなり何するのね……」
「チッ……運が良かったな」
「てーとくは相変わらず容赦ないのね」
くそっ、ムシャクシャするがこの状態じゃ何をするにもままならねぇ。
仕方ねぇが治るまでは大人しくしておくか、下手な事したら響に沈められかねない状況だしな。
そうこうしている間に準備を終えた明石が俺を診察台へ誘導する。
「さて、診察しますのでじっとしていて下さいね」
「ああ」
「あ、あのっ!明石さん、初めましてなの!伊十九なの、イクって呼んで欲しいのね!」
駄乳の突然の自己紹介に明石は少し戸惑うも直ぐに理解したのかいつも通りの笑顔で返事をしていた。
「初めましてイクさん。イクさんはドロップでしょうか」
「イクは摩耶と一緒に建造されたのっ。ただ色々理由があって姿を見せることが出来なかったのね」
「そうなんですか?でも門長さんからも摩耶さんからも何も聞いていないのですが……」
「ああ、それについては明日電に聞いてみれば全て分かるだろう」
「はあ、まあ分かりました。それではイクさん、改めてよろしくお願いしますね?」
「よろしくなのっ!」
「まあこいつの事はどうでもいいから普通に動ける位にはしてくれ」
「どうでも良いと言うのは……応急修理は致しますが……」
「イクは大丈夫だから応急修理してあげて欲しいのね」
「すみませんイクさん……あ、でしたら吹雪ちゃんが上がったら入渠ドック使ってください。少し損傷しているようですので」
「にひっ、ありがとうなの!」
駄乳は明石に礼を言うと足早に工廠を去っていった。
「暁達優先に決まってんだろうが……」
「まぁまぁ、イクさんの入渠時間は五分も掛かりませんし大目に見て下さい。それより応急修理と言っても時間が掛かりますのでお休みになられてても良いですよ」
まあ……それ位なら仕方ねぇか。
「おう、終わったら起こしてくれ」
「了解しました。それではお休みなさい門長さん」
明石が言い終える頃には俺の意識は夢の世界へと旅立っていた。
── 1階廊下 ──
「言われた通りに助けたけれど本当に良かったの?」
「良いのですよ、私は響ちゃんの望むようにするだけなのです。響ちゃんが幸せなら……それで……」
「ふ〜ん?ま、イクは面白そうな事に首を突っ込んで行くだけだから何でも良いけど……気付かれたくないならその
「うっかりなのです。そうですね、イクさんも感づかれないよう気を付けて欲しいのですよ?」
「その点は問題無いのね、悲しい事だけど少し姿を眩ませればみんなイクのことなんか忘れてしまうのね」
「私は忘れませんよ、それではお休みなのです」
「お休み……電……にひっ、覚えてる人が居てくれるのはとても嬉しい事なのね」
あ、もう限界です私も寝ますですおやすみなさいです。