ウォルターが拾っていた音は、サリンバン教導傭兵団内での揉め事だった。
ハイアの起こした“勝手な”行動を、団員達はとがめ、叱責していたのだ。
「ハイア……俺は別に、お前のやり方を否定する気はないけどな」
「……ヴィート」
腕を組みながら、ヴィートと呼ばれた青年はハイアを見ていた。その隣で、心配そうな眼でミュンファがハイアに視線を向けている。
どこか呆れたような口調で言うヴィートは、ハイアを責めるわけでもなく、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「ウォルターさんのことは知ってるし、お前の性格もよく知ってる。レイフォン・アルセイフと決着を付けたいと強く望んでいることも」
「……じゃあ、なんさ?」
「…お前が決着をつけるかつけないかは、好きにすればいい。…だけど、ウォルターさん達や…、このサリンバン教導傭兵団を巻き込むのがいただけないんだよ、みんな」
黒緑色の短髪をかき混ぜながら、ヴィートは言う。彼の周りに立つ団員達も、同じようにやや眉根を寄せていた。
だけど、とハイアは口を開く。
「天剣授受者が、サリンバン教導傭兵団の安全を保証してくれるらしいさ。……それに、レイフォンの報復は、きっとない」
「なぜ、そうだと言い切れる? あれは不安定だ。かつて天剣になったとは思えないほどにな。そして……あのウォルター・ルレイスフォーンから継承したとは思えないほどに」
「……危険があるうちは、ないからさ。あの甘ちゃんは、牽制程度しかしてこない」
「それなら、いいけどな。……ウォルターさんは、お前の行動に納得してるのか?」
「……わかんないさ」
相変わらずあやふやな態度か。ヴィートは少し眉間を押さえ、息を吐いた。
ハイアはヴィートへ視線を向けながら呟く。
「おれっちはただ、どういう形であれ決着を付けたいだけさ。……それに……」
「それに?」
「……これが終われば、おれっちはいないから」
団長としてはふさわしくない行動だ。
サリンバン教導傭兵団から追い出されてもおかしくない。だからこそ、レイフォンが報復すべきはハイア個人となる。すでに、戦うときには「団長」ではないだろうから。
そんなハイアに対し、ヴィートは溜息を吐いた。
「……お前のそういうところ、分かってたはずだったんだけどなぁ」
やんわりと困ったように笑みを浮かべ、ヴィートは呟く。
「無茶をさせないのが、大人の務めだと思ってたんだけどね…。…そうもいかないかな…」
ハイアとそれなりに年齢が近いからといって、思考が同じだとは思っていない。
似た感情を抱くことがあっても、同じではない。
レイフォン・アルセイフの存在は、どうあってもハイアにとっては無視できない存在のようだ。
何より、ウォルター・ルレイスフォーンの存在が。
「取り返しの付かない事態になるわけでもない、か。…好きにするといいんじゃない、“団長”」
「……迷惑、かけるさ」
「かけられました」
くっくとヴィートは笑って、ハイアが見慣れたヴィートのへらへらとした笑顔に戻る。
常はテンションの高い人間のくせに、しっかりものだというのが困りどころだ、と思いながらハイアは小さく感謝した。
深く追求せず、したいといったことをさせてくれる彼を。
ふと、その場にいなかったフェルマウスが戻ってきた。その手には、拳大の石が握られている。
それには手紙のようなものがしっかりと括りつけられていた。
「これがそこに落ちていた」
そう言葉を紡いだフェルマウスから石を受け取り、ハイアはそれを見る。なんともつかない笑い声を漏らしながら、便箋をフェルマウスへ渡した。
「…まったく、天剣授受者っていうのは困ったもんさね」
「フェルマウス。…手紙はなんて書いてある?」
ヴィートはそう問う。回りにいた団員の視線がフェルマウスへ集まった。
「天剣授受者、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスがマイアスにいる。明日の戦闘に乗じこちらへ移動するつもりだが、それをレイフォン・アルセイフに気取られては面倒なことになる可能性がある。注意を引くように、とのことだ」
「…それは…おれたちの身柄の安全を、本当に天剣授受者がしてくれるってことだな?」
やや眉根を潜めたヴィートの隣に立っていた男が、そう呟いた。その言葉に、周囲にいた団員から安堵の息が漏れる。
彼らが恐れていたのは事を起こしたハイアへ、そしてそれに伴った自分達へのレイフォンからの報復、そして、それを許さないといった時のウォルターの報復だ。
その怒りの矛先を、自分たちが受けない事に対して安堵したのだ。
それにやや納得いかないという顔で、ハイアは小さく舌打ちをした。
「…マイアスからツェルニに石をぶん投げて届かせただって? ……本当…」
呟こうとした言葉は、飲み込んだ。
確かに天剣授受者がそういう者達の巣窟だということは知っている。そしてその中ですら、ウォルターが規格外の存在であったことも。
だが、それを呟きだとしても言うことをためらう自分がいた。
―――――そんなこと言ってる場合じゃない、さね…
やるべきことを、きっちりとやり通さなければ。
「……ねね、ハイアちゃん」
「ヴィート…。なんさ~?」
フェルマウスは沈黙を保ち、ミュンファはヴィートの隣で肩身狭そうに立っている。
先程のほぐれた顔より少し表情を引き締めて、ヴィートはハイアを見ていた。
「どうして先走ったりしたの?」
「……いきなり、そこ言ってくるのかさ~? もうちょっと…オブラートに包んでくれてもいいのに」
「えぇ~、だめだめ。俺がハイアちゃんをそーやって甘やかすとさぁ? ハイアちゃんったらすーぐ調子に乗って『教えてやんないさ~』とか言うから。ねぇ、ミュンちゃん」
「声真似までしなくっていいさっ」
話を振られたミュンファは慌てた様子で手を絡ませ、ハイアはヴィートに文句を言った。
からからと笑ってヴィートはハイアを見ているが、視線はまっすぐにハイアを射抜いている。
「…で…どうして?」
「……ここは、おれっちの家さ」
「まぁ……そうね…」
ヴィートは腕を組み、小さく頷く。
他都市で拾われたハイアは、この放浪バスの中で育った。日毎に刀術の技術を伸ばし、年を追うごとに背が伸び、そして団長として成長する姿を、ヴィートは見てきた。
「生まれた都市にいい思い出なんてない。ここがおれっちの家さ。…おれっちが育った、ここが」
ハイアの手が、壁を走るパイプを撫でた。
その動作を視界の端で見ながら、ヴィートは再び小さく頷く。
「…やけじゃないっていう事は一応、信じてるつもりだけどね、俺は。……ねぇ、フェルマウスはどう思う?」
「…わたしも同じ意見だ。自分から壊してやろうという気ではないと思っているが…そうにせよ、そうでないにせよ…どうするつもりだ?」
ハイアのパイプを撫でる手が止まった。
ヴィートも、フェルマウスも気づいた。ハイアが独り立ちする気なのだと。失われる前に、自分から、家を出ると。
ハイアは孤児だ。そんな彼には、独りに疲れた時に身を寄せられる場所がない。そんな彼は、一体どうしようというのか。
「…流れ者らしく、ふらふらしてみるさ。天剣はほしいけど、もし天剣を得ることになれば定住することになる。……それはそれで、今現在はちょっと抵抗あるし…なんとなくさ~」
「ふぅん……、まぁ、ハイアちゃんがそれでいいならいいけどね。ミュンちゃんはどうする?」
「……わ、わたしは…わたしも、ハイアちゃんと一緒に、行く」
「へ」
「へぇ?」
ミュンファの意外な言葉に、ハイアは眼を丸くし、ヴィートがにやりと口角をあげた。
勢い込んだその顔に、ハイアはわざとらしく渋い顔をしてみせる。
「未熟者のミュンは邪魔さ~」
「…う…」
言い方が辛辣だよ、とヴィートが肩を竦めた。だが、涙目になったミュンファを見て、ハイアはおもいっきり笑う。
「あはは! ま、好きにすればいいさ~、おれっちはもうミュンに命令なんてできないさ」
「……うん、うん……」
涙を拭いながら笑みを作ったミュンファに、肩の力を抜いてハイアは笑いかけた。
ヴィートはやれやれといったような顔で呆れ笑いをこぼし、腰に手を当てる。
「まったくハイアちゃんはいじめっこだよねー」
「そういうヴィートは、どうするんさ?」
「んー……俺?」
「そうさ~。おれっち達が来るよりもずっと前からいたヴィートこそ、ここの方がいやすいんじゃないのかさ?」
ハイアがそう言ってヴィートを見る。だが、ヴィートはいまいちはっきりしない顔で首を傾げた。
「うーん……そかな?」
「そかな? って聞かれても…おれっちは知らないさ」
「あはっ、そうだね。…俺としては、まったりどっかでできるといいねぇ。老後のためにも」
「老後って…早いさ…」
「そう? でも傭兵やってるとそう思うよ。俺だって…この武芸の腕を落としたいとは思わないけど。でもやっぱり、そういうまったりした生活に憧れるよ、正直」
「おっさんさ~…」
呆れてハイアが笑いながら声をもらす。
ヴィートは「三十路近いんだからおっさんだよ」とハイアの肩を引っ叩いて答えた。
そんな何気ない日々の空気が、戻ってこようとした。
ちょうど、その時だった。
『イオ先輩?!』
フェリ・ロスの戸惑ったような声。続いて響く乾いた音。
ハイアは慌てて、ウォルターとフェリの方へ向かった。