そんなことを話されているとも知らないウォルターは現在、目の前に座る銀髪の念威操者に脛を蹴られていた。
彼女に拘束は無いが、武芸者であり天剣授受者でもあった彼には用心として――意味のない用心ではあるが――両手両足に拘束が施されていた。
その為に、やろうと思えばできるが、そんな気も起きないウォルターは彼女……フェリの機嫌がなおるまでは心ゆくまで蹴られてやろうと諦めていた。
「不快です、非常に不快です」
「あー…」
「まったく、どうしてくれましょうね」
「落ち着けよ」
「では、イオ先輩の脛が青く染まり切ったら落ち着きましょう」
「…………………」
フェリの横暴さにウォルターはいつものことか、と諦め混じりに息を吐いた。
しかし怒らせた理由は自身であり、加担していた事も確か、こうなった理由も自分とあっては、さすがにウォルターも反論や言い訳はしなかった。
すっかり諦めた様子のウォルターにフェリも息を吐き、脛を蹴っていた足を止める。
「……冗談です。…………ですが、まさかあなたがこんなことに加担するとは思いませんでした」
「オレはそんなつもりじゃねぇけどなぁ」
「…頼まれたから、でしょう?」
「…………………」
「無言は肯定ですか。…本当あなたは人がいいというか、なんというか…」
「……まぁ、オレだって同じ状態なンだし、別に文句は言えねぇだろ。おあいこだ」
ウォルターがそう言って肩を竦める。肩をすくめた動きに合わせて手にかけられた拘束具が金属音を奏でた。
「……あなたは、わたしをこうしろとだけ言われていたんですか?」
「隙作れ、程度だ」
「じゃあ、あっさり降参したのは…」
「面倒だったから」
「…なんですか、それ…」
「怪我をさせる気はねぇみたいだからな。どうでもいいと思って」
ウォルターはそう言って自身の拘束具に視線を落とした。
拘束具はウォルターが怪我をしないよう丁寧に取り付けられている。金属と皮膚が擦れて傷にならないようさり気なく布が巻いてあり、拘束具はゆるい。抜こうと思えば手を引き抜く事も出来る。
「特に文句はない」
「……あなたは、いいんですか?」
「なにが」
「…一応、ハイアのことは“信頼”していたんでしょう?」
「……“信頼”、ね」
フェリの言った「信頼」という言葉に、それがおかしいとでも言いたげにウォルターは小さな笑い声をもらした。
くつくつと笑うウォルターに、フェリは怪訝な眼を向ける。
一体、なにがおかしいのだろうと。
「何か、わたしはおかしなことを言いましたか?」
「…言ってない…と思うけど?」
「どういうことですか」
はっきりしない態度にフェリは軽い苛立ちを覚え、ウォルターの脛を再び蹴った。
先程青あざになるほど、といったが、ウォルターがこの程度でそうなるとは思えない。だからこそ容赦なくフェリは脛を蹴った。
口では「痛い」というウォルターだが、表情や声にそんな雰囲気はなかった。
「……オレが信頼しているかどうかと言われれば別だ。…オレは、“他人”を“信頼”するつもりはないンでね」
「……信頼するかどうかは、自分では決められないのでは? 知らないうちに信じている、なんて事があってもおかしくはないでしょう」
「いま言ったことをロスが、オレにライアの前ではっきりと言えって言われたら言えるぜ? ……いま、扉の前にいるライアに」
ウォルターの言葉にほんの少し驚いた様子でフェリが扉の方へ視線を投げた。
言葉と視線を向けられた扉は、小さな音を立てて開く。
「さすがウォルター、気付いてたんさね」
「隠す気も無かっただろ。……で、なンのようだ」
「……ウォルター、怒ってないんさ?」
「別に」
あっさりとしたウォルターの言い方にハイアは申し訳ないという感情よりも、寧ろ背筋が凍るような、恐怖が湧き上がるのを感じていた。
その言葉にハイアは、信頼を……いいや、ほんの少しでも気を許してくれていた事を、すべて無下にしたのだと。
だがそんな事を感じ取ったのか、ウォルターは鼻で笑う。
「……悪いけど、オレは別になんとも思ってねぇだけだ」
「…………………………」
「オレはなんとも思ってねぇって言ってンだろ。……なンかしてほしいなァ、とは思うけど」
にやりと意地の悪いような顔をして、ウォルターはハイアに笑みを向ける。わざとらしく拘束具の金属音を奏で、催促するようにして。
しばし停止していたハイアだったが、ウォルターに控えめな視線を向けると、拘束具を外した。
「どーも」
「……いいんですか、こんなことで」
「オレは別に怒ってた訳じゃねぇし。……邪魔だなぁと思ってただけ」
「…………適当すぎます」
フェリが納得行かないというような顔でウォルターを見、そんなフェリをウォルターは軽く肩を竦めつつ視線を向ける。
「別にそんなに深刻に考えることでもねぇだろ」
「……ウォルター、ほんとに怒ってないのかさ……?」
「…あン?」
「確かに、言うべきだったっておれっちもわかってたさ、けど、結局言わなくて…」
ウォルターはふむ、と無表情で腕を組んで、ちょいちょいとハイアを呼び、かがませた。
屈んで、用を問おうとしたハイアの額を、ウォルターは勢いよく突く。
「なんさ……っ、いッ!」
完全に無防備だったハイアはそのまま後ろに尻もちをつく。
地面に座り込んだハイアは、茫然とした顔でウォルターに視線を向け、ウォルターがにやりと笑った。
「っは、ばかだろお前。オレを怒らせたいにしては、甘ぇなぁ?」
「べ、別に怒らせたい訳じゃないさ!」
「ならいいだろ。うじうじ言われる方が鬱陶しい」
「…………………………なんだかんだいって、ウォルターも甘いさ…」
ウォルターは、唇を尖らせたままそっぽを向いたハイアの頭を軽く叩くと、座っていたベッドに寝転んだ。
「あー…らくらく」
気楽なウォルターの声音に、ハイアは軽く叩かれた頭を押さえてさらに視線を逸らす。
―――――……おれっちは、心のどこかで「ウォルターなら許してくれる」って思ってた
結局は、ウォルターに甘えたのだ。
レイフォンには格好つけてあんなことを言ったが、結局はそこだ。
ウォルターなら許してくれる。
そんな甘えからこんな行動を起こして、ウォルターに手間をかけさせて。許してくれると思うなんていうこの甘えを何とかしない限り、自分もレイフォンの事を言えはしない。
レイフォンにもそういう節がある。ウォルターになら、大抵の事はしても許してもらえる。
本人にそういうつもりがなくても、裏にはそういう感情がありそうな行動が幾つかちらちらと見える。
―――――おれっちもまだまださ
だが、いまはそれにさいなまれる時ではない。だからこそ今、“こうする”と決めたのだから。
視線をウォルターへ戻し、ハイアは口を開いた。
「…ウォルター、本当に悪かったさ。フェリ・ロスにも迷惑かけて、悪いけどもう少し待ってるさ」
「さっさとしてください」
「おう。……気ぃつけろよ」
「……りょーかい、さ」
ハイアはやんわりと笑みを浮かべながらウォルターから視線を外し、立ち上がって踵を返すと部屋を出た。
ウォルターにも分かっている。
武芸者同士の戦いで、絶対に怪我をしないことなどない、と。だが、まぁ、それでも言うだけならと言うだけだ。