練武館を出たレイフォンは、フェリのマンションへ向かっていた。
ウォルターの住んでいるアパートは後として、ともかくフェリがいるであろう可能性の高い方へ向かうことにした訳だ。
実際、ウォルターはこの前のように“自分のこと”でこのツェルニという都市にすらいない可能性も考えられるからだ。その点では、フェリにはそういう可能性は無い、必ず予想のつく場所にいる筈だと。
マンションには程なくしてたどり着いた。
レイフォンがエントランスホールに入って、チャイムを鳴らすために部屋番号を探していた時、その声はかかった。
「……いよう」
声で誰かは分かった。
レイフォンは対応を遅れさせないためにも、振り返り、声の主と向き合う。
声の主……ハイアは、何処か企んだ笑みを浮かべていた。レイフォンは嫌な予感がして、先程よりも一層不機嫌を表情ににじませる。
「どうしてここにいる?」
「本当、裏表の激しいヤツさね。……まだウォルターにもそんな態度とってんのかさ?」
「……ウォルターはいま関係ない。…どうしてここにいる?」
「手厳しい」
「答えろ」
ハイアの何処か余裕じみた言葉にも耳を貸さず、レイフォンは鋭く言葉を言い放つ。
ひっそりと、内心ウォルターという言葉に動搖した事は、ハイアには気取られていないようだった。
「まぁ、そんな顔もいつまでしてられるか、見ものさ~」
「だから……」
話を逸そうとするハイアにレイフォンは、苛立たしいとばかりに言葉を紡ごうとしたがそれは遮られる。
遮ったものは、ふたつの金属。
小さいその金属はハイアの手から放られ、放物線を描きながらレイフォンの方へ向かってくる。
宙でそれらをレイフォンは掴み取り、手の中のものを確認して、眼を見開いた。
「これ、は……」
エントランスホールの光を受けて鈍く輝くふたつの金属は、十七小隊のバッヂ。
レイフォンは先程より眼を険しくして、ハイアを見た。
「おっと、動搖してるさ? まぁ、もう分かってる筈さ~。……フェリ・ロスとウォルターはちょいと預かってる」
「笑えない冗談だね。…なにより、お前がウォルターを捕まえられるほどの実力があるとは思えないんだけど?」
「……ちょっと、ウォルターの優しさに付け込ませてもらったのさ。絶対に、こんな事をするつもりなかったけど…、あんたと戦うために、さ~」
ハイアの言葉に、レイフォンは更に双眸を鋭く細めた。
そうレイフォンに話すハイアの眼にゆらぎはない。
しかしレイフォンは目の前で話すハイアの態度に、今までとは何処か違うような、よくわからない感覚に襲われていた。
感じている理由は、ひとつ。その瞳が冷えきっているからだ。
いままでは燃え盛る炎のような覇気をハイアから感じていた。しかし、いまのハイアにはそれがない。だからといって、戦いに熱意が無いわけでは無い。
―――――じゃあ、なんだ…この感覚は
レイフォンはハイアのその瞳をはかりかねていた。
冷たく、鋭利な感覚、それでいて戦いに対しての凶暴性がなくなったわけではない。
レイフォンのように感情を沈殿させている瞳というわけでもなく、ただ、何処か……
「ともかく、さ」
ハイアの言葉に、レイフォンは思考から現実へ引き戻される。
相変わらず冷めたハイアの声音にレイフォンは無意識に剣帯の青石錬金鋼へ手をかけた。
「勝負は明日、さ~。余計な詮索はいらない。あんたと戦う。それだけさ」
「……マイアスと裏で手を組んでたりでもしたのかな」
「そんなわけないさ。さっきも言っただろ、戦うため、それだけさ。……あと、あんたが使う錬金鋼はいまあんたが手をかけてる錬金鋼じゃない」
「…………………………」
そう言いながら、ハイアが組んでいた腕をほどき、レイフォンの剣帯を指さした。
「そっちの、“刀”の錬金鋼の方さ」
「……なにを、考えて……」
「こっちだって信念は曲げてる。だったら、そっちだって曲げて当然だろ?」
「……ウォルターの、事か」
レイフォンの瞳に疑惑が宿る。
それを察したのか、ハイアはくっくと笑い声をこぼした。
「そういうことさ。……ウォルターには純粋に憧れてる。だから裏切るなんて真似をする気は一切なかった。…けど、あんたは随分と甘ちゃんさ~、並大抵の事じゃ本気になんてならないだろ?」
「…………………………知らなかった」
ハイアは片眉をあげてレイフォンを見た。
訝しげなハイアの視線を向けられながら、レイフォンの纏う空気が変わっていく。
レイフォンの発した剄があたりの空気と摩擦し、床の僅かな埃でさえ弾き、音を立てる。
「……お前がそんなに死にたかったとは、知らなかった」
「いまやろうなんて無駄な話さ。…2人はサリンバン教導傭兵団の放浪バスにいる。おれっちが戻らなかったら、それはそれでお楽しみさ」
「……本当に出来ると思っているのかな」
「それはそれさ~。あんたみたいな甘ちゃんが、“仕留める”なんてこと、出来るなら別だけどさ」
ハイアの挑発的な言葉にレイフォンは先程よりも錬金鋼を掴む手にちからを込めた。しかしそんなレイフォンに目もくれず、ハイアは踵を返す。
レイフォンは最後の確認だとばかりに言葉を投げた。
「本気で、フェリ先輩やウォルターを拉致したんだって言うなら…、僕は手加減しない」
「本気さ。本気じゃなけりゃ……巻き込んだりしないさ」
振り返りはせず、そのままハイアは去っていった。
その場に残されたレイフォンは1人、手の中のバッヂを見つめて強く握りしめた。
「フェリ先輩……、ウォルター」
―――――確かに、これは相当本気みたいだ
少し前の違法酒事件の事を考えれば、ハイアは特に興味のない相手に対して、真剣に対応するという様子は見られなかった。だがその逆、ウォルターのような人に対しては決して“自分勝手な行動”に巻き込むとは思いもしなかったのだ。
だが、今回は巻き込んだ。
それならそれでレイフォンも全力を尽くすだけだということだ。
ニーナ達十七小隊に事を伝え、レイフォンは生徒会室でカリアン、ヴァンゼに事情を伝え、移動していった。
生徒会室にいるカリアンとヴァンゼは、レイフォンが出て行った扉を見つめつつ息を吐く。
「本当、レイフォン・アルセイフは誇りなどでは戦わないね。彼は、ほんとに明確な理由……誰かがいなければ動かない」
「……動けないとも言うがな」
「そうだね。だけど、そうなればその彼が誰かのために動こうとしている時、それを阻むなんて真似が出来るはずがない」
「厄介だな」
カリアンの言葉にヴァンゼは溜息混じりに息を吐いた。
そんなヴァンゼに対し、カリアンは笑みを浮かべる。
「だが、彼よりはマシだろう」
「……あぁ、ウォルター・ルレイスフォーンか」
「そうだ。レイフォン君は名前の無い大衆が死んだ場合、心が痛む程度の事はあるんだろうが…。ウォルター君にはそんな事一切ないのだろうね…、彼が躊躇することなんてないかもしれない」
「……危険か?」
「さて、ね…」
レイフォンは現在、ニーナ・アントークの強い意志に手を引かれている。
そして、それに加えてウォルター・ルレイスフォーンという存在の屈強な意志と存在感に引き摺られているような所も見受けられる。
少し前の汚染獣の襲撃に関してもそういった所が見受けられた。ニーナがいなくなった事は、武芸ということをベースにして、自分の進む道に関しての支えがなくなったというような印象があった。
だが、ウォルターに関しては少し違った。
だからこそ懸念しているのだ。
ウォルター・ルレイスフォーンがレイフォン・アルセイフの手綱をとった時、その手綱をとるウォルターがカリアン達の敵に回った場合、彼はどうするのだろうと。
ウォルターは自分の目的を成すためならば、現在“仲間”といえる存在であるレイフォンやニーナ達でさえ、邪魔になれば安々と手にかけるのだろう。
その瞳には、そのことに対する罪悪感もなにもなく、ただ悠然とそこに立つのだろう。
赤にまみれて、“いつもの笑み”を浮かべて、そう、不敵に笑うのだろう。
そんな彼にでも、レイフォン・アルセイフはついていくのだろうか。
そんな彼にでも、レイフォン・アルセイフは従うのだろうか。
引き摺られ、従属するのだろうか。
これから変わるやもしれない事象だからこそ決めつけられはしないが、彼が変われるのなら、そうなれば良いと思う。
「……いま、わたし達に出来るのは、信じることだけだね」
カリアンはそう言って窓の外を見た。