少し高い建物の屋根に移動したウォルターとハイアは、少し感覚をおいて座っていた。ウォルターはといえば、来るまでに買ったパンをかじりながらぼぅっと空を見ている。
ちらと視線を向けているハイアに気づいたのか、視線は動かさないまま、怪訝にウォルターは口を開く。
「……なンか?」
いつもに増して言い方がきつい。
ツェルニに宿泊させてもらっているサリンバン教導傭兵団の人間が、勝手に決められている区画から学生区画へ来たことを怒っている様子ではないようだ。
だが、ウォルターの機嫌が悪いことは確か。
―――――ウォルターが機嫌悪い時って、基本的に…考えこんでる時だよな
だが何を考えこんでいるのかはさっぱりだ。
それはさすがに分からない。機嫌の悪い時は大抵そうだからなんとなく見当はつかなくもない、が、色々と考えて悶々としていると、ウォルターの苛立たしそうな雰囲気が横から刺さった。
ハイアは口の中で言葉を転がしながら小さく口を開く。
「…え……えっと……いろいろと……」
「ふーん」
至って興味はないと言った声音でパンをかじり、ウォルターはあくび混じりに空を見ていて、視線はこちらへ向かない。
ハイアは小さく息を吸って、声をかけた。
「…あの」
「…んー…?」
視線を空から動かさないウォルターが声を返してくる。
その声はさっぱりとしていて、特に何も考えていない声だった。
「……なんでもないさ」
「……そ」
言おうと思った言葉はハイアの喉の奥に飲み込まれた。ハイアが言いたかった言葉は消えて、代わりにそっけない言葉が紡がれる。
ウォルターは相変わらずパンをかじりながら空を見ていた。
至って人の事に興味がなさそうなのは、いつものこと。言われなければ動かない事もいつもだし、人の事を気にかけているような様子を見せない、それもいつものこと。
ハイアは小さく、ウォルターに問うた。
「……おれっち、どうすればいいんさ?」
「……なにが」
どうして悩んでいるのかを説明していないのだから、わからないことは当然だ。
やはりそっけない返事を返しながら、ウォルターはハイアに問う。視線は動かない。何処か不機嫌そうな雰囲気がしないでもないウォルターに、ハイアは苦笑を浮かべた。
「…理由は簡単さ。天剣が来る。廃貴族なんてものにおれっちは興味無いけど、レイフォンはおれっちが倒したい。……けど、どうやればいいのかーってところさね」
「ふぅん…」
ウォルターはハイアのやや影の差した笑みをちらと一瞥して、パンを口に入れて怪訝な顔をする。その表情に、逆にハイアが首を傾げた。
「どうかしたのかさ?」
「……悩んでたって言う割には…すっきりした顔してるな…、と」
「そう…かさ?」
怪訝にハイアが問うと、ウォルターは小さく鼻で笑いながら言う。
「…まぁ、確かにさっきは炒められたもやしみたいな顔してたけど」
「どんな顔さぁ!」
「あぁ、炒められたもやしっていうかは…、どっちかって言うと、しなびたもやし?」
「だからどんな顔…ッ!」
「いまは…収穫寸前のもやしみたいな」
「だから…………って、ウォルターに必死に言った所で無駄だったさ…。…とりあえずもやしから離れてほしいさ。てか、結局どんな状況なんさ、それ…」
深々と溜息を吐き、ハイアは脱力する。興味はないって顔してそっけない返事を返しておきながら人を茶化すようなこの言動。この人は厄介な人だ。そう思いながらまたため息を吐いた。
そんなハイアをウォルターは軽く鼻で笑い、パンを持ち替えてハイアの額を突く。
「っちょ、なにするんさ」
「…ま…、隣でそうされても鬱陶しいだけだ。さっさと調子戻せ」
「………そう、さね。……でも、レイフォンは絶対におれっちが倒す。これは譲れねぇんさ。だから、どうすればいいかなって…」
「…まぁ、好きにすりゃいいだろ」
ウォルターの言葉に、ハイアは少し考える。考え込んだ様子に対して小さく首を傾げると、息を吐いたハイアが口を開いた。
「……少し前の汚染獣襲撃時…あいつ、どう考えても態度がおかしかったんさ」
「…汚染獣の話か」
「あれのことも少し聞きたいけど…、そっちじゃなくて、ウォルターが消えてすぐのことさ。あの届け物…腕輪をあいつに届けた時、あいつ妙だったんさ。ずっと、『できることをしないと』って」
「……できることをしないと、か……」
ハイアの言葉にウォルターはようやく視線を動かし、眉を寄せてパンを噛んだ。
―――――成程な。あいつがあんなに文句を言ってきたのはそういうことか
レイフォンはレイフォンで、自分を責めていたということだ。
なによりレイフォンが、ニーナが消えた事だけでなく、ウォルターが消えたことにも動揺していたということにウォルターは少し驚きを覚えていた。
正直つい最近のレイフォンから昔ほどの警戒心は持っていないと思っていた。
が、ここまでとは思っていなかった。
それともただ単に素っ気ない言葉を言った後にウォルターが消えたから、それに負い目を感じたとでも言うのだろうか。
だがそれは実際どうなのだろう、と考えつつ、ウォルターは息を吐きながらパンをまた噛んだ。
小さく頷きながら、ウォルターは「それで」と口を開く。
「アルセイフがおかしかった?」
「…そうさ。あいつ、ウォルターが帰ってくるまで本当におかしかったんさ。話聞かねぇし、…いつもだけど、なに考えてるか分かんねぇし、…いつもだけど、……とにかくおかしかったさ」
「……いつものことばっかだな。…アルセイフ、そんなに切羽詰ってたのか」
「ずっと休み無しで汚染獣とぶっ通し戦ってたさ」
「…まぁ、それは聞いたといえばそうなンだが…あいつ…」
「でもいまは落ち着いてるみたいさ。寧ろ、前の甘ちゃんに戻ったくらいさ~」
―――――……甘ちゃん、ね
確かに反論はしない。レイフォンは驚異的なほどに甘い。
ガハルドの件もそうだが、なにに関してもレイフォンのつめはいつも甘いのだ。
レイフォンがあの性格でなければきっと、グレンダンを放逐されることはなかったであろうと思う程に。その驚異的な甘さは、レイフォンの道をねじ曲げていく。
そういう点では大人な考えをするハイアに甘いと見えても当たり前だ。レイフォンのあの性格は、ウォルターでなくとも甘いと言うだろう。
「……でも、それはそれでムカつくんさ。だって、またのほほんとのんきになるんだったら、おれっちは今のうちにあいつと戦う」
「……戦う…か」
「戦争期も近いし、微妙だってのはわかってるさ。でも、きっといまじゃなきゃ…」
「……オレは別にとめやしねぇが…どうでもいいし」
ウォルターの言葉に、ハイアは意外そうな顔をする。
その気の抜けた顔を見たウォルターは、つん、と再び額をつついた。
「あ? ンだよ」
「…ウォルターなら絶対止めると思ったさ…」
「……あぁ、確かに」
「えっ」
「…お前がそんなに真剣勝負したいって言うなら止めねぇけど、って話だよ。言っただろ、どうでもいいって」
ウォルターに突かれた額を押さえながら、ハイアは少し思考を巡らせた。
そうだ。先程ウォルターに会う前も、そのことで悩んでいたのだ。
どうやって、レイフォンを戦いの場に引きずり込むか。
―――――どうでもいい、かぁ…
レイフォンのような相手を本気にさせるためには、それ相応の事をしなくてはならないだろう。
目の前に出て一騎打ちをすると言おうとも、レイフォンのことだ、するはずがない。
そう、少々手荒な事をするくらいはしなければ……
―――――……あいつを本気にさせるなら……
手段は浮かんだ。
この前まであったあの汚染獣との連戦の中で、なぜ、レイフォンがあそこまでして必死に戦っていたのか。天剣授受者であったレイフォンが、長期戦においての念威操者の扱いを気にかける余裕がなくなるほど、戦いに集中していた理由。
そう、それだ。しかし、それだけではどこか心もとない気がしないでもない。ここの人間だけで十分な気はする。だが……
ふと、ハイアはもうひとつの“保険”を思い浮かべた。
―――――けど…これは……
眉を寄せてほんの少し思考を巡らせる。
することに後悔はない。いずれ、するとは決めていた。
レイフォンとの決着をつける。それに集中すること。
だがこれが、ただの自己満足であり自己中心的な行動であることはハイアもわかっている。わかっているからこそ、どうするべきか悩んでいるのだ。
―――――おれっち、は……“そう”、ありたい
『最強』を誇示する存在になりたいのではない。
ただ、強くありたい。認められる存在になりたい。大衆の眼などどうでもいい。
ただ、自分がそうありたいのだ。他の意志は関係ない。ただ、それだけだ。
―――――なら、迷うことなんてないはずさ
ほんの少しだけ眼を伏せてから、表情を引き締めたハイアはウォルターに向き直る。
「……ウォルター、ちょっと……手伝ってほしいさ」
ウォルターは企みを隠さない笑みを浮かべたハイアに、パンをかじりながら首を傾げた。