突然現れた鋼鉄の球体。
活剄で視力を強化すると、その球体から周囲へ向かって、常人では見えない程極細の鋼の糸が出ているのが見えた。それがどうやら球体を支えているようだ。そして、その球を構成しているのもその鋼の糸。鋼の球体は、爆煙のあびたようには一切見えないほど綺麗だ。
球体を構成していた糸の上部が解け始め、内部に内包していた人間の姿を見せ始めた。
黒と赤の髪が吹きぬけていく風に揺られ、やる気のなさそうな萌黄色の瞳。それが気怠げに、更に後退している汚染獣を見据えた。
「あぶねぇなぁ…」
確か、鋼糸という武器の筈だ。かなり需要が低く、扱い手が少ない為それを実際に目にする日は来ないだろうと思っていたのに。
話に聞く程度でしか知らなかった鋼糸を目の当たりにして、ハルフェッドは“戦いたい”という欲求が湧き上がるのを感じた。
鋼鉄の球体はウォルターの足元にだけその面影を残して、すべて解けた。ウォルターの左手首の腕輪が若干霞んで見える。どうやら鋼糸は腕輪から展開されていたようだ。
「ウォルター、鋼糸使えたんですか」
「…まぁ。それなりに」
それなり、と言いながらあのタイミングで展開して完全に防御してのけるとは、さすがというか、ウォルターだなぁとハルフェッドは思う。
さて、とウォルターとハルフェッドが息をつくと、ふわりとウォルターの端子ではない念威端子がやってきた。
(遅くなってごめんなー、やっと手が空いた)
「遅い」
「遅いねぇ。もう仕上げですよ、ルティエンス」
(えっ、そんなに遅かった? 結構頑張ったんやけどなー)
やってきた端子から聞こえてきた声、ルティエンスにウォルターは不機嫌に言い返す。ハルフェッドは特に怒っているわけでも無いようだが、呆れているようだった。
ルティエンス・ファーディナンド。現グレンダンにて、ウォルターは純粋な念威操者ではないが、彼に次ぐ念威操者と言われている、が、かなり性格が緩い。それでいて表情筋も緩い。念威操者にも関わらず。
ウォルターの雰囲気が先程よりさらに悪くなったのを感じながらも、ルティエンスは特に悪びれた様子もなく軽快な笑いと共に言葉を紡ぐ。
(ごめんって、ふたりとも。だってハルフとウォルターおるからダイジョブかなーって…)
「大丈夫なモンかよ…平気だけど」
「まぁ、もう少し早く来て欲しかったですけど。もう何を言っても無駄ですしね、さっさと追い出しましょう、ウォルター」
「そうだな」
(あらやだ! この子たちったら対応が冷たいわっ)
当たり前だろ、と言いながらウォルターは天剣の柄尻に結合させていた鋼糸を引き、天剣を掴む。
「後一息ってところか。さっさと出そうぜ」
「そうですね。ルティエンス、周囲には他にいませんよね?」
(他のヤツは全員退避したし、他の汚染獣の反応は無いよ)
「じゃあやれるな」
ウォルターが順手で天剣を掴み、構えつつ剄を収束させ密度をあげていく。ハルフェッドもまた剄を練り上げて技を放つべく構えをとる。
「じゃあ、やるか」
言葉は乾燥しており、瞳には光すら映らなくなった。その冷えきった目つきに、ハルフェッドは口角を上げる。
―――――まったく、これだから
ウォルターと戦いたくなってしょうがない。
武芸者の中でも規格外である天剣授受者という存在のウォルター。そして天剣授受者に近く、それになれる程のちからを有したハルフェッド。しかし2人には明らかな違いがある。
ハルフェッドは規格外である天剣授受者の手前の存在。ウォルターは規格外な天剣授受者の中で規格外の存在。
純粋な武芸者としての強さと、技の完成度、技術力の高さ、意志の強さ、そして何よりも彼という存在の大きさ。
彼はそう意識していることも、そんなつもりもないのだろう。しかし彼はあらゆる“
モノクロの世界ですら、たった一人だけカラーでいるような存在。
彼こそがまさに“トクベツ”なモノ。
この世界にあるあらゆるものを凌駕する圧倒的存在。
そんな存在がすぐ隣にいる。手の、届く範囲にいる。
―――――僕の興味の範疇に入っていない筈が無い
あぁ、戦いたい。
練り上げたこの剄と技を、隣に立つ黒と赤の髪を揺らす青年に向けて放ちたくなる。
だが、そんな誘惑に駆られている時ではない。いまはとにもかくにも、目の前の障害を潰さなくては。
同時に踏み出す。ハルフェッドは上空から、ウォルターは地面を這うように下から突き進む。
外力系衝剄の変化、
外力系衝剄を変化、
足に収束させた剄を、汚染獣に叩きつける。
刀に収束させた剄を爆散させながら、強烈な斬撃を繰り出す。
汚染獣の身体が外縁部の縁へかかった。
活剄衝剄混合変化、千人衝。
ハルフェッドの姿が増殖していく。ハルフェッドが両腕を引き、増殖した姿を重ね合わせる。
外力系衝剄を変化、
剄を込めたハルフェッドの両拳が汚染獣の腹を捉えた。拳が体皮に触れると同時、込められていた剄が外部衝撃を加えて更に後方へ高圧力と共に汚染獣の巨大で鈍重な体躯を吹き飛ばす。
―――――いまの感覚、いいな
ハルフェッドは戦いの最中ですらそう思った。ウォルターの使う体術をハルフェッドなりに模したのだが、やはり彼のような威力は出ない。だが、両手突きを放ったいまの剄の込め方、感覚。
もう少し、自分にあった改良が出来る気がした。
あぁ、そうだ。そう思ったと同時、ルティエンスが叫ぶ。
(あと一撃!)
ルティエンスの声が聞こえた時にはすでにウォルターの準備も完了していた。
踏み出し、すでに技を放ち終わり体勢を戻すハルフェッドの横を通り過ぎ、後方へ吹き飛ぶ汚染獣の目の前にいる。
その瞳に、一瞬の狂気が宿り、霧散した。
活剄衝剄混合変化、
強烈な一撃は、ハルフェッドが双龍突を放ったと同じ位置へ叩き込まれる。左足を軸に放たれた豪速の突きが衝撃で脆くなった鎧甲を更に打ち砕き、汚染獣を完全に外へ吹き飛ばした。
巨大な咆吼を上げながら、汚染獣が荒れた大地へ吐き出された。鈍重な動きを見せながら汚染獣が撤退していく姿を見つつ、ウォルターは大きな息を吐き出す。
「あー…疲れた」
「お疲れ、ウォルター」
「もう何もしたくない。家に帰って寝たい」
「寝たい所悪いけど、まだ不完全燃焼なんですよ。後で付き合ってくれません? さっき良い技を思い浮かんで、試したいんです」
「オレ実験台かよ」
ハルフェッドの軽快な笑いに、軽く苛立ちを覚えながらウォルターはため息を吐く。
こう言い始めたら付き合うまでしつこいのだ、この男は。ウォルターが諦めたという顔で再びため息を吐いた。
(ハルフ、ウォルター、仲いい所悪いんやけど)
「どうしたんですか、ルティエンス?」
(陛下から呼び出しや。はよ戻れって)
「……駆り出しといて、勝手な……」
盛大にため息を吐くウォルターに、ルティエンスはけらけらと笑った。
念威操者でありながら表情の豊かなルティエンスにウォルターは悪態を吐く。
「ふざけンな、疲れてンだよ」
(そんなこと言われても。陛下に言うてよ)
「まぁ陛下ですし…行かないと逆に大変なことになりますよ、ウォルター」
「めんどうくせ……あいつ本当1回死なねぇかな」
(そんなこと言っとる間においでって)
「うるせぇ、言わずにいられるかってンだ」
しょうがないとばかりにやはり溜息を吐く。そのため息にルティエンスが「幸せが逃げる」と笑いながら言う。
その言葉をウォルターはくだらないと一蹴しつつ、隣を歩くハルフェッドに視線を向けた。
その時だった。
ルティエンスの声がかすれ始めたのは。
(ウォルター、ハ……フ、な か ん が おか、)
「……ファーディナンド?」
「ウォルター、周囲の様子が…」
ウォルター達を中心に、周りの景色が歪み始めて、やがて元に戻る。しかし、それでいてここがグレンダンであってグレンダンではない感覚がする。
これは、とウォルターはいち早く察する。腕輪を弾くと手の中に刀を復元した。
「ウォルター?」
「静かに。……来る」
狼の面をかぶった成人男性平均身長ほどの何者かが、ノコギリ状の凶暴な刃をウォルターに向かって振り下ろした。
ウォルターの刀とノコギリ状の刃が噛み合い、火花が散る。力任せにウォルターはそれを弾き返し、ハルフェッドの襟首を掴んで距離を取る。
それに少し息をつまらせながらハルフェッドは体勢を取りなおし、狼の面をつける黒いフードの存在を睨みつけた。
「随分危ないですね。……あれはなんです?」
「…世界の外側の存在」
「ほう。じゃああれが、親父殿もあったという“イグナシス”の手足である狼面衆ですね? 面があってわかりやすいです」
「お前は動くべきじゃない。ミスをすれば巻き込まれるぞ」
「嫌ですよ。戦いたいですし」
ハルフェッドがふてくされた顔でウォルターに反論する。
その反論に対して不機嫌に眉根を寄せ、ウォルターが舌打ち混じりに口を開いた。
「ふざけンなよ。処理するの面倒なんだぞ」
「ウォルターは“こっち”の事に関わってるんですか?」
「……関係ない」
「そういう言い方をするってことは、関わってるんですね? …まぁ、別にいいですけど…、さて、やりましょうかねぇ」
「だから……」
「いいじゃないですか」
そう言ってハルフェッドが口角をあげる。
「どうせ、このグレンダンで戦いを求める以上、遅かれ早かれ僕らは関わるんですから。それにほら、親父殿も関わったんでしょう? ということは、ここで戦わなかろうと戦おうと、きっとルッケンス家は関わる。そうでしょう? “師匠”?」
「わざとらしく呼ぶな。大体お前はいつも無謀な……もう、いい。勝手にしろ。ただ、仮面の下は見るなよ。“本当に”関わることになる」
「了解です」
ハルフェッドは天剣を復元し、四肢に手甲を装備する。拳を握り、感覚を確かめる。
「現状況としてどうなっているんです?」
「…軸がずれた。グレンダンであってグレンダンではない場所。あれを潰せば戻れる筈だ。さっさとやるぞ」
「ふむ。なかなか興味深い話ではありますが、まぁあとで聞くとしましょう」
ハルフェッドが拳に剄を収束させ、光を連れて高速の移動を行う。ウォルターは剣帯にしまわれた銃型の錬金鋼を引き抜き復元し、刀を左手で、銃を右手で構える。
外力系衝剄を変化、
上空に向けられた銃口から銃弾が放たれ、上空で散らばり、そして降り注ぐ。降り注いだ銃弾は狼面衆達を屠っていく。
ウォルターの剄技が止む合間を縫うようにルッケンスが拳を狼面衆に叩き込み、右から振りぬかれた錬金鋼を屈んで避け、足を払う。体勢を崩した狼面衆に衝剄を放って仕留め、反対から向かってきた狼面衆へ回し蹴りを食らわせる。
「倒した感覚がありませんね。どういうことでしょう」
「実体が無いンだ、そいつらは。ただの脆弱な精神体だと納得しろ、構うと面倒だぞ」
「それもそうですねぇ…しょうがないです」
ハルフェッドが狼面衆を一体ずつ潰していく。ウォルターもまた、銃の乱打で狼面衆を潰していく。
狼面衆の数が減ってきたことを確認し、踏みだそうと刀を構えたとき、ウォルターの背後で巨大な剄が爆発、雷光を引き連れて青の電撃が横をかけていった。
「あいつは」
こんな所にあらわれて横から手をだすヤツは1人しか知らない。
青の電撃の中で存在感を放つ赤の髪が揺れている。ウォルターはその赤髪の名を小さく呼んだ。
「なンだ、来たのか……ディック」
呆れ混じりのウォルターの声を聞いたハルフェッドが撤退してきた。ウォルターの横に並んだハルフェッドが口を開く。
「ディック、と言うのは……彼ですか?」
雷光を爆発させ、狼面衆に愚者の一撃を放った赤髪を見ながらハルフェッドが言う。優男のような出で立ちの男……ディックことディクセリオ・マスケイン。ウォルターの知り合いである。
随分と昔から知り合いだが、彼も彼で特殊な存在のため姿は変わっていない。
彼とはかつて共にツェルニで学生として過ごしていた事もあったが、彼とは特に意見が食い違うこともなければ意見が合致することもないというなんとも言えない間柄だ。
そんなことはどうでもいいが、とウォルターは思考を打ち切り、ハルフェッドに声をかける。
「まぁどうでもいいが、お前戦場横取りされたからってあいつに喧嘩を売、」
るなよ、と言おうとしたウォルターの隣を銀髪が煌めく剄の残滓を残して駆け出した。
ウォルターの髪が剄の風に揺られ、乱れる。髪を抑えながらウォルターはディックとぶつかった銀髪を睨みつけた。
「……あの野郎……話聞けっての」
ウォルターが発した言葉はすでに届いていない。その事に更にため息を吐き、苛立たしく銃と刀をだらりとさげた。
ハルフェッドといえば、にこやかにディックに喧嘩を売っていた。世界が戻りそうになっているというにも関わらず、完全に戦う気満々だ。
「僕、楽しみにしてたんですよ。戦い足らなかったので」
「そりゃあ悪かったな。ところでウォルターがお怒りみたいだが?」
「まぁ後で何かお詫びに奢りますよ。それより、いまは僕の技の実験台になってもらえませんか?」
軽快に笑いながら、ハルフェッドは先程の感覚を思い出す。
ウォルターが使う剄技、鋼拳の改良型。
高密度の衝剄を練り上げ、拳から剄があふれだす程に収束する。外部破壊の衝剄を練り上げて、破壊を纏った拳をハルフェッドがディックへ拳を尽き出し、ディックの鉄鞭を直撃した。
外力系衝剄鋼拳変化、剛力徹破・咬牙。
衝剄が煌き、ディックを後方へ吹き飛ばす。自身が放った剄技の出来にまずまずと満足な息を漏らしながらハルフェッドは恍惚としていた。
「あぁ、いいですね。こういう感覚は」
初めて使ったにも関わらず、まるで長年使い込んできたかのような技の馴染み具合。
たまらない。ハルフェッドは後方へ吹き飛び、体勢を立て直したディックを見据えながら思考する。
ディックはといえば、酷く面倒くさいと言いたげな顔で頬をひきつらせていた。
「っとに、グレンダンはろくなヤツがいねぇ」
「そうですか? こんなにも楽しい都市は無いと思いますが」
「そりゃあ、お前みたいなヤツにはそうだろうとは思うがな。おれには楽しくねぇよ」
ディックが舌打ちをしながら口角を引き上げた。
はぁ、とウォルターは戦闘を続ける2人へため息混じりに見る。
―――――なんだかンだ言って、お前も戦うの好きな
ハルフェッドに文句を言っておきなながら、お前は。
ウォルターは再び盛大に溜息をこぼして2人を睨みつける。2人をどうしようかと考えながらウォルターはやはり錬金鋼を構えた。
いろいろと詰め込んでみました話です。
後世には引き継がれていませんがルッケンス2代目はウォルターとは軽く師弟関係。