鼻孔が刺激を受ける。
エア・フィルターを突き抜けてすら強烈な汚染物質のにおいを漂わせるのは、汚染物質を食らって育つ世界の覇者、汚染獣。
この槍殻都市グレンダンのエア・フィルターを突き破り、市街地手前まで侵入してきた汚染獣に誰もが驚いていた。
戦場に立つ2人を除いて。
「…ウォルター、聞こえるかい?」
(聞こえてる。……つか、あいつ何してンの?)
「え? …あぁ、なにしてるんでしょうね」
銀色の短髪を揺らしながら、灰青色の瞳を鋭く細める。黒と赤の髪を揺らす青年、ウォルター・ヴォルフシュテイン・ルレイスフォーンは尖塔の上に立ち、念威と剄を交じり合わせながら発している。
それに眼を向けるのは、この槍殻都市グレンダンが誇る武芸貴族ルッケンスの2代目、ハルフェッド・ルッケンス。
天剣授受者になった初代とは違い、彼は酷く楽観的で不真面目。戦いと、余興で読書に関してだけ興味を持っているような存在だった。
―――――相変わらずの特異体質だなぁ
綺麗な念威を出すと思う。それでいて強烈かつ正確。その剄と念威の混ざった輝きにハルフェッドは眼を細める。
あいつ、と彼が呼んだ念威操者……ルティエンス・ファーディナンドから応答はまだない。
「ルティエンスに構ってる暇はないですよ。ウォルター、サポートと援護頼めます?」
(オレを誰だと思ってンだ、お前は?)
不機嫌そうなウォルターの返答が返ってきた。しかしこう返してくれるということはやってくれるということだ。
まぁ、やらなければ敗北しか無いわけだが。
「はーい、ごめんなさいね、っと!」
ウォルターの言葉に軽く返事を返しつつ、目の前に現れた汚染獣の巨大な頭、その額に拳を叩き込む。
(まったく、面倒なヤツだな。オレはこういうの向いてねぇンだって)
「ウォルターも特攻タイプですもんね」
(まったくだ。……ところでルッケンス、右)
「おっと」
右から押し寄せた触手を跳躍して躱し、ハルフェッドは近くにあった屋根に着地、拳に衝剄を乗せて放つ。
ウォルターは相変わらず不機嫌で、その雰囲気が漂う端子がハルフェッドの横を浮遊している。その不機嫌さに苦笑しながらハルフェッドは構えをとった。
「ウォルターなら両方出来るでしょう?」
(めんどうくせぇ。疲れるし)
「……キミらしいです」
(あ~、ファーディナンド早く来いよ)
「とりあえず、現状での撃破は無理ですかね? 倒したいは倒したいですけど…無理をすると復興が大変ですし。さっさと押し返しましょう」
それもそうだ、とウォルターは内心で思った。
このグレンダンがいくら汚染獣との接触が多く、戦いに慣れ、修復力が強いとはいえその資金面での不安は拭い切れない。
市街地手前というだけで修復するための総額を考えるとこめかみを押さえたくなる程だろう。
ハルフェッドの言葉に、ウォルターがしょうがないとばかりに同意を示した。
発生する念威が若干弱くなったと思うと、ウォルターがいる方向から強烈な剄の圧と振動が伝わってくる。ウォルターただ一人の剄が、都市を鳴動させる。
ハルフェッドはそちらへ眼をやり、ウォルターが天剣を復元する姿を見る。
白金錬金鋼にも似た光を放つ天剣がウォルターの手の中で光を爆発させ、巨大な質量を顕現させる。大太刀とも言えるだろう程に巨大な刀だ。刀身の幅が広く、刃渡りも長い。それを両手で掴み、右足を前に重心を落とした姿勢で身体の前面を汚染獣から完全に逸らした状態で構える。
(遅れるなよ)
「分かってますよ」
外力系衝剄を変化、
外力系衝剄の化錬変化、蛇流。
同時に剄技を放つ。
ウォルターは刀に収束させた剄を龍の形を成形し、それが汚染獣を食いちぎるべく飛来し、ハルフェッドの放った技は白金の爆発を連鎖させ、襲い来る触手、そして目的の場所である胴体へと衝撃波と共に爆発を起こす。
(ルッケンス、跳べ)
「?!」
剄技が炸裂した箇所から剥がれた汚染獣の鎧甲が爆発した。その爆発によりハルフェッドの頬、肩、腕と身体の至る所を破片が掠めていく。
「まったく、やってくれますね」
「油断してるからだ」
いつの間にか隣に来ていたウォルターが不機嫌にそう呟く。念威の光と剄の煌めきを引き連れながら、ウォルターはため息混じりに天剣を構え直す。
ハルフェッドはところどころ滲み出した血に顔をしかめ、かすり傷一つ負っていないウォルターを視界に映しつつ自身も構えを取りなおした。
「ささっと押し返した方が本当に良さそうです。これ以上爆発されると、市街地への被害が本当に甚大なものになりそうですね」
「まぁ、そうだな。給料減らされても困る」
「……ほんと、ウォルターは倹約家ですよねー…」
「生活がかかってンだ、うだうだ言ってられるか」
吐き捨てるように言い返しながらハルフェッドの苦笑を鼻で笑い、ウォルターは跳躍した。向かってくる触手は大太刀を振り回して切り裂き、高度を上げていく。汚染獣の頭上まで来ると、汚染獣がその口腔を開いた。
それを見下ろしながら、ウォルターは天剣を手の中で回しながら上段に構え、振り下ろす。
外力系衝剄を変化、
酷く鈍重な汚染獣に、勢いが減速しない程度に調整された高密度の剄が斬線の型で食らいつく。それは微細な振動をしながら削り取るように汚染獣の鎧甲、口腔内部を食いちぎる。
飛び散った鎧甲達を更に切り裂きながら爆発を躱し、ウォルターは背後で跳躍したハルフェッドが立つ屋根まで撤退した。
「悠長にやっている暇はなさそうですね。これは時間がかかりそうな気がします」
「本当だな。ついでに言うとファーディナンドもいつまで悠長にやってンだ?」
「誘導してるみたいです。遠くで声が聞こえました。僕も来るまでに見かけたので協力しましたよ」
「……お前って戦闘狂なのか律儀なのかわからねぇよな」
「酷いです。僕はいつだって紳士ですよ」
「その笑顔が胡散くさい。……お前の子どもは絶対戦闘狂になるわ。予言しといてやるよ、ルッケンス家で頭角を現すヤツは絶対戦闘狂だ」
「そんなこと無いですって、ウォルター。それ言ったら親父殿はどうなるんですか」
再び苦笑を浮かべるハルフェッドに肩を竦め、「それなりにそれなりな感じ」と小さく呟く。
ウォルターの信頼度のなさにハルフェッドは不満気に腕を組む。
「どうしてですか。僕は紳士ですよ」
「えー。だってルッケンスお前、お前の親父と比べるとひでぇよ?」
「あぁ、親父殿ですか? ……まぁ、親父殿は確かに真面目な人ですけど。そんなこと言わないでくださいよ」
「ふん」
「と、言うか」
ハルフェッドが口を開いた。何が言いたいとウォルターがじろりとハルフェッドへ視線を向ける。
「なンだよ」
「何度も言いますけど、僕はハルフェッド・ルッケンスであってルッケンスではないです。ひとまとめにしないでくださいよ」
「はぁ? 面倒」
「いつも、ハルフェッドか、もしくはハルフって呼んでくださいって言ってるじゃないですか」
「どうでもいいだろ。ルッケンスだろうが」
「ですからそれは家名であってですね……」
「うるせぇしつこい」
ハルフェッドはやはり不満そうに文句を言う。どうでもいいとばかりにウォルターはハルフェッドの言葉を無視した。
先にも言ったが、天剣授受者になった初代とはうって変わり、この次期当主である2代目は酷く楽観的だ。あの真面目な初代からどうやったらこんなのが生まれるんだろうか。
体格に至っても真逆、性格も真逆。親子とは到底思えない。
ついでに言うと、天剣授受者になった初代と比べると頭一つ分程力量が足りていないのがこの息子だ。
いや、実力はある。ただ、初代がいたのがこの2代目の不幸というものか。
ふむ、とハルフェッドが声をもらし、ウォルターに声をかけてくる。
「しょうがないですねぇ…。……ところでウォルター、この爆発についてなにか見解は?」
「あ? …細胞レベルでの構成体なンだろ、この汚染獣。と言うよりそれ以下のサイズの物質だろうな」
「……ふむ。つまりこれで一個体ということではなく、細胞か、それ以下の物質で構成された群生生命体ということですね。どうしましょう? 爆発したあれは汚染獣へ結集していきますよ。放っておいたら完全に復元でもされるんじゃないですか?」
ハルフェッドが至って落ち着いた様子で触手を避けながらウォルターにそう声をかける。
それはウォルターも考えていたが、おそらくそれはないだろうと考えていた。汚染獣の更に元、つまりかつてはポーンという名前で呼ばれていた、ナノマシンで構成されていたものだ。だからこういった群生生命体がいても驚きはしない。が、面倒だというのは確かだ。
しかし、あれだけ派手な爆発をするのだ、完全に復元出来る筈がない。コンマ以下だろうとなんだろうと、確実に削れてはいるだろうが……
「まぁ、真面目にあれに付き合うと数日かかるだろうな」
「それは困りますねぇ。じゃあさっさと追い出しましょうか。ウォルター、先に行きます?」
「そうする」
大太刀を構えてウォルターが屋根から飛び降り、逆手に構えた大太刀を地面につかれていた汚染獣の手と思しき部分に突き刺した。
汚染獣の咆吼を聞きながら、天剣はそのままに汚染獣の腕を伝って駆け上がり、跳ぶ。跳んだ勢いに乗せて狼の形を模す剄を纏わせた蹴りを放ち、汚染獣の鎧甲を破砕する。
外力系衝剄を変化、
汚染獣が大きく体勢を崩し、後方へ更に下がる。外縁部まで、もう少し。
ウォルターの蹴りによって砕かれた鎧甲は、反動で宙へ舞い、ウォルターを取り囲む。
「ウォルター!」
ハルフェッドが声を張った。ウォルターは舞い上がった鎧甲を冷静に見据え、認識する。
汚染獣の一部が爆発の光を放つ一瞬、ウォルターの左手首も光を爆発させた。
爆発による風圧がハルフェッドの銀髪を揺らす。ハルフェッドはそれに眼を細めながら跳躍し、一つ上の位置にあった屋根の上に着地、未だ爆煙の残る宙の上を活剄で駆け抜け、汚染獣へ拳を叩き込んだ。
空中で回転しながらハルフェッドは更に汚染獣が下がったことを視認し、屋根に着地してから未だ残る爆煙へ眼を向け、その名を呼ぶ。
「ウォルター、無事ですか?」
返事が無いことを訝しげに思い、ようやく晴れ始めた煙の中心へ目を奪われる。
「……なんだ、あれは」
ハルフェッドの視界が、光を跳ね返す球体を捉えた。
赤も無ければ、飛び散った肉片もない。鋼鉄の球体が、ただ、そこにある。