「……ウォルター?」
「あ?」
マイアスの宿泊所、食堂でウォルターは思考にふけりながら飲み物に口をつけていた。
カップの端に口をつけたまま、どこというわけでもなく見ているウォルターを、隣で怪訝に見ていたサヴァリスが首を傾げる。
「どうかした?」
「別に」
「……それなら、いいけど」
実質、ティアリスに言われたとおり3日間はおとなしくしていた。
だから3日間は体力の回復につとめられたというわけだ。ウォルターにとっては十分すぎる程の期間。だが、あれからずっと考え事をしている為にぼぅっとしている時が多いだけだ。
ただ、考えれば考える程ぐるぐる回って、答えは出ない。ルウとも少し話したが、ルウは“しないほうが良い”という意見を変える気はないみたいだ。
久々にルウから行動が頑固すぎると言われた。考えをそろそろ一新した方が良いとも。ルウに言われるとは思わなかったよ、と返したら、苦笑を飛び越えて呆れた笑いが返ってきた。
何処か諦めたという顔をしてカップに口をつけたサヴァリスを尻目に、ウォルターもカップに口をつける。
その様子を見ていたリーリンが、控えめな声でウォルターを呼ぶ。
「あの…」
「…ンだよ」
「何か……ありましたか?」
「べつになにも」
鬱陶しそうにウォルターがため息混じりにそう返すが、リーリンはウォルターの態度に合点がいかないという様子で眉を寄せる。
現時点のマイアスでは、ウォルターに変化の起きるような出来事は無いだろう。そう考えていた。しかし、彼は実際“何か”が変わり、彼の態度が豹変した。それをリーリンは神妙な顔つきで考える。
「…詮索は必要ない」
「でも、ウォルターさん…やっぱり、何かあったんじゃ」
考え事を遮られたウォルターは無言のまま席を立った。
そのまま踵を返して食堂を去って行ってしまうウォルターの背を、リーリンの視線が追いかける。少し申し訳なさそうにしたリーリンが、控えめにサヴァリスに問うた。
「……サヴァリスさん、心当たりありますか?」
「ないですよ」
ざっくりとしたサヴァリスの答えにリーリンはやや眉根を寄せ、顔をうつむかせた。
ウォルターを心配している様子のリーリンに、サヴァリスはほんの少しだけ苦笑を浮かべる。
「何か悩んでいる様子でしたし……何かあるんでしょうか」
「さぁ、どうでしょうね。ウォルターが時々考えこむことはよくありましたし。…あぁでも、あの態度には心当たりありますねぇ」
「前にも、ああいった時があったんですか?」
「えぇ、まぁ。……正確に言えば、“戻った”と言うべきでしょうけど」
サヴァリスの言葉にリーリンは首を傾げながら、カップに口をつけたサヴァリスの言葉を待つ。
前髪のかかる右のこめかみ辺りに手を当てつつ、サヴァリスは酷く楽しそうに笑みを浮かべた。
「……僕が天剣授受者になった頃は、あんな感じでしたよ」
周囲の人間をなんとも思っていない、酷薄な眼。すべてを見下すような冷然とした目つきだった。
今思い出しても、“いまの”彼は“あの頃”の彼からすれば考えられなかっただろう。
なにかで悩んだり、考えこんだりするようなことがあるとは、彼も考えなかっただろう。
“いまの”彼に辿り着く間……天剣を返還し、グレンダンから去った彼に、一体何があったのか。きっとそれは、当の本人ですらわかっていないのだろうな、と小さく思った。
ウォルター・ヴォルフシュテイン・ルレイスフォーンとは、昔から“よくわからないヒト”だった。
彼は僕よりずっとずっと早く天剣授受者として座していたが、彼にそれといった貫禄は周囲の人間がものすごく気を使うという点以外では見られなかった。なにより、彼が貴族ではないということが一因しているのかはまったくわからないのだが、彼という人物はものすごく楽観的だ。
かつてのグレンダン王とも知り合いだそうで、グレンダン王家に昔から関わってきたそうだ。そのため政治的なことにも時々口を出すし、女王に対しても敬語を使うどころかからかう側である筈の女王をからかって遊んだりする。それでいて、律儀に女王のからかいに付き合ったりする。
やっぱり、「よくわからないヒトだ」というのが正直な見解だった。
軽薄な所もあれば、普段からにじみ出る剽軽さで周囲を困惑させたり、かと思えばそれとなく重要なアドバイスを出していたり、真面目に部隊をまとめたり、汚染獣戦で絶大な活躍を残したりもする。
まったく、このウォルター・ヴォルフシュテイン・ルレイスフォーンという存在はなんなのだろうか。
周囲の人間……同じ天剣授受者にもそれとなく聞いてみたが、皆口にするのは、不思議で掴みどころのないヤツだ、とだけ。
本人にはあれやこれやとのらりくらりかわされて、素直に返事を返してもらえた試しがない。
僕を子供扱いしているのか、それともただそういう質だからそう言いくるめるのか、僕が言いくるめられるほど口で弱いのか、いろいろ合致しそうでなんとも言えない。
自分が天剣授受者になった後、すぐ天剣授受者になったリンテンス・サーヴォレイド・ハーデンをちらと見ながら、僕はそう思う。
謹慎がとけたのはいいが、さっそくだ、女王の我が儘は。こう言ってはなんだが、彼女は本当に仕事をすればいいと思う。遊びにばかり全力を尽くすとは、我らが女王ながら、やってくれる。
隣のリンテンスさんもものすごく面倒くさそうな顔をしているし、まったく。
今回の指令は、ウォルターを捕まえること。なんでもウォルターが何処かへ行くと言って帰ってこないそうだ。
そんなもの念威端子を使って念威操者にでも探してもらえばいいのに……、そう思いながらも女王の命令となれば聞かないわけにはいかない。
内心でため息を吐きながら、僕はグレンダンを見渡せる尖塔の上にいた。
謹慎を終えてすぐの作業がこれとは、まったくつまらない。
といっても、謹慎になった理由はウォルターに喧嘩を売ったからだが。正確には陛下に対してだが、ウォルターに阻まれてウォルターとぶつかった。それが原因で謹慎になった。
活剄で視力を強化してグレンダンを見渡すが、見つけられない。もっと末端にいるんだろうか。もう少しよく見渡せるよう、視界に剄を集中した。のだが。
「……おい、なにしてンだ?」
「ッ?!」
「……ンだよ…」
真後ろから探していた人物に声をかけられ、僕は思わず声にならない声をあげた。普段は殺剄をしている人物まで見つける僕が、まさか後ろを取られるとは思わなかったのだ。
平然とそこに立つ彼……ウォルター・ヴォルフシュテイン・ルレイスフォーンは、眠たげな萌黄色の眼でこちらを見ている。
「びっくりしてねぇで、答えろよ。なにしてンだ? って、聞いてンだろが」
「あ、なたを探してたんですよ」
「オレを? ……あぁ、アルモニスの命令か」
「予想的中です。さすがですね。……というより、いつからいたんですか?」
「お前が来た時から、ずっと」
ずっといたとは、これまた言ってくれる。
そう思いながら僕はウォルターを忌々しげに見る。探す場所は末端でもなく中央でもなく、後ろだったとは。本当にこの人はよく分からない。
「いたなら、声をかけてくれても良かったじゃないですか」
「関わりたくねぇと思って」
「……はぁ、そうですか」
面倒だし、と言いながら腕を組んだウォルターに、僕はやはり忌々しいと視線を向けた。本当にどういうつもりなんだこの人は。
長年の付き合いだとは聞いているし、天剣授受者が動くことは女王の命令だとはわかっていただろう。それを関わりたくないと失礼極まりない理由で無視するとは、なんというぞんざいさ。
「……えっと…とりあえず、来てもらえませんか?」
「嫌だ」
「え」
「どうせまたくだらないことに付き合わされンだろ? 絶対に嫌だね」
そのくだらないことの序章に、僕は付き合わされているわけだけど。
腕を胸の前で交差してバツじるしを作るウォルターは、本当に心底嫌そうな顔をしている。
それは僕も言いたいです。
「きっとウォルターだけですよ、そんなこと言えるのは」
「言おうと思えば誰だって言えるだろ」
「…言うのはそうでしょうけど、その後が…」
収拾つきません。不機嫌顔でそう言い放ったら、ウォルターに鼻で笑われた。
こっちは結構真面目なんですが、彼には伝わってないようです。
「とりあえず行かねぇ、面倒だし」
「……そうですか」
「あぁ、アルモニスには適当に言っておけばいいだろ。いつものことだし。あいつの我が儘は今に始まったことじゃねぇ」
「まぁ……そうでしょうね」
ふぅと溜息を吐いて、僕は尖塔の屋根に座った。
ウォルターも少し距離をおいて座る。汚染物質の濃いエリアを周回しているはずのグレンダンの空は、やけに青い。まったく、僕はそんなに清々しくないですよ。
「……あぁ、そういえば」
「なんです?」
口を開いたウォルターが、眠たげな眼をこちらに向け、言った。
「お前、名前なンだっけ?」
……少し前言った気がするんですが、もう忘れたんですか。
僕……サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは、嘆息しながらしょうがないとばかりに口を開いた。