小隊をしきる存在である隊長。第一小隊から第十七小隊まで存在するツェルニの小隊には、それぞれ小隊ごとに特徴がある。
その特色や使用武器の傾向から、小隊の得手不得手ももちろん存在し、小隊の性質から戦況にも長所短所が存在する。
ついに間近となった都市戦に向けて、ツェルニの武芸科は大詰めとなっていた。
「都市戦、か」
(……面倒だねぇ。いやぁ、まったく)
小さく呟いたウォルターの言葉に、中でルウがため息混じりにそう言う。ほんの少しだけ苦笑して、ウォルターは誰もいなくなった病室で金の腕輪をいじっていた。
もうそろそろ退院していいとティアリスが報告に来るはずだ。制服に着替えて、ウォルターはベッドに座り込んだまま、少し息をつく。
どうするべきか、今になって悩んでしまった。きっと“元に戻る”ことが必要なのだろうけれど、ウォルターはそれをどこかためらっていた。それに対しても何故ためらうのか、自分の中で答えを見つけられず、それでいてどちらへ動くべきなのか、わからずにいる。
ニルフィリアに言われた様に、脆弱な光を宿して慣れ合いを続けるのか。
それとも、それを切り捨てて塗り潰すのか。
だがどうも、あの時の感覚を失えずにいた。レイフォンと話していた時の一瞬の違和感。それを、無視できない自分がいた。
「………………………」
何気なく窓の外へ視線を投げた。
青い空が広がっている。エア・フィルターの外は汚染物質の濃度はあまり濃くないようだ。
オーロラ・フィールドのない空。ここへ来てどれだけ経っただろうか。どれだけ経ったとしても、この空にウォルターが馴染むことない。
―――――そういえば、練武館に行かないといけないンだったか
マイアスに行っていなくなっていたニーナが、ようやく口を開くとか。
ここにいた間に生徒会長であるカリアンがウォルターの元に来たが、ウォルターが口を開くことはなかった。
きっと、練武館へ行けばウォルターも問いただされることだろう。入院の間に見舞いに来たフェリやレイフォンをはじめとした十七小隊や、レイフォンの同級生である女子3人組も来た。後半はそういったことを問わなかったが、十七小隊はやはりそうもいかない。
新しく入ったダルシェナもそれを問うてきたし、軽い口調だったが、シャーニッドも聞いてきた。錬金鋼の調整がてら様子を見に来たハーレイも聞いてきた。
何も言わないでいたが、その時は何も言われなかった。入院している時になんとなく機嫌が悪いことは、新しく入ったダルシェナやナルキ以外は知っていることで、深く追求してはと思われたのだろう。
だが、おそらく練武館の話し合いではそうもいかないだろうな、となんとなく思って、ウォルターは息をつく。
できることなんてない。そうだろう。
だから、口を噤んでおくことが一番得策だろう。
そう思った時、ちょうど扉が開いた。
練武館にウォルターが到着した時には、すでに十七小隊のメンツは全員揃っていた。
運動禁止令が出たいま、さすがに屋根の上を跳んでいくようなことをすればすぐさま病院へ逆戻りだ。それはさすがに避けたいと思って正当法で行けば、時間がいつもの倍以上かかってしまった。
どこか探るような目つきで、レイフォンが視線を向けてくる。いいや、十七小隊の全員が、そんな眼をウォルター、そしてニーナに向けていた。事情が説明されていないいま、そういう眼を向けられることは当然だろうなとなんとなく思った胸に、何かがまた違和感を突きつける。
まただ。レイフォンの時と同じ違和感。苛立ちにも似た、不服なような、気に入らないような。
ウォルターは無意識に眉根を寄せながら、とりあえずと集まっている輪へ足を向けた。
ニーナはなんとなく経緯を説明した。
ツェルニにいなかったことや、廃貴族がいま自分の中にいること。廃貴族はディンの時のように暴れることはなく、現在は鎮静状態にあるということも。
だが、詳しい経緯には触れなかった。これからだというところで話をくじかれた面々は怪訝にニーナへ視線を向ける。ニーナは「言えない」ということを強く強調し、それでいて誰にも言っていないのだと、十七小隊だけに内密にしているわけでないのだと、そう言った。
経緯を知りたくてもニーナがそういえば言わないことは誰もがわかっていた。だからこそ、それ以上の追求も出来ず、説明を急かすような真似も出来なかった。
―――――まぁ、ディックに言われたからな
ディクセリオ・マスケイン。元ツェルニ生徒であり、ツェルニの暴君とも呼ばれていたかつての同級生であり、同僚であり、いまなお共にイグナシスの妄執を砕かんと動く獣。
少し前のバンアレン・デイで出会ったニーナとディック。そして、ディックと共に並んだウォルター。だが、ニーナにそのことに関して口を開くようなことは一切しなかった。
関わりを持つものが増えれば、それだけ方向性が増えるということ。それはまたウォルターの仕事が増えるということだ。そして何より、ニーナの性格だから根掘り葉掘り聞かれるのだろうと思うと、それを一番避けたかった。
「……イオ先輩は、どうなんです?」
フェリの静かな問い。ニーナも含め、十七小隊面々の視線がウォルターに集中した。
ウォルターもまたツェルニから姿を消していた。ニーナのように。それでいて彼女と違い、ツェルニに姿を現してフェリやレイフォンと接触していたのだ。怪訝に思われても仕方のないことだろう。
だが、その疑問の視線が突き刺さる中でウォルターは口をつぐむ。
何も言う気はないのだと、雰囲気だけで語る。
それに憤りを真っ先に感じたのは、やはりというかナルキだった。彼女の表情がやや怪訝な、不可解なものを見るような様子に変わっていく。
続いて眉を寄せ始めたのはダルシェナで、彼女は口を開いた。
「何も言わないつもりか? ウォルター」
よく考えれば、ダルシェナと真正面から向き合うのはこれが初めてかもしれない。第十小隊の時はダルシェナをシャーニッドに任せたし、ウォルターはディンとすら向き合っていなかった。ただ、成り行きを見ていただけだ。
彼女はその流麗な表情に怒りをにじませながら、ウォルターを見ている。そしていつまでも黙りこんでいるウォルターに腹を立てたのか、腕を組んで苛立たしげな顔でウォルターを見た。
しかし、十七小隊の怪訝な雰囲気と若干の怒りをにじませた感情の満ちた空間の中でも、ウォルターは黙ったままだった。何も言わず、ただそこに立っているだけ。どこを見ているともなく、ただいるだけ。そんな状況だった。
「……オレに、言うことはない」
「なぜです? 急にいなくなり、急に現れた。そしてまた、あなたは姿を消して、汚染獣が押し寄せてきたあの戦場に姿を現した。……そんなことがあったにも関わらず、なにも言うことはないと言うんですか?」
「ない」
フェリは静かな言葉の中に、小さな憤りを見せた。だが、言い切ったウォルターの言葉に更に苛立った様子で、やや眉根を寄せる。
そんな面々の中で、シャーニッドは静かに腕を組む。
「別にお前がどうかしようってわけで、おれらも聞いてるんじゃねぇんだよ。ただ、十七小隊として、お前のことを気にしてるんだ」
「…………ただ、戦場があった。だからいた。それだけだ」
「でも……ウォルター。僕は、その答えで納得出来ません」
レイフォンが小さく前に出た。ウォルターの冷めた目線はレイフォンを捉え、そらされる。
「戦場なら、グレンダンにいればいい話でしょう? ……そう言うのならなぜ、あなたはここにいるんですか?」
「……いることが、悪いとでも?」
「そ、そういう事では……」
「…ウォルター、あまりレイフォンを困らせてやるな。…わたしも言っていない以上、強く言える立場ではないが……もし、ウォルターに言える事があるなら、わたしも聞きたい」
「さっき言ったはずだ。『ない』と」
ウォルターの声音は冷えきったまま。冷えた声音で呟くウォルターの視線は、すでに十七小隊の面々を視界に入れてすらいない。逸らして斜め前の地面を見つめたまま、そこに立っている。
「そうやってなにもかもはぐらかすつもりですか、ウォルター先輩」
「じゃあ言えば理解できるのか? その話が、どんな話かも、どんな規模かも知らないで?」
「そんなこと……話の内容どころか、概要すらも聞いていないんですよ? わかるわけないに決まってるじゃないですか、ウォルター」
「どう言われようと、オレは“お前ら”が分かるとは思えない」
「わからなくても、言うことに意味があるんだろ」
そう言って、腕を組んだままのシャーニッドは鋭くウォルターを見る。
煮え切らない態度のウォルターにしびれを切らしたようで、シャーニッドの声音も、双眸も、普段からは想像もつかないぐらいの真剣そのものだった。
「おれだって、ディンやシェーナとのことがお前らに分かるなんて思ったことはない。だけどおれは話した。おれ自身のけじめと、お前たちに信頼を託すとして」
「………………………そんなことは、」
「知らないとでも言うのか? ウォルターがよく言うだろう。『分かるのかと言われても、言われなきゃわからない。言われないなら誰もわからないし、わかろうとなんてしない』って」
「……そうだとしても……お前らには」
この世界の人々が、このままではだめだと思っている。
だが、こんなことを言って本当にわかるのだろうか。理解しようとしても、理解できないことはごまんとあるこの世の中で、どう分かるというのか。
その眼で見ても理解しようとしなければ出来ない。しようとしてもわからない時だってある。
ディックがニーナを止めた理由はそれで、そしてまた、この世界は連鎖していく。あらゆることがつながりを求め、つながればあらゆるものへと因子を拡散させ、世界の運命に関わるという呪いにも近いそれを与える。
知るということは、呪いへの一歩。
そして、その呪いは綴りが終わらない限り、ずっと続く。それこそきっと末代まで。
グレンダンがいい例だ。王家はすべて運命へ関わりを持ってしまったが故に、『あちら側』を見る。子も、親も、知った友人も、何もかもだ。
知ったものの先に待つものは、絶望か、死しかない。
―――――だから、あいつも死んだ
知っているウォルターに関わった。だから、死んだ。狼面衆にかかり、死んだのだ。
手が、知らずのうちに剣帯の錬金鋼に伸びた。
(……言いたく、ない)
自分の知っていること。自分の関わっていること。自分のやるべきこと。自分のやりたいこと。
(……ウォルター……)
自分が、していること。
ルウの心配そうな声音が思考に波を立てた。
―――――知らせることと、関わらせることは別。伝えるべきだと思うことと、言うことは、別
なら、言わなくていい。
どうせ時が来るならば、必ず知ることになる。
このツェルニには、ウォルターがいるのだから。
だから、言い放つ。
「関係ない」
全員の表情が怒りに染まった。
冷静な表情で、感情の宿らない瞳でそれを見渡しながら、ウォルターはやはり言い放つ。
胸にはびこる何かを無視して。
「関わったとしても、知ったとしても。……所詮はそこにいるだけの役立たずだ」
必要なのは運命に関わる因子を持つものだけ。
半端な関わりを持ったものは、その半端さ故に死ぬ。
いずれくる運命から切り捨てられる存在に過ぎない。
ならば、必要ないのだと
こちらもまた、切り捨てるだけだ