ウォルターは盛大に苦笑していた。
というのも、目の前に治療を完了せず出て行ったウォルターに大激怒している医師、ティアリスがいるせいだ。
レイフォンの時は捕縛される前にさっさと逃げたので何とかなったのだが、ウォルターの担当医師である彼は1度や2度で諦める程諦めがいい人物ではないうえ、そういう点で優しくない。そういう点でなくても優しくない。前々から分かってたことだ。
悪かったよ、と言いながら頭を掻くウォルターに、ティアリスは真っ黒な笑みを浮かべて頷いた。
「あぁ、許さん」
ウォルターが頬を引きつらせ、から笑いをこぼす。
あぁ、わかってる、わかってるよ。お前がその笑顔を浮かべた時は、許す気ナノ単位でも無いってことを。
ティアリスのその言葉により、ウォルターは強制的に入院する事になった。
レイフォンは考えていた。
ハルペーとの会話の際に、ハルペーはウォルターを知っているような言い振りで話していた。
その後……ハルペーのところからの帰りは、あまりに事が早く進みすぎてそんなことは頭になかったけれど、確かにそういったニュアンスを含む話をしていたのだ。
それも、まるで“かつてからの知り合い”のように。どこか忌々しそうに、それでいて気にかけているような……レイフォンにはそれがわからなかった。
ただ、一つ言っていたのだ。
どれだけ手を伸ばしても、届かない存在があれだ、と。
あれ、という言葉はウォルターに向けて言われていた。それなら、届かない存在だというのはなんなのか。
武芸的な強さという意味を指しているのか、彼という存在の強さを指しているのか、レイフォンにはまったく見当が付かない。
武芸者としての強さを指して言われていたとすれば、それはきっとレイフォンには届かない所だろう。
技術は……そうでもないかな、と思える。しかしウォルターの強みはきっとあの金色の腕輪。自分の実力を最大に引き出せ、容量を気にすること無く剄を放出できる武器。
武器への躊躇がいらない。それはレイフォンにとっても羨ましいことだった。強大な剄力のせいで、昔から満足に錬金鋼を扱えなかった。それは本当に悩んでいたのだ。あれがどういうものであれ、そういうものを持っていることは羨ましいと思う。
そして、あらゆる武器や状況、戦場に対応出来るその順応力。ウォルターはあらゆるものを手懐ける。それが武器であろうと、状況であろうとも。自らの有利な状況へ進める。それがウォルターだ。
だが、どれを比べても敵わないのは、彼という存在の強さを指された場合。
レイフォンは、彼に比べればあまりに幼い。思考も、行動も。
感情を制御できず、彼との言い合いになった……いいや、一方的にレイフォンが激情にまかせて罵っていただけだ。彼はただ、静かに聞いていただけ。
だが、もしあの“風”が吹き荒れなかった場合、彼はなんと言っただろう?
レイフォンを哀れんだだろうか。くだらない理屈ばかり立て並べると。
それとも静かに、いつもの様に冷徹な眼で言い返してきただろうか。レイフォンの方が、自己中心的で、利己的な言葉を立て並べていると。
どちらにせよ、見当はつかない。
「……素直に、聞くべきかな」
どんなことだとしても。
だが、いままでの事からして、どうせはぐらかされるだろうという可能性が高い。
聞いても意味のないことのような気がして、レイフォンは顔を出す気が引けていた。
「……そういえば……」
ふと、ハルペーで思い出した。
ハルペーが一番初めにツェルニに現れた時、感じたあの違和感。
空を飛ぶハルペーの横に、“誰か”がいたような気がした。いいや、“誰か”、ではない。
―――――ウォルターが、いた、ような…
だがこれはただの“気がする”だけの事であり、確信があるわけでもない。
まして、もしそんなことがあればそれは人間だと言えるだろうか。武芸者ともいえない存在ではないのか?
どうするべきか、レイフォンにはわからなかった。
自分の感覚が間違っているとも思わないし、ウォルターがそこにいたとも思えない。
ふむ、とレイフォンは腕を組んで、唸った。
そしてそれに並行して、ウォルターの刀についても考えた。あの腕輪はどういう原理かしらないが、質量を変化させることが出来る。レイフォンが持っていた間でも、手にずっと馴染んでいた。
刀。その単語を内心で復唱して、レイフォンは自分が養父に刀を渡した時の事を思い出す。
「……そういえばあの時、あれも一緒に渡したな」
昔からずっと持っていた大切なもの。
刀を使わないと決めて養父に返した時、自分には持っている資格が無いと言って養父に渡したのだ。あれの裏に書かれた言葉が、レイフォンを戒めているような気がしていた。これからレイフォンがしようとしていることは、どれだけ愚かな行為なのかと。
だが、とても大切なものだ。レイフォンにとって、唯一無二の。最近は、あまりに忙しくてずっと忘れてしまっていた。
「……………………」
気がつくと足が勝手に病院へ向かっていた。若干ため息混じりに、レイフォンはウォルターの所へ行くことを決めた。
なんとなく、嫌な顔をされるだろうなぁと予感しながら。