ウォルターを中心に吹き荒れた豪風はレイフォンの身体を打ち、その豪風にやや身体を押される。咄嗟にレイフォンは腕と剄で風を防ぐが、防ぎきれなかった風に押されてやや後退してしまう。
「な、なん……っ」
頭に直接響いた声や、いきなり吹き荒れた豪風にレイフォンが眼を見開いて、手に持っていたウォルターの刀を反射的に復元し、構えた。
(……消す、絶対消してやる。このガキ)
(ばか、やめろってば!)
更に濃密となった殺気が場を満たした。
激烈なその殺気は激しくレイフォンの身体をうち、豪風よって舞い上がった砂塵にレイフォンが眼を細め、戸惑う。
「な、何ですか……ッ?」
(ルウ!)
殺気の源はルウだった。
ウォルターの“中”に存在するルウが、異界法則を扱って豪風を吹き荒らした。
制止をかけるウォルターの言葉は聞いているが、それでもいつ異界法則を展開するかわからない。ルウはいまにもレイフォンを消しかねない殺気を放っている。
ルウがほんの少しだけ声音を落ち着かせて、ウォルターに言う。
(……いままで堪えてたんだ、文句は聞かないよ)
(だめだ。これ以上はなにもするな)
(ヤだ。許さない。絶対にこいつ許さない。本当に消してやる)
(やめろ、いますべき事はそんなことじゃないだろ)
ウォルターの言葉にも耳をかそうとしないルウに、ウォルターは舌打ちをしたい気分になる。
ルウはルウでウォルターを考えてくれているのはウォルターも重々承知しているのだが、それでも止めなくてはならない。
(ルウ、頼むから……!)
(……どうしてかばうのさ。あんなの、居ても居なくても同じでしょ? どうしてかばうの、ねぇ)
(メリットは無い。それに、この場は他のヤツだって見てる。軽率な行動は起こすな)
(軽率な行動だろうといいよ。邪魔なガキが消えるなら僕は嬉しい訳だし、あいつがいなくたって一緒。……十分でしょ?)
(……ルウ、じゃあこうしよう)
怒りはおさまらないらしいルウに、ウォルターは提案を持ちかけた。やはりルウは渋る様子を見せたが、それでも仕方ないとばかりに頷いてくれる。
昔だったなら決して折れてはくれなかっただろうが、今では折れてくれる様になったのか。おとなになったな、とウォルターは一瞬状況を忘れてしみじみと感動しそうになった。
実際、提案において能力行使はルウに任せた。ウォルターを通しての能力行使だが、それでも何もさせないよりはマシだろうし、なによりこれからウォルターが行おうとしていることはルウでなくては出来ない。
ルウが盛大なため息を吐き、至って面白くないというような声音で呟いた。
(……仕方ないな……。じゃあ僕は、間違えて“拒絶”しないようにするよ)
(そうしてくれ。……悪いな)
(べ~つに~? ……僕がウォルターのお願いを断れるわけ無いでしょ?)
やっぱりまだ機嫌は斜めか、と内心で軽く苦笑しながら、ウォルターはレイフォンに向き直った。
レイフォンは未だ状況把握ができていないようで、驚愕と困惑の混じった瞳でウォルターへ視線を向けている。
「……ウォルター」
「アルセイフ、落ち着け」
「いま、のは」
「なんでもない」
驚愕に表情を染めるレイフォンにウォルターは静かな声音で言うが、当のレイフォンは復元したウォルターの刀を握りしめてその場から動かない。
絞り出したような声で、小さくレイフォンが呟く。
「またあなたは……そうやって嘘を吐く」
「嘘じゃねぇよ、アルセイフ」
「またそうやって、軽々しく嘘を吐いて、また何処かへ行く。ツェルニから離れて、嘘を吐いて、また勝手にして」
「……アルセイフ」
「また、あなたが十七小隊を混乱させる」
僕の歩む道も。
微かに震える、レイフォンの声音。
先程の提案において、ルウはすでに準備を終えている。後は、ウォルターがレイフォンに近付くだけ。
ウォルターが一歩、レイフォンに近づこうと踏み出たが、レイフォンは握っている刀を更に強く握り警戒の意志を示す。
来るな。
その意志の表れだとわかったが、それでもそこでなにもしないわけにもいかない。
「……刀を下げろ」
「ウォルターの……“やらなければならないこと”を疑う気はありません。でも、……でも、もう少しくらい、僕らの事を考えてくれてもいいんじゃないですか?」
レイフォンの揺れる水縹の瞳がこちらを見る。だが、その瞳に対してもウォルターの感情が揺れる事はない。
それにレイフォンは俯き、口を噤む。その様子を見ながら軽くひとつ息を吐いて、ウォルターは言葉を紡いだ。
「え?」
微かに紡がれた言葉はレイフォンの耳に確かに届いた。弾かれたようにレイフォンが顔をあげるが、その時すでにウォルターは目の前にいて、レイフォンの顔の前には手が添えられていた。
「…………ッ!」
「……少し寝てろ」
意識が、暗転した。
「……ルウ、もうちょっとお手柔らかにしてやれなかったのか?」
地面に倒れ込みそうになったレイフォンを支えつつ、ウォルターはルウに問うた。
ルウにしてもらったことは単純なことだ。ウォルターを通して異界法則を使い、レイフォンの意識を“拒絶”しただけ。
ウォルターを通さずに行うと大まかな位置の指定のみになるため、ウォルターを通してより的確にレイフォンの意識のみを“拒絶”した。しかしもう少しゆっくり倒れるかと思えば、糸の切れた人形のようにぷつりと落ちるものだから、こう言いたくもなる。
(えっ、僕は充分お手柔らかにしたつもりだったんだけど)
「えっ、…そか…それならまぁ…しょうがないな」
(まぁ、前にウォルターにした時はもっともっとお手柔らかにしたけどね)
「あ…、そ…」
そういえば一時期敵対していた頃、自分もルウの異界法則で意識を“拒絶”されたことがあったなと思い出した。あの時はルウも生身だったから彼単体に意識を飛ばされたわけだが、あれはあれでびっくりしたものだ。
当初は再会直後のことだったせいもあり、ルウの異界法則についてウォルターもきちんと把握していなかったことも災いして本気で驚いた。今となってはただの思い出に過ぎないわけではあるものの、きちんとお互いについてわかりあえてよかったと心の底から思う。本当に。
ウォルターの気の抜けたような声音に、ルウは唇を尖らせる。
(あ~、信じてないな、その言い方は。本当だってば。あの時は僕も必死だったし悪かったけど、ウォルターに対しては今も昔もすーっごく優しいけど?)
「そこはつもりじゃないンだ。確定なンだ」
(うん!)
「いいお返事ですこと」
ウォルターはルウのいい返事に苦笑を浮かべ、レイフォンの手から落ちた腕輪は彼のポケットに突っ込んで抱え直す。
―――――…そうだ。知られる必要なんて、理解を得る必要なんて無い
“人間”がどう騒ごうと、“自分”には関係無い。
そうウォルターは自分に言い聞かせながら息を吐き、そのまま外縁部から跳躍、病院へと向かった。
「おれ様の活躍の場がない……だと……?!」
「…そンなにショック受けることじゃねぇと思うンですけど…、…エリプトン…先輩」
無事にレイフォンを病院送りにすることが出来たウォルターは、レイフォンを運び込んだ病室の外で待機していたシャーニッドと話をしていた。
シャーニッドは一応補助員として後方に配備されていた。しかし、ウォルターの手によってレイフォンが病院送りになったことにより、シャーニッドに活躍の場は与えられなかった。どうやらシャーニッドはその事が不服だったらしい。
「まったくよ、お前も先輩に活躍の場をよこせよ~」
「活躍の場って言っても、こうやってしたほうが早かったってだけなンですけど」
「まぁ…そうだけどなぁ。でもやっぱりせっかく居たんだから、なんかしたかったんだよ」
「その気持ちは、分からないでも…ないです、けど」
「だろ? もっとこの格好良い先輩に優しくしようぜ」
「…………………………………………格好良い?」
「心ゆくまでためて疑問形?!」
ウォルターの真顔に、シャーニッドが衝撃を受けた顔で溜息をつきつつウォルターの肩を叩く。
痛いと言うも、シャーニッドはウォルターの発言を嘆くばかりだ。
「お前は~。もうちょっとそういうことに興味持とうぜ。…格好良いといえばお前、今度暇はあるか」
「あんたはまたいきなり。……まぁ、あ…ります、けど…」
「……よし。ニーナが帰ってきて、ツェルニが落ち着いて、お前も落ち着いたら、十七小隊でどっか行こうぜ! 遊びに行こう!」
「あんたはナンパに行きたいだけだろ。オレ、あんたと何処か行くとか本当に勘弁」
「酷い言い草。だが拒否権は無いぜ! なにせ十七小隊の年長者だからなぁ!」
ふははは、と古典的な笑い方をしつつ胸を張るシャーニッドに大きな溜息を吐き、内心軽い苛立ちすら覚えた。
この相手をするくらいなら先程のルウかレイフォンの相手でいいと心底思う。
シャーニッドは小さく「冗談冗談」と言いながら笑うが、どうせ上辺だけの言葉で本気で悪いとは思っていないのだろう、とウォルターはため息混じりに腕を組んで、白い目をシャーニッドに向けた。
「ってか…最高決定権はアントークにあるだろ。あんたの決定は通らないと思うけど? もっとも、あのアントークが遊びを許可すると思えない」
「そうだな…あ、水泳とかなら大丈夫だろ。なにせ、泳ぎは遊びにもなるが訓練にもなる。やり方しだいだ。そうだろ?」
「……あんたのくせに頭の良いこと言ったつもりか?」
「おい、辛辣さが隠れてねぇぞ」
「隠すつもりもない」
「ほんのちょっとは隠そうっていう意欲を見せろよ」
シャーニッドが呆れたようにやれやれと頭を振った。しかしウォルターはため息を吐くばかりで、反論する気もなくなったらしい。
少し遠くを見ながらウォルターが剣帯に手を添え、錬金鋼を握りしめる。
それに眼を向けたシャーニッドは、ウォルターに声をかけた。
「どうした?」
「別に」
返事は即座に返ってきたが、視線はシャーニッドへ向けられない。
ちらと錬金鋼を見てシャーニッドはふと口にする。
「その錬金鋼って、お前がおれに銃衝術見せてくれた時の銃か?」
「あ? ……そうだけど」
「ふ~ん…?」
じっと食い入るように手元を見るシャーニッドにウォルターは、不機嫌に眉根を寄せて剣帯をシャーニッドの視線から外し、言葉を紡ぐ。
「ンだよ…なんか、あンのか?」
「いや、その錬金鋼、随分と色がくすんでるなと思って。……手入れしてねぇの?」
「してるよ」
面倒くさそうにウォルターは言葉を返してシャーニッドを見るが、どうも納得がいかないらしいシャーニッドは腕を組む。
「ちょっと見せてくれね?」
「嫌だ」
「そ、即答…? 減るものじゃねぇし、見せてくれたっていいだろ…」
「見せる義理もねぇだろが」
そうだけどよ、と言いながらシャーニッドが肩を竦めた。
ウォルターは錬金鋼を握りしめながら、小さく呟く。
「……ただの錬金鋼だ」
視線を逸らしながら呟き、ウォルターは踵を返す。その素早い行動にシャーニッドが声をかける。
「おーいウォルター? 何処行くんだ?」
「オレにはまだやることがある。……そっちに行く」
「……………………早く帰ってこいよ」
「……へいへい」
ウォルターは苦笑交じりに頭を掻き、歩き去った。
その背を見送りながら、シャーニッドは小さく呟く。
「何処が、ただの錬金鋼だ、だよ」
ため息を吐きながら頭を掻く。
最近の若者は年上を頼ってこないなぁと思いながら、足元に視線を落とす。
ウォルターが握っていた錬金鋼が本当にウォルターの中で“ただの錬金鋼”ならば、彼があそこまで憂いに満ちた顔をすることは無いだろうと思った。
彼自身からあまり関わってこないからこそ彼の表情の変化と言うものに疎いが、あれにはさすがに気がつく。
―――――あんな覇気のねぇ顔、一瞬でも初めて見たっての
それほど彼の中で重要視された事柄なのか、それともきっかけを作ったことだったからなのかはよくわからないが、あの錬金鋼が彼の中で重要なものであることは確かだろう。
しかし、レイフォンと何を話していたのかはさっぱり見当もつかないシャーニッドだが、ウォルターの表情にいつもとは違うなにかが現れていたような気がしてならないのだ。
“何か”を知っているような、そんな感触。
「……まぁ、別にいいけどな」
シャーニッドはそう呟いて、自らもその場を去った。