明星の虚偽、常闇の真理   作:長閑

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焦燥

 機関室から何処へという宛もなく走っていたレイフォンはひとり、外縁部で茫然と荒廃した大地を見つめていた。

 背後に気配を感じ、振り向いたレイフォンは息を飲む。

 

「……ウォルター……?」

「よう。留守にしてて悪かったな」

 

 何事も無かったかのように立っているウォルターの姿に、レイフォンは息を詰まらせていた。ウォルターには“いつもの”笑みしか浮かべられていない。それに苛立ちを覚えて、いつもは消されてしまいそうになる言葉を紡ぎ、睨め付けた。

 

「…何処に行っていたんです」

「ちょっと用事が出来たンで、そっちを見に行ってきてたンだよ」

「………そんな理由で…、居なくなったんですか」

「そうだな」

「勝手すぎますよ! ……あなたは、あなたは……ッ、」

 

 自分の中で多くの感情が渦巻いて、うまく言葉にできないレイフォンは言葉を詰まらせた。唇を噛んで俯いたレイフォンを、ウォルターはいつもの様に面倒なヤツだ、とでも言いたげな視線で見下ろす。

 

―――――……僕が、どれだけ心配したと思ってるんだ……ッ

 

 そう、言ってやりたかった。

 だがそれを言えば自分の意地が折れてしまうような気がして言えなくて、他のことを言おうとして言えなくなって、結局レイフォンはなにも言えなかった。

 どれだけ自分がもがいても何も変わらない。それを象徴するかのような存在のウォルターを睨みつけて、レイフォンは拳を握る。

 

「……悪かったよ。本当に」

 

 しかし、ウォルターから発せられた言葉は意外な言葉だった。バツが悪いと眼を逸らす彼は、手を首に当てていた。

 意外な言葉に、返答を用意できなかったレイフォンは唇を噛んで眼を逸らした。震える声を必死に震えないよう、彼に伝わらないよう、レイフォンは絞りだすように冷静な声でウォルターに言う。

 

「……ウォルター、汚染獣が迫っているんです」

「分かってる」

「…だから、手伝って欲しいんです。これは返します」

 

 レイフォンはそう言ってポケットから金色の腕輪を取り出し、ウォルターにむかって差し出す。

 だが、そんなレイフォンにウォルターは先程の言葉とは裏腹な、冷め切った眼を向けていた。

 

「……ウォルターは念威も扱えますよね。だから念威で汚染獣の感知をしてくれるだけでいい、僕が戦う。…だから、」

「アルセイフ」

「……なん、ですか……?」

 

 ウォルターが静かにレイフォンを見据えた。その一言と視線に気圧されたように、レイフォンが若干視線を泳がせる。

 

 レイフォンにとっては、もうウォルターが突然居なくなってしまったことは不問だった。

 いまこうして自身の目の前に居る。帰って来てくれている。それならばもうそれでいい。

 ただ、まだニーナは帰って来ていない。そしてフェリも倒れてしまった。

 まだツェルニは汚染獣の群れの中にいる。ならば、倒さなければならない。

 戦わなければ生き残れない。目に見えている事柄だ。

 ウォルターは呟くのみで言葉を紡ごうとしない。こうしている間にも汚染獣は迫っている。両者に焦らされ、レイフォンは止められたがそれでも口を開く。

 

「……ウォルター、僕は戦います。その為に、ちからを……」

「何の為に?」

「え?」

「何の為に戦う? お前は」

「……え……?」

 

 レイフォンの気の抜けたような声が、静寂に落ちた。

 

「そ…、そんな謎掛けをしている暇は無いんです、ウォルター。汚染獣はすぐそこに居るんですよ? 戦わないと……」

「何故? 何のために? どうして戦う」

「…ッ、ウォルター!」

 

 問いしか言わないウォルターをレイフォンが焦りと苛立ちで鋭く睨みつける。動じないことはわかりきって居る、しかしそれでもなにも変わらない彼が苛立たしかった。

 冷徹な瞳を維持するウォルターは、再び問いを口にする。

 

「お前は何故戦う」

「…いま、やることをやらなくて、どうするんですか。僕にできることをしなくて、どうしろっていうんですか」

 

 ウォルターは片眉を上げて酷薄な瞳を向けた。あの時のように。

 向けられた瞳は一瞥でレイフォンの心身を凍りつかせ、その瞳に息を飲む。

 

「そうやってがむしゃらにやってお前は何を得た? 何かを得られたのか?」

「……謎掛けは、」

「そうやってして、アントークが帰ってくるとでも思ってるのか」

 

 レイフォンは言い淀む。ウォルターは言い放つ。

 鋭く凍てつくような言葉を、冷徹で、酷薄な態度で。まるであの時……天剣授受者決定戦の時のような雰囲気がこの場に充満していた。

 

「お前だってそこまでばかじゃない。自分が“依存”していた相手がいなくなった程度で、そのざまか。……くだらない」

「…僕は、依存なんて…!」

「そう言い切れるのか、お前は」

 

 ウォルターの地を這うように低い声音に、レイフォンが竦み上がった。

 意図してなのか分からないウォルターの声に乗せられた剄に打たれて、レイフォンは息を飲み、言葉を詰まらせる。

 その声はレイフォンに宿りかけた怒りという炎を一瞬にして吹き消し、身体の奥底から震えを駆け上がらせる。レイフォンは知らず知らずのうちに拳を握っていた。

 

「……今更嘆いたって無駄だ。何も覆りはしない」

「そんな…ッ」

 

 言い返そうとしたレイフォンは、ウォルターからあの時と同じ圧力に気圧されて言葉を発せなくなる。

 喉まで出てきていた言葉は、しかし紡がれず霧散していく。

 

「依存してない、そうお前が言うならそうでもいい。オレには関係ないことだ。だが、それでオレのやることを邪魔されるのは、癪に障るンでな。…お前はどうして諦めている?」

 

 諦める。何を? 武芸をやめることを? それとも、武芸に理由を持つことを?

 どれも当てはまるだろうけれど、どれも違う。

 レイフォンは息を吸い込んで、腹から叫ぶように言葉を発した。

 

「諦めているわけじゃない! ……だけど、だけど…、どうしようもないんだ」

「それはお前がそうだと思っているから、だろう?」

 

 ウォルターはレイフォンの反論を通そうとはしない。先程よりも冷えきっている瞳に、レイフォンは恐怖を抱く。

 恐怖で震える声に必死で気付かれないよう言葉を紡ぎ、彼を見る。

 

「僕だって、どうしてこうなったのか、わからないんだ」

 

 いいや、分かっている。

 グレンダンを放逐された理由だって、ここに来てからのことだって。

 一番見つけたいものが、見つかっていない。

 こうなった理由は分かっている。ここから自分がどうなるのか、どうしたいのか。

 

 ただ進めば、見つかると思っていたから。

 それじゃだめだと気づいた時には、遅かった。

 

 黙り込んだレイフォンに、ウォルターは溜息を吐く。

 その溜息には何処か、いまのレイフォンに通ずるものが含まれているようにも思えた。

 

「……ただなんかして生きてりゃあ、それでいいンだって思ってた時期が、オレにもあった」

 

 紡がれた言葉は、酷く遠いものを見ているような声音で紡がれた。ウォルターの瞳は悲観的で、全てへの失望を映す。

 何処か脱力したような言葉を紡ぎながらも、ウォルターの手は剣帯に収まるひとつの錬金鋼を握りしめていた。

 

「そうしていれば、なンとかなるってさ。…けど、なンとかなったことなンてなかった。全部、だめだった。気付いても、気付いていないふりをしていた」

 

 ずっとずっと気付いていた。

 かつてあちこちを回っていた時から、気付いていた。ずっと心の奥で、じりじりと思考を焦がしていたことだったから。

 だけど気付かないふりをしていた。

 一瞬浮かんだ映像をかき消すように、ウォルターは眼を伏せる。

 気付いている自分ですら嘆かなかった。しかしそれでも空虚だと感じていた。

 

 あなたは誰? そんな単純な問いに、自らの名前すら答えられないようなモノ。

 

「…オレは偉そうに言えるような人生を歩んでない。前も言ったろ。だから言えることもある、って」

 

 レイフォンはウォルターの真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 まさか、ウォルターが自分の事を話すとは思わなかった。前もほんの少しだけ過去をにおわせることは言っていたけれど、はっきりと言われたことは初めてで、レイフォンは戸惑いを感じていた。

 ウォルターの表情に変わりはない。あえて言うなら、自嘲気味な笑みが浮かべられた事くらいだ。

 

「…誰もから賛美されるような事しろとか、誰も成したことのない偉業を成せとかそういう事じゃねぇンだ。オレだって口に出せば仰々しい事かもしれないが、やってることはちゃちな真似の一言だしな」

 

 そう言ってウォルターはやはり自嘲気味に笑みを浮かべる。レイフォンは視線を逸らして、小さく呟いた。

 

「…それでもやっている規模が違うことは、確かでしょう。そう自分で言うことでも、何かを見つけていることは確かでしょう」

「あぁ、そうだな。確かに、いまは見つけているって言えるのかもな。こんなことでも。…最終的には、自分の意志でやるかどうか、それだけだろ」

「やっぱり、ウォルターはウォルターだ。……そうやって……、…ウォルターはいつも先に居て、僕を…僕らをおいていくんですね」

「…お前がそう感じるなら、そうなのかもな」

「…………………っ」

 

 元々活剄で聴力をあげていたウォルターはレイフォンの小さな呟きも聞き漏らさなかった。

 

「ずっとそうってわけじゃねぇだろ。オレはカミサマじゃねぇンだ、お前が追いつこうと思えば追いつける。……お前がそうあるというなら、たどる運命は同じだろう」

 

―――――そう、その身に宿す因子に連れられて

 

 ウォルターはやや眼を伏せがちにしてそう思う。

 そう、レイフォンはその身に宿している。世界に関わる因子を。

 ニーナ・アントーク、アルシェイラ・アルモニス、リーリン・マーフェス、そして天剣授受者達。

 それらと同じ世界の運命に関わる為の因子を備えている。ただし、レイフォンの因子は少し違うという事をウォルターは知っている。

 

―――――だが、いまはそんなことを考えている暇は無いな

 

 俯いてほんの少しだけ思考に耽っているレイフォンを見ながら、ウォルターは軽く頭を振った。

 

 レイフォンはウォルターの言葉に入学当初あたりの機関掃除の際、ウォルターと一緒に掃除していた時に言われた言葉を思い出した。

 

『オレは関わる運命に居る。たとえ、それとして居なくても』

 

 運命。

 よく考えれば、レイフォンがツェルニに入学してから2人で話をする度に、ウォルターはそんなことを呟いていた。

 

『なによりお前は、絶対に知ることになるからだ。いまはまだ時じゃねぇ』

 

 ウォルターの言葉から察するに、レイフォンはなにがどうあれ必ずウォルターの言っている運命に携わる事になる。

 ならば、いま急ぐ必要は無いのではないかとも考える事が出来る。

 

 レイフォンが思考に気を取られている間に、ウォルターはひとつ息を吐き、話を戻した。

 

「お前は見つけるべきだ。自分自身の“理由”を」

 

 その静かな低音の声音が、レイフォンを思考から現実へ引き戻した。

 

「さっき言ったな。依存していないと」

 

 レイフォンは弾かれたようにウォルターを見、その表情をこわばらせた。

 

「じゃあいまのお前のその狼狽ぶりはなンだ? 無様に顔をしかめている理由はなンだ?」

「…………………!!」

「強く大きな意志に引き摺られたお前は、何がしたいンだ?」

 

 そう言い放ち、ウォルターはひとつ息を吐く。

 このまま言いたいことはいくつかあるが、それをすべて行った所できっと彼はわかりきらないだろうし、彼は理解しきれないだろう。

 正直ウォルター自身、感情のままに言葉を発するのは苦手であるし、話は組み立てて話したほうが話しやすいこともある。説得には好都合だろう。

 

「……ちったぁ頭冷やせ。先も言ったが、お前がぶっ倒れようと何をしようとアントークが帰ってくるわけじゃねぇンだ」

「……じゃあ、どうしろって言うんですか」

「そんなモン、」

「“自分で考えろ”、でしょう? …聞き飽きました、そんな言葉…。分からないから、少しでも自分にできることをしようって、隊長を追いかけて来ました。…それなのに、ウォルターはそれをだめだって言う……!」

「違うな」

 

 ウォルターはため息混じりにそう言い放ち、呆れた目線をレイフォンへ向けた。レイフォンはわけがわからないという顔でウォルターを凝視する。

 しかし、先程の雰囲気を消した彼にその瞳は通用しない。

 

「……いいか? オレが言いたいのは“ニーナ・アントークを追いかけるな”じゃない。もう一歩先、“それにばかり気を取られて、お前自身の本来の目的を見失うな”だ」

 

―――――本来の目的を、見失っている……?

 

 確かに自分でもがむしゃらに戦っていたとはわかりきっている。だが、それでもこれしか出来ないと思ったのだ。

 ニーナがいなくなり、ウォルターが居なくなり。

 どうすればいいのかわからなくなったけれど、自分にできることを考えた。その結果が、ツェルニを守る為に、汚染獣と戦う。

 戦って生きてきた自分は、戦うことしかできない。

 だからこそ、戦っていた。それだけなのに。

 

「……戦うだけでは、だめなんですか?」

「……どういう…」

「あなたが腕輪を渡してきた。あなたがあれほど大切にしていたこれを」

 

 レイフォンは手に握っている腕輪を更に握りしめて、そう言う。

 

「僕はあなたが戦い続けていると、そうわかっています、平凡な日常にいても、この学園都市にいても、あなたは決してそれに埋没することは無い。…僕も戦わなくてはと思いました。だから戦っていました。……僕は、」

「オレの事情は関係無いだろ」

 

 ウォルターの突き放すようないい振りにレイフォンは一瞬眼を見開いて、ウォルターから視線を外した。

 

「…………あなたは、本当にわけがわかりません」

「わかってもらおうなンざ、思った事もない」

「……じゃあ、どうして居なくなったのか、ってことも、そういう適当な考えでしたんですか」

「別に。…さっきも言ったが、オレはオレのやるべきことが出来たから行っただけだ。他意はねぇよ」

 

 ウォルターはため息混じりに言い、肩を竦めた。

 

―――――やっぱり、いらいらする

 

 この余裕、周りの人間を気にかけもしないこの態度。

 レイフォンは先程意気消沈した怒りが再び息を吹き返しつつあった。

 

「……あなたは……、本当になにを考えているんです? この非常事態に、あなたは自分の事しか考えていない。いつもあなたはそうだ。利己的で、自己本位の行動ばかり! 僕らの事をなにも考えていない!」

 

 叫ぶように言葉を紡ぐレイフォンに対してウォルターはなにも言わない。

 珍しく反論してこないウォルターに、レイフォンは感情にまかせて言葉を言い放つ。

 

「自分のやるべきことが出来た? あなたの“やるべきこと”がどれだけ大切かなんて、僕は知らない! だけど、いまあなたの周りにいる人をないがしろにしてでもすべきことってなんですか?! みんな、あなたを心配していたっていうのに……一言、声をかけてくれたって……それなのに、あなたは…ッ」

 

 最低な人だ。

 そう罵ろうとした。言おうとした。彼はなにも言う様子はない。

 レイフォンの感情が思考のままに言葉を吐こうとしたとき、静かに激昂している声音が、重く、這うように発された。

 

(…………………消す)

 

 その声は、酷く、“彼”に似ていた。だが声の主を見つけることは出来ず、レイフォンは一瞬怒りを忘れて、呟きをこぼす。

 

「……え……?」

 

(ばか……っ!)

 

 ウォルターを中心に、豪風が吹き荒れた。

 

 


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