ざわり、とすべてが揺らいだ感覚がした。
「……我の場への、侵入者か……」
低く、それでいて機械音声が静かに呟いた。
その姿は異形のものであった。言わば、龍とでも言うのだろうか。
背の羽をはばたかせて、龍は空へ舞うと、ある方向を見据えた。
「…あの異民の反応もある…。ヤツは、一体何処でなにをしている? おめおめと我が領域に不当に侵入を許すなど……」
機械の声には薄らかに苛立ちのような、呆れのような、そんな雰囲気が宿されていた。
再び羽をはばたかせると、龍は目的地へ向かい始めた。
「どれだけのものがあったとしても…、人ひとりにできることというものは酷く限られているものだよ」
会議からの帰り、カリアンは後ろにいるヴァンゼにそう言った。
その言葉を聞いたヴァンゼは、何処か難しい顔をしてカリアンに視線を返した。
「……だが……、ここの小隊に所属するヤツの中でひとり、それを実現する男が居るだろう」
「…………そうだね。だが、彼はおそらく例外だ。差別的な考えをするつもりは無いが、違う存在だよ、きっとね」
「……だが、そうはさせん」
「そう、キミはそういう人だ。そして…、先程わたしが言った彼も、同じ考えの者だよ。ならば、それを信じるしか無い。そして……、いま都市と同じくらいに暴走している彼を止めてくれると、信じているよ」
カリアンはやや苦笑しつつ言った。
しかし、もちろん例外があると分かっている。
彼は実際、自らの目的を果たす事を何よりも最優先としているのだ、そして、彼はそれ以外の事を重視しない。
そんな彼が、もしも現在のツェルニより優先するような事象が起きた際には、彼はツェルニを見捨てるかもしれないのだ。
そんなカリアンの懸念に気付くことは無く、ヴァンゼは溜息を吐いた。
「だが、その頼みの綱である“彼”はいま居ない。ヤツが求めている存在は、現在居ない」
「……早く帰還することを祈るのみだね」
思考を振り切って小さく息を吐くと、カリアンは窓からツェルニを一望する。
まだできることはある、と机の上の書類に集中した。
はじめに倒れたのはフェリだった。
それも当たり前だ。レイフォンとは違い、常に念威端子で都市の周りを不断に確認し続けていたのだから。
そして、ある程度の距離を保って念威による確認をするためには随分と精神を消耗する。
更にはレイフォンが出動するときもその場所までフォローしなくてはならない。
そう考えればフェリが一番初めに倒れる事は明らかだった。
ツェルニに帰還したウォルターが明確な情報としてはじめにきいたのはそれだった。
溜息を吐きつつフェリが入院しているという病院へ赴き、フェリの病室の前まで行く。
2回ノックをすると、ひょこり、とウォルターが顔をフェリに見せた、珍しく驚愕の顔つきでウォルターを凝視してくるフェリに、ウォルターは苦笑いをして片手をあげた。
「……イオ先輩……、どうして、ここに」
「ちょいとあってな。…留守にしてて悪かったなぁ。これ、見舞い」
「あ、どうも……って、そうじゃないです、何処に行っていたんです。ツェルニ中を探したんですよ」
「悪かったって。ちょいと野暮用が出来て…」
「ツェルニから急に居なくなる野暮用とはなんですか? どうやって居なくなったかも分からないような手段を使って、そうしなくてはならないような理由があったんですか?」
フェリの質問攻めにウォルターは苦笑し、近くにあった椅子に腰掛けると見舞いの品をベッドの隣にあった机に置いた。
座ってからも苦笑していると、フェリは鋭い眼差しでウォルターを睨み付けて来る為、困った顔をしてウォルターは肩を竦める。
「悪かったよ。……そういえば、お前が倒れたならアルセイフが居ると思ったンだが…、アルセイフは何処に居る?」
「…分かりません。先程レイフォンは帰りましたから」
「そうか…。まあいいよ。お前を責める気も無いし、お前は悪くないからな」
そう言ってウォルターはフェリの頭をぽふぽふと撫でる。
フェリはほんの少し眉を寄せてウォルターを睨め付けるように見た。
「はは、不機嫌だな」
「…まったくです…。あなたがわたしの頭を撫でる事も納得がいきませんが…、それ以上にわたしはわたしの失態が許せないのです」
「…そうか。ま、でもそれはお前が自分の仕事に責任を持ってるってことだろ? 良い事じゃねぇか。……ロス、オレはアルセイフを探しに行く。お前はきっちり休ンでおけよ」
ウォルターはほんの小さな溜息混じりに立ち上がると軽く首を鳴らした。
踵を返そうとした所でフェリに服を掴まれ、ウォルターは首を傾げながらフェリを見る。
「……どうした?」
「…先輩。わたしは以前、あなたに言いましたよね。わたし達は何故、こうも意志と反することをしなくてはならないのでしょう、と。……そしてあなたは世知辛い世の中だから、と言いました。この現状は、それだけで説明はつけられません」
「だなぁ。……けど、もうそう生まれたらそういう風な性なのかもなぁ。オレも同じだよ、事は違えども」
「…イオ先輩もですか…?」
「そうそう。オレも同じなんだよ。なにせオレは昔からずっと戦ってきたンでな。…だからきっと、戦う事がオレの性なンだろう。お前らも同じなンじゃないか?」
ウォルターはやや自嘲気味にそう言うが、フェリは納得がいかないという顔でウォルターを見た。
「……わたしは、望んでこうなったわけではありません」
「そうだな。だが、世の中にはそういうヤツはたくさん居る。オレだって同じだよ。……どうしてオレがこんな役回りなンだとか、柄にもなく考えた事あるさ。
…だが、どう足掻いてもオレはオレだ。………説教する気は無いから軽く心に留めておいてくれたりすると嬉しいが、自分が不幸だなンだと思う前に、自分と向き合ってみろ。良い所とも、悪い所とも。そうすりゃ、自然と自分ってのは見えてくる。…そして見据えろ。自分と向き合った先にあるものを」
フェリはウォルターを何処か唖然とした顔で見ていた。
バツが悪いと言った表情で、ウォルターは頬を掻いて眼を逸らしつつ言う。
「まぁ……長ったらしくなっちまったが、簡単に言えば抱え込むなって事が言いたかっただけだな、うん。お前はお前だよ。いまのお前を嫌おうとも、オレにとっちゃあ眼の前に居るお前ってのがオレにとっての“フェリ・ロス”なンだよ。…だから、あンま難しく考えンな。だいじょーぶだから。…お前も、アルセイフもな」
「…………………長いです」
「…悪ぃ、言いたいことを考えながら喋ってたら増えたわ」
「……あなたは……。まぁ、いいです、いまは。…フォンフォンの事、おねがいしますね」
「へいよ。任されましたー」
「その棒読みいらっとします」
「あり、ごめんよー」
ウォルターはけらけらと笑いながらフェリの頭を再び撫でて、今度こそ踵を返すと部屋を出て行った。