消えたその背中
荒れた大地に、人影がひとつある。
「……こんな事…って……」
手の中で爆発した光に向かって茫然としたような声音で呟く。
汚染物質を排除するためにかぶっているヘルメットの奥の青の瞳が揺らいだ。
だが、揺らいでいる暇はない。
目の前には飢餓の瞳を爛々と光らせる汚染獣が居る。
―――――どうして、ウォルターの錬金鋼が……
僕の剄に反応する? そう思いながらも、ヘルメットの奥でレイフォンは瞳を細めた。
だがそこでふと「ウォルターの錬金鋼」という考えに疑問を持った。
―――――これは、本当に錬金鋼なのか?
手に馴染む感覚や、剄の通り方という点では至って普通の錬金鋼と特に違いを感じる事は出来ない。
寧ろ驚いているのはこの武器が自分の腕に吸い付くように馴染んでいることだ。
まるで、長年使い続けて来た武器のような錯覚を覚える。
しかもウォルターが使っている時は完全に刀だったのだが、レイフォンが復元した途端、やや反りが刀に近い、それでいて剣の形に復元された。
だがしかし、いまのレイフォンの心には焦燥感しか無く、そんな事を真剣に考えるような余裕は無い。
目の前の汚染獣に集中出来るような心の静けさも、いつもの冷静な瞳も無かった。
―――――……くそッ!
レイフォンは大きな舌打ちをした。
いま使っている“錬金鋼”は、ウォルターのものであり、それも、黒鋼錬金鋼ではなくウォルターが使っていた“刀”だ。
独特の作りをしている刀。
柄尻に縛り付けられている藍錆色の紐が乾いた風になびく、そして交差させてつけられている柑子色のピンがお互いにぶつかりあう。
「……どうして、消えたんだ……!!」
ニーナ・アントークが消えた。それは、ツェルニに帰還したレイフォンにつきつけられた事実。
愕然とした思いでレイフォンは共にランドローラーで帰還したウォルターと別れた。
焦燥にかられて足早に通路を歩くレイフォンに、ウォルターの呆れたような声音が向けられた。
「お前、大丈夫か?」
「…平気です。…………まだ、ツェルニは暴走しているんでしょう?」
「ま、そうだけどな。けどまぁ…なンだ、騒いでてなンとかなる事でもねぇだろ。それにあのアントークなンだし…、」
「うるさいです」
レイフォンはウォルターを鋭く睨め付け、言い放つ。
ニーナが居なくなったというのに、いつもと変わらないウォルターの冷徹な態度に苛立って、思わず口から飛び出てしまった言葉だった。
「……あなたは、人に無関心だからそう言えるんですよ」
あの時、ウォルターはなにも言わなかった。
ただあの時、レイフォンを見ていたウォルターの表情は、何処となく寂しそうだったのだ。
鋼糸を振るいながら、レイフォンは思考する。
本人は気付いていなかったようで、すぐさまその表情を隠してしまっていたけれど、レイフォンは見逃していなかった。
見間違いでもなかった。確かに、そんな表情だった。
少しは謝るような言葉を言わないといけない……そう思っていたのに。
その翌日にはウォルターまでもが姿を消してしまった。
都市警察が必死でツェルニ中を捜索したものの、ウォルターとニーナの姿を見つけることは出来なかった。
「…………………っ」
どうしてあの時、あんな風に冷たく言い放つことしかしなかったのだろうか。
ニーナが居なくなって焦燥にかられていたというのに、あの表情を見た途端、思わず足を止めて硬直してしまい、その場から動く事ができなくなってしまっていた。
しかしウォルターはといえば、レイフォンのその表情を不思議そうな目つきで見ながら“いつものような”笑みを浮かべてすべてを隠してしまう。
それが、レイフォンの見た最後のウォルターの姿だった。
―――――早く、早く、早く!
鋼糸を振るい、汚染獣を斬り裂く。
ウォルターの刀……もとい、金の腕輪は、ハイアに預けられていた。出発前、酷く不機嫌なハイアが届けに来たのだ。
レイフォンはそれにも苛立ちを隠せないが、そこまでしておいて突然消えたということは、ウォルターが自ら消えたという事を示唆しているとしか思えない。ウォルターがなにを考えているのかがわからない事はいつものことなのだが、それでも今回は本当に読めずにいた。
いらいらとそんなことを考えていると、レイフォンは先程出発前にハイアとしていたやり取りを思い出していた。
「おい、ヴォルフシュテイン」
「誰がヴォルフシュテイン? 僕は違うんだけど、人違いじゃない?」
「…………………うるせぇさ。……ウォルターから、届けものさ」
やけにその名前を強調して言うと、じとり、と不機嫌な目線でレイフォンを睨め付けながら小さな袋を渡してきた。
「……僕に?」
「そうさ。…………お前に渡すよう頼まれたのさ」
レイフォンは眉を寄せたまま無言でその軽い袋をひったくるように受け取り、袋の口を開いてやけに軽い中身を手のひらの上に落とした。
レイフォンがひっくり返した袋の中から出てきたのは、金色の輝きを放つ素地に、赤い宝石がはめ込まれている腕輪。
内容物は知らなかったらしく、レイフォンだけでなくハイアも眼を丸くした。
「それ、ウォルターがいつも左手首につけてる腕輪…?」
どうして、それをウォルターがハイアに渡したのか。
レイフォンはハイアに向き直った。
「ウォルターに、どうしてこれを渡されたんですか?」
「……おれっちが知る訳ないさ……。寧ろ、そんな事はおれっちが聞きたい。昨日夜中に突然おれっちの所に押しかけてきて…、とにかく渡せって言われたのさ~」
「…いつも唐突な…」
自分の行動の意図をはっきりと言わないウォルターに、相変わらずだなと思ったと同時に呆れてきて、レイフォンはうんざりと髪を掴む。しかし、渡された事を押し付けられたと言わないのはハイアだからだろうとなんとなく思った。
眉を寄せて腕輪を凝視するレイフォンを、ハイアは納得がいかないという顔で睨みつける。
―――――……ウォルター、一体なにを考えているんだ……?
「…おい、聞いてるのかさ?」
ハイアが鋭い眼差しでレイフォンを見たが、やはりレイフォンはなにも言わず腕輪を握りしめていた。
俯きがちだった顔をあげ、レイフォンは壁越しに外を見据える。
「……………行かないと……………。……僕は……、僕に出来る事を…、しないと」
「……お前………」
ハイアは片眉を上げてレイフォンを見ていた。だがレイフォンはただ、やらないと、と呟く。
その場に来て居たフェリ、そしてカリアンは、その状況に眉を寄せずには居られなかった。
本当にウォルターという人物がなにを考えているのか、分からない。
ウォルターが消えた理由も、消えた経緯も、なにも。ただ、自ら消えたという事実のみが明確に見せつけられていた。
―――――くそッ!
レイフォンはいま流すことの出来る最大の剄を鋼糸に流し込んだ。
上限なく天剣のように扱えるウォルターの刀。
ただし、刀に限りなく近い形にやや抵抗は覚えている、しかしそれでも久々に剄を全開まで放出することが出来るという感覚は溜まっていた鬱憤を晴らすようなものであり、すべてを冴え渡らせていく。
外力系衝剄を変化、繰弦曲・針化粧。
汚染獣を串刺しにしながら、レイフォンは剄を全力で発揮する。
―――――久しぶりだ、この感覚……
やはり全力で剄を発揮できる錬金鋼というものはいいと改めてレイフォンは思った。
だが、いまはそれどころではない。
一刻も早く汚染獣を討伐し、ニーナとウォルターを探さなくては。
レイフォンは唇を噛んで、再び鋼糸を展開した。