昼食はメイシェンがクッキーやサンドイッチを作ってくれていたので、それで充分事足りた。
甘党のウォルターは少し不服そうだったけれど。
午後になってからもほぼ午前と同じ事をして、攻守交代しつつ模擬小隊戦をしていたものの、結局レイフォン達は一度もウォルターに勝つことは出来なかった。
相手が複数であろうとあまりウォルターには関係の無いことだったようだ。
夕焼けが空を染める頃、ようやく模擬小隊戦は終わり、個人訓練となった。
「ふー」
ウォルターが大きな息を吐く声が聞こえて、ナルキはそちらに目線を向けた。
柔軟をしていたらしいウォルターは、ほんの少しだけ頬を汗で濡らして、それを袖で拭っていた。
そういえば今日は長袖だったのだとここでようやく気付いた。
いつもは割と肌の見える服―――と言っても練習着なのだが―――を着ているのに、今日はどういう理由かわからないのだが長袖だった。
再び運動を開始して、逆立ちをしてそのまま指二本で体重を支えていた。
―――――凄いな……、あの人は
ウォルターの近くで素振りをするレイフォンは頬や服に泥がついていて、珍しく練習をしたと明らかに分かる状態というものだった。
すべてウォルターにされたのだけれど、ウォルターに目立つ汚れはない。
砂塵くらいは服に付いているだろうけれど、それこそ固まった汚れは見えないのだ。
―――――これが、実力の差なんだろうか……
きっとレイフォンが居なければ錬金鋼は抜かなかっただろう。
ナルキとニーナだけでウォルターに立ち向かっている状況であれば、おそらく素手のみですべての攻撃を潰されていた。
「…………………おーいしょっ」
「……ウォルター、静かにしてください」
「えー。いやいや、いいじゃねぇの、このくらいは。気合の声だよ」
「気合の声がだらしないです。その上気合が入っているように聞こえません」
「冷たいな」
まったくねぇ、とウォルター溜息を吐いてニーナに話しかける。だがニーナは訓練に集中していてなにも反応していなかった。
そんな様子を見ながらナルキは立ち上がって、打棒を取り出した。
「ごっそさんでした」
ウォルターがぱちんと手を合わせて呟いた。
すでに他のメンツは食事を終えており、シャーニッドとニーナが指揮官ゲームを始めていて、フェリは広間の隅のソファで本を読んでいる。
レイフォンは静かに沈黙を保ったまま、フェリの座っているソファとは違うソファに座って窓の外を静かに見つめている。
先程ナルキと何か話していたようだったが、特に気にもならず聞く気にならず放っておいた。
実際、動かなかったので特に何も無かったようだと本当に気にしなかったのだ。
「お粗末さまでした。口にあったみたいで良かった、です」
「いいや、全然。うまかったぜ。やっぱりトリンデンは料理上手だな」
「あ、ありがとうございます…」
ウォルターが素直な意見を言うと、メイシェンは頬を赤らめて手を弄ばせていた。
食べ終わったことを確認し、背後に歩み寄ってきていたレイフォンに、ウォルターが振り返る。
「…………………あの…、ウォルター」
「…あ? どうした?」
「あの、少し……」
レイフォンの静かな呼びにウォルターはやや眉を寄せて溜息を吐き、それでも先を歩くレイフォンの後ろをついていった。
来た場所は合宿所より少し遠く、外縁部側、うっそうと茂る樹林の近くまでやってきた。
話の内容はレイフォンの過去……つまりは天剣授受者について、だった。
レイフォンはつらつらと、あるがままに淡々と話を続ける。
その様子にやや不安を覚えるウォルターは、誰にその話をすればいいのか分からず、ともかくルウに話しかける。
(なぁ、ルウ…)
(ウォルター? どうしたの)
(アルセイフさ……、“なんとかなる”って思ってンじゃないか?)
(んー…、そう、かもね。…まぁでも、どうでもいいじゃないか)
(お前はな……)
ウォルターは呆れた溜息を気付かれないように吐いた。レイフォンがメイシェン達に向かって、はっきりと言い放つ。
「僕は……化け物だ」
レイフォンのそのセリフに、ウォルターが怪訝に眉を寄せる。が、それを気取られないようにそっぽを向いた。
「だから、僕を怖がったって、なにも悪くない」
「……わ……、わたし…は……」
メイシェンが言葉を紡ごうと思いつつ紡げないようで、視線を泳がせながらなにか言葉を探している。
「……ウォルター先輩」
「……あ? …えっと、なに?」
ナルキがウォルターに声をかけてきた。
ウォルターは一瞬癖で睨みかけたのをこらえ、普通に返事を返す。
「…先輩もグレンダンに何か関係あるんですよね?」
「……そ。あるよ。オレが元ヴォルフシュテイン…アルセイフの前だ。でもって、アルセイフを叩き潰した。…まぁ、そのせいで嫌われたンだけどなー」
にこ、と嘘臭い虚構の笑みを浮かべた。
ナルキはその笑みの意図に気付いたらしく、それ以上ウォルターへの詮索をしなかった。
普段のレイフォンであれば、ウォルターの言葉に何か食って掛かる事はしたであろうが今日はそうではないらしく、なにも言わずに居た。
「……って言ったって別に何か気にしてる訳じゃ無いのね、実際オレは。何故かって言われても特にねぇンだけど……、まぁ、気にしたってどうしようもねぇだろ」
あっけらかんと言って質問をはぐらかそうとしたウォルターだったが、ナルキはそれを許さない。
それという詮索をする気は無いらしいが、はぐらかしたことに関しては逃がすつもりはないらしい。
「あなたは、人の恩恵というものをわかっていますか?」
「…………………なんの話だ?」
「あなたが、周りの人ありきの人であるとわかっていますか?」
ナルキが鋭い眼差しでウォルターを見た。
「あなたがあなたとして受け止められているのは、ウォルター先輩を周りがそれとして認めてしまっているからですよ。それをわかっていますか? どうしてそうなにも気に留めないんですか」
「……んー……それはまぁ、わかるけど……」
「じゃあなんです?」
「んーと、ねぇ……気にもとめない訳じゃない。気に留める必要がないから放ってるだけだ」
ウォルターがありのまま言うと、ナルキの中で更に怒りがましたようで、眼が完全に怒った。
それでもウォルターは気にせずに肩を竦めて言葉を紡ぐ。
「…幼稚園児じゃねぇンだ、言いたいことがありゃあ言ってこればいい。それが取り合う価値のあるものなら話は聞くさ。けどな、オレはそういう価値の無いモンは、捨てる」
肩を竦めたウォルターが、怒りの表情をあらわにするナルキに苦笑する。
しかしナルキはそれでも納得がいかないという様子でウォルターを見てきた。
―――――まぁ、ゲルニの言いたいことも分かる
ウォルターは冷静にそう思う。
確かにウォルター・ルレイスフォーンという存在は、周りの理解あってこそだと思っている。
それがなければ……いいや、ウォルター・ルレイスフォーンを“知っている”人間以外は、ウォルター・ルレイスフォーンとはただの利己主義な人間だ。
それはウォルター自身自覚している。
だが、それでもこうしていなくては出来る事ができなくなってしまう。
取捨選択を間違えれば、ウォルターが何のためにここにいるのかわからなくなってしまうのだ。
普通に“ただの学生”としてその場に居るならば、それがウォルターであってもレイフォンの事を気遣ったり、たとえくだらない事であっても「しょうがない」と言いつつ手伝う事も出来る。
しかし、ウォルターは“学生”であって、“ただの学生”ではない。
ツェルニに居るのは成り行き上、すべきことがあるから、そこに居ることが必要であるから。
ただそれだけ。
だが、ウォルターも血も涙もない完全な冷徹人間ではない。
確かに他人に対して冷酷であったり、厳しいことをよく言っていたりしていることは理解している。
それでも、ウォルターも“一応は”人間なのだ。
すべてを捨てる訳ではない。
基本は切り捨ててしまうけれど、誰かの為になりたいと、考えない訳ではない。
―――――あの頃があったからな
ある意味他人の為であったけれど、それでいて誰かの命を奪っていた、あの頃。
隻眼の死神と、漆黒の少女。
その2人と活動していた時のこと。
あの頃は本当に、誰かを助ける事は誰かの命を奪うことと同義と言っても過言ではなかった。
抗争が激しかったということもあるが、それでもそれと言い切れない部分が多かった事は否めない。
だから、今だけなのだ。
純粋に誰かを助ける事が出来るというのは。
ただ、誰かの為に頑張っても誰も傷つかないでいてくれるのは。
そんな子供みたいなことに、全力をかけられるのは。
だから……
「……ただ、勘違いして欲しくないのは……」
ウォルターがそう言葉を紡ごうとした時。
地面が揺れた。
揺れたと感じるのと同時に、身体が傾いだ。