小さなころの記憶は、あまりない。
昔から武芸者として錬金鋼を握っていたから、早く過ぎていってしまったからだ。
だけど、僕は感覚として一つ覚えていることがある。
それは、錬金鋼を握るよりも昔のこと。
顔も覚えていないけれど、あの人の手と、笑みだけ覚えている。
養父さんと何かを話していた誰か。
彼は、どこかデジャヴを感じるような笑みを浮かべていた。その後、僕と幼馴染が少し離れた所に立っているのに気がついた彼は、こちらへ歩み寄ってきて、僕の頭と幼馴染の頭を撫でていったんだ。あの時の手が、とても暖かくて。
誰かもわからないのに、撫でられたことが、ひどく……うれしかったことを覚えている。
「遅い! 遅いぞウォルター!!」
「悪かったって、アントーク。生徒会長に呼び出されてたンだよ」
「あぁそういえば。放送がかかってたな」
「だろ? だからだよ、アントーク」
「ぬうぅ……。しかたないな…今回はそういうことにしておいてやろう。だが、次は許さんぞ!」
練武館に呼ばれていたのを思い出して来て良かった。ニーナの機嫌は悪い方に最高潮。
珍しくいたらしいシャーニッド・エリプトンに肩に腕を置かれつつ声をかけられた。
「で? どんなお話?」
「はぁ? ンなときめく話なンざしてねぇですけど? エリプトン先輩」
「あ~あ~、つれないねー。後輩との親睦を高めようとしてるんじゃないか」
「馬鹿馬鹿しい。大体、あんたは女限定でしょうそういうの。ってことで特に報告は無し。黙秘権発動だ」
「本当に冷たいな」
シャーニッドがウォルターの肩においた腕をどけながらやれやれと肩を竦めた。
ウォルターはそれを無表情で返す。そして、ふとひとりいない人間に気がつき、ニーナに問うた。
「アントーク。ロス妹が来てねぇみてぇだけど?」
「あぁ、フェリならいま新人を呼びに言っている。つい先程わたしも呼ばれてな。お前が来る2分前に。それで、十七小隊に入れる新人をひとりもらったのだ」
「……それって、講堂で暴れてた奴沈静化したひとり?」
「あぁ。お前ともうひとりの、もうひとりの方だ」
「……会長何考えてンだ……」
「どうかしたのか? その新人と」
「……いンや…別に」
明らかにテンションの下がったウォルターにニーナが首を傾げた。しかしウォルターも相手に出来るほど忍耐が残っていない。
本当に会長なにしてンだと、その思いばかりが募る。そう考えていると練武館の扉が開いた。
入ってきたのは、十七小隊の念威操者を勤め、カリアンの妹でもあるフェリ・ロスと、先程話にも上がっていたレイフォン・アルセイフ。
武芸科の制服を着ている事と、十七小隊のバッヂをつけていることから、恐らくはカリアンに押し切られたのだろう。
渋々といった様子が目立つレイフォンに、ニーナが説明をしていたが、あまりに遠回し過ぎてレイフォンがぽかんとしたまま、呆けた言葉を言った。
その瞬間シャーニッドの笑いが最高潮。勢いよく笑い転げる。
「うるせぇですよ、エリプトン先輩。いい加減にしてください。鼓膜破れる」
「ぎゃはは! 悪い悪い。しっかしニーナ、いまのはお前が悪い!」
笑いながらそう言い、シャーニッドがレイフォンに改めて事情を説明する。
ウォルターも改めて考えで整理する。レイフォンが武芸科の制服を着て、バッヂをつけて、ここにいる時点でやることはひとつしか無いのだが……。
「テストだ。お前の力量をはかるのと、ポジショニングをするためのな。と言うことで、ハーレイ」
「うん。はい、これ。適当に練金鋼とってね。そのかわり、設定を変えることは出来ないから気をつけて」
「はい」
練金鋼メカニック、ハーレイから練金鋼を受け取ったレイフォンが練金鋼を構え、復元する刀身の長い、広刃の剣。
レイフォンは、部屋の隅にシャーニッドと共に立つウォルターを見て顔をしかめたが、すぐに切り替え、ニーナと向き合った。
「いくぞ」
レイフォンに向かってニーナが飛びかかった。鉄鞭の双牙がレイフォンに襲いかかる。それをレイフォンは剣で避け、流し、双牙から逃れる。
「おーやるな。ニーナの初撃を避けきった奴なんて初めて見た」
「嘘付け。オレもアントークの攻撃は凌いでただろうが」
「あんれ、そうだったっけ?」
さらりと流したシャーニッドの態度に、ウォルターはやや舌打ち混じりに話を切り替える。
「……大体、いつも言ってンだろうが。アントークは攻撃が単調すぎンだよ。特に初撃。組み合ってからはまぁまぁだが、初撃は直線すぎて猪だぜ。と言ったって、それ以外の所は真面目丸だしだ」
「厳しいご意見だな」
「ちなみにお前は、初撃はいいがそれ以外はパターンが同じで読みやすい。初撃とあわせると、お前は単調すぎる」
ウォルターの言葉に相変わらずだな、とシャーニッドは頭を振った。そのシャーニッドに、ウォルターは不機嫌そうに顔をしかめた。
少し遠くにいたフェリが、ウォルターによってくる。
「ウォルター先輩。あなたの目から見て、あの新入生はどう思いますか」
「んー…? そうだな…、アルセイフは……まあ、昔よりも冴えは悪いな。剣の筋が歪んでる。それに、剣線が迷ってばかりで真っ直ぐと振れて…、」
「違います」
「…ん?」
「わたしのサボりの仲間になるでしょうか」
「……………………」
珍しく真面目に聞いてきたなと思っていたら、いつも通りのフェリの言葉にウォルターが苦笑いをする。
「……まあ、あえて、なンじゃねぇかとと言っておいてやろう」
「そうですか」
「ウォルターもフェリちゃんも適当すぎだろ~」
シャーニッドが呆れたように話す。
後方より投撃物接近。速度8.7。接触まで3.6秒。回避補助必須人物存在、在。
―――――お?
久しぶりに来た感覚にウォルターは一瞬戸惑ったものの、即座にニーナとレイフォンの方を見る。そしてさっとフェリを抱え、横へ飛び退いた。
その瞬間に、レイフォンが壁に叩きつけられ、気絶して落ちた。
叩きつけられる前に、ニーナの衝剄の感覚がしたため、おそらくレイフォンはニーナが放った衝剄をいなしきれなかったのだろう。
「……あぶなっ」
シャーニッドがウォルターを睨みながら言う。ウォルターがフェリのみを庇ったためだろう。しかしウォルターはそんなシャーニッドを不機嫌顔で一蹴する。
「……お前は武芸者だろうが。ロスは念威操者。だから自分でしろ」
「差別だ!」
「男に抱えられて嬉しいか?」
「嬉しくねぇな」
至極真面目言ったシャーニッドに、ウォルターはやっぱりな、と呆れた笑いを零す。
ウォルターは抱えていたフェリを降ろすと、床にのびたレイフォンの額をつつく。
「ん、完全に伸びてる」
「……すまない」
「あン? アントーク、どうした?」
「いや…新入生にちょっと厳しすぎたかなと」
「……関係ねぇだろ。…こいつには良い刺激になったンじゃねぇの」
ウォルターが面倒くさそうにレイフォンを抱える。
「ウォルター?」
「アントーク、オレはアルセイフ連れて医務室行ってくるわ。ってことで。ばははい」
「ば、ばははいって……」
ウォルターはニーナに断り、レイフォンを抱えたまま医務室へと向かった。
「ったく、地味に重くなりやがって」
溜め息をつきながらウォルターはレイフォンを医務室のベッドに降ろした。手をふらふらとさせながらどさりと椅子に座り込む。
「はぁ……。あン時は、まだそんなに重くなかったのにな」
ウォルターは、ふと天剣授受者の決定戦の時のことを思い出した。
剣を投げつけ、一旦姿を消したウォルターは、歓声がどよめきに変わったのを感じて、ひき戻った。そうしたら、レイフォンが地面に伏せたまま気絶していたのだ。
呆れながら抱え、備え付けの簡易医務所においてあるベッドに向かって放り投げた。
あのときは凄く軽かったな、と思いを馳せた。
しかし、彼と出会ったのはもっと昔にもある。まだ、本当に赤ん坊の頃。記憶にもないであろう時期。ウォルターが一度目にツェルニに訪れ、“獣”と共に過ごしていた日々の中で、それはあった。
その後、グレンダンで起きた珍事件で再会したのだが、正直な所確証は無い。この鳶色頭があの時の子どもだと証明するものを、彼が持っていないからだ。
―――――だがまぁ、結構気にしてたはしてたか、前から
ウォルターはふむ、と顎をつまみながら考えた。
時々サイハーデン孤児院にも顔を出していたし。お陰で彼らの養父のデルクとはそれなりに顔なじみになっている。あの時は天剣授受者だったから、妙に甲斐甲斐しくされた。それが鬱陶しくて、長居をしたことはなかったが。
ふと、ウォルターが視線を向けた椅子の隣にある棚の上に、ペンがあるのに気がついてひらめく。
「ま、手間かけさせてくれたことのお礼って事で」
ペンをキャップから引き抜き、きゅきゅっ、とレイフォンの顔に落書きする。
「……っく」
「……なにしているのですか?」
「お、ロス。これこれっ」
「…本当になにをしているんです」
静かに入室してきたフェリが呆れた声を出す。ウォルターは心底楽しそうにみせる。
レイフォンの顔には落書きがされている。それも意外に巨大で、繊細にかかれている……
「カイゼル髭、ですか」
「うめぇだろ」
「そうですね」
「お前生返事だろ」
「いいえ?」
フェリの相変わらず淡々とした答えにウォルターは溜め息をつき、ペンにキャップを被せる。
「じゃあオレは行くな。アルセイフ頼むぜ」
「え、ウォルター先輩は出て行くんですか」
「……寂しい?」
「ち、違います…!」
「じゃ、オレは行くぜ? 頼むな」
フェリの頭を一撫ですると、そのままウォルターは医務室を後にした。
夕暮れ時の肌寒い風がウォルターの頬を撫でていった。風のながれた方向に、何となく首をまわした。
夕日だ。その光の眩しさに目を細めた。
神々しい赤が地平を染め、その上から深い黒……闇が迫っている。
「………………」
黒。闇。
どうしても、彼らを思い出す。いいや。思い出さなくてはならない。
ウォルターは近い未来この世界に来る災厄を本当の意味で知っている。
その災厄の事も、何故生まれたのかも、何故こうなったのかも、この世界の成り立ちも。
だからこそ、ウォルターはここにいる。
かつての仲間のために。仲間が守ろうとしたものを守る手助けをするために。
その為にここにいるのだから。
学園都市、ツェルニ。新たな運命の紡ぎ手。
ウォルターがグレンダンにいたときには運命は廻らなかった。
しかし、もう一度ツェルニに来てみればどうだ?
運命は皮肉にも事を知っているグレンダンではなく、何もしらない様な少年少女達を巻き込んで廻りだした。
廻っている、と言うだけであれば、グレンダンでも廻ってはいたのだ。しかし、このツェルニで大きな変化が訪れている。
「この変化は、吉とでるか凶とでるか。見物だな」
かつて、このツェルニには獣がいた。ツェルニの暴君と呼ばれるに至った男が。
その男は、独自の運命の紡ぎ手。いわば、イレギュラーに近いもの。
そして、このツェルニには、まだ闇が残っている。あのとき、ジャニスも言っていた。
『眠り姫は目覚めやしない。闇は震えたかしら? 月は黙っている』
そして獣は呻いた。
「……………」
はた、と思考から地平に目を戻すと、すでに夕日は闇に飲まれ、月が昇っている。
「月」
しばらく考えに耽った後、帰ろうと踵を返した。まだ廻りだした運命だ。
修正も、ある程度廻ってからしか出来ない。