軽い探索とともに第五小隊、ゴルネオたちと合流してウォルター達は一旦休憩のため駐留所を訪れていた。
「なっ、こっ、てめぇ……!」
ウォルターは手洗いから戻ってきた時、やや緊迫した空気に立ち会うことになる。
シャンテとフェリの2人だ。
やや眉を寄せてそれを傍観していたウォルターが、シャンテの手が錬金鋼にかかったのを見て即座にフェリの前に出た。
「!」
それと同時に向かいにいたらしいゴルネオもシャンテの制止にかかっており、ウォルターの後ろでフェリが息を飲んだ音が聞こえた。
小さく、ほんの少し動揺した声音でフェリがウォルターを呼んだ。
「……イオ先輩?」
「わり、ちらっと見えたモンだから」
「………いえ、構いませんよ」
ウォルターはフェリに怪我は無いかと訪ね、静かに沈黙したまま頷いたフェリにひとまず胸をおろした。シャンテはゴルネオの態度が気に入らないらしく、足を殴りつけて去っていく。
「…悪いな、うちの隊員が」
「構わねぇよ、こっちに怪我がなけりゃあ」
「……………………あなたは、納得していないんですね」
フェリがウォルターの後ろで静かに口を開いた。ゴルネオは静かにうなずき、答える。
「あぁ、納得できる筈もない」
「…大変だねぇ、優秀すぎる兄を持った弟っていうのは。……いや、いまのは私怨の方か?」
「……優秀すぎる兄、か……それもある。だが、兄さんは兄さんだ。そして何より、私怨だろうとなんだろうとおれはあいつを許すことは出来ない」
「まぁねぇ……けど、知らない事があるお前も悪いンじゃねぇのかね」
「…知らない事…?」
「……ま、別に知ろうと知るまいと、起こった事実は事実だ。なにも変わりはしないから良いンだけどな、オレは」
フェリを促すとゴルネオから離れていく。ウォルターの横を歩くフェリは、不快だと呟く。
それには苦笑するしか無かった。
ぞぐり、と背中を悪寒のような何かが、ウォルターの背をかける。
現在はウォルターとレイフォンの合作料理を小隊に振るまい、食事をしている最中であった。
周りのニーナやシャーニッド、フェリと言った十七小隊は、皆賑やかに合宿の話を持ちだしたりしていた。だが、ウォルターはそんな会話に参加せず、背を駆け巡った悪寒のような感触を必死に確かめていた。
(これは……)
(出たよ、ウォルター。潜伏していた汚染獣だ)
(分かった)
現在の状態を考えるとなかなか切り出しにくかったが、それでもウォルターは手洗い場に行くと言ってその場を去り、縁の空間に飛び込んだ。
ガハルド・バレーン。
その名をきいたのは1年程前。
レイフォンが天剣授受者としての最後の試合であり、そして都市外退去になった理由を作った男の名前だった。だからといって、ウォルターは別にガハルド・バレーンに対して憤りがある訳でも、同情がある訳でもない。
ただ、弱かったからそうなった。その一言で一喝するつもりだ。
だがそれ以上に気に食わないのは実はレイフォンの方なのだ。
実際試合を見ていたウォルターにとっては、そこが気に食わない。
最後の最後で迷いが斬線に現れ、ガハルドは腕を失っただけで死ななかった。
剄脈に異常をきたした怪我、武芸者を続けられなくしたとはいえ、殺さなかった。
あの一瞬で完全に殺してしまえばこうはならなかった筈なのだ。
闇試合に手を出していたことを悪いと咎める気はない。ウォルターも余興ではあったが、闇試合に手をだしたことがあるからだ。
闇試合は使い方によっては多額の金を一気に手に入れることのできる賭博場。だが、レイフォンは同じ孤児院だけでなく、他の孤児院にまで寄付をしていた。
そして、それの為に闇試合に手を出した。たとえ正義のためであろうと、やっていいことと悪いことがあるということは確かだ。
それもまた真理。しかし果たしてこの場合は正義なのだろうか、悪なのだろうか。
レイフォンの行動により救われた子供は多く居るだろう、それは正義、正しいことだ。だが、一方で禁じられた事をしているという点では、それは悪、正しくないことだ。
―――――すべてを善悪で区切ることは出来ない、か……
だからこそ人は迷うのだ。善と悪の境で彷徨い、自らの意思に最後は従うのだ。
レイフォンはその結果が、これだっただけ。
誰にも頼らずにしようとした結果が、これだった。それだけだ。
ウォルターはきりがないと頭を振って、夜が持つ静寂に、喧騒が紛れ込む空気の張り詰めるグレンダンに舞い降りた。
グレンダンに潜伏を続けていた汚染獣……汚染獣に寄生されたガハルド。
それは、一月の間をおいてリーリンを襲撃した。
ガハルドの剄技……ルッケンス秘奥、砲剄殺によりデルクは地に伏せ、リーリンは恐怖で竦み上がっていた。
「あ、あぁ……父さん……」
リーリンの愕然とした声が落ちる。ガハルドの唸り声が最高潮に達しようとした、その時、それは舞い降りた。
蒼銀の体躯、蒼銀の尾。そして、もう一人。
「っとに、グレンダンってのは迷惑しか起こンねぇなぁ」
暗闇でリーリンの視界には入りにくいが、黒と赤の髪。その人物を、見間違える筈もない。
「ウォ、ルター・ルレイス…フォーン……?」
「よぉ、遅くなって悪かったな」
唸るガハルドの口が、開かれた。
外力系衝剄の変化、ルッケンス秘奥、砲剄殺。
「っかぁ!!」
それと同時、ウォルターの口からも同様の振動波が放たれた。
ガハルドが小さく唸り、ウォルターをぎらつく瞳で睨む。
「させるか」
不敵な笑みを浮かべ、ウォルターは唇を舐める。
戦闘する気満々で立ちふさがったのだが、ウォルターとの戦闘は実現されなかった。
それは、第三者の声がしたためだ。
「そういえばキミは、一応父上から秘伝書の閲覧を認められていたんだっけね?」
ウォルターは声の方を振り返った。
“普段通り”、よくわからない笑みが貼り付けられた顔。目の前にある戦場にうずうずしながら、楽しみに待っている顔だ。
「やぁ。数日ぶりだね、ウォルター」
「あぁ…、ルッケンスか」
「なんだい、その今気づいたって言うような言葉は。元々気付いていたくせに」
「あり、バレてた?」
ウォルターがわざとらしい笑みを浮かべる。
サヴァリスがいた事は、ここに到着してからずっと気付いていた。だが、それもまた余興。
気づかないふりをしていたのも、なにも言わなかったのも、すべて興味が無かったからだ。
「……んー、戦う気だったンだけどな…。なンかお前見たらやる気なくなったからやめとく」
「酷いな、人が不愉快の塊みたいな言い方して。そのうえ残飯処理扱いかい?」
サヴァリスは苦笑しつつも、ガハルドを引き連れて何処かへ向かう。
ウォルターもそれを追うべく一歩踏み出そうとしたが、珍しい人物に足を止めた。その人物は、疲れて眠ったリーリンを抱えて居る、なかなか育ちのいいところという女性だ。
ウォルターはわざと余所余所しい態度をとって話しかけた。
「おや、夜遊びはよろしくないですね」
「…あら。久しぶりね」
「えぇ、お久しぶりで」
「……そう言えばあんた、少し前好き勝手言ってくれたそうじゃないの」
「おや。誰情報ですか、それは」
「サヴァリスよ」
「ではあとで細切れにでもして棺詰でもつくりましょうか」
「……その意は?」
「棺桶詰めです」
「………さらっと言わないでくれるかしら」
「おやおや。聞いたのはあなたではないですか。それに、あなたには勝りませんよ。……陛下」
そう最後に付け足すと、目の前の女性……グレンダンを統治する女王、アルシェイラ・アルモニス女王陛下は眉をよせた。
「ちょっとー、やーめーてーよー。いまのわたしは純情な、下町のちょっといいとこのお姉さん、シノーラ・アレイスラなんだから」
「では、アレイスラさん。早く家に帰ってはどうです?」
「ってか、その喋り方やめなさいよ。潰すわよ?」
「………それが出来ンならな? ひさびさに会ったンだからいいだろ? たまには」
普段の話し方に戻すとやはり笑みを浮かべ、ウォルターはシノーラ、もといアルシェイラを見た。
「ったく、あんたももっとちゃんと働けよ」
「あの言葉は本気ってことね」
「ったりめーだろうが。あんたが働かないせいで、どれだけこっちが苦労することやら。なぁグレンダン」
「グレンダンに聞いたって無駄って知ってるでしょう」
ウォルターはそう言ってグレンダン……異様の獣、電子精霊に話しかける。だが、グレンダンは知ったことではないとプイとそっぽを向いた。
「連れねぇでやンの。グレンダンのやろー」
「あんたね……まぁいいわ。大体どうしてこんな時に居るのよ、あんたの方こそ」
「オレ? オレはまぁ色々ね」
そう言ってにやりと笑った。
アルシェイラには深くは教えていないが、グレンダンが“運命”を知っているように、ウォルターも同じ存在であるとは告げてある。
その為、アルシェイラが神妙な顔をした。
「もしかして、何かあったの?」
「……いいや。あえて言うならここでな。一月も汚染獣が退治されねぇなンて、なンかあったのかーって来ただけ」
ふと、リーリン・マーフェスの事を聞こうかと思った。
アルシェイラがシノーラ・アレイスラとして下町に顔を出しているのは、常にリーリン・マーフェスにちょっかいを出しに行っていると知っている。ならば少し前に感じた、あの感覚の事が何かわかるかもしれないと思った。
だが、やはりやめた。
理由は特に無い。しかしもしもあのリーリン・マーフェスが“運命”にいずれ関わる存在であるというならば、必ず知ることになるからだ。
アルシェイラはウォルターの答えにやや不服といった様子ではあったが、結局はなにも言わなかった。
「そう……」
「ま、これ見届けたらまた行くけンどね」
「あ、そ。せっかちね」
「せっかちって訳じゃなくて、やらないといけない事がありすぎンだよ」
そう言ってウォルターは肩を竦め、アルシェイラを見る。だが、アルシェイラは特にそのことに関して言うつもりも無いようで、不敵に笑みを浮かべただけにとどまった。
「じゃあ、オレは試合観戦に行って来る」
「あら、行くの? 意外に気にかけてるのね」
「気にかけてなんてねぇよ。ただ、どっちが棺桶詰めにできるかなーって」
にやり……、とウォルターが笑みを浮かべた。
その笑みにアルシェイラは怖気が走るとでも言いたげに眉根を寄せ、小さく声をもらす。
「だからその顔しないでって言ってるでしょ、本能的に怖い! ……ともかく、そのへん頼むわよ」
「へいへーい」
ウォルターは気の抜けた返事を返し、そのまま夜の闇に溶けるよう跳躍した。
サヴァリスとガハルドがリンテンスの用意した戦場にて戦いを繰り広げている。ウォルターはリンテンスの隣にひょいと降り立った。
「……お前か」
「よ、ハーデン。お久」
「………………」
「やめろよその無言の圧力」
ウォルターが苦笑気味にリンテンスにそう言う。当のリンテンスはウォルターからすぐに視線を外して、その言葉を無視した。
「…お前、またこんな時になにをしている」
「なにをしてるって……こうしてるンだけど?」
「……なにを言ってもお前とは幾星霜も平行線だな」
「しょうがないだろ、だってお前とオレだし」
「……お前と話していると少し遠くで嬉々として戦っているあの馬鹿と同じだと思うのはオレだけか?」
「ん~、ハーデンだけじゃ無いと思うけど?」
リンテンスに酷く冷たい目線で見られた。
その視線にウォルターが真顔で返すと、逆にリンテンスに今度は見放したような目線を向けられた。
「……あ、終わった」
鋼糸を突き抜けてガハルドが崩れていく。ガハルドの身体は、鋼糸を突き抜ける際にバラバラになって地上に落ちる。
それを確認したリンテンスは早々に戦場を作っていた鋼糸を解いた。
「ふん」
「あ、ルッケンスも落ちる」
「……この程度で死ぬならば天剣授受者になどなれん」
「なンか文句言ってるけど……まぁ、そうだけどね」
「なにが言いたい」
「…いや、オレとしてもルッケンスの事は正直どうでもいいンだけど…」
「……じゃあなんだ」
それも酷い言い分じゃないか、と思いながらもなにも言わずリンテンスは問いかけを強調した。
ウォルターはふむ、と考えていたようだったが、結局は笑みを浮かべてはぐらかす。
「……んー……。……いや、やっぱなンでもねぇや」
「………………」
「そのいかにも怪しいぞって眼をやめてくれ。………ま、オレやりたい事もあるしさっさと撤収するわ。じゃあな、ハーデン」
リンテンスは沈黙を貫いた。ウォルターはひらりと身を翻し、夜の中を跳躍した。
そして、ウォルターの姿はそのまま闇に溶けこむ。
目立つ服装をしているにしても、その姿が視認できなくなるのは早かった。
「……ばあさん」
(はいはい)
「いますぐウォルターを追ってくれ」
(あら、動きだけなら中継している念威端子で追っていますよ。まだ存在確認しています)
相変わらず仕事が早いと思いながらリンテンスはウォルターが消えた方の闇を見つめた。
ウォルターが何かを隠している。
その事実は天剣授受者全員の中で暗黙の了解だ。だが、あのアルシェイラ・アルモニスはわずかにその事実の真相に近いものを知っているようだった。
しかしそれも僅かに、であり、事実の真相をきっちりと知り得ているわけではない。
それはリンテンス然り、他の天剣授受者も然りである。
(あら)
「どうした」
(反応がぱったりと消えました)
「なに?」
デルボネの言葉にリンテンスが怪訝に眉を寄せた。だが、デルボネが間違えるはずもない。
百を超えるかという長齢の老女だが、それでもなおデルボネが天剣授受者として座しているのは彼女を凌ぐ念威操者が存在しないからだ。
―――――どういうことだ?
しかしそれ以上に気になるのは、ウォルターがみすみす姿をくらましてみせたことだ。
ウォルターがデルボネの追跡に気付いていない筈は無い。だが、ウォルターは消えてみせた。
これはいったいどういうことを表しているのか。
(そういえばウォルターはなかなかの念威操者でしたね)
デルボネがふと思い出した様に言う。
レイフォンはウォルターの後任であった為に伝えられなかったが、他の天剣授受者はウォルターが武芸者であり念威操者である事は伝えられている。
「撹乱させた可能性もある…そう言いたいのか」
(どうでしょうね。そんな感触は伝わって来ませんでした)
「あいつならばやり遂げるかもしれん」
一度だけ、アルシェイラの余興に付き合ってデルボネとウォルターが全力で念威対決をしたことがある。
ウォルターは酷く面倒くさそうに不機嫌だったのをよく覚えている。
念威による防衛と攻撃を繰り返し、お互いの念威端子を奪い合うというものだ。分数を決めて、その分数が経った時にいくつ自分の念威端子としているか。
それが競われた内容であった。だが、実際には分数など関係無かった。
ウォルターは開始三十秒程ですべての念威端子を自らの支配下に置いた。
つまり、処理能力、防衛、攻撃、反撃においてすべて上回ってしまっていたということだった。
ウォルターとデルボネの年齢差などは念威において関係なく、その時点で必要なのは念威の量とコントロール力、そして経験だった。
(あれは見事でした。わたしもはじめから本気でしたが、一瞬で乗っ取られてしまいましたからね)
「………………」
リンテンスはウォルターの消えた方角から眼を逸らし、踵を返した。