明星の虚偽、常闇の真理   作:長閑

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夏の訪れ

 どうしてこうなった。ウォルターは遠い目をして思う。

 現在この場所で活剄を使って嗅覚を鋭敏にでもしたら、即座に卒倒しそうな場所にウォルターはいる。

 

「はぁ…、いま来るべきじゃあなかったな、オレ」

「つか、ひとりで行けくそが」

「口調、口調」

 

 隣を歩く不機嫌な女性……バーメリンに苦笑交じりに返し、ウォルターは溜息を吐きながら額に浮かんでは流れていく汗を乱暴に拭った。これが終わったら風呂にでも飛び込むか、なんて投げやりに考えながら息を吐いた。

 現在この都市……槍殻都市グレンダンは真夏の域。そしてその地下である機関部の更に端に属する下水道は蒸し暑く、熱気がこもっている。さらに言えば、都市の汚水処理も兼ねているこの下水道の臭いは一般人でも敏感にわかるほどであるため、武芸者にとってはある種地獄のような場所であった。

 

「暑……。これは予想以上だ」

 

 息を吐いて、ウォルターはいつもより襟元をゆるめるためネクタイを引っ張った。

 少し服の風通しを良くしたところで、風の通り道がないこの場所では暑さは解消されず、肌にねっとりと生ぬるい空気が当たるばかりだ。そんな中汗は絶えず額を伝う上に、下水道独特のにおいのせいで深く呼吸をする気にもなれなかった。

 

「っとに…、暑い」

「そう言ってる間に進め、ブツブツ言うな、わたしが我慢してるにも関わらず。ウザい」

「えげつない言いっぷり。オレは天剣授受者でもないのに巻き込まれてンだぞ? 文句くらい言う」

「ふざけるな。わたしだって行きたくもないのにあの突撃ばかのせいで…。まさかあんな風にじゃんけんで負けるなんて思わない。…女性尊重の念が欠けたくそ共が」

「落ち着けよ、言っててもしょうがない。…オレが先行するから、お前は後ろからついてこい」

「……癪に障るけど、あんたの方がまだマシ。バスボムくらいはマシ」

「…………そりゃどうも」

 

 いや嘘、ミジンコ一匹分くらいマシ。などというバーメリンの声がボソボソと聞こえたが、それ以上を追求する気にもなれず、ウォルターは苦笑しつつ頭を掻く。

 進行方向には多くの浄化用の樹木の根があり、それをかき分け、時折バーメリンの姿を目視しつつ進んでいく。思い出した、とウォルターはバーメリンに言葉だけを向けた。

 

「で? 今回の概要はなンだったか」

「ここの更に奥に侵入したくその排除。簡単な事」

「だから口調。…まぁ、想像通りってところか…」

 

 溜息を吐いてウォルターは先行を続ける。バーメリンはウォルターの言動に首を傾げ、眉を寄せた。

 

「想像通りって…、あんた、これ理由に王宮に来た?」

「まぁ、そんな所だ。まさか駆り出されるとは思わなンだが」

「駆り出されるに決まってるだろ、ウォルターのくせに出されないと思ったら大間違いだ、死ね」

「酷い言い草だな」

 

 ようやくたどり着いた壁の眼の前で二人して立ち止まる。ようやくたどり着いた疲れと会話の内容に息をつきながら苛立たしそうにバーメリンは言う。そんなバーメリンに対してウォルターも息を吐きながら壁に手をつく。壁のある部分ををテンポよくタップするとモニターが浮き上がり、さらにそこに指を走らせる。

 壁が大きな音を立ててその口を開けた。

 先を確認する為に初めに入り、中を軽く確認するとバーメリンを呼んだ。飛び込んできたバーメリンはちょうどウォルターの上へ降ってくる。避けるのもと思い受け止めたが、かなり嫌そうな顔をされた。

 

「……軽々しく持ち上げるな、ウザい。キモい」

「お前が降ってきたンだろ?」

 

 苦笑交じりにそう言い返すが、バーメリンはお気に召さなかったようだ。

 必要以上の非難を浴びる前に下ろし、とりあえずと進行方向に足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 青い光を放つ空間は、空虚だった。

 広い空間であるだけあって閉塞感は無いが、壁に囲われた空間独特の圧迫感は存在していた。散々迷路でひどい目にあった赤髪……ディクセリオ、ディックは酷く疲れたという顔で手を腰に当てて溜息を吐く。

 

「まったく、このグレンダンに来るとろくな眼にあわねぇ」

 

 ディックはそう呟きながら、ふと感じた気配の方向へ眼を向けた。

 

「……ってことで、さっさと通してくれると嬉しいんだが」

「お前がくそか」

「…だから言葉遣いが悪いって」

 

 ディックに答えた声、バーメリンに対してその言葉遣いを咎める声、ウォルターにディックは眉根を寄せた。

 バーメリンはまだしも、まさかウォルターが来ていたとは思わなかったという顔で。

 

─────ウォルターがいるのはものすごく分が悪いな

 

 彼とは一応友人ではあるものの、彼のことだ。自分が疑われない為にディックを本気で殺しに来るだろう。いくらディックが死なないことを知っているとはいえ、容赦の無い事この上ない。

 

「あんたのせいでこんな面倒くさいことになったんだ、嫌な所通らされたりこのキモい毛野郎に抱えられたり。どうしてくれる」

「そりゃあ……そりゃあ」

「誰がだ、誰が。お前最近本当に口が悪いぞ。強制する気はないが、ちょっとは整える努力をしろ。…つか、話してないでさっさと仕留めよーぜ。だらだら伸ばす方が面倒だろ」

「…それもそうだ」

 

 あの野郎、催促しやがった。早いうちに片付ける気だ、本気で。内心で盛大に悪友に悪態を吐きつつ、ディックは頬を嫌な汗が伝うのを感じた。しかし自らも武人。錬金鋼に手を添え、剄を通した。手の中に記憶された形状が復元し、慣れ親しんだグリップを握り、重心を落とし、鉄鞭を構える。

 

「ウザ、やる気? とっとと死ね」

「だからお前口悪いって」

「わたしに口出すな。保護者のつもりか。ウザ死ね」

「っとにもー…」

 

 ウォルターが苦笑しながらディックの前に立ち塞がる。

 目があった。引く気も無く引かせる気もないらしい。相変わらず気分屋だ。

 

─────だが、こいつがいるならまだ手を出す必要はないってことか

 

 ある程度八百長をして、ウォルターともう一人の相手に見せてやればいいだろう。

 疑われる事のほうがまずい。動きにくくなるわけにもいかず、ウォルターがこのグレンダンでうまく動けなくなる事が一番痛打になる。

 

「とっとと通してくれるとありがたいんだけどな」

「そうはさせねぇ。…って、言ってンだろ?」

 

 にやりと笑みを浮かべたウォルター。その表情を見てディックは確信した。本気で一戦交える気らしい。ディックは八百長のつもりだったが、ウォルターは八百長をする気はないようだ。ため息を吐き出しながらもディックが鉄鞭を握り直し、ウォルターも刀を構える。じりじりと間合いを取りながら剄を練り上げ、ディックは先手を打つ。

 踏み出した。

 活剄衝剄混合変化、雷迅。

 つんざくような音が鼓膜を振動させる。青の稲妻を引き連れ、ディックはウォルターにまっすぐ直進する。

 この技は幾度と無くウォルターといる時に放った技だ。きっと他の誰よりもこの技を見ていて、彼と共に練磨をした。つまり、彼にはこの技のすべてが筒抜けだということ。

 だがそれでも構わなかった。ディックにはこの一撃しかない。この技がディックの武人として鍛え上げたすべてを込めた叡智だ。この攻撃方法と有り様が、愚者の一撃と呼ばれる全てだ。

 ディックが鉄鞭を振り下ろす。豪速で振り下ろされた鉄鞭を見上げながら、ウォルターの金の腕輪が溶け、手の中にその姿を顕現させた。

 

「ハッ」

 

 ウォルターの全身から溢れた重厚な剄の圧が、ディックの雷迅の剄を押しのける。それのために雷迅が体表に叩きつけられるタイミングがずれる。ウォルターの手が顕現された武器を握り込む。握られた武器は、ディックと同様のそれだ。

 

─────やべぇ

 

 ちりちり、と、焼けるような音が耳をこそぐった。雷迅に比べればひどく小さなそれは、ゴウと音を立て、真紅を見せつける。

 ディックが飛び退いた。若干の距離が開く。その行動を行いながら、この判断が失敗であったことを瞬時にディックは理解した。ディックが開いてしまった若干の距離は、ウォルターに剄技を打ち込んでくれと言わんばかりの距離であったためだ。ウォルターが踏み込む。振り上げられた鉄鞭が真紅に染まり、ディックに叩きつけられようとする。

 外力系衝剄を変化、火雷。

 鉄鞭同士がかち合う。真紅と雷撃がぶつかり合い、食い合う。

 

─────まずった

 

 瞬発的な破壊力で言えば、雷迅よりウォルターの火雷の方が圧倒的に強い。剄量で言ってもウォルターの方が上だ。ウォルターのはなった火雷は瞬発的な爆発力が特徴で、込められる剄量が多ければ多いほど、爆発力が増す。

 押し合いが続く中、ディックが重心をずらしてさらに後方へ。足裏に剄を集めつつ、練り上げる。次撃、踏み出す。

 活剄衝剄混合変化、雷迅。

 

「ははっ、そう来なくちゃな!」

 

 活剄衝剄混合変化、雷紅。

 武器内に剄を通す。衝剄を練り上げる。活剄を練り上げる。ディックとぶつかり合う寸前に活剄で踏み出し、鉄鞭をぶつけ合う。ディックの青の雷撃とウォルターの赤の雷撃がぶつかり合い、食い合い、ところどころで小爆発が起こる。剄の衝撃波で床が抉られ、軽度の陥没を起こした。

 ウォルターの攻撃の向きが変わる。すぅと鉄鞭のかちあいが緩み、軽くなったと感じた瞬間、腹に殺気を感じる。ウォルターの操る鉄鞭の柄尻がディックの鳩尾を狙う、それを剄が込められた拳で弾く。弾かれた勢いを殺すことなくウォルターの身体は回転するが、蹴りがディックの顔面を狙った。それを再び拳で弾き、後退。

 

「!」

 

 弾雨。さらに後退。後方支援で待機していたバーメリンの剄弾だ。

 内心でディックが盛大に舌打ちをした。ディックはせいぜい近、中距離。ウォルターはすべての領域をカバーできる上に、今回のウォルターの相棒は遠距離のプロ。しかも短気そうだ。厄介だな、と再び舌打ちをする。

 バーメリンの弾雨が降り注ぐ。ウォルターも武器を銃へ変化させ、銃口を上へ向けた。

 外力系衝剄を変化、降雨・霰弾。

 ウォルターの雑に込められた剄が上空から降り注ぎ、バーメリンが放つ強烈な銃弾が前方から襲いかかる。

 うまくウォルターの剄弾の雨を利用したバーメリンの弾丸は確実にディックを追い詰めていく。

 

「っち、……って!?」

「あ」

 

 ウォルターが屈んだ。それに気付くのが一瞬遅ければ、本当に危険だった。

 ディックの姿はそこにない。バーメリンは巨大な筒を抱えて不機嫌そうに何もいない空間に向かって引き金を引く。バーメリンが抱える巨大な砲。彼女の扱う天剣、スワッティスだ。

 

「危ないな」

「けろっとした顔してるくせに文句言うな、くそが」

「お前ね」

 

 やれやれと溜息を吐きつつ、ウォルターは屈んだまま頬杖をついた。

 バーメリンが苛立たしさに天剣で好き勝手に乱射しはじめたのだから、もう何もするまいと溜息を再び吐く。

 

(やれやれですね。ウォルターさん、どうでしょう? わたしの端子にはもう反応がありませんので)

 

「こっちもだ。うんともすんとも」

 

(では、ここまでですかねぇ…。バーメリンさんを早く止めないと、陛下がお怒りになりますよ)

 

「ちぇ、オレの仕事かよ」

 

 本日何度目かもわからないため息を吐き、ウォルターは砲を打つバーメリンに声をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くそ、痛ぇ」

 

 木の上に落ちたディックは、小さく悪態をついた。その上から、別の声がかかる。

 

「大丈夫か? 久しぶりに会ったが、技の切れが悪いな。ディック」

「……ウォルターか。お前なぁ、もうちょっと…っ、いて、……っ考えろよな」

「知るかよ。お前が勝手にそうなったンだろ」

「そう言ってられる状況じゃねぇぞ、さすがに」

 

 ウォルターはディックの炭化した腕と足を見る。表情一つ変えず、ウォルターは視線をすぃと目の前に広がる建物達へ向けた。

 その視線に気づいたディックが意識を手放しそうになりながら、呟く。

 

「暑い、な」

「……下水道ほどじゃないがな」

 

 雑用は懲り懲りだわ、というウォルターのどうでもいい呟きに力なく笑ったディックは、意識を手放した。

 

 


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