ニーナは困っていた。
今回ウォルターが説明した事情から、自分のクラスにハイアが、小隊にハイアとミュンファが来ることは十七小隊全員が理解していたし承諾もした。だが、まさかここまでとはと思っていなかったのだ。
ダルシェナの雰囲気が、かなり、悪い。
当然だ。わかっていた。さすがのニーナでもわかっていたことだ。
間接的にせよ、彼女は彼女が大切に思っていた人を傷つけられたも同然なのだから、ハイアに対する嫌悪感があることは当然だ。
その居づらさにニーナは深々とため息を吐き出し、眉間を軽く揉む。そんな中、ウォルターは至って気にした様子もなく、この険悪なムード漂う広い練武館にけろりとした顔で立っていた。軽口の多いシャーニッドでさえ口をつぐんでいるが、ウォルターはおもむろに伸びをしつつニーナを見、口を開く。
「えぇと…入隊テストすンの?」
「はっ!? …あ、あぁそうだな。一応しておこうか。……相手は、わたしよりお前かレイフォンが良いと思うのだが、どうだろうか」
「……僕か、ウォルターですか? 異論はありませんけど…」
レイフォンは首を傾げつつニーナを見た。
十四小隊から移り、入隊テストを行っていないダルシェナは別として、それぞれの面々の入隊テストはニーナが行っている。しかし今回はウォルターとレイフォンを指名したニーナに、それぞれがやや瞠目する。
「急だな」
「あぁ。…レイフォンの時は実力がわかっていなかったからな、わたしが相手したが、実力が分かっていて、なおかつテストに最適な者がいるのであれば、そうするべきだろう」
「…なるほど。まぁ理にかなってンな」
「だろう?」
「けど、マテルナ…先輩の時は実力はわかってるってしなかったンだから、ライアとルファもしなくていいンじゃないのか?」
「…う、と、とりあえず、ウォルターとレイフォンで相談して決めてくれ。どちらでも構わん。ハイアと当たらなかった方がミュンファと当たってもらうぞ」
ゴホンゴホンとわざとらしくニーナが咳払いをする。ウォルターとレイフォンは視線を合わせつつ、肩を竦める。まぁいいかとウォルターが頷くと、レイフォンも納得したように頷いた。それと同時に扉が開き、レイフォンが口を開く。
「あの、」
「準備終わったさ~」
「おぉ、おつかれ。アルセイフはなンだよ」
「……僕、ハイアと当たるの嫌です」
「バッサリ言ったな…」
「お前…ホント…」
「…まあ…わかンなくはないけどな…」
「もう二回も戦ったんで僕はもういいです」
「本当に本音出たさね。生憎おれっちも、もうしばらくはお前と当たんなくていいさ~」
露骨に嫌そうな表情を浮かべたレイフォンはハイアをひと睨みした後、壁際へ移動していった。ハイアとミュンファはすでに準備を終え、ツェルニでの戦闘着に着替えている。錬金鋼の調子を確かめる様子を見ながら、ウォルターは「うん?」と零した。
「待てよオレ着替えてないじゃん」
「あ、…着替えてくるさ?」
「あ~、うーん。まぁいいや。アントーク、ジャケットだけ預かってくれ」
「いいのか。爆破とか焦げたりしたらアウトだぞ」
「手合せで爆破と焦げってなンだよ。ガチ過ぎ」
「いえ、イオ先輩ならありえます」
「ロス妹まで言うか」
ウォルターの苦笑に、ニーナはウォルターが良いならいいと言って壁際に下がっていく。
練武館の中央あたりに移動しつつウォルターは袖をまくり、ツェルニの錬金鋼を叩いた。
それが合図となった。
ハイアは重心を落とし、足裏に剄を凝縮、爆発。先手を取るべくウォルターの眼前に迫る。ハイアの手の中で支給された鋼鉄錬金鋼が復元の光を放つ。それが、一瞬ウォルターの視界を潰した。抜き打ちの型。抜刀。ウォルターが黒鋼錬金鋼を掴む。復元。刀。刀身がかち合い、火花を放つ。金属音が練武館に響き、不快感を呼ぶ。鍔がぶつかり合い、押し合いが始まる。
「危ないな、急に詰めてくるヤツがあるか」
「あんたに勝つつもりだからさ~」
「はっ、言ってろ」
柄を握り直す。ちからの入り具合が変わる。ハイアの重心がほんの少しだけずれた。
外力系衝剄を変化、咬龍。
錬金鋼に込められた剄が外部強化の役割を担い、周辺を剄が覆って硬化していく。ハイアが反射的に後退する。練武館の床を靴が滑り、摩擦で焼ける臭いもした。片手が床に触れる。勢いを殺すべく掴む。後退しつつも、視線はウォルターから外さない。鍔迫り合いの為に構えられていた刀がピュウと下げられる。その刀が手の中で翻り、身体が半身逸らされ重心がずれる。刀がゆっくりと持ち上がり、上段に構えられる。ウォルターの眼が鋭く細められ、口角が上がった。
「ま、割と本気でも良いな」
「っは、あ…!?」
ウォルターの握る刀が振るわれる。その斬線が剄を纏う。形態を変化させる。剄の波動がハイアの髪を揺らす。練武館という空間を振動させる。
外力系衝剄を変化、
重厚な剄は龍の頭蓋を模し、凶暴性をあらわす口腔を見せる。それはウォルターが通常使用する喰剣とは違い、鈍足だ。しかしそれでいて、喰剣よりもずっと質量が多く、放たれる剄の重圧は強い。
「くっ…」
ハイアはさらに後退する。背後に壁が迫り、これ以上の後退は許されなくなった。
鋼鉄錬金鋼を握る。構える。柄頭に片手を当て、迫り来る剄を真正面から受ける。
サイハーデン刀争術、逆螺子。
衝剄を放った。本来は内部破壊の為の技であり、ウォルターの放った剄技とは比べ物にならない程に剄の質量は少ない。だが、内部破壊の余波はその形を模した剄の構造を壊す。崩す。内部破壊が進行する場所には、空隙が生まれる。
―――――ここさ
その数瞬を掴む。刀を腰へ。抜き打ちの型。踏み込む。
活剄衝剄混合変化、
要領は焔切りと変わらない。刀に剄を通す。けれど濃密に、重厚に。ちりと熱が髪を揺らす。柄を握る手に熱が伝播する。床を弾く。刀を抜いた。躊躇わず振り抜く。振り抜いた勢いを殺さず、前へ。回転する。剄の龍を抜けた。片足が床を噛む。さらに前進。片足で跳躍し、勢いを上へ。上段の構え。揺れる空間の先に、先程と同じく黒と赤の髪を揺らす青年が萌黄色の眼を鋭く細め、口角をあげているのが見えた。
「ちぇええらぁああっ!」
「…土壇場にしては機転のきいた技だ。だが」
その手に握られていたものは、弓だ。彼が弓を使う所は見たことが無い。弓の扱い自体は知っている。ミュンファを見てきた。だがそれがウォルターの手に渡った時がわからない。
「ここまでだ」
その指は鋼鉄の弦を引いていた。放たれる。剄量に押し負け、自身の熱波が押し戻される。視界が霞む。だが、これは後退の許されない技だ。現状だ。柄を握る手に力がこもる。同時に熱が強まっていく。振り下ろす。
視界を白と薄紅が埋めた。
外力系衝剄を変化、
「あ、やべ」
ウォルターの放った剄技はハイアを直撃した。ウォルターの剄技とハイアが放った剄の炎がぶつかり合い、爆発した。その勢いを殺せなかったハイアはそのまま背後へ吹き飛ばされた。その為、床に倒れた、と言うよりおそらく落ちた、という表現が適切であろう状況に、ウォルターは頭を掻いた。
「……やりすぎたわ」
「そりゃそうでしょうね。バカですか」
「気遣いの無い後輩ですこと。…おーいライア、大丈夫かー」
床に落ちてぴくりともしないハイアに近寄り、頭辺りを小突けばうめき声が返ってきた。
「生きてる」
「生きてなかったらお前ダメだろ! あ~レイフォン来た時のニーナみたいな事する~」
「じゃあ後でロスが見舞いに来ないとだな」
「断固お断りします。というかわたしが言った通りになりましたね」
「ンな真顔で言うな…」
「…わ、わたしハイアちゃんに付き添いします」
「あぁ悪いなルファ。運ぶのはオレやるから…。ただ、お前この後テストだろ。終わってから来いよ。それまでいるから」
「え、あ、…あうう」
ウォルターが抱えたハイアと、レイフォンの方で数度視線を行き来させたミュンファは、それから小さく頷くとレイフォンの方へと向かっていく。
(あいつは素直で良いねぇ)
(え、ウォルターの趣味で好いてる? それとも恋愛的な方面で好いてる? やめた方が良いよあれは)
(あれ言うな)
(え…擁護…? やっぱ好きなの…?? ヤだぁ、ウォルターが僕以外擁護するのムカつくから消す~~!!)
(違うから! あいにくそういうことは思ったことないから、やめろってば)
内心で過激派…と小さく零しながら、ウォルターは廊下を歩いて行く。『箱』の中のルウは未だにご機嫌斜めで、小さく消したい…と呟き、盛大なため息を吐き出す。やはりルウからしたら煩わしいのだろうかと頭が痛いが、現状には腹をくくるしか無いだろう。
(……ところで、答えはわかった?)
(あ、忘れてたわ。…なンだっけ、ライアが嫌がる理由? …ハァ、なンかいまいちピンと来ないな。なンつーか、理由が内在的過ぎ? っていうのか?)
(あぁ、うん、確かに。でもそんなに難しいことじゃないよ。僕は傍観者を決め込んでいるから気づきやすかっただけだろうし。僕に他人への同調とかその心を慮る様なことはできないってこと、ウォルターが一番知ってるでしょ?)
(うぅん…オレは別に、ンな事ないと思うが…お前がそう言うならそうなンかね?)
(ふふ。…うん。僕はできない)
淡々と言う“弟”は、ひどく楽しそうに笑う。頬に手を当て、柔らかく微笑んだ。
(…だとしたらオレは、察するのができないな。まったくわからん)
(ふふ、またまたぁ。ヒントはあげたよ? ウォルターの全面バックアップ、って)
(それがわからないンだがなぁ。今更優しくしてやったからどうとかないだろ。今まで叩き潰したり色々したが)
(見事に突き放し要因だね。その調子でどんどん突っぱねて行こうよ)
(ルウ?)
(うんゴメン、つい本音が。…うーん、そこまでわかんないとなると、答えになっちゃうんだけど…)
(オレ結構頑張ったと思うからもう答え教えてほしい)
(ウォルターにそう言われると教えてあげたくなるけど…、でもこういうのって自分でわかんないとだめなんじゃないの?)
(マジかー、人間ってしんどいな)
ずっと悩み続けるじゃん、なんてぼやくウォルターに、ルウは苦笑を零した。そう言いながら考える事を放棄しなくなった彼は、きっと成長したのだろうと。
(ルウ? …大丈夫か)
(…うん。大丈夫。ごめんね、ちょっと考え事してた)
(そうか。まぁ、悩み事なら聞くから、あンま考え込むなよ)
(うん、ありがとう。ウォルター大好き)
オレもオレも、なんて軽い返答だが、同意をくれる。ルウ自身、これは自分だけの特権だと知っている。理解している。
―――――だから別に、いいんだ
一緒にいられるのだから。だからこそできる事がこうしてあるのだから。
未だにルウの意見まで届かず首を捻る“兄”にやんわりと微笑んだ。
医務室ちょうどいたティアリスに処置を任せ、ウォルターは医務室内に設置されたパイプ椅子に腰掛けた。慣れた手つきで処置を進めていくティアリスを横目で見ながら、ウォルターは腕輪をいじる。
「…何やったらこうなるわけだ? 簡単に怪我しやがって」
「そっちかよ。…うちの小隊に来ることになったから、その関係。テストだよ」
「あぁ…入学式の近くもあったな。あれもお前か」
「あれはオレじゃなくてアントークな」
「どっちでも一緒だ馬鹿」
呆れ顔のティアリスは処置を済ませて医療用ベッドに寝かせると、つかつかと靴を鳴らしながらウォルターの方へ移動し、机の上の報告書に書き込んでいく。
「どうだよ?」
「…右の手から肘にかけてやけど、全身の打撲…後、足の筋肉も少し切れていた」
「……あいつ……」
「お前のせいだろう、どう考えても」
「いやいや、勝手に…」
あいつが、と言いかけて少し口をつぐみ、それからウォルターは顎に手を当てながら「あぁ」と呟いた。
「…確かにオレのせい…か?」
「だろうが。…珍しいなお前が認めるの。疑問形だが」
「おいおいオレが通常から横暴みたいな事言うなよ」
「横暴だろう。…まぁいい、このくらいならしばらく薬の処方と個人の内力系活剄で治る。お前がそういうくらい調子に乗ったんだろうしな」
「その発言心に刺さるー」
そう苦笑を零したウォルターに、ティアリスは「わかったんなら自重しろ」と言い放ち、踵を返す。
「もう戻るのか?」
「今下学年の研修が来てるんだ。おれは資料を取りに来ただけだった。終われば戻るのは当然だろう」
「あー、まぁ、確かに?」
「…何だ。何が言いたい」
「いや別に? 頑張れ鬼教官」
「誰が鬼教官だろくでなし」
ったく、と吐き捨てるように言い去っていくティアリスの背中をくつくつと笑いながら見送り、ギィと音の鳴るパイプ椅子の背もたれに体重を預けた。
(流石ティアリス図太いわ。面白いねぇ)
(あいつ態度ムカつくから消していい?)
(…絶対にやめておけ)
ティアリスが図太いことにも理由がある。
ウォルター達三年生が入学した当初、ツェルニは敗戦続きで医療関係に従事していた人数が少なく、かなり忙しかった。入学して半年も経たないティアリスやその同期の面々も駆り出されたほどに。現場で直に技術を叩き込まれたいわゆる叩き上げが多い三年勢だ。下学年の研修では実践も交えた経験と知識を教える事ができる。ツェルニの現状においてはとても有益になるだろうと思いつつも、ウォルターでも苦笑せざるを得ない勇ましさに、から笑いを零した。
(しかしやけどか。出力間違えたか…と思ったけど、そういえば途中で出力上がったよな)
(ウォルターに接触する一瞬、出力上がったね)
(多分そのせいだな。多分、その前でもコントロールが甘かったのはあるンだろうが)
(あの土壇場であんなの使ったら、そりゃやけどもするよね。あの密度の剄を弾くのに相当量いるだろうし。ハイア・ライアは元々剄量としてはさほど持ち合わせてないから…普段意識して出力する以上に出力したんじゃない?)
ルウの言葉に頷きながら、ウォルターはベッドの方を見た。
薄く剄の発光が見える。内力系活剄によるものだろう。流石にそういった対処は早いなと思いながら、先程の言葉を思い返した。
「…オレのせいか」
(ウォルターのせいな訳ないじゃん。あんなのただの自爆だよ自爆。ハイア・ライアが勝手に怪我しただけじゃん。ウォルターは悪くないよ)
「…まぁ、そうっちゃそうなンだけど」
(でしょ? 気にしなくて良いよ。それに、あいつはあいつでウォルターと手合せできるのが嬉しくて調子乗ったんじゃないの? ウォルターにこれ以上間抜けは晒せないだろうし)
ウォルターは小さく「うん、」と返しつつ、腰掛けたパイプ椅子の背もたれに体重をかける。
─────オレに間抜けを晒せない、ねぇ…
少しばかり天井を見上げ、それから視線を床に落とす。
─────別にオレは気にしてないンだがな
軽く息を吐き出しながら、ミュンファが早く来てくれるよう思いながら、寝息の響く部屋で眼を閉じた。