気がついた時、ビリリと神経がしびれるような感覚がした。
どうやら中央に開いた穴に落ちたようだったが、上を見上げても落ちたと思しき穴は見えず、ただ都市の機関部が周囲を埋め尽くしていた。
「…ルウ、聞こえるか」
(…―え、…けど、…ズが、……)
―――――駄目か…
とぎれとぎれにしか聞こえない。
自体の理解は追いついていないが、ひとまずここを脱出するべきだろう。ルウとの『会話』も修復しなければならない。
拒絶の領域は働いているらしく、中央部に流入してきているであろう汚染物質の影響は無い。
「……どういう仕組みだかしらんが、進むしかなさそうだな……」
大きくため息を吐き出して立ち上がる。
頭痛とルウとの会話ができない点を除けば、至って問題は無い。左手首の金色の腕輪をいじりながら歩き出す。少しばかり厚底の靴裏が機関部のパイプの束を踏みつけて歩く、後ろで何度もゴツン、ゴツンと大きな音がしている。
「…しかし、あれはなんだ? 新しい敵だとしたら、厄介だな」
あれが敵だった場合、対処を考えなければならないなと考えながら、ただ眼の前にある道を歩いて行く。上を破壊すれば良いような気はしたが、それをする気もおきず、ただ歩き続けていた。
惰性のように歩き続け、どのくらい経ったのかわからないまま歩いて、気づけば中央深部に到達していた。
「……ローフォード……?」
中央にそびえる大きな光る結晶が、呼応するように一際大きな光をこぼした。
円錐状の枠組みの中央に置かれた結晶に、ウォルターはゆっくりと歩み寄る。そしてその結晶にそっと手を伸ばした。淡く、くすんだ光を放つ結晶へと。
「…お前が、呼ンだのか」
結晶の中に、電子精霊の姿をかたどったものが見えた。少女だ。光の束が収束し、その形を形成していく。流れた髪は光をこぼし、切りそろえられたように整った髪は、淡く溶けるように霞んでいた。
「うん」
凛とした声音だった。
ぱちりと開かれた瞳が真っ直ぐにウォルターを見つめ、それからゆっくりと伏せられる。
「この都市は終わり。せっかく来てくれたのに申し訳ないけど」
「…オレらが来たのは勝手に、だ。…お前が気にするようなことじゃない」
「変わったね、あなた」
「…よく言われる。最近」
ローフォードが柔和に表情を緩ませる。しかし、ウォルターはそこまで楽観視できず、息を吐き出した。
「……大事なものができたんだね」
しみじみとした声で告げられた言葉に、ウォルターは酷くゾッとした。
おそらく、いいや、確実に、ローフォードの言葉はルウに向けられたものではない。それは考えるに、ウォルターの周囲に存在する人間たちを指して言っていることだと気付いて、ウォルターはどうしようもない感覚に襲われた。
喉が詰まるような感覚と共に、後頭部が急激に氷結するような、そんな感覚だった。
「……だいじなもの」
「うん、そう。…だって前に…あの男と来た時とは、その瞳が違うもの。悪ぶるのは悪い癖よ、あなたの」
「…悪ぶる、ね」
「そうでしょ? いまもそう。…何をしてるのかな」
「ただ戻っただけだろ、…お前と会った時にな」
「確かにね。わたしと会った時のあなたにそっくり。でも違う点もある」
ローフォードがスッと人差し指をたてた。
髪の先から、光が泡のようにこぼれ、宙へ消えていく。ウォルターはそれを静かに視認しながら、視線を逸らした。
「当時のあなたは、そんな不機嫌丸出しじゃなかったよ。あと、いまみたいにぎこちなさがなかった」
「…不機嫌なのはお前がオレをここに引きずり込んだからだろ」
「ふふっ、言えてる! 不機嫌の要因はそれもあるね。でもそれだけじゃないんでしょ?」
いたずらに笑うローフォードに、ウォルターはハァと大きく息を吐き出す。
「…まるで何かを試すような言い方だな」
「そうね。…この世界はまた壊れていく。…ありえないはずのことが、ありえるようになる」
「……イグナシスの手は、もう、そこまで……」
「そう。近く、イグナシスの手のものはこの世界に降りるでしょう。…滅びるわたしには何もできないけれど、あなたにはできるでしょ?」
「…その為にここにいるンだ。…当然だろ」
「あなたはそういう人ね。…だからこそ、だよ。……ちゃんと受け入れなきゃ、あなたは辛いまま」
「それは、さっきお前が言った“大事なもの”に対しての言葉か」
ウォルターはローフォードを睨むようにそう言い放った。
すでに足の形成すらままならなくなってきたローフォードは、それでもなお、柔和に笑ってみせた。
「そう」
「……必要ない。理解も、賛同も、賞賛もいらない。必要ない。必要なのは、邪魔をしないこと。オレに関わらないこと。知らないこと。…でなきゃ、……みんな」
「運命なんて簡単に変わるの。人が変われば、世界は一気に変容を遂げる。…あなたも同じでしょう」
「……オレは」
「いつまでも意地を張ってちゃわからないものだよ。あなたの悪いところは変に頑固なところ。…でも、そのやり遂げようとする意志は素敵なところ」
微笑んだローフォードが、淡く、緩やかにその姿を消そうとしていた。
「だから恐れないで。怖がらないで。信じることを。変わることを。あなたの世界はもう変わっている。それに気付いているはず。…後は、あなたが認めるだけ。あなたはきっとわかる。あなたに起きた変化が必然なんだって」
ゆっくりと伸ばされた手が、ウォルターの頬に触れた。空間に溶けていくその姿を、ただ呆然と見やるしかできないウォルターに、ローフォードは笑んで見せた。
「大丈夫。あなたには心強い大切な人がいるでしょ。あなたを理解しようとしてくれる大事な人がいるでしょう。あなたが一番わかっているはずだよ。ウォルター・ルレイスフォーン。……だからどうか……」
言葉は最後まで紡がれ切らず、ローフォードは空間に消えた。
きっとこの後は廃貴族となり、どこかを浮遊しているのだろう。ウォルターは消えたその空虚を撫で、ギュッと胸に手を当てた。
「…信じる…変わる…」
小さく頷き返して、ウォルターはようやく、ここ暫くずっと胸にはびこっていた気持ち悪さの意味に気づいた。
「…誰より、オレが他人を信じたかったのか」
レイフォンの言葉に苛立った。自分のことを言ったら軽蔑されるのだろうかと考えて、またそれに苛立った。彼らが自分に向ける眼を、直視できなくなった。謝られた事に動揺した。ちからになりたいと言われ、柄にもなくまた動揺した。
すべて、自分が信じたかったのだ。
他を必要ないと感じていた自分が、他を信じようとしたことに戸惑っていたのだ。
1人じゃできないことがある。
そう思う前から。信じたくて、信じようとしていた。
けれどそれを必死で押し込めようとしたから、自分が自分でないような妙なズレを感じた。
―――――軽々しく言えることなんかじゃないのに