(ウォルター…)
「…わかってる。オレがそのどこにもいないこちくらい、わかってるんだ。でも、決めたんだよルウ。オレは、やらなきゃ、じゃなきゃ、何の為にあいつらは」
何の為に死んだんだ。
がちがちと牙のなる音が聞こえる。汚染獣はすぐそこだ。その口腔が晒され、動かないウォルターを噛みちぎるべく迫る。
左手が腰の黒鋼錬金鋼を掴んだ。
引き抜く。復元。
その手に現れたのは、上下二連式大型拳銃。
陽光を受け、鈍く黒の光を放つ、重厚な銃だ。剄を通し、引き金を引く。強烈なマズルフラッシュと共に放たれる剄弾は汚染獣の外殻を砕いた。咆哮を上げ、砕かれた外殻と剄弾に引き千切られた肉はそのままに、愚直な突進を繰り返す汚染獣に、ウォルターは再び剄弾を撃ち込む。
数発撃ち込んだところで、ようやく雄性体はその動きを止めた。
地に伏し、動かなくなったそれを見下すように視線を向ける。ウォルターは大きく息を吐き出しつつ、強くその言葉を吐き捨てた。
「オレがやらなきゃ、誰がやるンだ」
銃口が地面に向けられた。その銃口の先には地に転がった死骸のみ。
(ウォルター…)
「誰かがいようと、いなかろうと、オレ以上の適任なんざいないだろう」
(……ウォルターが、そうしたいの?)
「そう。…実際そうだろ。アインだってもしかしたら今頃、月でくたばってるかもしれない。あいつはただの人間だ。オレはオレの異界法則の為に、普通じゃ死ぬことはない。劣りもしない。…適任だろう? ウォルター・ルレイスフォーンという人造人間が。創世前から続く、気の遠くなるようなバカバカしい奇譚の役者には」
はは、と乾ききった笑いが喉の奥から競り上げて、吐き出された。
「ディックは目的の終着が同じだから協力が築けるだけであいつはだた復讐したいだけだ。自分のものを奪ったという存在に怒って吠えている獣。ニルフィリアも同じようなモノ。ただ自らの地位を侵したイグナシスを殺す復讐を夢見ている。…オレは、…オレは何もないよ。だから都合がいい。ただ目的を果たす為だけに動ける」
手の中にあった銃が解け、ただの錬金鋼という塊に戻る。ウォルターはそれを強く握った。
「……そう、やらなくちゃいけないンだ。やると決めたのは、それに決断を下したのは、オレだ。アインに頼まれた事実はある。サヤを頼まれた。でもオレには、やらなくちゃいけない理由がある」
ウォルターの言葉を静かに聞いていたルウは、ゆっくりと目を伏せ、息を吸いこんで、口を開いた。
(…それが、ウォルターの決めたことで…、その錬金鋼に関係があること?)
ルウがウォルターの決断した理由を知らない事には、二つ理由がある。ひとつは消滅寸前だった影響で自我が崩壊しかけていたこと。ウォルターの箱の中で、ルウはつい近年まで眠っていたのだ。
そしてもうひとつ。
ウォルターはルウが目覚めるまでの出来事を語ってくれた。しかし、明らかにその話は欠けていた。ウォルターは、ある点をひたすらに避けて語ったのだ。聞いたことのない人間でもわかるほどに。
「……あぁ、そうだ」
しばしの沈黙の後、ウォルターは肯定した。
その肯定に、全ての理由があるとルウにはわかった。
(…そっか。…でもねウォルター、これだけはわかって。僕は本当に、ウォルターの味方だよ。ただ、ウォルターの辛かったり苦しかったりするのを、少しでも緩和させる術があれば、って…思っただけなんだ…)
「……わかってる。大丈夫だよ。お前を疑ったりなンてしないよ」
(ごめんね)
小さくルウが紡いだ言葉に、ウォルターは息を吐き出しながら頭を振った。
きっと、本当に謝らなければならないのはウォルター自身の方だろう、とウォルターはわかっていた。自身ですら“くだらない”と呼称するようなこの奇譚劇に唯一の家族である弟を巻き込んだ。有無を言わさない方法で。こんな自身と一緒にいるしかないという酷い仕打ちをした。
「……ルウ……」
(うん?)
「……本当は、」
オレが。
感謝と、心痛。その念にかられ、ウォルターがその言葉を紡ごうとした途端、その異変は起きた。
突然中央部分が陥没し、地面が瓦解した。ウォルターは後方へ跳躍し、その崩落から逃れる。ほぼ同時に後方から鋼糸が張り巡らされ、剄が奔る。感じ慣れた剄に、ウォルターは視線をそちらへ向けた。
「ウォルター、無事ですか!?」
「…アルセイフ」
「都市外でしばらく状況を伺っていたんです。雄生体が多く、外から何体か潰しましたが…、……怪我はないですか」
「…あぁ」
「あ、ハイアは後から来ます。内力系活剄でおいてきてやったので」
満足げに鼻を鳴らしたレイフォンが錬金鋼を動かす。青石錬金鋼が解け、鋼糸に変化していた。左手に携えた複合錬金鋼はやや赤熱化しており、すでに何度か振るわれた事が見える。
「…外の汚染獣はほぼ駆逐したと思ってたが」
「えぇ。ついさっきの陥没で、中央部から多く吐き出されたんですよ。剄技はさほど使ってませんけど、流石に剄を通すので赤熱化は避けられませんね」
更に後方にいるであろうニーナ達はウォルターのいる場所から見ることはできない。ただ視線を向けたのみだったが、レイフォンがウォルターの様子を窺いつつ声をかけてきた。
「隊長達は大丈夫ですよ。僕の後ろに、生きている汚染獣は一匹もいません」
ヘルメットのガラスについたらしい砂をこすり取りつつ、そう紡ぎ出された言葉。
一瞬、手が強張り跳ねた。しかし、腰の位置にあった事が幸いし、気づかれることはなかったようだ。後ろでやや大きな音がして、そこからウォルターの腰にドシンと衝撃。痛いと言いながら振り返れば、暖色の短髪が見えた。
「や、あっと追いついたさ……!」
「ようやく来た。……遅っ」
「うる、っさいさ。こちらとら、崩れた瓦礫ふっ飛ばしながら来たんだから、崩れる前に突っ切ったお前とは苦労が違うのさ」
「ただの言い訳にしか聞こえないけど?」
「マジうるさいさ」
鋭くレイフォンを睨みつけながら絞り出した様な声音でそう言い放ったハイアは、やや大きく息を吐き出して呼吸を整えると、ウォルターからようやく離れた。
「もー酷いのさコイツ、人の事置いてさっさと行って。あれだけあの隊長さんが連携で動けって言ってたのにこれさ」
「ふぅん…」
「って言っても、真っ先に連携崩したのあなたがしゃべってるそこの人ですけどね」
「ウォルターは強いからいいのさ」
「露骨なえこひいき…」
「えこひいきじゃなくて区別って言うのさ~」
言い合いはいつものことかとウォルターはひとつ息を吐いて中央部に視線を戻した。
中央部は完全に陥没しており、到底この都市が無事とは思えなかった。汚染獣に占領されている時点で復興は厳しいだろうし、おそらく電子精霊も廃貴族と化していることだろう。
「……ローフォード……」
ウォルターがジッと中央部を見つめていると、中央部から一条の光が伸びた。生き物の様にうねり、それはこちらへと光の尾を引きながら放物線を描き向かってきた。
「跳べ!」
後方へ跳躍。
ウォルターが声をかけると同時、言い合っていた二人も跳んだ。近場の屋根に着地した。光は地面にぶつかると、消えも突き抜けもせず、実態があるかのように跳ね上がり、その勢いで更にこちらへと照準を定めてきた。
―――――狙いはオレか
ウォルターは更に跳躍、左手首の腕輪を鋼糸として展開、レイフォンの鋼糸も利用しながら足場を展開する。蜘蛛の巣の様に張り巡らされた、レイフォンの鋼糸の巣を基点としたウォルターの巣。光の帯を躱しつつ、鋼糸の適度なたわみを利用して跳躍する。
―――――やはり発生は中央部からか。…問題は、あれが何かだな…
イグナシスの新たな策略か。オーロラ粒子を利用した、ナノセルロイド達と同じ様な群生体であれば、対応が厄介なことになる。
崩落が進む。レイフォンの鋼糸が大きくたわむ。崩落で鋼糸が引きずられた。ウォルターが着地しようとしていた鋼糸がたわみ、跳躍の距離が出ない。
「ちぃっ」
(……!)
脳内にノイズが響いた。ルウとの『会話』ができない。
帯がウォルターの足を捉えた。まるで捕食動物が獲物を丸呑みするように、ずるりと光の帯がウォルターを飲み込んだ。
「ウォルター!!」
自身の名を呼ぶ声を認識するよりも早く、ウォルターの意識は途絶えた。