中央へ向かうにつれ、汚染獣の数は増えていた。本来であれば外縁部の方が多い筈だが、と考えつつウォルターは向かってくる汚染獣を薙ぎ払いつつ先へと進む。
(ウォルター、大丈夫? 疲れてない?)
「…あぁ、へいきだ」
剄を使った事や戦闘から多少の倦怠感はあるが、さしたる問題もない。ウォルターは刀の形状を解き鋼糸へと変化させると、都市の中央部へ向けて詮索を開始する。
「…やっぱり、中央部の方が多いな」
(うん。この都市はもうダメだね。どうやら都市中央下部から狙われたみたいだ)
「自律移動型都市に住むヤツらからしたら、悪夢みたいな話だな」
(本当に。まさか、いきなり心臓部を潰されるなんて思ってなかっただろうし)
「……まぁ、災難だったって事で」
簡潔にそう言い放ち、ウォルターは息を吐き出すと跳躍した。
前方に多くの汚染獣がいる。その群れの中央に着地すると、跳躍のうちに鋼糸にしていた形状を戻していた刀を構え、抜刀の型。右足を軸に回転。
吹き荒れた衝撃波の暴風は汚染獣を切り裂き、ウォルターを中心として体液と肉片を撒き散らす。刀についた体液を振り払い、鞘を顕現させると納刀した。
「……はぁ」
(大丈夫?)
「うん? …あぁ、大丈夫」
(……大丈夫じゃないでしょ、ウォルター)
「……大丈夫だよ」
少しばかり厳しい声音のルウに、ウォルターは襟髪を触る。足は中央部に進め、先へと歩いていく。
そんなウォルターに、ルウは軽く息を吐き出して、口を開いた。
(あのね、ウォルターが思ってる以上に、ウォルターは大丈夫じゃないんだよ。…わかってないでしょ)
「…わ、かってるよ」
(嘘。絶対わかってない。だってわかってたら絶対いまみたいになってないでしょ)
「……協力するって言ってくれたじゃん」
(もちろんするよ。でもね、ウォルターがあからさまに無理してるってわかってることに進んで協力できないよ。だって、そうじゃなきゃ、ウォルターが辛くて苦しい思いをしちゃうんだもの)
「し、してない、オレはしてないぞルウ」
(ほらしてるじゃん…。もぉ、ウォルターってば…)
「…してないンだ、本当に。本当だよ」
(……だったら、もっと明るい顔してよ。ニルフィリア・ガーフィートに言われる前みたいにさ)
ルウの言葉は耳が痛い。苦笑を零し、ウォルターは息を吐き出した。
ウォルターはずっと自身が変わる訳が無いと思っていた。けれど薄々わかっていたのだ、自身が変わってしまっている様な感覚が。変わるわけが無いと思っていた。自分は変わっていないとそう言い聞かせていた。だから大丈夫だと思っていた。
なのに、いざニルフィリアに言葉にされてしまったら、揺らいでしまったのだ。
だから恐れたのだ。
“あぁ、自分はこんなに弱くなってしまったのだ”という事を。嘆かわしいことだ。
きっと亜空間で暮らしていた頃に流行っていた戯曲にある悲劇の主人公なら、どれだけこの事実が嘆かわしいか、悲劇的かを語り、歌い上げるのだろうとどことなく考える。
けれどウォルターにその選択肢は無い。
ただそれを内包し、語る事なく、ただ目的を達成する為だけに、黙々と行動を起こしてきた。
なのになんだ? この体たらくは。
自ら決めた有り様すら揺らぎ、意地を通しきることすら揺らぐ。
なんとしても目的は達さなければならない。それがこの場所にいる理由なのだ。
ウォルターが決めたものであろうとそうでなかろうと、しなければならないのだ。圧倒的なちからと運命とでもいうその引力が、ウォルターをその道筋に縛り付けている。
―――――どうあっても、オレは、絶対に“できない”で終われる存在じゃない
たとえ、すべてを踏みしだいたとしても
グッと拳を握り、息を吸い込んで、吐き出す。
「できるよ、そのくらい」
(僕の前でできるのは知ってるの。…レイフォン・アルセイフとかのその他大勢の前でだよ)
「…それは、ちょっと…」
(ちょっと?)
「……苦しい、かな」
(……そうやってつっけんどんに接しようってしてるからじゃないの?)
「…前もそうだったろ?」
キョトン、とウォルターはルウに問うた。
『箱』の中で、ルウは腕を組んで小さく唸る。
(うん、ごめん。そうじゃなくって…)
「…あー…意識してってこと?」
(まぁ、うん。そう)
「でも、変われないだろ。…いざって時は俺が守るって約束したンだ。…サヤだろうと、この楽土だろうと」
(うん。……でもさ、ウォルター。それって本当に、ウォルターがそこまで苦しまなきゃだめなの? …僕は納得いかないよ。ウォルターばっかり、こんな辛い思いするなんて)
「……俺は大丈夫だよ。オレはここに立てる。サヤを守り、イグナシスを殺す為。その為にディックが狼面衆を潰し、ニルフィリアがツェル二で準備を進め、オレがすべてを確立させる盾と矛になる。…それは、あいつらと目的を共有した時に既に決められたことだ」
強く、それでいて吐き捨てるような言い方に、『箱』の中でルウはあからさまに眉を寄せた。
その目的が、ウォルター自身で決めたことではない事を、ルウもまた、いいや、おそらくウォルターよりもはっきりとわかっている。
その目的に対する、ウォルター自身の思いがないのだ。
世界を救う。楽土を守る。あの死神との約束を果たす。
そういったウォルターの言う目的は、すべて決められた事柄だ。
それをやると決めたのも、その為に動くのもウォルターの意思、そのために考え、行動する。時には強硬手段も行う。だが、その目的に対して、『ウォルターが本当にしたいこと』はない。場と状況の為に決められた事柄を遂行するという目的は、ウォルターにとっての『したいこと』というレッテルを有さない。
そして、それは世界を救うなんて大仰な意味を内包してしまった。いつイグナシスが現れるか、いつあの月が崩れるか、いつこの状況が瓦解するのか。果てしない年月と消えていく友人達を見ながら、ウォルターがその決断を下し、継続を決意した瞬間をルウは知らない。
―――――そしてきっと、キミを意固地にさせている要因は僕にもある
絶縁空間での出来事。
ルウはウォルターと今までと変わらない未来を望んでいたあの時。それは今でも変わらない。けれど、今以上に、『それこそが正しいこと』だと信じていたあの時。
『きっといつかは、別の道を歩む。…それが少し、早く来ただけだ。でもルウ、どうか』
ルウを必死で止めようとしていたウォルターは、何を言おうとしていたのか。それをルウは未だ聞けていない。その言葉の前に、ルウはすでに絶縁空間に精神を暴かれ、崩壊してしまう寸前だった。
箱にルウを内包し、ルウが目覚めるまで、ウォルターが歩んだ修羅の如き道を、ルウは知らない。
そしてその道筋とルウの崩壊こそが、ウォルターをこの考えに縛り付けている。
この目的は決められたこと。そうだ。その通りだ。
(……確かに、そうかもしれない。でも、ウォルター…。その目的のどこに、ウォルターはいるの…?)
ウォルターは口をつぐんだ。答えない。ギュッと強く拳を握り、唇を固く結んでいた。震える声が、名を呼ぶ。
「……ルウ」
(そうでしょ? …ねぇウォルター)
「待ってくれ」
(ウォルターが言ってることも、しようとしてることも、間違ってないよ。でもね、)
「…言うな」
(その目的のどこにも、ウォルターはいないんだよ)
「やめろ!」
吐き出された声が都市に響く。手の中に顕現していた刀は蜃気楼のようにその姿を解きさった。
やや先にいた汚染獣はその声に気づき、発生源であるこちらへとその複眼を向けてくる。そして発生源を捉え、気づいた汚染獣はウォルター目掛けて疾駆する。都市が揺らぐ様な疾走の中で、空虚になった両の手でウォルターは自身の顔を覆った。
「……やめてくれ」
膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、絞り出した言葉はあまりに弱々しかった。