昼食をとった後はまた午前と同じような活動を繰り返していた。
その間、ウォルターはテラスでアイスをひたすら食べていた。お腹下しそうだなと内心で適当な事をぼやきながらのろのろとしていたのだ。
プールの方で水鉄砲を使って水をはね散らかしながら動きまわるのを見て、ウォルターはばかに元気だなと思っていた。そう思いながら、いつもの鳶色が見えない事を妙だとも思っていた。
もうすでに幾つ目かわからないアイスを食べきり、ウォルターがスプーンを銜えたまま片肘をつき遠くを眺めていれば、テーブルに軽く影がかかる。
何かと思えば、目の前に立っていたのはレイフォンだった。
「…どうした」
「いえ…その。ちょっと、話したいことが、あって」
少し前のように酷く口ごもる事はない。だが、やはりはっきりとはしない表情と様子だ。
視線が泳ぎ、ウォルターの視線と合致しない。声をかけてきた場所から動こうとしないレイフォンに、ウォルターはため息を吐き出しつつ少しばかり椅子を引いた。
「……座れ。首が痛い」
「あ、はい。……えっと」
控えめに向かいの椅子に座り、レイフォンは改まった表情でウォルターを見た。
それに気だるいとばかりに視線を返していれば、レイフォンが意を決した表情で口を開く。
「…あ、の。…僕…、ウォルターの事、いまは別に嫌いじゃないです」
「……は?」
いきなり言われた事に、思わず素っ頓狂な声を上げた。
レイフォンは俯いてテーブルの上において握りこんだ拳を見つめていて、ウォルターからははっきりと表情が見えない。
「…入学当初は、大嫌いでした。顔も見たくなかった。でも、ウォルターはウォルターなりに僕を気遣ってくれて、十七小隊のために尽くしてくれていて…、僕らのことを考えてくれてるんだ、ってわかってます」
あまりにも意外過ぎた言葉に、正直開いた口が塞がらないウォルターはただ眼を瞬かせて、レイフォンを凝視していた。
レイフォンはやはり握りこんだ拳を見つめていて、表情をうかがい知ることも出来ず、ウォルターはただ表情を隠す前髪を見つめるしかない。
「…僕のせいで、大けがを負わせてしまって、本当に申し訳ないって思ってます。メイシェンからも話を聞きましたし、隊長達からも聞きました。…だから、ずっと言えてなかったんですけど、言わせて欲しいです」
「……何を」
「……あ……あ、あり、」
「…なンだよ…?」
「……あ、りがとう…ございます」
レイフォンの突然の礼に、ウォルターは思わず「は?」と返してしまった。
威圧だととったのか、レイフォンが慌てて顔を上げ、ウォルターに弁解を始める。
「いや、あのですね! じ、実は前々から言おうとは思ってたんです! でも…あの、隊長とウォルターがいなくなって、余裕がなくなって、色々あって…ウォルターが…」
だんだんと言葉が尻すぼみになっていく。叱られる子どもを見ている様な気分だ。
だがウォルターに叱る気なんてものは一切なくて、言葉を返すなら、「そうか」の一言だった。
「…だから、ちゃんと素直に言えなくて…、でも、言わなくちゃって、思ったから」
「それを、なンでいま」
「…それ、は…」
ウォルターの問いに口ごもり、言葉を転がすレイフォンをウォルターは睨め付けるように見た。
特に興味もないことだ、早く言えと。
「……僕は、そう言うつもりで言ったんじゃ、無かったんですけど…、でも、僕が思いつく限りでは、僕のせいで、ウォルターが考えこんでいる様に思ったから、……です」
「…お前のせいで?」
「僕が…ウォルターに、言ったから…かな…って…」
「何を」
「…ヒトでも、ハルペーに並べるなら、やっぱりヒトでも武芸者でもない、って…言った、から…」
レイフォンの言葉にウォルターが瞠目した。
あまりに的を射過ぎていた。確かにひっかかっていた言葉ではあったが、まさかレイフォンからそう言われるとは本当に思っていなかったことだ。
動搖したことに気付かれたのか、レイフォンは少し息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら言葉を紡ぐ。
「…僕は、“そういう意味”で言ったわけじゃないんです。…いえ、“そういうつもり”で言ったんじゃなかったんです。……でも暗にはそういう意味にとれてしまう言い方をして…すみませんでした。僕が思っている事が本当にあっているかはわかりませんし、別にウォルターが考えている原因が違うとしても、僕が謝りたい。……本当に、すみませんでした」
頭を下げたレイフォンに、ウォルターは喉の奥で詰まった息を吐き出すので手一杯だった。
「あの、本当、勝手だってわかってます…! でも、僕…」
「……待て、しゃべンな」
「…ぅ、……はい」
ウォルターは思わず眉間を抑え、しゅん、と顔を伏せたレイフォンに構う余裕もなく盛大に溜息を吐いた。
吐いた言葉と溜息に、レイフォンは完全にウォルターが怒っているものだと思い込んでいるらしく、かなり青ざめた顔をしている。しかし、ウォルターは完全にそれどころではない。
「アルセイフ」
「……っ」
「…ンだ、その情けねぇ顔…」
盛大なため息と共に、ウォルターはそう言った。
レイフォンの神妙な顔を困り顔で見やれば、レイフォンはほんの少しだけ強張りきっていた表情を緩める。
「…怒ってねぇよ、別に…」
「じゃあ…?」
「…ただ、少し…オレが、…分かってねぇンだ。…かなり…その、……こ、まってる……」
意外だ、という眼で、レイフォンはウォルターを見た。
ウォルターなら、そんな事はない。ウォルターなら、迷う事なんてない。
そう、思っていたのに。
それなのに、目の前のウォルターはどうだ? 戸惑いを瞳に宿して、レイフォンから視線を逸らしている。
確かに体調が悪いという事もあって、あまり見ない表情ではあった。だが、それでもこんな表情をレイフォンは見たことがない。
―――――……困惑、戸惑い……?
ウォルターの表情にあるのはそれだった。
だが、レイフォンからすればどうしてウォルターがそんな表情を浮かべるのか分からなかった。
レイフォンは、自分自身がウォルターに言った言葉に非があると思った。だから謝罪をするために来た。しかしウォルターはその謝罪に困ると言う。
何故? レイフォンに、その問いに対しての答えを見つけることはできない。
「…アルセイフ」
「はい…?」
「…そンな縮こまンな。…オレは、ただ…」
ゆっくりと、それでいてはっきりと。ウォルターは言葉を紡ぐ。しかし言葉は尻すぼみに小さくなっていき、結局はウォルターの口の中に収められてしまう。
ウォルターはどうやら、その先の言葉を口にしたくないようだった。だが、どうしてもレイフォンはその先が聞きたかった。
その表情に揺らぎが出たのは、きっとウォルターになにかあったはずだから。
ウォルターが自分のちからになってくれるように、レイフォン自身も、ちからになりたいと思った。
「…ただ…?」
だが、先を促してもウォルターは口を開こうとしない。
考え込んだように右手の甲を口元に押し付けていた。まるで、出そうになる言葉を押し込めるように。
不意に、左腕にはまった金色の腕輪が光った気がした。
「レイフォン、大丈夫か」
「た、隊長。……はい、すみません」
「気にするな。…ウォルターの方は…相変わらずか」
ニーナの言葉にレイフォンは苦笑し、ウォルターを見てまた苦笑した。
現時点では体調が悪い云々の問題ではないが、そう勘違いしてくれるなら好都合だったウォルターは、ただ沈黙を選んだ。
レイフォンが調子悪いといって抜けたらしいことは、ニーナの表情からしてそうだろう。
後ろから来たナルキが、ウォルターに声をかけてきた。
「先輩は大丈夫ですか? 午前よりは、調子戻りましたか」
「…まぁまぁ」
ナルキとはあまり仲がいいとはいえないものの、こういう時は配慮してくれるらしい。そこもまた彼女らしさなのだろう。ウォルターは気を使われているという状況に慣れず、肩を竦めた。
「オレは別に重病人とかじゃないんだ、普通に話してくれ」
「…そう言いながら、あなたの顔色が類を見ないほど悪いからみんな気を使うんですよ」
すでに来ていたらしいフェリの鋭い一言に、ウォルターは苦笑を返す事しかできなかった。