明星の虚偽、常闇の真理   作:長閑

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“色の無いカンジョウ”

 ベンチに座り込んだウォルターは、胃の中で暴れまわる感覚に口元を抑えていた。

 特に興味もない事柄に引っ張り込まれ、更には水に浸かるはめになるとは思っていなかった。

「…あぁ、くそ」

 他のメンツは全員プールに入ったようで、それぞれ泳ぎの練習やらなんやらと、各自の行動を続けている。

 吐き気は収まらない。喉の奥までせり上げた感覚を呑み込んで、ウォルターは着ていたパーカーのフードをかぶりこんだ。

 日差しを避けるものが出来、光で霞んでいた視界が少しだけはっきりとする。水に浸かった感触が足から消えない。お湯ならまだマシだったものを、とウォルターは内心で悪態を吐いた。

 さすがに、この夏季帯手前に来て温水プールに入るなんてばかのようだが、ウォルターからすればそっちの方がまだマシだったとは思う。まぁ、その他の面々はこちらで充分満足しているようだし、なによりこっちの方が気分的にも楽しいだろう、とは思った。ウォルターの事は微々たるものであり、全体の方針を決める程重要なことではない。そんなことはウォルター自身わかりきっている。

 

(あぁ、もう、帰りたい)

(…ウォルター…大丈夫…? 消す…?)

(え、い、いや…、消さなくて大丈夫…)

 

 腹の気持ち悪さは拭えないが、ルウとの会話は落ち着く。打ち解けて素で話すことの出来るルウは、気取らなくていいという点でとても気楽で心地良い。

 ウォルターの軽い返しに、先程までなだめるような口調だったものが、やや怒ったような語調に変わる。

 

(ウォルター、またそう言って。もっと頼っていいんだって何度言えば分かるの)

(も、もう十分頼ってンだけど…)

(……まだだめ)

(だ、だめかぁ)

 

 妙に強く言われ、ウォルターは『会話』だということを忘れて思わず苦笑した。どうせフードもかぶっていることだ、見えはしないだろう。

 そう思いながらふらふらと『会話』を続けていれば、こつんと頭に何かがあたった。

 

「…ぇ」

「調子は戻りましたか」

「……ロス」

 

 いつもは流されている銀髪が今日は高くまとめあげられ、頭の後ろから少し垂れ下がり、またまとめあげられている。その手に持っていたのは缶ジュースで、一本はウォルターに向けられていた。

 

「…まぁ、それなりに」

「そうですか。…これどうぞ」

 

 フェリからほぼ強引な形で缶ジュースを渡され、ウォルターは思わず受け取った。

 以前と同じ様にプルタブを開ける動作に苦労するフェリに苦笑をこぼし、ウォルターがプルタブを開けて手渡す。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして。…お前は泳がねぇの? オレはここでのろのろしてるつもりだけど」

「死ぬのでいやです」

「…そうか」

「なので逃げてきました」

 

 あっけらかんとした顔で言い放ったフェリに再び苦笑し、ウォルターが他の面々について尋ねれば、至って普通という調子で言葉を返された。

 こうしているこちらとしては、正直特にやることもない。ただ待っているだけだ。

 缶ジュースのプルタブを開けると、軽い音と共に飲みくちが開く。口元まで持っていって、一瞬喉の奥で何かが詰まった感覚がしたが、缶ジュースの中身と共に腹へ流し込んだ。

 冷たい炭酸が口を這う様に進み、喉を通り、食道を通って胃へと到達する。それに一瞬眉を寄せたが、息を吐き出して表情を戻した。

 

「…それで」

 

 不意に口を開いたのはフェリだった。

 特に話す気もなかったウォルターはその言葉に沈黙していたが、あからさまに不機嫌だという表情を浮かべ、フェリがウォルターを睨め付ける様に見る。

 

「機嫌は治ってないみたいですね」

「…別に、機嫌が悪い訳じゃねぇが」

「じゃあ、どうしてそう不満顔をするんでしょうか?」

「不満顔なンて、」

「してます。…いつもの仏頂面が、ここの所5割増です」

 

 ため息混じりにそう言い放たれ、ウォルターはさらに苦笑する。

 事実、ウォルターとしては他との壁を作る事以外に機嫌が悪いつもりはない。だが、元々の愛想のなさが相まって機嫌が悪いと取られているようだ。別にいま意識している事をしていない時もよく言われた。

 まぁ確かに考えることが多いせいか意図せずして眉間にしわを寄せている事はよくある。気にかけてはいるつもりだが、癖というものはある意味すごいと思う。

 

「…別に、仏頂面を気にするつもりなんてありませんけど。…今に始まったことではありませんし。けれど…最近は輪をかけて機嫌が悪い気がします」

「……そうかねぇ」

「そうです。…丁度、あなたが帰ってきて、隊長も帰ってきた辺りからでしょうか」

「……どうかねぇ」

 

 なんとなくはぐらかそうと適当に言葉を返している事はわかっている。そしてそれが、フェリにとって最も不満であることをウォルターはわかっている。事実、フェリの流麗な眉がよった。

 

「あなたは本当に…」

 

 呆れきった表情で言われ、ウォルターはやはり薄く苦笑をこぼす。

 はっきりとした言葉で返さず、ただ苦笑するだけ。答える気はない。

 答える必要はないと思ったからだ。答えればきっとフェリは「くだらない」の一言で一蹴するのだろう。そんなことはわかりきっている。そして、ウォルターもこの行動に本当に意味があるのかどうか、見据えかねていた。だからこそ、いまこの状況に陥っているのだから。

 

「…ですが、個人的な意見を言わせていただくと、初めてあなたの様子が変わったとわたしが感じた時に比べると、随分とまた丸くなりました」

「…そう…かねぇ」

「はい、そうです。……結局、意地を張っても意味はないということですよ」

 

 フェリのざっくりとしたいい振りにウォルターは無意識に眉を寄せた。

 

―――――意地?

 

 そんなつもりはない。そう言いたかったのに、言葉は喉の奥でつっかえて霧散した。

 フェリの表情は変わらない。ウォルターのよった眉もすでに戻った。

 ウォルターからすれば、一体どこが意地を張っていると言うのか、むしろ教えてほしいくらいだった。

 やらなければならないことがある。そして、きっとそれは近いのだ。

 ハルペーが現れ、ディクセリオ……ディックも動き始めた。狼面衆が現れ、“あの因子”を有するリーリン・マーフェスがこのツェルニへ来た。

 何故? 運命が束ねられるのはグレンダンにも関わらずリーリンはここへ来た。

 何故? 本来グレンダンの奥の院にいる筈のサヤがツェルニに現れた本当の理由はなにか。

 何もはっきりとしない。釈然としない。

 もやもやとした感覚に、ここ最近感じていた胸のもやを思い出す。

 

―――――オレは決めた。…ニルフィリアに言われたからじゃ、ない

 

 変わっては困るのだ。待ち受ける未来の為にも、“ウォルター・ルレイスフォーン”は“ウォルター・ルレイスフォーン”であり続けなければならない。

 だから、すべてを否定する。変わったと思われる様な事実を、他人と関わる事を、脆弱になったと、軟弱な光を宿していると言われた事を覆すために。

 

 そう決めたのだ。

 

―――――…これが、ロスの言う、“意地を張ってる”?

 

 否定する必要なんてないのではないのか。

 そうなんとなく、本当になんとなくだが、思わなくはない。だがウォルターはそれとして在り続けなければならない。だからそれを否定しなくてはならない。単純な連想だ。

 けれど、それとして在り続けなければならない自分を忘れたわけではないが、ニーナ達十七小隊、レイフォンの同級生や自分の同級生と関わり合うことを悪いと思う自分はいないのだ。

 むしろ、そう……どことなく、いい雰囲気だ、というのは、思える。

 それをわかっていながら、無視しようとする自分にいま違和感が生じているのだ、きっと。

 だからもやもやする。

 なら、どうして? どうしてそれに違和感を覚えるのか。

 それがわからない。そんなことに違和感を覚えたことがなかったからか、ウォルターにはまったくとして見当がつかないのだ。

 どうしてレイフォンに、暗に“化物だ”と言われた時、苛立ったのだろうか。

 別にそう言われることは慣れている。かつてから言われていた言葉だ。それがウォルターの武芸的な強さに向けられた事柄でなくともだ。

 きっと良いことではないのだろうけれど、言われて慣れているのだ、そんなことは。

 だが何故か、今回に限ってはそれに苛立ちを感じる。いま思い出しても、なんだか苛立ってくる。

 この理由がわからないから、“変わった”という言葉を、現状を受け入れられないのだ。

 

―――――…じゃあ、この理由がわかったら?

 

 分かったとしたら、ウォルターはそれを受け入れるのだろうか。

 受け入れて、それで?

 脆弱と言われようと、“絶対に目的を達成する事ができる”と言える存在である確証があるのだろうか。志が変わらなくとも、有り様が変わらなければなんとでもなると言えるのだろうか。

 その“変わった”が為に得た物の為に、目的が達成できなくなるという事象があり得ないことではない。

 じゃあ、理由を知っても受け入れないべきなのか。これを続けるべきなのか。

 

―――――それとも、原因を根本から断つか、だ

 

 このツェルニに基点を置くことをやめることも選択肢にある。ツェルニに固執する必要はない。

 もちろん、この都市はあらゆる意味で特別だ。ニルフィリアを匿い、ディクセリオにちからを貸した。この都市が、“定められた運命の外側”からの干渉をしていることは確かだ。経過観察は必要と判断している。しかし、この場に溶け込んでいる絶対の必要は無い。

 だからこそ、その選択肢もありうる。

 いつまでも理解でき無いことに構い続ける事なんてできない。捨て置いても問題の無いこと、そのはずだとウォルターは考えた。わからないから問題を放棄するなんて子どもじみたことだが、これが後を引くならば、ただ邪魔になるだけだ。

 だが、現状のウォルターはそれでいいのだろうか。捨てて、それで? もしくはそれを受け入れて、それで? その先の戦略をどうするというのか。

 

―――――……わからない

 

 なにが、一番正しいんだ。

 

「…まぁ、イオ先輩のことですし、何を言ってもむだでしょうけど」

 

 深々と吐き出したフェリの一言。スッと細められたその瞳が、ウォルターを射抜いていた。

 

「……どうせ、こう言っても言うことを聞く気はないんでしょう?」

「それは…まぁ」

「でしたらこれ以上話してもむだですね。…そろそろ隊長たちも一旦上がるようですし、わたしは着替えに行きます」

「…ん…、了解」

 

 踵を返し、すたすたと足早に去っていく背を見つめながら、ウォルターは途方に暮れる。空を仰ぐように見上げれば、後頭部がゴツンとやや派手な音を立てて壁に当たった。

 問題は減るどころか増える一方だ。くしゃりと前髪を掴んで、盛大に溜息を吐きだした。

 

(大丈夫、ウォルター…)

(ん…、あんま大丈夫じゃない)

(…だろうね…。…フェリ・ロスも好き勝手言ってくれるよ)

 

 ウォルターが何も考えてないわけじゃないのに。

 そういってルウは不満そうに息を吐く。それに内心で苦笑を返して、だけど、と『言葉』を紡ぎだす。

 

(言われたこと、わからないわけじゃないし…、意地になってる、とは、思う…)

(……それはそうだよ)

(え)

(そんなの、初っ端からわかってたことでしょ? それは全部ウォルターの意地だって)

(……え、あ……う、うん…? まぁ、そうっちゃあ…、そう、だな)

(でしょ?)

 

 どこか呆れたような声音でルウにあっけらかんと返され、ウォルターは言葉に困った。

 ウォルターとしてはそういうつもりはなかったのだが、ルウはそう思っていたということか、と思いながら、どうするかなと呟く。

 

(何を?)

(このまま様子を見るか、この意地を通すことをやめるか)

(…ウォルターが、したい様にしていいよ。…でも、ウォルターが傷つくのは、絶対だめだからね)

(……うん)

 

 ルウは厳しい口調でそうウォルターに釘を差してくる。

 わかってるよ、とは返し難い。ウォルター自身も、自分がよく無茶をしていることを自覚しているということもあるからだ。

 ペタペタと水気のある音が聞こえ、ウォルターは音へ視線を向けた。

 

「……ウォルター、調子どうですか」

「…アルセイフ。…まぁまぁ」

「そうですか。…さっきはすみません、そこまでだめだと思わなくて」

「別に、気にしてねぇよ」

 

 話しかけてきたレイフォンにあしらう様に言葉を返せば、どこか居心地の悪い様な表情で視線を泳がせた。それに気づきながらも何も言わず、そのままウォルターも視線を逸らす。

 ニーナやシャーニッド、ハイア辺りも上がってきて、ウォルターとレイフォンの方へ歩を進めてきた。

 

「ウォルター、調子はどうだ」

「…まぁまぁ」

「そりゃあ良かった。こいつが沈みきったら、うちの小隊の最強も廃るってもんだしな!」

「シャーニッド先輩…別にこの程度じゃ、そういう事はないと思いますけど」

 

 テンションの高いシャーニッドに対し、呆れたように言葉を返したのはレイフォン。

 レイフォンの言った言葉に対し、シャーニッドはやはりテンション高く「甘い!」と言い放つ。

 

「考えても見ろよ、四方八方敵なしのウォルターが、たかが水に怯えるなんて知られればさらに人気が増すに決まってんだろ」

「…悪かったな、“たかが”水程度に怯えて」

「わ、悪くないさ、ウォルター。誰だって苦手なもんの1つや2つあるさ」

 

 シャーニッドの言葉に嫌味ったらしく単語を強調して言えば、シャーニッドは肩を竦め、ハイアは慌ててフォローに入ってくる。

 向こうから上がってきたナルキやダルシェナと言った女性陣もまた、プールから上がってくるとウォルターの様子を伺う。

 

「ウォルター先輩、調子はどうですか?」

「…あぁ、まぁまぁ…」

「普段からたるんでいるからすぐに体調を崩すんだ。もう少し気を引き締めたらどうだ?」

 

 ダルシェナの鋭い言葉に、ウォルターは苦笑を零す。どうやら少し前の練武館でのやりとりをやや引きずっているらしい。だがダルシェナが厳しい言葉をかけてくるのはいつものことで、ウォルターはあまり気にしないでおいた。

 しかし、2人に対しても同じような返事を返せば、どことなく安堵したような表情を浮かべられる。

 

―――――なんか、妙な感じ

 

 なんとも言い得ない感覚をため息で吐き出しつつ、ニーナにどうするのかと問うた。

 とりあえずは昼休憩らしい。ウォルターも着替えるべく、ようやくベンチから腰を上げた。

 


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