「はぁ……」
ウォルターに買い出しに行けと言われ、買い物リストをもらったのはいいがどこで何が売っているのかさっぱりだ。なんとか幾つか見つけたのだが、ウォルターの買い物チョイスは若干際どいものがいくつかある。
「“香草類(そのまま)”って…この表記からして、瓶とかに入ってるヤツじゃなくて、生? ってか、つまりローリエを葉っぱでってこと? 椿油とか売ってんのかさ…?」
瓶での香辛料はいくつかあるが、そのままというのがなかなか揃わない。油も見つからないし。
む、と呻きながらハイアはふらふらと商店街を歩く。ウォルターから借りた帽子をギュッと深くかぶり、商店街へ視線を巡らせた。
「はぁ……」
本日何度目かもわからない溜息を吐き、ハイアは拳を握った。
―――――ウォルター、いつもに増して鬱陶しそうな顔してた
軽蔑されたか。大きく捉えられずにすんだものの、拉致事件を起こしたことには変わらないのだ。
それでもウォルターを頼る以外、他にどうすればいいのかハイアにはわからなかった。この前のことを忘れたわけではないし、ウォルターが最近苛立っていることもわかっている。だが、それでもそれ以外にハイアはどう手を打てばいいのかわからなかったのだ。
ウォルターを頼ってばかりで情けないとも思うし、そればかりになってしまっているのは良くないともわかっている。
少しでも近づくと決めたはずなのに、結局、決めた場所から動けていないような気がして。
それが……
「おい」
ばふ、と頭に手が乗せられる。ハイアは声とその手に驚いて肩を跳ねさせ、その人物を見た。
「お前には買い物を頼んだ筈だが……なにしてンだ?」
「ウォ、ウォルター……。……あ、えっと、ごめんさ…その、えっと」
「……………………はぁ」
盛大に溜息を吐いて、ウォルターは腰に手を当てた。うなだれたハイアの帽子を奪い取って、慌てた顔でウォルターを見たハイアの腕を掴み、立ち上がらせる。
「な、なにするんさっ」
ウォルターはハイアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。髪の毛の乱れたハイアは、頭を抑えながらきょとんとウォルターを見る。
『きっとハイアちゃんは……』
彼女の言葉を気にしているわけではない。だが、それでも気にかけるに値する存在であるとは思っている。
突き放さず、ハイアを元気づけることのできるような言葉をかける。言えば簡単かもしれないが、ウォルターにはどうすればいいのか、さっぱりわからない。
(…ル、ルウ―…?)
(……僕に聞いて、僕が答えると思ってるの? ウォルター)
(お、思ってないけど。やっぱり聞けるのはお前しかいなくて)
(その言葉は嬉しいんだけどなー。…はぁ~…別にいいじゃん、そんなヤツ~…)
ルウが酷く鬱陶しそうに言った。そう言われても、とウォルターが内心で渋面を浮かべる。
何を言ってもルウは案を出してくれる様子はない。どうしようか、と考えながらウォルターは頭を掻いた。
「……えっと…、なンていうか。お前の行動は確かにやり方を考えろって話だけど。オレは別に責める気はないから。筋通したかっただけだろ」
「……うん…、そう、さ」
「じゃあそれでいいだろ。考えこむな。お前がお前を責めてどうする。誰もずるずるお前を責めたりしねぇよ」
「……でも…」
言うことを聞かないハイアの髪を再びぐしゃぐしゃとかき混ぜ、そのまま掴んで強制的に眼を合わさせた。慌てたハイアがまごまごと動いて眼を逸そうとするが、それを許さないウォルターの瞳がハイアを気圧す。
「……………………っ」
「でも、も、だって、もねぇ。何度も言わせンな。言っただろ、オレはお前を責める気はねぇ、って。しゃんとしやがれ」
「おれっちは…」
「……お前が、オレがお前を突き放すかもってことに怯えてるンだとすれば、それは無駄な事だ」
びく、とハイアが肩を震わせた。
ウォルターの口から出た「突き放す」という言葉に、一瞬眼を見開く。しかしウォルターの落ち着いた瞳に、その動搖をかき消される。
「しゃんとしろ。いつまでもめそめそしてンじゃねぇ。自分で決めたンだろ、やるって」
「…でも、やっぱり…ウォルターの、その…所のヤツに迷惑をかけたのは事実だし…」
「……はぁ」
ウォルターが盛大に溜息を吐いて、ハイアを掴んでいた手を離し自分の頭を掻いた。
ここまで来たらしょうがない、とウォルターは再び盛大に溜息を吐く。
「お前以外、もうそンなこと気にしてねぇよ。あんまり悩んで鬱陶しいなら部屋から換気するぜ」
「……後悔は、してない。言ってたとおり、あいつとの決着はつけられたんだから、さ……。けど、ウォルターに迷惑をかけたのが、おれっちは…」
まだぐずるか、とばかりにウォルターはハイアの額を指で弾き、その手からメモと財布を奪い取る様にとると、踵を返す。
「いつまでも惨めに塞ぎこんでるお前に用はない。オレは行く。これ以上は時間の無駄だ」
「…………おれっち、は…………」
「…整理がついたら追いついて来い」
「…………っ…………ウォルター…」
ここまで言えばなんとかなるだろ。
ほぼ適当だ。なにせ相手を気にして言葉をかけるなど、そうそう無いのだから。ウォルターは頭を掻きながらなるべくゆっくり歩き出す。
(はぁ…こんなつもりじゃなかったンだが)
(結局、いつもとあまり変わらないんじゃない?)
(グレンダンの時も比較的あったけどな、こういうこと)
(主に女王関連でね)
だから別に珍しいことじゃないけど、と内心で返事を返しながらウォルターはため息をつく。
別に、そんなつもりはなかったのだが。自力で立ち直れないならば、構う必要性も感じない。
必要性を感じないのは確かなのだが、しかしどこか違和感がした。なんというか、ウォルターにもいまいちよくわからない感覚。胸のあたりがもやもやするというか、放っておくことをためらう感覚……とでも言うのだろうか。
―――――…この、感覚は…
変革、か?
そう思考し、ほんの少しだけ目を伏せた。
はぁ、と再び溜息を吐いたルウが、口を開く。
(ま…ウォルターだからねぇ? 周りの生徒からしたら、「ウォルターすごい」、「ウォルターならなんとかしてくれる」っていう注目の的なんでしょ?)
(……正直、鬱陶しい。そういう目は)
(ハイア・ライアにもその気はあるじゃない。……でもま、甘やかすのは良くないよね)
(だから放っとこうと思ったんだが…そうもいかなかったな)
先程の会話が、ウォルターがハイアに与えた最後のチャンスだ。これでハイアが立ち直る……ことは出来なくても、気を戻すことが出来ないなら、もう本当にウォルターは突き放す気でいる。
いちいち構っている程ウォルターも暇ではない。
つん、と服の裾が引かれた。大抵こういう引き方をしてくるのは2人ほどしかいないため、ウォルターは振り返ってその赤橙の髪を視界に映す。
「……ウォルター…おれっちは…、やっぱり、諦めない。負けたことは負けた。それはもういいさ。だから…おれっちは…、おれっちは、もっと強くなりたい。もっと、強くなる」
廃貴族の騒動の時も言っていた言葉。ウォルターはその言葉を聞きながら、あの時と重ねあわせていた。
ハイアの表情は見えない。俯いたまま、拳を握っている。
「だから、ウォルターに言ったことを絶対実現させる。何があっても、天剣授受者になる」
「……あぁ」
「……ウォルター…おれっちは、行っても、いい、さ?」
そこで引くのか。ウォルターは苦笑交じりにハイアの髪をかき混ぜて言う。
「そンなこと、自分で決めろ」
「……行く。行く、さ」
ハイアの頭に帽子をかぶせて、ウォルターが先を行く。服の裾を掴んだままのハイアの手が、きつく握られた。
「……ごめんさ。店につくまでには、なんとか、するから」
「了解」
端的な返事を返す。後ろで小さく嗚咽が聞こえた。
悔しかったのは悔しかったのだろう。誰だって負けたら悔しい。必死に戦ったのだ、お互いに。
あの戦いは、お互いのプライドをかけていた。
ディン・ディーの時も、勿論そうだった。だが、あの時の怒りや羨望、妥協の出来ない状況はまだお互い表面でのものであり、内面を反映した戦いではなかった。しかし今回は、その内面を反映した戦い。お互いの決して妥協できない所を曝け出し、その為にお互いが頑として許さなかった事までも強行した。
それはきっと、想像を絶する恐怖だっただろう。自らを裏切る背徳、その時は簡単だと思っていても、あとから襲い来る絶望にも似た感覚。
―――――ライアが考えてたのもそれだろうな、きっと
ウォルターに対して失態を責めていたのももちろんあるのだろうが、きっとそれ以上に自身を信じられなくなりつつあったのだと思う。かつて裏切りをした時のウォルターにも、なんとなく、同じような感覚があった気がする。
あの時のウォルターはそれこそ“本当に”目的を果たすためにすべてを潰していたから、罪悪感こそなくても自身を信じられたことはそうなかった。ゼロ領域では心を塞いで、自分自身を自分が信じられていないと暴かれぬようにしていたから良かったものの、問われればきっと答えられなかっただろう。
きっといまのハイアもそうなのだろうと考えて、なんとなくかつての自分を考える。
人に偉そうに言えることもしていないし、おおっぴらに言えるようなこともしてきていない。
そんな自分が、何故ここまで。
(本当、なんの冗談だろうな?)
慕われる、なんて。
(……まぁ、とりあえず落ち着いたならいいじゃない。なんとかなるだろうし。…そうでしょ?)
(まー…そうだな)
ルウの言葉に気軽に返事を返し、ウォルターはなるべくゆっくりと道を歩いた。