この所、わたしは眠りにつくことができていません。
その言葉は、脅威が近づいている証拠だった。
何よりも、彼女自身がこうして出てくるということ自体が異例だったのだ。
ただの影だとはいえ、この世界が出来てからというもの、ウォルターが会いに行く以外でこの少女に会うことは皆無。
それにも関わらず、彼女はいまここにいる。
その理由は、“添うモノの因子”がここにいることと、何よりも脅威が迫っていることだった。
それは近いのか、と問うた。だが彼女は小さく頭を振り、やや顔を俯かせる。
彼女は危険を察知こそ出来るが、それがなんなのか、いつにくるのかということはわからない。
前からそうだったのだ。それがわかっていながら問うた自分は、随分と意地悪になったものだと少し自嘲した。
とりあえずと刀をしまったウォルターは、サヤに歩み寄る。
「……いつかはわからないのは仕方のない事だが…ここへ来てよかったのか」
ウォルターが静かに問う。
サヤは小さく頭を振り、口を開いた。
電子音が鳴り響く。現在真昼。睡眠不足の頭に劈くように響く電子音にウォルターは苛立ちを隠さず、苛立たしげに枕を叩いた。
「……ざけンじゃねぇぞ……、誰だ…ンな時間に…」
ここ3日は大忙しだったというのに、このタイミングでの尋ね人。
くだらない事情、くだらないヤツだったら殴る。ウォルターは軽く拳を握りながら扉を荒々しく開け放った。
だが、その扉の先には思いもよらない尋ね人がいた。
暖色の髪に、左顔面に刺青を入れた男。そしてその少し後ろに立つ戸惑いを顔全面ににじませている女。
「…ご…ごめんなさい……さ~…」
「す、すみません…突然…」
「……ライアに……ルファ……?」
サリンバン教導傭兵団“元”団長、ハイア・ライアと、団員ミュンファ・ルファがそこにいた。
「ンだよ…面倒くせぇな…」
「……ご、ごめんさ、本当に…。本当はちゃんと行くって言ってからくるつもりだったんだけど、さ~…。…予想以上にいろいろ手間取って」
「本当にすみません、ご迷惑をお掛けしてしまって…」
「はぁ……もういい、どうでも」
話すことすら気だるい。ウォルターはそう吐き捨てる様に言いながら2人を見る。
とりあえず入り口で立たせていてはそれもそれで面倒だと部屋へ入れた。適当に椅子に座らせて、ウォルターはため息を吐きながら飲み物を入れる。
「それで?」
「え、えっと……」
視線を泳がせて気まずいとばかりに言葉を口の中で転がすハイアを、軽く睨め付けながらウォルターは先を促す。
まったく面倒だと入れ終わった飲み物を2人の前に叩きつけるように置くと、どっかりと向かいの椅子に座り込む。
ウォルターの明らかに機嫌が悪いという睨みに晒され、ハイアは視線を泳がせ続けながらも言葉を紡いだ。
「えっと、さ」
「……おう」
「実は、放浪バスを待ってるんだけど、さ」
「……あぁ」
「それが、実はしばらく来ないらしくて。戦争期は少し過ぎつつあるから大丈夫らしいんだけど、まだその目処が立ってなくて……」
「あぁ、そうらしいな。……それで? なンで、いきなりオレのアパートに来たンだ? お前らは」
「えっと…実は…その……あの…なんていうか、さね」
もごもごと視線を逸らすハイアに、苛立たしげな視線を向けた。
ハイアはそっとウォルターが出した飲み物、カフェオレに口をつけて一息吐いてから口を開く。
「ほら…この間、騒ぎ起こしちゃったじゃないかさ。その…レイフォンのこととか、ウォルターとかのことで」
「あぁ、ロスまで巻き込んだあれね」
「ぐぅッ! ……そ、それで、宿泊施設にも顔が出しにくくって…その…」
「結局話じゃティアリスのとこ行ったんだろお前」
行ったというか、連れて行かれたらしいが。連れて行ったのはヴィートあたりだろう。
まぁ要するに、騒ぎを起こして後ろめたいので公共施設に顔が出せません、と言いたいわけか、とウォルターは簡潔に思考をまとめる。
しかしそれをはっきり言わないハイアに、ため息を吐いてからウォルターは高圧的に気圧した。
「で? ……結論は?」
「……泊めてください」
「却下」
「ええぇぇ! そんなぁ…」
「お前なぁ…なんでオレのところなんだよ。他の所行きゃいいだろうが」
「そ、そう言われても…」
視線を逸らしたハイアに、ウォルターが先を急かす様に視線を向ければもごもごとまた口を動かした。
「…ウォルターしか、頼れなくて」
ウォルターは至極面倒だという顔をした。眉根をよせながらカフェオレに口をつける。
ミュンファも肩が狭いといった表情でカフェオレをすすっていた。
1つ息を吐いて、ウォルターはカップを机におく。
考えこんでいる様な様子を見せたウォルターに、申し訳ないという顔でハイアが口を開いた。
「あの…本当に、あの、ごめんさ。でも、あの……ミュンだけでもーと思って」
「あぁん?」
「…だって、ミュンは悪くないし…悪いのは、その、おれっち、だし……と思って、さ…」
「はーぁ……。ルファ泊めンならお前も泊めるって。ひねくれンな、面倒くせぇ」
盛大にため息を吐いて、ウォルターはカフェオレに手を伸ばす。
しょうがないとばかりに台所へ向かい、適当に中を漁る。
「あー…モノがねぇな。おいライア、買いモンならお前でも出来るだろ」
「え? えっと、おれっちが行く…んさ?」
「行け、がきでも出来る簡単なお仕事だ」
「…おれっちそういうところ行きたくないからウォルターを頼ったのに…」
ハイアが頭を抱えた。だが、ウォルターは特になんとも思っていない眼で冷えた眼を向けて、言い放つ。
「おらさっさとしろ。郷に入っては郷に従え、働かざるもの食うべからずだ」
「…せめて一緒に、」
「1人で行け」
「うぅ…」
財布と買い物リストを渡すと、ハイアが渋々といった様子で受け取り踵を返した。
そんなに顔を見られるのが嫌なら帽子でもかぶればいいだろ、とウォルターは帽子を投げ渡す。やはり渋々と言った様子で帽子を受け取ったハイアが、ようやく扉から出て行く。
背中から哀愁が漂っていたような気がしないでもないが、ウォルターの知ったことではないとばかりに息を吐いてすべてを流す。
「あの、えっと…ウォルターさん」
「…あぁ、ルファはシーツとか敷くの手伝ってくれ」
「は、はい」
ウォルターは寝室に向かい、備え付けである予備の布団を引きずり出して窓を開け放つ。
その間にシーツのある場所を指示して、ミュンファに持たせた。
窓から布団を半分出して、バンバンと力任せに叩く。
「……あ、あの…」
「あ?」
「…………すみません、本当に……あの、急に来てしまって。ウォルターさんのご迷惑になっているとは、重々承知なんですが…」
「別に、どうでもいい」
ミュンファにそっけなく返事を返して、ウォルターは視線をずらす。
布団を引き上げると元々引いてあった布団を床に落として、予備の布団を敷く。
「ほら、さっさと動け」
「あ、すみません」
ミュンファがテキパキと作業を進める。さすが放浪バスであちこちを旅していただけあってこういうことの手際は良い。
手早くウォルターは、はがしたシーツや掛け布団代わりのタオルを洗濯機へ放り込む。
「お前はそこで寝ればいいから。オレは向こうのソファで寝る。ライアは……まぁ適当に考えるわ」
「す、すみません……」
「別に。さすがにお前に床で寝ろとは言わない」
「うぅ…すみません」
ウォルターはミュンファの謝罪を軽く受け流して、台所へ向かい下準備を始めた。
作業が終わったらしいミュンファがリビングへ戻ってきた。恐る恐る、ウォルターを探るように声をかけてくる。
「あの、ウォルターさん、は…」
「あ?」
ミュンファが控えめにウォルターに声をかけてきた。
それをやや眉根を寄せて問い返したウォルターにミュンファが一瞬びくりと肩を揺らす。
「……あ、あの…、ハイアちゃんのこと、ウォルターさんはどう思ってますか?」
「ライアの事? ……特に、なんとも」
「…ハイアちゃん、今回の事すごく気にかけてて…、ウォルターさんにも迷惑をたくさんかけちゃったって…。それで、今日だから余計に……」
「別に、気にしてないって前に言っただろ。しつこいヤツは嫌いだぜ」
「あ……すみません…」
別に。
ウォルターがやはり簡潔にそういうと、ミュンファは少し考えた様子で口を開いた。
「…でもハイアちゃん、ウォルターさんに迷惑かけるって分かってても、それでもウォルターさんのところに行かせてもらおうって言って…、きっと何とかしてもらえるからって」
「なンとか…とか言われてもなぁ。特になンかしてやれてンのか? オレは」
「ハイアちゃんのお願い、ウォルターさん聞いてくれましたし…その…、やっぱり、信頼してるんだろうなぁ、って思いました」
「……信頼…ね」
あんなふうに言ったのに、まだハイアはウォルターを“信頼”しているのか、と呆れ半分に鼻で笑った。
ミュンファは至って真面目のようで、特に嘘を付いている様子もなければ、嘘が言えるような人物でもないだろう。
(あいつにはある意味呆れるわ)
(本当にねぇ…、素直すぎるくらいだよね)
(まったくだ)
ため息混じりにウォルターは手を動かしつつミュンファに問う。
「ライアがオレを信頼してるって言うけどよ、そンな事あるのか? あンな風に言ったのに」
ウォルターは口角を上げてそう言う。よそ見をしながらもウォルターの動きに遅滞はない。
手際よく作業を進めながらミュンファへ視線を投げる。
「……でも…、ハイアちゃんは…ウォルターさんのこと、ずっと憧れてるって。たとえウォルターさんに軽蔑されても」
「そこまで健気になれる理由がわからねぇな、オレには」
軽蔑はしないけどな、と小さく呟きながらウォルターはスープの味を確認する。
ウォルターが小皿に少量取り分け、ミュンファに差し出す。
「……あ、美味しい、です」
「ライアも食えるかな」
「大丈夫だと思います。…そういえば、ハイアちゃんが前にもらったサンドイッチ、喜んでましたよ」
「あんな適当ものでか? 安上がりだな、相変わらず」
そう言って鼻で笑うと、ミュンファは軽く首を振った。
「でも、そう言った小さな事でも喜べる、というか…小さな優しさに気付ける事大切だと思います」
「優しさ、ねぇ…。……オレは優しいかな」
「優しいですよ。貴方自身が気づいていないだけで」
そう言ってミュンファは柔らかく笑みを浮かべる。その笑みから自然と視線を逸らしつつ、ウォルターは作業を進めた。
―――――……気づいてない、か
ウォルターはミュンファの言葉でなんとなく思考を巡らせる。
優しい、と一概に言われたところで、ウォルターにはよくわからない。どういったことが“優しい”に当たるのか、なんとなくはわかってはいる。が、自分の行動がそれに当てはまっているかと言われると、いまいちよくわからない。
それを理解しようとしても理解できた試しが無い。だからもう諦めていた。別にいいか、と考えることを放棄していた。だが、果たしてそれでいいのか……ウォルターは決めあぐねていた。
「……ウォルターさん、あの」
「ん?」
「ハイアちゃんの事、嫌いにならないであげてください」
「……あ?」
ミュンファが両手を握りながらウォルターにそう言う。いつもはどこか気弱な瞳に、強い意志を宿してウォルターを見ている。ミュンファのその眼に片眉を上げながら、ウォルターは口を開く。
「何度も言ってるが、オレは特になンとも思ってない。だから嫌いになるとかならないとかそういうはないじゃないンだ」
「……ウォルターさんのことはウォルターさんのことですから…、わたしが口出しできることじゃないですけど…、それでも、ハイアちゃんも結構無理をしてたので」
「…………そンなこと言われてもな…………」
「さっきまではきっと、強がってただけだと思うんです。ウォルターさんと会うまでは、随分と落ち込んでたので…。だから、きっとハイアちゃんは……」
自身の震える両手を、ミュンファが握りしめた。
その様子を見ながら、ウォルターは作業を済ませる。
小さく息を吐いて、自分が使ったものを片付けて手を洗う。
「……ウォルターさん。我が儘だとはわかっているんです。でも…、わたし、わたしは、」
「もういい」
「ウォルター、さん」
どこかすがる様な眼つき。そんなものを自分に向けるなとは思ったが、ウォルターは頭を掻く。
ミュンファの瞳から眼を逸らしながら、ウォルターは大きなため息を吐いた。
「…あいつが無駄遣いしてねぇか、確認ついでに迎えに行ってくる」
「……………………はい」
嬉しそうなミュンファの笑みに肩を竦めながら、ウォルターは上着を羽織り、アパートを出た。
「……やっぱり、優しいです。ウォルターさんは」
口で厳しいことをいいながらも、結局はそうして助けてくれる。
だからきっと彼も頼りにしてしまうんだろうと、ミュンファは主のいなくなった部屋でそう思った。